2018年03月09日

理想の高さが気品の高さ

係長がヒラより偉いのは、係長のほうが単語を知っているからであり、課長が係長より偉いのは、課長のほうが単語を多く知っているからだ、とは、何処の情報でしたかね。
先日数学者の岡 潔のTVドラマがあり、大変興味深くみました。そこで、数年前購入したものの読みこなせなかった『春宵十話』(光分社文庫)を再度手に取ったところ、割りと頭に入ってきました。

その8話「学を楽しむ」では、「日本民族は、昔から情操中心に育ってきたためだろうか、外国文化の基調となっている情操の核心をつかむのが実に早い。聖徳太子は一代で仏教の核心をつかんでしまっている。しかし、西洋の文化、特にギリシャに由来するものは、西洋文化に接触を始めてから年月がたつのに、まだ日本にはいっていない。ギリシャ文化の二つの系統のうち、力の強いものがよいとする意志中心の考え方は、文化とは関わりもなく、むしろ野蛮である。しかし、知性の自主性はまだ日本に入っていない、文化が入っていないということは、文化の基調になっている情操が分かっていないことにほかならない。
知性に、他のものの制約を受けないで完全に自由であるという自主性を与えたのはギリシャだけだった。インドでもシナでも自主性はない。これらの国で科学が興隆しなかった理由がそこにある。
知性は理性と同一ではなく、理想を含んだものと思うが、はっきりと理想に気がついたのもギリシャ文化が初めてだった。これを代表しているのが、プラトンの哲学である。」
大体、この辺でチンプンカンプンなのですが、
その後にも、「認識するものとしての理性はデカルトによって整えられ、ニュートンは理性を手段として自分の無力さがわかる、数学に限らず文化の本質、文化それ自体に目が向いたのは19世紀で、ここでハッキリ理想が自覚された。19世の特徴は、理想について考えたことにある。ゲーテの「ファウスト」も理想をあつかったものだし、数学の世界でも、リーマンのように自分が何を理想としているかよく見きわめようとし、それが可能であることを示すために論文を書いた学者がでた。理想は悠久なものを望むエスプリである。理性と理想の差異は、理想の中では住めるが、理性の中では住めないということになる。孔子の、学につとめ、学を好み、最後に学を楽しむという境地、この「楽しむ」というのが学問の中心に住むということにほかならない。」
と進み9話「情操と智力の光」の冒頭で「理想とか、その内容である真善美は、私には理性の世界のものではなく、ただ実在感としてこの世界と交渉をもつもののように思われる。」芥川龍之介はそれを「悠久なものの影」ということばでいいあらわしている。そして理想の高さが気品の高さになる。」
以上で理解できた事は、『理想とは真善美』と理解していれば良いのだということですかね。
因みに広辞苑で「理想」と引いても良く分かりませんでした。まぁ、単語を一つ覚えたと言うことで、ヨシとしますかね。

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2018年03月02日

とある警察官と喧嘩腰

先週の土曜日、珍しく、法テラス被疑者国選の電話を受信することが出来ました。房総の方の警察に留置されているというので、早速面会に行きました。容疑は極めて軽微な窃盗事件でした。最初の接見で、被疑者に対し、こんなつまらない事件を起こし、その原因が何処にあるのか、よく考えろとお説教したものの、被疑者は、なんだかんだと言い訳ばかりで話になりません。
そこで、久しぶりに延々と話し始めました。要するに、あんたは子供の頃から、親から我慢ということを教えてもらってこなかったことだ、今となっては、手遅れではあるが、まだ数十年生きてゆかなければならないのだから、社会の中で自分の居場所を探せ、仕事がないなら雪国で困っているお年寄りのところにでも行って雪かきでも、お買い物のお手伝いでもボランティアでやることで、人様から感謝されることの喜びとかを感じ、人の信用を得る努力をしたほうがよい、信用を得ることは大変なことであるが、小さな嘘でもつけば直ちに信用されなくなるから、失う事は簡単である。
などと締めくくり、何度も面会には来ないが、今話したことを思い返して、今後どうやって生きてゆくかじっくりと考えるように、と言って帰ってきました。
ところが、翌日になると朝から接見要望です。これを無視して留置管理課の警察官にも被疑者に反省しろと伝えてあるので、それを文章にまとめて送るようにと伝えてほしいとお願いしたものの、以後連日の接見要望です。
しょうがないから、明日の土曜日に再度の接見を予定し、接見に行く前に被害者に電話したところ、既に被害届は取下げ(提出を訂正)済みとのことでした。
これで、接見前に検事と交渉する必要が生じていますから、早速、事件が継続している警察(勾留先と異なる警察)に電話して、担当する班長の名前と担当検察官の名前を教えてほしいと言ったところ、このウイという警察官、ナンと言ったと思います。
上から目線で「こちらにお出でになれば、教えます。」この一言で、ぶっちぎれました。今まで警察に行って担当検事の名前を聞いたことなどありませんから「何、弁護士の名前だけでは確認が取れない!冗談じゃない、弁護士会に電話しろ!法テラスだって弁護人の名前など確認できるだろうが」と怒鳴りつけても埒が明きません。
「しょうがないな、課長に代わってくれ。」と続けると、ウイさんしばらく課長に言い訳をした後、課長が電話に出たので、真っ先に「今、ウイさんの話を聞いたでしょうが、警察官が最初に被害者の話を聞き、それを基準にして被疑者に尋問するのは、やり方が間違っているぞ、ともかく担当班長と検事の名前を教えられないのか。上から目線で話をするから、こっちは喧嘩腰で話しているんだ、こんな詰らない事で、県警本部になど電話できないが、名前を教えられないなら、ご迷惑だが県警に電話するしかない」と詰め寄ると、「弁護士さんの連絡先をと名前を教えてくれ。検討して後ほど連絡する。」「名前は、さっきフルネームで伝えてあるが、しょうがないから言うよ。何分後に電話をくれるのか。」と電話を切りました。
課長からの電話を待っている間に、検察庁に電話して、窃盗で〇〇警察署扱いの検察官の名前を教えてもらい、名前が判明したので、立会い事務官に電話をつないでもらい、「〇〇の件で検事さんと5分ほど話をしたい。」と言うと「今取調べ中ですが」というものの担当検事が電話口に出たので、「事件の処分は検察官にあるが、この事件被害届が取下げされたと聞いている。詰まらない事件を・・」と言うと「今日釈放の予定です。」とのことです。取り急ぎ、今度は身柄のある警察の留置管理課に架電し、「被疑者に、本日釈放予定とお伝え下さい。」と言うやいなや「今日釈放されました。」とのことでした。
この間、約20分、最初の警察官の電話対応に教育的効果があったか否かはともかくとして、明日の接見は、回避されました。やれやれ、電話口での対応は、耳が研ぎ澄まされますから、相手の感情が手に取るように伝わりますね。しかし、課長との話の中で、何かのフレーズで、二人して大笑いしたことが印象的でした。相当きついことを言っても、会話の中で笑いが取れていれば、禍根を残す事はないから安心です。多少切れても、冷静さが残っていれば、どこかで笑いが取れます。今後もこの調子で頑張りましょう。See you later.
posted by やすかね at 18:28| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

雪上ゴルフ

最近、日本人は何につけても過剰反応が多すぎるな。という印象を強くしています。先日2月20日、ゴルフの予定をしてあったのですが、数日前の天気予報では、関東地方で雪が降りそうであるとの予報が出ていました。私とすれば、当日雪が積もってゴルフができないことがわかれば、その時点でゴルフ場に電話をすれば、「クローズです。」などとコースの状態が明らかとなりますので、事前にキャンセルなど、あまりしたことはないのですが、天気予報で大量のキャンセルが出て困るのはゴルフ場ですね。特に従業員です。なれない雪かきをしてもお客さんが来ないのですから、「あー雪かー」でしょう。
2月20日、ゴルフ場につくと駐車場はガラガラで「あれっ」と思うと、数日前雪が降るとの予報が出ていたのでした。しかし、この日は風もなく、快晴、暖かい春のような天気で、スループレーで18ホールを終わっても1時半ごろでしたので、仕事も半日休みで済みました。
そこで、総括ですが、適当な、と言われるとお叱りを受けますが、数日から1週間前の天気予報の精度がどの程度か経験的に分かると思いますので、折角の予定を適当な天気予報で過剰反応していては人生の楽しみを奪われると考えても良いのではないでしょうか。
因みに、1月の22日ですか、関東地方で積雪がありました。24日に八千代ゴルフ(パブリック)で予定がありましたが、八千代では何度もプレーしていますので、大体の経営姿勢が分かりますので、友人にあそこはクローズしないよと言って当日朝連絡したところ、案の上プレー可能とのことでした。
しかし行って見るとコースの半分は雪で埋まり、特別のローカルルールを設定してありました。「ロストボールの場合、ボールが飛んで行ったと思われる、その近くからペナルティーなしでプレー続行」となりましたが、普通のゴルフにはなりませんでしたね。
モノは、試し、ティーグランドで雪を集めてその上にボールを置いて打ってみましたが、雪の抵抗は思ったより大きく、ボールは飛びませんでした。とにかく白のボールではロストボールの可能性が大きいので、ピンクボールを使いましたが、大変な思いをしました。まぁ、プレー代金の割引もあり、やれやれと言うところでしたかね。

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2018年01月01日

びっくりポン

今日は驚きました、お年賀をブログに載せてから、ブログの解析欄を見ましたら、いつも50名足らずの訪問者が大体一人3件程度記事にアクセスするのですが、今日二人で446件のアクセスがありました。これは記事の総数が357件ですから、二人の内お一人が僕のブログ357件を全てアクセスして「記録」したようです。

過去にも土曜日電源を切って帰宅したものの、プロバイダイーから巨大なゼータが送られています。とご注意がありました。僕のパソコンにウイルスが入り込み、電源を入れ、全てのデータを盗み取って、このウイルスを自働消去して痕跡をなくしたようです。幸い、全て見られたとしてもたいしたことも書いてありませんので、気にしていなかったのですが、今日のは、びっくりポンです。
さては、僕のブログもアメリカの監視下に置かれたのでしょうかね。
昔から、アメリカは世界中で交信されている通信を全て「盗聴」していることが言われています。そんな馬鹿な、と言われるでしょうが、テロ・爆弾・アルカイダ・様々な問題となっている単語が通信で使用された場合、グーグルの検索が始るのでしょうね。そうですね、数日前から少々ヤバイ単語がブログに並びましたから、僕も有名人にされ、何処からかスキャンダルが飛んでくるかもしれませんね。『怖いですね、怖いですね。』
僕のブログが見れなくなったら、その時はアメリカの仕業かも知れません。
posted by やすかね at 18:36| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年 ご挨拶

謹賀新年 素晴しい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。また今年も宜しくお願いします。
以下は、例年顧問先・友人・同業者などにお送りしている今年の年賀状です。年に一度のご挨拶ですので、毎年欠かさず、書いています。義母が92歳で亡くなったときも、命に限りある人間の人生を振り帰れば、92歳は天寿を全うしたと言う意味で「ありがとう。お疲れ様でした。」ですし、またどこかの国王が亡くなった訳でも有りませんから、一年も喪に服すこともありませんから、その時は、近くの神社でお祓いをして、新年のご挨拶を書き続けています。まぁ、郵便局の回し者のようにと、お思いでしょうが、年賀状は一定の年齢まで毎年書くべきと考えております。
というわけですので、一生懸命書いた念頭の所感です。ハガキには、字数に制限があり、分かり難い点も有りますので、自慢も含め、最後に解説をさせていただきます。

「明けましておめでとうございます。
お正月は、橙・シダ・ユズリハを飾り、子々孫々の繁栄を願います。
ところが現実は、億兆の資産家との格差が拡大し、将来が不安です。江戸中期、田沼意次の賄賂政治が非難されました。コメ中心の経済から商品経済の発展に税制が追いつかず、富裕商人から賄賂・冥加金を「上納」させた田沼が、私心なく賄賂を社会に還元したなら、善政と評価されたでしょう。
現代もIT産業から巨万の富を持つ資産家が生まれ、過大評価された不労所得に適切な課税を施し、格差解消に向け教育費を無償とすれば、政治家の名が歴史に刻まれましょうが、友人の獣医学部に忖度していては、田沼以下の悪政でしょう。
サウジの富裕な賄賂王子が逮捕されましたが、現在、格差は世界的に「悪」として認識され、資産家も危機感を持っています。そこでビルゲイツは、富裕層へのテロの脅威から、奨学金などの社会奉仕活動に熱心です。
「楽しみは、妻子(めこ)睦まじくうち集い、頭並べて物を食うとき」と古の歌人(『独楽吟』橘曙賢)が詠ったようですが、ご家族の団欒が代々次第に譲られことをお祈りします。
2018年元旦
〒260-0013 千葉市中央区中央四丁目10番8 904
やすかね法律事務所(電話043-222-4680)弁護士 伊 藤 安 兼」

お正月の飾りに、昔から縁起を担ぎ、家長制ではありませんが、一家が「ダイダイ・シダイに譲」られ、子々孫々にDNAがつながることがお目出度いということで、我が家でも昔は、飾ったのです。
しかし、この時代地球的規模で格差拡大が悪とみなされて、その原因は教育にあると考えられております。お金持ちは、ご幼少から大学教授の家庭教師をつけるなどして、有名大学から親の会社に入り、普通は代々次第に譲られるはずですね。
政治の世界を見ても昔から、支配者と被支配者の生活レベルは、極端に違っています。時の権力者は、豪奢な生活を送ってきましたが、権力者の「集金制度」(税制)が社会経済の発展に追いつけないときは、権力者は資産家から「賄賂」を集め、「望月の欠ける」こともない贅沢三昧をして来ました。田沼意次は賄賂政治家と言われているようですが、一部の歴史家からは、賄賂を税金のように集め、社会に還元したのではないか、と評価されているようです。
そこで、何故賄賂を集めるしか手がなかったのかと言えば、それは、時の税制がしっかりとしたルールを確定できなかったからと気がつきました。現代でも企業に課税をする時は、企業会計原則に従って課税をするのですが、例えば「株式の譲渡益」に対する課税を考えても、優良企業の創業者が最初に一人で持っていた株式を分割しながら市場に公開するとき、莫大な創業者利得が発生します。今のアメリカなどの巨額の資産家は、概ねこの様な資本主義社会での「利益」の集積が巨額の資産となっています。
我が国では、楽天の三木谷など、巨額の資産を一代で築いていますが、彼は、本人が優秀でしょうから、奨学金などで教育を受け、さらに政府系のような銀行から国費でアメリカに留学などしてから、現在の資産を築いたのではないでしょうか。楽天の社内では公用語を英語としていますが、これなど今半植民地の日本を近い将来、アメリカの植民地、ハワイに次いで52番目の州にするつもりかも分かりません。
その様な思いから、いくら優秀とはいえ、一代で数千億円もの資産形成ができる事は「過大評価」でしょう。ですから、「過大評価された不労所得」に適切な課税をすべきと考えているのです。
政治家が歴史の中で評価されるのは、様々な美化を含め、悪行をそぎ落とされて名を残すとは思いますが、安倍さんは、果たしてアメリカの手先か、それとも安政の不平等条約よりもさらに不平等である安保条約・行政協定を改定する前提として、独立国としてあるべき憲法制定を考えているのか、よく分かりません。真の狙いがアメリカにばれれば、安倍さんは遅くない時期にアメリカによって失脚させられるでしょう。
この様なことを考えてきますと、今世界中で発生しているテロもその原因は、地球的的規模での格差拡大と思われます。
ですから、現にアメリカの大金持ちは、自動小銃を持ったガードマンがいる高い塀に囲まれた高級住宅地で生活しています。大金持ちが社会から差別されている不満分子の恨みを解消する唯一の手段は、今の税制の下では、格差拡大の原因である教育に巨大な寄付をするしかないということでしょうかね。
結局、人間の幸せは、決して巨額の資産を作ることでもなく、家族揃って、食事のできることが代々つながってゆくことである、と古の歌を紹介させていただきました。教養のないものがこの様な歌を知っているものでもありませんから、これは世界女性連合の機関紙『Her story』からの孫引きです。あしからず。



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2017年08月18日

価値相対主義とADHD

人間の個性とは何ぞや、ということが漸く分かりかけてきたようです。最近IQが150の障害者と話す機会がありまして、彼は、職場を何度も変え、一般社会人とコミュニケーションが取れないで、いわゆる社会の平均からかけ離れていることが悩みの種でした。彼のような人を「発達障害」と命名しているようですが、人並み以上に知能が発達していながら、『発達』『障害』で障害者手帳を交付されています。
ところで、世界の大富豪ビルゲイツ(約9兆円の資産)、スチーブ・ジョブスらもADHDだと言われています。
有名な画家とか、発明家なども子供のときから周囲の人々を困らせていたようです。一度耳に入ったピアノ協奏曲を直ちに再現してしまう音楽家(モーツワルト)、六本木ヒルズの屋上で30分ほど360度の景色を見た後、部屋に一週間篭りっきりで、サインペンを使い、道路を走っている車、窓の開いているビルなどの状況を事細かく再現したパノラマの絵を描いたフランスの画家などもおります。
岡本太郎画伯も、たしか、ビートたけしのTV番組に出て、自分の食べたい魚を網ですくうと、調理人がそれを刺身にしてくれる生簀料理店でのことです。魚を網で取ることが面白い画伯は、生簀の中から何匹も何匹も網ですくってしまい、食べきれない刺身が出来上がってしまったのをTVで観た記憶があります。
そうすると、ADHDの人々は、人類の発展に不可欠な特別な能力を持っている、個性豊かな人間なのですね。日本では何でも画一的で外の人と同じでないとイジメにあい、仲間はずれにされているのが実体ですから、これらの「偉人」は、到底社会として受け入れることが出来ていません。
ところが、アメリカですと、ADHDの子供は(天からの)「贈り物」としてその特性に従って特別な教育をするそうです。我が国も不注意、多動性、衝動性など「一般人」に理解不能な人々は、素晴しい能力を持っているのではないでしょうか。
話しが少し変わりますが、100人が100人同じ意見を言うのであれば、99人の人は必要のない人ということでしょうかね。本当は昔から多数の人がそうだったのですが、適当な言葉が見つかりませんでしたが、それが最近「相対的」だと云うような人が多いのに気がつきました。「相対的」という概念にあてはまる人種が沢山いるということに気がついたところです。
何かについて、誰かが自分の意見を言うと、多くの人が「それもそうだけど、〇〇〇と言う人もいるよ」の類です。昔、大学の友人が、TVでこれが超能力だなどという胡散臭い番組を作っていたので、批判めいたことを言ったところ、超能力があるという人もいるし、そうでないと言う人もいるよ、いわれ呆れてしまいました。
この様に、自分に確たる意見・価値観・基準を持ち合わせていない人は、取り合えずその場を適当に取り繕い、自分が小数派になることを回避する事が多いですね。
裁判で、何でもかんでも文献・判例を引用して自分の解釈ができないまま、支離滅裂な主張を繰り返す弁護士と最近お手あわせしましたが、本当に、それで弁護士が勤まるのですか、と考えています。僕のように思ったことを話してしまう「性格」も受け入れ難い人が多いのでしょうね。しかし、原理原則は曲げられませんね。
 

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2017年02月22日

神を畏れぬ「非本来的絶望」で良いか

厳しい試験に勝ち抜いて帝国大学、司法研修所での司法修習を終了して、弁護士登録をしていた若い弁護士が、最近、出家して小乗仏教の修行のためタイに出国しました。彼は、今頃タイで、毎日托鉢をして厳しい修業僧の生活を送っていることでしょう。日本で托鉢などしますと、軽犯罪法で「乞食」とみなされ、場合によっては罰金刑を受けるかもしれませんが、タイでは尊敬される出家者です。

彼もこれまでの自分の境遇・人生について様々な悩みを持ち、結局仏陀のような罪深い、個人的悩みを持っての出家とは思いますが、学校ではお勉強が出来て優秀であったが故に18歳から30歳前後まで、膨大な国費を費やした結果、個人的悩み、自分の「救済」のため、弁護士という天職を放り出した事は、理解できないのです。

例えば、楽天の三木谷社長は、国費で海外留学後、楽天を立ち上げ、現在では、数千億円の資産を築いていると思いますが、所得税とか相続税で最終的には、天下国家のため自分の能力を使い切るということで、嫉ましいほどの素晴しい人生と考えています。(功利主義的な理解)

翻って自分のことを考えますと、私(と同年代)は、150億年以上前から続いている太陽系の中で、つくづく幸運な世代だと感謝している次第です。70万年ほど前、人類が誕生し、数千年昔から、王様、貴族は、素晴しい生活ができていたでしょうが、それらの生活全てが、命をも含む他人(奴隷)の犠牲の上に成り立っていました。
ですから、貴族らが人間としての心を持っていれば、贅沢な生活を送る自らの存在自体に悩み苦しんだことは、想像するまでもありません。2千年以上昔、王子であった仏陀が出家して厳しい修行僧の道を選択したのも、人間としての心を持っていたからでしょうし、さらには、人間誰でも持っている死の恐怖とか、自分の儚い人生についての哲学的な悩みでしょう。
同じ人間でありながら、貴族の所有物であった奴隷などは勝手に出家なども出来なかったでしょうから、生きることの悩みはどうしたのでしょうかね。

しかし、21世紀の日本に住む私達世代は、現在まで戦争の危険に晒されることもなく、古(イニシエ)の貴族の様に、自らが生きるために他人の命までを犠牲にする事はないと思われ、ヒューマニズム的な格別の悩みもありません。精々子どものころ、美味しいものを食べたかったという懐かしい思い出の外、安全安心な社会の中で生活し、既に、高齢者の仲間入りをしています。毎日平穏に暮らしている悩みなき高齢者たちは「ピン・コロ」を願っています。この様な、死をも怖くない、悩みを知らない生き方をしている人は、キルケゴールの言う「非本来的絶望」で、宗教心のない救われない人間なのでしょうかね。

幸い、私も弁護士として四半世紀を遅らせていただき、今後は、そのお返しをどうすれば良いのかと贅沢な悩みを持っています。
高齢者の仲間入りをした皆さん「今でしょう。」やるべき事は! 生きることにお悩みはありませんか?

posted by やすかね at 17:02| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

大竹しのぶエディットピアフを熱唱

紅白歌合戦では、大竹しのぶが熱唱した『愛の賛歌』が圧巻でした。顔までエディットピアフのようでしたし、舞台女優として何度も何度もピアフを演じたことから、ピアフの歌・日常生活だけでなく、ピアフの思想・哲学まで理解した上での絶唱でした。歌手ではありませんが、単に歌が上手いだけでは、人を感動させる事ができないことを実感させました。
歌い終わった直後アナウンサーが声をかけたものの、舞台のエディットピアフは、直ちに大竹しのぶに戻ることが出来ず、アナウンサーとハイタッチをするのがやっとでした。しばらくして、やっとピアフから大竹しのぶに戻って、何とか紅白の出演お礼を述べていました。素晴しかったですね。
それに引換え、美空ひばりの『川の流れのように』は酷いものでした。三波春夫の歌った『東京音頭』も三波春夫の朗らかな人柄があっての『東京音頭』ですから、聞いていて、この程度だったら俺に歌わせろといいたいほどでしたが、『川の流れのように』は人生経験も浅く歌も余り上手くない歌手が自分勝手に歌詞を「解釈」して勝手な間の取り方をするものですから、聴いていて鳥肌立ってきました。電源を切ることも出来ず「消音」して終わるのを待つしかありませんでした。この大竹しのぶの『愛の賛歌』と『川の流れのように』を比べてみると、昨年11月19日の「演歌にみる芸術論」(タイトルが大仰でした)で書いた「演歌論」が実証されたようでした。
何れにしても、紅白に大竹しのぶが出演することと、ピコ太郎が「ハーフタイム」に出ることから「平和の象徴とも言えるNHKの紅白歌合戦が、今年は視聴率を延ばしそうです。」と予想したのですが、当たりましたかね。

posted by やすかね at 14:12| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お年賀

明けましておめでとうございます。
1789年のフランス革命から自由・平等・博愛(連帯)は、正義のスローガンとして世界中に広がりました。しかし、グローバルな資本の自由は、先進国と後進国の格差(南北)問題を引起こす一方、世界の資本主義国は、国内の格差(不平等)解消から社会福祉充実を行ってきたものですが、冷戦終結に伴う東西対立がなくなると、再び資本の自由(新自由主義)から、先進資本主義国での格差拡大は極限にまで達し、若者の就職と結婚も大変な状況です。
本来、国家の大きな目標は、資本主義社会を前提に平等な社会をつくることですが、小学生にも分かる過激な発言で白人貧困層の支持を取り付けた億万長者のトランプが大統領になった事は、トランプ流に言うと、「貧乏人が、どうして大金持ちを自分たちの代表にした」のでしょうか、理解不能です。
紀元前四世紀、ギリシャの哲学者プラトンは、独裁政治である哲人政治を唱えたのですが、今日の民主主義における反知性主義を予言していたのでしょうかね。
2017年元旦

こ難しい、とのお叱りをうけましたので、若干の解説です。

平等は、古代からの「正義」
 近代社会となる世界の歴史は、1789年のフランス革命にはじまった(と考えます)ものの、人間の平等は、新約聖書使徒言行録「持ち物を共有する」で、皆が、お金など持っているものを持ち寄り、必要に応じて分配される社会(原始共産制)と書かれているのですが、現代においても根源的正義と考えられます。

帝国主義から世界戦争(植民地争奪戦) 
 しかし、人間社会は、産業革命後発達したグローバルな資本主義から、国(南北)レベルでの格差が世界の平和を脅かして(第一次世界大戦)います。また1917年にはじまったロシアの社会主義革命から、社会主義こそ人間の平等を実現している社会だと「誤解」されたことで、資本主義国では、左翼性政党が勢力を伸ばさないように、資本家に「搾取」される労働者の労働条件などを改善する必要最小限の「福祉政策」を採り続けたのでした。
 それでも、ソ連解体から東西対立が無くなると、資本主義国の政府は、もはや労働者の保護政策など無用だとばかり、個別資本(経団連などでなく、〇〇自動車、〇〇化学など)による収奪を野放しにした(新自由主義)結果が『ブラック企業』の出現につながっています。

資本論の大原則(労働力商品が資本主義を支えている)
 政府は、少子高齢化などと危機感を募らせていますが、その実体は、資本の論理から正規職員が減らされ、若者はアルバイト程度の収入しか得られず、労働条件が安定している正規職員として就職する事は、極めて困難となり、結婚するのも大変な状況ですから、このままですと労働力の再生産(結婚して子どもを出産して教育を施して、親同程度の教養を備えた労働者を育成すること)すらおぼつかなくなり、ひいては労働者から労働力を買い取り、儲けている企業の存続も危うくなっています。(資本主義の危機)

国家の本質は階級支配
 この様な状況では、国家の存立目的(綺麗ごとでは、平等な社会、本音は資本家の支配)自体怪しくなり、一定の教育を受けた有権者の合理的判断に基づいて国政が運営される民主主義さえも、怪しくなってきます。
 その象徴が、イギリスのEU離脱、アメリカの大統領選挙でした。大衆迎合主義(ポピュリズム)というか衆愚政治が世界の趨勢となったとき、世界平和が危うくなります。フィリピンの大統領だけでなく、トランプ、極右のペロンなどが世界政治を動かしてくると、中国習近平とか北朝鮮の独裁国家も幅を利かせてきそうです。韓国を見ても政治家の指導力不足は明らかですから、この地球上から民主主義国家などなくなってしまいそうです。

地頭力のある指導者が求められている
 今や世界の指導者として指導力を発揮しているのは、唯一、ロシアのプーチンだけとなってしまいます。それにしてもアメリカの大統領も権威がなくなったものです。アメリカは大統領選挙にロシアが関与したとして外交官35名ほど国外追放しました。これまでの外交慣例ですと当然ロシアもアメリカの外交官などを同数追放するのですが、さすがはプーチン「アメリカのオバマを相手にせず」とばかり、報復追放をしませんでした。(昨日3日の報道などを見ますと、ロシアではなく、サイバー大国のイスラエルこそアメリカ大統領選挙に介入したのではないかと思われますね。4日追加)
 超大国のアメリカ大統領が、ロシアから相手にされないほど侮辱をされながら、アメリカは何もできないでいます。このままでは、世界の火薬庫での紛争にアメリカは指導力を発揮できないでしょう。
民主主義のこの様な危機を垣間見ますと、尊敬できる哲学を持った独裁者に政治を委ねるのが最善と考えたプラトンの思想に行き着いてしまうのですが、どうしたものでしょう。


posted by やすかね at 13:45| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

職人の仕事

先日、元司法研修所の検察教官が法務省を退職後、勤務した公証人を70歳で定年退職したということで、とりあえず、クラス有志が集まりました。集まった連中は、自分を含め、これまでの法曹の仕事にやりがいを感じてきたはずです。
中には、国家公務員(衆議院法制局)から研修所に出向して、修習生の2倍程度の給与を受けとっているから、法曹資格取得した後も官僚に戻るのか思いきや、さっさと弁護士登録をして、今大阪で大きな事務所を構えていることを自慢している「金儲けの上手い」弁護士もいました。しかしながら、教室でも優秀で、その後も立派な本を出すなどしている本当に優秀な東大出の弁護士もいました。私も研修所ではクラス委員(多分成績優秀でないとダメと考えているのですがね)でしたが、彼には起案の提出では、遅れをとっていました。また、中には研修所の教官になった弁護士もいましたが、彼は大分偉くなっていましたから、あまり話をしませんでしたね。この年になると、何処に言ってもおべんちゃらなんていいませんから、相手の気持ちが良く分かってきました。
教官は、中井憲司さんで、先生は、法務省のトップレベルのはずでしたが、国会の答弁で少し失敗したらしく在野の人となりました。中井検事は、研修所時代「弁護士は、職人である。」と強調していました。
当時、良く理解できませんでしたが、最近やっと「職人」の意味が理解できたように思います。
先日、説得に大変というか、癖の強い依頼者から手紙を頂きました。『先生ありがとうございました。先生が7人目の弁護士でやっと救われました。』というような内容です。自分で「へぇー」と驚いていますと、事務員さんが「彼は、これまでの兄弟を始め医師、検事などを刑事告訴していました。」と聞いてびっくりでした。
本日は、都内の「いじめ専門の弁護士」が相当いい加減な訴訟を提起して、いじめの要件事実(日時、場所、具体的行為などの特定)ができないまま証拠もないのに350万円(自賠責保険での死亡した本人の慰謝料と同額)も請求された事案の起案でした。先週めでたく、原告敗訴で確定しましたので、このアホ弁護士に損害を払えと内容証明を出した次第です。殆どの弁護士は、その様な危ない「アホ」な事はしませんが、「いじめ専門の弁護士」判決書で、「要件事実が大雑把」などと言われただけでなく「原告本人名の陳述書が提出されたが、この署名は、明らかに原告本人のものとは異なる。」と弾劾されています。弁護士職人としては許せないですからね。
この弁護士のホームページを見ますと、着手金目当てのような、「ゼニ稼ぎが上手い弁護士」と考えられるようです。
結局職人は、自分の仕事に納得ができないならば、金銭に関係なく、満足のゆくまで自分の仕事を追求するということでしょうね。
僕も、割の良い仕事をしたこともありましたが、今回のいじめ事件は、先の「厄介な依頼者」同様、正に手弁当でしたが『やったー』と満足のできる仕事でした。
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2016年11月19日

演歌にみる文化論

森進一の歌う「津軽海峡冬景色」を聞いてから、「我が国の文化」である演歌の歌詞に興味がわいて、TV・ショップで6枚組みのCDを買い、カーナビに録音して聞き入っています。歌詞も歌手も、実に様々です。中には、悪い意味で鳥肌の立つ曲(歌い方で)もあります。
その一方、テレサテンとかケイウンスクなどの外国人の歌っている曲は、素直に歌詞に入り込めるのですが、『女の〇〇』の曲などは、巻き舌で歌いこまれ、歌詞を最後まで考える余裕を与えてくれません。何でだろうと、考えていたのですが、なんだか判ったような気がしました。

明治22年に生まれ、民藝運動を起こした思想家・美学者・宗教哲学者の柳宗悦(むねよし)は、日用品の中に「美」を見いだし、『美とは、無である』と言っていました。またピカソは、『90歳になってやっと子どもの絵が描けるようになった』そうです。

昔、友人と出かけた香港で、エッフェル塔を真ん中にした風景画(いわゆる「ペンキ絵」)を1000円で買って帰り、絵よりも高い値段(5倍)の額縁に入れ、長い間事務所に飾っておきました。お気に入りの絵でしたので、事務所移転の際、お隣の法律事務所にもらっていただきました。

ペンキ絵は、絵描き職人が自分の周りに何枚ものキャンパスを並べ、色を塗るときは、筆をもった職人がぐるぐる回りながら一日に何枚もの絵を仕上げるようです。
私は、どうしてペンキ絵が好きだったのかと考えたところ、柳宗悦の話を思い出し、結局ペンキ絵は、流れ作業で描かれることから作者の感情が入らず、イヤミのない風景画となっているのが理由でした。大量生産される民芸も作者のつまらない感情が入り込む余地がないことで、下手な「芸術家」の作品に負けない美を感ずることができるのでしょうね。

演歌に戻りますが、演歌は男と女の物語を描いた歌詞に曲をつけ、それを歌手が歌うのですが、外国人の歌手は、歌詞の内容に踏み込むことなく、ただひたすら日本語の発音とイントネーションに注意を払って歌っているから、全くイヤミを感ずることなく、曲を聞き入ることができるのでしょうかね。

ところが、多分、頭もあまり良くないでしょう、歌の上手くない演歌歌手は、作詞家の作った歌詞を正しく解釈することができないまま、自分の感情の赴くまま、独り気持ちよく演歌を歌い上げているので、とてもじゃないが聞いていられない、のでしょう。
しかし、車のなかで『岸壁の母』など聞き入っていますと、ウルウルしてきますので、正しく歌詞を解釈し、正しい音程で謳われている演歌は、やっぱ「日本の文化」だと再確認しました。

演歌の嫌いな人に、一度は確かめてみたいと思います。「美空ひばりの歌う演歌も嫌いなのですか。」とね。演歌のお嫌いな人も、演歌を正しく聞き分け、是非、演歌を再確認していただきたいと思います。
人を感動させることのできる、一部の素晴しい芸術家の作品は、鑑賞する人の様々な感情を素直に作品の中に見いだし、作者と感情を共有できる、極論すれば白地のキャンパスの様に下手な感情が入らない、子どものような絵なのではないでしょうかね。
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2016年05月12日

反知性主義は、国をも滅ぼす

今日の報道によれば、三菱自動車が、実質的に破綻し日産の傘下に入ることとなりました。私の叔父は、元鍛造工の職人として、中学を卒業後50年ほど、三菱ふそうトラックのハブ(車輪の輻(ヤ)が集まる中心の太い丸い部分、中を車軸が貫いている。)などの製作に携わっていました。長年の職人の勘としてハブの厚みは、10o(−0,5+1,5o)でなければ安全でないと自説を曲げる事はなかったそうです。ところが、叔父が退職して数年後、三菱のトラックの車輪が外れ、死亡事故が発生しました。三菱は当初「整備不良」などと誤魔化していたものの、その後ハブに原因があることが公表されました。叔父が関係者の話を聞いたところ、叔父の退職後ハブの厚みが8oになっていたようです。
三菱は、その後もリコール問題で大きな社会的批判を浴びたものの、その体質は、改まることなく、今回の燃費データの改ざんで、三菱自動車本体が破綻し、多くの下請け工場とその労働者が路頭に迷う事態となり、政治的判断もあり、3000億円の出資を行って、日産の傘下で建て直しを図ると言うことです。
二次三次の孫請けのような小さな鍛造工場で、一職人の判断からハブの厚みが維持されていたものの、この職人が退職すると、いつの間にか、製造原価の圧縮を図り、必要な強度を維持するに必要な鉄を薄くし、回り、まわりして、結局大企業の三菱自動車が破綻することになりました。
このブログでも、高等裁判所の裁判官の反知性主義(証拠と論理が整っているにも関わらず、感情的な裁判をする、マヌケな裁判官)に腹を立てたりしたのですが、今日文春新書の『中国(チャイナ)4.0』(エドワード・ルトワック)を読み終わって、「人類の歴史は、長きにわたる犯罪と愚考の歴史である。」(同書106頁)と書かれている通り、これまで、大国の政治的指導者の反知性主義から、どれほど多くの国際紛争(戦争)が引起こされたのか知ることが出来ました。
そうしますと、被害者にとってはとんでもない判決(高等裁判所の裁判官の無責任主義から被害者の救済の道が閉ざされた)ですが、この人間社会は、無責任の極みの裁判官をはじめ愚行の連続ですから、運が悪いと考え、諦めるしかないですかね。
それにしても、同書は、日本の真珠湾攻撃、2003年のアメリカのイラク進攻が反知性主義の感情論で始まったほか、隣国の不安定な中国、棚ボタで独立した韓国、日露戦争でなぜロシアが敗北したか、などなど著者の逆説的論理は、私達が世界を見る重要な視点となります。
posted by やすかね at 15:19| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

水素水と肥満対策

以下は、私の健康管理についての実践例です。26歳頃ジョギング中転んで左足首の靭帯損傷(研修医は単なる捻挫と診断し、数年後入院手術)スキーで左膝、前後十字靭帯損傷(手術なく治癒)、50歳過ぎにレーシック(左角膜アレルギーからコンタクト)、52歳左甲状腺の乳頭癌摘出、2012年プールの階段で4段スベリ、左肩打撲で筋肉癒着と左ばかり事故った後、翌年右足アキレス腱断裂、など色々ありました。(ゴルフが上手くないのも、これが原因なのです。)
また、高脂血漿・高血圧・高尿酸で投薬を続け、血圧も150から中々下がらずにいたところ、抗酸化作用のある水素水は、高血圧にも効果があるとききました。水素水とは、要するに水の電気分解から発生する水素イオンの水(H+、イオン濃度を対数にとりPHで表示、7が中性で7超がアルカリ)で、体内の活性酸素(細胞膜を損傷する)とすばやく反応して無害な水になるだろう、と言うことです。
実際に1月ベトナムに行く前夜23日、500ccをガブ飲みして翌朝血圧を測ると劇的に下がっていました。そこで、「これは、効果抜群」と考え、帰国後水素水を一日1500cc闇雲に呑み続けていました。
2月25日ゴルフの練習後、昼食に蕎麦を食べてから、軽い腹痛がしたものの、横になっていれば大丈夫と、たかを括っていたのですが、徐々に痛みが増し、その日は、一晩中眠ることも出来ず、翌朝病院に駆け込みレントゲン・CTなど撮ったところ、普通親指程度の太さの小腸がソーセージ程度にパンパンに脹らみ、その先が太めのストロー程度に細くなって、腸閉塞と診断されました。(今まで開腹手術なし)
腹は脹れ、腹全体に激痛がはしり、「これは手術か」と心配になりました。特に、腸閉塞の手術と言うと、群馬医大で腹腔鏡手術による死亡者がでたことを思い出し、大変心配していました。
しかし、幸いに、先生から手術をしなくとも9割が大丈夫と説明を受け、少し安堵し、点滴(抗生剤入り)を受けつつ、丸々4日間完全絶食で、立ったり、座ったり、逆立ち等々「努力」の結果、4日目の深夜2時ころ、臭いの強烈な屁が出ました。これで大丈夫と思ったものの、腹の張りはなかなか解消せず、退院まで更に3日を要しました。
以上、自分の経験から、食後の水素水は、避けたほうが賢明であると言うことです。食後は消化液として胃酸が分泌されるのですが、このとき強アルカリの水素水を飲みますと、消化液の胃酸が中和されてしまって、食べたものが消化できない、と思います。

ところで、7日間(5回のお粥)の「断食」の結果として、昨日は体重が70キロを割り込み69.6`、体脂肪は8.7`(12.6%)でした。これを4年前のデータと比べると、体重は74.9`から5.3`減、内訳は、体脂肪12.2`(16.3%)が3.5`減、水分が46.2`から44.7`で1.5`減ですから、5.3`の体重減のうち脂肪と水分で5`減少となっていることです。
ここから「肥っている」とは、脂肪が多いと言うことは当然として、水太りであることも明らかとなりました。体内の水分は、塩分によって血液と同程度の浸透圧を維持しながら血管の中を回っていることとなり、これが高血圧の大きな原因と言うことです。水ではち切れんばかりに膨らんだ消防ホースの圧力が高いという事は、人間の血圧が高いと同じだと考えられます。
スリムになるには、高カロリーを控えることは勿論、塩分を控える事は、体重と血圧にとってメタボ対策、健康管理にとても良いことと思います。日常生活では減塩を心がけてください。水素水も程ほどに!
posted by やすかね at 17:43| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

宇宙飛行士の苦労

今年の7月13日、特に激しい運動もしていないとき、突然右足のアキレス腱がぶっ飛びました。20年ほど前に、八海山スキー場で大体同じところで肉離れを起こしました。そのときは、脹脛(ふくらはぎ)に、石飛礫(ツブテ)を受けたようにピシッと痛みが走ったのですが、今回は、力いっぱいバットで殴られたようでした。
その後、先足(センソクと言うらしい、つま先を伸ばした状態)で4週間、その後90度に戻して2週間ギブスをしていました。この計6週間の長いことったら、子どものときに戻ったように、毎日がとても長く感じられました。
8月27日ギブスを外してみると、足首から先は、自分の足の感覚がありません。足を着こうとすると痛みが走り、プールのジャグジーの泡でもしびれてきました。ギブスを外した後、病院に一度も行かなかったのですが、筋肉も固まり、自分でのマッサージも大変でした。
この「貴重」な経験から、人間の体は使っていないと、衰えるだけでなく、痛みが走って使えない状態となるのです。
このとき、宇宙飛行士の大変さが少し分かったような気がします。無重力の宇宙で何ヶ月も生活したら、地球に戻ったとき、体中が痛いのではないか、毎日プールでリハビリの必要があるように思いました。宇宙からの帰還のときは、確か車椅子ですよね。
ところで、日本の宇宙開発にかけるお金は、もう直ぐ兆円の単位になりそうですが、宇宙でメダカを飼ってもネェー。今後どうなるのでしょうか。アメリカがスペースシャトルをやめてしまったので、「独占企業」のロシアは値上げを行い、日本の若田光一さんの「旅費」は400億円だそうです。
昔、科学技術の発展は、戦争とともにあるなどと、戦争にも良いところがあるといわれたこともあるのですが、科学技術は、宇宙とか戦争とか無くても発展できるのでしょうね。
取りあえず、地球にいる人間は、毎日重力と闘い、二本足で踏ん張らなければ、生きていけないのですね。
posted by やすかね at 17:59| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月02日

暑中お見舞い

暑中お見舞い申し上げます。
二〇二〇年東京オリンピック誘致で、オールジャパンが大活躍ですが「オールジャパン」の反対語は「非国民」と考えてよいのでしょうかね。領土問題で中国と韓国は、自国の主張のため、日本を「悪者」にしています。国内でも「日本の領土保全」で大多数の国民の意見が一致し、それに反し、イランとか中国にノコノコ出かけ国益を害している鳩山由紀夫元首相には「非国民」のレッテルが貼られ、週刊誌では「日本追放」とまで言われる始末です。ものの考え方・趣味など個人は、様々ですが、オールジャパンを基準に「発言を批判・非難」でなく、「日本追放」とまで言うと、なんか嫌な気分になります。
二〇〇八年大統領選挙の勝利演説で、オバマ大統領は「若者も年寄りも金持ちも貧乏人も黒人も白人もアジア人もラテン系も・・・障害者も健常者もアメリカが可能性に満ちた国であるという答えを出した。」と述べたことは、金持ちと貧乏人など相反するものを「アメリカのため」で束ねるのが「ファシズム」だそうです。(『日本人のための新「幸福論」』三笠書房一四四頁)束の外と好みが違えば「非国民で国外追放!」怖いですね、怖いですね。
この夏、水虫対策に雪駄履きでいたところ、「裁判所で、被告人席に、と言われるよ。」だそうで。カッコ良い蛇の目がスーパー・クール・ビズと理解されません、残念です。
二〇一三年 盛夏  千葉市中央区中央四丁目一〇番八‐九階
(電話〇四三-二二二‐四六八〇)
やすかね法律事務所弁護士 伊藤 安兼

以上、今年の暑中お見舞いのご案内をいたしました。若干「良く分からない」とのご意見をいただきましたので、解説をさせていただきます。
「オールジャパン」とは、政界も経済界もスポーツ団体も市民も含め、オリンピックよ来い!と考えている一般の常識人のことです。これに対して「非国民」とは、先の大戦、と言ってももう70年も経ちますが、戦争中、戦争反対を唱えた人々を蔑称した言い方です。

既に戦争は、過去のことと言っていられない状況が未だにあります。現に韓国などは、アメリカで従軍慰安婦のことで日本を攻撃しているのです。自分の国は、日本の経済援助がなければ、今の二等国にもなることが出来なかったにも関わらず、全く、感謝を忘れた連中です。
 また先日、韓国は、韓国生まれで日本に帰化して、非民主的な韓国に対して「批判的」活動をしている、呉善花さんに7月27日、入国を拒否しました。批判と非難も区別できない連中が韓国官僚です。つまらないことで文句をつけていると、本当に韓国人の女性プロゴルファーに石が投げられそうです。
さらに、「非国民」と言うことは、最近週刊誌などで鳩山元首相に投げかけられているのですが、これも批判と非難を区別できない連中が、鳩山の人格非難をしています。鳩山さんのやっていることは馬鹿げたことですが、『日本追放』とまで言ってしまっては、やはり言い過ぎです。
『批判』とは、良いところと正しくないことをはっきり区別して評価することですが、『非難』とは相手の間違いを責めてとがめることですから、「お前!責任をとれ!」となれば、お互い感情的になってしまいます。
次にオバマ大統領の発言は、ムッソリーニの演説と同じように「国を纏める」「国全体で」と言うことで、相矛盾する概念を、良いも悪いも一緒くたにして、批判も許さないように「束ねる」ファシズムと言うことだそうです。このオール・アメリカンの立場から物事を考えると、「鳩山!国外追放」などと価値観の異なる人々を非難することとなってしまいます。

価値観は、自分の大切に思っていることですが、これを相手の価値観で非難されたら、やはり紛争が起きてしまいます。そんなことで、他人の価値観には寛容(心を広く持つ)でなければなりません。この様なことを是非お伝えしたいと考えて暑中見舞いを書いたのですが、暑中見舞いを読まれた方から、最後に言われるのはやっぱり、『先生!水虫だったのですか。』と言われる始末です。一番分かりやすいところですから、しかたありません。それでも、あるお人から水虫の特効薬と言うことで、木酢を送っていただきました。本当にありがとうございます。

最後に『被告人席に」とは、某弁護士から言われたのですが、暑中見舞いで、ジョークにしておこうと考えて書いたところ、この弁護士さんハガキを読んで、面白くなかったのでしょうね、ハガキが事務所のポストに返っていました。
『被告人』のやり取りは、二人しか知らないのに、もっと寛容になってほしいですよね。敢えて言えば、僕の方が、雪駄を良しと考える自分の価値観を「被告人席に」と非難されているのですから、僕のこの程度のジョークが理解できないなら、「被告人席に」なんて言わなければ良いのにね。心が狭いですね。これで、またひと悶着かな?




posted by やすかね at 17:39| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月28日

教養人の基準

『韓国が漢字を復活できない理由』(豊田有恒著 祥伝社新書)を読んでの書評です。
最近佐藤優氏の著作とか『韓国併合への道』(呉善花著 文春新書)に続いて本書を拝読しました。本書に入る前に佐藤氏の著作の中では〈国際基準の知識人として、古代ギリシャ語、古典ラテン語の初歩的知識が不可欠である。(『本の読み方』東洋経済)とあり些か落ち込んでいたところです。英語もできないのに今更古代ギリシャ語でもありません。しかし、本書で〈漢字の習得には時間がかかるが、一度習得すればわずかなランニングコストで高い教養が保てる。〉とあり安心しました。続いて本書では〈英語には、ギリシャ語、ラテン語に由来する単語がたくさん入っている。〉とあり、佐藤氏の基準に納得しました。
日本人は漢字を知ることで先人の文書をいわばオリジナルで知ることができます。中華人民共和国の国名自体「人民共和国」は日本語です。
韓国人が意固地にならずに漢字を習得すれば、欧米と異なる日本による「植民地支配」の認識が変化し、友好な関係が築けるでしょう。韓国人が漢字を失えば、儒教の精神も再々伝聞でしか知り得ず、知識人としての教養取得も大変となるでしょう。
posted by やすかね at 12:03| 千葉 ☀| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

2012年お年賀

明けまして、おめでとうございます。
ご家族ご一同様のご多幸をお祈りします。(合掌)
ヨーロッパを含め世界の政治・経済の先行きは、不透明です。わが国も大震災からの復興だけでなく、デフレからの脱却と政治的改革が必要です。
紀元前四世紀、ギリシャの哲学者プラトンは、「哲学者が政治を行うか、政治家が哲学を学ばなければ国々は不幸なり、人類も同様だ。」といっています。
我が国では、選挙で勝つこと、また政権に就くためには、誰と組むか、ということばかりで、国家・国民のために何が必要かという一番大切なことが議論されていません。政治哲学の欠如が深刻です。日米欧の混迷の中、経済発達した中国が、そこに付け入るべく航空母艦を建造して、尖閣列島、東アジアでの覇権を企んでいます。ですからTPPが必要なのです。
わが国の政治家が哲学を学び、国際基準で思考できなければ、単なる税金泥棒です。大阪で見られた様に、今の日本社会は「英雄」待望論です。十分な情報開示があるなら「独裁」の方が迅速・安上がりで、やすかね。・・ファシズムは「束ねる」(団結?)だそうで・・
2012年元旦 
千葉市中央区中央4丁目10番8 コーケンボイス9階
                 (電話番号043-222−4680)
やすかね法律事務所 弁護士 伊藤 安兼
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2011年12月15日

落語国際大会

落語国際大会
12月10日(予選)、11日(本選)両日NPO法人フォーエバー主催で第1回落語国際大会が記載されました。78名の応募の中から39名が予選に参加し、三遊亭圓馬師匠の門下から10名が予選会に出場しました。私も圓馬一門から「せんよう(千葉)亭ロイヤ」の名前で出演し、第3会場の光明寺本道で「つる」を8分にまとめて熱演しました。その結果見事に予選を・・・通過できませんでした。

本選は、3会場から各3名選出され、せんよう亭一門3名、鹿鳴家(かなりや)一門4名の外、フランス人の尻流さん、御門屋菊之介さん、最後に新作落語で挑んだ、校長になりたいという高校の先生である成田家光蝶さんが特別枠で出場して、計10名で行われました。

中には予選の8分に枕を適当に2分ほど足すという「手抜き」もありましたが、それ以外は全員熱演で、本物の寄席に木戸銭を払って聞くより面白かったというのが率直な意見です。フランス人は「国際大会」ということで、「外人枠」で出たのだろうなどと高をくくっていたのですが、その演題「動物園」は物凄い迫力であり、これなど本物の寄席で、前座のやる「開口一番」をはるかに凌駕していました。特に多少アクセントが変でしたが、日本語には全く誤りがなく、終了後名刺を頂いたところ、外交官のようであり、日本滞在14年ということですが、フランスでも相当の高学歴であろうと思いました。

優勝した鹿鳴家さん歩さんの「鹿政談」は、真打といえる話芸で、審査員及び会場全体が一致した結論だったと思います。準優勝は我が一門のZ(ゼツ)校長さんの「ちりとてちん」であり、裏に住む知ったかぶりの「たけ」に腐った豆腐を食わせるという「す豆腐」のような話を関西弁で見事に演じていました。

予選で私と同じ第3会場で「弥次郎」を物凄い迫力で演じた「センセイ」は、堂々としたものでしたが、枕で「予選は遊びでやった」と話したほか、15分の制限時間の枕で羽織を脱ぐなどという鼻についた演技がイヤミで、また話の内容は堂々とした「男の花道」でしたが、約2分弱オーバーしたことで、審査対象から外されたのではないかと思いました。とても上手だったのですが、残念です。

来年は、参加者のレベルがとても高いということで、挑戦するには面白いようです。ゴルフでも落語でも何処にでも上手な人は五万といるというのが実感です。しかし、最後に審査員の師匠が『皆さん、プロになるなんて考えないほうが良いですよ。』と言っていましたが、なんでもそうでしょうが、芸事でプロになることは、色々の面で大変だということでしょうね。アマチュアが一番気楽ですよ。やっぱー!
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2011年10月01日

脱原発は排外主義?

今の暑中見舞いで『ところで、一所懸命「節電」を考えるのですが、原発も人間が運転しますから私達が覚悟を決め「貧乏を我慢」できれば、ストップできないこともありません。』と書きました。原発事故からわが国では節電は当たり前として、さらに脱原発に進むのか、どうもこれは難しいのではないかとの疑問からそもそも「貧乏を我慢」できるのかと考えたのです。

一冊の本(朝日新聞社)10月号に佐藤優氏が「脱原発は可能か」というのは問題の建て方が間違っている。建てるべき問いは「脱電力は可能か」であり、この問いは必然的に自分の暮らしと直結します。と書いています。

要するにドイツのように「脱原発」と叫んでも、自分たちの暮らしを犠牲にしなければ隣国の原発から電力を輸入することとなり、結局これは嫌なものを他者に押し付ける「排外主義」になるという分析です。
社会にゴミ処理場などの嫌悪施設が必要としても、(何も考えずに・・)それは自分から遠いところに作ってくれと言うならそれは「排外主義だ」になるということです。

ですから、暮らし経済を考えずに「脱原発」を唱えることは排外主義となるので、節電と貧乏を何処まで辛抱できるか、その上でどの様な経済政策を選択をしてゆくべきなのか、この様なことを考えてゆかなければならない、と思いました。

このブログも大分時間があいてしまいましたが、野田内閣ができてから、私も政治に関して余りコメントをしたくなくなったのですが、これも多くの人が共有している「沈黙にこめられた思い」だそうです。ナァーホド書きたくなかった原因が判明しました。
posted by やすかね at 15:20| 千葉 ☁| Comment(1) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

エコ運転のススメ

私の車も購入以来11年目、先日走行距離20万キロを突破しました。普通に加速し、ブレーキを使用しながら運転していますと、古くなったことも原因でしょうが、高速使用が多い割に燃費はリッター9キロ程度です。
車には瞬間燃費の表示が出ますが、満タンから給油のランプがつくまでのエコ運転をしたことがなかったので、最近流行であるエコ運転を徹底してみました。
70リッターで満タンですから、通常550キロ走行するとスタンドで給油をするというパターンでしたが、今回はエコ運転の成果もあり700キロまで走行してからの給油となりました
つまり、約700キロのエコ運転をしたところ、結論として100キロあたりの平均燃費が10.9リッターのところ、9,2となりました。ハイオクが149円ですので、10,638円が9,595円に減り、約10%である1,043円の節約となりました。
そこで、エコ運転のポイントを書きますと、@止まらない、Aブレーキをかけない、B急加速をしない、C回転数で2000を超えない、そのためにはD車間距離をとる、E先の信号の変化を見る、最後にFアイドリングストップを実行する、などでしょう。
具体的に指摘しますと、車は発進のとき一番燃費が悪いのですから、近くと長距離に限らず、車を止めないことが大切です。止めないといっても赤信号があるではないかとご心配されるでしょうが、これは大きなポイントです。
通勤に慣れた道路ですと、信号機に内蔵している時計は電気時計ですから停電がない限り何処の信号も同じタイミングで赤青黄色と変化します。つまり、毎日使う道路の信号のタイミングを覚えることが大切です。
今正面の信号が青になったので急いで次の交差点まで進んだところ、赤信号でブレーキを掛ける、これが一番おろかな運転となります。   
前方の赤信号が見えているときは、絶対車を加速しないでアクセルは離します。惰力で進みながら、信号が変わり前の車が動き出した後で追いつける程度の進行でよいですね。
赤信号で止められることは必ずありますのでそのときは、5秒以上の停車にはエンジンキーを切ります。黄色の信号で止められたときは、少なくとも30秒は停車しますから必ずエンジンをストップしましょう。エンジン始動は4台くらい前の車が動き出すときで大丈夫です。
次に重要なエコに結びつくのが、前の車との車間距離をとることです。前方の車の流れる速度は常に一定ではありませんから、前の車のスピードがアップ・ダウンしても、これを車間距離で「吸収」すれば、自分の車は限りなく一定の速度で走れますので、ムダな加速を避けることが出来ます。
なんと言ってもエコ運転の一番のメリットは、一定の速度で走ることから、人に追い抜かれても全く腹が立たないということでしょう。おだやかーな気持ちで運転することは安全運転に不可欠でしょし、お金に変えられない良いところでしょうね。逆に後ろの車の運転手はイライラしているかも知れませんが、どうせ急いでも次の信号で止まるのです。
それでは、皆様安全運転につながるエコ運転を心がけましょう!
posted by やすかね at 14:01| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする