2011年01月01日

2011年年賀状

明けましておめでとうございます。今年もご家族ご一同様に良い年でありますようにお祈りいたします。(合掌・アーメン)
 最近、わが国の民主主義は、これで良いのでしょうか、とため息が出ます。ナチス・ドイツも民主主義から生まれ、国を滅ぼしました。わが国では、もう長いこと政治家が天下国家を論ずることなく、選挙で当選(就活?)するため国民に心地良い事ばかり公約(マニュフェスト)して赤字国債を乱発しました。
 現在、国と地方の借金は千兆円に届きそうです。毎日百万円を三千年間使って壱兆円だそうで・・・毎年十兆円返済しても百年かかります。国民の豊かさは、国全体の生産性で決まり、日本は、技術開発と物作りで世界をリードしてきましたが、今や、韓国にも追い立てられ、民主主義など全く存在しない中国に抜かれ、中国では、日本の総人口程の人々が金持ちということです。
 日本は、信念をもった政治家の強いリーダーシップがなければ、破産です。私達の将来のため、中国!何するものぞ! やったろうじゃねぇかって頑張ろう!

2011年元旦 (還暦を過ぎましたので、お正月はゆっくりです。)
              千葉市中央区中央四丁目一〇番八 コーケンボイス九階
                   やすかね法律事務所(043―222―4680)
                               弁護士 伊 藤 安 兼
posted by やすかね at 14:23| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

新聞広告が写す社会像

偶々、千葉日報の宣伝広告欄を興味深く見ました。
これまでの常識で言うと求人広告などが主流と考えていたのですが、「広告」はその時々の社会情勢を映す鏡でしょうかね。

「日報案内」のスペースのうち、横の長さの割合で見ると『ブライダル』が21%、『弁護士事務所』が15%ありました。

弁護士事務所は、現在日弁連会長となっている宇都宮先生などを先頭にして20年以上行われてきた「クレジットサラ金被害者連絡協議会」の活動の結果、利息制限法に違反するサラ金ヤミ金の高金利を最高裁判所で違法金利と認めさせるまでになりました。

その結果、利息制限法に違反した高金利を貪っていた金貸は、現在では金を借りた人から「過払い返還請求」をされるまでになりました。

言うなれば、宇都宮先生を先頭にして社会的弱者救済という「社会的正義」を実践してきたその結果に対し、土足でドカドカと割り込み、新聞・ラジオ・テレビで「サラ金相談無料」と銘打ってその中から『過払い』の取れる「良好なお客」を選別して暴利を貪っている法律事務所が多くなりました。

確かに現在では「過払い」が発生しているかもわかりませんが、既に取引終了から長い間が経過しているにも関わらず、派手な広告で「過払いの掘り起こし」を業とする法律事務所(司法書士事務所もある)は「社会的正義」なんてクソ食らえデスかね。

債務者もサラ金を利用して「助かった」事もあるでしょうが、取引が終了して本人が4年も5年も「放置」していた「過払い」に対し「寝た子を起こす」仕事に「弁護士としての誇り」を感じているか、聞いてみる価値もないですね。

もう一方の「ブライダル」は面白いですね。「医師・弁護士」のほか若干文字のポイントを小さくして「上場会社勤務・公務員・・」など男性会員を募集している「高級」なところもあるなかで、「低学歴・低収入の男性もお気軽に」などとうたっている「国際結婚業者」もあります。「大丈夫かな」と心配してしまいます。

posted by やすかね at 19:08| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

大阪府知事橋下弁護士の懲戒

本日付の朝日(読売では記事がないようでした)で、橋下大阪府知事が大阪弁護士会から業務停止2ヶ月の業務停止処分を受けたとの報道がありました。

この事件は、ご承知のように3年前の5月、橋下弁護士が山口県の母子殺人事件を担当する弁護士に対し、TVを通じて「全国の人ね、あの弁護士を許せないって思うんだったら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」(朝日)などと呼びかけたものです。

弁護士としては極めて問題のある発言であり、懲戒処分は当然でしょうが、それにしても懲戒が認められるまで3年以上の年月は長すぎます。

証拠は、テレビでの発言ですから、簡単に事実関係を把握できますし、判断も難しいことはないのですから、遅くとも1年以内に処分できたことと思います。

民事訴訟でも、慰謝料請求が問題となり、橋下弁護士は控訴審でも敗訴(請求金額は分かりませんが1審での認容額は確か300万円)し、双方で上告(原告は一部認容で不満?)しているとの事です。

現在橋下弁護士は大阪府知事ですが、橋下綜合法律事務所は法人ということですし、橋下弁護士も業務をしていないとの事ですので、懲戒処分を受けても大した支障はないようですね。

そうしてみますと、このような、しょうもない問題(TVで懲戒請求を要請するなどという常識はずれ)で大きく社会を騒がせ、大阪弁護士会の業務にも大きな影響が出て、弁護士会にも損害が発生したにもかかわらず、本人はカエルの面に〇〇で、回りだけがとんでもない被害を被ったものです。

posted by やすかね at 17:16| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

最高齢者の生存確認・お役所仕事

東京都では、都内の最高齢者の生存が確認できないでいた、などという自治体の「不祥事」があいついで明らかになりました。(白骨死体、ミイラ、3,40年前から行方不明、年金不正受給、親族子供も知っていたらしい。)

市原市などでは100歳を超える長寿者に対し、市長自ら「お祝い」にお伺いするようなので、「長寿者の生存確認」など敢えてする必要もないと考えます。絶対止めてはならないお祝いです。

面白い話があります。確か3〜4年前ですが、市原市内の『ゴミ屋敷』の明け渡し訴訟で不法占拠しているのが高齢の女性(婆さん)の名前を使用しているセガレだったのです。

明け渡しの裁判をしても当然被告の婆さんは出頭してきませんが、セガレが答弁書などを提出し、裁判所から出頭するようにとの通知が行きますと、次回の出席を約束するのですが、当日になると「今錦糸町まで来たのですが、急に具合が悪くなりましたので、今日は行けません。」という電話が「付き添い」のセガレからかかってきます。

こんなことを何度か繰り返し、やっと明け渡しの判決を取ってからがまた大変なのです。
ごく簡単に書きますが、(控訴審が終わり)判決確定から強制執行の手続きとなるのですが、執行文はともかく、執行官からの本人へ明け渡し命令の「送達」ができないと強制執行が進まないのです。どうしてかというと裁判所からの文書が「債務者」本人へ届かないことには本人の弁明の機会もないということです。(法治国家というのは、このように不正義の人の「人権」も保障されているのです。)

しかし、裁判所から数度送られる「書留郵便」は保管期間経過で戻ってしまいますので、さらに裁判所から郵便を「発信」した事で「送達」が完了したと看做されるためには「付郵便送達」の手続きが必要なのです。

どうするかというと、弁護士が実際に住所地に赴いて近隣の人から事情聴取を行い「本人そこに住んでいることを確認し、郵便を受け取れる状況である。」ことを裁判所に報告しなければならないのです。

実際に都内の有名な繁華街にある債務者の住所地(どうもこの建物も不法占拠らしく、この建物だけが異様な雰囲気)に行き、外から写真をとり、電気のメーターが回っていること、ご近所の人から債務者の家の状況を聴取するのですが、実際は殆ど会ったことも話をしたこともないようです。

しかし、これでは裁判所に対する報告書を作成するには困りますので『・・どうも3人で生活しているようですが・・』などというご近所から伺った曖昧な話を報告書に書いてやっと付郵便送達ができます。(あまり意味のない手続きであり、これは裁判所の責任逃れのためです。)

このとき、ついでに豊島区役所に対し「住所〇〇の氏名〇〇の人の所在を確認しようとしたのですが、ご近所で伺ってもよく分からない、もう死んでいないのではないか、息子か誰かが年金を不正受給しているのではないか、職権で調べたほうが良いのではないか。」と電話してやったのです。

そしたらなんと答えたと思います?私が『死んでいるのではないか?』といったのに対し、驚くなかれ、区役所の職員は『大丈夫です、まだ死亡届が出ていませんから。・・』この返事を聞いて『エッ・ば・ばかな・・・』と全くお話になりませんでした。

東京都ではこの様な全く信じられない「お役所仕事」をしているから、今回のような「最高齢者の生存が不明」などという全くお粗末な「事件」になるのですね。

それにしても、わが国の司法もやっぱり「デタラメ」というとしかられますが、本当のところこの婆さんの生存が明らかでないと明け渡しの裁判すらできないことになってしまうのです。また仮にセガレが「家は婆さん名義であるが、本当のところ、俺が不法占拠しているのだ」などと言ってくる可能性があるときは「占有移転禁止の仮処分」などという前段の手続きも必要となったりします。

わが国は『性善説』に立ちながら違法なことをやっている「悪党」の人権も保障しますので、きちんと全て法的に正しくやろうとしたときには全く何もできないということも沢山あります。

市原市の12月議会でしたかね、顧問弁護士からの「アドバイス」で土地の共有者がわからないのに「持分権確認の調停」などしようとしたのは?


posted by やすかね at 11:39| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

寒中お見舞い

本来新年のご挨拶をすべきところですが、松の内も過ぎましたので、寒中お見舞いと言うことで、年賀状のご挨拶内容を掲載します。

 【今年から 今年こそはと 願いつつ 重ね続けた 年忘れ会】を例年繰り返しとうとう嵐勘十郎ことアラ還になりました。(注:昭和24年生れの60才)

昔から数え切れないほどの哲学者が、自分の生きている意味を考えましたが、その結論は【人間一人では生きられない】と言うことですね。

自分の仕事が、人様の役に立ち、家族のためにもお金を稼げるなら冥利に尽きます。

人を笑わせる、ホームランを打って喜ばれる、ピエロになって優越感を抱かせる、喧嘩の仲裁をする、弱気を助け強よきをくじく、どれもこれも大切な仕事です。

人生八〇年、七十万八百時間が持ち時間として、お金を稼ぐだけでは「貧しい人生」です。松井はすごいですね、お金でなくやりたい仕事(外野手)でエンゼルスです。社会奉仕活動もしています。【それにつけても金の欲しさよ】と言うのは誰?
posted by やすかね at 16:54| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

十日町の文化芸術

十日町のブログで十日町の関係者にご迷惑をおかけしていたことが、判明し、今先ほど埼玉県の人から頂いたご批判を拝見しました。関係者の方々に陳謝し、次の通り訂正させていただきます。

自分の真意としては視察の結果をわが市原市でも参考にして、南市原のまちづくりの参考になるであろうと考えてのことでしたが、自分の思いとは異なったところで、関係者のみな様にご迷惑をおかけした様です。

文書は、場合によってはこれを書く人の考え、伝えたいこととは異なった印象感想をもたれることで、正にスリルのあることですが、これからも読まれる人に自分の思いを正確にお伝えできるように研鑽を続けながら、楽しく読んでいただけることに努力いたします。

11月中旬南市原街づくり特別委員会で、新潟と十日町の街づくりについて視察にいったんですがね、先だって、それについての報告書を議員全員が書くてぇ事になったんですよ。そいでもって、最初はねぇ、あまり期待はしていなかったのですが、行ってみてたまげましたね、特に十日町人口6万人(訂正させていただきました。)、市街地もいわゆる「市街地」でありませんでした。雪も一年間に12メートルも降り、積雪が4メートルあり、家の一階は雪のしたになってしまうよ。

ところがこの田舎町がすげぇんだよ、なにがすげぇったって、アートだよ、アート最初にびっくりしてもアート・アート
昔しっから百聞は一軒にしかずてぇーこと言いますんで来年の夏はぜひお二人づれで行って見てください。
何が違うって、言ったってありゃぁ文化だね、文化は人間の記憶にのこされた歴史だよね、

そう考えて帰ってきましたが、その後もまたよかったね。
30日この十日町とかファーレ立川などをコーディネートした北川フラムさんの話がきけたんですね、新潟には数百年千年を超える歴史があるが、横浜は高々150年、明治維新までは江戸のはずれの横浜ムラ、だからそこには掘り起こす歴史もなければ文化もない。とこうはっきりと言い切って・・だから横浜ではイベントをしても失敗する、そんなスゴイ話しがきけてアトアトまで感激させられたんですよ。

中田市長は横浜をほっぽり出して、イベントに失敗したからですかね、
十日町の田舎でもあれだけの楽しい町ができるんですから・・市原はこれからですね。

まじめなことを言いますと、芸術は情念じゃないですね、これでもかこれでもかと自分の激しい情念を絵の具でべたべたと塗られた絵を芸術だ芸術だと騒いでいても、多くの人が騒いでいても無視していいんです。子供のような絵、無邪気な顔こそ楽しいし、芸術は楽しくあってしかるべきと思います。
前にこのブログでピカソとかペンキ絵と書いたと思いますが、検索してみてください。
十日町のアートを見せられて「あれもアートですか」と質問したところ『あれは単なる倉庫です』と笑われてしまいましたが、昔からある記憶、日本人の記憶を呼び戻すと市原も「文化都市」になれるでしょう。

posted by やすかね at 18:06| 千葉 | Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

簡単甘酒のレシピ

07年、所ジョージさん出演の「目がテン」をみて「電子レンジでの焼き芋つくり」をブログに発表したところ、大好評です。そこで、柳の下のドジョウを狙って、僕の次なる【簡単〇〇】ということで次は、・・・「簡単甘酒」の作り方をご案内します。

最初に仕事(弁護士と市議会議員です。)がら、理屈に少々お付き合いください。甘酒がどうして甘いのか?「甘いから甘酒だ!」などと怒らないで見てください。焼き芋はでんぷんが糖に変化したのですが、甘酒はお米の炭水化物がショ糖に変わるのです。それですから「偽物の甘酒」には白砂糖が入っていたりします。

また酒かすの入った「甘酒」は落語の与太郎が「酒を一升食って酔っ払った。」というようにアルコールが含まれています。ですから本物のノンアルコールの甘酒とは、また違いますね。

しかし、ここでご紹介する甘酒、これは本物です。最近森永製菓で「甘酒レシピのコンテスト」をやったようですが、審査結果がまだ出ていない(10月31日午後5時現在)ようですので、最優秀賞が出ましたら是非比べてくださいな。

それでは、はじめます。お袋の甘酒は材料が全て米で作った麹でした。昔から麹屋さんは白米一升で麹一升と交換していました。これで麹屋さんは、一体儲かるかなどとご心配は無用です。麹屋さんは米を蒸して麹菌で発酵させますとその分量が二倍となるのです。
米一升があれば麹一升を渡しても手元に一升の麹が残り、これを米の値段で売ることが出来たのです。

ですから、麹屋さんはいつもお金持ちで、我が家は「高価」な麹を使って甘酒を作っていたのです。ところがデスね、この麹100%の甘酒、実はあまり飲み易くないのです。どうしてかと言うと麹は米を硬めに蒸かし、これに麹菌をつけますので、甘酒の甘さを作る「やわらかな炭水化物」が少ないのです。ですから母親の甘酒はいつも米粒が沢山あって甘い汁だけを飲んで米の粒はいつも茶碗に残していました。もったいないことでした。

そこでですね、これが僕の工夫ですが、ご飯を茶碗に2杯ほどナベで十分やわらかいお粥を作るのです。そこに同程度(もう少し少なくとも大丈夫でしょう。)の麹をばらばらにしてなべに入れます。

そのとき重要なことがあります。麹菌は40度C以下ですとアルコール発酵してしまい酸っぱくなります。また60度を超えると麹菌が死んでしまい食べられません。ですから、大事なことはなべの温度を50度前後にして約8時間(一晩)保つことが必要です。40度から60度で甘酒の発酵が進み米のでんぷんがショ糖にかわり、汁の沢山あるのみ易い甘酒となります。

具体的にどうするかと言うと、電磁プレートで50度の設定が出来れば文句はありません。電磁プレートがない人は、炊飯ジャーもそのままでは70度から80度で麹菌が死んでしまいますので、スライダックという変圧器で電圧を60ボルト程度にする必要があります。電圧を下げるなんて難しいと思うでしょうが、電球を直列につなぐ(やっぱ主婦には無理か?)と出来ます。

これも難しいから、最後はなべで麹菌が死なない、すれすれの温度、60度のお粥を作り(そのためには、お粥のなべを、それより大きななべにそのまま入れて、水で冷ます。)温度計がないときは、指を入れると熱くてちょっとがまんができない程度で、『アチィッチィ!』と指を引っ込めるほどの感覚です。

そこに麹を入れ、後は全部をポットにいれて一晩待ちます。朝には家中がほんのり甘い匂いで包まれます。とても呑みやすい汁の多い自慢の「お袋の味の甘酒」の一丁上がりです。
ぜひ森永製菓の最優秀のレシピと比べてみてください。きっと負けてはいませんよ。
(このブログは、弁護士伊藤やすかねの作成です。ご利用の際は是非ご紹介をお願いします。また【やすかね】と検索して「やすかね法律事務所」のホームページもご覧ください。無料法律相談もできますよ。)
posted by やすかね at 17:36| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

ケヤキ一枚板のテーブル

刑務所の木工製品のご紹介です。

修習生になりたての頃、確か科学技術館でしたか、刑務所の製品即売会に行ったことがあります。鞄・靴、味噌・醤油、箪笥・座卓など様々な「商品」が並んでいました。別のコーナーには「性格テスト」もありました。

試しに自分の性格テストを行ったところ「貴方は、すばらしいリーダーです。」と有頂天になれるようなメッセージが出てきまして、それ以来すっかり「キャピックショップ」のお得意さんになり、これまでに、靴とか、枕、マガジンラック、和ダンス、洋ダンス、バーベキューセット等など、身の回り品から耐久消費財までずいぶんと買い込みました。

千葉刑務所に被告人接見などのときは、必ずと言ってよいほどショップに立ち入り、売店のおばちゃんと「無駄話」をしてきます。

先日は、刑務所の塀の中にある展示室を見せてもらった(誰でも見ることが出来ます。)ところ、ケヤキとかカリンの一枚板で作られた重厚なテーブルが並んでいました。しかし、希望の大きさがなく悩んでいたところ、担当者から「工場のほうにも加工前の一枚板があります。」と言うので「女人禁制」の刑務所の中に案内していただきました。

弁護士でも普通入れないところにご案内していただいたところ、厚さも10センチ以上あり、長さ4から5メートルの一枚板が沢山ありました。

長尺ものの一枚板を半分に切ってもらうことは「もったいなかった」のですが、厚さ12センチ、長さ3メートルのケヤキ板を半分にしてテーブルを「発注」しました。

製作には一月ほど必要らしいのですが、何せ中の「職人」は長期受刑者ですので、その腕前は一級品だと思います。自分のデザインした足をつけてもらって12万円はニトリもびっくりです。デザイン性は東京インテリアにも引けを取らないだろうと、今から完成を楽しみにしています。
posted by やすかね at 11:58| 千葉 🌁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

民主党の「国家戦略」

先の総選挙で圧勝した民主党は、選挙の目玉として国家戦略局を設置するとしていました。報道にあるとおり、既にその外郭は決まったようですが、これは、いままでわが国で重要とは思われつつも、自民党政権ではできなかったことで、大いに歓迎すべきことであります。

どうして、できなかったかと言うと、日本を征服したアメリカは、戦後の対日政策の骨格として、日本をアメリカ式の民主主義国家、いわば哲学のない資本主義国家として、丸ごとアメリカナイズしようとしたと思います。その結果、わが国は戦後の国際政治の中で「アメリカのコピー」などと言われ、独立国として独自性を発揮できていませんでした。

また仮に、日本がソ連・ロシアと平和条約を締結して、日本に北方領土が返還されてしまっては、日本国民の反ソ感情が和らぎ、アメリカの世界戦略に大きな障害となるから、アメリカは、日本の北方領土返還交渉には、絶えざる妨害をしてきたのではと思います。

鳩山内閣当時ソ連が、平和条約を締結すれば、北方領土の返還に応じる、と明確にしたにも関わらず、その後の自民党政権では、ソ連との平和条約締結交渉は、議題に上りませんでした。したがって、未だわが国とソ連・ロシアとは、喧嘩をした後の仲直りをしていない状態です。

これに対してわが国の外務省は、善意に解釈すれば省としての国家戦略をもっていたものの、これを政権党及び国民が共有できる基本戦略とすることはできませんでした。長い間、「北方領土返還」というと、だれもが眉をしかめる「右翼」と言うことになりました。穿った見方をすれば、アメリカは、右翼に街宣車で「北方領土返還!」と騒がせておけば、国民の声には、ならないだろうと考えたのではないかと思います。

要するに、これまでのわが国の国家戦略は、政権政党の中には存在せず、北方領土は外務省、エネルギーは経済産業省、日本の食糧は農水省、ということで完全縦割り行政の中でしか論じられてこなかったと思います。

国土交通省は公共事業一本で、国土に対しての国家戦略などなかったでしょうし、道徳も哲学も宗教も教えられなかった文部省も同様でしょう。防衛庁に至っては、完全にアメリカの世界戦略に組み込まれていました。
この縦割り行政の上に、いわば樽の蓋の様に自民党政権が乗っかって、官僚の作文を読んでいたのですね。

ですから、閣議といっても事務次官会議の上塗りでしかなかったものですから、今度廃止されるようです。たぶん民主党はこの様なことを考えて官僚組織の上に国家戦略を束ねる政治組織を構築しようとしていると思います。

posted by やすかね at 16:51| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

総選挙結果と国家戦略について

千葉三区は、民主党と自民党両候補(比例復活)がめでたく当選となり、市原市は国政へのパイプが確保され、さらに拡大してよかったと思います。

ところで、昨日のブログでも書きましたが、バランスの取れないシーソーがバタン・バタンと大揺れするような選挙制度では、国家戦略さえもが大揺れしてしまうのではないか、との危惧感が残ります。

わが国の小選挙区制は、300の小選挙区の外に180の比例代表があり、これが小選挙区の「大暴れ」を若干修正しているのですが、それでも選挙結果は得票率の変化を何倍にも拡大してしまいます。

この点、小選挙区の本家であるイギリスでは、歴史もあり、選挙民が日本ほどマスコミに「踊らされる」ことも少ないでしょうから、今回のわが国の選挙結果のように大揺れはしないでしょう。

なにはともあれ、今回の責任は、全て自民党麻生政権が、国民からそっぽを向かれているのにもかかわらず、解散総選挙を先送りして「傷口」をどんどん大きくした結果です。

昨年の暮れから、自民党も民主党も長すぎる選挙運動にへとへとになり、特に負けた自民党は国会議員が空白となった県連もありますから、そこから立ち直るのは相当時間がかかり、民主党は10年位安定政権を維持できるのではないでしょうか。

もっとも、この民主党政権もアメリカとの関係を十分注意しないと、下手をすれば海の向こうから、とんでもないスキャンダルが飛び込み、それを受けてのマスコミの動き次第では、集団ヒステリーのような国民は、また壊れたシーソーのように大きく揺れ戻しをするのではないでしょうか。

特に北方領土問題でロシアと平和条約を締結するなどという国家戦略は、練りに練らないとアメリカからとんでもない重石を付けられるでしょう。エネルギー問題はアメリカ石油メジャーと食糧問題もアメリカ穀物メジャーとの戦い、世界平和の問題は、場合によっては中央アジアでの紛争地域の影響を受けかねないでしょう。

アメリカとロシアが裏でどのように糸を引いているか、しっかりとした情報収集がなければ、おちおち国家戦略など練れないでしょう。地球環境問題もアジア・アフリカの諸外国の理解を得なければ大変でしょうね。

今日は、千葉三区の選挙結果について、若干コメントをしようと思ったのですが、話がずれてしまいました。

どんな事かと言いますと、3区の自民党候補は、480番目の議席と言うことですが、実は惜敗率(85,777÷112035=76.562)で言いますと、神奈川17区の牧島かれんさん(105806÷139678=75.749)と僅差であり、仮に松野候補の得票が1,134票少ないと牧島さんが当選して松野さんは落選でした。

もっとも千葉3区では有力県議が松野候補を支援したとも聞いているのですが、今回仮に自民党の候補者の票が519票(85,258)少なく、これが全て民主党に行けば、惜敗率は(85,258÷112554=75.748)となり、牧島候補に負けてしまったのです。松野さんどっちに足を向けてお休みになっているのでしょうかね。
posted by やすかね at 14:06| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

民主党と国家戦略

8月30日に投票された4年ぶりの総選挙は,戦後から長い間続いてきた自民党を中心とする政治を終焉させ,これから民主党を中心とする政権によってわが国が運営される事になりました。

この原動力は,国民の政治を変えようという意思と300議席を選出する小選挙区制であることは紛れもない事実です。得票率が数パーセント動くことで,この千葉県でも1勝12敗が11勝2敗に大逆転してしまいます。バランスの取れないシーソーがバタン・バタンと大揺れしているようで,実にドラスチックな変換ですが,この選挙制度の下で,軍事・外交・内政について大きな政策転換があれば諸外国に与える影響も決して小さなものではありません。

今回民主党は,大胆に「脱官僚支配」という事をマニュフェストに掲げましたが,明治以来百年以上国の政治を動かしてきた「継続してきた官僚支配」を政治家が十分コントロールし,国民に約束した「公約」を実現できなければ本当の意味の「国民主権」ではありません。

これまでの自民党政権は,「民主的」(選挙制度で政治活動を含めた表現の自由が最大限に保障されてはいないから,括弧をつけた。)な選挙で選出され,多数党となった自民党政権が官僚の作文を読んで政治を「進めてきた」に過ぎませんから,その政権の実体は,明治以来の天皇主権に基づく政権と質的な違いはなかったかもしれません。

しかし,民主党は官僚支配の打破と言っているのですから,これからは官僚主権ではなく国民主権,本当の意味での民主主義が行われる事を期待します。
その為に,これまでは,言うなれば「継続した官僚」が国家戦略を作成してきたことに対して,今度は民主党が官僚を離れ,国民の立場で独立国としての日本の国家戦略を策定していかなければなりません。また国の政治としてもその時々の政府によって,郵政を民営化する,いや民営化反対だというように,これまで長い間継続してきた事が「小泉の思いつき」のように簡単に変更されたのでは堪りません。ダム工事にしても本当に必要なのか否か,そのときの政権が利権がらみで工事を進めるとすれば,その付けは全て国民が負担することになります。

こう考えますと,国家の基本戦略は,どの政党が政権をとっても大きくぶれない本当に骨太の方針でなければなりません。民主党が目玉とする「国家戦略局」は将来にわたっての基本方針を作成するのですから,世界平和,地球環境,国家の独立,民主主義と人権保障と言う基本原理を守りつつ,歴史・伝統・文化を尊重できる政治が実現できるよう内外の英知を集めてしっかりとした議論が必要でしょう。

非核三原則について行なわれた日米の秘密協定の様な極めて重要な国家情報が,秘密にしておくべき期間が経過したことからアメリカで公開されたものの,この秘密協定がわが国で大きな政治問題となりそうでした。そこで,急きょわが国の要請で,一度公開された情報がアメリカで再び非公開とされてしまいました。わが国では,未だこのレベルの情報公開しかされていません。このような国民に対する情報操作の元で,民主的な国家戦略が出来上がるのでしょうかね。尤も「国家戦略」は諸外国には,全てがつまびらかにはできないでしょうが・・・
posted by やすかね at 14:35| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

弁護士のスイッチ

昨日は,久々にというと「普段はなんだ?」と言われてしまいそうですが,社会派弁護士のスイッチが強力に「ON」となりました。

最近は,インターネットでスーパーに行くことなく,パソコンで買い物ができる「ネットスーパー」と言われる新しい商売があります。利用者にとっては便利でも実際の労働現場では劣悪な条件で働かされる「労働者」が多くなっています。

お客がパソコンで注文をしますと,ネットスーパーでは商品を揃え,これを宅配便で届けるという仕事です。実質的労働者の「宅配業者」は,最大手の大手スーパーの店舗に出入りして,そこから直接荷物をお客の自宅まで配送するのですが,そのときの契約関係は相当複雑になっています。

明治にできた民法では,他人の労力を利用する契約関係は,雇用・請負・委任の各契約で行ないます。請負は他人の労力で仕事の完成(契約関係は終了)を,委任は他人に事務処理をお願いする仕事です。ですから,民法では基本的に他人を必要とする仕事の現場で継続的に仕事をする場合は雇用契約となります。

しかし,雇用契約ですと雇われる人の契約上の地位が雇い主と対等平等ではありませんから,特別法で労働者の保護がなされています。逆に言うと雇い主から見れば,この労働者保護立法が邪魔になりますから,雇い主は何とかしてこの邪魔な法律を回避しようとの動機が働き,労働者に対し,毎日毎日「請負」の仕事をさせる,など言うことが常態となっています。

派遣法では,会社と会社との契約(対等平等)で労働者を派遣しますから,従来の雇い主は契約相手の会社に対して,「あの労働者を変更しろ」等という事は何らの問題もなく行なわれることになります。この様な労働法制があることによって末端の労働者の労働条件は劣悪になってきます。

今回のネットスーパーの仕事は,大手スーパーから仕事を請け負った元請から下請けさらに孫受けとなり,この孫受け会社と安い料金(出来高制で軽自動車を持ち込み3,000円から最大で一日15,000円)で契約した「宅配業者」という労働者は,下請け会社の「従業員」という事でスーパーに出入りして,孫受け会社の社員から仕事の指示を請け,荷物を運んでいました。

孫受け会社は,宅配業者に少しでも気に入らない点があると「契約解除」して違約金を100万円も請求できるとの契約書を取り付けて,有無を言わせず労働者を「奴隷」のように扱いながら,報酬は月末締めの翌々月末の支払となっています。例えば,一月分の支払は3月末の支払です。通常の労働者ですと翌月現金払いで,仮に仕事上の失敗があっても賃金との相殺は禁止されますが,この孫受け会社は2か月分の報酬を先の100万円と相殺し,まだ足りないなどと嘯(ウソブ)いていました。

この孫受け会社は,契約自由の原則とか,法律上の抜け穴をついての正に社会的弱者に対するイジメそのものです。支払を受けられない金額は70万円ほどですから,弁護士に依頼しても大多数の弁護士は依頼を受けないのです。実際「宅配業者」という労働者は労働基準監督署,県庁,市役所さらに,今はやりの「法テラス」の紹介で弁護士事務所を訪ねたのですが,どこでも相談には乗ってくれませんでした。

「弁護士の社会的責任」「社会的弱者の救済」などと口では言う弁護士が多いのですが,実際には,引き受けてくれる弁護士は多くありません。しかし,この話を聞いて憤りを感じない弁護士は,僕はバッチを外した方が良いと考えています。

今回は,民法の報償責任の理論(利益を受けるものはそのリスクも受けるのが正義だという考え)を強力に押し出し,70万円の支払を求め,元受だけでなく大手スーパー含め4社に対し「訴えるぞ」と交渉したところ,翌日目出度く解決となったようです。
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2009年02月28日

不況の原因

 不景気がどうして起こるのか、恐慌の原因は何か、については多くの経済学者はいい加減な事を言っていますが、原理原則から考えれば自ずと結論が出てきます。
 ちょっと長くなりそうですが、今回の不況と金融危機について私見を述べさせていただきます。

それでは、最初に何故不況が起こるのかと言う事ですが、人間は自然に働きかけて生活に必要なものを生産して消費しながら生きています。これは人類数十万年の歴史の中でも変化がありません。

現代は、この生産と消費が資本主義的に営まれています。資本主義は、資本家企業家が労働者を雇って、生産の現場を管理運営し、その利益、半分は税金に取られますが、残りは全部資本家のものとなります。

例えば、資本家が2人、労働者が8人で一億円の生産を生み出したとして、2割の資本家が8割の取り分、この半分は税金ですが、残り2割が労働者の賃金としますと資本家は一人で2000万円、労働者は一人で250万円、税金が4000万円となります。

労働者は貯金などできません(として)から250万円ずつ8人で2000万円分消費しますが、資本家は、相当の浪費をしても一人で2000万円分消費はできないのです。そうなりますと、一億円の生産物は一部売れ残ってしまうのです。

税金分の4000万円で公共事業をして、資本家が労働者の4倍贅沢をしてもまだ、1億円の生産物のうちの2割が売れ残ってしまうのです。そこで、資本家は更なる消費をするために設備投資ということで生産設備を作ります。設備を建設するときは消費をするのですが、これは、新たに生産を拡大する投資ですから、設備投資が進むたびに、公共投資では消費しきれない生産物が在庫となって膨らんできます。
そこで、最後は戦争と言う巨大な浪費が必要となってくるのです。

皆さん、これまで比較的好景気が続いてきましたが、アメリカは10年ごとに戦争をしてきましたが、このアメリカの戦争に日本が相当の費用を出してきたのは、世界経済を支えるために必要なことだったのです。(これで良しとするものでもない。)

 ところが、今回の金融危機からの不況と言うのは、これまでと大きく異なっています。

 皆さんの中でも、ゴルフ場の会員権、預託金ですが、大体パーになりましたね。ゴルフ場が潰れてというか、預託金の返還を受けられない人が沢山いてもあまり大きな社会問題とならなかったことを覚えていますか、豊田商事事件では、沢山のお年寄りの財産が、金何グラムの権利などとかかれた紙を渡されて老後の資金を巻き上げられたから社会問題となったのです。

 しかし、私達が庭の草取りをしているとき、若い子にバッグを運ばせてゴルフを楽しんでいる人の預託金が1000万円ほど吹っ飛んでもこれは、たいした社会問題とならないのです。今日あすの米が買えなくなるとか、ミルクが買えないという事にならないからです。

今回の金融危機、年賀状に不況は分かるが、金融危機は実感がないと書いたのは、私達一般庶民は、とりあえず金融危機にはあまり関係が無かったということです。投資信託などを買えた人は損害を受けていますが、通常は、直接の損害はあまり感じられません。

その様な意味から、今回の金融危機は在庫が溜まって引き起こされた不況ではないのです。中東アラブのドバイでの建設工事がストップした、などとの報道もありますが、莫大なオイルダラーとか、ゼロ金利でアメリカに流れた日本の資金などがユダヤ系のハゲタカファンドの資金となり、金とか石油とか穀物と云った実体経済、生産物に関係のない担保付証券などと言う綿飴のような膨らんだ実体のない「商品」を買っておけばさらに値上がりすると考えて世界で約8万兆円(8京円)の金が動いていたという事のようです。

アメリカのウォール街の連中が低所得者の住宅ローンを分けのわからない方法で証券化して途中で膨大な手数料を巻き上げていたのがその実態です。その結果オイルダラーとか、投資信託を買わされた銀行などが膨大な損失を受けたのです。

しかも、これまでの世界経済は、自動車産業の拡大で全体が支えられていた面があり、この自動車を誰が買っていたかと言うと、住宅バブルで儲かっていると考えたアメリカの低所得者とか綿飴を買って儲かったと考えていた人々だったわけです。しかし、この様な人々は今回の金融危機で当然に車を買えなくなりました。

しかし、車を買っていた人が全て低所得者でもないし、投資信託で大損をしているわけでもありませんから、一挙に車が売れなくなると考える必要もないのではないかと思います。

ですから、トヨタなどの反応は極端すぎるのではないか、新聞マスコミも不景気を騒ぎすぎるのではないか、と思います。私なども不景気・不景気といわれついつい、自動車を買うつもりが止めてしまったという事があります。

経済はマインド、人の気持ちが重要ですので、余裕のある人はどんどんお金を使わないと経済は回復しません。

どんどんお金を使いましょうよ、お金は貯めるのでなく、使って残しましょう。お金はウ〇〇と一緒で貯めると汚くなりますから、一生懸命仕事をしてお金を稼いで、どんどん使いましょう。
posted by やすかね at 13:27| 千葉 🌁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

裁判員制度と刑事裁判

千葉県弁護士会では、裁判員制度導入に対して臨時総会を開催して、この制度を延期すべきかどうか年明けに議論する事になりました。ついては私も意見を言うつもりで原稿を書きましたので、ご覧下さい。

1、 議事進行について 今回は多くの人のご意見を拝聴したいので、1人3分の発言を保障したら、後はマイクのスイッチを切ってもらいたい。
2、 私も臨時総会の招集を求めた130人の1人ですが、裁判員制度導入について議論を深めるために総会招集に賛同しただけですので、私は結論として裁判員制度の延期決議に賛同するものではありませんことを冒頭に断っておきます。
3、 国民の認識と裁判員制度導入について
@ わが国での裁判についての基本的考え方は、「裁判はお上がやるもの」と考え、「北に訴訟をやるものがあればつまらないから止めろ」と宮沢賢治が言うように、わが国では、裁判はまだまだ「裁判沙汰」であり、病気になって初めて健康のすばらしさを実感するように、わが国では裁判沙汰にならないことが家庭の平和、社会の平和ですから、この様な国民に対し、いきなり「さぁ、民主主義国家では、民衆による裁判が当たり前ですから、あなたも裁判員になって裁判官と一緒に、あなたの言葉で裁判をしてください。」と言われても多くの人が面食らっているのは事実です。
A この制度導入が、どのような経緯で行なわれたか、考えても分かりませんし、ひょっとするとアメリカが「和をもって尊し」とする日本社会を「訴訟社会」に引きずり込んで、国民のエネルギーを消耗させようとする大きな国家戦略をもって導入をさせたのかもしれません。
しかし、現在までに莫大な費用と労力を遣ってしまった以上、国家の権威を守るためにもやらざるを得ないでしょうが、わが国では未だ市民社会が成熟しているとも考えられず、この制度を維持するにはものすごいエネルギーが必要であることは間違いないことです。
B しかしながら、結論としては、この制度が職業的裁判官の独善を排斥しようとする民主主義的制度である事から、困難であってもやらざるを得ない制度と考えています。ごちゃごちゃ言うとお前の結論はなんだとお叱りを受けそうですが、上手くいくには大変でしょうが、とりあえず決まったんだからやってみようよというのが本音です。
4、 刑事裁判の歴史概略
@ そこで、ご承知の皆様に稚拙なことを申し上げるのは申し訳ないですが、刑事裁判の歴史を若干振り返ろうと思います。独善的な点もあると思いますが、ご容赦下さい。
皆さん、大岡越前守とか、遠山の金さんの裁判をテレビを見ていますと昔の裁判は、お奉行が捜査の一件資料から、被疑者をお白州に引き出し、証拠に基づいて被疑者を尋問して犯罪事実を認定して「遠州無宿者元次郎に遠島を申し付ける。」などと、訴追から被疑者の弁護活動、証拠決定・犯罪事実の認定・量刑と1人で何役もしています。場合によっては片肌をめくって「この桜吹雪が見ているんでぇー」などと、証人にもなって、国家刑罰権を行使していました。
A 明治になりますと、京都市宮津市にある明治村に当時の刑事法廷を展示しているところがありますが、ここでは、壇上には検察官が訴追官となり、裁判官の隣に座り(書記官も壇上)、弁護人が壇の下で被疑者の弁護をするといったように、江戸時代の裁判官であった奉行から訴追と弁護の役割が分離し、裁判官は検察官の提出した一件記録に基づいて職権主義的裁判が行われました。
B 戦後は、ご承知のように検察官と弁護人が一応対等の立場で証拠を提出し、裁判官の証拠決定の上で、裁判官による事実認定と量刑判断が行われます。特に以前の刑事訴訟では、一応証拠があるにもかかわらず、被疑者が自白しない場合には、自白の強要も行われた弊害から、現在では虚偽事実の主張は許されませんが、被疑者に黙秘権が保障されています。(ドイツでは現在でも、黙秘権の行使が行き過ぎますと弁護士自身が疑われることから黙秘権行使も控えめであると聞いています。)
C この様に刑事裁判は、時代の進歩、民主主義の発展と共に進化し、証拠収集・訴追と弁護活動、事実認定・量刑判断とその役割が分割され、過ちを犯す人間の役割を分割して可及的に冤罪を防ぐ努力を積み重ねてきました。今回の裁判員制度は、その延長線上であり、事実認定における職業的裁判官の独善的判断からの誤判を防止するために採用されたと理解しています。
D もっとも、陪審裁判と異なるのは、陪審による事実認定では有罪無罪の結論だけしか示されず、上級審での審理が難しくなることから、あるいは、わが国の憲法上、裁判官による裁判が保障されていることから、裁判員制度では、裁判官も事実認定に加わると共に、量刑についても国民の意見を取り入れたほうが良いであろうと考え、今回の制度採用とされたようです。
裁判員制度は、重大犯罪については事実認定だけでなく量刑についてまで、民間人の判断を採用するということですから、職業的裁判官からみると「重大犯罪でなければ、これまで通り、裁判官にまかせるが、重大犯罪であれば、事実認定も量刑についても素人の判断を取り入れる」ことであり、裁判官にとっては屈辱的制度であると考える方もおられます。
C 即ち、簡単に裁判の歴史から考えますと、今回の裁判員制度は、時代の進歩に即したものであり、これを進めてゆくのが正しい判断と考えますが、どんな制度でも実際に始めれば、必ず問題点が出ることは明らかでしょう。
しかし、これはやってみなければ分からないことですから、全ての問題点が解消されなければ採用すべきでない、延期すべきである、などと考えることは、時代の進歩も見えていない、と言われても仕方のないことです。
また私たち法曹は、弁護士も裁判官も検察官も誰しも正しい刑事裁判を求めているとお互に信頼すべきであり、自分たちだけが正しい刑事裁判を求めているなどと考えることがあれば、それは明らかな独善です。
D ついでに言わせていただきますが、疑わしきは罰せずと言う刑事裁判の鉄則は、守られるべきでしょうが、証拠に対する「合理的疑い」を考えるとき、(神の目から見れば)本当は真犯人であるが、この証拠に対する合理的疑いから、犯人を「無罪」とするのですから、裏を返せば証拠法則から無罪となった犯罪者がお天道様の下を歩いていることですから、善良な市民にとっては、自分の安全は自分で守ると言う「市民社会」の危険を負担しなければならないと言うことです。
即ち私としては、証拠に対する「合理的疑い」とは、無辜を罰しないと言う原則と市民社会の安全と言う微妙なバランスの中で判断されるべき事と考えています。
posted by やすかね at 17:50| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

変化(進化)してますか。

「道」でなく「勝負」

先日、柔道に関するブログ(日本代表の選考会がおかしい)を書きました。そのとき、多少事実関係(準決勝を一回戦)を間違ってしまいましたが、今日は男子柔道についてです。

先日、100キロ超級で金メダリストとなった石井慧(さとし)が、今度はプロ格闘技に転向するとの報道がありましたね。私は、ごつい体と顔を見て、失礼ですが「あまり頭も良くないだろう」などと思っていました。

ところが、一昨日TVを見ていましたら、感動的な女子ソフトボールに続いて柔道の石井の特集がありました。別にやることもあったので、早々にスイッチを切ろうと思ったのですが、見ているうちに引き込まれました。

あのごつい顔で「環境に順応できるものが、・・勝つ」だか「・・生き残る」と発言していました。これを聞いて「おやっ?」と思い、急遽メモを取りながらTVを見ることになりました。

番組が進んでくるに従い、石井の努力が並大抵のことでなく、また自らの司令塔(格闘かが頭突きのため頭を鍛えるのではなく、脳みそのこと)も十分鍛えている事が段々と解ってきました。

要するに、変な意地を張って時代の変化に乗り切れなくては、取り残されてしまうという事を、金メダルを狙い、これを見事に取ることで、実践してきたのが、このごつい不細工な男なのです。私は、ソフトボールにも負けないくらいの感動を受けました。

知らなかったのですが、フランスのJUDO人口は、55万人であり、日本の3倍程度だということです。既に柔道は、正式には「JUDO」と書くのであり、「柔道」などという「道」を目指す格闘技は、マイナーなスポーツとなっていたのです。いまや柔道でなく「JUDO」は「道」でなく「勝負」にこだわる必要があるということです。

「柔道」は、最初こそ日本のお家芸でしたが、柔道が国際的格闘技となったときから絶え間なく変化を続けていたのです。私など、柔道にたいした興味もなかったものですから、その様な変化は、全く気がつきませんでした。当然ですよね。日本柔道連盟の「主流派」でも気が付いていないのですから。

石井は、その点を強く意識して「変化しているものに対して、旧態依然と対応していたのでは、時代に取り残される。」と考えて、自分の体と精神を鍛えて、金メダルを取ったところ、「日本柔道会の救世主」などと言われているのですが、本人はさっさと「プロを目指す」と決めているようです。

石井の語録を並べますが、「日本は、進化していない。」「神様は、あれもこれも、かなえてはくれない、色々なものを我慢してガマンして、最後に一つかなえてくれる。」
練習:「人の見ている前では誰でもできる、オーバーワークの暴挙が奇跡につながる。」
「マニュアルが、個性をなくし、フォーメーションが〇〇をなくす。」この〇〇がメモを取ってなかったので、石井の名前でインターネットを検索したところ、石井の面白い発言集がありました。ご参照下さい。

要するに、言いたかったことは、「変化するものに順応できなければ、滅びる」という命題は全てにあてはまりそうです。

posted by やすかね at 15:30| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

コミュニティー論

「コミュニティー」を考える 地域のコミュニティーは、昔からの村落共同体、新興住宅地の町会、村落と新住民の混合型などあり、特色ある町会活動を展開しています。
村落は、古くから米作を中心とした生産共同体であり、共同作業での農道整備、用水確保などの必要から、村長(ムラオサ)の決定は、義務として様々な行事が進められ、個人の勝手(自由)な行動には、村八分の制裁がありました。 それでも村長が時代の変化を読み、自由公平に活動すれば、村落の公正は確保されています。
しかし、声が大きく傲慢な人が先頭になれば、先進的良識人は、何も言わなくなり、町会活動全般が、暗く沈んでしまい、活動は義務的・消極的になります。
これに対して、高度成長を支えた企業などで働くため、この地域に定住してきた人々は、町会活動を、自らの「第二のふるさと創り」と考え、自由平等な地域コミュニティー活動を積極的に進めています。
今年の夏も色々なところの町会の夏祭り(盆踊り)にご招待され、第二のふるさと創りを続けている町会活動は、明るく楽しい印象を持ちました。印象ですから、何ら証拠となるものもありませんが、今後の町会活動から出来るだけ義務をなくし、より多くの人が積極的にボランティアとして参加できる自由・平等な運営を進める必要がありそうです。
ご近所が仲良く、お互い感謝しあえる関係になれば、よそ様の子どもの悪さも注意できる、地域文化が創造できると考えました。自助共助の犯罪のない明るい町会活動に向け、プライバシーと相互扶助の適切なまあいが不可欠と考えました。
posted by やすかね at 00:01| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

食品偽装と公務員の無責任

食品偽装も、これまで色々ありましたが、今回の汚染米の偽装販売は、単なる「産地偽装」等とは異なり、その影響の大きさは比較できないでしょう。

菓子、焼酎、などに対する現実的害悪は分かりませんが、食の安全に対する信頼が揺らいだことは、はかり知れないものでしょう。単なる風聞でも業界が大きな影響を受けるわが国では、倒産なども出るでしょうかね。

それにしても、1t当り6,000円という事は、キロ6円、1表60キロでもわずか360円ですから、殆どただ同前です。これを通常より安い金額でしょうが、お菓子業者などに卸し、メタミドホスで汚染された米がお菓子になって子ども達が食べたのでしょうね。

それにしても農林水産省は、ただ同然の汚染米がその様に偽装され転売される危険性を全く考えなかったのでしょうか、それが疑問です。公務員の無責任体質の典型でしょう。

偽装される危険性は、業者の性悪説に従えば当然でしょうし、これまでにも、牛肉偽装など沢山あったのですから、お役人は『私どもは、業者の皆様が不正を働くとは考えても見なかった。』では済まないはずです。転売先まできちんとしたチェック体制が必要です。

ブログでも何度か書きましたが、公務員の無責任は裁判官はじめ色々なところにあります。

何百トンと言う米を糊の原料にするというのですから、その数倍の重さの糊がわが国の産業でどの程度消費されるのか、考えても不思議です。ひょっとすると汚染米が全て糊となったら、机の上が糊だらけになってしまいそうです。そんなに糊が必要なのでしょうか。分かりません。

産業廃棄物のような汚染米は、払い下げた業者がどこに販売したかまで、きちんと追跡調査して欲しいものです。

今度の議会で執行部は、加茂運動公園用地の買収単価を300坪640万円で仮契約したと言うのですが、山間部の加茂の田んぼを、一日も早い完成を考えたとしても、自分のお金であれば絶対買わないであろう値段を執行部が「勝手に」提示したものです。

これも不動産鑑定に出した結果ですなどと、当事者能力を否定するような答弁をしてくるのでしょうが、これなども完全な無責任です。

不動産鑑定評価などを金科玉条にしても、執行部はしっかりと当事者として市民の税金を絶対無駄遣いしないとの強い信念で使ってもらいたいと考えます。

お役人は、市民の税金を、人様からお預りした大切な財産、と考える必要があります。その様な考えのない、自覚のないところに
性悪説の政治家が出て、お役所のお金は自分のものと考えて、不当に利得しようとした姉崎森林公園とは、その構造が異なるでしょうが、全市民に対して正々堂々情報を開示できる内容で、行政を運営していただきたいものです。
posted by やすかね at 15:51| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

監視カメラ社会の自由

これまで犯罪といえば、一瞬の出来事であり、犯行後の現場検証、遺留物件の捜索・差押さえ、被害者・目撃証人などからの事情聴取等々捜査が進み、犯人が特定され、被疑者の逮捕・勾留、被疑者の調書作成、と一連の手続きが進められて、しかる後裁判が開始される中で、過去の出来事であった犯罪の状況が「判明」する、この様な流れが一般的でした。

事件を担当した警察官、検察官、裁判官、弁護士、さらには被害者とその家族などは事件の概要を理解できるものの、それは「真実」には程遠い内容であるには間違いないでしょう。

「あの事件は、どんな事件だったのか、その真相は何だったのか」と疑問を持って、犯罪に関する新聞報道などを見たとしても、一般の読者には事件の一部についての概要程度しか理解できませんでした。

それでも、社会的に耳目を集め、関心を持たれた犯罪は、ワイドショウなどで、捜査機関の流す一方的情報、場合によっては興味本位に脚色を加えられた報道から、テレビで見た人は、過去の犯罪に関して、どのような「真実」を知ることができ、またどのような感想をもったのでしょうかね。

恐らく、自分が被害者とならなかった幸せと同時に凶悪犯人に対する非難を他の多くの「観戦者」と共感することで、当面の安心を実感するのですが、その直後に「今まで、わが国は、治安大国と言われたにもかかわらず、どうしてこんなに、凶悪犯が多くなってしまったのだろうか」と自らと家族に何時危害が及ぶかもしれない、と不安感で一杯になっていることでしょう。

先日、秋葉原での凶悪な犯行では、犯行の一部が防犯カメラで映し出され、昔であれば絶対見ることのできなかった生の犯罪行為を「ライブで観戦」できるようにもなっています。

ワイドショーでは、何十回何百回と犯行状況が繰り返し報道され、「監視カメラ」の「有効性」が体感されています。

しかし、わが国の犯罪統計を見ても現代社会が特に凶悪犯罪が多くなった事実はないようです。また街角に沢山防犯カメラが設置されたことで「犯罪が減少した」との報道に接した事もありません。

私達は、買い物に出かけ、家族友人と街角を散策している状況が常に監視カメラで「見守られ」ています。本当は「見張られている。」のですが、私達の感覚では「監視カメラさんが私達を見守ってくれている。」のではないでしょうか。

監視カメラもそうですが、警察のNシステムと言う主要道路に設置されたカメラは、24時間通行する車両の記録を残しています。「全ての車が監視されているのであるから、安全だ」と言えるのでしょうか。

以前にアメリカでは地球上の全ての通信を傍受していると書きましたが、その様に膨大な傍受であれば、逆に何ら個人のプライバシーが危険になっているわけではない。と考えられなくもないのですが、実はスーパーコンピューターで「特定人の通信だけを拾い上げることもできる。」という事ですから、権力から「狙われた人には、既にプライバシーは存在していないと思われます。」

何も、悪いことをしていないのであれば、良いではないか、とも考えられますから、「現代のような凶悪犯罪が増加した社会」(と多くの国民が考えている社会)では、監視カメラの危険性を指摘すること自体が危険視され、セキュリティー重視を批判することはタブーとなっているのが原状です。

自由に野原で生活していた鳥達に、「君達、狼が怖くないかね、私が君達を狼から守ってあげる、そのためには君達鳥は、僕の作った折の中で生活したらどうか」と提案され、反対した鳥が数羽折りの外にいたところ、現実に狼に襲われてしまった。これを見た鳥達は一斉に震えあがり、以後人間の作った折の中で「自由」を謳歌している。これが「平和」と言うものでしょうか。

昔なら、か弱い女性は、強い男性に守られ、結婚して家庭で子供を育てていたのですが、強くなり「自由」を捨てて外に出てしまった?少子高齢化はなんなんでしょうね。今日の思いつきのブログは、何だか、お判りですか?
posted by やすかね at 16:56| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

社会的地位ある人の責任回避

「社会的責任のある立場の人の責任逃れ」ということで、何回か書いてみます。

「公務員を拝命して以来、定年退職まで40年間、大過なく過ごすことが出来ました。」とは、公務員が何もせずに給料をもらい、退職しました。という事でしょうね。
最後の最後に、つまらないワイセツ行為を行い、懲戒免職で数千万円の退職金と年金も棒に振る(少し酷ですね)裁判官などは、ともかく一般的に公務員は自分の行為に対して、最後の責任を負担せずに済むように、慎重に、極めて慎重に行動し、そのため国民はモタモタした行政にうんざりと言うのが常識です。
どうして、分かりきっているのに「検討します。」などと結論を保留して決断・実行しないのでしょうかね。

法律の専門家である、裁判官ともなりますと、もっと巧妙に責任逃れのシステムを作っています。
普通、裁判所では、金を借りた人には『借りたものは、返しなさい』と判決するのですが、多重債務者には『借りた借金を返済しなくてもよい』と「免責の裁判」をします。
借金を返済しなくて良いと、普通とは全く逆の裁判ですから、金を借りた人がギャンブル・浪費などで破産した場合にも「免責」してしまっては、法の正義に反しますので、この様な事由は「免責不許可事由」です。
ですから、普通の免責には「免責不許可事由がない」ことが前提です。

そうは言っても、免責制度は、債務者の人生やり直しの援助をするという一面もありますので、極端なギャンブルなどでなければ、裁判所は「裁量免責」もすることになっています。
そこで、裁判官は「裁量権」を行使するのですが、裁判官が裁量免責をしたあとで、債権者から「おかしいではないか」等と抗議された場合には、責任を負いたくない裁判官は、責任を負わない制度を作り上げています。

どうするかと言いますと、多重債務者から、免責不許可事由があるが、破産・免責を求める、と申し立てられますと、これは殆ど管財事件となります。
管財人の費用20万円は、申立人の負担ですが、管財人が免責不許可事由の調査(といっても、本人からの聞き取りで終了)をして、裁判所に対し、「免責相当」の意見を出す事で裁判官は自らの考えにより裁量権を行使する責任を大幅に免れるのです。
仮に一部債権者から「免責不許可事由が有るではないか」と抗議されても、『管財人の先生が調査され、免責相当とのご意見を頂いております。』と責任を回避して一軒落着です。

目出度し目出度し、もっとも弁護士もこの制度を利用して飯の種にしているのですから、いやはや、なんと申しましょうか、「絶対、人にお金を貸すんじゃないよ、どんなに世話になっても、人の保証人にはなるなよ。」この教訓は多数の事例を経験してみて、やっぱり守るべき教訓です。
posted by やすかね at 12:18| 千葉 🌁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

銀行のサラ金化

私達の学生時代には「消費者金融」(サラ金)は存在せず、夏休み前になると大阪の親友は、質草のTVを質に入れ帰省費用を工面していました。

質屋の金利は月9分、年108%のものすごい金利でした。この様な時期にサラ金が出現し、年利60%位から始まりました。質屋の半分ほどでしたが、間もなく大きな社会問題となりました。質草が不要でしたので、借主はたちまち多重債務者となってしまったのです。

そこで、当初は誰が被害者かわからない「クレジットサラ金被害」なる言葉もでました。事実私なども弁護士になりたての頃、「武富士が被害者か」などと素朴な考えをもっていたのでした。

その後はご承知のとおり、「社会悪」と化したサラ金に対して消費者を守るべく弁護団ができ、とうとう利息制限法を超える貸付は全て違法となり、利息制限法の上限を超え、出資法との間のグレーゾーンも全て「不当利得」となり、丸井の様に取引履歴を捨ててしまわなかった「優良サラ金」業者では、莫大な過払い金の返還請求を受け、多くのサラ金業者の経営はたち行かなくなりました。
そこで、この絶好の機会を千載一遇と考えているのが、立派な市中銀行です。

バブルで潰れそうになった銀行は、政治の力を借りて国民の金利を殆どゼロにしながら、天文学的な不良債権を償却した銀行は、今度は有り余る資金を消費者金融のノウハウを手に入れて、利息制限法の上限金利で貸し出しているのです。

県内の大手銀行に融資の相談をした依頼者は、電話では14%と言う事で、銀行の窓口を訪れたところ、行員曰く、『14%では融資できません。』という事で99万円を18%の金利で借りざるを得ない状況でした。
私が『100万円を借りれば、15%の金利だったのに』と言いますと『銀行は、99万円しか貸してくれませんでした』との事です。
銀行はサラ金並みに、と言うより超低金利で調達した資金を18%で貸付、利ざやの荒稼ぎです。

因みに100万円借りますと年15万円の利息であるのに対し、99万円ですと年17万8200円の利息となるのです。ですから、銀行は電話では14%などと言いながら、債務者の窮状を見て、貸し出し金額は18%取れる最高額である99万円を限度として貸し出すのです。あと1万円貸してしまうと利息は15万円しか取れないのです。

言っておきますが、サラ金の資金調達は銀行のように殆どゼロではない(5%〜8%?)のですから、銀行はあくどいですね。
政治の力を借りて、国民の利息を横取りしながら窮状を救われた銀行には、社会的責任を負担する、という倫理は無いのですかね。
posted by やすかね at 17:55| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする