2008年03月04日

08年3月議会、新自由主義の失敗

平成20年第1回緑水会代表質問

はじめに、この3月で退職される職員の皆様へ、

団塊の世代が子どもの頃は、21世紀は夢と希望にあふれ、誰しも平和に安心して暮らせる世の中になっているであろうと、考えていました。私自身団塊の世代に属するものとして、子ども頃の夢と希望があった昔を懐かしんでいる状況です。30数年前、社会のエリート、地方自治の専門家となるべく、市役所の難しい試験を突破され、以後今日まで与えられた職責を全うしながら、後輩を育成し、この市原の地方自治発展に尽力されたその功績は真に、偉大であります。ここに長年の労苦に対し、全庁を上げて感謝いたすところであります。
また、お一人お一人、事情は様々でしょうが、この30数余年を振り返れば、思い残すこともあるでしょうが、皆様の空けられた椅子を一日千秋の思いで、待っておられる後輩もあると考えますので、とりあえず後進に道を譲られ、4月からは、退職後のご自分の時間、お金に代えられない真の自由時間として有意義にすごされ、そして多少の時間を市役所だけでなく、地域社会に向けていただければ、皆様の長年の経験が、社会にとってなくてはならない存在となると信じています。
特に平成20年から、団塊の世代が第一線を離れることによって社会全体に信じられないほどの大きな影響が、社会のあらゆる場面で顕著になってくると考えておりますので、まさに皆様の考えで納得できる仕事、ボランティアなどをすることで社会とのかかわりを持ち続けて欲しいと思います。皆様が広く社会で活躍されることを期待しています。
これを知るものは、これを好むものに如かず、之を好むものは、これを楽しむ者に如かず、の言葉通り、楽しみつつ社会奉仕活動に積極的に参加され、人間本来の労働の楽しみを享受して欲しいと思います。

1、格差社会における対策について

21世紀も8年目、産業革命以来、科学技術の進歩は人類の幸せをもたらすであろうと考えられてきました。しかし、現在は地球温暖化を初め、世界中では未だ多くの地域で武力紛争、戦争が継続し、またエネルギー争奪戦、食料問題など実に人類の危機だけでなく、地球の危機といえる状況が存在しております。
この様な大きな問題は一人でどうにもならないわけですが、しかしどのような問題も、元を質せば一人一人のものの考え方、生き方から生じていることは明らかです。
従って、私たちはどんな大きな問題も必ず解決できる、という信念の下に絶対に諦めることなく、自分に何ができるのか、何をすればいいのか常に考え、たまには休みつつ、活動を継続していかなければならないと考えています。
わが国に目を転じれば、政府には、世界最大の巨額の財政赤字が存在し、何れの地方自治体も大変な財政課題を抱え、国民の生活についても、教育、医療・年金・介護などの社会保障の問題、雇用に大きな問題を抱え、大企業は空前の利益を上げるなか、中小企業は不況にあえいでいます。即ち社会のあらゆる場面に格差が拡大しており、若者も高齢者もこれからの生活に大きな不安を感じているのが実情です。
しかし、いまの政治は、これらの、どの問題に対しても有効な対策を取れないでいるのが、現状で、徐々に社会の活力が低下しつつあると感じています。

結局、国、地方自治体の巨額な財政赤字が解消に向かって進み、経済が安定的に推移し、人口も各世代がバランスよく存在し、各家庭の構成が、祖父母、両親、子ども二三人がいて、祖父母のいずれかは、ひ孫を見てから亡くなる、この様な家族構成ができているなら、私たちの生活が、継続可能なといえるでしょう。
しかし、経済が停滞する中で、経済的格差が拡大し、赤字財政も拡大し、世帯数だけが増加して人口が減少しているとなれば、誰しも明るい未来は考えられません。そういう状況ですから、一人ひとりが頑張るぞ、という気概を無くし社会全体も沈滞ムードが蔓延し、ますます悪い状況となってしまいます。
そこで、国民一人ひとりが、能力一杯頑張れれば、まだまだ日本は、浮上できるでしょうから、社会のリーダーである政治家が如何すれば、全ての人に、将来の希望を与えられるかが重要であり、そして国民一人ひとりが『よし、頑張るぞ』とやる気を出してもらえるかが、わが国の浮上にとても重要と思います。
要するに、頑張れば、将来の希望が見出せる社会状況を作る必要があります。
そこで、ちょっとつらい数字ですが、93年日本の一人当たりのGDPは世界トップでしたが、06年は15位、トップのルクセンブルグは年間8万ドル、ノルウェー、6万3千ドル、であるのに対し、日本は3万5千ドル、この13年間に日本はGDPを1.7%減少させているそうです。
この同じ13年間にアイルランドではGDPを3.66倍、ノルウェー2.64倍と成熟社会でも所得倍増ができています。その他フィンランド2.31倍、デンマーク1.87倍、スウェーデン1.83倍、と北欧諸国の躍進が顕著です。いずれも消費者の購買力の大きい国々です。
しかも、世界の中で日本社会全体がこれほど落ち込んでいる、伸び悩んでいる中で、さらに日本国内では、所得額下位30%の層が市場から得た所得は全体の14%であり、政府による所得再分配後も16%に過ぎず、北欧の所得下位30%層の所得が20%近くあるのと比べ、日本の格差は大きくなっています。
また、OECDの調査によれば、わが国の貧困率はアメリカに次いで、ワースト第2位であり、一億総中流の時代はとうに終わっています。
たとえば、日本では、年収200万円以下の人々が1000万人を超えており、低所得者はぎりぎりの生活しかできず、昔であれば当たり前であった、結婚して子どもを持つことは、今や青年の夢となっているのです。
この様な状況が続くなら、同じ日本人であるという意識は希薄となり、他人が何をしていようが自分には関係ないと考え、私たちの毎日の生活が殺伐としてきます。
お年寄りに対する詐欺的訪問販売、オレオレ詐欺、様々な食品偽装問題、凶悪犯罪の増加、目の前の犯罪も見てみない振り、子どもの遊び声も聞こえず、ゲームとかケータイメールが発達し、人々の楽しい会話、笑い声も無くなってしまったようです。
従って、いま数字をあげましたが、日本全体が沈み込み、格差が拡大するのと比べ、北欧社会は格差が少なく、この13年間も順調に経済も活発化している、持続可能な社会ができていますが、わが国では未来に希望が持てない人が多くなっています。そこでこれからは、一生懸命努力しようとする人々が増えることが必要ですから、一日も早く、一人一人に夢と希望を与えられる政治が不可欠となっています。
市長さんは、常々『子ども達は、私たちの未来である。』といわれます。人間は生まれた直後から周りから情報を取り入れ成長してきます。子どもは無限の可能性を持っていますから、この子どもの成長を見守ることが、また周りの大人たちにも夢を与えてくれます。子供の成長を見守ることで、子供と大人が夢を共有できることになります。
と言うことは、この子ども達が、健やかに成長できる環境こそ、私たちにとっても大切なことだと考えます。
スウェーデンでは、日本のように生活費を切り詰め、貯金をする人が少ないと報道されています。将来に備え貯金する必要がないのです。もっとも、今の日本では生活費を切り詰めても、最早貯金などできない状況ですし、仮に貯金をしても、それでは、老後をつつがなく乗り切るために、幾ら貯金すれば、大丈夫なのか見当も付きません。本来長寿は、めでたいことなのに、長生きがお年寄りのリスクになっているのです。
それはともかく、スウェーデンでは子どもの教育費は、大学まで無料、老後も公的な給付があるから、特別な備えが必要ないということです。
日本での教育は、金持ちは、ご幼少からお受験を行い、エスカレーターでどんどん上に登り、有名大学をでて、親のコネで有力会社に就職して社会的・経済的だけでなく、精神的発達においても優位な地位を獲得します。
これは、ご近所の事ですが、福井の方に嫁がれた娘さんが、嫁ぎ先の大おばあさんに最初に何を言われたと、お考えでしょうか?「文江さん、我が家では、子どもには、先ず我慢することを教えてください。」言われたそうです。
この様に、教養のあふれる家庭では、人間として大切なことは、極幼いときにしっかりと教育され、これが良家の家訓として代々引き継がれているのです。
先日いただいたアイデアル・ファミリーという小冊子に元リトアニア領事をされた杉原千畝さんの奥様である幸子さんの文章がありました。皆さんもぜひお読みいただきたいのですが、杉原さんは「6千人の命のビザ」の内容をご紹介する中で『人間は、いざという時には、他人のために命を捨てる勇気を持たなければならないことを、子供に教える必要があります。』と書いておられました。イギリスの貴族のような、気高い教えと感激させられました。
これに対して、わが国の家庭では、どのような教育がなされているのでしょうか、経済的に劣悪で、しかもお年寄りのいない家庭の子どもは、小さいときから、お守りは、テレビとゲームであり、貧しいゆえに、親が働き、子どもに対して基本的躾も身に付けられず、小学校に入って、すぐさま落ちこぼれとなってしまい、体だけが大きく成長して、厳しい現実を理解したときは、既に手遅れで、社会的に這い上がることは、ほとんど不可能になってしまいます。
憲法では、教育の機会均等が保障され、また全て国民は平等と宣言されていますが、その実体は、教育の機会均等ですら、経済的格差から大きくゆがめられています。
この様に考えますと、子どもが小学校に入学時点で、学業はもとより、躾も教養も大きな格差ができています。この様な事は、学校現場にいない私でも想像できます。
つい先週土曜日のことです。駅のホームで列車を待つため、並んでいました。そこに、電車が入ってきたので、乗り込もうとしたところ、後ろに並んでいた女子中学生くらいの二人が『前に行こうか』と声をかけ、列を割り込んで電車に乗り込み、ちゃっかりと座っているのです。自分が座れれば文句を言わなかったというわけでもないのですが、・・
この様な現実を見ますと、先ず、
Q:教育委員会では、親の経済的格差が子どもの躾等に関してどの様な影響を与えているとお考えでしょうか。
また全ての子どもが、親を反面教師として見ることもできないと思いますので、
Q:学校教育、小学校入学前に幼児教育もきちんとしてあげなければならない、と考えています。この点について、教育長のご見解をお伺いします。
さらに、子どもは成長するにしたがって、社会規範を徐々に身につけるのですが、自己規制できるまでに自分を律するための、ことわざ、言い伝え、日本にある伝統的な万物霊長の考え方、これは若干危険な言い方ですが、仮に「宗教的教育」といいますが、
Q:幼児ないしは小学校で、この宗教的教育が必要とお考えでしょうか。
また、最近の小学校などで、教師に対して、些細なことでも抗議をしてくる親御さんがいると伺っています。この点について以前伺ったのですが、
Q:教育委員会で、学校に対する抗議の電話などを、一手に引き受ける体制をとったらどうか、ホットラインを整備したらと、ご提案いたしましたが、その後いかがでしょうか。

(2)福祉問題:(本市独自の福祉政策は難しい)
議員として市議会に送っていただいてから、福祉問題なども、色々考えさせられているわけですが、福祉の問題は、実に難しいです。特に、国とか県で、全般的福祉政策を決定しますので、その枠組みの中で、本市で何ができるのかと考えても、数十年と福祉行政を進めている職員の皆様に対し、的確な質問は難しいということです。
そこで、私が伺うことのできるテーマとすれば、そもそも福祉とはなんなのか、どうして国がやるのか、国の失敗の原因を本市でも認識しているのか、等々抽象的問題となるか、もしくは無料宿泊施設のように行政の隙間に入り、福祉を営利企業と考えている問題点を指摘する程度になってしまいます。
この最後の点も、何度伺っても職員の皆様を困らせるだけで、実効性がないようにも思われます。泣き言を言ってもいけませんので、格差社会の中での福祉、特に老人福祉に関して、見解を述べた後で、若干お伺います。

国の財政負担で一番の支出は、江戸時代においては大奥だそうです。明治時代から戦前までは軍事予算、戦後、日本は大きな経済成長をしたのですが、(65年は始めて長期国債が発行された年)66年、日本の社会福祉支出の対国民総生産比は、未だ6.2%であり、アメリカの7.9%、イギリスの14.4%スウェーデンの17.5%に比べれば、わが国の当時の福祉国家の遅れは明らかです。

敗戦に伴う経済の混乱で、政府にはそのような余裕もなく、国の施策に代わり企業内の福利厚生施設の拡充や退職金制度、企業年金の導入が行われ、この様な企業先行の福祉拡充が、後日、公的福祉拡充の制約になった事実があります。
わが国の福祉政策が拡大し、老人医療無料化、児童手当の導入、年金給付のアップ(5万円年金)がなされ、福祉元年と呼ばれたのが73年です。しかし、この福祉拡充は、実は選挙での支持拡大を目指す政治的競争の結果でした。
福祉予算は、福祉元年を機に急拡大を始め、これを年金についてみると退職後の年金のほうが現役時代を上回る可能性があったように、計画自体がずさんであったようです。ともかく、そのまま行けば日本は高福祉国家になったでしょうが、70年代後半から財政赤字が深刻化し、高福祉国家は実現していません。その理由とすれば、軍艦も、道路も、景気対策も、政府の考えでは必要でしたでしょうが、福祉支出の拡大も財政赤字のひとつの原因でした。
しかし、福祉政策は、一端実施されると、恩恵にあずかる受益層は、福祉縮減に反対することは明らかで、財政赤字の拡大と福祉縮減が課題となっています。
いずれにいたしましても、経済水準の向上は、高齢化と出生率の低下をもたらし、人口構造を変化させ、この結果、家族や地域社会で福祉サービスを担うことが困難となり、政府に対する福祉ニーズが拡大してきます。
このような中、本市での福祉については、第二次実施計画でも『自立し、生きがいをもって暮らせるよう、支えあい・助け合う地域福祉社会の実現をめざす』と取り組み方針をあげられているのですが、
Q:本市では、人間生活の基本である「家族」のあるべき姿をどのようにイメージされているのでしょうか。
お年寄りの生きがいについて、私が議員になる直前の議会で確か、今井議員が、お年寄りの生きがいについて質問されたのに対し、執行部は「お年寄りの生きがいはゲートボールである」との前提で答弁されていたと記憶、記憶ですから間違いがあるかも知れませんが、していました。そこで、お伺いします。
Q:本市では、現在お年寄りの生きがいの典型として何を想定されているでしょうか。
また、社会福祉が求められてきた社会情勢として、核家族化と地域社会の連帯が希薄化してきたと私は、考えているのです、そこでお伺いします。
Q:本市では本当に『助け合う地域福祉社会の実現をめざし』ているのですか。
Q:もう一点、そもそも福祉の必要性をどのようにお考えでしょうか。
(3)雇用問題
ワーキングプアの問題は、特にわが国だけの問題でないようですが、現在の雇用状況は、極めて憂慮すべきものとなっています。
雇用の問題は、これも一地方公共団体がどうこうできるものでもありませんが、しかし、雇用問題は、資本主義社会の原理原則にまで踏み込んで議論しなければならない問題であることは間違いありません。
現在、若者は、一度就職浪人となると、一定の職に就くためには、殆ど派遣労働者となるしか選択の道がありません。この様に、派遣労働者となると、劣悪な労働条件で働かされ、結婚して子どもを生み育てるという、人間の営みができなくなる。現代社会の根本的重要問題であります。
Q:そこで、本市として労働者の雇用問題について如何なる基本的考え方をもって対処しようとしているか、これをお伺いいたします。
ところで、今の社会経済というか、国の政策は、いわゆる新自由主義の考え方にもとづいて運営しようとしています。
現在の民法は、明治になってから制定されたものですが、基本的考え方は、自由主義です。全ての人を対等平等と擬制して、この対等平等な個人がそれぞれ契約を結び、人間に必要な生産物を流通させ、消費するなかで生活できると考えています。ですから経済的には、市場主義的考え方ということになります。
ところが、現実の人間は、千差万別であり、能力のある人もいれば、他人のお世話にならなければ生きてゆけない人もいます。
そこで、明治以来わが国も、一般法である民法に対し、様々な特別法を制定して、実質的正義を実現しようとしています。
例えば、民法では、利息は無制限でよいのですが、利息制限法で利息に規制を加えています。宅地とか住宅の賃貸借契約について借地借家法を定め、社会的弱者である賃借人を保護し、雇用契約について労働基準法とか職業安定法などで労働者を保護しています。車の運転から生じた交通事故の被害者に対しては不法行為が適用になりますが、被害者保護の観点から自賠責法を定めています。このように市場主義に規制を加える考え方、これはいわば学者の間では常識の範囲で、これと違ったことを言うなら学者としては認められませんし、知っていて違うことをいうのは悪意に満ちた虚偽事実を言うこととなります。そこで、雇用問題に対していい加減なことを言っていた、政策研究大学院の教授について激しくブログで非難しておきました。興味のある方は、是非ご覧下さい。
それはともかく、現在の社会格差の大きな原因を考えて見ますと、民法の雇用契約に関する規制である職業安定法を緩和し、85年には、戦後長く禁止されていた労働者供給事業に対して例外としての労働者派遣法が制定されたことが、大きく影響しています。
一度規制が緩和されますと、労働者を派遣して、ピン跳ねを行い、儲けていた会社とか、それまで労働者の首切りが困難であった会社が派遣なら契約を解消すれば簡単に首が切れるということで、専門業務に限定していた特別法の枠をどんどん広げる圧力を政権党に加え、99年の改正で原則自由化されてしまいました。
更に業界は、派遣法でも禁止対象となっていた、偽装請負や日雇い労働者を派遣するなど大きな社会問題となりました。
ところで、労働者派遣のスタイルとして登録型と常用型があります。登録型は派遣先との契約がなくなれば、労働者は実質解雇されてしまうのに対し、常用型では、派遣先との経絡が終了しても、派遣会社から給料が出ることになっています。
そこで、登録型では労働者の身分が不安定であるから、一定期間継続して派遣されていた場合、派遣先は、長期間その労働者が必要であることが明白でありますから、会社は、労働者に対し、雇用申込が義務付けられています。
現在派遣法に対する「改正」が問題となっていますが、労働者派遣法を労働者の保護の観点から考えるか、それとも、労働者は、使用者と対等平等であるから保護の必要はない、と明治時代はじめの考えと同じで行くのか、が国の政策の基本に横たわっているのです。
いわゆる新自由主義と言う考え方は、実は、娘の身売りを許すような明治時代初期の、時代錯誤の考え方であり、これが今の日本をだめにしている考え方なのです。
(4)中小企業問題について
今述べた、新自由主義経済政策の中で大企業は、空前の利益を計上していますが、
Q:市内の各中小企業の経営状況はいかがでしょか、様々あるでしょうが、総体的にどのようなものでしょうか、
Q:また中小企業の健全育成には、商工会議所と市役所の連携が重要と考えますが、この連携が日常的になされているでしょうか、お伺いします。
Q:また第2次実施計画でも『豊富な経験や技術、知識をもつ企業OB』の活躍を期待していますが、総合的サポート体制を支える人材確保はできているでしょうか。
更に、最近、企業コンプライアンス欠如で、企業での各種偽装問題が顕著ですが、市内中小業者が被害にあっているとの話も聞きます。健全育成と言う観点から伺いますが、市内中小業者はホテルの看板を信頼して納品したところ、実際の経営は、看板と違う会社でこの会社が民事再生法の適用を受けたということで、市内業者の間で大きな損害が出ているという話も聞いています。
Q:被害にあわないように業者の団体で契約するなどの相談窓口の開設なども必要ではないか。伺います。




2、地球温暖化対策について伺います。
最近執行部から「市原市地球温暖化対策地域推進計画」と「市原市環境学習基本方針」をいただきました。どこで作成したのか伺いますと、本市オリジナルであるということです。
環境部からこのような資料を頂く度に、どなたかは分かりませんが、環境部には力のある職員がいらっしゃいます。何時もありがとうございます。
ところで、環境問題は今や地球的規模での大きなテーマになっていますし、世界のNGOは、既に世界各地ですばらしい活動を展開しています。先日『ストップ・ザ・地球温暖化』と言うシンポジウムに参加し、活動状況を伺ってまいりました。
マングローブを植え、砂漠に植林などの活動から、「もったいないキャンペーン」の裏話などソフト面の話も伺いました。
なにはともあれ、本市の、学習基本方針でも示されている「持続可能な社会の実現」に向けて、学習をして活動を進めるために最初にすべきことは、今の地球が抱え込んでいる問題点を視覚に訴え、知らせることと何より子ども達を含め、私たちが環境に負荷を与えない生活がどんなものか、体験することが重要と思います。そして直ちに実践が必要です。
夏は暑くて、冬は寒いんだ、食べ物をつくる苦労、水を汲み、エネルギーを作り出す大変さを、身をもって実感しなければならないと思います。
体験すれば例えば、基本方針では「社会経済の豊かさを維持するとともに、環境への影響をできるだけ少なくするような社会」が“持続可能な社会”と考えていますが、「豊かさを維持する」ことに固執しては、持続可能な社会は不可能と思うのです。
Q:そこで伺いますが、環境学習の基本的出発点として環境負荷を与えない生活を実感できる学習はないものでしょうか、伺います。
しかし、誰しもできれば、自分は「ただ乗り」したいと思うでしょうから、自ら率先して実践することは困難と思いますので、このままでは何かしら経済的負担を伴うようなルール作りが、必要と思います。
Q:国際的には、二酸化炭素の排出権取引がありますが、これは個人的レベルでも考えるべきと思いますが、ご見解をお伺いします。
即ち、地球温暖化対策、脱温暖化に向けては、一人ひとりの生活のなかで誰でもが『我慢』しなければならないことと思います。我慢したくない人には経済的負担を課しても良いのではないか、と思います。地球を救う脱温暖化に向けて必要なものは個人個人の欲望を制限する我慢です、
同様の視点から、これまでも何度か伺いましたが、本市はゴミについて、1人一日850グラムの排出を目指しています。そうであれば、1人がいくら排出しても無料とするのでなく、
Q:1人一日850グラムと言う目標を超える部分については、一部有料化を図る時期に来ているのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

3、第2次実施計画について
(1)基本的考え方
基本計画では平成27年に人口30万人を予定しています。昔から中核都市を目指すということを伺っているのですが、
Q:中核都市になると、この市原市にどのようなメリットがあるのでしょうか。
Q:また、人口は単に増やせば良いというものでもありません。バランスの取れた人口構成が必要と考えますが、いかがでしょうか。
増加を予想する市民として芸術家を想定するか、社会の富裕層を考えるのか、と言うことはストレートにはいえないでしょうが、要するにシーソーの板の上に誰を乗せるか、ということです。先日の安曇野市の行政視察では、芸術家が来ると自分勝手の人が多いとも伺いました。
Q:また、具体的に市内のどこに人口が張り付くと考えているのでしょうか。
人口減少地域では単純にこれまでの動向を数字的に調整したとしか思えないのですが、いかがでしょうか。これでは何も対策を取らないのと同じではないかと思います。
今度は、逆の視点ですが、本市の行政運営が気に入らなくて、足による投票つまり、転出する人のご意見も行政運営に対しての貴重なご意見と考えます。これも何度かうかがっていますが、
Q:市民課の窓口で、転出される人に、その転出理由をアンケートで伺う必要もありはしないか、お伺いします。

(2)国保診療所について
昔の市民病院は、入院施設のある医療機関で地域医療を守る、と言う考え方で、毎年赤字を出しながら経営してきたのではないか、昨年から入院施設がなくなり診療所となって、当初の目的であった入院施設のある地域医療機関でなくなった状況で、
Q:今後、今の地域での地域医療のあり方をどのように考えているかお伺いしたい。
Q:また、診療所となってから、地域医療機関の役割を果たせているのでしょうか、患者の数は増加していますか、減少していますか。

(3)仮称戸田光風台サブコミュニティについては、ヒアリングの段階で、千種同様指定管理者を選定して行うことになると伺いましたので、割愛させていただきます。また市道13号線についても、アクセス道路の拡充をお願いして、質問を割愛させていただきます。

(4)学校規模適正化について
これは要するに、最近まで信じられませんでしたが、市内には現在複式学級が複数存在しています。一人の先生が45分間に異なった学年の授業を行うわけですので、必然的に半分の時間、子ども達は「自習」の時間となります。
教育の機会均等は、形式的にも保障されない形になっています。
小中一貫教育の予定もあると聞いていますが、先ずは複式学級の解消こそ直ちに行うべきと考えますが、
Q:臨時教員などを配置して、この4月からすぐに解消すべきと考えますが、ご見解を伺います。



(5)木の家普及促進について
趣旨は、市内林業育成のため、市内木材を使用ということでしょうが、
Q:昨年の実績と来年度の目標を達成するため何をするか、お伺いします。

(6)農業生産者との消費者のふれあいについて
地産地消と言うことが言われています。市内農産物等、本市で生産されたものを新鮮なうちに市民が取得できるようにして、消費者である市民が安心・安全に消費できる体制を整えることで、もって市内経済の活性化を図ろうとするものですが、この様な生産と消費に対する考え方は、ミートホープ事件などの食品偽装事件、また毒入り中国餃子事件でも明らかにされたように、早急に求められている制度です。
Q:このような時、本市では生産者と消費者に対しての如何なる取り組みをしているか、お伺いします。

(7)サンプラザ市原について
これは言うまでもなく、前市長時代に大金をかけて建築したもので、建設計画段階でも異論があったと伺っていますが、結局はできてしまい、本市の大変なお荷物になっています。またこの議会でも、土地公社から用地取得をするのですが、これも市税の無駄遣いの最たるものです。サンプラザ関係でこれまでどの程度の財政支出があったかわかりませんが、仮に300億円近い支出があったとして、もしこの支出がなければ、本市は、他に色々の事業ができたであろうと考えますと、残念です。
Q:この様に企画段階で十分検討すれば、例え市長の意見でも変更できる可能性があったのではないか、と思います。その様なことは不可能だったのでしょうか、お伺いします。
Q:また、職員では防止できなかったような問題で、後世に禍根を残した事業に対しては本市ではこの様な事業を忘れないように、例えばその損失を、リストラ資産として計上して長年にわたる中で毎年償却して行くような会計処理はできないものでしょうか、お伺いします。

4、行政組織について
行政施策に関する各種の決定は、市長さんの行うものですが、市長さんのようにすばらしい能力のある方でも万々一(要するに一億)間違いがあるやも知れませんので、幹部職員だけでなく広く人材を民間に求め、重要な政策決定にご意見を伺うため各種審議会がありますが、
Q:この審議会の活動状況と委員の選任についてお伺いします。
また、一人で兼職をいくつもされていますと、審議に偏りもあるかも知れませんので、あまり好ましいとは思えませんが、
Q:兼職についてどのようになっているのでしょうか。
Q:さらに、庁内には定期的に政策会議を行っていると聞いていますが、この政策会議で重要事項が、単なる報告でなく、実質的に審議されているのでしょうか、お伺いします。

安須にできた、ふるさとハウスについて色々お伺いしようとしたのですが、これは決算委員会で色々質問もあったようですのでこれは除きますが、昨年の予算委員会でも期限が守られなければ、行政代執行を行うことになっている、
Q:違法建築物に対する処分など議題となっているでしょうか。

また、実施計画でもたとえば「ビオトープ」などが、奨励されているのですが、私の家の近くでも平成10年頃までは蛍がいたのです。しかし、市役所が補助金を出して農業用水路にU字溝が設置されてから蛍がいなくなったのです。と言うことは、市役所の行う事業が互いに矛盾しているわけです。

Q:この様な行政の矛盾を避ける意味でも政策会議があると考えるのですが、いかがでしょうか。

(3)支所の充実について
Q:言うまでもなく支所は地域コミュニティの中核ですから、本庁に幹部だけを集めるのでなく支所の、機能を強化して地域の市民が手軽に利用できるようにすべきと思いますが、職員の配置など最近の傾向をお伺いします。

(4)職員の健康管理について(時間の都合で、この答弁を先にお願いします)
職員が安心して職務に専念できるためには、療養が必要となったときに無理をせずに早期に回復していただくために療養休暇制度があることはすばらしいことです。
民間では交通事故の被害者となって、未だ治りきらないでも職場に復帰しないと首になってしまうという状況では、人道的にも大きな問題が残ります。
しかし、この様な療養休暇はあくまで職員本人の体の具合で療養を必要とするにいたった場合であることは明らかです。
もちろん仮病で長年療養休暇の繰り返しをしていた奈良の事件など論外ですが、一部では交通事故であっても療養休暇を申請する事案があると聞いて驚いています。
即ち、第三者の過失に基づいて発生した怪我など、これは責任のある第三者に損害賠償支払い義務のあることは明らかです。
従って、第三者の過失で職員が療養した場合、第三者の賠償能力の問題がありますので、給与を支給しても良いと思いますが、後日、本市から第三者乃至は保険会社に対して求償するのは、至極当然であります。
Q:そこで、今まで保険会社などに、求償をしている事例があるか伺います。
しかし、先日事情を伺ったところ、これまで保険会社等に求償した事案がないとのことです。京葉八市でも求償していないようだと伺いました。
そこで、慎重を期すため、保険会社の代理人をしている弁護士、数人に話を伺ったところ、求償されれば当然支払うし、県の職員には休業損害を支払った事案もある、と言うことです。
保険会社が県の職員に休業損害を払ったということは、県の職員は県から当月の給与の支給を受けていないことが前提ですし、仮に給与を受け取っていたのであれば、その分職員は県に返還しなければ、職員は給与の二重支給を受けたことになります。
Q:これは、明らかに療養休暇制度の逸脱ですし、直ちに是正すべきと考えますがいかがでしょうか。
Q:また、本市で、交通事故の被害者になった職員に対して、療養休暇を利用しながら、保険会社から休業損害の支払を受けた事案がないか、調査すべきと思いますが、いかがでしょうか、お伺いします。
posted by やすかね at 07:11| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

ニュートン力学:昨日の追加

昨日、昨今の雇用問題について政府の中枢に出鱈目な議論を展開する「学者」がいたので、論理実証主義から仮説が真実性を帯びることなどを書きました。その中で福井が多分分かりもしないくせに「ニュートン力学」について触れていましたので、ニュートンの万有引力の法則がどのようにして実証されたかを書きました。

要するにニュートンの数学(微分積分学)は、この自然を語る言葉である、数学は、自然を万国共通の言葉で表現する手段であるということです。

この意味で数学は、自然科学の領域に含まれるものであり、本来物理学と数学は一心同体のような関係なのです。わが国でも戦後物理学会と数学学界が分離されたようですが、微分積分学なくして惑星の動きは解析できないし、良く分かりませんが、複素数(二乗するとマイナス1になるiを用いる)などと言う概念がなければ量子力学も表現できないと言う事です。

その意味で、数学は商人の学問であり、高貴な人々は勉強しなかったマルクスの時代では、数学は社会科学の領域だったのでしょうかね。しかし、本来数学は自然を表現する道具であり、ニュートンが万有引力の法則を発見し、惑星の動きが説明できることになりました。

今日の読売新聞一面に、海王星の外側に1100個くらいの小惑星があるが、どうも変な軌道の小惑星があり、これを説明するには惑星Xの存在が考えられる、ということです。質量は地球の3割から7割と推定され、今までに発見できなかったのは、軌道平面が20度から40度傾いているからである、としていました。

いい加減な学者は、突然『いわばニュートンの力学法則のようなもの』などと珍論を展開して読者を煙にまこうとしているのですから、要注意です。それにしても言いタイミングでニュートンが出てきましたね。自分の雑学を披露できて良かったと言うところです。

PS:昨日の補足ですが、要するに、万有引力の法則から、火星と木星の動きを説明するためには、新たな発見されていない惑星があるはずだ、ということで海王星が発見されたのです。
posted by やすかね at 10:03| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月28日

『安物買いの銭失い』

今年の年賀状に『安物買いの銭失い』を書いて、最後に『江戸庶民に習い、自分に投資を心がけます』、と結びました。市原市外の依頼者から『何度も何度も読みました。』と「お褒め」の言葉?を頂きましたので、おかしな話ですが。自分の文章に少し「解説」を加えます。

最後の「自分に投資とは」『貧しい中でもお金を貯めて(宵越しの金を持つ)旨いものを食べる、旅をする、芝居を見るというように「形に残らない使い方」、』(現在も好評?販売中!の「喜怒哀楽」166頁)ということでした。

ところが、『安物買いの銭失い』とは、少々難儀です。
先ず、この社会は言うまでもなく、全てのものが商品として流通する資本主義社会です。マルクスが「商品」概念を分析して、さらに資本主義社会の基礎を明らかにしました。

しかし、商品自体は、資本主義社会の成立前に社会に存在していましたが、資本主義社会になって商品の価値である「使用価値」と「交換価値」の違いが鮮明になって、この商品が「市場」で取引されてきますと、交換価値を求める商品生産者と使用価値を求める消費者の立場が異なってきます。

交換価値という「ゼニ」を追い求める生産者が、消費者の求める使用価値を意識の外(認識しない)に置きますとどうなるでしょうか。商品が本来もっているはずの使用価値は、尊重されなくなります。粗悪品を生産することになるのです。

典型的には例えば、ミートローフ社の「牛肉コロッケ」の牛肉は、豚肉でも少々腐った鶏肉でもひき肉にしてしまえば、消費者には解らないから『売れれば良いんだ』となり、消費者の求める使用価値を無視して、交換価値だけを求めることになります。その結果は、既に明らかですが、あの息子に諌められた「ボケ社長」曰く『消費者が値段の安いものばかり求めるからだ。』などという居直りを許す結果となります。

この様な、粗悪商品は、社会で認められませんから、消費者に危害を加える可能性のある食品規制とか、品質表示などの表示を義務付け、消費者の使用価値を満足させるように適切な商品の流通を考え様々な「規制」を加えることになるのです。

しかしですよ、社会(生産者:資本家)が規制緩和を求める方が「社会の発展につながる」などという理由で、大幅に規制を緩和しよう(これは、250年ほど昔のアダムスミスの言うように、資本主義社会では、全てのものが自由に市場で取引されれば、「最良の結果が得られる」という考え方を、再び始めることから「新自由主義」と言われる)との流れが強くなっています。

即ち、政府が必要な規制(監視)をやめて「規制緩和」を進めますと、「拝金主義」がまかり通り、ミートホープのようなコロッケが典型ですが、企業のあらゆる偽装問題がでてくる事になります。

「企業の偽装問題が明らかになり、とんでもないことだ」と単純に言いますと、『なんだ、それでは、バレない様にすれば良かったのか』などと反撃されますが、そうではなく、新自由主義的考え方は拝金主義に繋がり、社会の公正も法令順守もなくなるということです。

最近アズの里で売られている農産物も生産者の写真が入っていますが、あれなどは消費者の求める「使用価値」を意識しているかどうかは分かりませんが、生産者の責任の所在を明らかにして、生産者が交換価値だけを求めるのではなく、消費者の使用価値の満足を担保しているということでしょう。

結局、商品は、生産者が丹精込めて消費者の使用価値に応えるべく、生産されたものこそが消費者のためになるということです。「安物」とは単に売れれば良い、交換価値だけを求める粗悪品であるということです。自分の仕事に対し、社会のためにお役に立っているという満足感もなく、ただ単に売れれば良いと言う社会風潮こそが現在の大きな社会問題の根本にあります。そういう意味では生産者、消費者の社会連帯がなくなっているということです。

ガラクタを買って捨てる、ということではなく、江戸庶民のように生産者と消費者の顔が見える、商品の使用価値を十分意識した「職人の技」即ち真に価値(使用価値と交換価値)ある商品だけが「安物でない」証拠です。

価値のある、少々お高いものを買ってこれを大切に使いことこそ、富の蓄積もできるでしょう。ヨーロッパのアンティークなども「職人の技」の結晶であり親から子、子から孫へと引き継がれる「財産」なのではないでしょうか。
家だって、ローンが終わればガタガタでは子供たちでも「相続」なんてしたくないでしょうね。豊かさは蓄積されなくなってしまいます。
あのーですね、ものの考え方だって、親から子へ、子から孫へ伝わるんですよね。だから『これはやすかねーゾ。』ということです。
posted by やすかね at 12:00| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

昨年母親の歳を越えたのですが、やっとのことで先人の言葉の意味が理解できるようになったと感じています。「安物買いの銭失い」とは安物ばかり買っているとお金も貯まらない、貧乏生活が続いてしまう、ということでしょうね。
その外「三つ子の魂百まで」とか「人の振り見て我が振り直せ」などあります。
わが国は昭和三十年代から所得倍増計画という名の「消費革命」が始まり、大量生産大量消費の社会が半世紀続きました。

当時、貧しいながらも老後の心配をする人もなく、水も空気も当たり前にきれいでした。それから五十年、家の中はモノ物モノであふれ、タンスに二〇年も袖を通さない安物のスーツもあります。
老後は心配であり、米より高い水も飲んでいます。
ローンが終わりそうな家は大胆なリフォームが必要です。
将来ある子供達の脳はゲームで壊され、家族の団結力も弱くなっています。
今年は物ではなく、江戸庶民に習い自分に投資を心がけますが、これはやすかねーゾ。

今年も、皆様とご一同様の生活がこれからも自然と家族に囲まれ豊かであり続けるようにお祈りします。

二〇〇八年元旦
千葉市中央区中央四丁目十六番一号 建設会館ビル二〇二号 
電話 〇四三―二二二―四六八〇
弁護士 伊 藤 安 兼
posted by やすかね at 07:15| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

まだあるか、神奈川県警

12月20日の読売新聞に神奈川県警の警備部(犯罪捜査でなく公安、オウムなどを監視するところで、刑事畑より出世が早いと言われる)の現職警視が「霊感商法」に関与している。とのショッキングな事件が報道されていました。

『また、神奈川県警か』ということですが、小さいところでは機動隊によるイジメ、大きなこところでは、共産党幹部の自宅盗聴事件がありました。この盗聴事件は、後のオウムにつながる大きな事件でした。

共産党幹部の自宅盗聴は、坂本弁護士一家殺害事件の発生した当時、共産党が弁護士を立て、神奈川県警を追求しており、坂本弁護士一家が行方不明となったとき、多分共産党系の同僚弁護士などが県警に捜索依頼をしたところ、これまた推測で言いますが、『なんだ、共産党の弁護士か、やる気はないね。』ということで、県警は『坂本さん一家は、外出している可能性がある。』あるいは、オウムのバッヂがカーペットの下から発見されても『(オウムの犯行としたい人間の)偽装工作の可能性がある。』ということで、神奈川県警はオウムの強制捜査に入りませんでした。

その結果、オウムは捜査機関を甘く見て地下鉄サリンなど世界的にもトップニュースとなるテロを敢行したのでした。

この様なことを考えてきますと、捜査機関トップが、消費者被害を拡大させているだけでなく、いかがわしい宗教で日本の若者をたぶらかしている宗教組織と深いつながりを持っていることは、防衛庁で訓辞を垂れていた事務次官が賄賂漬けであったと同じような質の悪い、なんとも気持ちの悪い事件です。

それにしても、組織というのは、社会保険庁もそうですが『組織の伝統』みたいなものがあるのですかね。昔から、近くの警察も評判がよくないのですが、心配です。そういえば坂本事件が発生した頃の刑事部長が後の千葉県警察本部長として赴任してきたと聞いています。

このように、悪質な公務員の犯罪を見て、『こんな悪質な事件は、そう多くは、ないだろう、もう終わりか、もう無くなったか。』と考えていると、忘れた頃にまたどこからともなく、悪質な事件が出てきます。

この様な話をしていますと、『やすかね、また死刑制度を進めろ、と言うつもりか』などといわれますが、そうなんです。やっぱ、公務員犯罪の最高刑は死刑を法定しておく必要がありそうです。
19日の読売、アメリカでは1965年以来となる死刑制度廃止がニュージャージー州議会で可決され、知事が署名した、との報道がありました。しかし、同州の世論調査では死刑適用の選択肢を残しておくべきだとの回答が78%に達している、そうな。
仮釈放無しの終身刑として一生独房で送る事が死刑と比べどの程度文化的か、難しいですね。
以下は、インターネットからの読売新聞の記事です。

神奈川県警の警備課長、仏画「霊感商法」に関与
 神奈川県警警備部の吉田澄雄警備課長(51)(警視)が、「霊感商法」の拠点とみられる東京都港区の事務所の名義人になっていることが19日、同県警の調べで分かった。
吉田課長は、高価な仏画を販売するなどの「霊感商法」に関与していた疑いがあり、県警は20日に解任を決め、調べを進める。県警はほかにも関与した警察官がいないかを捜査しており、警察組織を利用した霊感商法事件に発展する可能性がある。
 事務所は高級マンション内にあり、山梨県に本社のある会社の出先の拠点となっている。県警は9月から内偵捜査。吉田課長が事務所の賃貸借契約の名義人になり、頻繁に出入りしていることや、吉田課長の口座に不自然な多額の入金のあることを確認した。
 調べによると、同社は「占いによる運勢・姓名の鑑定」などを主な事業とし、全国各地に数十か所の事務所を展開。「ヒーリング(癒やし)」や「祈願」などを名目に客を勧誘し、仏画や書、書籍などを数万〜数十万円で販売している。県警は法外な金額で売りつけていたとみている。県警警察官5、6人も物品を購入していたという。
 マンションの管理人が9月、「人の出入りが多い部屋があって不審だ」と住民らから苦情を受けて調査し、契約者が吉田課長と判明した。
 マンションの賃貸借契約書には、連帯保証人の欄に吉田課長以外の警視の名前が記載されている。県警は、吉田課長を中心とする霊感商法グループの実態解明を進める
posted by やすかね at 11:51| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

人の為す事これ『偽」なり

人の為すこと、これが『偽』りである。と言うのが今年一年を漢字で表したと決まりました。人間社会すべからく虚偽虚構と言うわけではないでしょうが、今年は、工場の「排水データ改ざん」、高校の単位「履修偽装」、食品会社の「生産日偽装」「賞味期限偽装」「産地偽装」、材料メーカーの「強度偽装」、など様々な偽装が明らかとなり、政治の世界でも相変わらず混乱が続いています。

世間にとって最も影響のある大きな偽装は「リーダー資格偽装」と言いますか、能力もないのに「見栄」を張って「美しい日本」を作るんだということで登場した安倍首相でしたが、もうどんな理由で辞職したか、忘れてしまいました。国会議員の二世は衆議院議員になる資格がなかったのでしたっけね?選挙と世襲は同じ意味だったですかね。それが日本の民主主義ですかね。

こんなことを考えてきますと、結局日本人は会話力がないと言うことでしょうか、これでは、いまいち意味が分かりませんね。そこでもう少し突っ込みますと、要するにコミュニケーションが取れない、まだわかんないですね。そうしますと、エート、結局、日本語で十分な批判ができていない、と言うことでしょうか。

「企業のコンプライアンス」などとどこかの国の言葉で意味内容をあいまいにしているこれも「偽装」ですね。では、日本語で「法令遵守」というと、単に法律を守るだけでもよさそうなものですが、なんとなく日本人のルールに対する曖昧さ、本来、法は「これを破るものは許さない、きちんと責任をとってもらう」、ルール破りは「絶対」許さないという、毅然たる態度まで必要なのですが、どうしてもメリハリが利かない社会が日本ですね。

日常生活で考えますと、日本人の多くは、相手方を批判しない、できない。相手を批判すれば自分も批判され、それが辛いから相手を批判できない。そこで誰でも表面的に「お互い、傷つけることのないように、そっと付き合う」これが日本社会を悪くしていないでしょうか。

以前はよく一緒に酒を飲んでいた人が、何かの理由であまり一緒に飲まなくなったので、ちょっと考えて見ましたら、何のことはない、「あんたの話、本当のところ、ちっとも面白くないよ、脈絡はないし、いつも同じで、50年さき、100年さきでサー。」

本音で話をする、相互批判し、口喧嘩もする、しかし、その後では、後味の悪さを家で少々反省する。この様に一日三回反省する、これが辞書の三省堂の社是だったのでしょうが、経営者は反省をしないで、正しい「批判」でなく、お互いの悪口を言い合い、経営を放り出し、結局倒産しました。お客様に最高の品質の食材を使い、最高のおもてなしをする、こんな吉兆も材料の仕入先を偽り、結局倒産するでしょうね。『ほら、頭が真っ白だった、って言いなさいよ』と教えてくれる母親の隣で二代目社長は『先代に悪いことをした。』などと反省ができていませんから。要するに世襲の二代目は鍛えられていないのです、批判されたことがないのです。

日本と言うか、東アジア(中国、朝鮮半島、台湾と日本、ベトナムは入らないか?)は古くから、朝貢体制によって支えられてきた伝統的中華世界(朝貢を通じて皇帝に忠誠をしめし、皇帝は諸国の自律を認める、という中国を中心とした世界)の中にあり、現在日本は、中華世界に飲み込まれてはいませんが、しかし中華世界の歴史的遺産として東アジアは、漢字や儒教文化を共有しています。

漢字は冒頭書いたようにすばらしい文化です。人が為すものこれが『偽』というように物事の本質を突いています。今の日本人より、アメリカの日本人三世、四世の方が「大和なでしこ」である(日本に住んでいる日本人は大和を忘れている)、などとも言われますが、そうは言っても儒教そのものより、それが習俗として日本人の心の中に内面化した勤勉、信義、権威と秩序への信従などの要素がわが国の政治経済に大きく影響しています。

しかし、この儒教思想の残した中に『批判』が少ないのではないか、そんな思いもしますが、『批判』は修行のなかで当然の前提として備わっていなければ、修行の意味もないでしょうから、結局何も達成できないでしょう。やっぱり『批判』は大切です。批判なくして学習もできません、しかも馬鹿は褒めると木に登ります。

儒教思想ではありませんが、日本人の思想のルーツは紀元前、日本列島に住んでいた人たちが、未だ縄文文化の時代に中国大陸で形成されてきた文化にあると思います。そこで、原点に遡って学びなおす、そこに日本の「再生」があると思います。

将来を展望するには、過去の歴史を学びその中の限界を意識しつつ、現在を検証する。日本人の意識で大切なことは、安っぽい民主主義はいらないと考えることと思います。奇麗事をいって、全員参加などといっていますと、全員が政治に参加すれば、政治は絶対に混乱し、容易に正しい結論は出ないでしょう。社会のリーダーは、大衆に迎合することではなく、そこから一定の距離を、間合いを、保ちつつ人間とは何か、人の意幸せは何かと考えつつ社会を発展させることでしょう。やっぱ、疲れますね。ここまで読んでいただいてありがとう。
posted by やすかね at 07:05| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

佐藤優「知の技法 出世の作法」

最近、直近の記憶力が衰えておると思われる方が多くなっていると思います。私もこんな風に適当にブログを書いているのですが、一番の宝は自分の文章ですから忘れてしまった事を「日記」風に見直すことができることです。

そうは言っても記憶力を強くしたいとの思いは、何時も考えています。この様なことを考えていたとき先日もご紹介しました「週間東洋経済」にあの佐藤優氏の連載がありました。

私も、何時だったか忘れましたが、佐藤氏が『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を書いたことをこのブログで紹介しました。そのとき同氏が、取調べの検察官とのやり取りを詳細に再現しており、「ここまで詳細に記憶することができなければ『スパイ』はできないのか」と大変な衝撃を受けたのです。

その佐藤氏が、東洋経済に「知の技法 出世の作法」を連載しているのでした。私の手許には第23回からありますので、若干ご紹介します。本物の「直近記憶喪失」の方には効果はないでしょうが、未だその境地に達していない人は、今すぐ実践が必要でしょう。

22回で(今、手許にない)人脈構築のための会食の方法(確か、さりげなく高給なレストランを使用するような話でした)を話したあと、23回では「歴史や寓話を引用して相手の本音を導き出す」、24回は「大切な会話の中身を忘れないための工夫」、25回「アルコールは情報収集の強力な武器になる」、26回「会話を“映像化”して記憶に結びつける」27回「耳の力を鍛えれば記憶力は向上する」、28回(12/8)「会社という組織には左翼と右翼が混在する」と続いています。(28回からは会社内での人脈構築ですので以下略)

人脈を作るため会食し、相手の本音を聞きだしこれを記憶にとどめる。という流れの連載ですが、概略します。
まず、23回「歴史や寓話」では、92年モスクワの外交官や情報専門家の間でエリツィンとルツコイの関係がどうなるか関心が集中していたとき、政府要人に「ルツコイがエリツィンを裏切るか」と直球の問いかけでは本音が聞けないので、猜疑心の強いエリツィンとルツコイ副大統領の関係を聞き出すのに、まず織田信長と秀吉、光秀の話をしてから、「ルツコイは秀吉か光秀か」と聞いたところ、政府要人の8割が「光秀」と答えた。

翌年の93年10月ルツコイは正面からエリツィンと対峙し、ホワイトハウスに篭城しエリツィンは戦車の大砲を打ち込んでルツコイたちを逮捕したそうです。情報がピンポンです。

もう一つ重要な情報としてプーチンの政権が長期政権になりそうであるとの情報も『カラマーゾフ兄弟』の話をしながらとったと説明しています。最近ロシアでは与党が大勝し、プーチンは後継者を指名し、以後プーチンの長期政権が現実のものになりました。これもピンポンです。

佐藤氏はこの様にしてとった情報を東京に送っていたのですね。もっともこの情報をわが国政府要人が生かしきっていたか、疑問も残りますが・・バリの環境会議で日本は「化石賞」を戴きましたが、世界のNPOの情報が取れていないようです。

24回では、外交の世界で「多忙につき、貴官とはお会いできない」との返事が来たときは、その後はどんなに頑張っても、面会が実現することはないそうです。

社会人は誰しも「多忙」なのである。その中から時間を捻出して面会や会食の時間を作るのが「約束」だそうです。ですから「多忙である」という理由で断ってくるのは「あなたと合う時間はない。」という意味である・・が日本語を理解するロシア人やアメリカ人から「最近の日本のビジネスマンは『忙しい』『疲れた』を頻繁に使い、とても違和感があるといわれてそうです。

私も「忙しい」という言葉を特に意識したことはなかったのですが、よく知り合いから「弁護士と議員で、お忙しいですか」と聞かれるたびに「いやー、たいして忙しくない。自分の意思でやっているから嫌だったらやめれば良い」などと、答えていましたので、その答えは一応「正解」だったのですね。

25回「アルコール・・」では面白いのが、ロシア風の「男と男の約束」は、最後に互いに相手のパンツの中に手を入れ、シンボルを握り合って誓うことだそうです。まだ一度も男と男の約束はしたことがないですね。やぁー驚きました。

26回は冒頭に書いた東京拘置所での検察官とのやり取りを説明しています。相手方との会話の最中の様々な動作と共に映像として記憶に結びつけるのが効果的ということです。

27回は「絶対に覚えておかなくてはならない」と自己暗示をかけ、音を聞きながらテキストを読むと記憶力強化に効果がある、そのとき自ら理解していないことは記憶できないから、音を活用して記憶するにしても読書によって教養の水準を向上させておくことが、メモを取らない記憶術に重要との事です。

28回は、北方領土の戦略について触れていますので、興味ある方はどうぞ。リクエストがあればこのブログでご紹介します・・・メールはito@yasukane.jpです。

posted by やすかね at 19:05| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

「私、怒ってます-♪」

「週間東洋経済」12/8号が特集を組んで「覆い隠される貧困」(生活保護基準切り下げで始まる悪循環)を掲載しています。(以下のカッコ内は読みやすくするために追加したのですが・・どうなることやら)

10月「生活扶助基準に関する検討会」が発足し、「生活扶助」が健康で文化的な最低限度の生活費として過不足がないかを検討しようというものですが、生活保護費2兆6千億円の内32%を占める生活扶助(因みに医療扶助は50%)を切り下げようというのが本音でしょう。

政府の考え方は、「最低生活費」を「健康で文化的最低限度」という憲法の基準ではなしに、@(生活扶助を受けている人では)「単身世帯の基準額は第1・十分位(調査対象者を収入の低い順に並べて十等分した最も低い人)より高い」A(母子家庭など)「多人数世帯に有利」B(これまでにも首都圏と地方の格差があるといわれているのですが、ここでの議論では)「地域間の消費実態の差は縮小している」などとこれまでの議論を纏めているようです。

政府は(これに先立つ)04年12月「生保ありかた検討委員会」が『年間収入階級第1・10分位の世帯の消費水準に着目することが必要』との一文に着目し、(生活保護基準を考えるについて、何が健康で文化的な最低限度の生活かと考えるのではなく)一般世帯のうちで最も低収入の階層との比較によって生活扶助費の多寡を検討するよう、要請したようです。(つまり、生活に必要なものを積み上げてこれを金銭に換算するのではなく、生活保護を申請しないで生活する人の中で生活水準の一番低い人たちと比べて、生活扶助費を考えて下さいと、各委員にお願いした)

(この様に考えてきますと、生活扶助費を考える際、労働者の賃金水準が大いに問題となるので、そこで、わが国の賃金の決め方がどうなっているかと視点を変えてみますと・・)ところで、先日の新聞報道によりますと経団連が賃上げの必要性を認めたようです(12月4日毎日にも報道)が、これは労働者派遣法(いわゆるピンはね法)が容認され、企業が低賃金政策のもとで、空前の利益を上げながら一方で、国内消費が落ち込んでも(国内経済に関係はないと考えている。)企業業績が上昇すれば、わが国の景気は回復すると考えたこと(これまでの考え方)が間違いであることを認めたものでしょう。(しかし国民全体の消費が実は、国内経済にものすごく重要であるから)個人消費が堅調であれば、日本経済に好影響を与えるのです。

即ち、単純に考えて、労働者の労働分配率(企業で生産し販売した時、その収益、儲けを経営者側と労働者との間でどのくらいの割合で分けるのか、双方の取り分)が低ければ(逆に企業の分配が多い)、幾ら企業の設備投資(企業が、設備投資をして外の企業で生産した財貨を消費する)を拡大しても(大多数の国民の)消費水準は上がらず在庫が増大するだけ(労働者にはお金がないから買えない)です。

逆に設備投資を増やした分だけさらに企業の生産力が上がり、在庫の拡大が進み不景気(不景気とは、作ったものが売れないということです)が拡大することは、誰が考えても判ることです。

そこで、どこまででも個別資本(資本家集団ではなく、各企業がそれぞれ自分の所の儲けを如何に増やすかと考えるのが普通)が勝手な利益追求(労働分配率を低く抑えて低賃金低福祉をすすめる)をすることを許していれば、わが国でも、この経済の悪循環(労働分配率が低いので、景気を拡大しようとして設備投資をすると、また企業の生産力が増大して、作ったものが売れなくなる。そこで更なる設備投資をしたいのであるが、限界がある)がはなくならない。そこで、経団連がようやく、国内消費を増大しなければ景気回復が進まないことを理解し、各企業に賃上げを求めた(史上空前の利益を上げているのであるから少し分け前を増やせ)ということでしょう。(個人消費はGDPの6割を占める)

結局、わが国の基本政策のところで「学者」といわれる人々が色々論じても、物事はなんでも単純が一番です。今回の生活保護基準の「切り下げ」も考え方の筋道(21世紀の現在での健康で文化的生活とはどういうものかと考えずに、貧困層の収入と比べて生活扶助費を決めること)が間違っています。基準は「健康で文化的最低限度の生活」これは、最下層の生活をしている貧困層との基準ではないのです。

(ここからわき道に入っています)これまでの政府(経団連)の考え方で言えば、低賃金政策を推し進めれば、フリーターといわれる不安定職業がすすみ、晩婚から少子化どころでなく、「奴隷以下だよフリーター」(04年3月18日、喜怒哀楽171頁)に書いたとおり、若者が結婚すらできません。因みに、現在の非婚率は50代で12.5%だそうです。(個人の人生観にもよりますが、あなたの周りにいませんかということで)直ぐ周りの人が思い当たりませんか(と書きました)。

若干わき道に入りましたが、低賃金政策の結果、(政府が考え、委員会に検討をお願いした結果)貧困層が拡大すれば、それに応じて生活扶助費を引き下げる結果が「健康で文化的」という、憲法の考え方に合致しないことは明白です。

ですから、冒頭に議論の内容を纏めたと言われるように@の間違いは明白(そもそも比べることがおかしい)であり、Aも母子家庭などでは85%の母親が働き(母親が働きもしないで家でごろごろしていない)、母子家庭の平均年収(100万円に、届かない人も多い)は全世帯平均の37%、213万円であることを見れば明らかにおかしいし、Bは「地域間の消費実体の差が縮小している」(から首都圏の扶助費が高すぎる)との論理で、全国平均から算出した低い第1・10分位の生活水準に、東京23区などの首都圏での保護基準を下げる屁「理屈」です。

結局21世紀での健康で文化的最低限度の生活は如何なる程度か、と原理原則から検討を加えなければ、わが国の生活保護世帯はボーダレス社会ですから(企業は、世界中の賃金を比べ、人件費の一番安いところに生産拠点を移動するので、日本国内の賃金水準も低下の一途をたどり、これを基準にして生活扶助費を引き下げれば、結局生活扶助費で生活している人々の生活は)中国並みの生活に(引き下げられる)なるのではないかと考えます。

それでは低額宿泊所などで生活している生活保護者の問題(宿泊所の経営者などは単身で生活しているもと労働者の高齢者の扶助費12万円から10万円を経費として徴収して儲けている)をどうするのだ、などとおっしゃるでしょうが、それは法律の定め方と運用の仕方が悪い(例えば正しい求職活動をしているか、自立するための支援が有効かということ)のです。

わが国では全てのルールがあいまいでメリハリがなく「なぁーなぁー社会」だからでしょう。権利を大切にするが、しかし権利の濫用は絶対許さないという厳格さが必要です(権利を主張するものは責任と節度を持ってやるべきだと考えるから)。


例えば上級公務員の収賄1000万円は「死刑」(公務員は頭が良いから法律に決まっていればやらないでしょう)、覚せい剤3回は「死刑」
(これは外国から不良外人が『日本の刑罰は緩いから、仮に見つかっても執行猶予だな』どということでどんどん輸入してくる。

また覚せい剤は他の犯罪のきっかけにもなるから、交通事故のように過失でなく、知っていながら犯行が行なわれるのと異なり、悪質であり、まして営利目的となりますと、中国では一発死刑と聞いています。それゆえ覚せい剤事犯は厳罰に処すべきと考えている。(既に、中国で密輸に利用された日本人のホームレスが死刑になっている。)

詐欺罪(100億円単位での詐欺事件は珍しくありません。5億円稼いで5年の懲役では、一年1億の稼ぎですよね)は全ての財産没収(家族(犯罪者の家族が財産を隠しているから)も追及)、など悪党は絶対許さないという社会的風土が培われる必要があります。

そのためには、小さいときから裏切り者、卑怯者、弱い者いじめは許さないという教育が必要です。子供のときからゲームなど禁止して昔ながらの正義感を育てる「正しいものには味方する、赤っ胴、鈴の助♪」のような教育が求められています。
 
posted by やすかね at 18:03| 千葉 ☔| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

光陰矢の如し

議員も続けていますと何時も「くそまじめ」な話でなく、たまには冗談を言ってやろうと考え、古今亭志ん朝のまくらに、『光陰矢のごとし』とは「光陰とは『矢のようである』?!」とあり、客にもうけていたので、後援会の会合で真似をしてやったところ全く受けませんでした。ひょっとすると「光陰は矢のように『速い』。」とほぼ正解を言ってしまったかも分かりませんが・・

人がどのようなシュチュエイションで笑うかは年齢が大きく影響しそうですし、教養というか言葉の能力にも関わるようです。

お母さんに抱っこされお母さんの背中越しに見える幼児には、目をみてニコッとしてから自分の目ん玉を視覚の範囲内一杯に上から左、下から右とぐるぐる回すだけでとても喜んでくれます。もう少し年齢が行きますと、「奈々ちゃん何しているの」と聞いておいて「なんだ、パジャマ着ているのか」とやるだけで笑うのですね。

11月3日、某社会福祉法人で挨拶する機会がありました。天気ははっきりしないようですが、当日のTVでは高気圧が北から張り出してきていますが、高気圧といえばなんでも晴れるかというとそうでもないようで、中心からどの程度はなれているかによるようです。

そんな、こ難しいことはともかく、冒頭の来賓挨拶で某副議長が「・・お天気に『恵まれ』今日いちにち・・」とやりましたので、ついで私が「今副議長は『お天気に恵まれ』と言ったんですが、そうではなく、実は今日本列島に高気圧が張り出しています、しかし若干天気が悪くなりそうなので、私が気象庁にお願いして、今日一日天気を持たしてくれとお願いしてありますので、皆さん一日安心してお楽しみください」と話したところ、これが受けましたね。

最近とてもつまらない話は、南総の地域懇談会での市長の話でした。原稿も脈絡もなくベラベラしゃべっていましたが、全く退屈なことばかりでした。しかし、話は聞く人がどこに重点を置いているかに係るのですね。休憩時間に某OBが執行部の人に『市長は原稿もなく話せるようになったのですね。』と褒めていました。きっとこの方は随分と長い間市長の話を聞いていなかったので、原稿を持たないこと自体にある種の驚きを感じたのですね。そういえば知事の話など絶対原稿ですから・・

私とずいぶん感想が違いましたので、執行部の人に「脈絡もなく、ちっとも面白くなかった、だったら、町会長の集まりなので『皆さんの声を、ご意見を伺い、行政に反映させることは市議会と並びとても重要なことです』などとヨイショしてからやればいいのに、でなければ原稿を作っておいたほうが良いよ」などと言いましたら、幹部は「一応原稿は用意してある」と答えていました。そんなことでご挨拶は難しいですね。

前の選挙の前ですから、もう丸々4年前以上ですが、私の企画で友人らとゴルフのメッカ、アメリカはパームスプリングスでゴルフをすることになりました。発電用風車が一杯ある風景を通り過ぎ、目的地につきました。コンドミニアムに泊まりながら現地で留学中の研修生の案内で数箇所のゴルフ場を回る予定でした。

初日は天気に恵まれ、さすが砂漠の中のリゾートゴルフ場、下手は下手なりにゴルフを楽しめたのですが、二日目、何と物凄い大雨、雷もなり、砂漠のゴルフ場は川となり、完全クローズとなりました。現地の関係者も『20年もここにいるが、こんな天気が荒れたのは初めてだ』と数十年ぶりの雨にびっくりしていました。

折角の企画が大雨にたたられ、参加した一同どこにも怒りの持って行き場がないらしく『安兼は雨男だ』と言い始めました。こっちは先に「雨男」などと言われてしまい、怒りの持って行き場もなく「冗談じゃなぇー」と言うのが精一杯でした。

その後千葉に戻ってきてからも「やすかね雨男」と言う評判がウチの業界で広がりました。人の口に戸は立てられませんから仕方なく「何でもいいや評判なら」と、言わせとこうと考えてから、既にあっという間に4年が過ぎてしまいました。

ところで去る10月の27日ですか、千葉県内の会計士の団体から我が新撰組にゴルフの果たし状が届きました。『どこか接待ゴルフ場がないか』と私に問い合わせがありましたので、この前教育長の古希記念ゴルフでベスグロを出してゲンの良かった森永に電話したところ、『土曜日で満員です』とのこと、やむなく行ったことはないのですが、評判を聞いている鳳琳カントリーに電話をして「土曜日ですが7組キャディー付きでお願いしたい。」と申し込みました。知らなかったのですが、鳳琳は全部キャディー付きなのですね。

4〜5日前の天気予報は晴れだったのですが、天気は週間予報などというのは毎日変わり当てになりません。それでも2日前まで土曜日の天気はなんとか持ちそうでした。しかし、そのころ太平洋沿岸に低気圧が発達し、驚いたことに台風になったと言うことです。

季節変わりの、しかも日本列島沿岸で台風に発達した低気圧などというのは聞いたことがありませんでした。前日夜、何人からか携帯に連絡があったようですが、運転モードにしていたので何の電話か分かりませんでした。土曜日の朝になると前日から台風がだんだん接近し、雨も降っていました。それでもスタートしてしまえば何とかなる雨でしたので、自宅から約35分かかる鳳琳カントリーまで車を進めました。

信号待ちで昨夜の電話に対応したところ、『台風だけどやるのか』と予約を入れてある私まで聞いてきたのです。お城のような石垣の門を潜りゴルフ場に着きますと、年配の先生一人がドタキャンした外、他のメンバーは全員着いていました。皆さんフロントで手続きをすることなく、『談合しよう』と騒いでいます。会計士の方とも『談合しよう』と言っています。弁護士の方は私の顔を立ててここまで来たが、「これじゃぁーできない」との結論のようです。

その内、誰かが知り合いの会計士さんらと話をしたらしく、戻ってきて言うには『おう、会計士さんたちは、すごい好きな人がいてやりたがっている』と言うことです。そのようなことを言われては挑戦を受けた方でも逃げるわけにも行かず、「やる」ことにしました。
しかし、「やっぱり帰る。」と言って、フロントで受付をしないでまた高速で千葉のほうまで帰った人が出ました。はるばるご苦労さん。

結局5組で「千葉県二士会対抗ゴルフ」はスタートしました。最初から台風の土砂降りですから、大変です。しかも幹事がノータッチだなどとルール説明していましたので、大変なゴルフとなりました。どうにかこうにか9ホールを回ったところ、さすがの会計士さんたちも『台風が段々激しくなるので、もう止めましょうか』と言うことですので『挑戦者が止める言うなら仕方ない』とばかり前半だけで終わりとしました。

懇親会は、場所を変え千葉市内の「湯葉料理」で滞りなく行われ、各自自己紹介しながら感想など述べ合いながら懇親を深めました。ハーフ47回でベスグロの私は「数年前、私が企画してパームスプリングスでゴルフをしたとき大雨にあいました。砂漠のゴルフ場が川になり、それ以来私はどう言う訳か『雨男』と言われるようになってしまいました。奇しくも今日10月27日は私の58回の誕生日です。」とご挨拶をしました。4年間は、全く光陰矢のごとしでした。
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2007年10月07日

簡単な石焼芋の作り方

【最初に結論を書いておきます。「科学」の好きな人は、最後まで見てください。200グラムの芋では、新聞紙(布巾など)に包み加熱2分、解凍10分でできます。芋の大きさと電子レンジの出力によって時間を調整してください。芋が小さい場合、芋の加熱が急激に進みますと、芋の甘さが少なくなりますので、その調整には、コップに水を入れて芋と一緒に電子レンジで加熱してください。因みにコップ一杯の水は約200グラムです。これで電子レンジの出力調整ができればOKですね。09.11.14 ポイントは『解凍』です。】
日曜日の朝、所ジョージさんの「目がテン」を見ました。今回はさつま芋がどうしたらおいしく食べられるか、というテーマでした。結論として蒸かした芋と比べると、石焼芋は糖分が3,5倍になるということで美味しいということになりました。

では、何故石焼芋が美味しくなるとかというと、芋の澱粉が糖質に変化するには酵素の働く温度が65度から75度の範囲(最適温度)ということで、石の中でじっくりと加熱することで最適温度の通過時間が、釜で蒸かす場合ですと約1分であるのに対し石焼の場合は10分間となり、この時間が決定的だということです。
そこで番組では芋料理専門の店で、昔ながらというわけには行きませんので、鯛の塩焼きなどのように芋を塩で包みこれをアルミホイルに包み、オーブンを使用して200度で芋の塩焼きを作っていました。その結果とても美味しい焼き芋ができたようですが、たかが芋を大量の塩と電力を使用して調理することは一般的ではありませんので、番組を見ながら、考えました。

要するに、芋が加熱されて65から75度Cの最適温度の通過時間を10分間維持することが芋を一番美味しくするなら、家庭でどんな調理料理方法があるかということです。

皆さん、今までラップに芋を包み電子レンジで「焼こう」とした人もいるでしょうが、固かったり、甘みがなかったりで、何度も失敗している人も多いと思います。原因は、芋が急激に加熱されて、澱粉が糖質に変わる時間がないからです。)

しかし、ご安心を「失敗は成功の素」です。要するに、電子レンジでは芋の温度が急激に上昇して最適温度を「あっ」という間に通過してしまうことが失敗の原因ですから、そこをじっくりとさせることができれば良いのです。

そこで、思いつくままやってみて、成功しました。適当な芋を一本ラップに包み、これを電子レンジで加熱し、手で触ると「熱い」程度(約60度)にします。重さ200グラム程度の芋ですと、この時間が約1分半です。次に電子レンジの「解凍」にして約9分間過熱しました。(500グラムなら3分と12分くらいです。冒頭補足しましたが、電子レンジの出力調整が難しい場合、コップに水を入れて調整します。)

その結果今まで電子レンジでの失敗が嘘のように13分少々で美味しい焼き芋ができました。石焼芋が45分であるのに比べ、なんと手軽に美味しい焼き芋ができるか、是非やってみてください。

なお、二回目にはラップでなく新聞紙に包んでやってみたところ、ラップでは水蒸気で芋が濡れてしまうのですが、新聞紙でやればこの水分を紙が吸ってくれます、「不衛生」とお考えの方は、布巾などで包んで調理してください。(2014年11月5日)本物の石焼芋のように香ばしい芋が「焼け」ました。結論:芋を新聞紙にくるみ、電子レンジで、強火で1分半あと「解凍」にして10分、美味しい「石焼芋」の『一丁あがりー』。

要するに、芋を美味しく焼くポイントは最適温度状態を10分間維持すること、これにつきますので、釜でふかす場合も若干の工夫が必要でしょう。くどいですが、電子レンジの出力を減らす場合には、コップの水を電子レンジに添えてください。

posted by やすかね at 15:41| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

「日本人」の言葉の乱れ

自分が年をとったのですかね。若者の使う変な日本語がずいぶんと気になっていたのですが、井上ひさし氏がテレビで『言葉の乱れは気にならない、言葉は使う人によりすべて異なる。』というようなことを話していました。

まさに言葉は「創造の連続」です。また放送大学でも方言としての「東京弁」はあるが、「標準語」というような言葉も認めていないようでもありました。

なにはともあれ、私たちは言葉なくして考えることもできませんが、頭のなかで一人考える、人と会話をする、電話をする、文章を書く、それぞれの場面で自分の使っている言葉が異なっていることに気がつきます。

一人考えてある「場面」がでたり、日本語であったりしますが、人と会話をするときになりますと、「そこまで突き詰めて考えているのか」「結論を聞いているのに、何で先に結論が出てこないのか」「相手のことを考えていないな」「自慢話か」「あっ、人のせいにしている」などなど様々な感情が入り混じりながら、相手の話を聞いています。

まさに言葉が生きていることが分かります。目の前の人を見ながらの話ですから、相手の顔色、服装、身振り手振りなど「雑念」も入ってきますので、相手の言葉に全集中しているものでもありません。

しかし、これが電話となりますと情報は相手の声だけです。間合い、イントネーション、声の大きさ、発音の明瞭さなどですが、そのほかの「雑念」が入りませんので会話より相手方の感情がストレートに伝わってくるようです。

この点は相手方にとっても同様の状況ですので、私は電話では何時も注意を怠ってはいないつもりですが、時々話が終わった、と思う瞬間受話器を置いてしまい、相手方に失礼なことをしてしまった、と反省するときもあります。最後には「どーも、どーも、どーも」「はい、はい、はい、」などと何も同じ言葉を繰り返す方もいらっしゃいますが、受話器を置くときに十分の注意を払っているのですね。

最後に書く文章ですが、これは自分の考えていることを周りの環境を無視して一方的に話すのですから「文は人なり」といわれても万全の注意を払うことはできず、人前で裸になると同様大変なことです。何より、文章が流れなければ、決してそれ以下は読んでいただけません。

受験生の頃は他の受験生から質問を受け、これに的確に答えられる人は極めて少数ですし、自分の答案を知り合いに見せることは、自分の頭の中が見透かされるような「危機感」を感じ相当の度胸が必要でした。

しかし、色々議論をして始めてわかるのですが、実際は他の受験生も「正しい物差し」を持っているものでもありませんので、自分の書いたものを読ませても「書いた人も読む人もお互いさっぱりわからない」状況でした。

面白いのが、人の文章を読んで「よくわからない」と言いますと書いた当の本人は「なぜ分からないのか」というように訝っています。この様な人は、自分の文章を読んで他人が理解できないところは、自分の頭の中で知らないうちに「添削」しながら読んでいるのです。

会話でも同じような事が毎日あります。証人尋問などになっても『この人は本当に日本人なんであろうか、全く日本語が分かっていない』と思うことがしばしばあります。単語とすれば日本語ですが、論理的におかしいのは勿論、単語自体もつながっていないのが日常茶飯事です。

井上ひさし氏が『日本語の乱れが気にならない』と言うことは恐らく『ちがくない』などという程度の単語についてだと考えますね。「日本語を話せない沢山の日本人は『日本語のみだれ』の範疇に入っていない」と理解して納得しておきましょう。最後まで読んでいただいてありがとう!
posted by やすかね at 06:38| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

女性県職員、暴言で懲戒

今日(2007年9月10日)の新聞報道によりますと「上司に『バカヤロー』女性県職員を減給処分」(読売、毎日)との見出しで59歳の職員が10%減給3ヶ月の懲戒処分を受けたとの報道がありました。
職場で暴言を繰り返し、厳重注意を受けたあと、7月に上司から定時に出勤するように指導を受けた直後から暴言が始まったとの報道です。
この報道を見て、県の職員で退職間近となれば年俸は900万円ほどになるのではないか、勤務時間についても県職は相当でたらめ(20年以上9時5時の週35時間)でしたので、早速電話をして色々伺って見ました。会話は、とても和やかにしていた事を最初にお伝えします。
まず給与のことですが、「その本人でなくとも良いですから、県の職員の給与は、どの程度ですか」と伺ったところ、『平均年齢44,4歳で44,8万です。』そこで、「退職間近の59歳ですと大体年収900万円くらいですか、時給計算すると約4500円ですか、優秀な人に仕事をしてもらいたいから、高くても仕方ないとしても上司に暴言を吐いている女性職員なんか、減給でなく懲戒解雇したらどうです。」
と厳しいことを良いますと『解雇まではできませんので・・』と煮え切らない返事ですので、「懲戒解雇して人事委員会に訴えられても良いではないか、絶対首だ、どうせ仕事もしていないでしょう。」と強く申し入れしますと『ご意見として伺っておきます』と公務員らしい答弁です。
「ところで、県の最低賃金は、お幾らかご存知ですか」不意の質問らしくまったくご存じないようでした。そこで一昨日の新聞報道に従い『時給706円です、昨年より19円値上げになりました。』上司に暴言を吐きながら、仕事などしないであろう59歳のオバサンが時給換算約4500円(福利厚生費など別途)あと一年で2〜3千万円の退職金を税金から受け取る輩もいれば時給706円(これ以下で働いている人も沢山います)で言いたいこともいわず我慢して働いている人も沢山いるのです。タクシーの運ちゃんなど最低賃金は稼ぐ事ができないようです。
あまり突っ込んでもいけないので、ついで勤務時間について伺いますと、・・実はもう大分前ですか、長い間、県は、9時5時で週35時間しか勤務せず、週40時間の労働時間を割り込んでいたのです。朝9時頃、ゾロゾロゾロ足を引きずりながら、ダラダラと登庁していました。そこで「勤務時間は何時からですか」と伺うと『8時30分から5時30分までの人と、9時から6時まで、選択制となっています。』とのことです。
「それで、誰が勤務時間の管理をするのですか」『庶務の人がチェックします。』(これは、全くデタラメ)「庶務の人が5時半に帰ると、6時に帰る人の勤務時間は誰がチェックするのですか」『・・・』こんなやり取りでした。
因みに8月16日の朝日では最低賃金の報道があり「先進国で最低水準 英仏1000円以上」。9月4日の読売では「初任給大幅アップ」大卒20万5074円だそうです。
県の職員で一番腹の立つ事は、質問権のある議員には、一年生議員に対し課長以下(出世に響く)平身低頭ですが、県民等の声は、殆ど聞きません、逆に、様々な知事許認可を職員が審査しますので、エラソーでどうにもなりません。何とかなりませんかね。

国の経済は、生産物が消費されない(在庫)と不景気になるのですが、「ワーキングプア」が多数を占めるようでは、購買力がありませんから、景気は良くなりません。また、社会の治安も悪くなり、お金持ちは「ゲッテイングタウン」で生活するのですかね。セコムを完備してね。
posted by やすかね at 16:37| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

無批判のススメ

今回の選挙、大変お疲れ様でした。私は、自分の信条として一生成長すると言われるワニを見習い、反省と自己批判を繰り返して行きたいと考えているものですから、喜怒哀楽にも「批判のススメ」を書いたりしました。

しかし、事態は大分異なるようですね。他人からご批判を受けることに対しては大多数の人は耐えられないことのようであることを実感しました。

先日野球を身に行ったのですが、前列の客が旗を振っての応援は良しとしてもその旗が、私の目線上のピッチャーとキャッチャーの間で振られるので、目がちらちらしてしまうので、トントンと肩を叩いて、「止めてもらえないか」と言ったところ、その仕返しに「お前の足がくさいではないか」といってくるのですね。挙句は隣の男が立ち上がり威勢良く僕の首筋辺りに触れながら「表へ出ろ」とばかり騒ぎ始めました。

このアホな二人ずれ子供のときから、一切の批判など受けずに「良くできたわね」などとおだてられて育ってきた年代でしょうね。ですから他人から一寸でも注意をされてしまうと一気に切れてしまうと感じました。とにかく野球のファンは相当壊れている人がおおいので、(お前もそうだ!と言われそう)注意が必要と感じた次第です。

何はともあれ、人様への批判などすることは大変なことで、それが自分へのプレッシャーになり、これが自分を成長させるエネルギーだなどと言ってもなかなか受け入れられないことですかね。

それにしても、この様な批判を許さない社会風潮が進行しますと、電車の中でうら若き女性が男に強姦されているのを見ても見てみぬ振りをする社会になってしまいます。

僕が現場にいたらどうするか、考えましたが、ネクタイを外し、後ろからそっと近づいて、男の首にネクタイを巻きつけて一挙に背負い投げを食らわすだろうと考えました。この方法はアメリカ軍がベトナムで解放戦線の兵士を殺害する方法であったと聞いています。まだ試したことはありませんが、多分致命的結果をもたらしても女性を助けるべき状況でしょう。

仮に犯人が死亡しても、報道に有った通りの状況(ヤクザ者が凶器など持っている状況を推認できるなら)であれば、将に「急迫不正の侵害が存在してやもうえない行為」として電車の中での強姦犯人を殺しても正当防衛で許されると考えます。

現実社会で生きていれば、ホームに落ちた女子供を救うため、命を張るときもあるでしょうから、一応はその可能性を考えておいても良いでしょうね。

今日は、こんな恐ろしいことを書くつもりでなく、選挙では市民の前で「他人の批判などしても絶対に得票に結びつかない」ということを肝に銘じた、そんな趣旨のことを書くつもりでした。

先日も、私の親戚が親戚代表で挨拶をした葬儀に於いて、私が批判していた人がなんと亡くなった人の母親と従兄妹と言うことで、世間は狭いからめったな事で他人の批判などせぬ方が良いと考えた次第です。場所と時間、メリハリを利かせての批判が必要ですね。批判は議会の中でやらしていただきます。職員の皆さんどうぞ宜しくお願いします。
posted by やすかね at 12:29| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

しばし、お休みです

最近ブログへのエネルギーが不足しています。特に6月の改選期を迎え、精神的余裕がありませんので、今日は全く「俗っぽい」ことを書いて選挙の終了するまで、暫らく休みますのでご了承下さい。それでは、稚拙なことを言って少々
(6月中旬ころ)まで休みます。

市民病院のドクター不足で病院の運営がおぼつかなくなっています。要するにこの医師不足には様々な理由があるでしょうが、要するに医師としては納得のできる仕事ができる環境ではないということでしょう。

以前は医師の国家試験に合格して2年間のインターンという修行時代があり、各大学の医局で国公立の医療機関に若い医師が派遣され、現場での腕を磨いていたいと思います。

しかし、資格を取得したのにさらに修行をしなくてはならないというのでは、そもそも資格試験の制度に矛盾するでしょうし、自分の希望しない医療機関では十分な技術を取得できないとの不満もあったと考えます。その外にも様々な理由が存在するのでしょうが、部外者には分からないことが多すぎます。

いずれにしても、現代は社会のあらゆる場面に大きな矛盾が存在している事と無関係ではないと思います。

事故に遭い困ったときのために保険をかけていてもいざ事故が発生してもなかなか保険会社が保険金を支払わない、社会保険庁は年金を支払うのが仕事であるはずなのに日本全国に無駄遣いの極みの様な施設を作って国民の保険金を湯水のごとく無駄にしていた、関東地方くらいの地域がいっぺんに住めなくなるような事故の発生する可能性のある原子力発電所で数十年にわたり危険な法令違反を繰り返していた事実、日銀総裁が株取引に投資をしていた、また詐欺グループが社会的弱者から虎の子の生活資金を騙し取るなど、社会のあらゆる場面に正義に反する事が蔓延しています。

その様な中での医師の立場を考えてみれば、人間の体など何時急変するか分からないものであるにもかかわらず、患者が死亡したりすれば直ぐ医療過誤訴訟を起され、当時の医療水準を維持していなければ裁判で高額の慰謝料を請求される事になります。そうなれば日常的に医師と患者の信頼関係が無いところでは、仮に医師はこの患者に必要な治療を施そうとしても完璧に処置をしなければ何時裁判所から呼び出しがあるかも分かりませんので、結局本当は何割かの確率で救命できたかも分からない患者でも積極的に患者を救ってみようという治療はしなくなってしまいます。

毎日の生活が食べるにやっとという人でなければ、多くの人が自分の仕事に生きがいを感じているはずですから、単なる給料の多寡では仕事をしないはずです。また失敗は成功の基といいますが、大過なく治療をしておけば、仮に患者が死亡しても責任は取られないであろうという後ろ向きの治療しかできません。この様な社会では新しいものにチャレンジして医療技術を進歩させることもできませんし、医師としても仕事に生きがいを感じられないことになります。

同様のことは学校の先生でも同様ですし、社会のあらゆるところで同じことが言えます。苦労して新しい事をしても仮に失敗すれば責任を取らされるのでは新しい事をするな、社会進歩などということは考えるなとなってしまいます。


posted by やすかね at 16:34| 千葉 ☔| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月02日

エイプリルフールでも許せない嘘

4月1日はエイプリルフールでした。皆さん、そういう自分も同じなのですが、最近余裕がないようで、尤もらしくて一寸考えれば「嘘」と分かる上手な嘘をつけなくなりました。

アンケートによりますと日本人が毎日どれくらい嘘をつくのかと言いますと、大体平均で2個弱、これに対して毎日自分がどれくらい嘘を着かれているかというと0,9個だそうです。これを見ますとやっぱり日本人は性善説ですかね。
他愛のない嘘は、日常生活の潤滑油ですから大いに嘘をついても良いのではと思います。

しかし、許せないのは日本中の電力会社の原発についての「嘘」です。日本は原子力発電では「世界の先進国」です。科学技術大国のアメリカでもロシアでも大きな原発事故を起し、原子力発電は「危険な技術」と考えているのでしょうね。事故以来原子力発電を火力・水力に大きくシフトしていると思います。フランス・ドイツでも原子力は危険ということで世界中の認識は一致しているでしょう。

確かに、地球温暖化などのことを考えますと、原子力発電の重要性は理解できるのですが、そのためには原子力三原則(開発利用は平和目的で、民主的運営、自主的に、成果を公開)という考え方があり、わが国もこの三原則で研究・開発・利用をしていると思っていたのです。

ところが、02年東電のトラブル隠しの後、昨秋の中国電力のデータ改ざんから始まった改ざん問題が拡大し、出るわ、出るわデータ偽装・データ改ざんが電力12社から出てきました。

結局、スリーマイル島、チェルノブイルと同規模の事故が起こっても不思議でないほどの臨界事故が発生していたのです。

動燃の臨界事故では、バケツの核分裂で2名が亡くなりましたが、原発心臓部での臨界は「メルト・ダウン」の可能性もあったと聞きます。仮に、もし、核分裂を制御できなければ、半径50キロに住んでいる人を非難させる必要も生じたでしょうし、日本国中パニックになったと思いますと「これから十分注意するように」などという事では済みません。

9,11テロのとき、僕が真っ先に考えたことは、日本中の原子力発電所から半径50キロに近づいてきた航空機があるならば、それが仮に500人の乗客乗員がいるジャンボでも自衛隊のミサイルで撃墜しなければならない、などと考えるほど原子力発電所の危険性は高いはずです。

わが国の企業のコンプライアンスなどというと良く分かりませんが、明らかな違法行為の常態は恐ろしい気が致します。

いずれにしても、自ら勤務している会社でも違法行為があれば内部告発など当然という社風の出来上がっている会社が必要です。民主主義は、公開原則があって初めて成立するものですから、内部の隠蔽体質の残っている会社などは民主主義の敵と考え、社会からの駆逐が必要です。
posted by やすかね at 15:22| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月25日

最近は、イッパイアッテナ

最近、齋藤洋著「ルドルフとイッパイアッテナ」T、U、Vを読みました。主人公である「雑種」の黒猫ルドルフが、元飼い猫(タイガー)で名前もあったものの長い野良猫生活を続ける中で、魔法使いのおばあさんのような人、学校の先生、学校給食の調理員さん、魚屋のおっさんなど様々な人から色々な名前で呼ばれており、ルドルフとの初対面のときルドルフから名前をきかれた際タイガーは「いっぱいあってな」と答えたところ世間ずれをしていないルドルフから「イッパイアッテナ」と呼ばれるようになってしまった「もと飼猫」タイガーとの友情溢れる物語です。涙あり、笑いあり、怒り、あだ討ちあり、楽しい読み物です。

この小学校中学年から高学年向けの本なのですが、どうして猫が勉強しなければならないか、字が読めるとどんなに良いことがあるのか、教養のない人間は「血統書」を大事にするとか、友達同士の信義を大切にし、助け合う姿、フーテンの寅さんではありませんが「それを言っちゃーおしまいよ」というような、言ってはいけない言葉など、今の子供たちだけでなく子供たちの親に呼んでもらいたくなるような内容の濃い本でした。いずれにしても童心に帰って楽しめた本でした。

またその外、伊藤真の「高校生からわかる日本国憲法の論点」(潟gランスビュー)を読みました。自分でも憲法は理解しているつもりでしたが、改めて読み返すと自らの浅学非才振りが明らかとなりました。

教育基本法が「改正」され、国家に必要な教育がこれから行なわれてゆく事になりますが、次の狙いは憲法改正です。新聞報道などでの憲法改正論議は憲法の基本原則すら理解していない連中が「押し付け憲法」とか「普通の国家になるため」などといっているのですが、「水に溺れなければ空気のありがたみがわからない」(137頁)といわれるように今の憲法が空気のような存在であることを理解する事から始まると思います。

中でも適正手続きの問題も「喜怒哀楽」では、間違いではないでしょうが、「自分が決定に参加すること」(13頁)等と「民主主義」の観点から書いて「正義の法」というところに行き着いています。しかし、この本ではもっと分かりやすく適正手続きとは「結果が正しいかどうかわからない場合、手続きの適正さによって正当性を説明するしかない」(102頁)と説明しています。

50年先100年先の政策が正しかったか間違っていたか、今は分かりません。その頃には五井駅東口よりも加茂の運動公園が市原市の中心になっているカモ分かりません。(市原市外の人に!今、市原市では市長を先頭に50年、100年先の都市づくりに向け、五井駅東口の開発を進めています。この結果がどうなるか、多分良くなるだろうとは、思いますが、誰も確信はもてません。)

即ち、この本を読んでみて初めて、50年先を見越した政治判断が「絶対正しい」とは分かりませんし、この政治的決定が正当性(姉崎森林公園のように一部地権者の利益などというものではなく、市民全体の利益・福祉増進となる)を持てるためには、この政策決定に対して適切な手続きが踏まれている事が絶対必要と分かりました。市民に対して、特別委員会程度の議論で適正手続きは十分保障したと言い得るか、検討が必要です。

その結果、仮に50年先にこの政治的判断が間違いであった事が明らかとなっても適正手続きが行われているのであれば、五井駅東口開発は「仕方なかった」となるでしょう。

現在夕張では、巨額赤字で地方自治体が再建計画を練っていますが、この赤字全てを住民にしわ寄せするのが北海道と国の考え方です。確かに市議会も執行部の決定に対し、唯々諾々と承認してきたのでしょうが、ここまで巨額の赤字を作るまでには北海道も国も箱物行政を進めていたわけです。ですから、市長と市議会を選出したのは住民だから、この赤字を全て住民にしわ寄せするとしたら、それは「正当性」が欠けるでしょうね。

どうしてか、炭鉱が撤退したとき既に、正確には分かりませんが、巨額の赤字を夕張市が引受けた経過があるそうです。わが国の銀行は数兆円もの不良債権を抱え、これを政府自民党が公的資金を注ぎ込み、国民の金利をゼロにして銀行を再建させ、そこから自民党が政治献金を受け取る構造が再開するようですが、今のところは「自粛」だそうです。(12/20産経)

TVで前長野県知事田中氏が、民間会社だって会社更生法が適用になれば、債権カットをしているのに、夕張では債権カットをせず、これでは「棄民だ」と言っていました。
posted by やすかね at 16:14| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

いい加減なラジオ法律相談

最近は車を運転中、酒を飲む、とんでもない!そうではなく、放送大学の講義を聴いています。放送プログラムもなく、途中から突然スイッチを入れますので、何の講義かわかるまで多少時間がかかります。突然、オイラーがどうのカントがどうの、またマグニチュードなどといいますから、地震かなどと思うと左にあらず、恒星の明るさだったりします。

しかし、皆目判らないときはTBSラジオを聴きますと、映画監督の人生相談(これは為になります。)とか、福島瑞穂の法律相談などをやっています。この法律相談はアナウンサーが「弁護士の福島瑞穂さんです。」と紹介されますと、「弁護士の福祉までーす。よろしくお願いします。」と言うと相談する人も「よろしくお願いします。」と言うのですが、福島さん、さらにくどく「こちらこそ!」などと長ったらしい挨拶をしているので、大概は直ぐスイッチを切ってしまうのですが、先日は70歳の人の相続の相談でした。

しばらく聞いていると、どうも亡くなった母が遺言書を書いてくれていたので、安心していたところ、この遺言が自筆証書遺言で弁護士に聞いたところ、要件が欠けており、無効であると言われたので、兄弟に遺産分割の印鑑を貰ったのですが、亡兄の長男長女から、弁護士を通して「遺留分を欲しい」といわれたようです。

福島さん、これらの話を聞いていて、最後に「結局幾らかお金を払う事になるかもしれませんね」等と説明していました。

この話し、福島さんを含め、三人の弁護士が出てくるのですが、三人ともアホですね。最初の弁護士は、要件が欠けているので、無効である、と断言し、折角の遺言が全く意味のないことを伝えたようです。二番目の弁護士は遺言が無効といわれているのに、「遺留分侵害」などと説明しているのです。三番目の福島さんは、一番の責任がありますが、例え法的に無効の自筆証書遺言でも場合によっては死因贈与として、遺言と同じく法的効力を認める(土地の移転登記など)可能性があることを全く説明しませんでした。

どういうことかと言いますと、仮に自筆証書遺言が署名はあるものの捺印が欠けていて、自筆証書遺言としては無効でも周囲の状況から、遺言者の意思として遺産を誰かにあげたいとの意思が明白で、この「遺言」で財産をあげるといわれている人が遺産を受け取る(貰う)意思があれば、これは「契約」である死因贈与として、財産を取得する可能性もあります。(遺言は単独行為)

即ち、「遺言で土地をあげる」といわれている人は、外の相続人を相手にして、土地であれば、母は私に土地をくれると言っており、私もこれを貰うから、土地の移転登記をしてください、と訴えれば、土地を取得する可能性がないわけではないのです。

これが、数百万円程度なら、弁護士ですから損害賠償などできるでしょうが、数億円だったらどうします。(こんなにあればラジオでは聞かないでしょうが)弁護士が間違ったことを教えてしまい、その結果数億円の損害が発生したら弁護士も支払不能です。因みに損害賠償ですから破産しても免責となりません。

ラジオから聞いた簡単な話でも、なんと三人もの弁護士が法的見解を間違え、金を取って平気なのですね。ラジオを聴いていてTBSに電話しようかなと思ったのですが、辞めました。教えてもらった途端、『あっ、うっかりしていました。』などと、自らの過失を平気でいるのが通常だからです。

何時だったか、NHKのBSで4月28日が何の日かわからない有名なテレビのキャスターが平気で沖縄の話をしていました。「こいつ馬鹿じゃないの」、と思いNHKに電話して『4月28日は、いわゆるサンフランシスコ平和条約で日本が沖縄の施政権をアメリカに渡した日であり、沖縄の人は日本に捨てられた4月28日を沖縄反戦デーにしているんだ』と教えたやったのです。

しばらくして、テレビのキャスター自分を恥じることも無く『BS放送ってのは、すごいな、直ぐ電話してくる人がいるんだ』などと言っていました。

大体、マスコミの連中は、野良犬の救出劇をセンセーショナルに報じ、そのあとどうすんですかね。唯一の救いは、この犬が野良犬でその外にたくさんの元飼い犬が薬殺処分を待っている画面を流していました。これで何頭かの犬が救われると思います。

そこでまた一つ思い出しました。八千代警察でしたか、玄関先に可愛いシェットランドが檻にいれられ「保護」されていました。

受付で「あの犬、どうするのですか」と伺ったところ、『迷い犬として警察に連れてきた人がいるのです。遺失物なのですが、生き物なので保護センターに送ります。』ということです。保護センターとは名ばかりで、一週間で薬殺処分をしてしまいます。

それを知っていましたので、「もし、買主が現れなかったら、私が貰いますから連絡してください。」と言って帰ったところ、数日経過し警察から『まだ買主が現れませんから』というので「分かりました、引き取りにいきます。」と連絡をいれたところ、しばらくして『署員で欲しいという人がいますので、どうしますか』ということなので、「結構です。もし殺されるとしたら可哀想なので引き取るつもりでしたので、」と一安心したことがあります。

世の中、知らなければ済んでしまいますが、知ってしまった以上放置できないこともあるのです。こんなことを考えていますと、マスコミは全く無責任ですね。あの野良犬引き取り手がたくさんいると報道されていましたが、野次馬根性で躾けのできていない野良を貰ってどうすんですかね。きっと犬が「逃げ出し」引き取った無責任者はほっとするんでしょうね。
posted by やすかね at 20:15| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

無責任の放置国家

昨日付け朝日は、「公的資金は生きたのか」と掲げ、3メガバンク(三菱UFJ、みずほ、三井住友)は、8,1兆円を返済して「不良債権問題は事実上幕を下ろした。しかし、公的資金の返済を終えたものの、経営や仕事振りがかわったのか、」と疑問を呈し、古い体質に嫌気がさして優秀な人材が外資に流れ、専門分野は育たず、相変わらずの横並び融資が幅を利かせ、国際業務、法人、個人など特定分野で強みを発揮するという理想は色あせた。そうです。

この間(公的資金注入から現在まで)、銀行は窓口でのサービスの低下、ゼロ金利での高い利益を上げたものの、不良債権処理で法人税は払わない状況であるにも拘らず、政治献金を復活する話も出ているそうです。

10月26日産経新聞によりますと、三菱グループなど6代銀行グループは平成18年度決算で3兆円の過去最高となる最終利益を計上したものの、決算期をまたぐ(赤字企業は最大7年繰越できる)不良債権処理で三菱UFJは二年半、三井住友3,3年、みずほ4,4年かかる見通しとなっています。

個人は、火事などの災害があっても、空き巣狙いで損害を受けても「損金」の処理を数年間引継ぎ、税金の支払を免れる、ということはありませんが、法人は最大7年(海外では15年の例もある)間「損金処理」ができるのです。

結局銀行は、ゼロ金利という国民の「利益」を収奪することで巨額の利益を上げながら、自らの経営姿勢から被った巨額の不良債権のために税金支払を「免除」される事になるわけです。銀行のエリートたちがヘマをした尻拭いを国民の税金で処理する事が、銀行を健全化し、ひいては我々国民の利益にもなるという論理です。

社会保険庁でも、さんざん無駄遣いをしても結局責任をとる連中はいません。10月31日産経は、社会保険庁が購入した美術品が「ただ同前の資産評価」で処分されてしまいそうであった事が会計検査院で指摘されたそうです。例えば企業が車を100万円で購入しても5年使えれば毎年20万円ずつ「損金計上」して6年目は「0円」の評価をするのですが、社会保険庁の連中!美術品も「減価償却」できるとして出鱈目な会計処理をしていたのです。

わが国の無責任体質には驚くばかりですが、仕事をしていますと銀行(に限りませんが)の無責任体質にも憤りを感じます。例えばですよ、アパートに入っていた住人が「アパート代を払うなら、同程度の支払でマンション、一戸建てを変えます。」といわれ、銀行ローン(不動産は、買主が外でアルバイトをしているとの書類を作り、審査を通させる)を組んでも収入が少ないから、間も無く支払が困難になり、相談に来ます。

もっとひどいのは先日、悪徳不動産業者が同じようにアパートの住人を捕まえ、「投資目的でマンションを買えば、老後の生活が安心」等と必要もないマンションを買わせ(不動産業者は価額2千万円なら5百万円、5千万なら2千万円は契約をして銀行ローンを組ませれば儲ける)、弁護士に相談してきました。

話を聞いていると、それは「詐欺」だから契約を取り消しして支払をするなとアドバイスし、同時に銀行に対しても「あの不動産屋のやっている事は、詐欺だ、今後の支払をしない、今後その不動産屋と取引しないほうが良いのでは?」と言うと、銀行の担当者何と言うと思いますか?信じられないでしょうが「それでは今後、その不動産屋にはローンを組ませません。」などとは言いません。

「支払が止まれば、保証協会に対して代位弁済の請求をします。」としゃぁしゃぁと言い抜けるのです。思わず「っえ、詐欺で訴えないのか?」と言っても銀行員は自分のお金ではありませんから、平気なのです。

同じようなのは、クレジット会社でもあります。多重債務者を連れまわし、情報が回るまでの時間を利用して、金を借りまくり、カードで買い物をたくさんさせ、ひどい奴は韓国にまで同行してカードをたくさん使わせその利益を殆ど取り上げているので、「詐欺」だ、と言って警察に駆け込んでも警察では「詐欺の被害者はカード会社である。」と言って取り合っていただけません。

カード会社も多重債務者が支払不能となって破産しても「損金処理をすればよい」と考え、この様な多重債務者を利用する悪人が、二度と同じような悪事を働けないようにきちんと被害届けを出す、などということはありません。

この様な様々な「無責任の放置」の結果、わが国は詐欺天国なのです。どうすれば警察が動かないか、最初から仕組んで詐欺を堂々とやって、ベンツに乗っている輩を見ると、どうしても血圧が高くなります。

posted by やすかね at 12:29| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

日本人の規範意識・「なぁーなぁー」体制

少々、小難しい話ですが、「日本人の規範意識」はどうなっているのでしょうかね。9月議会でも喋っていたのですが、横断歩道脇で、歩行者が車の止まるのを待っていても、殆どの車が止まらないし、制限速度40q/hのところも殆どの車が60`以上で走っています。

昨日視察の帰り、羽田からアクアライン・バスの一番前の席を陣取り帰宅しました。トンネルの中で、何度も「速度落とせ」の表示が出てもバスは、制限速度80`のところを100`で軽快に走っていました。五井まで45分が所要時間ですから、定期便の運行自体速度超過で組まれているのです。

トンネルの中も80`は安全で、100キロでは危険だという理由もないでしょうから、最初から速度規制自体がおかしいのですよね。以前アメリカからの対日要求で高速道路でのバイクの二人乗りの禁止が解除されましたが、日本では不合理な規制というのは、社会のあらゆる場面で存在し、国民全てが、この不合理な規制を平気で無視して、社会全体が動いているように思います。

偶に一罰百戒でルールの存在自体が知らされますが、基本的には「依らしむべし、知らしむべからず」(国民を支配するには、権力に全てを委ねさせ、国の掟は国民に知らせるな、と言う事でしょう)で国のルールが存在し運営されているようです。

それでも、最近では談合問題等アメリカからの影響を受け、徐々にルール無視が問題である、というような雰囲気になってきたようです。枚挙に暇がありませんが、中央官庁を筆頭に、トップの日銀ら金融機関、隠蔽体質(公害、欠陥、事故)の民間大企業、警察の裏金作り、保険会社の不払い、などなど「コンプライアンス」などといっていますが、要は「規範意識の欠如」ですが、これは日本全体に蔓延しています。

この原因は何処にあるのでしょうか、と常々考えていたところ、最近の「高校の必修科目逃れ」問題が出てきました。子供たちは学習指導要領の中身など知らないでしょうから、子供に罪はないのですが、良い大学に入るため、予備校と化した高校に入学して専ら受験教育を受け、知らない(?)間にルール無視の恩恵というか、利益を受け、一流大学から、さらに一流企業、高級官僚になっていたのですね。多分、その人たちの親もそうだったのでしょうかね

日本人は相互批判の習慣には不慣れですが、ひょっとすると、社会の上層部にいる人たちは、今の自分があるのは高校受験(もっと前?)からルール無視をしたお蔭である、と思ってはいないでしょうか。頭の良い連中ですから自分たちが必修科目を受けないのに単位を取得して卒業したことは十分知っているでしょうね。そうであれば、もし自分が他人様に何かを言うとき、必ず自分に何か跳ね返ると考えたら、「なぁーなぁー」となりますかね。

最近は道路の駐車禁止なども厳しくなり、ルールを守れ!との圧力が強くなりましたから、段々良くなるでしょうか、期待します。あとは子供の虐待などに見られる社会現象がなくなれば良いですね。これなど、「俺の子供」の観念から「子供は社会の宝である」と考えを改め、虐待した親からは親権を剥奪し(取り上げ)然るべき施設(児童養護施設など)できちんと教育する。

あとは、社会全体のルールを合理的なものに改正して「ルール違反を厳しく取り締まる」、メリハリを効かせることが必要です。

今回の必修逃れに対し公明党は自民党に圧力をかけ、70時間を50時間にする「現実的対応」などといっていますが、良いじゃないか、全てを履修させ、立派に卒業させれば、そうでなければ学習指導要領なんて全く不要で、正直者が馬鹿をみて、千葉県の公立高校をでた人が不利でしょう。不公平で利益を得た(得ようとしている)人達に対して「現実的対応」とは不公正を温存することになります。ルール無視の根本「なぁーなぁー」体制の温存は許せませんね。

posted by やすかね at 15:49| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

幸せって何でしょうかね

憲法で国民は「幸福追求権」を保障されていますが、「幸せになる権利」は残念ながら保障されていません。しかし、この地球上に生きている人は誰だって幸せになりたいと望んでいるはずです。

先日インドにご夫婦で旅行された人から、お土産を頂きましたが、直前にインドを旅した身内から「インドはものすごい不衛生でインドに行くと誰でも下痢をする」などとふれ込まれていましたのでお土産に手が出ませんでした。

しかし、折角のお土産、一人で食べるのは勇気が要りますので恐る恐る数人で食べてみますと中々の味でした。まだ大分残っていますし、もともと賞味期限などありませんので、食べてみたい人はご連絡頂ければ残りを全部差し上げます。

ところで、このお土産を頂くとき、「インドではどんなに貧しくとも自殺者はいない」と伺いました。確かに、テレビなどであの「聖なる川」で沐浴をしている人々を見ますと、あの不衛生と彼等の経済的貧困は想像できませんが、逆にあれほどのところで生きている以上、更なる貧困などないでしょうし、貧困からの自殺など思いもつかないと納得しました。

7月26日の朝日では「8割「幸せ」フィリピン流」と題して貧しくとも幸せに生きている人々の特集をしていました。「生きる事が仕事のような人たちです」「欲望の小さいところに幸せがある」「彼の母親は私の母親」「家族の幸せが、私の幸せ」と短いフレーズですが、意味深い言葉が並んでいました。

その後30日は産経で英レスター大の社会心理学者が英シンクタンクのデータ(178カ国約8万人の聞き取り調査)を解析して「世界幸福地図」を発表したようです。

1位はデンマーク、2位スイス、3位オーストリア、で米国は23位、日本は90位だそうです。中国は82位、インドが125位、最下位はアフリカのブルンジ
(何処にあるか知りません)となっています。

分析結果から@良好な健康管理A高い国民総生産B教育を受ける機会C景観の芸術的美しさD国民の強い同一性の条件が整った国の国民は「幸せ」と回答する傾向のようです。

尤も何を幸福と感ずるか、この分析では先進諸国の指標が重視されているようで、フィリピンのように30倍を越える経済格差があっても、8割が幸せと考える方が「真の幸せ」ではないでしょうかね。

ご参考:因みに昨年のわが国の自殺者は3万2552人、50代以上が半数以上、男性が2万3540人、千葉県は1447人で全国7位(人口は606万8480人で6位)割合4,45%(04年は、4,27%で全国で9番目でしたので悪化傾向)


posted by やすかね at 18:55| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする