2017年06月07日

加計学園問題の深部

前川文部科学省前事務次官の発言で安倍内閣が窮地に陥っています。政府は、官僚が内部告発したメールなどにも「発信者不明の『怪文書』についての調査はしない」と居直っているのですが、国民の大多数は、前川氏の発言を信用し、政府は嘘を言っていると判断しています。
『喜怒哀楽』2016年08月03日「小池知事の情報公開の重要さ」のブログでも、政府の持っている情報に対し、「都知事の情報公開制度が推進すれば、国家権力を握っている国の行政組織に対して、小さな風穴を開けることができるかもしれません。また、それには、当然激しい抵抗が生じることとなります。」と書きましたが、今正に前次官らの「内部告発」と政府中枢のもっている情報との真贋が問われています。
しかし、現政権に決定的打撃を与えるであろう情報が内閣から「自発的」に開示される事はないでしょうから、「加計学園」問題を巡っての政府中枢の違法行為を検察官僚が捜査して摘発ができるのか、民主主義の真価が問われています。
兄貴分のアメリカでもトランプがコミーFBI長官を解任して、大統領の弾劾まで進むか大いに興味がありますが、安倍総理は、要旨「ネパールに水力発電所をつくったことのキックバックとして1億円近い金額が岸事務所に転がり込んだ可能性があります。」(平野貞夫著『角栄凄みと弱さの実像』KKベストセラーズ157頁以下)と書かれ、角栄以上の金権政治をおこなった岸伸介の孫であり、続けて同書は、満州での岸について「中国人数十万人をアヘンで廃人にした日本の民間特務機関のトップだった里見甫(1896~1965)が行ったことを中心に、「満州国は、関東軍の機密費づくりの巨大な装置」であった事実を伝えています。そして満州国開発「五カ年計画」を策定した岸本人に言わせると、満州国とはそもそも、「私(岸)の作品」と言えるものでした。その岸がアヘンによる機密費作りのことを全く知らなかったとは考えられません。」と紹介され、さらに「里見の秘書の証言によれば、42(昭和17)年4月の翼賛選挙に立候補して念願の政治家になった岸はこの時、弟の佐藤栄作を運び屋に、200万円の金が届けられたと言うのです。これを国家権力の私物化と言わずして何と言いましょう。」(同書159頁)と角栄以上に金権政治と国家権力の私物化をした岸信介を批判しています。
その他、岸は戦犯として巣鴨に拘置されていたものの、GHQから釈放され後に内閣総理大臣となり、アメリカの世界戦略に組み込まれた日本の礎を作ったのですが、みどり十字のように何故アメリカに「赦免」されたのか、疑問が湧いてきます。勝手な推測ですと、岸などはアメリカとの司法取引、即ち満州での人体実験を行った関東軍の731部隊の実験データをアメリカに引き渡すのと引換えに戦犯容疑を免れたのか、と考えています。
安倍内閣に関連して岸のことを少々長く紹介しましたが、安倍晋三はお爺ちゃんの跡を継ぐ政治家になりたいと二度の内閣総理大臣に就任したものの、「加計学園」問題を巡って首相を取り巻く今回の内閣官房などの所業は、韓国のパククネ大統領の側近らの行った悪行とその構造(トップの頭の構造)が似ているように感じているからです。しかし、日本と韓国との違いは、国民の辞任要求のデモなどで、大統領の弾劾が始り、その結果大統領が罷免されるなど、未だ民主主義が機能していることでしょう。
昔は、学生が日本の国の政治に大きな影響力を与えたのですが、今の学生にはその元気がありませんから、われわれ70年安保の「残党」が、我が国の将来を案じ、声を大きくする必要を感じています。一所懸命足腰を伸ばして、少しは頑張れますかね。
posted by やすかね at 17:25| 千葉 ☁| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

議論のお好きな弁護士会

以下は、最近千葉県弁護士会で「議論」となっているところに「横槍」を入れている文章です。
要するに、法務省・司法試験委員会などが、司法試験合格者を増加させた(私の頃の300名が、平成28年で750名を越える)ことで、弁護士の社会的地位とか生活が成立たなくなり、弁護士を目指そうとする優秀な若者も著しく減少してしまった。ここを是正させようと考えていることが出発点です。
そこで、この4月から会長に就任した及川会長が、弁護士会の「議会」とも言える常議委員委員会に意見を求めることもなく、日弁連に対し、司法試験合格者を減らすべく協議を求め、日弁連が協議をしないとか、回答のない場合には、千葉県弁護士会では修習生の受け入れ制限をする、と少々過激ことを申し入れたことから、弁護士会の常議委員委員会及びメーリングリストで議論が「紛糾」しているということです。
これについて、会則上は、常議委員委員会は会長の諮問に応じて審議する場所だとか、今までの運営では「公共団体の議会」のような決議機関の性格を持っているから、常議委員委員会に諮らなかったのは問題だ、さらには、当初、日弁連に修習生の受け入れ制限が言えるのか、などの議論もあったのですが、冷静な弁護士から、各単位会に修習生の受け入れを委託するのは、司法研修所であるとご指摘を頂き、少し落ち着いたところです。しかし、中には自分が議論をリードするのだと言わんばかりに勝手に「論点整理」などする「おエライさん」もでる始末です。
この問題について、私は、次ぎの弁護士会の総会で議論することは、時間の無駄と反対したのですが、結局多数に押し切られました。その結果は、最高裁判所・法務省などが仕組んだ司法改革という戦略(よく解らない裁判員裁判制度導入など、本音は弁護士自治への攻撃)に対して、司法修習生の受け入れ制限という極めて限定的な戦術(何処に地雷を埋めるかという程度の戦術)を議論しても無意味と考えられますから、おそらく納得のできる着陸点も見つからずに時間と経費の無駄が発生することとなるでしょう。以下は、弁護士会のメーリングに投稿した「怒り」の一文です。

最近メーリングリストの登録したところ、どうでも良いような、話が延々と続いて食傷気味でス。要するに誰かさんがエラソーに「論点整理」などと銘打ち、論点が錯綜しているようで見る気にもなりません。閑話休題というところで、的外れとのご批判も受けるでしょうが、一休みしてください。
先ず、千葉県弁護士会が、司法試験合格者を減らせと、日弁連に協議を申入れするのは大賛成です。そこで、司法修習生の受け入れ反対という強硬手段に出ることも理解できないでもありませんが、話題性がある事はともかく、一度この様な強硬手段に出てしまった以上、話しが前進しないからと言って「撤回」は非常に難しいでしょう。わが千葉弁は、日弁連会長選挙で反主流派とみなされ、修習生受け入れを人質にとって交渉しようとしても、研修所(この点は、初めて知りました。ありがとう)を含め、日弁連もケンモホロロでしょうからね。
結局、強硬手段を執ってしまえば、北朝鮮のように引っ込みがつかなくなり、今後、関係各国からたぶん総攻撃を受けることもあるだろうし、今の会長が4年5年と息の長い戦いをできるならいざ知らず、千葉弁も振り上げたこぶしの下ろすところが無くなるでしょう。次期会長に長年会長を希望している、Iさんになっていただきましょうか。冗談
この様なことを考えたとき、今回の会長申入れを総会で「説明」をするのはともかくとして、「議論」などしても人の意見に耳を貸すほどの度量の人は少ないでしょうから、要するに時間の無駄となりこと必至です。
例えばですね、一昨日の常議委員会でのことです。総会の提案予定の予算書について、私が、60以上ある委員会の整理統合・予算減額など色々述べた後、来年度は一億円以上となる人件費が必要となるのですが、今の弁護士会の事務局の1週間あたりの勤務時間は、40年前の県庁・千葉市など法令では週40時間となっているところを法令に違反して週35時間しか勤務していない違法行為をわが弁護士会も踏襲して、現在では千葉県などが週40時間に是正していても、今に至るも弁護士会の事務局は、週35時間しか働いていない、ことが問題だと発言しました。
案の定、僕の意見に何でも反対の先生から「事務局は、35時間以上、遅くまで働いている」などと訳の分からない、「反論」をしていました。今僕が問題としているのは、一週間の所定労働時間の話であり、所定勤務時間後の、残業代を支払う労働時間など問題としているものありません。的外れの反論でした。このわけの分からない反論に、敢えて再反論しますと、40時間が35時間となっている場合、残業代にも影響してくるのです。年間の総支給額の分母が2018から1700になり、これに25%の割り増しが一時間あたりの残業代となるからです。
今、若手の弁護士は仕事も少なく、所得(売上でなく課税基準のこと)で言うと200万円程度の人は、ザラにいると思います。今の弁護士会の事務局には、多分停年で再就職しても月給制で、この夏のボーナスも2ヶ月以上支給されるようになっています。(常議委員委員会で承認)
殊更、事務局を苛めるつもりはありませんが、今の時代、公務員も、アルバイトが3割から4割と多いだけでなく、小中学校の教員も正式採用されず、1年契約などと言う非常に酷い契約で働かされているのです。将来の日本を背負う子供たちの教育現場で極めて劣悪な労働条件で働かされている先生も沢山いるのです。その様な中、弁護士会はまた2名採用したようですが、弁護士会の事務局に採用されるため、どんな難しい試験を受けたのか分かりませんが、そこには大いに疑問を感ずるところです。
左翼系の事務所が自分たちの費用で事務局を甘やかすのは、ご自由ですが、弁護士会の予算は、執行部が会員から預かっている財産を適切に、善良な管理者の注意義務で所属弁護士などのため使用されるべき予算ですから、執行部は正当な批判は甘んじてもらいたいと考えます。
以上、本論と別の話しをしましたが、今度の総会で司法修習生の受け入れ問題など『議論』するのであれば、恐らく何の結論にも至らず、論点整理などとエラソーに言う人が口角泡を飛ばすでしょうから、総会の費用の無駄遣いとなること必至と考えています。
人生80年として、生きられる700800時間の内、活動できる貴重な時間(233600時間)から3時間も4時間も無駄にはできないですね。

posted by やすかね at 16:49| 千葉 | Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

なぜ、司法試験合格者を増大させたか

先ほど、弁護士会のメーリングリストに配信したものです。要点は、司法試験合格者が一挙に増大したことから、弁護士の収入が激減して、その結果優秀な人材も司法試験を目指すこともなく、外の業界に流れてしまっている。
そこで、わが千葉県弁護士会の会長が弁護士会の内部での議論もしないまま、日弁連に司法試験号合格者を減少するように関係各機関に申入れをすべきである、と日弁連に協議を申し入れたようです。そして、千葉県弁護士会との協議もできないなら、千葉県弁護士会は司法修習生の受入を減らす、という強行姿勢を明らかにしたことで、今弁護士会の「場外乱闘」が始ったということです。
この場外乱闘で守川弁護士が、問題の本質から外れたと思われであろう、会長の行動は手続き違反だと言う趣旨のメールを配信したので、僕は、問題はそんなチンケな話しではない、もっと大所高所から考えろ、と怒りをあらわにしたところです。
まぁ、弁護士が増えすぎてしまった後始末は、弁護士を公務員にして、生活保障をさせれば、弁護士自治などと言う権力にとっての目の上のタンコブもなくなろうというものです。その方が、お金儲を最優先する悪徳弁護士を排除できるでしょうかね。
何れにしても、弁護士の力量が大きく下がり、国民の要望に応えられなくなれば、弁護士会という自治権を持つ「老兵」となった職業団体は消え去るのみです。

ヤスカネです。手続きが問題かのような、話をしていますが、要は何故権力側が、民事訴訟事件が増大するなどというデタラメなことを言いつつ、司法試験合格者を増員しきてきたかでしょう。これは、日弁連が、「社会的正義の実現と言う使命」について、常に権力との関係を考えながら行動してこなかったことに原因があるのです。
ですから、今増員に反対だ、話し合いもしなければ、司法修習生の受入を断ると言うような「社会的弱者」を人質にとっての議論は、噴飯者なのです。既に司法試験を目指そうとする有能な若者が激減してしまっては、この後は、司法試験も行政書士試験も司法書士も全て同レベルの試験というか、区別をなくして全て「弁護士」にするという方向が見えないのですかね。
もっと大上段に言えば、我が国の資本家と労働者の二極対立と言うか、資本化とエリート対一般国民で我が国を動かしていこうとする流れでしょう。
エリートはわが子を幼少期から良い教育を施し、一般国民は「ゆとり教育」などといういい加減な教育をして、社会のエリートにはさせないという、国家戦略です。
ですから、周りを見てください。財力にものを言わせれば、少々お勉強ができれば「立派な弁護士」は直ぐ誕生します。「法科大学院バンザイ」などとオチョクッタブログを書いてありますので、ご覧下さい。
良いですか、裁判官もお坊さんも学校の先生も歌舞伎俳優もタレントも沢山の世襲タレが出ているではありませんか。幼少期から教育をされれば、ゴルフだって、一流になれるのです。
逆に15歳になっては手遅れなのです。従って15歳から22歳頃までの人間の成長期には、つまらない教育などしないでしっかりと技術を見につけた「職人になれ」というのが、社会的エリートの言い分なのです。
何故、角栄が待たれているか、差別された民衆の集合的無意識なのです。
そこで私が一番力説したのは、フライングすれば良い学校に入学できる制度でなく、本物の優秀な子どもを社会の指導者とできるような教育制度を確立させて、社会の不平等を何処まで改善できるか、ということが憲法の立場であると言うことです。
posted by やすかね at 17:51| 千葉 | Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

角栄の凄さと国民生活

1935年生れで、法政大学院で政治学を学んだ後、衆議院事務局で働き、園田直副議長、前尾繁三郎議長の秘書官などを歴任した後、92年衆議院事務局退職後、参議院議員などを務めた平野貞夫先生と会食の機会がありました。官僚時代、政治の裏表を知りぬき、宮沢喜一元首相からは「永田町のなまず」と呼ばれていたそうです。写真を拝見するとなるほど宮沢喜一は上手いことを言ったものだと感心しています。
それはともかく、平野先生から『角栄凄みと弱さの実像』(KKベストセラーズ)頂き、拝読しました。
これまで、私は、さしたる具体例もないまま「国民主権」は「官僚主権だ」などと言ってきたのですが、この本は、具体例を出しながらわが国の実体を解明しています。
そのなかで、印象に残ったところは、実は、自由民主党の中で、官僚と国民目線の議員との確執があり、角栄は最後には、宮沢的な官僚グループに足をすくわれたようです。

角栄は、「政治は生活」のためにあると考え、29歳で初当選してから39歳で郵政大臣になるまでの10年間で33本の議員立法を通し、そのどの法律も国民の生活に根ざしたものであるということに驚きました。憲法9条についてもこの平和憲法は変わることはない、と断言していたようです。
一方、岸信介が満州でやっていた所業にも触れています。イギリスは、中国から紅茶などの輸入超過に対して売るものがなかったことから、中国にアヘンを売りさばき、挙句には植民地のインドの兵隊を中国に送り、悪名高いアヘン戦争を引起こしたのですが、日本も同様のことをやっていたことが明らかにされています。
ノンフィクション作家佐野眞一の『阿片王―満州の夜と霧』は、中国人数十万人をアヘンで廃人にした日本の特務機関のトップだった里見甫(ハジメ)が行ったことを中心に「満州国は、関東軍の機密費づくりの巨大な装置」と伝え、そして、満州国開発5カ年計画を策定した岸信介に言わせると、満州国はそもそも「私(岸)の作品」といえるようなものでした。(前出 平野著159頁)そして、昭和17年翼賛選挙で議員となった岸は、佐藤栄作を運び屋に200万円の金が届いた、ということです。A級戦犯でありながら、戦後日本の舵取りをした岸信介がその様な人物であったとは、びっくりしました。

また、宮沢喜一が、平野先生に政権取の相談をし「政治で一番大事なのはどういう考え方か」と聞かれ、先生が「生理現象と病理現象を取り違えないことだ」と答えたところ、宮沢は「まことに恐縮だけれども貴方の学歴は?」ときかれ、言うほどのものではないと言うと、「是非言ってくれと」というので「(医者の家系だった)自分には屈折があり、医学部ではないが、2年間、医学部受験のため医科大学進学コースに行っていたので、そういう理系的な目で政治を見る」と答えた。宮沢は「東大医学部中退ですか。」と言うんです。宮沢は東大法学部の人間が知らない事を知っているのは、東大医学部の人間くらいしかいないという発想なんですね。とまぁ、東大出の石頭はその程度なのでしょうね。お勉強は東大ですが、頭の良さは法政ですね。

要するに、この様なエピソードを交えながら、尋常小学校卒の角栄に親近感を持ちつつ角栄の政治理念を語ってくれています。その流れが、国民の生活にとって重要であると言うことです。
私が纏めるのも変ですが、要するに、国民の代表である議員も議会の権限である立法権を行使せず、官僚の手先となっているのであれば、国民の生活も平和憲法も危険な状態になってしまうと言うことのようです。

同書は、「はじめに」で角栄は、新憲法の中から「人間の差別や地域の格差を解消するために政治活動を始めたのである。そして総理の地位に就き、歴史の中に差別されていた地域(裏日本)や人々に、政治の光を当てようとしたことを「官僚文化」は許さなかったのです。「政治は国民生活である」と叫んだ角栄が葬られてから、日本の官僚天津神の支配は「沖縄」をはじめ日本の過疎地、そして大都市の棄民を「艮」(ウシトラ)に塗り替え、さまざまな格差社会を作りました。と書いてあります。
日本の政治の視点を、官僚と国民生活を守る立場で見るとき、政治家の態度を分析するときに大いに役立ちそうです。そういえば、東京都の都議選を前に、国民目線で選挙協力を進める民進党に離党届を出した議員の理由は、官僚の立場と判断できます。最近にない面白い本です。是非ご一読を
posted by やすかね at 19:16| 千葉 ☔| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

始った、弁護士会の場外乱闘

4日の朝日新聞に千葉県弁護士会長が、日弁連に司法試験合格者の増員反対の趣旨でしょうが、場合によっては千葉県弁護士会が司法修習修生の受け入れ制限をするなどと、激しい申入れをしたことで、4月早々から千葉県弁護士会が騒がしくなってきました。以下は、先ほどMLで会長に対して送付したものです。

何ですかね、常議委員委員会が始まる前に、既に場外乱闘が始まってしまったのか、と驚いている次第です。私は、及川執行部ができるということで、選挙も覚悟して常議委員に立候補して、及川執行部にものを申すべきと考えていたのですが、もう、既に少し出遅れています。

私のブログでは、大変長くなり恐縮しますが、常議員になるにあたっての基本的考え方を開陳し、会長・副会長にも直接ブログの校正前の原稿を送ってあります。そこでは、弁護士会のあるべき姿について原理原則から相当常識的に書いてあります。興味があって、長い文書も読みきれる人は、是非ご覧下さい。

話が飛びますが、アメリカ大統領トランプのことにも喜怒哀楽では触れているのですが、トランプはツイッターで世界の国々を騒がせているのですが、わが千葉県弁護士会では、メーリングリストで弁護士会と日弁連とかを騒がせているのですかね。

先日某先輩とゴルフをした際、「やすかねさん、及川執行部はアイエス執行部だから、どんどん発言してくれ」という趣旨の激励を頂いておりますので、今年の常議委員委員会は、大変な騒ぎになりそうですね。しかし、今回のような場外乱闘は「常識外」の出来事でしたが、「及川執行部がIS執行部」と命名するのも相当の見識と驚いている次第です。

僕は、10年前からブログで「借金漬けの司法修習生」を手始めに弁護士というか司法試験合格者の増員に意見してきて、「法科大学院は不要」とか、少し某先生の年賀状をおちょくった「法科大学院バンザイ」なども書いてありますが、司法修習生の受け入れ制限をするなどという、弁護士会の「テロ行為」は考えも及びませんでしたね。びっくりしています。

今回会長が、常議員会の権限に触れているのも、今後の火種ですかね。

posted by やすかね at 19:07| 千葉 ☁| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

結婚が難しい理由

少子高齢化という言葉もすっかり定着し、我々高齢者(とは考えていないが)から見ると、これからの日本だけでなく、世界はどうなってゆくのだろうなどと、ソクラテスの生きた時代の年寄りのような口調になってしまいます。
でも、何故少子化なのでしょうかね。中国のように一人っ子政策など採用したのであれば、人口オーナス(ボーナスの逆)も止むを得ないのですが、資本主義社会は、労働力の再生産が出来なければ、資本家だって儲けを維持することが出来なくなってしまうのですから、労働者階級の人口減少は、我が国全体が衰退へと向かうことを明らかに示しています。
大体生物は、種の保存が困難になってくると、雌雄の関係が変化し、雌の割合が大きくなるらしいのですが、男女の比率では、まだ男の出生率が大きいのでしょうか。厚生省の統計を見ますと、女を100とした場合、男は105前後で大体安定していますから、ホモサピエンスの種の保存の問題ではないようです。しかし、人口比では長寿率から女が多くなっています。

今日テーマにしたいのは、この様な種の保存ではなく、男女の結婚が高齢化している現実です。何故なんでしょうか。
ところで、結婚はどの様な手続きで行われるのでしょうかね。詳しくは分かりませんが、昔は隣近所の「お節介オバサン」が色々動き回り、縁結びの神様となり、また大手企業は、有名4年制大学から男子社員を採用する一方、それほど有名でないにしても短大から社内結婚の候補者を採用していました。
企業が『恋愛結婚』の下準備をしてくれていたのです。その様な企業の配慮を知って知らずか、社内恋愛の後、社内結婚が成立して女性は壽退社するのが通例でした。
ところが、時代が進んできますと、壽退社予定で採用した女子社員が結婚もしないで仕事中心で頑張ったりして、いつの間にか女子の「総合職」社員を採用するようになりますと、企業から社内結婚の配慮が無くなったようですね。
結局、まわりのお節介がなくなると、現代の日本では、恋愛結婚が理想と考えられたものの、この恋愛の成立が極めて困難になっているようです。仕事が忙しいとめぐり合う機会そのものが減ってしまうだけでなく、携帯電話などの普及から人々が直接あって話をすることも少なくなってしまいました。
それでも、結婚をしようという意識があるなら、少ない機会も積極的に活用するのでしょうが、中々恋愛にまで進行しないのは、何故でしょうか。
若い哲学者の萱野稔人(かやのとしひと)さんによりますと、恋愛結婚の本質は物々交換だということです。(『右肩下がりの君たちへ』佐藤優対談 ぴあ91頁)
要するに、魚を10匹持っている人とキャベツを5個持っている人が、夫々交換を考え、キャベツ1個を魚2匹か3匹と交換するため交渉に入り、3匹で合意が出来れば交換が完成します。
恋愛の場合は、女性と男性がお互い相手の望む能力を持っていると合意が出来れば結婚ですが、実際は、人は自分に甘く相手に厳しい条件を要求し、また男女とも自分と相手の能力査定が難しいので、なかなか結婚できないということのようです。
最近では、それに加え、低成長経済の中で、賃金が低下し、労働者の疲弊が進み、その挙句結婚して子どもを育てて労働力の再生産も大変な状況になっているということでしょうね。
あと、思いつきですが、女性の社会的地位が上がって、男性と対等の関係に近づいた結果、女性の貞操観念が低下(男はもともと低い)して、結婚を前提としない「セフレ」などが多くなっているのではないでしょうか。数十年前は、これからはフリーセックスの時代などと言われ意味も分からなかったのですが、現代は、女性も適当に性欲を処理できるから、家庭に縛られての専業主婦などやっていられない、と考える女性が多くなっているのでしょう。
しかし、現実の社会はまだまだ男女は平等ではありませんから、30代から40代になって生活の基盤を支えてくれていた両親が亡くなった後、多くの女性が生活保護の受給者となりはしないか、心配です。40歳を過ぎたら、急いで結婚しても子どもも生まなくなってしまいます。
今の市役所などの結婚相談所の登録者は、20代の女性は殆どゼロに近い状態であり、結婚しなければと将来の危機に気づいて、まだ望みを失っていない30代後半から40代、さらには50代の女性も多く登録しているようです。それ以上の高齢者の登録も多いようですが、今ここで考えている結婚は「お茶のみ友達」とは違いますから、念のため。


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posted by やすかね at 18:12| 千葉 | Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

神を畏れぬ「非本来的絶望」で良いか

厳しい試験に勝ち抜いて帝国大学、司法研修所での司法修習を終了して、弁護士登録をしていた若い弁護士が、最近、出家して小乗仏教の修行のためタイに出国しました。彼は、今頃タイで、毎日托鉢をして厳しい修業僧の生活を送っていることでしょう。日本で托鉢などしますと、軽犯罪法で「乞食」とみなされ、場合によっては罰金刑を受けるかもしれませんが、タイでは尊敬される出家者です。

彼もこれまでの自分の境遇・人生について様々な悩みを持ち、結局仏陀のような罪深い、個人的悩みを持っての出家とは思いますが、学校ではお勉強が出来て優秀であったが故に18歳から30歳前後まで、膨大な国費を費やした結果、個人的悩み、自分の「救済」のため、弁護士という天職を放り出した事は、理解できないのです。

例えば、楽天の三木谷社長は、国費で海外留学後、楽天を立ち上げ、現在では、数千億円の資産を築いていると思いますが、所得税とか相続税で最終的には、天下国家のため自分の能力を使い切るということで、嫉ましいほどの素晴しい人生と考えています。(功利主義的な理解)

翻って自分のことを考えますと、私(と同年代)は、150億年以上前から続いている太陽系の中で、つくづく幸運な世代だと感謝している次第です。70万年ほど前、人類が誕生し、数千年昔から、王様、貴族は、素晴しい生活ができていたでしょうが、それらの生活全てが、命をも含む他人(奴隷)の犠牲の上に成り立っていました。
ですから、貴族らが人間としての心を持っていれば、贅沢な生活を送る自らの存在自体に悩み苦しんだことは、想像するまでもありません。2千年以上昔、王子であった仏陀が出家して厳しい修行僧の道を選択したのも、人間としての心を持っていたからでしょうし、さらには、人間誰でも持っている死の恐怖とか、自分の儚い人生についての哲学的な悩みでしょう。
同じ人間でありながら、貴族の所有物であった奴隷などは勝手に出家なども出来なかったでしょうから、生きることの悩みはどうしたのでしょうかね。

しかし、21世紀の日本に住む私達世代は、現在まで戦争の危険に晒されることもなく、古(イニシエ)の貴族の様に、自らが生きるために他人の命までを犠牲にする事はないと思われ、ヒューマニズム的な格別の悩みもありません。精々子どものころ、美味しいものを食べたかったという懐かしい思い出の外、安全安心な社会の中で生活し、既に、高齢者の仲間入りをしています。毎日平穏に暮らしている悩みなき高齢者たちは「ピン・コロ」を願っています。この様な、死をも怖くない、悩みを知らない生き方をしている人は、キルケゴールの言う「非本来的絶望」で、宗教心のない救われない人間なのでしょうかね。

幸い、私も弁護士として四半世紀を遅らせていただき、今後は、そのお返しをどうすれば良いのかと贅沢な悩みを持っています。
高齢者の仲間入りをした皆さん「今でしょう。」やるべき事は! 生きることにお悩みはありませんか?

posted by やすかね at 17:02| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月02日

弁護士会は、どうあるべきか

弁護士会の常議委員に就任するにあたり,私見を述べさせていただきます。
それに続いて、人間社会の「正義」をどう理解したら良いのだろうか、政治権力を組織する民主主義社会はどうあるべきか、この民主主義社の結果の不平等をどうすべきか、最後に司法権の独立などに言及しながら、徒然なるままに、駄弁を弄します。お付き合いの程宜しく願いします。では、自分の簡単な経歴からです。ご容赦下さい。長々と考えて弁護士会の役割を自分なりに整理できたと思っています。

平成7年独立し,現在までに消費者委員会,業務対策委員会,商工ローン弁護団など歴任しました。自分としては商工ファンドの解体に向けて,最初の引き金を引いたのは自分である,との自負があります。
また富士見町の暴力団事務所の撤去も,知合いの不動産業者から情報を得て,最初4名で競落することを決定後,リスク分散のため弁護士会での共同購入者を募り,最終的に16名で暴力団事務所を競落し,これを県警に転売し,富士見町に平和が訪れました。この件は,東京第二弁護士会の会報でも紹介されました。
その他常議委員,平成15年から市原市議会議員2期8年の後,紛議調停委員を現在まで2年努めております。この間の様子は,拙著「喜怒哀楽」に纏めました。 既に10年以上経過し,在庫もありますので,ご希望があれば無料で頒布します。
四半世紀の間,弁護士として素晴しい時代を贈らせていただき,感謝の気持ちで一杯ですが,今後は弁護士会が,真に国民から感謝され,満足を与えられる団体となるためにどうすればよいか,真摯に考え,誠実に務め上げる決意を固めております。会員の皆様のご賛同を得たいと考えております。
 
飲水思源(原理原則から考える)
トランプ政権が誕生し,人類史の中で発達してきたはずの民主主義とは何かと,改めて考えさせられました。
また,私自身,社会正義を実現することを使命とする弁護士になって,四半世紀が経過し,加速度的に発達したインターネットは,過剰な情報化社会(仮想空間)を構築し,その結果人間と人間との直接的交渉を奪い,人々は立ち止まって,原理原則から考える余裕すら奪われ,何を信じて生きるべきか,見当もつかない状況です。この様なときこそ,憲法の大原則が現実の社会でどう生かされているか,歪められているかを認識しながら,今の弁護士会がどうあるべきか,真剣に考える必要があります。

先ずは,「正義」について考える
弁護士法第1条1項に,「弁護士は,基本的人権を擁護し,社会正義を実現することを使命とする。」要するに,正義の実現という結果に向け,弁護士の努力義務があるということです。

富の争奪戦が紛争の本質
ところで,正義の定義をしようとしますと,それは人権だ,法の支配だ,民主主義だ,などと色々考えることもできます。正面からの定義は難しいので,先ずは逆から考え,最大の不正義は,何かと考え,その原因を探ってみます。
有史以来の不正義は人間の殺し合いですが,最大の不正義は,国家と国家が殺し合いをする戦争です。この人間が争う原因は突き詰めると,人間に必要な物資,生きるに必要な食料などの社会的富の獲得競争(その結果としての格差)こそが,紛争の原因であることに行きつきます。植民地争奪戦,侵略戦争,宗教戦争も同様の目的があったと思います。

人間に近い,猿に見る紛争の原点
人間ではありませんが,人間に近い動物の世界で,富の分配から争いが起こる興味深いTV番組がありましたので,ご紹介します。
これは10年以上前のTV番組でのことですが,余分な餌もなく,生きるに精一杯の猿の群は,強いオスも,ほかの猿の餌を取り上げることもなく,争いのない平穏な生活をしていました。そこに,人間が群れの中にザル一杯のバナナを放置したところ,このバナナの取り合い合戦が始まりました。食べきれないのに,力のある猿は,バナナを独り占めしたいと「考える」のですね。興味深い事実です。
ホモサピエンスは,サルとは違いますが,それでも人類として十分な発達を遂げるまでは,殆ど猿に近い生活をしていたでしょうから,食料が十分ではない頃には,群れの中で争いは,恐らくなかったでしょうね。
最近のTVでアフリカモロッコの山中に生息するニホンザルに近い猿の群れでは,オスがメスに受け入れられるためには,子育てが一人前になる必要があるようでした。そして,この群れでは,日常の争いごとは殆ど見られず,若者ザルが群れを追い出される(近親婚の回避)場合,無用な争いとは言えないと思いますが,多少騒がしくなるという程度でした。驚きですが,雌の争奪戦も特にありませんでした(乱婚)。心温まる番組でした。

狩猟から農耕社会(権力の成立)
農業が始まり,生産力が拡大して,食料の余剰が出てくると,直接生産活動に従事することなく,全体を取りまとめる権力が発生し,その過程から争いが始まり,紀元前数千年のころには,暴力という実力を備えた国家権力が存在していました。  
即ち,一方に他民族を征服した王様・貴族,他方に,戦いに敗れた奴隷が存在する古代国家が成立していたのです。そして,切れば血が流れる同じ人間でありながら,権力者は自分に有利なルールを作り,力(武力:裁判)で秩序を維持しながら,余剰生産物を独り占めにしたのでしょうが,長期間多数の奴隷を支配し続けるには,武力だけでは困難でしょうし,奴隷も苦しい現世を生きる中で,奴隷は「神」に救いを求め(旧約聖書など),人間を救済する宗教は,神の国での「平等」を唱えて発展し,長い人間歴史の中で,平等こそが正義であると観念されたことと思います。
古代における人間の平等観は,新約聖書 使徒言行録「持ち物を共有する」の中で「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく,全てを共有していた。・・土地や家を持っている人が皆,それを売っては代金を持ち寄り,使徒たちの足もとに置き,その金は必要に応じて,おのおのに分配された」とあるように「能力に応じて働き,必要に応じて受取る」原始共産制のような考え方が示されています。
しかしながら,権力者にとって全ての人間が平等であることは,到底容認できないものの,暴力的権力だけでは,治安維持を永続することも出来ず,不平等・格差社会の中での自分たちの権力の正統性を根拠付ける必要性から,権力者(王族・貴族)も自分たちの支配の正統性を「神」の信託に求めました。

根源的正義「平等」
以上の物語を,強引大雑把に纏めますと,紀元前から観念されていた根源的な正義である人間の結果的「平等」(前出新約聖書)を究極の目標としながら,権力者は,余剰生産物から生ずる格差に対する不満を力で押さえ,とりあえず折り合いをつけながら「公正」な政(まつりごと)を行ってきた,と考えられます。
時代が進み,人間社会の生産力は,飛躍的に拡大しても政の中心論点は,秩序(治安)を維持しながら社会の富をどの様に分配するのが,「公正」な社会といえるのか,ということです。
神から信託を受けた王様(王権神授説)が,税を徴収し,王族とその一族の優雅な生活と軍隊を維持していました。1215年のマグナカルタは,この様な王権支配に対し,封建貴族がジョン王に対して詰め寄って勝ち取った文書です。
このマグナカルタから人民の自由,議会の権利(更に,共和制)などに発展して,社会の富の公正な分配,民主主義などが発展したとされています。
ですから,現代社会で正義と言われる自由・平等・民主主義などは,人間の平等を軸に歴史的に進化してきたと考えても間違いはないと思います。
現代社会でも,権力の掌握方法は様々でも,権力は,富の分配を巡り,富者と貧者の折り合い(格差解消)をつけながら行使されているのは同じでしょう。(最近の報道ですと,ビルゲイツなど8名の超富裕層が,数十億人分と同程度の富を所有しているそうですが,この様な不均衡は,到底許せませんね。それ故にアメリカの超富裕層用のガードマン付要塞のようなゲーテッド・タウンがあります。)

帝国主義の時代到来
社会の生産様式(農業のあり方など)は,貴族と奴隷制の枠組みで数千年間行われてきました。歴史の進化と共に商品の流通と富の集中があったとは思いますが,なかなか資本主義の準備までは時間が必要だったと思います。
イギリスでは,羊放牧のため,農地の囲い込み運動から農村を追われた都市農民の労働力を「契約」で買い取った資本家が商品の拡大生産を始めた(資本主義社会の始まり)ことで,社会の生産力は,さらに飛躍的に拡大しました。
日本では,明治政府が両替商などから300万両の資金調達を行って,財政的基礎を作り,また地租改正から耕作地を失った自由労働者が生まれ,明治政府は,富岡製作所,八幡製鉄などの産業にテコ入れを行い,資本主義が始まったようです。
しかし,この様な資本主義による生産力の拡大は,結局のところ,格差の拡大であり,貧困層の増大から,社会不安が増大し,この貧困層の不満を「解消」する必要が生じました。そこで,国家権力を背景にした資本家が海外市場拡大を図り,貧困層から組織された軍隊が周辺国を侵略する帝国主義(植民地争奪戦)の時代へと突入しました。

国家統治の形態
帝国主義の時代は,君主制,共和制などありましたが,第二次世界大戦後,人間平等の観点から,多くの君主制国家が共和制に移行し,国家の権力者を人民が選出する民主国家が増大してきました。しかし,民主主義それ自体が素晴しいものでないことは,ヒットラーの選出も民主主義であったことから明らかです。

民主主義には,主権者国民の教育と情報開示
そうであるならば,真の民主主義は,どうすれば実現できるでしょうか,『都民ファースト』を進めている小池東京都知事が,情報公開を力説していましたが,自らの代表者を選出するためには,選出に必要な情報が全て明らかにされている必要があります。
さらに,選挙民自体,十分な教養を持たなくては,情報の正しい理解も出来ませんから,結局詐欺師みたいな代表を選出してしまう事となります。しかしながら,現実として,理想的な民主主義は,未だ実現困難な課題です。

表からの正義実現は,民主主義であり,その裏は司法権となる
いずれにしても,選挙民は,国政運営を始めとしたルール作りを,代表者に委ね,このルールに従って,行政権力が「正義実現」に向けて行使されたその結果が,常に正しいものであるとは言えません。
そこで,行政権の行使(税金の分配など)がルールに従っているか,さらに法治主義実現の根拠となっている法律自体が憲法に違反している否か,司法権が正義実現の最後の砦として最終判断をしなければならにこととなっています。
この様に社会正義の実現に向け,民主主義の制度として,「治者と被治者の同一性」の観点から,立法府の構成及び行政権者の選出,さらには司法権で正義実現の最後の砦としたとしても,現実として法に遵った正しい国政運営がなされているのだろうかと,疑問を持ったとき,やっと,独立して司法権を行使する裁判官の問題にたどり着くこととなります。

裁判官が信用できるか
ところで,裁判所は,最高裁以外の裁判官は,最高裁判所の指名名簿によって内閣が任命し(憲法80条),最高裁判所の裁判官は,内閣が任命(憲法79条1項後段),最高裁判所長官は,内閣の指名に基づいて天皇が任命(憲法6条2項)します。
ここで,司法権の独立について重大な問題が潜んでいます。例えば,司法権の独立とは,何かと言えば,それは具体的裁判において裁判官は「その良心に従ひ独立してその職務を行い,この憲法及び法律にのみ拘束される。」(憲法76条3項)との規定どおり,争いの事実関係を証拠に基づいて確定して,法律を解釈適用して結論を導くのですが,この事実の認定,法の解釈適用が独立した裁判官の良心に委ねられるのが,憲法の原則なのです。
しかし,裁判官自身「裁判官の良心」などと言おうものなら,たちまち,最高裁判所の事務(総)局から睨まれ,出世はおろか再任を拒否され,万人の万人に対する戦いとなっている今の弁護士業界に放り出されることになるでしょう。
従って,我が国の裁判官には,「出世」「経済的保証」の観点から見て「裁判官の良心」など保障されていないでしょう。とすれば,人格的に歪んでしまった裁判官が,国民の権利など擁護できるはずもありません。現実の裁判官の実態,最高裁の現状は,『絶望の裁判所』(講談社現代新書 瀬木比呂志著)を参照下さい。

弁護士は何をすべきか
以上,古代の正義(平等,公平・公正)から,この正義実現に向け,民主主義と司法権を考えてきたのですが,法曹の一翼を担う弁護士は,社会正義のベクトルを何処に向ければよいのでしょうか。
弁護士は,法科大学院ができ,弁護士の増員が始まるまでは,社会的経済的地位として優位な立場にありました。
しかし,アメリカの意を汲んだか,権力が弁護士自治を目の上のタンコブと考えたか,日本もアメリカ並みに訴訟社会となると考えたか(そう信じたマヌケな学者が多い),その真意はわかりかねますが,権力側は,陰に陽に動き出し,25年前300人の弁護士が700人超(千葉県)に増加した弁護士は,もはやかつてのように社会的経済的に恵まれた立場ではなくなりました。
それは,中坊日弁連会長の時代から,司法改革などと煽てられて,鍋のなかで,気持ちよくぬるま湯に浸っていたカエルである弁護士会には,竈が燃えているのが分かりませんでした。
この間,司法書士会,行政書士会,税理士会などは,日本社会の中での士業のあり方を真剣に考え,自らの業界の権益を確保拡大してきましたが,弁護士自治を錦の御旗にしてきた弁護士会は,国家権力と資本主義社会の中での民主主義のあり方,すなわち「社会正義を実現することを使命とする弁護士会は,国家権力と如何に対峙し,どの様に加担してゆくべきか」という基本スタンスを全く意識しませんでしたと言ったら良い過ぎでしょうかね。
最大の誤りが,「主権は国民にある」と憲法に書いてあるから,「主権者は国民だ」と誤解し,表から言えば,政治的には,権力に影響力を十分発揮できない左翼の立場を強調しすぎたことから,権力を行使している官僚組織と政権与党に対して影響力を与えることが出来なかったことでしょうし,裏から言えば司法権の独立を蔑ろにする最高裁に対しても何らの実効性ある提言をしてこなかったことです。
即ち,弁護士会が基本的人権擁護,平和主義などと理想的天下国家を論じている間に,弁護士(会)が浸っている湯船に水を張られ,じわじわと温度が上がっていることに全く気がつかないまま,取り返しのつかない20年が経過し,茹でカエルは,未だ死にはしないものの,危篤状態になってしまったということです。

弁護士会に展望があるか
では,具体的に弁護士会は何をすべきでしょうか。東京都小池知事も言うように民主主義の徹底には,情報公開が不可欠であります。また弁護士会として民主主義社会に積極的に関与してゆく,そのために地方議会から地方の首長選挙で積極的に立ち振る舞い,将棋の駒のような代議士などを選出して,喜んでいては,お湯の温度変化は,わかりません。情報公開と地方を含む政治参加を進めるべきです。
弁護士会として,国民の信頼を勝ち取れる相談システムを考える必要があります。特に国の運営する法テラスを弁護士会に吸収合併するくらい活動を強めるべきで,国民の制度利用の利便性を抜きに,法テラスの批判などしている暇はありません。
また,公務員の外部評価の制度化を図り,弁護士会として,判決・弁論準備・和解などで,裁判官全員の評価を徹底して行い,裁判官が移動しても,全国の弁護士会で情報を共有して,出来の悪い裁判官を徹底的にマークする。(既に,弁護士の評価は,裁判所内で十分されているでしょう。)
さらに弁護士の教育も不可欠である事は明らかであり,お勉強だけ出来て弁護士になった『秀才』は,人間的謙虚さを持ち合わせていなければ,具体的事件処理を行う職人とはなれないでしょう。ですから先輩から後輩への指導を充実させる必要があります。
以上簡単に考えられる弁護士会の課題を考えただけでも,弁護士会の業務は相当専門化される必要がありますから,執行部は複数年の任期を数回努める必要があります。当然ボランティアでなく十分な報酬の支払が必要と考えます。
その他,弁護士任官を経済的に支え,中央地方議会及び首長にも弁護士会として積極的に進出し,司法の表側にある民主主義を充実すべきことも重要です。
最後に法曹一元の実現は,喫緊の課題と考えています。裁判官外の公務員の身分保障とか,公務員個人の不法行為責任を問えなくしている国家賠償法は,憲法違反ではないかと考えます。


posted by やすかね at 15:34| 千葉 🌁| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月30日

アホかいなトランプ

1月19日トランプの交渉術などと書きました。昨日は、アメリカの市民権を持っている外国人が多数入国を拒否され、トランプは、アメリカの内外で非難されています。自国の領土に外国人を入国させる事は、独立国の専権でしょうが、アメリカが、自ら認めた永住権あるひとの入国を拒否する事は、天を仰ぎて唾するごとくでしょう。これからアメリカ司法権は、トランプの後始末のため多大な苦労をさせられるのでしょうね。数百万人から訴訟を提起されることもありえる話しです。今朝(31日)のニュースでは、各州の司法長官が憲法違反だと非難しているようです。)

民主主義で作り上げたルールを行政権力が破った場合、最終的には、憲法違反となるのでしょうが、その様な判断がなされるまでには、大変無駄な時間を失います。
今日のニュースでは、アメリカのシリコンバレーも外国人労働者の入国問題で窮地に追い詰められているようですが、やっぱりトランプは、資本主義が商品である労働力で成り立っていることを弁えていないのですね。
posted by やすかね at 15:41| 千葉 🌁| Comment(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月20日

韓国の正しい歴史

最近、また慰安婦問題が再燃し、韓国は国家間の約束事も履行できないことから、日韓併合ころまで遡って、歴史の概観をします。一体、韓国に正しい歴史観があるのでしょうか、理解できませんね。

韓国の政治は、2017年も慰安婦の問題で国家間の合意も守ることができないし、元大統領を平気で逮捕できる、訳のわからないお国柄です。ですから、日本に併合されなかったら朝鮮(日清戦争後「大韓帝国」)は清国と同じく帝国主義の餌食となっていたでしょうね。西欧の植民地政策と日本の育てて収穫する立場の違いを比べて見ます。

隣国の過去をみて、他山の石としましょうか。20世紀初頭の欧米は、未だ植民地となっていない東アジア侵略の戦略をもち、これに対抗できたのが日本でした。日本は、日露戦争を戦い、中国は欧米の圧力から100年租借(香港)などで「分割」されましたが、欧米は極東に植民地をつくることは出来ませんでした。しかし、第二次大戦後日本はアメリカの植民地のようですが、・・
大韓帝国の李朝の朝鮮は、清から冊封を受け、何百年も中国のまねをしながら、中国以上に硬直した官僚国家体制で鎖国を続けました。(『韓国併合への道』呉善花 文春新書24頁)対する日本は、黒船来襲で世界に目を開き、近代化(法治国家、急激な資本主義の発達)を急ぎ、不平等条約なども解消しながらイギリス・フランス・アメリカ・ロシアなどの植民地になることもなく、列強に引けを取らない国家となりました。

李朝はというと、中国(明・清)の保護下で500年間、徹底した文治主義(公家政治)で、わが国の様に武人政治(武士道)でなく、世襲により権威・身分が固定し、嫉妬深い中央集権で全く改革不能で進化できない王朝でした。(今の日本は、官僚主権で大企業も官僚化していますから改革が困難になっています。)
(この様子は、テレビで放映中の「韓流ドラマ」で見られると思います。ただし、テレビはカラーですが、昔の朝鮮は色使いは豊富でなかったと思いますので、映像は、白黒でイメージして頂いた方が、「正確」かな。27日追加)

竹島問題で韓国は、内閣総理大臣からの親書が「独島」でなく「竹島」と書いてあるとの理由から受け取りを拒否しました。中国の属国で、中華思想(中国が世界の中心となる帝国)で固まった李朝は、明治元年12月、日本からの新政府樹立の通告文書に「皇上」「奉勅」とあったことから、同じように、この受け取りを拒否しました。李朝では、皇帝とは中国の皇帝だけであると理解し、国際社会から完全に取り残されていたのです。
しかも、国際的事件の起こるたびに韓国は、欧米列強の侵犯を受けヘトヘトになっていた清国に意見を求めるしかなかったのです。ですから、20世紀初頭、このまま行けば韓国は、早晩欧米列強の餌食となる必然的運命でした。

特に南下するロシアの脅威から日本にとって朝鮮半島の安全、韓国の独立は人ごとではなく、王朝国家李朝が近代的民族国家にならなければ、朝鮮半島は列強進出の危険にさらされます。そこで日本は、清国と李朝の共同管理を提案するのですが、世界の近代化を理解できなかった清国は、李朝に対する宗主権にこだわりついに日本と戦争となり、日本が勝利して初めて韓国は、一応の独立国(13年間皇帝を名乗る)となりました。
この事実が理解(しようとしない)できない韓国は、未だに日本が侵略したとするのですが、秀吉の時代を除けば、日本と韓国は戦争をしたことはありません。韓国が日本を侵略国と罵るときは、時代錯誤もはなはだしいですが、秀吉の時代のことを言っているのです。当時の国際法においても日韓合併は合法なのです。この併合が違法なら、アメリカのハワイの併合も違法なのです。(クリントン大統領は、ハワイで謝罪の会見をしました。)

20世紀初頭から、本来狩猟民族である西欧諸国は、植民地を原材料の収奪対象とし、収奪された植民地は発展することも出来ず窮乏を極めたのです。21世紀なってもイギリスの植民地とされていたインドでは、未だに国民の半数はトイレのない生活を送っています。
また、イギリスが北米を植民地にし、その後独立したアメリカによって7000万人のインディアンなどの先住民は、住む土地を追われ、1000万人に激減しています。バッファローが大量虐殺のように先住民は殺されたのです。
これに対し、本来農耕民族であった日本は、育てて収穫する基本思想から、韓国に対し、様々な援助をしてきた結果、日韓併合で韓国は、西欧の収奪から救われ、それ故現在の韓国は、後進国から脱出できたのです。
例えば、1910年日本と併合した韓国では、人口1312万人が1944年には2512万人と2倍近くに増えています。学校も日韓併合後約6倍に増加し、識字率も6%から22%に向上したように、韓国の文化程度も上昇しているのです。この点は、台湾も同様です。

この日本に対して、インドを植民地にしたイギリスは、輸入超過でありながら清に輸出する商品がなかったことから、当時の中国にアヘンを売りさばき、戦争となったのですが、中国人と戦ったのは、植民地から徴兵してきたインド人なのです。イギリスはもと海賊国家で狡猾なお国柄ですから、自国の若者を戦地に送らなかったのです。また、イギリス人はインドに大学などを作りませんが、日本は韓国に大学も作り、鉄道も作り、その後の国の発展の基礎を作っているのです。この大きな違いが、今の韓国人は理解できないで、未だに慰安婦問題で騒いでいます。

以上の日本の併合で韓国は文化的にも進歩することができ韓国国民は、経済的にも豊になれたのです。さらに、戦後、日本の敗戦で「独立」した韓国に対し、我が国は、1965年日韓国交正常化時の韓国国家予算3億5千万jに対し、有償2億ドル無償3億j(生産物役務10年)民間の経済協力3億jの経済援助をしたのです。
今の韓国があるのは、日本から国家予算の数倍の援助を受けて、初めて今の韓国は存在しているのです。今更ながら経済援助をしながら竹島問題を解決できなかったのか、残念でありません。韓国財閥も日本が残してきた資本からできています。その後もわが国は、韓国に対し巨額の援助をしているにも関わらず、韓国はそのことを韓国国民に説明しないだけでなく、未だ韓国の教科書では事実と異なることが書かれています。伊藤博文を暗殺したテロリストを英雄とするしか、歴史的記述ができないのです。

文化国家がどういうものかと考える参考に、例えば、明治維新後わが国では近代国家にとって不可欠である全土の測量を実施し、同様に日韓併合後、韓国全土の測量を実施し、1918年末で442万町歩中朝鮮人所有地が88%を超える391万町歩あるにも関わらず、未だ韓国の歴史教科書では、40%の膨大な土地を日本に占有されたと嘘の記載をしています。

因みにペリーが浦賀沖に軍艦を停泊させたとき最初にしたのが、沿岸の測量です。当時三角測量などの高度な技術はヨーロッパでも数カ国しかできないことから、ペリーがあらかじめ入手していた伊能忠敬の地図は、当然デタラメとアメリカ人は考えていたのですが、測量の結果その地図の正確さに驚き、日本人の技術水準に驚愕したと言うことです。ペリーは、この様な技術にある国を植民地などにはできないと判断したのです。

ともあれ、わが国では、戦後様々な点で分析・反省をしているのですが、お隣韓国では史実に反する教育を「正々堂々」やっており、過去の李朝の混迷に反省もしていないと思います。ですから、日本の政治家がその点をしっかり認識しないまま「正論」だけで外交交渉しても今の帝国主義的国際秩序では太刀打ちできません。日本人の性善説に基づく外交は、単なるマヌケな日本人でしかありません。

最後に、明治の中ごろ李朝では、人口1300万人の国家に軍隊は、火縄銃をもった2千数百名しかいませんでしたから、自国の防衛など出来なかったのは明らかです。
明治政府がヨーロッパを視察し、その結果富国強兵をはかったのは、時代の流れに沿った全く正しい選択でした。この様な時代の流れを読めなかった韓国は、日本に併合しなければ、アメリカ・ロシアなどによって植民地になっていたことでしょう。ひょっとすると今のインドのように国民の半数がトイレのない生活をしていたかも知れません。(本稿は、慰安婦問題が再燃したので2012年12月27日のブログに手を加えました。)


posted by やすかね at 17:56| 千葉 ☔| Comment(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする