2010年06月14日

洗濯の科学

私のブログで、この2年間ほど読者が多いものが「電子レンジ・焼き芋」などでヒットする「簡単な石焼き芋の作り方」です。最近は夏場になりましたが、それでも毎日50件ほどアクセスがあります。

そこで、今日は「手軽で上手なワイシャツの洗い方」です。少々押し付けがましいのですが、何でも本質に迫ることが物事を上手にできるコツで、何事につけ原理原則から考える習慣をつけていますと、今まで経験がないとか、全く知らないことでも何とか解決できる糸口が見つかり「応用力」が要請されます。そこで、先ず理屈から始まります。ご面倒な方はすっとばしてどうぞ。

洗濯ですから、大事なことは「汚れ」ですね。これは油汚れとか、ほこり、汗、カビなど多種多様です。この点は洗剤メーカーのホームページなどでご紹介があるかも知れません。その外、タバコの臭いとか、キャバクラの「香水」の香りなど、少々「やばい」モノもあります。

結論を申しますと「汚れ」は、ねじれた繊維の中に「存在」し繊維と混じりあってはいない物(水に溶けない固形物、油、汗)とか、細い繊維の表面に「吸着」している化学物質などではないでしょうか。

繊維を叩けば繊維から離れる固形物などは問題ないでしょうが、たぶん多くの「汚れは」油とか汗の類でしょうね。これ等がワイシャツの全体についているとかと言うとそんなことはありません。襟と袖口が主たる汚れでしょうから、これを洗濯機にいれて何分もまわし続けるのは、電気と水の無駄遣いだけでなく、ワイシャツ自体を傷めてしまいます。

洗濯機でグルグル回す洗濯の弊害はクリーニングに出しても変らないと思います。私も何年もクリーニングに出してきたのですが、トリクロロエチレンなどの「洗剤」は環境にも悪いし、何より自分のワイシャツがどこの誰かも分からない人のズボン・作業着などと一緒にぐるぐる回されているところを想像し、またあのクリーニング独特の臭い、しかも襟とか袖口が一年も経つと汚れが落ちなくなってしまいます。

そのようなことから最近では、自分でワイシャツだけでなく、綿パン、Tシャツ、帽子なども全て手洗いをしてさらにのりを付けアイロンがけをして、最後はビニールの袋にきちんと畳んで一丁上がりです。

そこで、洗濯ですが、わが国の水は硬水が強いヨーロッパと異なりあまりビルダー(洗剤助剤で硬水・金属封鎖剤)の必要はないとしても洗浄力アップには冷水でなく温水が優れていますので、少々熱いお湯に液体洗剤を少々入れ、その中でワイシャツ全体を簡単に押し洗い(一枚1分程度)します。次いで襟と袖に固形石鹸をつけ、局部的にもみ洗いします。このことにより繊維の中の汚れを石鹸で溶かし、繊維のねじれた部分から押し出すのです。歯ブラシなどを使いますと繊維をいためますので、指先で落としてください。

さらにひどい汚れが残ったときは、塩素系の漂白剤をほんの少々(2CC位)コップなどに入れ、水で薄めて麺棒を浸し、これで汚れの部分を叩いてください。注意深く観察しながらシミが消えたら直ちに流水で流してください。

その後すすぎとなりますが、すすぎは繊維の奥にある石鹸の残りを取り除くことなのですが、このとき水の節約にご配慮願います。

例えば1CCのインクの汚れを百CCの水で薄め、これを脱水槽で20秒ほど絞って1CCになったとしますと、「汚れ」は大体100分の1になりますが、これでは水の節約にはなりません。1CCの水を最初半分の50CCの水で薄めて、これを1CCまで絞りさらに50CCの水で薄めてさらに1CCに絞りますと、「汚れ」は同じ水の量で約2500分の1になります。水を半分に分けて2回濯ぎますと濯ぎの効果は25倍になるのです。

百CCの水で3分の1ずつ3回濯いだとしますとなんと(約33×33×33=35937)約36000
分の1、同じ水の量で濯いでも1回のすすぎに比べその効果は実に360倍になります。単純計算ですが、2槽式(全自動はもったいない)の洗濯機を使い、水につけては20秒絞る動作を繰り返しますと、何も考えずに水道水を流し続けたすすぎの無駄が判明します。洗濯機でまわすことなく、ワイシャツを水につけて絞る動作を4〜5回繰り返しますと十分すぎるほどの濯ぎが完了します。

汚れを目視して、そこだけを集中的に洗濯して、少量の水で数学的に濯ぐことで洗濯の科学が完了です。

あとは糊付けとアイロンですね。その前に洗濯リングに干す必要がありますが、ワイシャツは脇の下をつまんで干しますと、アイロンのときにも問題が少ないですね。(アイロンかけは、脇の下にシワが残る)
posted by やすかね at 17:36| 千葉 ☔| Comment(0) | 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

鳩の巣立ち

今年も、バラの花壇の中に鳩が巣を作りました。8月下旬頃、バラが徒長し、刺が痛く手も入れられません。風通しも悪くなったので、剪定したところ、見通しもよくなり、鳩も入りやすくなったようで、昨年営巣した鳩が、また雑木などの枯れた棒切れをバラの棚のなかにバ・ラ・バ・ラと集め始めました。

もう少し丁寧に巣を作ればよいものをなんとも雑駁な巣なのです。しばらくすると卵を2個産み付けました。すきまだらけの巣ですから、これでよく卵が地面に落ちないものだと感心していますと、卵を温め始め、しばらくすると、2羽の雛がかえり、盛んに親鳩のくちばしから餌を貰いながら大きくなりました。
近くの植木の選定をするときも鳩の親子をびっくりさせないように、そっと剪定などしていました。

9月23日の朝のことです。しばらく巣を見なかったところ、産毛で覆われた雛だけが2羽ジッとして動きません。親鳩はどうしたのかな、「大丈夫かなぁー」と心配しても親鳩は戻ってきません。
午後に見ますと、まだ親鳩は戻りませんが、朝見たときより産毛が見えなくなり、茶色の羽が多くなったように感じました。

翌朝また巣を見ると、やっぱり雛だけが2羽ジッとしたままこちらを向いています。親は近くに見えません。

冬に雪の降った朝など、小鳥達は盛んに餌を探し始めます。小鳥は餌がないとたちまち死んでしまうのです。鳥達は、人間のように食いだめをしては上手に飛ぶことが出来ませんので、いつもスリムでいなければなりません。ですから、一日餌を食べないとなると生死にかかわるはずなのです。

そんなことを考えていますと、雛が丸二日も餌を食べないと死んでしまうのではないか、と心配になり、パンにご飯、多少の野菜をすりつぶし、牛乳でといてこれを加熱して冷ました後、ストローで食べさせようとしたのですが、全く食欲はありません。
諦めの悪い私もとうとう、餌をやるのを放棄しました。日本野鳥の会にでも電話してみるかとも考えたのですが、まあ野生の鳥だから、親がどこかで事故にでもあって、それで雛も餌がなくて死んだら死んだで仕方ないか、と自分なりに理解して、その後どうなるかを観察しました。
するとどうでしょう。見る見るうちに雛の体の色が変わり、茶色の羽が段々たくましくなってきたのです。

そこで、考えた結論は次の通りです。
雛が巣立ちをする前に沢山の餌を貰い、栄養満点の雛になっている。きっと柔らかい肉で油が乗っているでしょうね。誰ですか、よだれを出している人は。それはともかく、雛は数日間の「断食」中に体中に蓄えた栄養分で巣立ちに必要な羽がそろってくるのでしょうね。体重が減少すると共に羽が強くなり、体重と羽のバランスが整ったとき、一挙に巣立ってゆくのでしょう。

そんなことを考えていたとき、今朝、この数日間全く聞こえなかった「ボー。ボー」という鳩の声が聞こえてきました。

私が至近距離(50センチ)で見ると雛は、相当立派になった羽をそろえ、二本足でしっかりと立ち上がっていました。明日には見えなくなるかも知れないなと思い、携帯のカメラで撮影しておくことにしました。撮影の際「バシャッ」と大きなシャッター音がしたのですが、多少びっくりとしながらも、こちらをジット見ていました。さあ、明日はどうなるかですね。

人間の親は、子どもを太らせたまま、大した体力も付けられないで「うちの子は自立できない。」などとぼやいていませんか。4,5日食事をさせないで、食べたかったら自分で働け、などと「自立」を促したら虐待となりますかね。
posted by やすかね at 11:32| 千葉 ☀| Comment(0) | 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

地球は氷河時代

2009年も明けましたが、アメリカが原因で世界経済は、凍りついたようです。凍りつくというと20世紀も21世紀も、知らなかったのですが、4500万年前から引き続く「氷河時代」だということを先日知りました。

現在は「温室効果ガスの大量排出で地球は温暖化している」事実があるのでしょうが、それにしても人類史は、今まで「氷河時代」の中で繰り広げられてきたという事実を突きつけられて、「ホント?」と言うのが実感です。

なんでもそうでしょうが、物事は原理原則から考え、全体像を掴むことが重要と思うのですが、現代の私達は人類数千年の歴史というより、ホモサピエンスとかネアンデルタール人のDNAも引き継いでいるらしいのです。

さらに46億年前からの地球の歴史を考えますと、微惑星の集合から始まる地球の誕生から大気の発達、生物の誕生、5回(内1回は直系10キロの隕石がユカタン半島に衝突したのが原因)に及ぶ生物の大量絶滅があり、その度に地球全体がスノーボールとなり、最大では地球の海は1000メートルも凍りつき生物が存在しない状態が数億年続いたということのようです。

このような地球の壮大なドラマを考えますと、人種宗教の違いから殺し合い、またお隣との数センチの境界争いなどをしている「チンケ」な人間がなんとつまらない存在であるか、考え込んでしまいます。

2003年9月13日のブログに、何らの資料も参照しないで恐れ多くも「太陽エネルギーの損益計算」などと書いていた自分を思い出しました。

今改めて読み返し「分からない事が分からない」状態では、この程度の雑駁な議論を平気でするものなのか、と恐れ入っている状態です。

実は、「太陽エネルギーの損益計算」は太陽放射と反射(惑星アルベド30%)及び地球放射から「地球のエネルギー収支」が決まるそうです。

そうすると、それでは何故地球が暑くなったりスノーボールになったりするのか、また一度スノーボールになってしまったら、太陽からのエネルギー放射も惑星アルベド値が大きくなり「永久」に凍りついた地球になってしまい、生命の誕生などありえないのではないか、などと素朴な疑問が生じます。

ところが、地球の歴史は、内部からの変革があり、スノーボールから脱却できたようです。即ち、火山爆発で大量の二酸化炭素(メタンも)が排出され、この温室効果ガスの発生から惑星アルベドが小さくなり、地球が温暖化し、生物誕生、光合成から酸素の供給、効率的な動植物が発展してきたようです。

しかし、植物が「大量」に発生して「大量」の二酸化炭素を「消費」すると温室効果ガスが減少して地球が氷河時代に突入してゆくようですね。なにはともあれ現代は4500万円前から続く氷河時代の間氷期ということで、ここ数万年は気候が安定して人類が発展したそうです。
posted by やすかね at 12:50| 千葉 ☔| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月12日

神を信ずるか

神を信ずるのか、

何度か、ご紹介しました佐藤優氏が、その著作の中で「総合大学には神学が不可欠である」といわれていました。

私は、それはどういうことかと考えを続けてきましたが、中々結論が出るものでもなく、この疑問は頭の一部にしまわれたまま、現在に至ってしまいました。

ところが、頭、これは「質量がある頭部」(トンカチとか、釘を打つ、げんのう、はたまた傘の台?)ということでなく、非常にやわらかい、脂肪分を多量に含んでいる脳という意味である。質量とは少し異なる、人間の2%の重量(これは、地球の引力に引っ張られたときの「重さ」のことであり、質量は上皿天秤で測る、即ち地球上でも月の表面でも同じとなる)があり、人間が吸収する酸素の2割を消費するといわれているこの脳は、人間が意識下にないときでも、その内部ではものすごい速さで情報処理、整理整頓を行っている、非常にすばらしい器官です。

従って、誰でも問題意識を持ち続けていると、いつかパット回答が出てくるという、信じられない能力を私たちの脳は持っているものです。(これは最近の脳科学の見解)

大きく話が飛びますが、人間の脳波は、測定器をつければ頭の外側から客観的に測定できるものですから、場合によっては頭蓋骨を超えても客観的に存在するはずですね。どうしてこんなことを言うかといいますと、実は、私の車に搭載してあるGPS・カーナビは、私が興奮したり、極度に憤りを感じたりしますと、狂ってしまうのです。こんな事を言ってもなかなか信じてもらえませんが、もう何十回となく経験しています。

最初の事例は、もう十年以上に前のことですが、車(レガシー)にソニーの「ゴリラだか」「ガリレオ」だかのカーナビを積んでいました。車のエンジンをかけ、自宅を出るとき自然にカーナビのスイッチが入るのですが、ブチン・ブチンスイッチが切れてしまい、千葉の事務所に付くまでとうとうきちんと起動しなかったことは一度や二度ではありませんでした

その後、サンヨーのカーナビも全く使い物になりませんでした。これはボルボの850のときです。

しかし、カーナビが狂ってしまうのは、全て私が運転していたときのことであり、家の家内が運転しているときには、全く問題がないといわれました。
そして現実として、私が妻の運転する車の助手席にリラックスして座っているときにも全く問題がないことが分かりました。

そこで、色々考えますと、結局、私が怒って興奮すると頭から「電波が出る」のではないかという結論に達しました。

そして現在のボルボ・クーペではナショナル(パナソニック)のカーナビですが、目的地に近づいたりしたとき、道が分からなくなったりして、焦ったりしますとカーナビがぐるぐる回ってしまうことが判明しました。(私の運転に同乗している、家内は何度も経験している)

要するに、これは、人工衛星からの極微弱の電波は、私の近くにあるカーナビ受信機にとっては、私の頭蓋骨から発射される電波と同程度であり、私の近くにあるカーナビ受信機は、この様な同レベルエネルギーの電波を正確に受信できなくなっているということでしょう。
それ故、私が興奮すると、ナビに対しての「妨害電波」が生じてしまい、ナビが狂ってしまうことが判明しました。

この様なことを「告白」しますと「やすかね、狂っているのではないか」とご心配されても困りますが、脳波が強いとそのような客観的事実が存在し、明らかになると考えています。

話が、飛びましたが、戻りますと、欧米の総合大学には必ず神学があるということが、理解できました。
即ち、法の根本問題などを考えてゆきますと、法の支配という初期近代の政治思想に行き着きますが、国家権力をどうして制限できるのか、権力を持っていれば何事でもできるのではないか、何でも自由になるのではないか、と考えてきますと、結論としてやっぱり、正義の観点から国家権力は無制限ではない、必ず何らかの論理を展開して制限すべきであるとの結論に達します。

この理屈を色々考えてきますと、13世紀の哲学者でしたか「国王といえども神と法の下にある」といった人がいましたが、神を根拠にして国家権力の制限を唱えました。

21世紀の現在、客観的に神の存在を証明できるか、といいますとそれは、未だ不可能です。万有引力の存在は、客観的に証明できますが、国家権力を制限する神の存在は、客観的に証明することはできません。

この様なことを考えてきますと、最終的に我々は「神」の存在を認めないことには、国家権力を制限する根拠を証明することはできません。

よく共産主義者が「私は無神論です。」と言いながら、共産主義の世界(人間は、必要に応じて働き、必要に応じて受け取ることで、全ての人間が平等な理想社会ができると考える。)を実現しようと活動しています。しかし、この様な理想社会は、有限な地球の環境を考えるまでもなく、不可能ということが判明します。すなわち、これは数千年経っても絶対できない社会であり、客観的に存在できない社会、ということでこれも客観的に存在できないことを実現しようと信ずる一種の宗教ということになります。

結局、この人間社会での論理をぎりぎり、根本的原理原則に遡って社会のこと人間のことを考えてゆきますと、最終的には宗教的な哲学に行き着いてしまいます。

この様に、人間社会の根本を考えますと、神学的議論を展開しなければ、何も証明できなくなってしまうのです。それ故、最高学府の大学には、総合大学には神学部がなければ総合大学とはいえない、ということが理解できました。本当かね?特に改めて本を読んだものでもないですが、法の支配とか、権力の制限規範の存在、など法哲学ないしは宗教哲学的なものは、この様なことでしょうか?
posted by やすかね at 01:27| 千葉 ☔| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月09日

19年第一回市議会 個別質問

平成19年第1回議会 個別質問     11番 伊 藤 安 兼
(現場とは、ことなっていますが、趣旨は同じです。)
前置き:質問に入る前に、この3月で市役所を退職される職員の皆様、新しい生き方を始められることに対し、お祝い申し上げます。これまでは何かと議員に対しお心遣いを頂きましたが、これからは、議員と職員の立場が一市民と議員と言う立場に逆転します。
特に6月に向かって皆様は一段と強い立場にたたれますので、これまでの仇をとってやるという位の意気込みで、市政に関し、また社会の色々な面でご活躍されることを願っております。

ちょっと長くなりますが、アクサと言うフランスの保険会社が退職後の時間の使い方に関して世界11カ国でアンケートをとったそうです。
時間をどう使うか、豪州や英国では趣味が3個は上がるそうですが、日本人は平均1,7個にとどまり、趣味に生きることにあまり関心がないようです。

また世界中で日本人と言うと働きすぎ、スペインと言うとアスタ・マニャナ、明日で間に合うな、と言うようにあまり働かない、イメージですから退職後なにもしないと答えた人が19%で最大としても不思議でもないのですが、二番目が日本で18%と言うのは驚きです。

これ等アンケートの結果を見る限り、日本人は退職後、あまり趣味がない、働かないかな、と思いきや50%が再就職を希望し、働き者のシンガポールの37%を大きく引き離しています。ヨーロッパ諸国では退職年齢の引き上げには、ほぼ半数が反対なのに日本人は反対が9%と最小だそうです。定年後は仕事があるなら働きたい、と言う傾向になると思われます。

そうは言いましても、戦後に生まれ、少し食べ物等に苦労があったでしょうが、今の若い人たちよりいろいろの面で恵まれている人生と思うのは私ひとりではないと思いますので、人生楽しいが一番ですので、大いに楽しんでください。

ただ毎日家でテレビを見たり読書だけと言うのは、社会的に見ますと寝たきり老人と同じですから、外にでて近所の子供を怒鳴りつけたりして、憎まれているほうが、社会的に有益と思いますので、頭を使い長生きしてください。

1、政治に関する信頼について
それでは、適切な質問になるかどうかわかりませんが、しばらくお付き合いください。政治といいますと、私の理解では、制定権者である皇帝・君主・領主・民主主義では議会などで作ったルールを行政権者が解釈・適用して強制的に集めた税金で、福祉を含めた社会公共の利益を図り、所得の再分配を行うものです。

もう少し具体的に言いますと、人の能力は様々ですから、自由競争の結果、著しい不均衡が生じますが、累進課税と福祉政策を進めることで秩序ある社会を運営してゆくのが政治です。それゆえ、如何なる善政を敷こうとも税金が高すぎる、福祉が悪いと不平不満が出るのが世の常です。

しかし不平不満が我慢できる程度であれば、国民は自分の生活を優先して「楽しいが一番だ」として不満が爆発することはありません。政治に無関心でも自分のやりたいことができるなら、敢えて政治的な発言などしてストレスをためる必要もないと考えたほうが人生楽しいのではないでしょうか。

ところが、社会の富が偏在し、貧富の格差が拡大し、国民生活の程度に著しい不均衡が生じたまま、これが長年放置され不満が鬱積してきますと、クーデターで内戦が起きたり、アメリカ独立宣言で言うところの抵抗権を行使したり、革命が勃発したりします。

そこまで行かなくとも、政治家が公益を忘れ、私的利益の獲得を目指しますと政治不信から、社会全般で正義の法であるルールが正しく適用されなくなり、社会が乱れ、社会の違法状態が増加します。この違法状態が放置されてきますと、いわゆる正直者が馬鹿を見る状況になり、法を守ろうとする遵法意識がなくなり、法の権威も政治の正統性も地に落ちてしまいます。(官庁の裏金作り、地方公共団体の完成談合、挙句は法を守るべき最高裁判所まで自らの判決にまで無視して契約書の作成を放置するなど枚挙に暇がありません。

政治的権威について触れますと、最近閣議で内閣総理大臣が入室しても座ったままで起立しない大臣がいるのは遺憾だなどと政権党の幹部が話していましたが、これなど民主主義国家(相対的:中国、北朝鮮は民主主義がない)であるわが国の最高権力者の権威が否定されつつある一つの象徴だと思います。各大臣の地位は内閣総理大臣によって与えられているのに、各大臣が自らの存立する正統性の根拠となる総理大臣の権威を否定して、自らの地位に泥を塗っているのがわからないのです。悲しいかな、今の日本はそのような人たちによって政治が運営されているのです。

(先日「世界に通用した江戸時代の日本人」と題し青学の袴田教授:現代人より江戸時代のほうが、世界に有用するためには外国語を話せることではなく、凛とした自尊心と信念、生き方の美学、知識でなく知恵、そして美意識と遊び心などを統一的に有しているか否か)

又この国の経済を動かしている大企業、敢えて固有名詞は出しませんが、名だたる大企業の不法行為が常にマスコミをにぎわせています。(遵法意識・規範意識の欠如:枚挙に暇のないほどの大企業の違法行為、川鉄では、20年も前からシアンを垂れ流し、データを改ざんしていたというので今となっては、どれほどシアンを垂れ流していたか分らない。東京電力も、三菱UFJも、保険会社も、三菱自動車、日興証券、不二家、コンプライアンスなどと横文字で言うと罪悪感が減少するが、全て違法行為)

地方公共団体も財政面は言うに及ばず知事の汚職が続発するなどして、地方政治に対しての不信感も増大しています。(宮崎県、成田市)

クリーンな政治を標榜して当選したあと某県の知事は業者とのしがらみを断ち切れず、とうとう逮捕される、と言う事件もありました。同様の構造は成田市でも見られました。
結局政治に対する信頼を得るためには、民主主義政治の目的・原点に遡り「正義の道理」に従った公平無私な行政運営を行い続ける必要があると思います。また同時にそのような政治を行っていることを市民に知らせ正しい理解を得る必要もあります。

(最近のことですと、厚生省の無策により医師に対する研修制度から若い医師は高度医療を施せる病院に集中し、地方の病院が次々と閉鎖の危機に瀕しております。本市においても市民病院の医師確保が重大・緊急な問題となっています。先日某市議会議員から伺いましたが、この様な社会情勢のなかで、心無い人は本市では市民病院を潰そうとしているなどと言う根拠のない、市長の行動に対して全くあべこべなことが言われたりしています。
しかし、佐久間市政に対してのゆるぎない信頼があればこの様な根拠のない噂は誰も信じないでしょうが、残念ですが、噂が流れてしまいます。)

長々、と述べましたが、このような政治不信に対して如何にすれば市長は政治に関する信頼を取り戻せるとお考えか、また、さらに4年間市政を運営したいとの心意気を伺っておりますが、市民に対するゆるぎない信頼を得るため、如何なるお考えか、自分だけが長く述べた後で恐縮ですが、市長の政治姿勢は6月までに色々のところでお聞きできると思いますので、今日はお手短にお願いします。
 
2、地方自治と行政改革
 次のテーマに入ります。言うまでもないことですが、地方自治は、一部の人たちから押し付け憲法といわれている現在の憲法で新たに規定された制度です。また地方自治は民主主義の学校とも言われ大統領制の首長と直接選挙された議会で構成されています。民主主義の原点は理念的には自律した個人を前提(?)にして自分のことは自分で決めることが正しい(正統性)のですが、直接民主主義は物理的に無理であるから代表民主主義を採用しているものです。そ言う意味では地方自治は、できるだけ小さい単位が理想です。(3割自治から生じた結論である平成の大合併は民主主義の視点からは逆行する)

最初に地方自治のうち団体自治に関し特に行政の改革は常に言われているのですが、同様のことは議会についても言えると思います。
繰り返しになりますが、議会とか行政が住民の福祉を増進させる制度であっても、常に低コストが求められています。住民の意思を尊重しながら最小限のコストで、最大限の住民福祉を達成する方策が常に求められています。
住民の意思と言う点からみれば、議員は多いほうが良いわけですし、コスト面から見れば議員は少ないほうが良いわけです。何かお考えのところがありましたら、お答えください。また間もなく、県議選と市長・市議会議員選挙の同時選挙(市民の関心を高め、投票率向上)が行われますが、仮に同時選挙をすればどの程度の経費節減になるでしょうね。(地方自治法上問題点を言うか?)

次に住民自治の観点から、本市では沢山の審議会がありますがこの審議会に市民の声を充実させる観点から、町会長さんなど、準公選制の委員をもっと大量に採用するのはいかがでしょうか。全くの無報酬でなく、市議会議員の費用を削減して、審議会及び議会全体として費用の増加をもたらさないようにできないものか、これは議会との調整と言う難しい問題もありますが、団塊の世代の大量退職もありますので、これらの人々の貴重な経験を行政運営に生かせるのではないかと思い、ご意見を伺います。

この様な視点は、例えば本市の基本構想など将来の行政運営に大きな影響を与える決定に実際上市議会議員の声もあまり生かされていない現状から効果があると考えます。
また、とかく行政改革と言うと削ることばかり考え、その削った予算をどう生かすのかという積極的視点が欠落しているように思えるので、広く市民に参加を求めこれに対して単なる実費でなく一定の報酬を与えても良いのではないかと考えます。当局の答弁をお伺いします。

3、職員の意識改革について
 日本人は周りを見て徒に紛争を起こさない国民性を持っている。人と違うことをやって成功しても嫉まれ、人と違うことをやって失敗すれば「ざまーミロ」個人の成功を素直に喜べません。100年以上意識改革を言われているが大変なことで意識改革は黒船以来求め続けられています。

即ち、明治のころは先進的指導者が強い意識を持って、自らを改革しわが国の社会全般の制度を大きく変革したのですが、戦後は憲法改正から、最近ではアメリカから年次改革要望書でアメリカからわが国の諸制度についての変更、即ちわが国のルール改変という意識改革を押し付けられています。このアメリカからの押し付けを見ていますとわが国のあらゆる面に対する厚かましい要求が盛りだくさんです。

視点が広がってしまいますが、憲法が押し付けであったか否かは先日NHKで特集を組んでいましたが、GHQの憲法草案は鈴木安蔵などの草案を基礎としており、またその内容も独立宣言、フランス革命など人権宣言の歴史的進歩を取り入れたもので、押し付けられたと考える人々は自らの後進性を表現していると思いました。何より、憲法は国民に義務を科すものではなく、権力に対しての制限規範であることから考えますと、押し付け憲法論は根本的誤りがあります。

戦後は米から、パン食に意識改革をさせられ、西部開拓映画、ライフスタイルなどでの意識改革を求められているが、しかし、戦後60年たってもわが国の民主主義に関しての考え方は基本的に変わらず、それゆえ世界から日本人はものを言わない国民といわれています。国際会議での議長の技量は、インド人を黙らせ、如何にして日本人に話をさせるかと言うことで決まるようです。

私もほぼ4年間の議員生活の中で、職員の方々が如何に本心を話さないか実感しています。そうしますと、窓口の対応が変わったなどと言うことは大切なことではあるでしょうが、もっと大切なことは本音で議論できる職員がどれほど増えたのか、自分のことはさておいて人様の批判ができるかが重要と言うことになると思います。庁内での様々な会議で、実際に本音で議論できる職員がどの程度増えたのかお伺いします。人と違った意見を言った人が馬鹿を見ない制度が必要と思います。(表彰)自己主張と協調性、決定に対する謙虚さが大切と考えるのですが、本市の状況をお願いします。

4、社会格差と教育
 現在のものの考え方の基本として「人を平等に扱わなければならない」という思想があります。最低限生きることは絶対必要ですし、人が競争社会の入り口に立ったとき、その競争の結果が公平でなく「公正」なものとして受け入れることができるためには、競争が「公平」(機会の平等)でなければなりません。
そのため社会には所得税法・法人税法はじめ様々な規制が存在し、結果の不平等を政治の力で無くす努力をしているのです。

餌が十分でないサルの社会では争いがないのに、ある日突然籠いっぱいのバナナが群れに出された途端、群れには激しい紛争が生じました。この実験をテレビで見たとき激しい衝撃を受けたのを覚えています。この実験を念頭に置きながら質問をいたします。

戦後わが国でも、国民のGDPが少なく国民全体が貧しかったときは、年功序列賃金体制が採用(電産型賃金)され、お金が一番必要な年齢になれば、自然と賃金が上がる仕組みがありました。産業が十分発達しない状況ではパイも小さく、この制度でも大きな不満は出ませんでした。ところが、生産力が上がり全体が豊かになってくると「悪平等」が批判され、成果主義が採用されてきました。成果主義でも最低限の生活が保障されていましたが、逆にがんばれば豊かな生活が保障され、ある意味では学歴は格差を無くす力がありました。
ところが、規制緩和の名の下に新たな市場原理主義を採用し、所得税の累進課税を緩和(15段階最高70%から、4段階最高37%・99年以降20%の定率減税があった)し、2004年のOECDの調査では、国民の平均的所得の50%以下の所得の割合(相対的貧困率)を見るとメキシコ20,3%アメリカ17,1%、トルコ15,9%に次いで日本は15,3%で堂々の4位(2000年)で、80年代半ばの11,9%から90年代半ば13,7%から貧困率が増加しています。この間フランスでは8,0%、7,5%、7,0%と貧困率は下がっている。

ここで詳しい数字を出すことが問題ではありませんのでこの程度にして、結局格差の拡大する中で富裕階層は子女の教育に十分資金をつぎ込み高学歴を獲得して親に引き続いて豊かな生活をほぼ保障されるようになっています。
即ち本来の能力はそれほどでなくとも競争社会に先に走り始めた階層が、勉強だけできることで社会の指導的地位につくようになれば、真の意味での適材適所がなくなり、社会全体が衰退してしまいます。この様な社会的不平等が拡大する中で、多数の国民が受ける公教育はますます重要性を増すと考えられるのですが、しかし、モンスター保護者はじめ、教員資格の更新制度採用、などから学校全体の社会的評価が下がっています。(今日の新聞では国家公務員のキャリア制度がなくなるとの報道もありました。しかし教員も公務員も一定の身分保障がなければ一生懸命仕事ができないのではと思います)

この様ななか、学校の社会的評価を向上させ、教師の負担を軽減させるためどのような支援ができるのでしょうか。お伺いします。

5、小・中学校運動部の活動について
今述べたように、勉強と言う面からすれば富裕層の教育にかける資金で普通の家庭では競争はできません。そうであれば普通の家庭ではどうすれば、富裕層と競争できるかと考えると、やっぱり「健全な精神は健全な肉体に宿る」という原理原則で対応するのが一番ではないか、頭でっかちではなく、人間として健全な体を作り上げることが最高の手段と思います。
(東京オリンピックの年から調査している:身長体重が増加しても体力低下。家庭用テレビゲーム普及)
ところが、これは昨年5月4日の新聞ですが、9歳の男児体力が20年前の女子並みと言うことです。NHK「からだであそぼ」と言う番組の監修をしている中村先生の言葉で言うと「ここ数年がかぎ、もう少しすると子供時代に遊んでいない世代が親になる。そうなる前に社会の意識を高める必要がある」。
また昨年10月の新聞では「子供の持久力最低」と報じ「肉体的な体力に輪をかけて、粘り強く頑張る精神力が衰えている」と指摘されています。(最近は体育の家庭教師もいるらしい)
そういう中で学校での体力作りに有効と思われる運動部活動は顧問がいなくて廃部も出ているとの報道があります。
前にも伺った記憶があるのですが、優れた競技経験者の力を借りて、市内小中学校の運動部活動を強化すべきと考えますが、この点いかがでしょうか、運動競技で優秀な成績を残している人は運動の楽しさを知っている人ですから、この様な人々を広く採用してはいかがと考えます。「外部指導員」と言う形式でなく、講師として待遇面で考慮してはいかがでしょうか。
勉強を教える教職員の負担軽減とあわせ、子供の体力強化が子供達の可能性を残す道と思います。これは自分の経験でもあります。

6、 官から民へとの考えで「民間できるものは民間で」と何でもかんでも民
間ではできないと思います。例えば市営住宅の経営は正に民間でできる事業でしょうが、施設を作っても儲からないであろう福祉事業特に子供達の施設は極めて不足していると思います。お金はないし選挙権もありませんからとの報道が先日ありました。
児童虐待など悲惨な事件に接しますと、市長でなくとも涙が出ます。先日児童相談に対する調査があるかと伺ったところ、これは国県の仕事であり、そのようなデータはないといわれました。市長の言われる子供達の将来のため、赤ちゃんポスト、児童養護施設設置と補助金、需要の調査をしているか、県の権限と言うことだが、本市では何もできないか、伺います。(市原に住み市原で成長する子供たちは国の仕事、県の仕事などといっていられないと思うが)
posted by やすかね at 10:51| 千葉 ☀| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月18日

温室効果ガス増加

今日(10月18日産経)は、新聞記事を切り抜いての広告が目立ちました。@東京スター銀行が3月27日、医療・年金・介護を取り扱う「ライフプラン」で高齢者がゆとりある生活を送れるように住宅を担保にして金を借りる「リバースモーゲージ」の報道記事を掲載し、「60歳以上でも利用できるローン?使い道自由なんだ」との広告がありました。

A東京電力は、7月16日、サミット首脳会議で原子力推進を明記したとの報道を掲載して、原子力発電に対する国民の理解を求める広告をだし、
またB介護・医療事務を教育するニチイ学館が「高齢化大国 社会保障揺らぐ」と報道している7月1日掲載記事を掲載して「あなたにピッタリの口座がある」と広告していました。

さらにC「仕事だけでは大人になれない。」とのコピーで近鉄が「あなたを大人へ。奈良」と奈良への旅行を案内しており、これで最後かと思っていると、まだありました。D3月8日の「海面水温100年で0,5℃↗」「地球温暖化が影響」との報道を引用しならが「日本は、環境技術でいこう。」と地球温暖化対策推進本部の会員番号1番の小泉純一郎の写真入広告です。

Cはともかくとして、外の4点の広告はある種社会問題化している事実を前提にして、わが社のご理解をお願いします、とのスタイルです。

発明でも論評でも、また何か独創的なアイデアでも、全く刺激もなく創造的な作品がでてくることもないでしょうから、このように、新聞記事を読んで興味が湧くであろう一つの社会的事実を前提にして広告を出すのは、面白いなと思います。

自分でも、ホームページを書きながら、新聞テレビを題材にして、そこから自由に発想してみると今まで考えてもいなかったことを思いつく事もあります。要するに実際に書き始めることが思考を深めてくれています。

そこでと言ってはなんですが、最近環境問題にご無沙汰していますので、今日はDに関して検討してみます。今日10月18日の朝日は、環境省が温室効果ガスの05年度の国内排出量が13億64百万トン(CO₂換算)で昨年より0,6%増加と発表した事を踏まえ「CO₂排出量、最多更新」と報道しています。12年度の目標を達成するには森林吸収源対策などで認められる分を除き8,7%の削減が必要としています。

内訳を見ると、産業部門は昨年より3,2%減る一方、事業所部門42,2%増、家庭部門も37,4%増加し、全体を押し上げたようです。(この記事からは部門別の割合は算定不能です。)

因みに、別項で経済産業省・資源エネルギー庁は、05年度のエネルギー需給実績を発表し、最終エネルギー消費は0,2%増加し、原油換算で4億1455万キロリットル、これは2年連続で過去最高を更新した。と報道されています。
内訳は、産業44.4%、民生32,0%(うち家庭が4,1%増加)、運輸23,6%となっています。この二つの記事を連立すれば、先の記事の内訳が算出できると思いますので、やってみてください。いずれにしても不親切な記事で実数を算出するには外を当る必要があります。

ところで、CO2の排出量は、どう測ったら分るでしょうかね?温室効果ガスは二酸化炭素、一酸化二窒素など6種類あり、世界の科学者でつくる気象変動に関する政府間パネルのガイドラインで示す計算式によるようです。(10月13日朝日)

面白いのは、牛のゲップも温室効果ガスということで、これは実際に牛をガラスケースに一週間いれてえさとゲップの量の関係から調べるそうです。途中ですが、今日はこれまで・・偉い人が来ましたので・・

牛一頭は年80キロのメタン(CH4)を出し、テレビを毎日一時間見ると年14キロで杉の木が一年に吸収する量と同じで、日本人一人は年9790キロで温暖化で水没の危機にある島国ツバルの人の20倍になるそうです。
posted by やすかね at 17:14| 千葉 ☁| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月17日

日本の味の根源・塩談義

そうですね、もうかれこれ20年になりますかね、自前の味噌を作り始めてから・・まただいぶ前から、有力なダイエット食品として、歴史と伝統のある貴重な文化として日本食は世界中で評判を博しています。その日本人の味は味噌・醤油をベースにしていますが、忘れてはいけないのが、この味噌・醤油の保存と味を決めている塩ということです。

自宅で味噌を作り始めたとき、仕込み方もありますが、塩分濃度をどの程度にするか、10.5%から0,5%刻みで13.5%まで試作したこともあります。結局塩味が薄いと保存が難しく、13,5%ですと「少ししょっぱい」味噌となりますので、最近はずっと13%で仕込んでいます。

ところで、最初の数回は当時の専売公社の塩化ナトリウムとあら塩を使用していました。しかし、折角自前の味噌を仕込むのに化学薬品のような塩化ナトリウム99%では他のミネラルもないし、なんと言ってもしょっぱい味噌となってしまうのです。(本稿は3月20日に書きましたが、掲載を忘れていましたので、ご紹介します。もう、美味しい手前味噌は出来上がっています。)

そこで、当時飯沢匡氏の著書で沖縄の塩の紹介があり、早速電話をして取り扱い業者を教えてもらい取り寄せて仕込みました。とにかくしばらく塩に凝っていた時期もあります。

その頃の事ですが、千葉の富士見町に伊万里という自動ピアノを置いてある日本料理店があり、そこに初めて行ったときの話です。ビールのつまみに出された枝豆を食べたところ、枝豆に降りかけてある塩の味が違いますので「マスターこの枝豆の塩はどこの塩ですか?」と聞いたところ、マスターは『良くぞ違いを分かってくれた』と感激して、しばしメキシコの岩塩の話を聞くことになりました。

そういう訳で、味噌の仕込みには沖縄のシマ・マースとか赤穂の天塩とかを使っていましたが、要するに純度の高すぎる精製塩(塩化ナトリウム99%)でなければ、と言う程度の認識でしたが、今日(3月20日)のNHKで長崎県平戸の塩作りが紹介されていました。

他で5年間塩作りの修行をした、とても柔和な顔をした若者(小学生にはおじさん)が、海がきれいで、しかも山からミネラルの絞れる海岸を探し歩いた結果、平戸の海岸に塩の製造小屋を建て一生懸命塩作りをしていました。

製造方法ですが、まず空中に仕掛けた網にポンプでくみ上げた海水をかけ、風と太陽の熱で海水の塩分濃度を5倍にしてから、次に釜で14時間煮込んでつくります。何時間煮込んでも、海水の塩分濃度は一定であろうから「塩は全て同じ成分構成だろう」。海水に熱を加えて水分を蒸発させれば塩ができるんであるから、加える熱は一定であれば良いし、なにも14時間も付きっ切りで火の番をする必要も無いであろう、と考えていました。実は、これが全くの浅はかそのものなのです、全く分っていませんでした。

塩分濃度を増した海水を釜にかけ、蒔きで焚きながら加熱していきますと最初にカルシウムの結晶が浮いてくるのです。これを丹念にすくい上げ捨てているのがポイントのようでした。実は、このカルシウムは砂を噛むような味がして舌触りも良くないと言うことです。単純に海水を濃くしただけでは旨い塩はできないのです。

炎の調節も薪で行うことにより、結晶に微妙な変化が出るようです。塩の主成分は塩化ナトリウムであるが、そこに塩化マグネシウムなどのにがり成分が微妙に混ざっているのが、「旨い塩」らしいのです。

塩化ナトリウムが塩の辛さを出し、にがり成分などが塩の甘さ、苦味などを演出するようで、このときの塩化ナトリウム濃度は71%であり、平戸の塩は93%、専売公社の塩が99%だそうです。

そこで急に思い立ち「さて、我が家の塩はどうなっているのか」と疑問を持ちましたので、早速成分表を見ますと、「瀬戸のほんじお」は、塩分(塩化ナトリウム)濃度が84,9%であり、成文表はナトリウム33,4g、カリウム3340mg、マグネシウム370mg、カルシウム210mg、「赤穂の天塩」塩分濃度92%であり、成分表ではナトリウム36g、カリウム35mg、マグネシウム550mg、カルシウム20mg、と書いてありました。成分が全く違っているのです。

今まで専売公社でなければ、と考えていたのが、認識を新たにしたというところです。今年の仕込みは「瀬戸のほんじお」でしたので、解説によれば「塩辛さ」を控えめに感じさせるので、塩分を取りすぎることになるやも知れないとのことのようです。来年はしっかりと93%に近い塩を選んでやって見ます。美味しい味噌の味も山から搾り出されるミネラルときれいな海からの贈り物です。命を支える地球環境が守られなければ人間の幸せもありません。
posted by やすかね at 11:28| 千葉 ☁| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする