2009年10月27日

民主党の政治変革は「無血革命」か?

民主党の政権奪取から2ヶ月、昨日は鳩山首相の所信表明がありました。先日作った私の活動報告にも書きましたが、正に「骨太の方針」だと評価しています。

首相は黒船でもなければ、敗戦による焼け野原が広がっているわけでもないが、「無血の平成維新」先人の苦労に勝るとも劣らない挑戦であると結んでいます。

明治維新以来140年、わが国の政治を担当してきた「権力者」であった官僚政治を政治主導に変えようとしているのですから、「権力の移動」を「革命」と定義するのであれば首相は9回「変革」といっていますが、今回の政権交代は「官僚主権」から「国民主権」への「革命」そのものと評価するのは時期尚でしょうかね。

活動報告で政権交代の「原動力は、自民党政治を変えなければ、との国民の意思ですが、」と指摘してさらに「・・民主党は、大胆に「脱官僚支配」という事をマニュフェストに掲げましたが、明治以来百年以上国の政治を動かしてきた「継続してきた官僚組織」を政治家が十分コントロールし、国民に約束した「公約」を実現できなければ本当の意味の「国民主権」ではありません。」とも書きましたが、首相の思いと一致している、と悦に入っております。

読売新聞によれば「所信表明は官僚の関与を廃止し、首相の思いを側近議員(中心に松井孝治官房副長官)が原稿に落とし込む『政治主導』でまとめられた。」と紹介しています。

所信表明の冒頭「戦後行政の大掃除」の中では首相は「官僚依存の仕組みを排し」「政府としての意思決定を内閣に一元し、事務次官会議を廃止」と宣言しています。

あまり言うと嫌らしくなりますが、この点も活動報告で「これまでの政治運営は、多数党である自民党政権が官僚の作文を読んで行ってきたもので・・実体は、明治以来の天皇主権に基づく政権と質的な違いはなかった・・政権を奪取した民主党には、官僚主権ではなく国民主権・・これまでは、「継続した官僚組織」・・事務次官会議が100年以上継続し、閣議へ提出する重要案件を決定してきました」と書きましたが、まさに政治主導が「国民主権」への第一歩です。

私自身、これまでの自民党政治が続く中で、わが国の政治に半ば諦めを感じてきたのですが、今回の所信表明の全体を読んでみてもう一度わが国の将来に期待がもてるかな、と思ってきました。

しかし、自民党の谷垣総裁は「やや冗長(長すぎる)で感傷的だ。(首相への拍手歓声は)ヒトラーの演説に賛成しているようだ。」と首相の所信表明のすばらしさを全く評価していないような報道ですが、「人のことを褒められれば一人前」ともいいますが、これまでの官僚権力に乗っかってきた自民党の総裁とすればさもありなんでしょう。

ところで、佐藤優は10月31日号の週間東洋経済で「鳩山政権は社会的平等を志向している。」、国家が企業活動に直接関与する手法はファシズムと親和的であるらしいのですが、佐藤は「日本で新たなファシズムが生まれつつある・という作業仮説の下で民主党政権の政策転換を眺めている。」と語っています。

尤も、佐藤は「ファシズムは悪い」と言う先入観でなく、ファシズムにとって重要なのが「全体の代表」であり、東ドイツが「全体の代表」を標榜してマルクスレーニン主義を掲げながら国民を支配するファシズムに親和的な国家だったことから東ドイツの政治エリートがマルクスをファッショ的に解釈した経緯について学ぼうと思っている、そうですので「その成果」がその内「勉強」できることを楽しみにしています。

それはそうと全く個人的なことですが、いよいよ今日から私の時間も時速60キロのハイスピードで進むことになりました。干支(えと)6巡めも順調でいられるようにがんばります。

posted by やすかね at 06:34| 千葉 ☔| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

21年9月代表質問

代 表 質 問  

議席20番 伊 藤 安 兼

議席20番伊藤安兼です。緑水会を代表して、佐久間市長さん以下の執行部の皆様にお尋ねいたします。
一問一答ですと簡単に最初の質問が終わってしまいますので、全体の方向を示したいと思います。

基本構想:策定の地理的社会的背景事情を前提に総合計画を改定(人口構造の変化が最大の理由、想定人口との乖離)する理由をのべてから、総合計画を構成(まちづくりの目標と施策)し、計画的な市政運営を目標にしながら、具体的には数次の実施計画を推進するものです。
まちづくりは、この改定基本構想を基準にして行われます。そこで、

1、 基本計画の基礎となる人口見通しについて、お伺いすることになります。
1)2015年に30万都市を目指すことについて

今述べましたように、本市は、平成17年3月、市原市総合計画を改定しました。この総合計画は、平成17年度からの10年間の本市の進むべき道筋を定めたもので、この計画に沿って本市の行政運営がなされるものですから、これを国に例えて言えば、この総合計画が正に新政権となる民主党の国家戦略と同様の性質をもつものと言えると思います。

以前のものは、繰り返し読むとわけが分からなくなってしまったのですが、今度のものは、従前のものに比べれば格段に分かりやすくなったと思います。それでも若干理解できない、論理的に飛躍しているのではないか、と思われる点もありました。(泉水さんではないが)何はともあれ、通告に従いまして、お伺いいたします。力まずに答弁願います。

まず、基本構想の出発点に本市の都市としての人口をどの程度に想定するのかということを書いてあります。私も、人口は将来の行政需要の把握においてもきわめて重要ですから当然としても、改定市原市総合計画(以下「改訂版」という。)22ページでは4、人口の見通しとして6年後の2015年に30万人を見通し、その計画期間の中間年にあたる来年である平成22年までに人口を28万9千人とする目標を掲げています。

ここ数年、28万人前後をちょろちょろ(平成12年28万百人、16年28万千人と若干増加したが、本年4月には279,753人と減少している。)している・・(目標でなく見通し)のであるから、いいでしょうが、計画の基礎になぜ人口規模を据えるのか、お尋ねしたい。

そもそも、17年の改定は、想定していた人口と実際の乖離が生じたことが大きな理由となっているのではないか、(この点については、改訂版6ページ、従前のものについてのコメントは、喜怒哀楽348ページをご参照ください。また351ページには『市民に具体的目標が見える(進捗率の把握ができる)ように市原市の基本構想を再編成して計画管理を行う決意を表明した、と理解しています。』)と書いて具体的政策目標の提示を提案しております。

そうだとすると、人口にこだわっていては、またこの総合計画を再度改定しなければならなくなるのでは、ありませんか。2003年7月6日7日のブログで書かしていただきましたが、喜怒哀楽346p以下にも書いてあります。

2)「人口減少は都市の活力の低下を招きかねない」について
改訂版では、「人口減少は、都市の活力の低下を招きかねない」との記述があり、これを理由にして『基本構想に掲げる都市像「ともに輝く 元気なふるさと いちはら」に向けた積極的かつ政策的な施策展開のよって、人々の交流を活発にし“住んでみたい”と思う人々を呼び込む魅力あるまちづくりをすすめていくことが必要です。』と街づくりの方向を示しています。

(質問要旨):ところで、「都心の活力」ってなんですか。(人のいないところに活力は感じないが)人口が増えると活力が上昇するのですか?そこで、人口を増やすために、人々を呼び込むために「魅力あるまちづくりをすすめること」が本当に必要なのですか?余分な、税金を無駄にするような施策展開をしていないでしょうか?例えば、ふるさとハウスは魅力あるまちづくりの一環ですか?(人口、活力、交流の活発、魅力あるまち、住んでみたくなる、ふるさとハウス、税金投入の可否、反省点は?)次の失敗をしないため、継続する行政でも「反省」は必要、反省しないでいつの間にか変わってしまった、では無責任体質である。)

3)人口増を考えて施策を推進することについて(都市間競争か、協調か)

全国的に人口が減少するなか「人口を増やすために、人々を呼び込むために魅力あるまちづくりをすすめ」本市の人口を増加させるということは、取りも直さず近隣の他市町村との人の奪い合い、競争となり、本市が競争に勝てば、結果として近隣市町村の「活力」も奪うこととなるのではないか。

競争は相手のあることですから、こちらが人口増を主張するということは、相手方も同じ発想をすれば、都市づくりにおいて近隣との協調もできないことになりはしないでしょうか。そもそも「人口の減少が活力の低下に即結びつく」という考え方に疑問を持ちます。

今後、発想の転換が必要ではないか。人口が増えないとしても活力を維持し発達させる施策展開が必要ではないか。

2、 まちづくりの基本的方向について(14ページ)

1)「少子高齢化が人々のつながりを希薄化させる。」について
改訂版14ページ「ともに支えあうまち」のなかで、「少子高齢化の急激な進行とともに、人々のつながりがますます希薄化しています。」とありますが、私は、いつもこのような表現が理解できないのです。

まちづくりの基本方向を決める表現であるからこだわるのですが、これはどのようなことか伺いたい。「少子高齢化の急激な進行」と言う社会的事実の存在と「人のつながりの希薄化」という社会現象に「因果関係」があるような表現でもあるし、単なる並列に書いてあるような気もするのですが、繰り返し読んでいるとわけが分からなくなる。(どうも、「少子高齢化の急激な進行とともに」と言う表現が次に続くフレーズ全体をわけの分からないものにしているのではないか。仮に「核家族化の進行」なら人々のつながりが希薄化することに若干つながるかな?また介護などの人的サービスにもつながるであろう。核家族化はライフスタイルの多様化であるが、核家族と少子高齢化はつながらない。よって「少子高齢化」と「人々のつながりの希薄化」は命題とすれば「偽」であろう。)

2) 新たな相互扶助の仕組みに支えられた具体的施策について
私には、少々理解できない文章でしたが、それに続いて「新たな相互扶助の仕組みに支えられた活動を高める施策を展開する」(14ページ)とありますが、具体的な施策の実施及び取り組みについて伺いたい。

→・平成18年に「地域福祉計画」を策定 (←地域福祉計画のねらいは?主に高齢者の福祉か)
・計画では、町会、民生委員、各種団体等で構成する小学校区を単位とした「小域福祉ネットワーク」を設置し、地域課題解決に向け、具体的に取り組むとしている。(予定答弁)
・小域福祉ネットワークの現在の取り組み事例、などの回答(同前)
そこで、その回答について、また質問します。
←厚生省の推計(国立社会保障・人口問題研究所)によると、2014年高齢化率25.3% 「高齢者の単独世帯」30%、「高齢者夫婦のみの世帯」20%以上となる。
市原市においても、確実に高齢化は進んでいる。(4月1日現在65歳以上の人口55,628人で19.8%、5年後には、78千人28%になる。)

3)町会長の役割とそれに対する行政の関わりと援助について
いま、お伺いした小域福祉ネットワークのなかで重要な役割を演じておられるのが町会長さんとか民生委員さんが、日頃の活動をされているようですが、見ていると非常に忙しそうに見える。

町会の行事から、行政の依頼事まで、なんでもやらされているように感じる。1年のうち、3分の2ぐらいの何かしらの事務をやっているのではないか。こんなに忙しいのをみてしまうと町会長になってくれる人がいなくなってしまうのではないか。市民活動支援課として、町会長をバックアップできないものでしょうか。支援課の体制として、本市の職員を地元で動員できないでしょうか。

→行政でお願いしている町会回覧の配布など定例的なものは、月2回の配布にするなど、手間を減らすよう努めてきておりますが、市は、町会に対し指導する権限等はございませんので、内部のことまでは、対応できないのが現状です。(予定答弁)
←町会に結集しようという考えは、どうしたら出てくると考えているか、昔の町会(生産共同体として縛りがあった)と今の自治会(市原に越してこられた人たちがふるさと作りをしている。:あえて呼び方を変えた)の考え方の違いを理解しているか。

民生委員の選任手続きと、今、市長さんのお手元に地区別民生委員数の表をお届けしてありますが、見ていただくとお分かりのようにその数のばらつきが大きいですね。
←民生委員になっていただける人が少ないとは思いますが、まちづくりは行政だけではできませんので、人材発掘をより強力に進めるようお願いします。

4)戸田地区の成人式について
毎年成人式が行われていますが、地元で成人式を行うことが、地元意識の醸成に役立つのではないか。(←自分の生まれ育ったところで、地域のために何が出来るか、出発点として成人式があると考えないか、)
そこで地域にコミュニティセンターあるところは、いままでそこで、行われてきたと認識しているが、戸田地区にも戸田コミュニティセンターができたことでもあることから、来年の成人式を戸田コミュニティセンターで実施できないか。

→中学校学区を分離しないように実施している。(予定答弁)
(←戸田小は双葉中、寺谷小は、南総中学区になっている)
←双葉中の卒業生を対象にして戸田コミュニティーで実施することは可能か。
→新成人や地域の意向を把握する必要がある。(予定答弁)
←戸田地区の議員として質問していると考えているのであるが、さらに地元町会などのご意見をお伺いください。
←ところで、本年度の実施はできるのか。
→本年度については、6月に各コミュニティセンター運営委員会に実行委員会の立ち
上げを依頼済みである。来年度以降の実施について予算措置を含めて検討していくこ
とは、可能である。

5) 小中学校のグラウンドについて
先日戸田小学校でNHKのラジオ体操があった。市長さんも参加されたようですが、伝統的に戸田小学校は裸足で体操している。子どもの頃からはだしで地面を踏むことが子ども達の五感を発達させることは明らかと思うが、この点のご見解を、先ずお伺いしたい。
先日の防災訓練会場であった鶴舞小学校でも土のグランドであった。双葉中学校のグランドは細かい砂利のようなグランドでとても素足では歩けないグランドであるが、何故この様なグランドにしているのか。
→・現状(小中学校の岩瀬砂のグラウンド  ○○校中、○○校)。
 ・岩瀬砂のメリット・デメリット。
 ・グラウンドに関する学校からの要望は水捌けをよくすることが多いこと。
 ・教育委員会の今後の整備の考え方。
 (学校からの要望を考慮し、グラウンドの整備に努める。)
←モンスターの意見(風が吹くと砂埃が跳んでくる)ではないよね

3、 パートナーシップの確立について
基本計画、まちづくりの方向、市民との協同などを聞いてきましたが、
(1) 早期に解決すべき政策課題(38ページ以下)の推進について(企画部)
38ページ以下の政策課題の解決に向け、NPOやボランティアなど市民を主体とする各種団体との協働が謳われているが、協同する場合市としてどのような支援を行っているのか伺いたい。

→NPO法人やボランティア団体など、市民活動団体に対する支援策ですが、ひとつには市民活動支援補助事業があります。これは、団体が行いたい事業に対して、事業費を補助するもので、今年度は、30万円の補助が3団体、10万円の補助が7団体、合計10団体に補助しております。
←総合計画にある早期に解決しなければならない7つの政策課題の一つとして、「市民によるまちづくりの推進」が挙げられているが、NPO法人やボランティア団体などの育成も必要だと考えるがどのような支援策があるのか伺いたい。
→?

(2) 協働して行う事業は、公権力の行使となるのかについて
市と民間人が協働する場合、その行為が国家賠償法の対象とはならないのか伺いたい。

→?  ←?
(3) 無料定額宿泊施設の監視、監督について
当局では、市民によるまちづくりの推進のため、パートナーシップの確立を掲げているが、一方では、福祉課題に係る弊害も生じているのではないか。無料定額宿泊施設を運営しているNPO法人の認可・指導は県知事によるものではあるが、予算を執行する立場として、法人の事業内容等のチェックなど、監視・監督をどこまで関わることができるのかを聞きたい。

4、 指定管理者の業務について
(1) 指定管理者の事業遂行は公権力の行使となるのかについて
指定管理者が管理している市民会館、コミュニティセンター等において、国家賠償法の対象となる行為としてどの様なことを想定しているのか。
公の施設を利用して、例えば、キリスト教の勉強会を行おうとする者がいた場合に、使用の許可をしないということができるのか伺う。もし、許可しないことが正当であるならば、表現の自由との関係については問題ないのか。

(2) 事業費の扱いと予算、決算の自由度について
指定管理者に支払う事業費の使い方は、受託者にどのように任せているのか。市民会館では、国税を支払ったというような話も伺っているが、税金を補助金として支出し事業を行った結果所得が発生して税金を払ってもしょうがないではないか。有益と言うと国税にしかられそうであるが、有益な使途はないのか。
(3) 指定管理者に対する業務監査と会計監査のあり方について
業務監査や会計監査はどのように実施しているのか。施設所管部署をはじめとした行政側のチェック体制は十分か。
領収書を確認する時に、コピーではなく原本をきちんと見ているか。

5、道路として使用する共有地の取得について
市道86号線は、多額の税金を費やし整備してきたが、共有地の買収が出来ないとし、未だ供用が図れないのは行政の不作為ではないのか。現状の未買収地は「どうなっているか。
共有地を取得して、将来のトラブルを回避しようとしても、これだけ税金を投入してしまっているのであり、これを共用できないでいること自体、既に現実的トラブルはないか。

共有地の取得において、共有者全員の同意が必要となる場合は不可逆的な変更のみで、道路築造は民法上の共有物の変更には当たらないと解釈する。従って、民法上、市が過半数以上の所有権を取得した段階で道路築造をすることが可能で、費用対効果を考えると市にとってメリットは大きいのではないか。見解を伺いたい。
→市道86号線の共有地を取得するにあたり、存否不明者の対応にこれまで努めて参りましたが、解決に至らず長期化しております。
しかしながら、早くから用地の協力を頂いている方々のためにも、あらゆる解決策について調査研究し、一日も早い供用が図れる様努めて参ります。
← 共有地の面積割合はどうなっているか。筆数はふた筆と聞いているが、このまま放っておくのは、税金の無駄遣いの極みであると言うことは、執行部も十分認識しているのでしょうから、20年ほど前の計画を決定した人の責任を追及することもできないので、精一杯の努力をお願いしたい。

最後に、今の若い職員にお願いするのですが、仮に今の行政遂行に問題があると感ずるなら、きっちりと上司に言っておかないと、20年後にはあなた方が責任を取らされますよ。そのときは「精一杯努力してください。」では済みませんよということを胆に銘じておいてください。これで質問を終わります。
posted by やすかね at 05:59| 千葉 | Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

ヒブワクチンって知ってますか

今、新型インフルエンザで世界中が「パニック」になっているようですが、60歳前後の人は、既に免疫があるらしく感染しないようです。このインフルエンザ、元は豚から人へ感染したようで「豚インフルエンザ」と言われていましたが、この名称ですと「豚」のイメージが悪くなり、豚肉が販売不振になっては困るという事で、「新型インフルエンザ」と変更になったそうな。
何でも、とうとう、「人から豚に感染した。」という報道もありましたので、高齢者より豚の方が心配ですかね。

追加分:(それにしても日本人の「集団ヒステリー」はすごいですね。「弱毒性」なら、さっさと感染してしておけば「免疫」ができるでしょうから、仮にウイルスが「強毒性」になって感染しても大事に至らないと考えるのが「免疫学」の常識ではないでしょうか。素人でもそう思うのですが、なにやら、マスクの消毒薬も売り切れ、少し熱が出るとものすごい装備で隔離してしまうのですから、「日本人の常識」は怖いですね。)

冗談はともかく、色々な病気もワクチンで防止できるなら、これ以上優れた「治療」はないでしょうね。
そこで、問題ですが、本来ワクチンで防げるはずの病気で乳幼児が亡くなる原因のトップが何かご存知でしょうか、答えを言いますとWHO 2000年「ワクチンで予防可能な疾患による15歳未満児の死亡推計」によりますと、最近、わが国の若者が多数罹患している麻疹(はしか)だそうで、約78万人の子どもが亡くなっています。

それでは第二位は何でしょうか。ほとんどの人が知らないでしょうが、第三位の「百日咳」の30万人より、1.5倍以上の「Hib感染症」で約46万人が亡くなっているそうです。(後述のように先進国ではワクチンの定期接種で激減している。)

全く聞きなれない病気ですが、要するに乳幼児に恐ろしい髄膜炎です。当初ウイルスによる疾患と考えられ「ヘモフィルス・インフルエンザ・タイプb=Hib」と名前がついたのですが、現在ではこれが細菌であることが判明しています。

この病気の性質は、健康な人でも数%から10%以上ヒブを鼻咽頭に保菌していますが、生後3ヶ月を過ぎると急速に髄膜炎罹患率が上昇し、3歳を過ぎるとヒブに対する免疫力がついてくる(知らない間に軽症の感染)そうです。
皆さん髄膜炎などと言うと、医師が容易に発見できるとお思いのようですが、さにあらず、小さい子どもは「頭痛」を訴える事もできず、症状は子どもが一年に何回もかかる「胃腸炎」と似ている事から小児科医師でも発見が極めて難しく、しかも発症して3日経ったら死亡するか重篤な後遺症を残しますので、ほとんどが「手遅れ」となってしまうのです。

落語に「手遅れ医者」と言うのがあります。患者が来ると最初に何でもかんでも「これは手遅れですね。」というヤブ医者(「手遅れ」では病人が死亡しても責任を問われず、逆に治せれば「名医」となる)のところに、けが人が運ばれてきました。
この先生怪我人を看て、例によって「これは手遅れですね。」と言ったところ、怪我人を連れてきた人から「先生、この人は、今階段から落っこちて怪我をしたんで、急いで連れてきたんですよ。」と抗議したところお、先生曰く「どうして階段から落ちる前に連れてこないのだ。」???このような落語ではありませんが、このヒブ髄膜炎にはワクチンが極めて有効である事が明確に証明されているのです。感染したら本当に「手遅れ」となってしまうのです。

ところが、臨床現場を知らないわが国の厚生省は例によって「自分の在任中、何事もなく過ぎれば良い。」と考え、少しでも責任(後遺症)が発生しないように「大過なく過ごす」体質から、既に1998年WHOが乳児に対するヒブワクチンの定期接種を勧告しているにもかかわらず、やっと昨年の12月任意接種ができるようになったということです。

普通「任意接種」というと軽度の病気と考えられていますが、ヒブ髄膜炎は仮に命が助かっても重篤な後遺症の残る病気です。
現在、世界94カ国でヒブワクチンを定期接種しており、先進国で定期接種をしていないのはわが国だけです。諸外国ではヒブワクチンの定期接種で発症率が100分の1に減少し、既に「過去の病気」と言われているようです。

北朝鮮もまだのようですが、仮に北朝鮮に先を越されでもしたら、政府は又しても世界の笑いものとなることは必定でしょう。現場を知らない厚生省の(医師としての)お役人は正に「手遅れ医者」となります。
以上が、今日5月13日我が会派である「緑水会」企画による千葉県保険医協会の事務局次長である吉川恵子先生をお招きしての水曜会の勉強会でした。今後全会派で勉強会を開催し、子育て一番を標榜する市原市でも全国に先駆けてヒブワクチンの無料接種を断固勧めるべきですね。
posted by やすかね at 17:46| 千葉 ☔| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

政治献金の請求書

先日、民主党の小沢代表の秘書が、献金先の企業に対して寄付の「請求書」を送っていたとの報道がありました。この報道を聞いて思い出したことがあります。

数年前の話です。有名な商工ローンの顧問弁護士のイソ弁の「弁護士先生」ボス弁の顧問先の顧問料の支払が、少し遅れたというので、ボス弁に何の断りもなく、内容証明郵便で「請求書」を送付したそうな。

顧問契約があれば、顧問先の会社は一応支払い期限が過ぎれば、法的には「履行遅滞」という事で遅延損害金を含めて請求ができるのですが、弁護士にしてみれば、顧問会社は大切な(美味しい)お客様と言うことです。しかし、このイソ弁の「先生」ボスの了解もなく、いきなり顧問会社に「喧嘩」を売ったような請求書を出したのですね。

実は、この弁護士、誰が調査をして順番を付けるか分かりませんが、「全国弁護士ランキング」で3万名ほどいる弁護士中の「ボトム50」の下から数番と言うランキングでした。

日本中の弁護士の中でも極端にできの悪い弁護士ですから、さもありなん、と言うところです。そうは言ってもやはり、弁護士と顧問先会社とは契約に基づいて請求権が発生していますから、常識的にはアホ弁護士でも法的には「正しい請求」です。

ところが、政治献金などと言うものはそもそも「対価関係」があれば限りなく「賄賂」に近づき、対価関係がない企業献金では、献金を差し出す取締役は会社に対して「背任」と言う犯罪行為になるはずです。いずれにしても政治家に企業が献金をするのは、「憲政の常道」から逸脱しています。

それを事もあろうに、企業にたいして政治献金の「請求書」を送りつける秘書の感覚は計り知れない「常識」です。全国にどれ程の政治家がいるか、分かりませんが、この様な筆頭秘書を抱える小沢代表さすがですね。

橋本元首相も一億円の政治献金の受領で毎日毎日相当のストレスだったでしょうが、とうとう最後は亡くなってしまいました。小沢先生、健康は大丈夫ですよね。

posted by やすかね at 19:24| 千葉 | Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

原稿なしの代表質問

12月9日午後、緑水会を代表して、市長以下執行部に質問をしました。数日後市原市の市議会ホームページから見ることが出来ますので、興味のある方はご覧ください。

議会で質問をすることに決まりますと、事前に執行部担当者から「ヒアリング」と言いまして、議員がどんなことに興味を持っているか、情報収集のための面接があり、さらに本会議の始まる数日前になりますと、必ず執行部から事前に「質問原稿をください。」といわれます。

議員が原稿を渡しますと、執行部では幹部職員全員に対し、コピーを渡し、答弁の準備をします。議員の質問に対して的確な答弁する必要があることと、そもそも答弁できない事項とか、さらには議員の思い違いなどをチェックすることもあるかも知れません。

今回は、4日前の金曜日夜に「質問事項」を作成し、これを執行部にFAXしておいたものの、「質問原稿」は作りませんでした。

その理由ですが、前述のように予め質問原稿を作って執行部に渡しておいても、何度か読み返しますと必ず変更するところが出てきます、そこで、この変更した原稿をFAXすると、執行部は、「議員の質問が変更になった」と、また原稿を幹部職員にコピーして渡すようです。それだけならまだしも、職員の間では「何度も変更になって・・」などと嫌がられるようです。

議員が自分で原稿を作らず、職員に質問原稿を作ってもらって、これを本会議で読んで質問して、これに対し執行部が答弁をするという「出来レース」であれば、執行部も一度準備をすればそれで終わりですから、大して問題もないのです。問題が出るのは議員が漢字を読み間違える程度のことしかありません。

数年前、自民党議員が、代表質問で「破綻」を「ハジョウ」と読み、議場から「おい!それはハタンと読むんだ」と声がかかりましたが、当の本人原稿を見返して『いえ、これはハジョウで良いんです。』というとんでもない、もっとも最近では、「詳細」を「ヨウサイ」、「頻繁」を「ハンザツ」、「未曾有」を「ミゾユウ」と内閣総理大臣が読んでいますから、「可愛いものです」

それはともかく、今回は、質問原稿でなく質問事項だけを執行部に渡して、本番では原稿なしで、記憶した筋道に従って質問(正確には、質問の前提となる事実とか意見)することにしました。

やってみると、原稿を読むよりやり易いことに気がつきました。今までですと「なるべく原稿から離れないでやろう」と考えつつ、原稿を読むのですが、読むだけですからだいたい早口になり、また読みながら、「そうだ、あれも言っておこう」などと考えますと、当然原稿から離れます。離れるとどこかで原稿に戻ろうとしますので、ちぐはぐな話になってしまいます。そんなことで、質問原稿を作ることは、執行部の準備とか、変更した際の紙の無駄遣い、執行部の不満が残る、議場での姿勢が悪くなる、質問を聞いている人が面白くないなどの、点で「改善」出来たと思います。

しかし、失敗もありました。それは冒頭「皆さん幸せですか。」と質問し、要するに議場にいる人ないしは市役所関係の人たちは概ね7〜8割が「幸せです」というでしょう。そして、本当は『フリーターとか、ニート、派遣労働者などのワーキングプアの人々では逆に7〜8割が幸せではない。と答えるでしょう、これが社会の二極化で・・・』と発言するつもりが、どういう訳かこのワーキングプアのところを忘れてしまったので、聞いている人に誤解を与えてしまったようです。事実市長答弁でも市長さん自身「市役所以外の市民の7割が不幸と考える。」と受け取ってしまったようです。

この忘れてしまった発言は、本会議で追加する手続きもありませんので、やむなくこのブログで「追加」しておきます。

もう一点今回の質問での成果としますと、本来、ホームレスなどの自立支援を行う無料定額宿泊施設での不当に高額な部屋の賃貸料(3畳で46,000円、市原では、バストイレつきで坪5000円程度でしょうから、バストイレのない3畳なら5000円が相当でしょう)に対して、これまで執行部は「県の基準」と言うことで何度質問しても、動こうとしなかったのですが、今回その不当性について調査などしたようで、当時千葉県でも賃貸料の額について第三者委員会を作ろうとしたのですが、厚生省に変な見解から第三者委員会の立ち上げが消えてしまったということが判明しました。

今回あまりにも不当な賃借料なので、近隣市町村で声を合わせ県に対し、基準の見直しを強く働きかけるということになりました。これなどもマスコミが動けばすぐに直せるでしょうが、マスコミの感度が

posted by やすかね at 09:47| 千葉 🌁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

「必死」国の財政破綻

ご承知のように来年度だけでなく、今年度の歳入についても大幅な減額が明らかとなっています。明らかになっているなら聞くまでもないだろう、といわれるかもしれません。しかし、あえて伺いますのは、私がそれを知ってどうこう出来るものでもありませんが、財政状況が厳しいということを共通の認識として、本市の財政というか、行政を進めていただいている職員の皆さん、さらには市民の皆様共々に地方自治・住民自治ということさらには、わが国の財政問題を真剣に考えていきたいと思うからであります。

現在アメリカ発の金融危機から世界経済はドン底に向かって突き進んでいるようです。その結果、わが国の経済を引っ張って来た自動車産業も早々と製造ラインを停止し、また大幅な減産体制に入っています。

車の生産には、金属、プラスチック、皮革、繊維、電子部品などありとあらゆる産業に関係しています。それゆえ、自動車産業はどこの国でもできると言うものではありませんし、この基幹産業の減産体制は、国の産業構造の根本的変換につながり、影響の大きさは創造できないほどです。車がそれほど要らなくなれば、公共事業の中核である道路だってそれほど必要なくなります。

そう考えてゆきますと、本市は、トヨタの城下町である豊田市ほど顕著でないとしても、臨海工場地帯からの税収割合が大きいことから、国の経済動向に大きく影響されて市税収入が減少すると思います。

そこで、平成21年度市原市の予算編成方針では、36億円程度財源不足と考えておられるようですが、来年の今頃この見通しが正しかったか否か明らかになりますが、たぶんさらにひどくなる国の財政状況から本市の財源不足も36億円程度では納まらず、もっと厳しく予測すべきと考えています。

私の仕事も、最近は減ってきましたが、家計の破綻で相談に来る方がまだまだ比較的多いようです。どうして、相談に来るかといいますと、これまで返済のための借金を繰り返して今日まで来たかが、とうとうどこからも借り入れが出来なくなり、支払いが出来なくなりました。ということです。

事情を伺いますと、実は半年ほど前以上から既に債務超過でしたが、借りられるカードを使いそれで返済を続けていたのですが、とうとうどこからも返済を借り入れが出来なくなり、完全に支払いがストップしてしまった。ということで相談に来たときは大体300万円から500万円の債務超過です。
住宅ローンがあればさらにローン残高と不動産の時価との差額が債務超過に加算されます。債務超過は言うまでもなく破産原因となりますが、今ご紹介したとおり、債務超過だけでは破産申立をするとは限りません。

破産のきっかけとなるのは、実はキャッシュフローが出来なくなる、個人でいいますと先に述べましたように「どこからも借りることが出来なくなった」と言うことです。

わが国も政府自治体などで1000兆円を超える借金(国全体では1084兆円、政府は843兆2794億円9月末)があるのですが、固定資産などがありますからこの1000兆円が全て債務超過と言うことではありませんが、アメリカの国債なども国の債権として計算に入れており、これなど帳簿価格のほうが高くなっているでしょうから、大雑把に言っても200から300兆円が債務超過となっていると思います。

それに、資産として計算している道路などは売却もできませんから、結局返済義務のある利息付の債務として1千兆円を超える債務があります。

このような状況ですから、今直ちにと言うことではありませんが、国民が国債を消化できる余力がなくなれば、直ちに国のキャッシュフローは止まります。

1996年頃イタリアが破綻すると問題となったことがあります。そのときの国の借金の対GDP比は、130%を超えたところでしたが、現在では120%をきっています。ロシアでは1998年財政破綻したのですが、当時のGDPに占める債務残高は67%、現在の日本は150%を越えているのです。

個人金融資産が1400兆円あるから大丈夫と言う声もあるのですが、公的金融機関の資産の90%以上が既に国債であり、民間の金融機関も恐らく70%を越える資産が国の国債でしょう。
だからもう余力はないのです。

そこで、個人の債務整理と同様に利息をカットして元金返済だけとするとしても一年20兆円を返済して50年です。現在の税収は50兆円を切っていますが、ここから20兆円を返済して50年です。

現在30兆円を超える国債を発行して80兆円を超える予算を組んでいますが、国債発行を止めて、元金20兆円を返済すると、毎年30数兆円未満の予算で国民が全員我慢しても返済に50年ですから、大変です。

私たちは、孫子の代に借金を残すほどこの30年間で収入に見合わないほど浪費を続けてきたのです。

未だに財政より経済だなどと殆どの政治家が言っていますが、福祉を削り消費税を30%にするなどといっていては選挙に通りませんから、誰も言わないで皆で手をつないで絶壁に進んでいるのです。

本当は、骨太の方針などという訳のわからない財政計画で国の財政が救えないなどということは、優秀な公務員は理解していますが、真に受けている政治家などは全く無能力です。今日は骨太は言いませんので、ご承知おきください。
posted by やすかね at 07:25| 千葉 | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

「地産地消」運動

「地産地消」この言葉を始めて聞かれた方も、また前から聞いたことはあるが、要するにどんな事だろう、とお考えの方もいらっしゃるのでしょうね。

最初に思いつくことは、地元産の農産物を地元で消費しようとする運動だろうと、思うのがごく普通でしょう。

しかし、市議会で「道の駅で売っている農産物に、地元産ではなく、市場から仕入れたものを売っているが、それで良いのか」という質問に対し、市当局が「地元産が不足の際は、やむなく市場で調達しますが、できるだけ地元産を販売します。」などといい訳めいた答弁を聴きますと、地産地消と道の駅の関係についても考えさせられます。

また、別の観点からは「違う、違う、そうじゃないんだ、出来るだけ地元でお金を使い、地元経済を潤す運動だ」などとご主張される方もいます。こうなりますと、洋服を買うのも、車のガソリンも地元で買うべきだ、ということになりそうです。

千葉県では、地産地消という言葉を「千葉でできたものを千葉で消費しましょう」と理解して、「千産千消」などと「洒落て」使っているのですが、この発想は、我が家、わが町会、わが街、わが県、そしてこの日本、と言うように「地元」という地域が段々と大きくなり、地産地消運動は、これを進める「地域と地域の争い」となります。

結局、お叱りを受けそうですが地産地消運動が「地域経済の発展のため地元で団結しよう。」という「スローガン」または「地域エゴ」となるようです。

私自身、これまでの理解が不十分でしたが、今になって「地産地消」運動とは、人間が本来生きるために必要な食べ物は、自分たちでつくろう、自分たちの食文化を守ろう、と考えるのが出発点であろうと思うようになりました。

即ち、地産地消運動は、昔なら当たり前であった「食の安全」などということが問題となること自体、昔から続いてきた自分たちの食文化が危機に瀕し、若年成人病とかメタボに代表されるような、人間の健康が害されていることを認識して、これを克服する運動であろう、と理解しています。

さらに、わが国の食料自給率の低下からもご理解していただけるように、「わが国の独立」自体、危機的状況ではないのか、と危機感を募らせています。

以上のように、「地産地消」運動を、大上段に論じますと、人間の存在自体から、国の独立、さらには、この地球環境の保全にまで続く一大運動であり、人間の文化、人間の存在自体を考えなければならない哲学的意味のある運動ではないか、と認識を新たにしています。
posted by やすかね at 06:39| 千葉 | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

民主主義の危機

北京オリンピックと民主主義への反省
北京オリンピックでの女子柔道の代表選考会で若手に二度負けた谷が、日本代表となりました。テレビを見ていて「だったら、どうして選考会などやるのか?」と疑問に思った人も少なくないと思います。マスコミも代表選考会の『不正』など一言の批判もなく「ママでも金」「三連覇」などと囃し立て、本人も恥ずかしげもなくインタビューで「金をとる」などと答えていたのです。
柔道連盟に抗議をしようとも考えたのですが、多勢に無勢、止めてしまいました。

結果は見ての通り、数分間の猫ジャブを繰り返し、あえなく敗退(敗者復活で銅メダル)、当たり前です。世界を甘く見て選考会で負けた選手でも金メダルをとれる、と世界の柔道を馬鹿にしています。それ故、わが国柔道連盟からは、国際柔道連盟の理事を出せていません。
とにかく、マスコミの中にも代表選考会の結論をおかしいと考えて人もいたでしょうが、わが国では、『不正』でも、「谷が日本代表に選ばれて良かった」ということから人様の慶事を批判するなど、タブーですから、マスコミもこぞって「ママでも金!」などと浮かれていたのです。

しかし、敗退となった途端、マスコミも一言の反省どころか一切報道しなくなりました。谷自身からも、代表選考会で負けて代表になり、その一方で若手の将来を奪ってしまった事への反省とお詫び会見もありませんでした。

今後谷は、大学の教職に就くなどして「優雅な柔道人生」を送れるでしょうが、本来代表となって金メダルを取れたかもしれない若手選手の将来は、一体どうなるでしょうか、人生何度もチャンスがあるわけでもありませんから、柔道連盟とマスコミは、罪深い過ちをしたものです。
この一連の経過を見ていますと、60年以上前、アメリカとの戦争突入などばかげている、と考えた人々もマスコミも沢山いたのでしょうが、国民を途端の苦しみに突き落としてしまった民主主義の危機、今まさに日本は、再び民主主義の重大な危機に遭遇しています。

民主主義にとっては、例え、一人でも批判しなければならないのです。代表になれなかった若手は「勝っても代表になれなければ、私どうしたらよいでしょうか?」と監督に聞いたそうです。
監督いわく「ママになれ!」冗談じゃないですね。
posted by やすかね at 23:56| 千葉 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

日銀人事「財政と金融の分離」

国会では、日銀総裁の人事案をめぐり、紛争が続いています。自民党は、大蔵省から財務省事務次官を勤め、日銀副総裁の武藤氏を与党案で認めるべきだ、というのに対し、民主党は「ミスター財務省」と言われている武藤氏は、認められないと言うことです。

この様な人事案は、自民党も野党も好き嫌いで判断しているはずがないでしょうから、推挙する理由と反対する理由をはっきりと国民の前に示すのが本筋です。

今日の毎日によりますと民主党は「財政と金融政策の分離」の原則を掲げて反対すると言うことです。

なぜ、財政と金融政策を分離するとかと言えば、この原則が1965年の国債発行の直後から、ないがしろにされたことで、わが国の国債残高が膨大になった点を忘れてはならないと思います。

わが国の国家財政が「サラ金財政」になってしまったのは、政府自民の、国家戦略なき赤字国債による財政支出を継続したからですが、政府の発行する国債がこれほど「市場」に受け入れられたのは、銀行に対して強大な権限を持ち、銀行を監視監督する官庁が旧大蔵省、現在の財務省だからです。

仮に政府が、国債を発行しようとしても、銀行は国民が購入してくれないと分かれば、国債を引き受けることはないのですが、財務省の監督下に置かれている銀行は、財務省の意向には逆らえず国債を「市場」で引き受けるのです。

しかし、銀行が、膨大な国債を長い間持ち続けることはできませんので、財務省が銀行に対して、若干違うかも知れないのですが、一年後は、日銀が国債を引き受けるとの保証を与えているのです。このような財務と金融の癒着が「銀行市場」を作り出し、赤字国債を垂れ流すことのできる環境を整えているのです。

それですから、「ミスター財務省」には、日銀総裁は任せられないのです。日銀が国債を引き受けたのでは、輪転機が回り、「円」が際限なく発行され、この日本はたちまち、腐り発酵してなくなります。
posted by やすかね at 07:43| 千葉 | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

わが国の民事再生

平成20年、わが国の赤字国債は、約830兆円、1億円が38センチ(横5枚)×32センチ(縦2枚)×10センチ(千枚)ですから、この一億円の塊を積み上げると830キロメートルの高さになります。これがもう直ぐ1000兆円になるというのですから、1億人がそろって1000万円の借金を抱えている勘定です。

この天文学的赤字はどうしたらなくなるのでしょうか。普通にしていては、到底なくなりません。赤字国債を発行し始めた頃は、これは建設国債に限る。その理屈として、社会公共の施設は、世代を超えて使用するものだから、『世代間の公平な負担』という名目で1965年の補正予算で戦後初めて長期国債を発行する事にしたのです。

それまで均衡財政を維持してきた大蔵省は、この長期国債の発行に危機感を持って、赤字国債に歯止めをかける二つの原則を打ち出しました。@建設国債の原則とA市中公募の原則です。@は、社会資本として後世に残る、Aは、政府が国債を発行しても日銀が引受けたのでは、円が増大して市場が混乱すると言う考えでした。
A から先に簡単に言いますと、大蔵省と銀行の力関係から国債引受のシンジケートを組織させ、国債を一括で引受けさせたのです。その後1967年大蔵省は財政硬直化打開運動を始めるのですが、戦後から数回繰り返された選挙の結果、政治家の力が強くなり、自民党と利益集団の既得権益の確保と拡大を図る政権政党の力が健全財政を目指す大蔵省の意図を押し切り、また銀行に強い権限を持っていた大蔵省も国債消化も懸念なくできたことが、これほどの膨大な赤字国債を発行できた要因だと言う事です。制度的には、財政と金融政策が大蔵省と言う一つの組織に委ねられた結果であると言うのが政治学の通説です。

@ は、借金は、毎年の生活費に遣わない、孫子の代まで使える財産取得のためにしか、支出できない。という考えですが、公共投資という名で自民党政権とゼネコンをはじめとする利権集団によって際限なく国債が発行されてしまいました。その外には、自民党が選挙のたびに支持率を下げてきたので、社会党・共産党などが主張する、福祉充実を政権政党が選挙で負けないために自民党が採用していわゆる「ばら撒き福祉」をした事もあります。

しかし、年収500万円の人が、「この家は、孫子の代まで使用する」ということで5,000万円の家を建てたとしても、これは身分不相応な家であり、いわゆるサブプライムローンと一緒で、到底ローンを払いきれません。
また、社会福祉も、その時々の国民一人あたりのGDPから自ずと限界があるはずにもかかわらず、「福祉元年」の頃から政権政党の人気取りの為に無節操に支出をしたのです。
国家財政として、収入から支出を考えるのでなく、『軍艦も道路も空港も福祉もこれだけ必要だから』と言って、支出を先に考えて、足りない分は国債を発行する事で国の経済発展を行なおうとしたのです。その結果わが国は世界でもまれに見る膨大な、赤字財政を抱える「借金国家」に陥ってしまいました。

この巨額の財政赤字をどうしたら、解消できるでしょうか。普通に考えては絶対できません。
もう年配の方々、その多くが既に亡くなられたと思うのですが、戦前資産を有していた人たちは、戦費徴用のため大量の国債を買わされたのです。
(もし日本が世界を相手にして戦争に勝利すれば、満州国をはじめアジアを手中に収め軍部が力をもった帝国主義ができ、国債を買った人は大儲けをしたかもしれませんが、この様な結論は、民主主義の観点からも世界経済の力関係からも絶対ありえない結論でした。)

この大量の戦時国債は、戦後100倍200倍のインフレの結果、全く無価値となり、日本政府は膨大な国債を事実上返済しないで済ませてしまったのです。

前回の代表質問で、江戸幕府は、大量の借金を明治維新のドサクサでうやむやになったのではないかなどと言いましたが、江戸幕府は、大奥の浪費で作られた借金を事実上棒引きにし、また戦前の日本政府は、国債を発行する事で賄った膨大な軍事予算をインフレで事実上支払をしなかったのです。大変な損失をさせられた国民の殆どは亡くなり、国債は損をすると知っている国民は極めて少数となっています。

1965年から始まった国債の発行については、当時の政治家も官僚も『この赤字国債も、ケインズ政策の結果インフレが続けば、将来事実上返済しないですむ。』と考えたのでしょうが、政策で需要を作り出して経済運営をするというケインズ理論も限界があり、現在のような低金利では、不況脱出に金融政策もとれませんから、もう今までのように景気が回復すれば、税収が増えて、赤字国債も解消するなどとは到底いえないのです。既に政府の赤字国債を解消する手立ては極めて困難なのです。

しかし、赤字国債と国民の総資産が同程度あると言っても現代では、借金を棒引きにする徳政令などもできませんし、仮に国民の預金資産を全て没収して赤字国債と相殺するなどと言う乱暴な手段も取れません。秒単位で利息の膨らむ赤字国債を解消する手立てがないことは明らかでしょう。

江戸時代の大奥の作った借金、戦前軍部の作った借金が事実上なくなったのはそれぞれ明治維新と昭和20年敗戦ですから、大体80年としますと、戦後の公共事業と福祉で膨らました借金を「処理」するのは、あと10年後程度でしょうかね。もっと早いかもしれません。

それで、どうすると思います?
話は変わりますが、皆さんゴルフ場は、40年ほど前から、これも巨額の預託金を会員権名目で集め、20年ほど前に『ゴルフ場の大倒産時代がくる』などといわれたものの、多くの人があまり信じませんでした。ところが、もうゴルフ場の倒産は当たり前、預託金など帰ってくると考えている人はお目出度い部類の人となっています。

このゴルフ場が倒産し、民事再生法の適用を受けたりしますと、ゴルフ場用地が銀行の担保に入っていますので、多くの場合経営者が変わります。しかし、メンバーというお客あってのゴルフ場ですから、多くは預託金が返還されなくとも会員のプレー権は維持されています。

即ち、民事再生法の適用があって経営者が変わり預託金は、戻りませんが、プレーはできることから、あまり大きな社会問題にはなっていません。どうしてでしょうか、それはゴルフと言う優雅な遊びをする人、特にパブリックでなく会員制のゴルフ場で預託金を出捐で来た人は、この預託金がないと生活できない、という人々ではありませんから、ゴルフ場が破産しても民事再生法の適用があっても今日・明日の生活費がないという人は、余り多くないのです。

国債の場合はどうでしょうか。国債は国が借主ですので、もともと何も担保はありません。国債を買っている人は、特にゴルフ場のようにプレー権などという権利もありません。もともと国民は、国家に対して税金を取られる関係になっていますが、お金持ちは国に対して特に何かを要求する関係にもなっていない人々が多いのです。

沢山税金を払っている人々は、生活保護を受ける必要もないし、老人ホームだって有料のところに入るのです。せいぜい行政サービスを必要とするのは、外国旅行のときのパスポート、犯罪被害にあったときの警察、法的問題が起きたときの裁判などでしょう。その外は、地方自治体の行なうごみ収集の恩恵に預かる程度です。火葬場に行くときはもう関係ありませんしね。

このように、資産を多く持っている人たちが、銀行などに預貯金をしていても金利が付かないから金利の高い国債を買っておこうと考えて購入したのが国債なのです。そうであれば、この資産家たちの国債を無価値のものにしても、徳政令を出し、預金を全て没収するなどと行った乱暴な国策より、あまり大きな社会的問題にはならないでしょう。

そして、戦後60年以上が経過し、国民の中にかつて戦時国債で大損をした人たちはいなくなり、『国債を買ったら損をする。』と考えている人は、殆どいなくなっているでしょう。しかも国債を持っている人は資金的に余裕のある人々ですから、国債証券をタンス(注:これは昔のことで、今は金融機関が管理しているだけで、郵便局だけ「通帳」があるものの外では「通帳」もない、それ故本人が忘れれば、それまで)にしまいこんで「忘れている」かもしれません。

そしたら今がチャンスなのです。『法律によって、〇〇年月日から国債の取引を禁止する。』そしてその後『国債は、一律10%配当をする。』とやるのです。当然国民のものすごい反撃がでるでしょうが、多くの人は「ひとごと」なのです。国債がゼロになっても生活に困らない人々が多いでしょうから、結局『国債の損金は、以後10年間損失計上して所得税の減税をする。』などという程度でお茶を濁します。

その外に、これだけの膨大な赤字国債を処理する方策が見つかりませんし、資産家の国債をゼロにするのは、既に数多くのゴルフ場の倒産劇で有資産家たちは予防注射を打たれているので、結局『国の将来のためしょうがないか。』と諦めることになるでしょう。

この国債の「民事再生」は、責任のある自民党は当然の事として、民主党も仮に政権を取ったとしても膨大な赤字国債があっては政権運営に力が出せません。また労働者の政党である社民党共産党なども、その支持者で大きな損失を受ける人はいないでしょうから、多分賛成に回るのではないでしょうか。

国際的にどうなるでしょうか、皆さんソ連の崩壊とか、韓国の金融危機なども外国人である日本人にはあまり関係なかったように、日本政府の赤字国債を資産家である国民の犠牲で処理することは、対外的にも歓迎されるのではないでしょうか。実際、日本が一ドル360円で
買ったアメリカ国債などトウの昔100円になっているのです。

因みにアメリカの金持ちは、自分の資産はドル建てでは持っていないのですよ。ユーロとか、金とか、オーストラリアドルとか、で保持しているようです。日本の国債も持っている人もいるでしょうが、アメリカ人弁護士が訴訟を起すのでしょうかね。多分諦めるでしょう。日本の銀行だって政府と共犯ですから国債を無価値にされても何にもいえないでしょうね。

さてさて、自分の国債はどうしましょう?持ってません。
posted by やすかね at 14:05| 千葉 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

規制改革を進める委員の悪質性

昨今の社会格差の根本原因と考えられる労働格差について規制改革(要するに労働者保護規制の撤廃を進める)の旗振り役を努める「学者」の意見を読んで、驚きと言うか『こんな馬鹿が政府の中心にいるのか』と憤りを感ずることがありました。

民主主義社会では、結論の正当性とか内容が納得できるためには、色々の人の意見の存在が大前提です。しかし、その意見がそもそも論証に耐えられず、また明らかな誤謬を前提とする「意見」であるなら、このような「意見」から論理的に導かれた結論は、明らかに箸にも棒にもかかりませんから、議論自体が時間の無駄となり、結論も有害ですので、極力議論から排除しなければなりません。

これから、ご紹介する政策研究大学院大学教授の福井秀夫の「意見」はこの誤謬を前提(学者なら、嘘はない、と考える)とする「議論」であり、政府の「学者」として、社会に与える悪影響が大きいので、この様におかしな「議論」は徹底的に批判しておかなければなりません。さらにこの程度の連中が国の政策を論ずる中心に地位を有していること自体、この国の将来を心配する一人としては、耐えられません。

世間には、人を「洗脳」する為に「これが定説だ」などと、訳の分からない(前提事実も不明確で因果関係の推論が働かない)「議論」を展開する悪党がいます。このような「議論」は、日本人が議論とか討論が上手くできない、あるいはそもそも議論の仕方を学習していないことと大いに関係があります。

それ故、三段論法として『生徒は人間である。生徒は先生ではない。それ故先生は人間ではない。』との論法が間違いなのは中学生にも分かると思いますが、ではこの三段論法のどこが間違いかと言われても瞬間的にこれを説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか。同じように『自衛隊は、非戦闘地域に派遣する。非戦闘地域とは、自衛隊が派遣されるところである。』との小泉首相のトートロジーも国会で「通用」してしまうお国柄ですから無理はないのですかね。

ところで、議論の手法で確実と言えるものは、19世紀の終わりから20世紀の初め、ウィーン学団という科学哲学者達の唱えた論理実証主義で「完全に実証的に証明されたことしか真実でない、という真理観だそうです。(佐藤優「国家論」70頁)

これは、誤解を恐れずに言いますと、議論は、実証的に正しいことを前提にこれを論理的に積み上げて新たな結論を示すものです。例えば、実証的に真実性が証明された有名な法則として、ニュートンの万有引力の法則があります。これは既に真実(実は、相対性理論前)と考えられていますが、ニュートンが「仮説」として万有引力の法則を発表した後、この仮説を前提に惑星の運動を調べ、これを万有引力の法則に従って計算したところ、新たな惑星が発見されて、万有引力の法則の真実性が証明されました。そこで、この法則を使って人工衛星を飛ばすにはどういうことが必要か、などと議論して一定の結論を出す事ができます。

しかし、社会科学の領域でも、この様に実証された真実を前提にしてのみ、議論を進めると真実の範囲が極めて狭いため、実際の議論ができなくなります。そこで我々は、真実の範囲を拡大して「当面の真実」(相対的真実)を前提に議論を進めることとなります。どのようにしてこの当面の真実性を決めるかと言うと、ある仮説について、様々な反証を提出しても、この仮説が反証に耐えられる限度において議論の道具として使えると考えるわけです。

繰り返しますと、「真理」が万有引力の法則のように全て実証的に証明されたものでなければならない、と言うことを前提としますと真実の範囲は極めて狭いものとなり、神でない人間の議論ができなくなってしまうのです。

議論するということは、この様に概念の整理とか、推論等の手続きが大変なことになり、この大変なところに、論理的におかしなことを意図的に忍ばせて自分の結論を「正しい議論・結論だ」と主張するエセ「学者」が出現することになります。福井の意見はおおよそこのレベルです。

大変長くなってしまいますが、曲がりなりにも政策研究大学院教授の見解ですからこの程度の前置きをして、この「学者」の議論のおかしなところを指摘しなければ、十分な反駁にならないと考えますので、ご了承ください。

福井は、週間東洋経済2月16日号で、この様に言っています。『@(注、引用目的でナンバリング、以下同じ)労働者の権利を保護すれば、強化された権利を持つ労働者の雇用を使用者が忌避するため、A正規雇用から非正規雇用へのシフトや労働者の雇い控えが起こる。B保護しようとすることが、かえって当の労働者を過酷な地位に押しやり、・・格差は助長される。Cこれはいわばニュートンの力学法則のようなもの』

また『D労使はむろん対等ではないが、E転職市場さえ大きければ、労働者も会社に対してモノが言える。』

皆さんいかがですか、@からAはともかくBは何ら論証もありません。Cは福井がニュートンを出していたから、前述しました。DからEも何ら論証もなく、現実の労働現場で『会社に対してモノが言える。』職場があると「思っている」事自体、できの良い中学生には失礼であるが、中学生レベルです。以上、およそ論理的とは言えないことを、堂々と大学の教授の肩書きで書いているのです。

結論として『その規制(一定期間経過後、企業には雇用申込義務がある)がなければ、正社員としては評価できないが、派遣で働いてもらいたい人材を企業は長期間雇用できる。正社員になれず路頭に迷うのと、派遣社員として働き続けるのとどちらがいいのか。』と、派遣社員を脅迫しつつ、現在の企業の雇用申込義務を敵視して、企業の都合で必要な人を長期間、あくまでも派遣として雇用できる規制改革が必要だといっているのです。

ついでに、笑っちゃうんですが、こんなことも言っています。『権利は強化するほどその保持者の保護になるという考え方は、よほどの特異な前提をとらない限り成り立たないものであり、圧倒的に多くの事象を説明できる原理的ロジックは、学術的に確立している。』と言っているのですが、学者を標榜するなら、特異でない事例をネタにして、『権利強化が、保護にならない』事例を一つでも出してみろ、と言いたいですね。でなければ『原理的ロジックは、学術的』なる一文は、正に『これが定説だ』と言っていたどこかの詐欺師と変わらないと思いますね。

大変長くなりましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。
posted by やすかね at 15:40| 千葉 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月30日

ガソリン税の継続

ガソリン税の存続か廃止かということが直接の論点として自民党の「奇策」と民主党の「審議拒否」をめぐり国会が紛糾しています。

奈良、室町、鎌倉、江戸、明治・大正・昭和と時代が変化しても、変わらない国家権力の主役は公家であり、武士であり官僚ですから、『国家の実体は、税金を取り立てることによって生活している官僚です。』(「国家論」51頁、佐藤優)とか『国家の実体は官僚で、官僚は常に社会から収奪する機会を狙っているのです。』(同書106頁)と考えると、結論として、ガソリン税は継続です。

民主党も国民の世論を読んでの「廃止」「審議拒否」でしょうが1リットル25円、月に200リッター使う「大口消費者」でも月5,000円です。一時的に廃止となっても5,000円の支出を免れただけで終わりそうです。

ところで、最近、地球環境を考える人は、なるべく車に乗らないようにと心がけていますから、環境についてあまり配慮しないで、便利な車を利用する人に対して、多少の負担は当然と考えている良識人が多いと思います。

そうしますと、ガソリン税が瞬間的に廃止になって5,000円の「節約」ができるよりは、国会で外交、経済、環境などの重大問題を十分論ずるほうが重要でしょう。

小沢代表は『(つなぎ)法案をやれば大多数の国民のひんしゅくを買う』(毎日30日)と強調していますが、これはKYではないか、民主党は支持を減らすと思いますが、・・。そうなると、自民党は、この通常国会中に「解散」をするかも知れません。
posted by やすかね at 14:00| 千葉 🌁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

政治家に夢があるか

鈴木宗男の側で逮捕され、東京拘置所に512日間勾留されその後『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を書いた佐藤優氏(以下敬称略)が昨年末、ほぼ同時に出版した『国家論』(NHKブックス)『私のマルクス』(文芸春秋)と『インテリジェンス人間論』(新潮社)3冊を買って年末年始で読んでみようと思いました。

最初に『国家論』を読んでみたのですが、途中(約100頁)で訳が分からなくなり、最初に戻り数回繰り返しました。しかし、何度読んでも良く解らないところが多いので、矛先を変え次の『私のマルクス』を読み始めました。内容は佐藤が浦和高校から同志社大学神学部に進学し、修士課程を終えたところまでの佐藤の思想遍歴を綴っています。

その内容たるや僕の整理できる所ではありません。参考文献などもとんでもない数です。なんとか(理解していないという事)、『私のマルクス』に目を通し、自分なりに、極めて乱暴に言えば、「人間のもとめる理想郷、ユートピアに我々人間はどうすれば近づけるか、2千年の歴史を有する神学を基礎にこれまでの思想家を研究し、現実世界に対する処方箋を出す」のかと考えました。

そこで、『国家論』の最後(終章「社会を強化する」)を見ると「国家を国家の論理では規制できない(伊藤注:自らの内部からの変革はできない)ので、国家にとって外部である社会(伊藤注:国家と社会は、分離はできないが、別のもの)の力によって規制し、それによって強い社会と強い国家を作り出していうというのが、私の考える処方箋です。」と書いてあり、今乱暴に言った『処方箋をだす』という私の理解もあながち的外れでないと多少安心しています。

宗教家の求める『理想郷』も科学的社会主義者と言われる人々の主張する『共産主義社会』も共に人間が永久に追い求める理想郷であるということは、宗教家も共産主義者も共に「宗教を信じている」と言えなくもないでしょう。

その様な観点で佐藤は「今から150年後、22世紀の半ばくらいの百科事典で『マルクス主義』という項目を引いてみると、『19世紀から20世紀において影響力をもった、ユダヤ教の一分派』というように出ているかもしれない。それぐらい、マルクスに与えているユダヤ教の影響はおおきいと私は見ている。」(国家論33頁)と書いています。

繰り返しとなりますが、いわゆる無神論と考えられている左派も要するに「宗教ではないか」と言うとしかられそうですが、人間が永遠に追い求めて行かなければならないものについて佐藤は『究極的なものは神にとても近いところにあります。あるいは、神と一体となっているかもしれません。愛、平和などが究極的なものです。』(同308頁)述べています。

そして、『国家、社会、家族、会社こういったものはすべて究極以前のものです。人間かいかに真摯に愛を原理とする平和世界を作ろうとしても、それは実現できないでしょう。そのため・・絶望・・か・・冷笑主義に陥って』しまうが、『人間が究極に至るためには、究極以前のもの(伊藤注:国家、社会など)を通じるしか道がない。ただし、究極以前のものが支配する領域で、努力を積み重ねたからといって、究極的なものに移行できるわけでもありません。』

とのべ、社会が国家に包摂(伊藤注:重なり合う)されてしまうときに出てくる地獄絵(伊藤注:戦前の軍国主義)にならないためには社会を強化しなければならない、また『産業社会の段階では、社会は資本主義と相性がいいのです。そのため、社会を放置しておくと、必然的にとんでもない格差がでてくる。』とのべ、国家とは別物であるが切り離す事ができない社会の強化が必要であると述べています。

最後に社会を強化するには『人間がお互いに尊敬しあい、協力し合うことによって実現されます。新自由主義の結果、一人ひとりがバラバラにされ、・・ている現状を、根本的にたて直』す必要がある。この不可能な事を可能にするには『大きな夢』をもつ事が必要である。『内閣総理大臣になりたいなどの夢はスケールが小さすぎます。貧困が全く存在しない社会、絶対に戦争がない世界』これが『究極的なものです。』

『このような夢のシナリオを書く仕事が有識者に課され、・・それを実現するのが政治家の仕事である。この様な大きな夢を持っている政治家や官僚は現実政治において無理をしません。・・国家と社会の双方にわたる、いわば蝶番の役割を果たしているのが政治家です。この政治家たちが究極以前の世界の争いごとにしか関心をもたず、究極的なものに思いが至らなくなっていることに最大の問題がある。・・日本の政治家に究極的なものを感じる能力を回復させるのです。政治家に大きな夢をもたせるようにわれわれ社会の側から働きかけていく、これが現下の閉塞状況から日本の国家と社会を脱出させるための出発点だと思うのです。』(310頁)とのべ、今のわが国の政治全体に対する提言を纏めています。

しかし、これほどの鬼才に惚れ込まれた、鈴木宗男もたいした男じゃないですか。
posted by やすかね at 17:25| 千葉 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

権利の乱用はこれを許さず

ボクシングの亀田一家がサンド・バックの様にマスコミによってボカボカにされています。自業自得言えばそれまですが、あの見苦しい亀田一家はデビューの頃から盛んにテレビスポーツ新聞で「これでもか」と言うほどの、見たくもないパフォーマンスが強調され、私のような一般人から見ると「こんな馬鹿ども、どうしてチヤホヤしているんだ」と目を背けていました。

今は、それまでは亀田を持ち上げていたのが全く逆の報道をするマスコミです。チャンネルを回すとそこでもまた報道していますので、最後は腹をたて「ぷつん」とスイッチを切る毎日ですね。

だんだん腹ただしくなりますので、全く話が変わりますが、最近読んだ政治学の本によりますと、民主主義国家での国民の政治参加はおおむね三分の一でよい、それ以上ですと纏め切れないほどの雑多な意見が多くなり政治が不安定となるようです。

選管は、選挙のたびに「投票率を上げよう」と宣伝カーを回し、また一部良識人は宗教政党の支持率に対して当選者の割合が多すぎる、として同じように投票率を上げようと考えています。

学者の分類によりますと、主権者である選挙民は@全く政治に無関心と言うより、税金も払ったことがないし「権力」の存在自体知らない、A政治の存在は知っているが、自分の生活こそ大切と考え、政治に関心を示さない、B積極的に発言し選挙にも関心がある国民主権の優等生。

この大雑把な分類中Bの主権者の政治参加だけのほうが、その国の政治は安定しているのが世界の趨勢のようです。

これをわが国の状況にあてはめて考えますと、Bは放っておいても選挙に参加していますのでともかくとして、問題はAと@の選挙民に対しBの連中が如何に働きかけるか、と言うことのようです。

@は多分、人並みの税金を払う経済的能力も不十分でしょうし、政治のことには全く無関心と言うより、政治が分からない、言葉は悪いですが、政治的無能力者ではないでしょうか。しかし現実は多くの@の人々が投票所に運ばれ「清き一票」を投じているのでしょうね。

その結果、世論調査の結果より、宗教政党の得票率が多くなり、議会は国民の政治意識から離れた構成になってしまうのですね。このような結果に苛立ちを覚える一部良識人はAの政治的無関心層に働きかけて投票率を100%に近づけさらに議会の構成も世論調査の割合に近づけようとします。

そこで投票時間を長くしたり、期日前投票制度を設けたりします。
しかし、この結果は本人ではなく、家族による投票などの不正投票があったということで扱いが相当厳しくなった郵便による投票制度に替えて期日前投票を採用したことで、もっと悪い結果をもたらしているような制度を取り入れてしまった。後戻りのできない最悪の結果を採用して、一部有権者の「権利の乱用」を放任していることになったと思います。(仮に有権者全員が選挙に関心を示し始めますと政治が混乱するのが学者の考えです。それにしても真に自律した選挙民は全くのフィクションですから・・)

有権者の権利は憲法上の最も貴重な権利ですので、夜間でも休日でも代筆による記載などのような、投票しやすいような状況を一度作り出してしまうと、以後これを縮小(例えば、本人自筆による投票所のみの選挙)することは「憲法違反」(生活保護の手当ての縮小は大変とおなじ)となり、事実上不可能となります。

この閉塞状況はどうしたら直せるのでしょうか、何でもそうでしょうが、「権利の乱用」状態となりますと、社会全体はこれを是正する方向で動いてきます。

労働組合で言いますと元の国労は、「スト権スト」と称して多くの国民の意思に反して一週間のストライキを決行しました。僕なども労働組合での活動をしていたのですが、当時は良く判らなかったので漠然と「こんなことして良いのかな」と考える程度でした。今考えると「権利の乱用はこれを許さず」と言うことの結果、国鉄は分割民営化され、未だに一部「過激な組合員」は民営化された鉄道会社に再就職もできず辛苦をなめさせられています。

これなど「国家的不当労働行為」なのですが、世間も裁判所も分割民営化を前提としてこれにそぐわない結論は出されないようです。

今の選挙制度もいうなれば一部宗教政党を支持するBの連中の権利の乱用を放任している状況であり、現在では権力側でも連合政権と言うことで、いわばこの乱用を「利用」している状況ですので、仮に例えば連合政府が解体し、権力の側でこれを利用できない状況が生ずることになれば選挙制度は変わることになると思います。

どう変わるか、と言えば、最初にすべきことは、今の小選挙区制比例代表併設を中選挙区制一本に、衆議院定数450を全国300の中選挙区制に変えることが一番簡単なことでしょう。

その後、選挙民の投票行動に対する適切な規制これを考えなければなりませんね、大変難しいですが・・・

本当はマスコミの「権利の乱用」を書きたかったのですが、最初から大きく話が変わってしまいました。いま僕の考えていることはマスコミのあり方というか、今の社会は大衆迎合してこの日本を狂わしているマスコミについてですので、どんな切り口が出るか判りませんが、お楽しみに。



posted by やすかね at 07:23| 千葉 | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

一山超えた県議選

激しい県議会の選挙戦も「無事終了」し、大方の予想通りという結果でしょうかね。引退者の後継という舟に乗って沈没した人もいれば、万田野までサイクリングして体を鍛えた人も、ヘトヘトになったものの見事ゴールインした人、風が最後まで吹かず、波に乗れず議席を失った人、結果オーライの様でもあるが、実に大変な選挙でした。

私は、皆様ご承知の通り、これまでお付き合いのあった県議と袂を分けるできるはずもなく、進んで応援させていただきました。

ところで、今回の選挙戦で、原稿も無く思いつくまま5分から10分程度の演説をする中でずいぶんと勉強になりました。一番の勉強は、官僚主義といいますか、封建制・君主制から民主主義へと政治体制が「進歩」するなかでも常に存在していた公務員制度に対する認識です。

眉をそり、鉄漿(オハグロ)をしていた公家の政治、即ち聖徳太子の頃だけでなく、人間が猿から進歩したころから剰余生産物(ざるイッパイのバナナ)の分配を巡る「政治」というものが存在し、これからも永遠に続くであろう公務員制度は、この上に乗っている民主主義などという政治体制に影響されつつも独自の文化を持っているという事を強く感じました。

人間の生存のための生産活動(経済活動)に対し、政治の世界から加える「自由競争の土俵」とこの土俵から生じた社会的格差の是正こそが政治の本質であるという事も理解できたようです。

教育も福祉も企業のコンプライアンスも現代社会での様々な問題点が政治経済社会の何処の問題なのか、その位置づけが理解できたようです。地球温暖化などという問題もその問題点が何処に位置づけられるのか、自分なりに納得できました。

それゆえ、長〜い公務員制度を前にして、またこの公務員制度のうえに乗っている現在の政治制度である議会制度を前にして「公務員制度と議会改革を含めての県政丸洗い」などと言することのすごさが良く分かりました。人間どれ程修行すれば、これほどの物事をいえるのかが分かりました。

何のことはない、結局「分からないことが判っていない。」のでは、その意味で、4年前からの相性の悪さといいますか、自分の直感の正しさが証明されたと考えています。

それにしてもこれからの県政で90人を超える議員を前にして、また少なくとも100年は続いている「公務員制度」に直面してどんな「丸洗い」をするのか、楽しみです。元同期の市議会議員が「お前エー、先に丸洗いした方が良いだろう」などとアドバイスされたとも聞いていますが、県議会の全議員と県庁の全組織を相手にしての「県政丸洗い」と公約した政治家の信念を見届けましょう。何はともあれ、一山は超えましたね。

posted by やすかね at 17:29| 千葉 🌁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

内閣総理大臣の権威

亀井氏は、21日の記者会見で、首相入室時に起立しない閣僚を批判した中川幹事長を皮肉って「直立不動で忠誠心を求めるなんて、いつから北朝鮮になったんだ」と言ったそうですね。(2月22日朝日)

地位の高い人を訪問したときなら、その相手方が座ったままでも違和感はないのですが、しかし、入室者(訪問者)を歓迎しようとすれば当然起立して相手を迎え入れるのが礼儀と思います。

裁判所でも裁判官の入室の際は、これからの手続きと裁判が権威ある決定であり、これらは尊重すべきであるという意味をもたせるために、関係者全員が起立を致します。

これに対して、裁判官が入室しても、ガムなどクチャクチャかみながら足を組んで椅子に座っていたなら裁判の権威も失墜してしまいます。

つまり、起立して迎えるという事は相手を尊重し、これからの手続き全体を権威付ける点でも極めて重要と思います。内閣総理大臣はわが国の最高権力者であり、別に北朝鮮でなくとも昔で言えば「将軍様」なのです。

これは安倍晋三個人が偉いのでなく、わが国の内閣総理大臣に対する敬意を表すことは安倍の先輩だろうが誰だろうが当然のことなのです。ですから、私が内閣総理大臣であるなら、起立しなかった大臣を後で一人呼んで、内閣総理大臣の地位というものを説明し、公的立場での振舞い方を厳しく注意します。

しかし、今回の問題は視点が違います。安倍首相にも力量がないことが判明しましたが、それより問題なのは自民党の三役が個別に注意するのでなく、マスコミの前でやった事が非常に取り返しのつかない大きな問題になってしまいました。内閣総理大臣の権威そのものが失墜してしまっているからです。

このように見てきますと、中川幹事長を皮肉った亀井静香もつまらない事を言ったものです。民主主義国家であるわが国の内閣総理大臣の権威はわが国で最高のものでなければならない筈なのに「直立不動で・・北朝鮮になった」とは政治家として失格です。亀井の論法でいえば、ガムを噛みながらに内閣総理大臣を迎えたほうが良いのですかね。
posted by やすかね at 11:56| 千葉 ☁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

知事経験者『饅頭より、選挙が怖い』

佐藤元福島県知事が、ついに逮捕されました。確か、辞職表明をした日も朝は「辞職しない」と言明していたと記憶していますが、多分その後地検から「任意で取調べする。」と任意出頭を言われ、本人も覚悟を決めて「辞職」したと思います。

5期18年も福島県の公共工事談合の元締めの兄貴として、誰もが真っ黒と思っていたはずですから、逮捕は当然です。しかし、逮捕容疑は、自ら大株主の会社所有の土地を契約後1億円高くしたという収賄容疑ですから、未だ談合の直接容疑ではありません。

「クリーンな知事」とか「物言う知事」として県民の支持を受け、5期もの長期政権を謳歌していたのですが、結局泥まみれというか、賄賂まみれで県民の税金で私腹を増やした「ぬすっ人」の評価を受けつつこれからの余生を送ることになりました。

本日付の朝日によりますと、これまでに知事が逮捕・立件された事例として76年8月、福島県木村守江、同年12月岐阜県平野三郎、92年9月新潟県・金子清、93年7月茨城県・竹内藤男、同年9月宮城県本間俊太郎、02年徳島県・円藤寿穂などはゼネコン、公共工事、入札、土地公社などに関して逮捕立件されています。

この事件に関し、今朝のフジテレビで元宮城県知事浅野史朗慶大教授は「選挙が一番の問題だ、単に関りを持たないというだけではなく、積極的に排除していかないと、業者に取り込まれてしまう。」と言って、知事たるものお金で失敗しては遺憾と発言していました。全くそのとおり、公職にあるもの、口利きでお金を貰ってはいけませんね。

また浅野知事らは朝日新聞の本日付で「知事経験者はこう見る」として元島根県恒松制治地方自治経営学会長、須賀龍郎元鹿児島県知事と一緒にコメントを出していました。浅野先生は「選挙後は味方がこわい」、恒松先生は「誰のための行政か」、須賀元知事は「プレッシャー、私にも」と何れの経験者も選挙のときが怖いというようでした。「饅頭が怖い」ほうが平和ですね。

来年は、県議会、市長・市議会選挙がありますが、自分でいうのもなんですが、経済的に逼迫している人は選挙に出て欲しくないと思います。特に市役所に入れてやったから500万円だとか、市役所の仕事をやらせたから、幾らだとか、最悪は、執行部に圧力を加え、自分の関係する会社に仕事をやらせるなどという人は結構人気のある人でしょうが、この際辞めてもらいたいですね。

そうそう、知事で起訴され退職した大将がいましたね、選挙カーの中で女子大生に猥褻を働いた大阪の横山ノック、まあ税金のキックバックなどをして私腹を肥やす輩よりは、まだマシなどと言うと男女共同なんとかというところから、叱られますので、そんなことは口が裂けても言えません。『ッエ!、もう言ってるじゃないかって、絶対言ってません!』



posted by やすかね at 19:27| 千葉 ☔| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月16日

議院内閣制と大統領制

明けても暮れても、現在のトップニュースは北朝鮮です。国家として外貨を稼ぐためなら、偽煙草なんて当たりまえ、偽ドル、円、だけでなく友好国の中国元まで偽札をつくり、印刷技術がないと思えば日本人を拉致し、ミサイルを飛ばし、更に核兵器を持つような国ですから、この後はミサイルに核弾頭をつけわが国などを脅迫してくるでしょう。

このまま筆を進めますと、わが国も核兵器を持て、北朝鮮政府を転覆させろ、などと過激なことを口ばしってしまうかも分かりませんので、少し目先を変え、政治権力の構造などと言っても自分でも良く分かりませんが、書いてみます。

10月12日付け朝日に「目指すはホワイトハウス?」(藤田直央)と題して首相補佐官に関しての記事がありましたので、今日は最初に議院内閣制と大統領制に触れ、地方自治体の首長、議会に関して思うまま書きます。

現在の安倍政権ですが、今までと異なっているのは5人の「首相補佐官」を任命したということです。アメリカでは、国民の選挙で選出された大統領が行政権を掌握し、議会で制定された法律を執行します。ここでは行政権と立法権がほぼ独立しているようです。

官僚組織は、よく分かりませんが大統領が交代すると主だったところは殆ど交代するようですから、わが国のように首長が変わっても役人組織が連続している国とは異なり、大統領は行政を遂行するため大統領にアドバイスをする補佐官が必要不可欠のようです。また、自らの存立の基礎が直接議会にあるわけでもありませんから、あまり議会に「遠慮」する必要もないと思います。

これに対し、わが国とかイギリスは議院内閣制で、特にわが国では内閣の構成員の殆どが国会議員ですし、立法権と行政権は密接な関係を持っています。特に内閣総理大臣は国会で選出しますが、結局総理大臣となるのは、国会で多数である自由民主党の総裁で、内閣総理大臣は自民党と内閣とさらには国会から様々な影響力を受ける関係です。

ですから、大統領制と議院内閣制のもとでの総理大臣では、その権力行使の手続き、迅速さが異なっているように思います。しかし、小泉内閣は「自民党をぶっつぶす」と言いながら、それまでの慣行しがらみに捉われず大統領のように積極的に権力を行使したようにも思います。反対勢力に刺客を送り、選挙で落選させるという議員の資格を「剥奪」するようなこともしました。

この様な「非情な強権的」権力行使は、これまでの議院内閣制のように政党、内閣、官僚組織などからの影響力を極力排除し、迅速であったとおもいます。

ところで、民主主義は、議会での議論などを踏まえ、きちんとした手続きを踏めば、なかなか物事が決まらない、厄介な制度です。しかし独裁政治よりはましだと考えられているのですが、現実とすれば政治の動きが良く分からない、国民から見て無関心となりがちな政治制度と思われます。

ですから、大統領制度を採用すべきとの声もあるのですが、今の憲法では採用できません。そこでといっては何ですが、安倍首相は議院内閣制の元で権力行使を迅速にしつつ過ちを少なくするため大統領制をまねして補佐官制度を採用したのではないでしょうか、確か参議院での質問に対し「試行錯誤で」などと答弁していたようで、今後若干の間違いは予定しているところですかね。

10月12日朝日と産経は、来春の千葉県議選で自民党は3減案を示し定数を95とし、一票の格差を2,23倍に「改革」するようです。憲法上、地方自治体の首長はどこも大統領制を採用しているのです。しかし大統領制であれば本来議会が十分な立法能力を持つ必要があるのですが、その必要性を満たしている地方自治体は憲法ができてから60年経過したものの、未だ日本全国どこにも存在していないと思います。いまさら地方議会を充実しようといってもありえないことでしょうから、議会の定数をこれ以上増やすことは愚の骨頂です。

千葉県の議会を見ても確かに人口は600万を超えているのですが、100人近い議員は不要と思います。大統領制の知事のもとで、立法できない県議会があっても行政権の遂行に単なるブレーキを掛けるしかできず、存在価値は少ないと思います。特に政令指定都市である千葉市選出の県会議員など選出の自治体に関係する仕事は教育と警察程度しかないのではないでしょうか。千葉市からの選出県会議員は要らないでしょうし、多くても花見川、稲毛区、美浜区、中央区、緑区、若葉区で各一人という程度で足りる(多すぎる?)でしょう。

以前、東京都の青島都知事はなにもわからないまま知事になり、結局知事は役人の言うまま任期を「まっとう」しただけで、官僚の政治を追認するしかなかったと思います。大阪ではもっと「アホナ」知事がいましたね。現在の石原都知事は外部から有力な副知事を連れてきてどんどん仕事をして議会の反発を受けたようですが、石原都知事の方向性は正しかったと思います。

知事に有能な補佐官をおき、行政執行に対しての十分な情報公開をすれば、議会も沢山の議員を抱え、行政権の遂行の足枷とさせる必要もないと思います。そうはいっても、大統領制はある種の独裁ですから、議会のチェックは必要ですが、民主主義の弊害である無駄を省くことが大切と思います。

こう考えますと、県議会は県民の声を代表するという建前はともかく、議会の定数は現在から大幅に減らしても良いのではないか、場合によっては県内各市町村から議長とか副議長などを県議会の構成員としても現在の議会の仕事ができるのではと思います。

因みに各会派の定数は共産党が20増の118、社民・県民連合は現行の98、市民ネット・無所属市民の会は8減の90の案だそうです。民主主義は時間をかければ良いというものでもないでしょうから、どうでしょう、50人程度では?こう考えてきますと、市原市議会ではどの程度が「適正」でしょうかね。
posted by やすかね at 16:36| 千葉 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

欺瞞だらけ「貸金業法」と「利息制限法」改正

現在、貸金業規正法について自民党内で議論が盛んになっています。要するに改正の趣旨は「多重債務問題の根絶」でしたが、今月5日の自民党の改正案は「灰色金利」を撤廃するものの、特例措置が盛り込まれ内部からも批判続出でまた、検討しなおしとなったようです。

5日の案は、結局一番の問題のあるところに特例措置、即ち30万円とか50万円を1年以内なら年28%の金利を認める特例が最長9年(施行まで1年、経過措置3年、さらに小額短期5年)となるなど批判が続出しました。

多重債務者を現場で扱っている我々は、現在サラ金業者からの過払い金返還訴訟をたくさん抱えています。要するに利息制限法に違反する高利業者から長年払いすぎた利息の返還を求めているのです。その金額は大手4社でこの一年間に1500億円との報道もありました。4月28日付け朝日は、アコムの06年3月決算で前年比19.5%減の、それでも655億円の当期利益(営業収益は2.6%増の4454億円)と報道しています。

法で「多重債務者問題」とか「グレーゾーン撤廃」と言われ、改正案の中に契約書中に「任意の支払です」などと記載させるのは、この過払い金の発生を阻止すべくサラ金業界(全国貸金業政治連盟)が04年、自民党、民主党などへ政治献金を渡し、政界工作を繰り返した結果(昨年10月2日赤旗)なのです。

また、在日米国商工会議所(The American Chamber of Commerce in Japan)意見書は「貸金業の改正を」(Modernize the Money Lending Business Law)とする文書(対訳付きA4文書3枚)を出して圧力をかけているのです。この米国資料については、9月6日付け朝日がACCJの「日本の金利低い」資料に疑問と題して批判しています。

この様なグレーゾーン金利の問題は「最高裁、当ったり前の判決」(喜怒哀楽44n)前後に書いてありますので、ご参照下さい。

そこで、今回の改正案見直しが出てきたのです。ところがですよ、私が新聞を切り抜いている範囲では、未だ誰も論じていない重大論点が隠されているのです。

実は、警察庁のまとめでは05年の自殺者は3万2552人中、経済的理由(殆ど借金であろう)を理由とする自殺者は7756人、また9月7日付け産経は、アコム、アイフル、武富士、三洋信販の5社で債務者が自殺したことを理由にして保険金で3649件債権回収したそうです。

仕事を通じて感ずる身近なところで借金を苦にした自殺で多いのが、旧商工ファンドなどのいわゆる商工ローンなのですが、この旧商工ファンド(現SFCG)は、最高裁が、貸金業社が利益を上げられる根拠となる「みなし弁済規定」を事実上無効としてからは、しおらしく100万円を超える貸し付けは、利息制限法の上限15%で貸付けを行い、債務者が弁護士に相談しても弁護士などから文句を言わせないような対策を既に取っているのです。それでも十分経営を維持できているのです。

今回の改正案は、10万円、100万円二段階で適用される10万円以上18%、100万円以上15%の金利適用区分を50万円以上18%、500万円以上15%に変更(増額)しようとしています。分かり易く言いますと、これまでなら100万円以上の貸し付けに対しては15%の金利であったものが、500万円までなら18%の金利を取れるように仕組んでいるのです。

SFCGなどは、殆ど100万円以上500万円ほどの貸付ですから、SFCGは現在の15%の貸付をすべて18%にするでしょうね。この結果、貸付残高約3400億円のSFCGは、今回の法律の改正案が成立すれば、濡れ手の粟の年100億円以上の収益増となるのです。

これなら、金貸しは自民党などに裏で10億20億「献金」しても痛くも痒くもないのです。多くの新聞テレビで特例の問題点を論じているのですが、自殺者を一番出している商工ローンの利益が出るように利息制限法の改正(此れだけで良い)をしようとしているのです。

商工ローンなどは、銀行からまた銀行と連携してせいぜい5%ほどで借り入れてこれを年18%、その差額は膨大な利益を生むのです。ですからアメリカの金貸しも日本のサラ金を買収するだけでなく、日本の利息制限法の改正にまで口を出してきているのです。許せない連中ですね!
posted by やすかね at 16:48| 千葉 ☁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

靖国問題・法的問題と政治的問題の区別

あっという間に二週間を経過してしまいました。皆様夏休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。激闘の甲子園も終わり、近年になく靖国神社の問題が相当論じられていますので、若干自分流の整理をつけておきます。今まで色々考えての一応の結論ですので、今日の結論の要旨に反するこれまでの僕の見解は変更するつもりです。

最初に、基本的知識のテストをします。次の中で靖国神社に合祀されている人は誰でしょうか。
@ 吉田松陰A乃木希典B坂本龍馬C東郷平八郎D高杉晋作E西郷隆盛のうち奇数番号の@BDの人々が合祀されているようです。
これは合祀対象が黒船来航まで遡って合祀基準が設けられたためだそうです。(wikipediaから)

本題に入りますが、沿革は明治2年6月29日(新暦1869年8月6日)に戊辰戦争で朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社として創建され、1879年靖国神社に改称、戦前は神社行政を総括した内務省でなく、陸海軍省の共同管理される特殊な存在で、国家神道の象徴でした。戦後は政教分離の推進から宗教法人となり、政府と直接関係はないことになっています。しかし、1961年遊就館に展示するB・C級戦犯の遺書や顔写真の収集に厚生省が遺族に出品を依頼していたことが今年7月発覚し、厚生省が神社に便宜を図っていたことが明らかとなりました(wikipediaから)。

世界的に国家の行なった戦争でなくなった人々を祭る施設はたくさんあります。わが国の首相も訪米の際には、アーリントン墓地に花を捧げたりしています。この様に考えれば一般的には、戦争犠牲者を祭ってある靖国神社に政府のトップが参拝しても内政問題ではないかと考えることもできないではありません。しかし、そこには法的問題と政治的問題の混乱があります。

ところで、皆さん「先の大戦」を「大東亜戦争」とか「太平洋戦争」などといわれています。日本はこの戦争を終戦直後まで大東亜戦争と言っていたのですが、進駐軍の命令があったらしくその後は太平洋戦争と「改名」されてようです。多分、この名称変更は日本軍国主義の思想を取り除くためだったのでしょうね。そこで各新聞が先の大戦をどう呼称しているか興味深く見てください。

そこで、本論に戻りますが、靖国神社の問題は政治的問題と法的問題をしっかりと意識して別の問題として論ずることが必要です。

大東亜戦争を勝ち抜き、日本のアジア覇権を確立して、日本が欧米と対等の関係を作ろうと考えたものの、結局は戦争に負けて東京裁判という名の政治ショー受け入れざるを得なくなったのが日本なのです。

歴史的に見ても戦争に負けたところは戦勝国の属国となり、国民は皆奴隷とされていたのです。それ故、東京大空襲、広島、長崎の原爆投下で数十万の非戦闘員が無差別に殺されても敗戦国は一切の文句を言えませんでした。

東京裁判も法的に見れば、正義に反するいわゆる事後法(後出しじゃんけんの様に行為のあとで刑罰を科する法律)によって処刑された人々は、およそ裁判の名に値しない政治的決着で命を奪われているのです。これは法的には正しくありませんが、数千年の昔から行なわれている、敗者に対する勝者の制裁なのです。

それゆえ、この勝者の制裁について「あれは法的に間違っている」等といってもそれは通用しないのです。法的なことを言うなら、広島長崎などもアメリカの戦争犯罪に間違いはありません。ですから、戦争に負けた日本は戦勝国の戦後処理について言っては駄目なのです。

喧嘩に負け、納得しないものの謝ってしまった者が、謝った内容に後で文句をつけたら勝った方が「コノヤロー」と怒り出すのは当然です。既に政治的決着は着いてしまったのにその問題をぶり返すなら、それはまた戦後処理の時まで時間が戻ってしまうのです。

ですから、A級戦犯として戦勝国によって処分されてしまった人は、今更「あれは裁判ではない」などと文句は言えないのです。もともと裁判ではないからです。戦勝国から押し付けられた結果は回復できないのです。

仮に日本政府がアメリカに対し、広島・長崎はハーグ条約に違反する無差別大量虐殺だなどといいながら、損害賠償をよこせと言ったら、それは問題を終戦直後まで遡ってしまい、日米関係は壊れることになるでしょう。

靖国の問題も根っこは同じと考えて良いと思います。靖国はもともとが日本軍国主義の思想的中心であり、大東亜戦争を遂行するために祭られていたからです。そこに戦後、戦勝国によって「戦争犯罪人」として処分された人々を「神」としてお祭りし、ここを日本政府代表が参拝するとなれば、これは数千年の人間の戦争の歴史となっている戦勝国の「権利」を蔑ろにすることになるでしょう。中国・韓国が文句を言うのは当たり前です。そのときわが国「良識人」の一部では今の中国韓国の繁栄は日本の占領があったからだなどと筋違いの話をしても相手は受け入れないでしょう。政治決着は何年経過しても政治決着なのです。

そこでどうするかですが、戦勝国の戦後処理に反しないように、「平和に対する犯罪」として処刑されたA級戦犯を合祀せずに戦勝国の結論を重視し、それに反しない限度で靖国神社を無宗教化して日本国のために尊い命をささげた人々の慰霊を祭るべきと考えます。一部には、政府の引き起こしたあの戦争が「侵略戦争」であったから戦死した人を祭る靖国は不要と考えることは、政府のことを信じてなくなった多くの若人に対して「犬死」だと言ののと同じになってしまいます。

要するに戦後60年が経過したから、敗戦の戦後処理を全てひっくり返し、戦勝国の結論を「法的に無効だ」などといっても始まらないでしょうと言うことです。また現行憲法の内容が今の時代にそぐわないから改正しようと言うならともかく、今の憲法は占領下で制定されたから、ハーグ条約(?)に違反して無効だから改正すべきだ、というのも筋として間違っているでしょう。

既に戦後60年が経過してあの戦争に関係した人々はホントに少数になっていますが、現代に生きる我々は、「あの戦争は誤りであった、戦後処理は法的処理でなく政治決着だから、理屈は通るものではないから素直に受け入れるべき」と思います。その上で、日本がこれからのアジアでのリーダーシップをとるべきです。政治的問題と法的問題を截然(セツゼン)と区別すべきです。
posted by やすかね at 19:38| 千葉 ☁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする