2006年06月21日

右手にソロバン左手に道徳(論語)

日頃ダイエットなどしているものですから、偶には羽目を外し食べてみようなどと考え、事務所から2〜3分のところにある「プラザ菜の花」(旧職員会館跡地)に向かいました。

新築の建物で、玄関前も広くとってあり気分よく入れる場所なのですが、12時丁度に着いてみるやびっくり、黒塗りのレクサス(?)が三台、その間隔も僅か50センチほどで停めてありました。車を蹴飛ばしながら入ろうとも考えたのですが、どう見てもヤクザの車です。私も怖いので、車に触らないように注意して横になりながら広い玄関に入り、直ぐフロントに行き『偉ら〜い連中が、車を停めていて邪魔になるから直ぐ片付けさせろ!』と言って食堂に入りました。

食堂でしばらく座っていたのですが、当然まだあのままだろうと考えると段々血圧が上昇してくるようなので、健康上已む無く、一緒の人に『ヤクザの連中は、あのようにエバリ散らして車を止め、少しでも弱みがあればドンドン入り込んでくるのだ、フロントの連中では何も言えないだろうから、僕が言って県警に電話をしてやるよ』等と言いながら、フロントに行きました。

フロントで『何処の連中だ』と聞いたところ、『某会議に来た人たちです。』ということですから、再度『名前は?で何処の連中だ、名前を教えろ』と言ったものの、『分かりません。15分でどかすからと言うので・・』と言い、知っていながら名前を隠していると思ったのですが、相手が「分らない」と言うのであればそれ以上聞きようもありませんから、とにかくナンバーを調べようとメモ用紙にナンバーを書き始めました。

すると何処からか、運転手らしき連中がきましたが、どうもヤクザではなく堅気の連中のようですので『このエラソーナ人たちは何処の連中だ』と聞きますと、足立ナンバー車は某電鉄O会長、習志野ナンバーの車はU某ガス相談役、野田ナンバーの車は某飲料会社(社長の名前は確認しなかった)という事です。

当初ヤクザ者が我が物顔で玄関前に黒塗りのレクサスを止め、多くの人に迷惑を掛けていると勘違いしていたようです。大分頭に血が登ってカッカとしていたのが一流の経済人の車と知るとなおさら許せなくなりました。

日銀トップ、保険会社、銀行等々社会的責任の大きな人たちが未だに悪さをしているのがわが国の状況ですが、多数の人の迷惑を考えないで玄関前に堂々と車を三台も止めている不道徳はやっぱり「一流の経済人」だったのです。

喜怒哀楽「天は人の上に人を造った?」で「社会的に優位に立つ人はそれなりの義務がある。」と書いたのですが、この様な人は村上ファンドのごとく「金儲けが悪いのでしょうか」と考えているだけで、「道徳」なんて「くそ喰らえ」なのでしょうね。仮に玄関先で車椅子の障害者が困っていたら、諸外国では会長職なども吹っ飛んだんでしょうね。残念、残念。


今冷静になって考えますと思うに、最初はヤクザと勘違いしましたが、ヤクザものならあそこまでやると直ぐ業務妨害罪などで逮捕なんて事もありえますから、やらないですね。その意味で「規範意識」があります。
 「一流の経済人」ならもっと慎重にお願いしたいものです。経営者は右手にソロバン左手に道徳が必要でしょう。

PS:後日、若干訂正と削除をしました。「菜の花プラザの車寄せに駐車したのは、菜の花プラザの駐車場係りの指示があったこと」と弁明がありました。仮に指示があったとしても専務理事さんが「10時から停めてあった(15分ではなかった)、異様な雰囲気でした」と言われるように、あそこに停める事自体、外の利用者のことに配慮が行く届いていません。如何なる会議かは、分かりませんがお三人をインターネットでさがしたところ、「ヒット」したもので、どんな会議かは、関心がありませんので、削除しました。ナンバーは「い・ろ・は」を書きませんでしたが、4桁の記載も「セキュリティー」の意味で申し入れどおりこれも削除しました。「やりたい放題」もキツイ表現ですので削除しました。しかし、車を玄関先に停めたことは、運転手の判断でなくとも所有者の指示でないとしてもあそこに2時間以上(当初15分と考えた)停めてあったことは監督不行き届きでしょうね。
posted by やすかね at 00:00| 千葉 🌁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

AED自動対外式除細動器動機

AED活用の方法
 (AEDについては9月議会12月議会と連続で質問して、その結果一定の配
備が決まったようですが、今日は3月8日の質問だけでなくAEDに対して素人ですから間違っているかもわかりませんが、若干の説明を付け加えておきます。)

AEDは、疲労とか瞬間的、突然の心臓麻痺で心臓が停止してしまったとき、つまり、素人とすれば心臓の筋肉が痙攣(けいれん)して、心臓が止まってしまったときだろうと考えるのですが、このような時は本当に心臓が弱ってしまって動かなくなったのではなく、ほんの数秒間心臓が休んでいるだけだと思います。

しかし、数秒とはいえ、心臓自身を含めた体中に血液を送り出す、心臓が休んでしまっては心臓自身にも血液がきませんから、時間の経過(5分〜7分以上?)とともに心臓がホントに死んでしまうのです。

もっとも、それでも心臓などの筋肉組織は血液が流れなくなってもまだ充分蘇生(そせい)、生き返る可能性を残していますが、血液の流れが止まり一番困るのは、脳なのです。

実は脳組織、血液の流れが止まっても活動を休んでいないのです。何兆という細胞が互いに交信して電流を流していますから、血液が流れ、栄養補給とともに脳細胞で発生した熱を血液が吸収して、体の表面から常に放出できなければ、脳細胞はたちまちオーバーヒートしてダウンしてしまいます。

貴方のお使いのそのパソコンだって、しばらく使っていると脇から熱い空気が出てくるのが判るように、ものすごく小さく、消費電力がとても微弱なIC(集積回路)だって、それほどの発熱があります。

ところで、戦争(大東亜戦争:進駐軍からは太平洋戦争と直された)末期に建造された戦艦大和には主砲から打たれた砲弾の飛んでゆく弾道を計算して、狙った相手方に正確に着弾する計算機が備わっていました。

この計算は、今なら実に簡単な放物線の解析程度と思いますが、この計算機はいわゆる3極真空管(プラスとマイナスの電極の間に電子の流れを調整するために電圧を加える第三極がある)で電気の流れを調整していたのですが、この真空管はスイッチをいれて三極が暖かくならないと動かないので結局一個で沢山の熱を発生させますから、これを使って計算機など作ろうとすれば大量の発熱があります。

ですから、今仮に500円程度で売っている電卓も真空管で作るとなるとその大きさは、表現が古くなりますが、霞ヶ関ビル程度以上のものとなり、これから発生する熱を冷ますためには、華厳の滝から流れる程度の水量では足りないくらいでしょう。

この様に簡単な計算機でも沢山の熱を発生させるのですから、それとは桁違い(何桁でしょうか、10桁?)に沢山の脳細胞から発生する熱量は、その一つ一つが桁違いに微弱としてもやはりものすごい熱が出ます。

心臓が瞬間的に停止すると、この脳細胞に発生した多量の熱を放熱できなくなるのです。脳細胞はオーバーヒートで死滅してしまうのです。ですから、逆に極端なことを言いますと、氷河に落ちて心臓麻痺で「死亡した人」は頭も冷やされていますから、相当の時間は十分蘇生できると思います。

結局、9月議会と12月議会でも時間短縮を力説しましたが、AEDを有効に使用するには一番大切なことは秒単位での時間短縮なのです。7分経過すれば2%しか救命効果はありませんから、AEDをいたる所に供え付け、何時でも短時間に使用できることこそ大切なことです。

3月議会では、さらにAEDを十分備え付けたとしても、こんどはその運用で問題が発生する可能性がありますよ、ということをご注意申し上げ、是非その対策を取っておいてください。とお願いしたわけです。

以下その要旨です。先の議会で緑水会を代表してその普及を図るべきと質問し、来年度は数台の設置をすると伺い、その方向性が見えたと考えています。そこで今後計画的に普及台数を増やすことを期待して、その次のことを質問します。

まず、AEDが十分普及してこれが市民の間でも十分知られるようになって、多くの人が救済を受けられるようになった後のことです。
現在では心臓発作また心臓しんとうで倒れたものの首尾よく蘇生した場合は、「ああ、良かった」となるでしょうが、十分普及した後、今度は多少でも操作が上手くいかなくなったときは、法的問題、損害賠償請求などされることも生じてくるかも判りません。

その様な場合があると今度はこれを扱う人の間で萎縮効果(結果を心配して「僕できない」などといって、責任放棄)が生じてはいけませんから、十分な研修をしておく必要が有ります。職員誰でも出来るように日常的な研修が必要と考えるがどのように取り組むのか伺いたい。
広く市民にもAEDとは何か知っていただく必要もあると考えますが、周知徹底をどうするのか、伺いたい。関連報道(平成17年、9月5日、11月25日朝日、11月15日千葉日報、9月26日産経)

以上のようにご注意申し上げたのですが、その日の夜、NHKのニュースで『横浜市の消防局でAEDを搭載した救急車が現場に到着してAEDを使おうとしたとき、そのAEDの電極が訓練用のものであって救命できなかった。』消防局は『死亡との因果関係は不明。』などと釈明していました。

極めて初歩的ミスです。ネッ、言わんこっちゃないですね。しっかり研修しておく必要もあるのですが、まだその重要性を十分理解していないのです。

http://yasukane.seesaa.net/のブログも見て、
posted by やすかね at 05:23| 千葉 | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

宮崎 学「法と掟」を読んで

数年来、江戸時代の社会(生活様式、規範、文化)に関心がありましたが、特にこれといって勉強した事もありませんでした。

ただ司馬遼太郎が明治維新からの進歩は、それまで日本各地にあった独立した藩で勉学した多数の人々が明治国家に集積したこと、即ち多様性がその発展の原動力である。というようなことを言っていましたから、その流れのなかで一体、江戸時代とはどんな社会かな、と言う程度でした。

拙本「喜怒哀楽」に何度か書きましたが、江戸時代を垣間見る番組として、先日、日曜日の最終回まで11年間続いた「コメディーお江戸でござる」(杉浦向日子さんが亡くなった後は「道中でござる」に改名)が終了しました。この番組は偶に見ても参考になり、笑える面白い番組で終了したのがとても残念です。

それはともかく外の関心事として、わが国の対米従属、日本の権力構造、自己の権利を主張しすぎる人、人間の平等、自律、村八分などという言葉の意味を時々考えていたのですが、それぞれの意味自体なかなか理解できないまま現在まで来てしまいました。

さらにそれらの言葉相互の関連、その理論的根拠などを統一的理解などとなりますと自分の能力を超えていましたが、偶々本屋でそのタイトルに興味を引かれ読んだのが「法と掟」(宮崎 学著 洋泉社)でした。

著者はかなり有名人のようですが、この本を買って初めて知りました。著者の経歴も発想もスケールが大きく是非進めたい本です。ハードカバーで持ち歩くには不自由でしたので、表紙を取り払って持ち歩いていますので、残念ながら定価が分らなくなってしまいました。
posted by やすかね at 11:29| 千葉 | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

役に立たない学問の重要性

“役に立たぬ学問”は消えてゆくだけかと題して社会学者の加藤秀俊氏の「正論」(12月11日)を見ました。民営化・市場原理が社会を動かす原理となった現在、社会の役に立たない、カネにならない学問は無駄であるからと言って消えてしまって良いのか、競走馬の馬主になり、自家用ジェット機、高級車を持ち毎晩豪華な飲食に万金を使う話は週刊誌で目にするが、学問や芸術を陰で支える財界の文化人見当たらない、その結果、考古学、歴史学、美学、全く日常生活と無縁なインド哲学などが消えてゆくかもしれない、と嘆いています。

自分の成長期を振り返りますと、勉強は自分の日常生活で判らない所を教えてくれるものと考えていたようで、小学校の授業でも先生に質問の連発をしていました。好奇心旺盛で全ての物に疑問が湧いたのでした。

今でも鮮明に覚えているのは、大学1年生のときです。数学の行列のところで先生に「この行列の勉強はどんな役に立つのですか?」と質問したところ、先生曰く『数学は50年先、100年先役に立つかどうか分からない学問である』とのことでした。

この一言で私は数学に対する興味を全く失ってしまい、以後必修科目でありながら講義には一度も出ず、成績は急降下でやっと「可」で単位をとりました。

そのほかにも、高校生から漢文とか古文、よく理解できない難しい文章を読ませる現代国語などは全く苦手でした。こんなもん、役に立たないし興味が湧かないからぜんぜん頭に入らないのです。物理化学といった日常生活に役に立つ「科学」こそ学ぶべきものと考えていたからです。英語にしても外国人と「会話」をしても楽しいかもしれないが、それがどうした?学ぶ必要はない、とず〜っと思い込んでいました。

法律の勉強を始めるようになって初めて法律は日本語で社会のルールを決めている。紛れのない文章が読み書きできなくては、法律はモノにならないと認識し、ようやく法学も物理・化学同様「学」すなわち「科学」サイエンス(法則性)であると認識した次第です。

しかし、それでも経済学は「学」ではない!経済学が「科学」なら「医学」が病気の原因を究明して病気を治療できるように、不況の原因を追究して経済を立て直してみろ、それが出来ない以上経済学者の言うことは信用できない、と今でも考えています。

この様に、今までの自分の思考方法は「日常生活に役に立つ」ことを基準にして勉強すべきと考える「功利主義的」なものでした。しかしこの様にすべて効率・コストで考える思考方法は、実は「人類文化の発展」に役に立たない、むしろ「有害」ですらあると思えてきました。

平成17年2月JFEスチールの違法排水とデータ改竄が発覚しました。環境を汚染するシアン化合物を無害化して放流することは金がかかり経済的負担が大きいが、仮にシアン化合物を海に放流しても人間の日常生活に直接関係はない、少なくともシアンは簡単な化学物質であるから、時間がたてば分解して無害化する。これに対し、多少問題はあるがそのまま放流してしまえば会社の経済的利益につながることは明らかである。と考えて長年東京湾にシアン化合物を垂れ流してきたのがJFEスチール(旧川鉄)の違法排水とデータ改ざんです。

話が飛びましたが、21世紀に入り、人類は徐々に効率至上主義から安全・安心、継続可能性に関心が高まりつつありますが、これは効率的科学である自然科学から「ムダの科学?」である人文科学の尊重への流れではないでしょうか。

先日、どこかで中国の漢字簡略化、また国民に漢字を教えずハングルだけで読み書きをさせる韓国の問題点が述べられていました。時の権力者が国民に対する教育で文字文化を変えることがあるが、これは文化を断絶させることであり、権力者が自分に都合の悪い自国の歴史を国民から見えなくすることである、と述べていました。

これを聞いて「ハッ!」としました。今述べてきたように、私はこれまで効率的ものの考え方をしてきたことから漢文の読み書きは当然出来ないし、古い日本語である古文も全く理解できません。これは既に自分たちの現代文化を支えている先人の考え方を自分の力では吸収できなくなっているのです。

中国でも韓国でも漢字の教育を疎かにした事で、既に中国人民と韓国民はエジプト文明に匹敵する5000年の歴史を有するアジアの文化を理解できなくなっているのです。

喜怒哀楽でホモサピエンスとネアンデルタール人のことに触れ、ネアンデルタール人がなぜ滅び、ホモサピエンスがどうして生き延びたか書いてありますが、人類とこの日本が滅びないためには今の子供たちに漢文・古文をしっかりと教育する必要がありますね。

現代があるのは過去からの積み重ねですから、考古学、歴史学、印哲などおよそ日常生活に役立たないような学問もしっかりと学ぶ必要というより、大切にする必要がありそうです。しかし、50歳半ばを過ぎ、いまさら漢文・古文が頭に入りますかね?駄目でしょうね、だめと思ったらもう駄目です。
posted by やすかね at 09:56| 千葉 | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月02日

法務大臣の死刑執行拒否

小泉内閣の第三次組閣が発表され、弁護士出身の杉浦法務大臣が死刑執行命令書に「私はサインしない」と言い切り、波紋を広げています。強盗殺人で2人を殺せば死刑、これが死刑制度の大まかな基準です。

僕など単なる財産犯、収賄などでも多額になれば死刑判決をしても良いのではと極論を展開しています。それは、多くの自己破産事件などを扱っていますと、300万円ほどの借金の取立を苦にして自ら命を絶つ人がいるからです。

それに比べ、例えばそごうの水島とか、100億円もの多額の粉飾決算を指導した公認会計士、依頼者からの預かり金を1億円も着服した弁護士など、判っているのに個人的利益のため多額の金銭をチョロまかした悪党は、死刑相当と考えているのです。

しかし、杉浦法務大臣は、宗教的な個人的見解を明らかにして死刑制度を否定しました。この発言が大問題となるや、直ちに撤回しましたが、司法制度の根幹にかかわる大問題に対する見解を自分の立場も弁えず、発言して問題となるや撤回するなど法務大臣の器量はないですね。ことに今の世論を全く無視して重大な発言をする法律家を分からないまま法務大臣に選任した首相の責任も重大です。時代の流れを認識しないでいると、弁護士とか議員だけでなくどのような職業も勤まらなくなります。

こんな激しい事を言っていると「やすかねは、厳罰主義で凝り固まったアホ弁護士」などといわれかねないので、極めて最近の刑事法廷での温情あると考えている僕の弁論要旨(裁判の最後に弁護人が、行なう意見陳述)をご紹介します。

この犯人は駅のホームで寝込んでいる酔客から共同して財布をとる窃盗グループです。前刑から10年以上娑婆で「活躍していた」と思われる今47歳の被告人です。

私は執行猶予の判決を出しておいて、仮に被告人が、この次にも犯罪を行ない捕まれば、今回の刑と次の刑を合わせて服役せざるを得なくなり、相当長期間の実刑を覚悟しなければ再度窃盗(すり)ができないという心理的抑制を働かせ、被告人を娑婆で更生させようと考えるのですが、如何でしょうか?検察官の求刑は3年6月で、僕の予想は多分3年の実刑です。裁判官はこの被告人に執行猶予にはできないでしょう。勇気が必要ですから・・


第一、 犯罪事実については争わない。
第二、 情状
1、 犯行の動機
  冒頭陳述にあるとおり、被告人は定職に就かず短期宿泊施設を利用する
などして主に日雇い労働者、パチンコなどを行ないながら生活していたが、生活費などを得るため、犯行当日共犯者らと携帯電話などで示し合わせ本件犯行に及んだものである。
2、 犯行態様
  犯行態様は、被告人が実行犯として外の二人がいわゆる幕の役割を行い、被害者の懐中から財布をすり取ったもので、被告人は犯行直後被告人に近寄ってきた警察官を察知してホームから線路に飛び降り金網を越え、逃走した。この被告人犯行は、数人で共謀して無警戒となっている酔客を狙う悪質で常習性の高い犯行である。
3、 被害額
  幸い、本件犯行での被害額は小さいものの、認知されていない犯行を考
えると単純に本件犯行のみをもって、被害額の多寡を論ずるのは妥当でないかもしれない。
4、 反省
  被告人は、逮捕後から一貫して単独犯行を主張して共犯者の存在を強く
否定するなど、全く反省の態度を示す事がなかったが、公判直前になり、これまでの自分の生き方これからの人生を考え、残り少ないこれからの人生を真っ当に生きるべく真摯に反省すること考え初めた。
5、 更生の可能性
  被告人の前科前歴を見ると、昭和58年、幼稚園荒らし等の窃盗罪で有罪
判決を受けてから、63年酔客からの窃盗で有罪判決を受け、さらに平成2年本件同様津田沼駅での窃盗で2年4月の有罪判決をうけ、仮釈放後、被告人は日雇いなで生計を立ててきたと主張しているが、本件犯行などから疑わしい点も見受けられる。
しかし被告人はこの公判廷で真摯な反省を行い、過去の自らの生き方を悔い改め、今後は真っ当な生活を送ることを約束している。また、被告人は最初の判決から実刑の判決を受け社会内での更生の機会を与えられた事がなく、自らを規律して法を遵守する訓練を受けていたとは言えない状況もある。
さらに、今回の犯行で被告人が思い知らされ、明らかになったことは、僅かの額の窃盗でも3年以上の実刑を受けることの不利益である。
そこで、被告人に対し、この様につまらない犯行を行なう事の利益・不利益を勘案させ、自らの行動を律する方策をとることを敢えて試みる事も必要と考える。
その結果、仮に被告人が再度犯行に陥り、社会内での更生に失敗すれば、被告人の人生も、ハイそれまでーよ、ということになり、この世に生を受け、両親、兄弟の中で成長、苦労してきた事も全て水の泡となることは必定である。
このように考えてくれば、被告人は前刑の終了から既に10年以上経過し、法的には執行猶予の要件があるのであるから、被告人の人生の中でただ一回の更生の機会を与える事も全く無駄な事ではないと考える。
殊に被告人のような窃盗犯人を仮に施設に収容しても、出所後はこれまで同様の泥棒家業を行うことは経験上明らかであるから、被告人の犯行から真実社会を守ろうとすれば、被告人の残りの人生の殆どを刑務所で生活させるしかない事も明らかであるが、しかし、その様な扱いをすることもまた不可能である。
そうであれば、ここで被告人を数年の間刑務所に収容して税金を使うより、被告人に対し、最初で最後の社会内での更生の機会を与える事こそ刑事政策上最善の方法と考える。
6、 結論 以上述べたとおり、今回の犯行に限り、被告人に対し、執行猶予の判決を求める。
posted by やすかね at 09:43| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする