2010年01月08日

寒中お見舞い

本来新年のご挨拶をすべきところですが、松の内も過ぎましたので、寒中お見舞いと言うことで、年賀状のご挨拶内容を掲載します。

 【今年から 今年こそはと 願いつつ 重ね続けた 年忘れ会】を例年繰り返しとうとう嵐勘十郎ことアラ還になりました。(注:昭和24年生れの60才)

昔から数え切れないほどの哲学者が、自分の生きている意味を考えましたが、その結論は【人間一人では生きられない】と言うことですね。

自分の仕事が、人様の役に立ち、家族のためにもお金を稼げるなら冥利に尽きます。

人を笑わせる、ホームランを打って喜ばれる、ピエロになって優越感を抱かせる、喧嘩の仲裁をする、弱気を助け強よきをくじく、どれもこれも大切な仕事です。

人生八〇年、七十万八百時間が持ち時間として、お金を稼ぐだけでは「貧しい人生」です。松井はすごいですね、お金でなくやりたい仕事(外野手)でエンゼルスです。社会奉仕活動もしています。【それにつけても金の欲しさよ】と言うのは誰?
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2009年12月02日

十日町の文化芸術

十日町のブログで十日町の関係者にご迷惑をおかけしていたことが、判明し、今先ほど埼玉県の人から頂いたご批判を拝見しました。関係者の方々に陳謝し、次の通り訂正させていただきます。

自分の真意としては視察の結果をわが市原市でも参考にして、南市原のまちづくりの参考になるであろうと考えてのことでしたが、自分の思いとは異なったところで、関係者のみな様にご迷惑をおかけした様です。

文書は、場合によってはこれを書く人の考え、伝えたいこととは異なった印象感想をもたれることで、正にスリルのあることですが、これからも読まれる人に自分の思いを正確にお伝えできるように研鑽を続けながら、楽しく読んでいただけることに努力いたします。

11月中旬南市原街づくり特別委員会で、新潟と十日町の街づくりについて視察にいったんですがね、先だって、それについての報告書を議員全員が書くてぇ事になったんですよ。そいでもって、最初はねぇ、あまり期待はしていなかったのですが、行ってみてたまげましたね、特に十日町人口6万人(訂正させていただきました。)、市街地もいわゆる「市街地」でありませんでした。雪も一年間に12メートルも降り、積雪が4メートルあり、家の一階は雪のしたになってしまうよ。

ところがこの田舎町がすげぇんだよ、なにがすげぇったって、アートだよ、アート最初にびっくりしてもアート・アート
昔しっから百聞は一軒にしかずてぇーこと言いますんで来年の夏はぜひお二人づれで行って見てください。
何が違うって、言ったってありゃぁ文化だね、文化は人間の記憶にのこされた歴史だよね、

そう考えて帰ってきましたが、その後もまたよかったね。
30日この十日町とかファーレ立川などをコーディネートした北川フラムさんの話がきけたんですね、新潟には数百年千年を超える歴史があるが、横浜は高々150年、明治維新までは江戸のはずれの横浜ムラ、だからそこには掘り起こす歴史もなければ文化もない。とこうはっきりと言い切って・・だから横浜ではイベントをしても失敗する、そんなスゴイ話しがきけてアトアトまで感激させられたんですよ。

中田市長は横浜をほっぽり出して、イベントに失敗したからですかね、
十日町の田舎でもあれだけの楽しい町ができるんですから・・市原はこれからですね。

まじめなことを言いますと、芸術は情念じゃないですね、これでもかこれでもかと自分の激しい情念を絵の具でべたべたと塗られた絵を芸術だ芸術だと騒いでいても、多くの人が騒いでいても無視していいんです。子供のような絵、無邪気な顔こそ楽しいし、芸術は楽しくあってしかるべきと思います。
前にこのブログでピカソとかペンキ絵と書いたと思いますが、検索してみてください。
十日町のアートを見せられて「あれもアートですか」と質問したところ『あれは単なる倉庫です』と笑われてしまいましたが、昔からある記憶、日本人の記憶を呼び戻すと市原も「文化都市」になれるでしょう。

posted by やすかね at 18:06| 千葉 | Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

簡単甘酒のレシピ

07年、所ジョージさん出演の「目がテン」をみて「電子レンジでの焼き芋つくり」をブログに発表したところ、大好評です。そこで、柳の下のドジョウを狙って、僕の次なる【簡単〇〇】ということで次は、・・・「簡単甘酒」の作り方をご案内します。

最初に仕事(弁護士と市議会議員です。)がら、理屈に少々お付き合いください。甘酒がどうして甘いのか?「甘いから甘酒だ!」などと怒らないで見てください。焼き芋はでんぷんが糖に変化したのですが、甘酒はお米の炭水化物がショ糖に変わるのです。それですから「偽物の甘酒」には白砂糖が入っていたりします。

また酒かすの入った「甘酒」は落語の与太郎が「酒を一升食って酔っ払った。」というようにアルコールが含まれています。ですから本物のノンアルコールの甘酒とは、また違いますね。

しかし、ここでご紹介する甘酒、これは本物です。最近森永製菓で「甘酒レシピのコンテスト」をやったようですが、審査結果がまだ出ていない(10月31日午後5時現在)ようですので、最優秀賞が出ましたら是非比べてくださいな。

それでは、はじめます。お袋の甘酒は材料が全て米で作った麹でした。昔から麹屋さんは白米一升で麹一升と交換していました。これで麹屋さんは、一体儲かるかなどとご心配は無用です。麹屋さんは米を蒸して麹菌で発酵させますとその分量が二倍となるのです。
米一升があれば麹一升を渡しても手元に一升の麹が残り、これを米の値段で売ることが出来たのです。

ですから、麹屋さんはいつもお金持ちで、我が家は「高価」な麹を使って甘酒を作っていたのです。ところがデスね、この麹100%の甘酒、実はあまり飲み易くないのです。どうしてかと言うと麹は米を硬めに蒸かし、これに麹菌をつけますので、甘酒の甘さを作る「やわらかな炭水化物」が少ないのです。ですから母親の甘酒はいつも米粒が沢山あって甘い汁だけを飲んで米の粒はいつも茶碗に残していました。もったいないことでした。

そこでですね、これが僕の工夫ですが、ご飯を茶碗に2杯ほどナベで十分やわらかいお粥を作るのです。そこに同程度(もう少し少なくとも大丈夫でしょう。)の麹をばらばらにしてなべに入れます。

そのとき重要なことがあります。麹菌は40度C以下ですとアルコール発酵してしまい酸っぱくなります。また60度を超えると麹菌が死んでしまい食べられません。ですから、大事なことはなべの温度を50度前後にして約8時間(一晩)保つことが必要です。40度から60度で甘酒の発酵が進み米のでんぷんがショ糖にかわり、汁の沢山あるのみ易い甘酒となります。

具体的にどうするかと言うと、電磁プレートで50度の設定が出来れば文句はありません。電磁プレートがない人は、炊飯ジャーもそのままでは70度から80度で麹菌が死んでしまいますので、スライダックという変圧器で電圧を60ボルト程度にする必要があります。電圧を下げるなんて難しいと思うでしょうが、電球を直列につなぐ(やっぱ主婦には無理か?)と出来ます。

これも難しいから、最後はなべで麹菌が死なない、すれすれの温度、60度のお粥を作り(そのためには、お粥のなべを、それより大きななべにそのまま入れて、水で冷ます。)温度計がないときは、指を入れると熱くてちょっとがまんができない程度で、『アチィッチィ!』と指を引っ込めるほどの感覚です。

そこに麹を入れ、後は全部をポットにいれて一晩待ちます。朝には家中がほんのり甘い匂いで包まれます。とても呑みやすい汁の多い自慢の「お袋の味の甘酒」の一丁上がりです。
ぜひ森永製菓の最優秀のレシピと比べてみてください。きっと負けてはいませんよ。
(このブログは、弁護士伊藤やすかねの作成です。ご利用の際は是非ご紹介をお願いします。また【やすかね】と検索して「やすかね法律事務所」のホームページもご覧ください。無料法律相談もできますよ。)
posted by やすかね at 17:36| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

ケヤキ一枚板のテーブル

刑務所の木工製品のご紹介です。

修習生になりたての頃、確か科学技術館でしたか、刑務所の製品即売会に行ったことがあります。鞄・靴、味噌・醤油、箪笥・座卓など様々な「商品」が並んでいました。別のコーナーには「性格テスト」もありました。

試しに自分の性格テストを行ったところ「貴方は、すばらしいリーダーです。」と有頂天になれるようなメッセージが出てきまして、それ以来すっかり「キャピックショップ」のお得意さんになり、これまでに、靴とか、枕、マガジンラック、和ダンス、洋ダンス、バーベキューセット等など、身の回り品から耐久消費財までずいぶんと買い込みました。

千葉刑務所に被告人接見などのときは、必ずと言ってよいほどショップに立ち入り、売店のおばちゃんと「無駄話」をしてきます。

先日は、刑務所の塀の中にある展示室を見せてもらった(誰でも見ることが出来ます。)ところ、ケヤキとかカリンの一枚板で作られた重厚なテーブルが並んでいました。しかし、希望の大きさがなく悩んでいたところ、担当者から「工場のほうにも加工前の一枚板があります。」と言うので「女人禁制」の刑務所の中に案内していただきました。

弁護士でも普通入れないところにご案内していただいたところ、厚さも10センチ以上あり、長さ4から5メートルの一枚板が沢山ありました。

長尺ものの一枚板を半分に切ってもらうことは「もったいなかった」のですが、厚さ12センチ、長さ3メートルのケヤキ板を半分にしてテーブルを「発注」しました。

製作には一月ほど必要らしいのですが、何せ中の「職人」は長期受刑者ですので、その腕前は一級品だと思います。自分のデザインした足をつけてもらって12万円はニトリもびっくりです。デザイン性は東京インテリアにも引けを取らないだろうと、今から完成を楽しみにしています。
posted by やすかね at 11:58| 千葉 🌁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

民主党の「国家戦略」

先の総選挙で圧勝した民主党は、選挙の目玉として国家戦略局を設置するとしていました。報道にあるとおり、既にその外郭は決まったようですが、これは、いままでわが国で重要とは思われつつも、自民党政権ではできなかったことで、大いに歓迎すべきことであります。

どうして、できなかったかと言うと、日本を征服したアメリカは、戦後の対日政策の骨格として、日本をアメリカ式の民主主義国家、いわば哲学のない資本主義国家として、丸ごとアメリカナイズしようとしたと思います。その結果、わが国は戦後の国際政治の中で「アメリカのコピー」などと言われ、独立国として独自性を発揮できていませんでした。

また仮に、日本がソ連・ロシアと平和条約を締結して、日本に北方領土が返還されてしまっては、日本国民の反ソ感情が和らぎ、アメリカの世界戦略に大きな障害となるから、アメリカは、日本の北方領土返還交渉には、絶えざる妨害をしてきたのではと思います。

鳩山内閣当時ソ連が、平和条約を締結すれば、北方領土の返還に応じる、と明確にしたにも関わらず、その後の自民党政権では、ソ連との平和条約締結交渉は、議題に上りませんでした。したがって、未だわが国とソ連・ロシアとは、喧嘩をした後の仲直りをしていない状態です。

これに対してわが国の外務省は、善意に解釈すれば省としての国家戦略をもっていたものの、これを政権党及び国民が共有できる基本戦略とすることはできませんでした。長い間、「北方領土返還」というと、だれもが眉をしかめる「右翼」と言うことになりました。穿った見方をすれば、アメリカは、右翼に街宣車で「北方領土返還!」と騒がせておけば、国民の声には、ならないだろうと考えたのではないかと思います。

要するに、これまでのわが国の国家戦略は、政権政党の中には存在せず、北方領土は外務省、エネルギーは経済産業省、日本の食糧は農水省、ということで完全縦割り行政の中でしか論じられてこなかったと思います。

国土交通省は公共事業一本で、国土に対しての国家戦略などなかったでしょうし、道徳も哲学も宗教も教えられなかった文部省も同様でしょう。防衛庁に至っては、完全にアメリカの世界戦略に組み込まれていました。
この縦割り行政の上に、いわば樽の蓋の様に自民党政権が乗っかって、官僚の作文を読んでいたのですね。

ですから、閣議といっても事務次官会議の上塗りでしかなかったものですから、今度廃止されるようです。たぶん民主党はこの様なことを考えて官僚組織の上に国家戦略を束ねる政治組織を構築しようとしていると思います。

posted by やすかね at 16:51| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

総選挙結果と国家戦略について

千葉三区は、民主党と自民党両候補(比例復活)がめでたく当選となり、市原市は国政へのパイプが確保され、さらに拡大してよかったと思います。

ところで、昨日のブログでも書きましたが、バランスの取れないシーソーがバタン・バタンと大揺れするような選挙制度では、国家戦略さえもが大揺れしてしまうのではないか、との危惧感が残ります。

わが国の小選挙区制は、300の小選挙区の外に180の比例代表があり、これが小選挙区の「大暴れ」を若干修正しているのですが、それでも選挙結果は得票率の変化を何倍にも拡大してしまいます。

この点、小選挙区の本家であるイギリスでは、歴史もあり、選挙民が日本ほどマスコミに「踊らされる」ことも少ないでしょうから、今回のわが国の選挙結果のように大揺れはしないでしょう。

なにはともあれ、今回の責任は、全て自民党麻生政権が、国民からそっぽを向かれているのにもかかわらず、解散総選挙を先送りして「傷口」をどんどん大きくした結果です。

昨年の暮れから、自民党も民主党も長すぎる選挙運動にへとへとになり、特に負けた自民党は国会議員が空白となった県連もありますから、そこから立ち直るのは相当時間がかかり、民主党は10年位安定政権を維持できるのではないでしょうか。

もっとも、この民主党政権もアメリカとの関係を十分注意しないと、下手をすれば海の向こうから、とんでもないスキャンダルが飛び込み、それを受けてのマスコミの動き次第では、集団ヒステリーのような国民は、また壊れたシーソーのように大きく揺れ戻しをするのではないでしょうか。

特に北方領土問題でロシアと平和条約を締結するなどという国家戦略は、練りに練らないとアメリカからとんでもない重石を付けられるでしょう。エネルギー問題はアメリカ石油メジャーと食糧問題もアメリカ穀物メジャーとの戦い、世界平和の問題は、場合によっては中央アジアでの紛争地域の影響を受けかねないでしょう。

アメリカとロシアが裏でどのように糸を引いているか、しっかりとした情報収集がなければ、おちおち国家戦略など練れないでしょう。地球環境問題もアジア・アフリカの諸外国の理解を得なければ大変でしょうね。

今日は、千葉三区の選挙結果について、若干コメントをしようと思ったのですが、話がずれてしまいました。

どんな事かと言いますと、3区の自民党候補は、480番目の議席と言うことですが、実は惜敗率(85,777÷112035=76.562)で言いますと、神奈川17区の牧島かれんさん(105806÷139678=75.749)と僅差であり、仮に松野候補の得票が1,134票少ないと牧島さんが当選して松野さんは落選でした。

もっとも千葉3区では有力県議が松野候補を支援したとも聞いているのですが、今回仮に自民党の候補者の票が519票(85,258)少なく、これが全て民主党に行けば、惜敗率は(85,258÷112554=75.748)となり、牧島候補に負けてしまったのです。松野さんどっちに足を向けてお休みになっているのでしょうかね。
posted by やすかね at 14:06| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

民主党と国家戦略

8月30日に投票された4年ぶりの総選挙は,戦後から長い間続いてきた自民党を中心とする政治を終焉させ,これから民主党を中心とする政権によってわが国が運営される事になりました。

この原動力は,国民の政治を変えようという意思と300議席を選出する小選挙区制であることは紛れもない事実です。得票率が数パーセント動くことで,この千葉県でも1勝12敗が11勝2敗に大逆転してしまいます。バランスの取れないシーソーがバタン・バタンと大揺れしているようで,実にドラスチックな変換ですが,この選挙制度の下で,軍事・外交・内政について大きな政策転換があれば諸外国に与える影響も決して小さなものではありません。

今回民主党は,大胆に「脱官僚支配」という事をマニュフェストに掲げましたが,明治以来百年以上国の政治を動かしてきた「継続してきた官僚支配」を政治家が十分コントロールし,国民に約束した「公約」を実現できなければ本当の意味の「国民主権」ではありません。

これまでの自民党政権は,「民主的」(選挙制度で政治活動を含めた表現の自由が最大限に保障されてはいないから,括弧をつけた。)な選挙で選出され,多数党となった自民党政権が官僚の作文を読んで政治を「進めてきた」に過ぎませんから,その政権の実体は,明治以来の天皇主権に基づく政権と質的な違いはなかったかもしれません。

しかし,民主党は官僚支配の打破と言っているのですから,これからは官僚主権ではなく国民主権,本当の意味での民主主義が行われる事を期待します。
その為に,これまでは,言うなれば「継続した官僚」が国家戦略を作成してきたことに対して,今度は民主党が官僚を離れ,国民の立場で独立国としての日本の国家戦略を策定していかなければなりません。また国の政治としてもその時々の政府によって,郵政を民営化する,いや民営化反対だというように,これまで長い間継続してきた事が「小泉の思いつき」のように簡単に変更されたのでは堪りません。ダム工事にしても本当に必要なのか否か,そのときの政権が利権がらみで工事を進めるとすれば,その付けは全て国民が負担することになります。

こう考えますと,国家の基本戦略は,どの政党が政権をとっても大きくぶれない本当に骨太の方針でなければなりません。民主党が目玉とする「国家戦略局」は将来にわたっての基本方針を作成するのですから,世界平和,地球環境,国家の独立,民主主義と人権保障と言う基本原理を守りつつ,歴史・伝統・文化を尊重できる政治が実現できるよう内外の英知を集めてしっかりとした議論が必要でしょう。

非核三原則について行なわれた日米の秘密協定の様な極めて重要な国家情報が,秘密にしておくべき期間が経過したことからアメリカで公開されたものの,この秘密協定がわが国で大きな政治問題となりそうでした。そこで,急きょわが国の要請で,一度公開された情報がアメリカで再び非公開とされてしまいました。わが国では,未だこのレベルの情報公開しかされていません。このような国民に対する情報操作の元で,民主的な国家戦略が出来上がるのでしょうかね。尤も「国家戦略」は諸外国には,全てがつまびらかにはできないでしょうが・・・
posted by やすかね at 14:35| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

弁護士のスイッチ

昨日は,久々にというと「普段はなんだ?」と言われてしまいそうですが,社会派弁護士のスイッチが強力に「ON」となりました。

最近は,インターネットでスーパーに行くことなく,パソコンで買い物ができる「ネットスーパー」と言われる新しい商売があります。利用者にとっては便利でも実際の労働現場では劣悪な条件で働かされる「労働者」が多くなっています。

お客がパソコンで注文をしますと,ネットスーパーでは商品を揃え,これを宅配便で届けるという仕事です。実質的労働者の「宅配業者」は,最大手の大手スーパーの店舗に出入りして,そこから直接荷物をお客の自宅まで配送するのですが,そのときの契約関係は相当複雑になっています。

明治にできた民法では,他人の労力を利用する契約関係は,雇用・請負・委任の各契約で行ないます。請負は他人の労力で仕事の完成(契約関係は終了)を,委任は他人に事務処理をお願いする仕事です。ですから,民法では基本的に他人を必要とする仕事の現場で継続的に仕事をする場合は雇用契約となります。

しかし,雇用契約ですと雇われる人の契約上の地位が雇い主と対等平等ではありませんから,特別法で労働者の保護がなされています。逆に言うと雇い主から見れば,この労働者保護立法が邪魔になりますから,雇い主は何とかしてこの邪魔な法律を回避しようとの動機が働き,労働者に対し,毎日毎日「請負」の仕事をさせる,など言うことが常態となっています。

派遣法では,会社と会社との契約(対等平等)で労働者を派遣しますから,従来の雇い主は契約相手の会社に対して,「あの労働者を変更しろ」等という事は何らの問題もなく行なわれることになります。この様な労働法制があることによって末端の労働者の労働条件は劣悪になってきます。

今回のネットスーパーの仕事は,大手スーパーから仕事を請け負った元請から下請けさらに孫受けとなり,この孫受け会社と安い料金(出来高制で軽自動車を持ち込み3,000円から最大で一日15,000円)で契約した「宅配業者」という労働者は,下請け会社の「従業員」という事でスーパーに出入りして,孫受け会社の社員から仕事の指示を請け,荷物を運んでいました。

孫受け会社は,宅配業者に少しでも気に入らない点があると「契約解除」して違約金を100万円も請求できるとの契約書を取り付けて,有無を言わせず労働者を「奴隷」のように扱いながら,報酬は月末締めの翌々月末の支払となっています。例えば,一月分の支払は3月末の支払です。通常の労働者ですと翌月現金払いで,仮に仕事上の失敗があっても賃金との相殺は禁止されますが,この孫受け会社は2か月分の報酬を先の100万円と相殺し,まだ足りないなどと嘯(ウソブ)いていました。

この孫受け会社は,契約自由の原則とか,法律上の抜け穴をついての正に社会的弱者に対するイジメそのものです。支払を受けられない金額は70万円ほどですから,弁護士に依頼しても大多数の弁護士は依頼を受けないのです。実際「宅配業者」という労働者は労働基準監督署,県庁,市役所さらに,今はやりの「法テラス」の紹介で弁護士事務所を訪ねたのですが,どこでも相談には乗ってくれませんでした。

「弁護士の社会的責任」「社会的弱者の救済」などと口では言う弁護士が多いのですが,実際には,引き受けてくれる弁護士は多くありません。しかし,この話を聞いて憤りを感じない弁護士は,僕はバッチを外した方が良いと考えています。

今回は,民法の報償責任の理論(利益を受けるものはそのリスクも受けるのが正義だという考え)を強力に押し出し,70万円の支払を求め,元受だけでなく大手スーパー含め4社に対し「訴えるぞ」と交渉したところ,翌日目出度く解決となったようです。
posted by やすかね at 15:50| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月28日

不況の原因

 不景気がどうして起こるのか、恐慌の原因は何か、については多くの経済学者はいい加減な事を言っていますが、原理原則から考えれば自ずと結論が出てきます。
 ちょっと長くなりそうですが、今回の不況と金融危機について私見を述べさせていただきます。

それでは、最初に何故不況が起こるのかと言う事ですが、人間は自然に働きかけて生活に必要なものを生産して消費しながら生きています。これは人類数十万年の歴史の中でも変化がありません。

現代は、この生産と消費が資本主義的に営まれています。資本主義は、資本家企業家が労働者を雇って、生産の現場を管理運営し、その利益、半分は税金に取られますが、残りは全部資本家のものとなります。

例えば、資本家が2人、労働者が8人で一億円の生産を生み出したとして、2割の資本家が8割の取り分、この半分は税金ですが、残り2割が労働者の賃金としますと資本家は一人で2000万円、労働者は一人で250万円、税金が4000万円となります。

労働者は貯金などできません(として)から250万円ずつ8人で2000万円分消費しますが、資本家は、相当の浪費をしても一人で2000万円分消費はできないのです。そうなりますと、一億円の生産物は一部売れ残ってしまうのです。

税金分の4000万円で公共事業をして、資本家が労働者の4倍贅沢をしてもまだ、1億円の生産物のうちの2割が売れ残ってしまうのです。そこで、資本家は更なる消費をするために設備投資ということで生産設備を作ります。設備を建設するときは消費をするのですが、これは、新たに生産を拡大する投資ですから、設備投資が進むたびに、公共投資では消費しきれない生産物が在庫となって膨らんできます。
そこで、最後は戦争と言う巨大な浪費が必要となってくるのです。

皆さん、これまで比較的好景気が続いてきましたが、アメリカは10年ごとに戦争をしてきましたが、このアメリカの戦争に日本が相当の費用を出してきたのは、世界経済を支えるために必要なことだったのです。(これで良しとするものでもない。)

 ところが、今回の金融危機からの不況と言うのは、これまでと大きく異なっています。

 皆さんの中でも、ゴルフ場の会員権、預託金ですが、大体パーになりましたね。ゴルフ場が潰れてというか、預託金の返還を受けられない人が沢山いてもあまり大きな社会問題とならなかったことを覚えていますか、豊田商事事件では、沢山のお年寄りの財産が、金何グラムの権利などとかかれた紙を渡されて老後の資金を巻き上げられたから社会問題となったのです。

 しかし、私達が庭の草取りをしているとき、若い子にバッグを運ばせてゴルフを楽しんでいる人の預託金が1000万円ほど吹っ飛んでもこれは、たいした社会問題とならないのです。今日あすの米が買えなくなるとか、ミルクが買えないという事にならないからです。

今回の金融危機、年賀状に不況は分かるが、金融危機は実感がないと書いたのは、私達一般庶民は、とりあえず金融危機にはあまり関係が無かったということです。投資信託などを買えた人は損害を受けていますが、通常は、直接の損害はあまり感じられません。

その様な意味から、今回の金融危機は在庫が溜まって引き起こされた不況ではないのです。中東アラブのドバイでの建設工事がストップした、などとの報道もありますが、莫大なオイルダラーとか、ゼロ金利でアメリカに流れた日本の資金などがユダヤ系のハゲタカファンドの資金となり、金とか石油とか穀物と云った実体経済、生産物に関係のない担保付証券などと言う綿飴のような膨らんだ実体のない「商品」を買っておけばさらに値上がりすると考えて世界で約8万兆円(8京円)の金が動いていたという事のようです。

アメリカのウォール街の連中が低所得者の住宅ローンを分けのわからない方法で証券化して途中で膨大な手数料を巻き上げていたのがその実態です。その結果オイルダラーとか、投資信託を買わされた銀行などが膨大な損失を受けたのです。

しかも、これまでの世界経済は、自動車産業の拡大で全体が支えられていた面があり、この自動車を誰が買っていたかと言うと、住宅バブルで儲かっていると考えたアメリカの低所得者とか綿飴を買って儲かったと考えていた人々だったわけです。しかし、この様な人々は今回の金融危機で当然に車を買えなくなりました。

しかし、車を買っていた人が全て低所得者でもないし、投資信託で大損をしているわけでもありませんから、一挙に車が売れなくなると考える必要もないのではないかと思います。

ですから、トヨタなどの反応は極端すぎるのではないか、新聞マスコミも不景気を騒ぎすぎるのではないか、と思います。私なども不景気・不景気といわれついつい、自動車を買うつもりが止めてしまったという事があります。

経済はマインド、人の気持ちが重要ですので、余裕のある人はどんどんお金を使わないと経済は回復しません。

どんどんお金を使いましょうよ、お金は貯めるのでなく、使って残しましょう。お金はウ〇〇と一緒で貯めると汚くなりますから、一生懸命仕事をしてお金を稼いで、どんどん使いましょう。
posted by やすかね at 13:27| 千葉 🌁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

裁判員制度と刑事裁判

千葉県弁護士会では、裁判員制度導入に対して臨時総会を開催して、この制度を延期すべきかどうか年明けに議論する事になりました。ついては私も意見を言うつもりで原稿を書きましたので、ご覧下さい。

1、 議事進行について 今回は多くの人のご意見を拝聴したいので、1人3分の発言を保障したら、後はマイクのスイッチを切ってもらいたい。
2、 私も臨時総会の招集を求めた130人の1人ですが、裁判員制度導入について議論を深めるために総会招集に賛同しただけですので、私は結論として裁判員制度の延期決議に賛同するものではありませんことを冒頭に断っておきます。
3、 国民の認識と裁判員制度導入について
@ わが国での裁判についての基本的考え方は、「裁判はお上がやるもの」と考え、「北に訴訟をやるものがあればつまらないから止めろ」と宮沢賢治が言うように、わが国では、裁判はまだまだ「裁判沙汰」であり、病気になって初めて健康のすばらしさを実感するように、わが国では裁判沙汰にならないことが家庭の平和、社会の平和ですから、この様な国民に対し、いきなり「さぁ、民主主義国家では、民衆による裁判が当たり前ですから、あなたも裁判員になって裁判官と一緒に、あなたの言葉で裁判をしてください。」と言われても多くの人が面食らっているのは事実です。
A この制度導入が、どのような経緯で行なわれたか、考えても分かりませんし、ひょっとするとアメリカが「和をもって尊し」とする日本社会を「訴訟社会」に引きずり込んで、国民のエネルギーを消耗させようとする大きな国家戦略をもって導入をさせたのかもしれません。
しかし、現在までに莫大な費用と労力を遣ってしまった以上、国家の権威を守るためにもやらざるを得ないでしょうが、わが国では未だ市民社会が成熟しているとも考えられず、この制度を維持するにはものすごいエネルギーが必要であることは間違いないことです。
B しかしながら、結論としては、この制度が職業的裁判官の独善を排斥しようとする民主主義的制度である事から、困難であってもやらざるを得ない制度と考えています。ごちゃごちゃ言うとお前の結論はなんだとお叱りを受けそうですが、上手くいくには大変でしょうが、とりあえず決まったんだからやってみようよというのが本音です。
4、 刑事裁判の歴史概略
@ そこで、ご承知の皆様に稚拙なことを申し上げるのは申し訳ないですが、刑事裁判の歴史を若干振り返ろうと思います。独善的な点もあると思いますが、ご容赦下さい。
皆さん、大岡越前守とか、遠山の金さんの裁判をテレビを見ていますと昔の裁判は、お奉行が捜査の一件資料から、被疑者をお白州に引き出し、証拠に基づいて被疑者を尋問して犯罪事実を認定して「遠州無宿者元次郎に遠島を申し付ける。」などと、訴追から被疑者の弁護活動、証拠決定・犯罪事実の認定・量刑と1人で何役もしています。場合によっては片肌をめくって「この桜吹雪が見ているんでぇー」などと、証人にもなって、国家刑罰権を行使していました。
A 明治になりますと、京都市宮津市にある明治村に当時の刑事法廷を展示しているところがありますが、ここでは、壇上には検察官が訴追官となり、裁判官の隣に座り(書記官も壇上)、弁護人が壇の下で被疑者の弁護をするといったように、江戸時代の裁判官であった奉行から訴追と弁護の役割が分離し、裁判官は検察官の提出した一件記録に基づいて職権主義的裁判が行われました。
B 戦後は、ご承知のように検察官と弁護人が一応対等の立場で証拠を提出し、裁判官の証拠決定の上で、裁判官による事実認定と量刑判断が行われます。特に以前の刑事訴訟では、一応証拠があるにもかかわらず、被疑者が自白しない場合には、自白の強要も行われた弊害から、現在では虚偽事実の主張は許されませんが、被疑者に黙秘権が保障されています。(ドイツでは現在でも、黙秘権の行使が行き過ぎますと弁護士自身が疑われることから黙秘権行使も控えめであると聞いています。)
C この様に刑事裁判は、時代の進歩、民主主義の発展と共に進化し、証拠収集・訴追と弁護活動、事実認定・量刑判断とその役割が分割され、過ちを犯す人間の役割を分割して可及的に冤罪を防ぐ努力を積み重ねてきました。今回の裁判員制度は、その延長線上であり、事実認定における職業的裁判官の独善的判断からの誤判を防止するために採用されたと理解しています。
D もっとも、陪審裁判と異なるのは、陪審による事実認定では有罪無罪の結論だけしか示されず、上級審での審理が難しくなることから、あるいは、わが国の憲法上、裁判官による裁判が保障されていることから、裁判員制度では、裁判官も事実認定に加わると共に、量刑についても国民の意見を取り入れたほうが良いであろうと考え、今回の制度採用とされたようです。
裁判員制度は、重大犯罪については事実認定だけでなく量刑についてまで、民間人の判断を採用するということですから、職業的裁判官からみると「重大犯罪でなければ、これまで通り、裁判官にまかせるが、重大犯罪であれば、事実認定も量刑についても素人の判断を取り入れる」ことであり、裁判官にとっては屈辱的制度であると考える方もおられます。
C 即ち、簡単に裁判の歴史から考えますと、今回の裁判員制度は、時代の進歩に即したものであり、これを進めてゆくのが正しい判断と考えますが、どんな制度でも実際に始めれば、必ず問題点が出ることは明らかでしょう。
しかし、これはやってみなければ分からないことですから、全ての問題点が解消されなければ採用すべきでない、延期すべきである、などと考えることは、時代の進歩も見えていない、と言われても仕方のないことです。
また私たち法曹は、弁護士も裁判官も検察官も誰しも正しい刑事裁判を求めているとお互に信頼すべきであり、自分たちだけが正しい刑事裁判を求めているなどと考えることがあれば、それは明らかな独善です。
D ついでに言わせていただきますが、疑わしきは罰せずと言う刑事裁判の鉄則は、守られるべきでしょうが、証拠に対する「合理的疑い」を考えるとき、(神の目から見れば)本当は真犯人であるが、この証拠に対する合理的疑いから、犯人を「無罪」とするのですから、裏を返せば証拠法則から無罪となった犯罪者がお天道様の下を歩いていることですから、善良な市民にとっては、自分の安全は自分で守ると言う「市民社会」の危険を負担しなければならないと言うことです。
即ち私としては、証拠に対する「合理的疑い」とは、無辜を罰しないと言う原則と市民社会の安全と言う微妙なバランスの中で判断されるべき事と考えています。
posted by やすかね at 17:50| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

変化(進化)してますか。

「道」でなく「勝負」

先日、柔道に関するブログ(日本代表の選考会がおかしい)を書きました。そのとき、多少事実関係(準決勝を一回戦)を間違ってしまいましたが、今日は男子柔道についてです。

先日、100キロ超級で金メダリストとなった石井慧(さとし)が、今度はプロ格闘技に転向するとの報道がありましたね。私は、ごつい体と顔を見て、失礼ですが「あまり頭も良くないだろう」などと思っていました。

ところが、一昨日TVを見ていましたら、感動的な女子ソフトボールに続いて柔道の石井の特集がありました。別にやることもあったので、早々にスイッチを切ろうと思ったのですが、見ているうちに引き込まれました。

あのごつい顔で「環境に順応できるものが、・・勝つ」だか「・・生き残る」と発言していました。これを聞いて「おやっ?」と思い、急遽メモを取りながらTVを見ることになりました。

番組が進んでくるに従い、石井の努力が並大抵のことでなく、また自らの司令塔(格闘かが頭突きのため頭を鍛えるのではなく、脳みそのこと)も十分鍛えている事が段々と解ってきました。

要するに、変な意地を張って時代の変化に乗り切れなくては、取り残されてしまうという事を、金メダルを狙い、これを見事に取ることで、実践してきたのが、このごつい不細工な男なのです。私は、ソフトボールにも負けないくらいの感動を受けました。

知らなかったのですが、フランスのJUDO人口は、55万人であり、日本の3倍程度だということです。既に柔道は、正式には「JUDO」と書くのであり、「柔道」などという「道」を目指す格闘技は、マイナーなスポーツとなっていたのです。いまや柔道でなく「JUDO」は「道」でなく「勝負」にこだわる必要があるということです。

「柔道」は、最初こそ日本のお家芸でしたが、柔道が国際的格闘技となったときから絶え間なく変化を続けていたのです。私など、柔道にたいした興味もなかったものですから、その様な変化は、全く気がつきませんでした。当然ですよね。日本柔道連盟の「主流派」でも気が付いていないのですから。

石井は、その点を強く意識して「変化しているものに対して、旧態依然と対応していたのでは、時代に取り残される。」と考えて、自分の体と精神を鍛えて、金メダルを取ったところ、「日本柔道会の救世主」などと言われているのですが、本人はさっさと「プロを目指す」と決めているようです。

石井の語録を並べますが、「日本は、進化していない。」「神様は、あれもこれも、かなえてはくれない、色々なものを我慢してガマンして、最後に一つかなえてくれる。」
練習:「人の見ている前では誰でもできる、オーバーワークの暴挙が奇跡につながる。」
「マニュアルが、個性をなくし、フォーメーションが〇〇をなくす。」この〇〇がメモを取ってなかったので、石井の名前でインターネットを検索したところ、石井の面白い発言集がありました。ご参照下さい。

要するに、言いたかったことは、「変化するものに順応できなければ、滅びる」という命題は全てにあてはまりそうです。

posted by やすかね at 15:30| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

コミュニティー論

「コミュニティー」を考える 地域のコミュニティーは、昔からの村落共同体、新興住宅地の町会、村落と新住民の混合型などあり、特色ある町会活動を展開しています。
村落は、古くから米作を中心とした生産共同体であり、共同作業での農道整備、用水確保などの必要から、村長(ムラオサ)の決定は、義務として様々な行事が進められ、個人の勝手(自由)な行動には、村八分の制裁がありました。 それでも村長が時代の変化を読み、自由公平に活動すれば、村落の公正は確保されています。
しかし、声が大きく傲慢な人が先頭になれば、先進的良識人は、何も言わなくなり、町会活動全般が、暗く沈んでしまい、活動は義務的・消極的になります。
これに対して、高度成長を支えた企業などで働くため、この地域に定住してきた人々は、町会活動を、自らの「第二のふるさと創り」と考え、自由平等な地域コミュニティー活動を積極的に進めています。
今年の夏も色々なところの町会の夏祭り(盆踊り)にご招待され、第二のふるさと創りを続けている町会活動は、明るく楽しい印象を持ちました。印象ですから、何ら証拠となるものもありませんが、今後の町会活動から出来るだけ義務をなくし、より多くの人が積極的にボランティアとして参加できる自由・平等な運営を進める必要がありそうです。
ご近所が仲良く、お互い感謝しあえる関係になれば、よそ様の子どもの悪さも注意できる、地域文化が創造できると考えました。自助共助の犯罪のない明るい町会活動に向け、プライバシーと相互扶助の適切なまあいが不可欠と考えました。
posted by やすかね at 00:01| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

食品偽装と公務員の無責任

食品偽装も、これまで色々ありましたが、今回の汚染米の偽装販売は、単なる「産地偽装」等とは異なり、その影響の大きさは比較できないでしょう。

菓子、焼酎、などに対する現実的害悪は分かりませんが、食の安全に対する信頼が揺らいだことは、はかり知れないものでしょう。単なる風聞でも業界が大きな影響を受けるわが国では、倒産なども出るでしょうかね。

それにしても、1t当り6,000円という事は、キロ6円、1表60キロでもわずか360円ですから、殆どただ同前です。これを通常より安い金額でしょうが、お菓子業者などに卸し、メタミドホスで汚染された米がお菓子になって子ども達が食べたのでしょうね。

それにしても農林水産省は、ただ同然の汚染米がその様に偽装され転売される危険性を全く考えなかったのでしょうか、それが疑問です。公務員の無責任体質の典型でしょう。

偽装される危険性は、業者の性悪説に従えば当然でしょうし、これまでにも、牛肉偽装など沢山あったのですから、お役人は『私どもは、業者の皆様が不正を働くとは考えても見なかった。』では済まないはずです。転売先まできちんとしたチェック体制が必要です。

ブログでも何度か書きましたが、公務員の無責任は裁判官はじめ色々なところにあります。

何百トンと言う米を糊の原料にするというのですから、その数倍の重さの糊がわが国の産業でどの程度消費されるのか、考えても不思議です。ひょっとすると汚染米が全て糊となったら、机の上が糊だらけになってしまいそうです。そんなに糊が必要なのでしょうか。分かりません。

産業廃棄物のような汚染米は、払い下げた業者がどこに販売したかまで、きちんと追跡調査して欲しいものです。

今度の議会で執行部は、加茂運動公園用地の買収単価を300坪640万円で仮契約したと言うのですが、山間部の加茂の田んぼを、一日も早い完成を考えたとしても、自分のお金であれば絶対買わないであろう値段を執行部が「勝手に」提示したものです。

これも不動産鑑定に出した結果ですなどと、当事者能力を否定するような答弁をしてくるのでしょうが、これなども完全な無責任です。

不動産鑑定評価などを金科玉条にしても、執行部はしっかりと当事者として市民の税金を絶対無駄遣いしないとの強い信念で使ってもらいたいと考えます。

お役人は、市民の税金を、人様からお預りした大切な財産、と考える必要があります。その様な考えのない、自覚のないところに
性悪説の政治家が出て、お役所のお金は自分のものと考えて、不当に利得しようとした姉崎森林公園とは、その構造が異なるでしょうが、全市民に対して正々堂々情報を開示できる内容で、行政を運営していただきたいものです。
posted by やすかね at 15:51| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

監視カメラ社会の自由

これまで犯罪といえば、一瞬の出来事であり、犯行後の現場検証、遺留物件の捜索・差押さえ、被害者・目撃証人などからの事情聴取等々捜査が進み、犯人が特定され、被疑者の逮捕・勾留、被疑者の調書作成、と一連の手続きが進められて、しかる後裁判が開始される中で、過去の出来事であった犯罪の状況が「判明」する、この様な流れが一般的でした。

事件を担当した警察官、検察官、裁判官、弁護士、さらには被害者とその家族などは事件の概要を理解できるものの、それは「真実」には程遠い内容であるには間違いないでしょう。

「あの事件は、どんな事件だったのか、その真相は何だったのか」と疑問を持って、犯罪に関する新聞報道などを見たとしても、一般の読者には事件の一部についての概要程度しか理解できませんでした。

それでも、社会的に耳目を集め、関心を持たれた犯罪は、ワイドショウなどで、捜査機関の流す一方的情報、場合によっては興味本位に脚色を加えられた報道から、テレビで見た人は、過去の犯罪に関して、どのような「真実」を知ることができ、またどのような感想をもったのでしょうかね。

恐らく、自分が被害者とならなかった幸せと同時に凶悪犯人に対する非難を他の多くの「観戦者」と共感することで、当面の安心を実感するのですが、その直後に「今まで、わが国は、治安大国と言われたにもかかわらず、どうしてこんなに、凶悪犯が多くなってしまったのだろうか」と自らと家族に何時危害が及ぶかもしれない、と不安感で一杯になっていることでしょう。

先日、秋葉原での凶悪な犯行では、犯行の一部が防犯カメラで映し出され、昔であれば絶対見ることのできなかった生の犯罪行為を「ライブで観戦」できるようにもなっています。

ワイドショーでは、何十回何百回と犯行状況が繰り返し報道され、「監視カメラ」の「有効性」が体感されています。

しかし、わが国の犯罪統計を見ても現代社会が特に凶悪犯罪が多くなった事実はないようです。また街角に沢山防犯カメラが設置されたことで「犯罪が減少した」との報道に接した事もありません。

私達は、買い物に出かけ、家族友人と街角を散策している状況が常に監視カメラで「見守られ」ています。本当は「見張られている。」のですが、私達の感覚では「監視カメラさんが私達を見守ってくれている。」のではないでしょうか。

監視カメラもそうですが、警察のNシステムと言う主要道路に設置されたカメラは、24時間通行する車両の記録を残しています。「全ての車が監視されているのであるから、安全だ」と言えるのでしょうか。

以前にアメリカでは地球上の全ての通信を傍受していると書きましたが、その様に膨大な傍受であれば、逆に何ら個人のプライバシーが危険になっているわけではない。と考えられなくもないのですが、実はスーパーコンピューターで「特定人の通信だけを拾い上げることもできる。」という事ですから、権力から「狙われた人には、既にプライバシーは存在していないと思われます。」

何も、悪いことをしていないのであれば、良いではないか、とも考えられますから、「現代のような凶悪犯罪が増加した社会」(と多くの国民が考えている社会)では、監視カメラの危険性を指摘すること自体が危険視され、セキュリティー重視を批判することはタブーとなっているのが原状です。

自由に野原で生活していた鳥達に、「君達、狼が怖くないかね、私が君達を狼から守ってあげる、そのためには君達鳥は、僕の作った折の中で生活したらどうか」と提案され、反対した鳥が数羽折りの外にいたところ、現実に狼に襲われてしまった。これを見た鳥達は一斉に震えあがり、以後人間の作った折の中で「自由」を謳歌している。これが「平和」と言うものでしょうか。

昔なら、か弱い女性は、強い男性に守られ、結婚して家庭で子供を育てていたのですが、強くなり「自由」を捨てて外に出てしまった?少子高齢化はなんなんでしょうね。今日の思いつきのブログは、何だか、お判りですか?
posted by やすかね at 16:56| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

社会的地位ある人の責任回避

「社会的責任のある立場の人の責任逃れ」ということで、何回か書いてみます。

「公務員を拝命して以来、定年退職まで40年間、大過なく過ごすことが出来ました。」とは、公務員が何もせずに給料をもらい、退職しました。という事でしょうね。
最後の最後に、つまらないワイセツ行為を行い、懲戒免職で数千万円の退職金と年金も棒に振る(少し酷ですね)裁判官などは、ともかく一般的に公務員は自分の行為に対して、最後の責任を負担せずに済むように、慎重に、極めて慎重に行動し、そのため国民はモタモタした行政にうんざりと言うのが常識です。
どうして、分かりきっているのに「検討します。」などと結論を保留して決断・実行しないのでしょうかね。

法律の専門家である、裁判官ともなりますと、もっと巧妙に責任逃れのシステムを作っています。
普通、裁判所では、金を借りた人には『借りたものは、返しなさい』と判決するのですが、多重債務者には『借りた借金を返済しなくてもよい』と「免責の裁判」をします。
借金を返済しなくて良いと、普通とは全く逆の裁判ですから、金を借りた人がギャンブル・浪費などで破産した場合にも「免責」してしまっては、法の正義に反しますので、この様な事由は「免責不許可事由」です。
ですから、普通の免責には「免責不許可事由がない」ことが前提です。

そうは言っても、免責制度は、債務者の人生やり直しの援助をするという一面もありますので、極端なギャンブルなどでなければ、裁判所は「裁量免責」もすることになっています。
そこで、裁判官は「裁量権」を行使するのですが、裁判官が裁量免責をしたあとで、債権者から「おかしいではないか」等と抗議された場合には、責任を負いたくない裁判官は、責任を負わない制度を作り上げています。

どうするかと言いますと、多重債務者から、免責不許可事由があるが、破産・免責を求める、と申し立てられますと、これは殆ど管財事件となります。
管財人の費用20万円は、申立人の負担ですが、管財人が免責不許可事由の調査(といっても、本人からの聞き取りで終了)をして、裁判所に対し、「免責相当」の意見を出す事で裁判官は自らの考えにより裁量権を行使する責任を大幅に免れるのです。
仮に一部債権者から「免責不許可事由が有るではないか」と抗議されても、『管財人の先生が調査され、免責相当とのご意見を頂いております。』と責任を回避して一軒落着です。

目出度し目出度し、もっとも弁護士もこの制度を利用して飯の種にしているのですから、いやはや、なんと申しましょうか、「絶対、人にお金を貸すんじゃないよ、どんなに世話になっても、人の保証人にはなるなよ。」この教訓は多数の事例を経験してみて、やっぱり守るべき教訓です。
posted by やすかね at 12:18| 千葉 🌁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

銀行のサラ金化

私達の学生時代には「消費者金融」(サラ金)は存在せず、夏休み前になると大阪の親友は、質草のTVを質に入れ帰省費用を工面していました。

質屋の金利は月9分、年108%のものすごい金利でした。この様な時期にサラ金が出現し、年利60%位から始まりました。質屋の半分ほどでしたが、間もなく大きな社会問題となりました。質草が不要でしたので、借主はたちまち多重債務者となってしまったのです。

そこで、当初は誰が被害者かわからない「クレジットサラ金被害」なる言葉もでました。事実私なども弁護士になりたての頃、「武富士が被害者か」などと素朴な考えをもっていたのでした。

その後はご承知のとおり、「社会悪」と化したサラ金に対して消費者を守るべく弁護団ができ、とうとう利息制限法を超える貸付は全て違法となり、利息制限法の上限を超え、出資法との間のグレーゾーンも全て「不当利得」となり、丸井の様に取引履歴を捨ててしまわなかった「優良サラ金」業者では、莫大な過払い金の返還請求を受け、多くのサラ金業者の経営はたち行かなくなりました。
そこで、この絶好の機会を千載一遇と考えているのが、立派な市中銀行です。

バブルで潰れそうになった銀行は、政治の力を借りて国民の金利を殆どゼロにしながら、天文学的な不良債権を償却した銀行は、今度は有り余る資金を消費者金融のノウハウを手に入れて、利息制限法の上限金利で貸し出しているのです。

県内の大手銀行に融資の相談をした依頼者は、電話では14%と言う事で、銀行の窓口を訪れたところ、行員曰く、『14%では融資できません。』という事で99万円を18%の金利で借りざるを得ない状況でした。
私が『100万円を借りれば、15%の金利だったのに』と言いますと『銀行は、99万円しか貸してくれませんでした』との事です。
銀行はサラ金並みに、と言うより超低金利で調達した資金を18%で貸付、利ざやの荒稼ぎです。

因みに100万円借りますと年15万円の利息であるのに対し、99万円ですと年17万8200円の利息となるのです。ですから、銀行は電話では14%などと言いながら、債務者の窮状を見て、貸し出し金額は18%取れる最高額である99万円を限度として貸し出すのです。あと1万円貸してしまうと利息は15万円しか取れないのです。

言っておきますが、サラ金の資金調達は銀行のように殆どゼロではない(5%〜8%?)のですから、銀行はあくどいですね。
政治の力を借りて、国民の利息を横取りしながら窮状を救われた銀行には、社会的責任を負担する、という倫理は無いのですかね。
posted by やすかね at 17:55| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

08年3月議会、新自由主義の失敗

平成20年第1回緑水会代表質問

はじめに、この3月で退職される職員の皆様へ、

団塊の世代が子どもの頃は、21世紀は夢と希望にあふれ、誰しも平和に安心して暮らせる世の中になっているであろうと、考えていました。私自身団塊の世代に属するものとして、子ども頃の夢と希望があった昔を懐かしんでいる状況です。30数年前、社会のエリート、地方自治の専門家となるべく、市役所の難しい試験を突破され、以後今日まで与えられた職責を全うしながら、後輩を育成し、この市原の地方自治発展に尽力されたその功績は真に、偉大であります。ここに長年の労苦に対し、全庁を上げて感謝いたすところであります。
また、お一人お一人、事情は様々でしょうが、この30数余年を振り返れば、思い残すこともあるでしょうが、皆様の空けられた椅子を一日千秋の思いで、待っておられる後輩もあると考えますので、とりあえず後進に道を譲られ、4月からは、退職後のご自分の時間、お金に代えられない真の自由時間として有意義にすごされ、そして多少の時間を市役所だけでなく、地域社会に向けていただければ、皆様の長年の経験が、社会にとってなくてはならない存在となると信じています。
特に平成20年から、団塊の世代が第一線を離れることによって社会全体に信じられないほどの大きな影響が、社会のあらゆる場面で顕著になってくると考えておりますので、まさに皆様の考えで納得できる仕事、ボランティアなどをすることで社会とのかかわりを持ち続けて欲しいと思います。皆様が広く社会で活躍されることを期待しています。
これを知るものは、これを好むものに如かず、之を好むものは、これを楽しむ者に如かず、の言葉通り、楽しみつつ社会奉仕活動に積極的に参加され、人間本来の労働の楽しみを享受して欲しいと思います。

1、格差社会における対策について

21世紀も8年目、産業革命以来、科学技術の進歩は人類の幸せをもたらすであろうと考えられてきました。しかし、現在は地球温暖化を初め、世界中では未だ多くの地域で武力紛争、戦争が継続し、またエネルギー争奪戦、食料問題など実に人類の危機だけでなく、地球の危機といえる状況が存在しております。
この様な大きな問題は一人でどうにもならないわけですが、しかしどのような問題も、元を質せば一人一人のものの考え方、生き方から生じていることは明らかです。
従って、私たちはどんな大きな問題も必ず解決できる、という信念の下に絶対に諦めることなく、自分に何ができるのか、何をすればいいのか常に考え、たまには休みつつ、活動を継続していかなければならないと考えています。
わが国に目を転じれば、政府には、世界最大の巨額の財政赤字が存在し、何れの地方自治体も大変な財政課題を抱え、国民の生活についても、教育、医療・年金・介護などの社会保障の問題、雇用に大きな問題を抱え、大企業は空前の利益を上げるなか、中小企業は不況にあえいでいます。即ち社会のあらゆる場面に格差が拡大しており、若者も高齢者もこれからの生活に大きな不安を感じているのが実情です。
しかし、いまの政治は、これらの、どの問題に対しても有効な対策を取れないでいるのが、現状で、徐々に社会の活力が低下しつつあると感じています。

結局、国、地方自治体の巨額な財政赤字が解消に向かって進み、経済が安定的に推移し、人口も各世代がバランスよく存在し、各家庭の構成が、祖父母、両親、子ども二三人がいて、祖父母のいずれかは、ひ孫を見てから亡くなる、この様な家族構成ができているなら、私たちの生活が、継続可能なといえるでしょう。
しかし、経済が停滞する中で、経済的格差が拡大し、赤字財政も拡大し、世帯数だけが増加して人口が減少しているとなれば、誰しも明るい未来は考えられません。そういう状況ですから、一人ひとりが頑張るぞ、という気概を無くし社会全体も沈滞ムードが蔓延し、ますます悪い状況となってしまいます。
そこで、国民一人ひとりが、能力一杯頑張れれば、まだまだ日本は、浮上できるでしょうから、社会のリーダーである政治家が如何すれば、全ての人に、将来の希望を与えられるかが重要であり、そして国民一人ひとりが『よし、頑張るぞ』とやる気を出してもらえるかが、わが国の浮上にとても重要と思います。
要するに、頑張れば、将来の希望が見出せる社会状況を作る必要があります。
そこで、ちょっとつらい数字ですが、93年日本の一人当たりのGDPは世界トップでしたが、06年は15位、トップのルクセンブルグは年間8万ドル、ノルウェー、6万3千ドル、であるのに対し、日本は3万5千ドル、この13年間に日本はGDPを1.7%減少させているそうです。
この同じ13年間にアイルランドではGDPを3.66倍、ノルウェー2.64倍と成熟社会でも所得倍増ができています。その他フィンランド2.31倍、デンマーク1.87倍、スウェーデン1.83倍、と北欧諸国の躍進が顕著です。いずれも消費者の購買力の大きい国々です。
しかも、世界の中で日本社会全体がこれほど落ち込んでいる、伸び悩んでいる中で、さらに日本国内では、所得額下位30%の層が市場から得た所得は全体の14%であり、政府による所得再分配後も16%に過ぎず、北欧の所得下位30%層の所得が20%近くあるのと比べ、日本の格差は大きくなっています。
また、OECDの調査によれば、わが国の貧困率はアメリカに次いで、ワースト第2位であり、一億総中流の時代はとうに終わっています。
たとえば、日本では、年収200万円以下の人々が1000万人を超えており、低所得者はぎりぎりの生活しかできず、昔であれば当たり前であった、結婚して子どもを持つことは、今や青年の夢となっているのです。
この様な状況が続くなら、同じ日本人であるという意識は希薄となり、他人が何をしていようが自分には関係ないと考え、私たちの毎日の生活が殺伐としてきます。
お年寄りに対する詐欺的訪問販売、オレオレ詐欺、様々な食品偽装問題、凶悪犯罪の増加、目の前の犯罪も見てみない振り、子どもの遊び声も聞こえず、ゲームとかケータイメールが発達し、人々の楽しい会話、笑い声も無くなってしまったようです。
従って、いま数字をあげましたが、日本全体が沈み込み、格差が拡大するのと比べ、北欧社会は格差が少なく、この13年間も順調に経済も活発化している、持続可能な社会ができていますが、わが国では未来に希望が持てない人が多くなっています。そこでこれからは、一生懸命努力しようとする人々が増えることが必要ですから、一日も早く、一人一人に夢と希望を与えられる政治が不可欠となっています。
市長さんは、常々『子ども達は、私たちの未来である。』といわれます。人間は生まれた直後から周りから情報を取り入れ成長してきます。子どもは無限の可能性を持っていますから、この子どもの成長を見守ることが、また周りの大人たちにも夢を与えてくれます。子供の成長を見守ることで、子供と大人が夢を共有できることになります。
と言うことは、この子ども達が、健やかに成長できる環境こそ、私たちにとっても大切なことだと考えます。
スウェーデンでは、日本のように生活費を切り詰め、貯金をする人が少ないと報道されています。将来に備え貯金する必要がないのです。もっとも、今の日本では生活費を切り詰めても、最早貯金などできない状況ですし、仮に貯金をしても、それでは、老後をつつがなく乗り切るために、幾ら貯金すれば、大丈夫なのか見当も付きません。本来長寿は、めでたいことなのに、長生きがお年寄りのリスクになっているのです。
それはともかく、スウェーデンでは子どもの教育費は、大学まで無料、老後も公的な給付があるから、特別な備えが必要ないということです。
日本での教育は、金持ちは、ご幼少からお受験を行い、エスカレーターでどんどん上に登り、有名大学をでて、親のコネで有力会社に就職して社会的・経済的だけでなく、精神的発達においても優位な地位を獲得します。
これは、ご近所の事ですが、福井の方に嫁がれた娘さんが、嫁ぎ先の大おばあさんに最初に何を言われたと、お考えでしょうか?「文江さん、我が家では、子どもには、先ず我慢することを教えてください。」言われたそうです。
この様に、教養のあふれる家庭では、人間として大切なことは、極幼いときにしっかりと教育され、これが良家の家訓として代々引き継がれているのです。
先日いただいたアイデアル・ファミリーという小冊子に元リトアニア領事をされた杉原千畝さんの奥様である幸子さんの文章がありました。皆さんもぜひお読みいただきたいのですが、杉原さんは「6千人の命のビザ」の内容をご紹介する中で『人間は、いざという時には、他人のために命を捨てる勇気を持たなければならないことを、子供に教える必要があります。』と書いておられました。イギリスの貴族のような、気高い教えと感激させられました。
これに対して、わが国の家庭では、どのような教育がなされているのでしょうか、経済的に劣悪で、しかもお年寄りのいない家庭の子どもは、小さいときから、お守りは、テレビとゲームであり、貧しいゆえに、親が働き、子どもに対して基本的躾も身に付けられず、小学校に入って、すぐさま落ちこぼれとなってしまい、体だけが大きく成長して、厳しい現実を理解したときは、既に手遅れで、社会的に這い上がることは、ほとんど不可能になってしまいます。
憲法では、教育の機会均等が保障され、また全て国民は平等と宣言されていますが、その実体は、教育の機会均等ですら、経済的格差から大きくゆがめられています。
この様に考えますと、子どもが小学校に入学時点で、学業はもとより、躾も教養も大きな格差ができています。この様な事は、学校現場にいない私でも想像できます。
つい先週土曜日のことです。駅のホームで列車を待つため、並んでいました。そこに、電車が入ってきたので、乗り込もうとしたところ、後ろに並んでいた女子中学生くらいの二人が『前に行こうか』と声をかけ、列を割り込んで電車に乗り込み、ちゃっかりと座っているのです。自分が座れれば文句を言わなかったというわけでもないのですが、・・
この様な現実を見ますと、先ず、
Q:教育委員会では、親の経済的格差が子どもの躾等に関してどの様な影響を与えているとお考えでしょうか。
また全ての子どもが、親を反面教師として見ることもできないと思いますので、
Q:学校教育、小学校入学前に幼児教育もきちんとしてあげなければならない、と考えています。この点について、教育長のご見解をお伺いします。
さらに、子どもは成長するにしたがって、社会規範を徐々に身につけるのですが、自己規制できるまでに自分を律するための、ことわざ、言い伝え、日本にある伝統的な万物霊長の考え方、これは若干危険な言い方ですが、仮に「宗教的教育」といいますが、
Q:幼児ないしは小学校で、この宗教的教育が必要とお考えでしょうか。
また、最近の小学校などで、教師に対して、些細なことでも抗議をしてくる親御さんがいると伺っています。この点について以前伺ったのですが、
Q:教育委員会で、学校に対する抗議の電話などを、一手に引き受ける体制をとったらどうか、ホットラインを整備したらと、ご提案いたしましたが、その後いかがでしょうか。

(2)福祉問題:(本市独自の福祉政策は難しい)
議員として市議会に送っていただいてから、福祉問題なども、色々考えさせられているわけですが、福祉の問題は、実に難しいです。特に、国とか県で、全般的福祉政策を決定しますので、その枠組みの中で、本市で何ができるのかと考えても、数十年と福祉行政を進めている職員の皆様に対し、的確な質問は難しいということです。
そこで、私が伺うことのできるテーマとすれば、そもそも福祉とはなんなのか、どうして国がやるのか、国の失敗の原因を本市でも認識しているのか、等々抽象的問題となるか、もしくは無料宿泊施設のように行政の隙間に入り、福祉を営利企業と考えている問題点を指摘する程度になってしまいます。
この最後の点も、何度伺っても職員の皆様を困らせるだけで、実効性がないようにも思われます。泣き言を言ってもいけませんので、格差社会の中での福祉、特に老人福祉に関して、見解を述べた後で、若干お伺います。

国の財政負担で一番の支出は、江戸時代においては大奥だそうです。明治時代から戦前までは軍事予算、戦後、日本は大きな経済成長をしたのですが、(65年は始めて長期国債が発行された年)66年、日本の社会福祉支出の対国民総生産比は、未だ6.2%であり、アメリカの7.9%、イギリスの14.4%スウェーデンの17.5%に比べれば、わが国の当時の福祉国家の遅れは明らかです。

敗戦に伴う経済の混乱で、政府にはそのような余裕もなく、国の施策に代わり企業内の福利厚生施設の拡充や退職金制度、企業年金の導入が行われ、この様な企業先行の福祉拡充が、後日、公的福祉拡充の制約になった事実があります。
わが国の福祉政策が拡大し、老人医療無料化、児童手当の導入、年金給付のアップ(5万円年金)がなされ、福祉元年と呼ばれたのが73年です。しかし、この福祉拡充は、実は選挙での支持拡大を目指す政治的競争の結果でした。
福祉予算は、福祉元年を機に急拡大を始め、これを年金についてみると退職後の年金のほうが現役時代を上回る可能性があったように、計画自体がずさんであったようです。ともかく、そのまま行けば日本は高福祉国家になったでしょうが、70年代後半から財政赤字が深刻化し、高福祉国家は実現していません。その理由とすれば、軍艦も、道路も、景気対策も、政府の考えでは必要でしたでしょうが、福祉支出の拡大も財政赤字のひとつの原因でした。
しかし、福祉政策は、一端実施されると、恩恵にあずかる受益層は、福祉縮減に反対することは明らかで、財政赤字の拡大と福祉縮減が課題となっています。
いずれにいたしましても、経済水準の向上は、高齢化と出生率の低下をもたらし、人口構造を変化させ、この結果、家族や地域社会で福祉サービスを担うことが困難となり、政府に対する福祉ニーズが拡大してきます。
このような中、本市での福祉については、第二次実施計画でも『自立し、生きがいをもって暮らせるよう、支えあい・助け合う地域福祉社会の実現をめざす』と取り組み方針をあげられているのですが、
Q:本市では、人間生活の基本である「家族」のあるべき姿をどのようにイメージされているのでしょうか。
お年寄りの生きがいについて、私が議員になる直前の議会で確か、今井議員が、お年寄りの生きがいについて質問されたのに対し、執行部は「お年寄りの生きがいはゲートボールである」との前提で答弁されていたと記憶、記憶ですから間違いがあるかも知れませんが、していました。そこで、お伺いします。
Q:本市では、現在お年寄りの生きがいの典型として何を想定されているでしょうか。
また、社会福祉が求められてきた社会情勢として、核家族化と地域社会の連帯が希薄化してきたと私は、考えているのです、そこでお伺いします。
Q:本市では本当に『助け合う地域福祉社会の実現をめざし』ているのですか。
Q:もう一点、そもそも福祉の必要性をどのようにお考えでしょうか。
(3)雇用問題
ワーキングプアの問題は、特にわが国だけの問題でないようですが、現在の雇用状況は、極めて憂慮すべきものとなっています。
雇用の問題は、これも一地方公共団体がどうこうできるものでもありませんが、しかし、雇用問題は、資本主義社会の原理原則にまで踏み込んで議論しなければならない問題であることは間違いありません。
現在、若者は、一度就職浪人となると、一定の職に就くためには、殆ど派遣労働者となるしか選択の道がありません。この様に、派遣労働者となると、劣悪な労働条件で働かされ、結婚して子どもを生み育てるという、人間の営みができなくなる。現代社会の根本的重要問題であります。
Q:そこで、本市として労働者の雇用問題について如何なる基本的考え方をもって対処しようとしているか、これをお伺いいたします。
ところで、今の社会経済というか、国の政策は、いわゆる新自由主義の考え方にもとづいて運営しようとしています。
現在の民法は、明治になってから制定されたものですが、基本的考え方は、自由主義です。全ての人を対等平等と擬制して、この対等平等な個人がそれぞれ契約を結び、人間に必要な生産物を流通させ、消費するなかで生活できると考えています。ですから経済的には、市場主義的考え方ということになります。
ところが、現実の人間は、千差万別であり、能力のある人もいれば、他人のお世話にならなければ生きてゆけない人もいます。
そこで、明治以来わが国も、一般法である民法に対し、様々な特別法を制定して、実質的正義を実現しようとしています。
例えば、民法では、利息は無制限でよいのですが、利息制限法で利息に規制を加えています。宅地とか住宅の賃貸借契約について借地借家法を定め、社会的弱者である賃借人を保護し、雇用契約について労働基準法とか職業安定法などで労働者を保護しています。車の運転から生じた交通事故の被害者に対しては不法行為が適用になりますが、被害者保護の観点から自賠責法を定めています。このように市場主義に規制を加える考え方、これはいわば学者の間では常識の範囲で、これと違ったことを言うなら学者としては認められませんし、知っていて違うことをいうのは悪意に満ちた虚偽事実を言うこととなります。そこで、雇用問題に対していい加減なことを言っていた、政策研究大学院の教授について激しくブログで非難しておきました。興味のある方は、是非ご覧下さい。
それはともかく、現在の社会格差の大きな原因を考えて見ますと、民法の雇用契約に関する規制である職業安定法を緩和し、85年には、戦後長く禁止されていた労働者供給事業に対して例外としての労働者派遣法が制定されたことが、大きく影響しています。
一度規制が緩和されますと、労働者を派遣して、ピン跳ねを行い、儲けていた会社とか、それまで労働者の首切りが困難であった会社が派遣なら契約を解消すれば簡単に首が切れるということで、専門業務に限定していた特別法の枠をどんどん広げる圧力を政権党に加え、99年の改正で原則自由化されてしまいました。
更に業界は、派遣法でも禁止対象となっていた、偽装請負や日雇い労働者を派遣するなど大きな社会問題となりました。
ところで、労働者派遣のスタイルとして登録型と常用型があります。登録型は派遣先との契約がなくなれば、労働者は実質解雇されてしまうのに対し、常用型では、派遣先との経絡が終了しても、派遣会社から給料が出ることになっています。
そこで、登録型では労働者の身分が不安定であるから、一定期間継続して派遣されていた場合、派遣先は、長期間その労働者が必要であることが明白でありますから、会社は、労働者に対し、雇用申込が義務付けられています。
現在派遣法に対する「改正」が問題となっていますが、労働者派遣法を労働者の保護の観点から考えるか、それとも、労働者は、使用者と対等平等であるから保護の必要はない、と明治時代はじめの考えと同じで行くのか、が国の政策の基本に横たわっているのです。
いわゆる新自由主義と言う考え方は、実は、娘の身売りを許すような明治時代初期の、時代錯誤の考え方であり、これが今の日本をだめにしている考え方なのです。
(4)中小企業問題について
今述べた、新自由主義経済政策の中で大企業は、空前の利益を計上していますが、
Q:市内の各中小企業の経営状況はいかがでしょか、様々あるでしょうが、総体的にどのようなものでしょうか、
Q:また中小企業の健全育成には、商工会議所と市役所の連携が重要と考えますが、この連携が日常的になされているでしょうか、お伺いします。
Q:また第2次実施計画でも『豊富な経験や技術、知識をもつ企業OB』の活躍を期待していますが、総合的サポート体制を支える人材確保はできているでしょうか。
更に、最近、企業コンプライアンス欠如で、企業での各種偽装問題が顕著ですが、市内中小業者が被害にあっているとの話も聞きます。健全育成と言う観点から伺いますが、市内中小業者はホテルの看板を信頼して納品したところ、実際の経営は、看板と違う会社でこの会社が民事再生法の適用を受けたということで、市内業者の間で大きな損害が出ているという話も聞いています。
Q:被害にあわないように業者の団体で契約するなどの相談窓口の開設なども必要ではないか。伺います。




2、地球温暖化対策について伺います。
最近執行部から「市原市地球温暖化対策地域推進計画」と「市原市環境学習基本方針」をいただきました。どこで作成したのか伺いますと、本市オリジナルであるということです。
環境部からこのような資料を頂く度に、どなたかは分かりませんが、環境部には力のある職員がいらっしゃいます。何時もありがとうございます。
ところで、環境問題は今や地球的規模での大きなテーマになっていますし、世界のNGOは、既に世界各地ですばらしい活動を展開しています。先日『ストップ・ザ・地球温暖化』と言うシンポジウムに参加し、活動状況を伺ってまいりました。
マングローブを植え、砂漠に植林などの活動から、「もったいないキャンペーン」の裏話などソフト面の話も伺いました。
なにはともあれ、本市の、学習基本方針でも示されている「持続可能な社会の実現」に向けて、学習をして活動を進めるために最初にすべきことは、今の地球が抱え込んでいる問題点を視覚に訴え、知らせることと何より子ども達を含め、私たちが環境に負荷を与えない生活がどんなものか、体験することが重要と思います。そして直ちに実践が必要です。
夏は暑くて、冬は寒いんだ、食べ物をつくる苦労、水を汲み、エネルギーを作り出す大変さを、身をもって実感しなければならないと思います。
体験すれば例えば、基本方針では「社会経済の豊かさを維持するとともに、環境への影響をできるだけ少なくするような社会」が“持続可能な社会”と考えていますが、「豊かさを維持する」ことに固執しては、持続可能な社会は不可能と思うのです。
Q:そこで伺いますが、環境学習の基本的出発点として環境負荷を与えない生活を実感できる学習はないものでしょうか、伺います。
しかし、誰しもできれば、自分は「ただ乗り」したいと思うでしょうから、自ら率先して実践することは困難と思いますので、このままでは何かしら経済的負担を伴うようなルール作りが、必要と思います。
Q:国際的には、二酸化炭素の排出権取引がありますが、これは個人的レベルでも考えるべきと思いますが、ご見解をお伺いします。
即ち、地球温暖化対策、脱温暖化に向けては、一人ひとりの生活のなかで誰でもが『我慢』しなければならないことと思います。我慢したくない人には経済的負担を課しても良いのではないか、と思います。地球を救う脱温暖化に向けて必要なものは個人個人の欲望を制限する我慢です、
同様の視点から、これまでも何度か伺いましたが、本市はゴミについて、1人一日850グラムの排出を目指しています。そうであれば、1人がいくら排出しても無料とするのでなく、
Q:1人一日850グラムと言う目標を超える部分については、一部有料化を図る時期に来ているのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

3、第2次実施計画について
(1)基本的考え方
基本計画では平成27年に人口30万人を予定しています。昔から中核都市を目指すということを伺っているのですが、
Q:中核都市になると、この市原市にどのようなメリットがあるのでしょうか。
Q:また、人口は単に増やせば良いというものでもありません。バランスの取れた人口構成が必要と考えますが、いかがでしょうか。
増加を予想する市民として芸術家を想定するか、社会の富裕層を考えるのか、と言うことはストレートにはいえないでしょうが、要するにシーソーの板の上に誰を乗せるか、ということです。先日の安曇野市の行政視察では、芸術家が来ると自分勝手の人が多いとも伺いました。
Q:また、具体的に市内のどこに人口が張り付くと考えているのでしょうか。
人口減少地域では単純にこれまでの動向を数字的に調整したとしか思えないのですが、いかがでしょうか。これでは何も対策を取らないのと同じではないかと思います。
今度は、逆の視点ですが、本市の行政運営が気に入らなくて、足による投票つまり、転出する人のご意見も行政運営に対しての貴重なご意見と考えます。これも何度かうかがっていますが、
Q:市民課の窓口で、転出される人に、その転出理由をアンケートで伺う必要もありはしないか、お伺いします。

(2)国保診療所について
昔の市民病院は、入院施設のある医療機関で地域医療を守る、と言う考え方で、毎年赤字を出しながら経営してきたのではないか、昨年から入院施設がなくなり診療所となって、当初の目的であった入院施設のある地域医療機関でなくなった状況で、
Q:今後、今の地域での地域医療のあり方をどのように考えているかお伺いしたい。
Q:また、診療所となってから、地域医療機関の役割を果たせているのでしょうか、患者の数は増加していますか、減少していますか。

(3)仮称戸田光風台サブコミュニティについては、ヒアリングの段階で、千種同様指定管理者を選定して行うことになると伺いましたので、割愛させていただきます。また市道13号線についても、アクセス道路の拡充をお願いして、質問を割愛させていただきます。

(4)学校規模適正化について
これは要するに、最近まで信じられませんでしたが、市内には現在複式学級が複数存在しています。一人の先生が45分間に異なった学年の授業を行うわけですので、必然的に半分の時間、子ども達は「自習」の時間となります。
教育の機会均等は、形式的にも保障されない形になっています。
小中一貫教育の予定もあると聞いていますが、先ずは複式学級の解消こそ直ちに行うべきと考えますが、
Q:臨時教員などを配置して、この4月からすぐに解消すべきと考えますが、ご見解を伺います。



(5)木の家普及促進について
趣旨は、市内林業育成のため、市内木材を使用ということでしょうが、
Q:昨年の実績と来年度の目標を達成するため何をするか、お伺いします。

(6)農業生産者との消費者のふれあいについて
地産地消と言うことが言われています。市内農産物等、本市で生産されたものを新鮮なうちに市民が取得できるようにして、消費者である市民が安心・安全に消費できる体制を整えることで、もって市内経済の活性化を図ろうとするものですが、この様な生産と消費に対する考え方は、ミートホープ事件などの食品偽装事件、また毒入り中国餃子事件でも明らかにされたように、早急に求められている制度です。
Q:このような時、本市では生産者と消費者に対しての如何なる取り組みをしているか、お伺いします。

(7)サンプラザ市原について
これは言うまでもなく、前市長時代に大金をかけて建築したもので、建設計画段階でも異論があったと伺っていますが、結局はできてしまい、本市の大変なお荷物になっています。またこの議会でも、土地公社から用地取得をするのですが、これも市税の無駄遣いの最たるものです。サンプラザ関係でこれまでどの程度の財政支出があったかわかりませんが、仮に300億円近い支出があったとして、もしこの支出がなければ、本市は、他に色々の事業ができたであろうと考えますと、残念です。
Q:この様に企画段階で十分検討すれば、例え市長の意見でも変更できる可能性があったのではないか、と思います。その様なことは不可能だったのでしょうか、お伺いします。
Q:また、職員では防止できなかったような問題で、後世に禍根を残した事業に対しては本市ではこの様な事業を忘れないように、例えばその損失を、リストラ資産として計上して長年にわたる中で毎年償却して行くような会計処理はできないものでしょうか、お伺いします。

4、行政組織について
行政施策に関する各種の決定は、市長さんの行うものですが、市長さんのようにすばらしい能力のある方でも万々一(要するに一億)間違いがあるやも知れませんので、幹部職員だけでなく広く人材を民間に求め、重要な政策決定にご意見を伺うため各種審議会がありますが、
Q:この審議会の活動状況と委員の選任についてお伺いします。
また、一人で兼職をいくつもされていますと、審議に偏りもあるかも知れませんので、あまり好ましいとは思えませんが、
Q:兼職についてどのようになっているのでしょうか。
Q:さらに、庁内には定期的に政策会議を行っていると聞いていますが、この政策会議で重要事項が、単なる報告でなく、実質的に審議されているのでしょうか、お伺いします。

安須にできた、ふるさとハウスについて色々お伺いしようとしたのですが、これは決算委員会で色々質問もあったようですのでこれは除きますが、昨年の予算委員会でも期限が守られなければ、行政代執行を行うことになっている、
Q:違法建築物に対する処分など議題となっているでしょうか。

また、実施計画でもたとえば「ビオトープ」などが、奨励されているのですが、私の家の近くでも平成10年頃までは蛍がいたのです。しかし、市役所が補助金を出して農業用水路にU字溝が設置されてから蛍がいなくなったのです。と言うことは、市役所の行う事業が互いに矛盾しているわけです。

Q:この様な行政の矛盾を避ける意味でも政策会議があると考えるのですが、いかがでしょうか。

(3)支所の充実について
Q:言うまでもなく支所は地域コミュニティの中核ですから、本庁に幹部だけを集めるのでなく支所の、機能を強化して地域の市民が手軽に利用できるようにすべきと思いますが、職員の配置など最近の傾向をお伺いします。

(4)職員の健康管理について(時間の都合で、この答弁を先にお願いします)
職員が安心して職務に専念できるためには、療養が必要となったときに無理をせずに早期に回復していただくために療養休暇制度があることはすばらしいことです。
民間では交通事故の被害者となって、未だ治りきらないでも職場に復帰しないと首になってしまうという状況では、人道的にも大きな問題が残ります。
しかし、この様な療養休暇はあくまで職員本人の体の具合で療養を必要とするにいたった場合であることは明らかです。
もちろん仮病で長年療養休暇の繰り返しをしていた奈良の事件など論外ですが、一部では交通事故であっても療養休暇を申請する事案があると聞いて驚いています。
即ち、第三者の過失に基づいて発生した怪我など、これは責任のある第三者に損害賠償支払い義務のあることは明らかです。
従って、第三者の過失で職員が療養した場合、第三者の賠償能力の問題がありますので、給与を支給しても良いと思いますが、後日、本市から第三者乃至は保険会社に対して求償するのは、至極当然であります。
Q:そこで、今まで保険会社などに、求償をしている事例があるか伺います。
しかし、先日事情を伺ったところ、これまで保険会社等に求償した事案がないとのことです。京葉八市でも求償していないようだと伺いました。
そこで、慎重を期すため、保険会社の代理人をしている弁護士、数人に話を伺ったところ、求償されれば当然支払うし、県の職員には休業損害を支払った事案もある、と言うことです。
保険会社が県の職員に休業損害を払ったということは、県の職員は県から当月の給与の支給を受けていないことが前提ですし、仮に給与を受け取っていたのであれば、その分職員は県に返還しなければ、職員は給与の二重支給を受けたことになります。
Q:これは、明らかに療養休暇制度の逸脱ですし、直ちに是正すべきと考えますがいかがでしょうか。
Q:また、本市で、交通事故の被害者になった職員に対して、療養休暇を利用しながら、保険会社から休業損害の支払を受けた事案がないか、調査すべきと思いますが、いかがでしょうか、お伺いします。
posted by やすかね at 07:11| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

ニュートン力学:昨日の追加

昨日、昨今の雇用問題について政府の中枢に出鱈目な議論を展開する「学者」がいたので、論理実証主義から仮説が真実性を帯びることなどを書きました。その中で福井が多分分かりもしないくせに「ニュートン力学」について触れていましたので、ニュートンの万有引力の法則がどのようにして実証されたかを書きました。

要するにニュートンの数学(微分積分学)は、この自然を語る言葉である、数学は、自然を万国共通の言葉で表現する手段であるということです。

この意味で数学は、自然科学の領域に含まれるものであり、本来物理学と数学は一心同体のような関係なのです。わが国でも戦後物理学会と数学学界が分離されたようですが、微分積分学なくして惑星の動きは解析できないし、良く分かりませんが、複素数(二乗するとマイナス1になるiを用いる)などと言う概念がなければ量子力学も表現できないと言う事です。

その意味で、数学は商人の学問であり、高貴な人々は勉強しなかったマルクスの時代では、数学は社会科学の領域だったのでしょうかね。しかし、本来数学は自然を表現する道具であり、ニュートンが万有引力の法則を発見し、惑星の動きが説明できることになりました。

今日の読売新聞一面に、海王星の外側に1100個くらいの小惑星があるが、どうも変な軌道の小惑星があり、これを説明するには惑星Xの存在が考えられる、ということです。質量は地球の3割から7割と推定され、今までに発見できなかったのは、軌道平面が20度から40度傾いているからである、としていました。

いい加減な学者は、突然『いわばニュートンの力学法則のようなもの』などと珍論を展開して読者を煙にまこうとしているのですから、要注意です。それにしても言いタイミングでニュートンが出てきましたね。自分の雑学を披露できて良かったと言うところです。

PS:昨日の補足ですが、要するに、万有引力の法則から、火星と木星の動きを説明するためには、新たな発見されていない惑星があるはずだ、ということで海王星が発見されたのです。
posted by やすかね at 10:03| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月28日

『安物買いの銭失い』

今年の年賀状に『安物買いの銭失い』を書いて、最後に『江戸庶民に習い、自分に投資を心がけます』、と結びました。市原市外の依頼者から『何度も何度も読みました。』と「お褒め」の言葉?を頂きましたので、おかしな話ですが。自分の文章に少し「解説」を加えます。

最後の「自分に投資とは」『貧しい中でもお金を貯めて(宵越しの金を持つ)旨いものを食べる、旅をする、芝居を見るというように「形に残らない使い方」、』(現在も好評?販売中!の「喜怒哀楽」166頁)ということでした。

ところが、『安物買いの銭失い』とは、少々難儀です。
先ず、この社会は言うまでもなく、全てのものが商品として流通する資本主義社会です。マルクスが「商品」概念を分析して、さらに資本主義社会の基礎を明らかにしました。

しかし、商品自体は、資本主義社会の成立前に社会に存在していましたが、資本主義社会になって商品の価値である「使用価値」と「交換価値」の違いが鮮明になって、この商品が「市場」で取引されてきますと、交換価値を求める商品生産者と使用価値を求める消費者の立場が異なってきます。

交換価値という「ゼニ」を追い求める生産者が、消費者の求める使用価値を意識の外(認識しない)に置きますとどうなるでしょうか。商品が本来もっているはずの使用価値は、尊重されなくなります。粗悪品を生産することになるのです。

典型的には例えば、ミートローフ社の「牛肉コロッケ」の牛肉は、豚肉でも少々腐った鶏肉でもひき肉にしてしまえば、消費者には解らないから『売れれば良いんだ』となり、消費者の求める使用価値を無視して、交換価値だけを求めることになります。その結果は、既に明らかですが、あの息子に諌められた「ボケ社長」曰く『消費者が値段の安いものばかり求めるからだ。』などという居直りを許す結果となります。

この様な、粗悪商品は、社会で認められませんから、消費者に危害を加える可能性のある食品規制とか、品質表示などの表示を義務付け、消費者の使用価値を満足させるように適切な商品の流通を考え様々な「規制」を加えることになるのです。

しかしですよ、社会(生産者:資本家)が規制緩和を求める方が「社会の発展につながる」などという理由で、大幅に規制を緩和しよう(これは、250年ほど昔のアダムスミスの言うように、資本主義社会では、全てのものが自由に市場で取引されれば、「最良の結果が得られる」という考え方を、再び始めることから「新自由主義」と言われる)との流れが強くなっています。

即ち、政府が必要な規制(監視)をやめて「規制緩和」を進めますと、「拝金主義」がまかり通り、ミートホープのようなコロッケが典型ですが、企業のあらゆる偽装問題がでてくる事になります。

「企業の偽装問題が明らかになり、とんでもないことだ」と単純に言いますと、『なんだ、それでは、バレない様にすれば良かったのか』などと反撃されますが、そうではなく、新自由主義的考え方は拝金主義に繋がり、社会の公正も法令順守もなくなるということです。

最近アズの里で売られている農産物も生産者の写真が入っていますが、あれなどは消費者の求める「使用価値」を意識しているかどうかは分かりませんが、生産者の責任の所在を明らかにして、生産者が交換価値だけを求めるのではなく、消費者の使用価値の満足を担保しているということでしょう。

結局、商品は、生産者が丹精込めて消費者の使用価値に応えるべく、生産されたものこそが消費者のためになるということです。「安物」とは単に売れれば良い、交換価値だけを求める粗悪品であるということです。自分の仕事に対し、社会のためにお役に立っているという満足感もなく、ただ単に売れれば良いと言う社会風潮こそが現在の大きな社会問題の根本にあります。そういう意味では生産者、消費者の社会連帯がなくなっているということです。

ガラクタを買って捨てる、ということではなく、江戸庶民のように生産者と消費者の顔が見える、商品の使用価値を十分意識した「職人の技」即ち真に価値(使用価値と交換価値)ある商品だけが「安物でない」証拠です。

価値のある、少々お高いものを買ってこれを大切に使いことこそ、富の蓄積もできるでしょう。ヨーロッパのアンティークなども「職人の技」の結晶であり親から子、子から孫へと引き継がれる「財産」なのではないでしょうか。
家だって、ローンが終わればガタガタでは子供たちでも「相続」なんてしたくないでしょうね。豊かさは蓄積されなくなってしまいます。
あのーですね、ものの考え方だって、親から子へ、子から孫へ伝わるんですよね。だから『これはやすかねーゾ。』ということです。
posted by やすかね at 12:00| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

昨年母親の歳を越えたのですが、やっとのことで先人の言葉の意味が理解できるようになったと感じています。「安物買いの銭失い」とは安物ばかり買っているとお金も貯まらない、貧乏生活が続いてしまう、ということでしょうね。
その外「三つ子の魂百まで」とか「人の振り見て我が振り直せ」などあります。
わが国は昭和三十年代から所得倍増計画という名の「消費革命」が始まり、大量生産大量消費の社会が半世紀続きました。

当時、貧しいながらも老後の心配をする人もなく、水も空気も当たり前にきれいでした。それから五十年、家の中はモノ物モノであふれ、タンスに二〇年も袖を通さない安物のスーツもあります。
老後は心配であり、米より高い水も飲んでいます。
ローンが終わりそうな家は大胆なリフォームが必要です。
将来ある子供達の脳はゲームで壊され、家族の団結力も弱くなっています。
今年は物ではなく、江戸庶民に習い自分に投資を心がけますが、これはやすかねーゾ。

今年も、皆様とご一同様の生活がこれからも自然と家族に囲まれ豊かであり続けるようにお祈りします。

二〇〇八年元旦
千葉市中央区中央四丁目十六番一号 建設会館ビル二〇二号 
電話 〇四三―二二二―四六八〇
弁護士 伊 藤 安 兼
posted by やすかね at 07:15| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする