わが国は、死刑制度を存続させている数少ない国だそうです。アルカイダの友達の友達が法務大臣のとき、「ベルトコンベヤー」のように死刑の執行をしたなどと非難されていましたが、私は、これは大臣として仕方のない事と考えています。
以前に、死刑制度反対の法務大臣が、死刑執行の前提として『俺がもう一度審査する』との立場から法務大臣室にキャビネット一箱分の記録を持ち込ませた、などと言う不届きな話も聞きましたが、これは、死刑判決までが出るまで被害者側から、捜査機関、裁判所、弁護人など多数の人々が関与して出された結論を恰も自分(法務大臣)が神のような立場から「最後の審判をする」と考えている事から、とんでもない思い上がりです。
それでは、死刑制度をどう考えるか、週間東洋経済(3月21日号)に面白い大胆な考え方が述べられていました。筆者(大澤真幸)は、自分は死刑制度には反対であるが、仮に原状のままで死刑判決に対し、二つに考えがある。一つは、死刑執行もこれまた「殺人」であるから、死刑制度存続に賛成の人は、死刑執行を外の人が代わって果たしてくれる(国家公務員である法務事務官)限りでのみ賛成ならフェアではない。もうひとつは、昔のあだ討ちのように死刑判決を受けた犯人に対し被害者(は既にこの世に存在しないから)に一定の関係のある人から、「決闘を申し込む」と言うものです。
第二の考え方は、犯人と被害者(の家族)から部外者の人が「犯人を許してやれよ」(死刑廃止)は僭越であるから、と言うのですが、これまで人殺しをやってきた人間に真っ当な人間が「決闘」を申し込んだら恐らく返り討ちになるでしょうから、この大澤先生の案は誰が考えても却下でしょう。
とすると、私どものように死刑制度の存続を願う(?)者とすれば、次のように考えます。誰であろうと人様の命を頂戴するのは「悪」であるので、殺された被害者と近親の人が、死刑判決に基づいて死刑執行のボタンを押す、と言うのが論理的結論となりますね。国家はあだ討ちを許す、この限りで国家は、殺人幇助となる。
そうなりますと、判決の主文は次のようになりますか。『主文被告人を死刑に処す。この裁判確定後、被告人に対する死刑執行人(違法性阻却事由とする)は、被害者大前先世の恋人である浦見果多素とする。』『被告人を引っ立てーい、これにて一件落ちゃぁーく、一同の者面を上げぇーい。』なんか、面白いですね。
2009年03月16日
2008年09月16日
裁判員制度の勉強会
佐久間市長を支える水曜会勉強会(市民ク、緑水会、連合(一部でなお「民友」と記載がありますのでここで訂正させてください。)
水曜会では、毎月一回、朝7時から90分間、議員研修会を開催しています。これまでにも、外部講師・執行部などを招いて、重要政策・課題について研鑽を続けています。9月は、緑水会の当番と言う事で、伊藤やすかねが「弁護士」として、来年5月から始まる「裁判員制度」についてお話をしました。
この裁判員制度は、多くの国民にとって『裁判なんかに、どうして俺達が・・』という思いが強いものです。また、多くの国民にしてみれば、自分が裁判に関わることは「裁判沙汰」と言われるように、人には話せない、話したくない、関わりたくない重大事です。今回の裁判員制度は、この出発点から多くの国民が疑問を感じているのです。どうしてでしょうか?
皆さん、誰でも、具合が悪くなると、健康の素晴らしさを実感します。同じように毎日、家族と共に毎日幸せな生活を続けており、トラブルにも巻きこまれていない人は、裁判なんて全く関係ありません。ですから、裁判員制度が選挙の争点になったこともなく、ある日突然『さあ、国民の皆さんに裁判をしていただきます!』『選ばれた人は、理由がなければ拒めません』『裁判の秘密を洩らすと、刑罰があります』等といわれ、「オッ・トッ・トッ」と尻込みをしてしまいます。
そこで、勉強会では、裁判員制度の中身などにはあまり説明をしないで、どうして裁判員制度が制定されてきたのか、ということを納得してもらうために重点を置きました。
日本の裁判は、昔からお上がやるもので、大岡越前守とか桜吹雪を見せて、「解決」と言うのがストーリーでこれが国民に人気があります。水戸黄門も最後に印籠を見せて、悪い奴が「ハハァー」と土下座しておしまいです。こんなところがわが国の裁判の出発点でしょうかね。
結局は、裁判員制度も、国民の声が大きくなって取り入れた制度ではない事が明らかです。実は、今、弁護士増員を迎え、若手弁護士も就職が大変です。どうしてこうなったのかと言うと、実は、いずれもアメリカからの強い要求です。日本もアメリカの様に、裁判沙汰の社会となるのでしょうかね。ヤダヤダ。
水曜会では、毎月一回、朝7時から90分間、議員研修会を開催しています。これまでにも、外部講師・執行部などを招いて、重要政策・課題について研鑽を続けています。9月は、緑水会の当番と言う事で、伊藤やすかねが「弁護士」として、来年5月から始まる「裁判員制度」についてお話をしました。
この裁判員制度は、多くの国民にとって『裁判なんかに、どうして俺達が・・』という思いが強いものです。また、多くの国民にしてみれば、自分が裁判に関わることは「裁判沙汰」と言われるように、人には話せない、話したくない、関わりたくない重大事です。今回の裁判員制度は、この出発点から多くの国民が疑問を感じているのです。どうしてでしょうか?
皆さん、誰でも、具合が悪くなると、健康の素晴らしさを実感します。同じように毎日、家族と共に毎日幸せな生活を続けており、トラブルにも巻きこまれていない人は、裁判なんて全く関係ありません。ですから、裁判員制度が選挙の争点になったこともなく、ある日突然『さあ、国民の皆さんに裁判をしていただきます!』『選ばれた人は、理由がなければ拒めません』『裁判の秘密を洩らすと、刑罰があります』等といわれ、「オッ・トッ・トッ」と尻込みをしてしまいます。
そこで、勉強会では、裁判員制度の中身などにはあまり説明をしないで、どうして裁判員制度が制定されてきたのか、ということを納得してもらうために重点を置きました。
日本の裁判は、昔からお上がやるもので、大岡越前守とか桜吹雪を見せて、「解決」と言うのがストーリーでこれが国民に人気があります。水戸黄門も最後に印籠を見せて、悪い奴が「ハハァー」と土下座しておしまいです。こんなところがわが国の裁判の出発点でしょうかね。
結局は、裁判員制度も、国民の声が大きくなって取り入れた制度ではない事が明らかです。実は、今、弁護士増員を迎え、若手弁護士も就職が大変です。どうしてこうなったのかと言うと、実は、いずれもアメリカからの強い要求です。日本もアメリカの様に、裁判沙汰の社会となるのでしょうかね。ヤダヤダ。
2008年07月04日
弁護士の社会的責任
弁護士の社会的責任
弁護士は、社会的正義を追求することが、その職責ですから、場合によっては、自分の依頼者でない人の利益を追求することが社会的正義であるならその責任を果たすべきと考えますが、根性なしと言うか、多分知らないでやったと思うのですが、アホ弁護士のことです。
皆さんヤミ金業者と真っ当な、と言うかヤミ金に手を出し潰れそうになり、従業員の賃金の支払いが滞ってきた会社の利益のどちらを重視します。実は「おれの顧問先の利益に関係ないから、どっちでも良い」と考える弁護士は沢山います。
こんな事例がありました。ヤミ金に手を出したアホ社長、事務所に『ヤミ金から金を借り、小切手を渡したので、助けて下さい。』と相談に来ました。
小切手を銀行に入れて取り立てをされると会社は不渡りになり、倒産です。
早速ヤミ金の携帯(住所不明)に電話して『小切手を返してくれ。』と言いますと案の状『全額払ってくれれば、返すよ、でなければ、銀行にまわすヨ!』と言います。
そこで、連中と色々話した後での弁護士の言い分です。『それも良いけどサー、アンタ銀行などにまわすと、足が付くよ?あんたのとこ、警察がガサ(捜索差し押さえの事)入って書類全部差し押さえられるよ、それで良いの、誰にいくら貸したか、さっぱり解んなくなるよ』と言います。
ヤミ金の連中だって馬鹿ではありませんから、僕の言うことを十分理解していますので大概は、これで当面会社の倒産は回避できます。しかし、ヤミ金から金を借りた会社そう長くはないのですが、しばらくすると取引先から『ヤミ金に対して債権譲渡通知が来たが、本当ですか』と連絡が入ることがあります。
実は、アホ社長、金を借りた際、さらに内容証明郵便用紙(後で債権譲渡通知書を作成する)に沢山判子を押されているのですが、全く知らないのです。
また、仮に弁護士が事情を聞く中でそれが判っても、会社の信用上、取引先に直ぐにはそのような連絡はできません。
取引先から、『債権譲渡したのか』と問い合わせがありますから、『実は、ヤミ金に手を出してしまい(これでこの会社とは、通常取引停止にされてしまう)、白紙の要旨に判子を使われたらしいのです。』と連絡し、遅れて取引先に対し『従業員の賃金確保のために債権を弁護士(僕のこと)に譲渡(信託)します。』と通知します。(これは、他のヤミ金から破れかぶれで小切手を銀行に入れられ、不渡りから会社の銀行取引が停止された場合に備えるのです。)
この様に取引先会社にヤミ金と弁護士に債権譲渡したという2通の債権譲渡通知が来ますと、取引先は、当然顧問弁護士に相談するわけです。
安直な顧問弁護士(実際は、相当多い)は、知った振りして『債権者を知ることができませんので、供託しましょう。』とやるのです。こうなりますと、もう取引先からの入金はありませんから、当面従業員の賃金も払えないし、後で裁判沙汰となるのは必死です。
顧問の弁護士はこれで責任を果たして、顧問先から何がしの相談料を受け取るのです。だから、馬鹿弁護士だと言うのです。これでは何らの社会的正義は守られていないのです。税金を使い、社会的に無駄な裁判を継続させ、さらに優秀な裁判官を説得しなければならないのです。
皆さん、教科書では債権譲渡通知が先に来たほうが優先すると書いてありますから、取引先が『ヤミ金が債権譲渡を受けた旨の通知が先に到達した。』と認めてしまえば、一応法的にはヤミ金が優先するのです。
しかし、大事なことはこの債権譲渡は、債権を譲渡する会社が行わなければ有効ではなく、ヤミ金が通知をしても無効なのです。小賢しい弁護士は『通知は代理で出しても良いでしょう。』などという奴もいますが、こんな弁護士は直ぐ資格を剥奪した方が社会のためです。
最近三和ファイナンスが振興銀行とグルになってデタラメをしている(週間東洋経済で特集を組んでいる)のですが、この程度の(社会的正義を考えない)阿保弁護士が多いのです。
実はですね、仮に訴訟になってもヤミ金は、債権譲渡を受けたなどという証拠(債権譲渡契約書、譲渡するにいたった関係を証明する取引関係、債権譲渡が到達したという通知など)は全く持ち合わせていないのです。
ですから、取引先の顧問弁護士が、少し気が効いていればヤミ金から『債権譲渡通知が来たでしょう。』などと会社に問い合わせを受けても、弁護士は『知らないですね。と回答して結構です。』と言っても何ら問題がないのです。
つまり、仮に訴訟になっても、ヤミ金が自分のほうで債権譲渡通知が付いたということを証明(普通なら、譲渡した会社から譲渡通知書の原本と配達証明を貰えるはず)しなければならないのですが、ヤミ金はそのような証拠を持っていない、債権譲渡通知書(譲渡した会社・郵便局・状通知を受けた取引先にしかない)も本来持ち合わせていない(持っていたのでは、自分で出したことになり、おかしい)のです。
ですから、ヤミ金から債権譲渡通知を受けた取引先から、相談を受けた弁護士は、顧問先に『譲渡人(ヤミ金に手をだした、当方の依頼者)が知らない、と言っているなら、ヤミ金へは、譲渡通知は知らないですね、と回答して下さい。』
これで、一見落着となるのですが・・新米弁護士さん、お気お付け、下さいよ。
それにしても、大阪のアホ弁護士!全く、忌々しい、供託などしやがって!
弁護士は、社会的正義を追求することが、その職責ですから、場合によっては、自分の依頼者でない人の利益を追求することが社会的正義であるならその責任を果たすべきと考えますが、根性なしと言うか、多分知らないでやったと思うのですが、アホ弁護士のことです。
皆さんヤミ金業者と真っ当な、と言うかヤミ金に手を出し潰れそうになり、従業員の賃金の支払いが滞ってきた会社の利益のどちらを重視します。実は「おれの顧問先の利益に関係ないから、どっちでも良い」と考える弁護士は沢山います。
こんな事例がありました。ヤミ金に手を出したアホ社長、事務所に『ヤミ金から金を借り、小切手を渡したので、助けて下さい。』と相談に来ました。
小切手を銀行に入れて取り立てをされると会社は不渡りになり、倒産です。
早速ヤミ金の携帯(住所不明)に電話して『小切手を返してくれ。』と言いますと案の状『全額払ってくれれば、返すよ、でなければ、銀行にまわすヨ!』と言います。
そこで、連中と色々話した後での弁護士の言い分です。『それも良いけどサー、アンタ銀行などにまわすと、足が付くよ?あんたのとこ、警察がガサ(捜索差し押さえの事)入って書類全部差し押さえられるよ、それで良いの、誰にいくら貸したか、さっぱり解んなくなるよ』と言います。
ヤミ金の連中だって馬鹿ではありませんから、僕の言うことを十分理解していますので大概は、これで当面会社の倒産は回避できます。しかし、ヤミ金から金を借りた会社そう長くはないのですが、しばらくすると取引先から『ヤミ金に対して債権譲渡通知が来たが、本当ですか』と連絡が入ることがあります。
実は、アホ社長、金を借りた際、さらに内容証明郵便用紙(後で債権譲渡通知書を作成する)に沢山判子を押されているのですが、全く知らないのです。
また、仮に弁護士が事情を聞く中でそれが判っても、会社の信用上、取引先に直ぐにはそのような連絡はできません。
取引先から、『債権譲渡したのか』と問い合わせがありますから、『実は、ヤミ金に手を出してしまい(これでこの会社とは、通常取引停止にされてしまう)、白紙の要旨に判子を使われたらしいのです。』と連絡し、遅れて取引先に対し『従業員の賃金確保のために債権を弁護士(僕のこと)に譲渡(信託)します。』と通知します。(これは、他のヤミ金から破れかぶれで小切手を銀行に入れられ、不渡りから会社の銀行取引が停止された場合に備えるのです。)
この様に取引先会社にヤミ金と弁護士に債権譲渡したという2通の債権譲渡通知が来ますと、取引先は、当然顧問弁護士に相談するわけです。
安直な顧問弁護士(実際は、相当多い)は、知った振りして『債権者を知ることができませんので、供託しましょう。』とやるのです。こうなりますと、もう取引先からの入金はありませんから、当面従業員の賃金も払えないし、後で裁判沙汰となるのは必死です。
顧問の弁護士はこれで責任を果たして、顧問先から何がしの相談料を受け取るのです。だから、馬鹿弁護士だと言うのです。これでは何らの社会的正義は守られていないのです。税金を使い、社会的に無駄な裁判を継続させ、さらに優秀な裁判官を説得しなければならないのです。
皆さん、教科書では債権譲渡通知が先に来たほうが優先すると書いてありますから、取引先が『ヤミ金が債権譲渡を受けた旨の通知が先に到達した。』と認めてしまえば、一応法的にはヤミ金が優先するのです。
しかし、大事なことはこの債権譲渡は、債権を譲渡する会社が行わなければ有効ではなく、ヤミ金が通知をしても無効なのです。小賢しい弁護士は『通知は代理で出しても良いでしょう。』などという奴もいますが、こんな弁護士は直ぐ資格を剥奪した方が社会のためです。
最近三和ファイナンスが振興銀行とグルになってデタラメをしている(週間東洋経済で特集を組んでいる)のですが、この程度の(社会的正義を考えない)阿保弁護士が多いのです。
実はですね、仮に訴訟になってもヤミ金は、債権譲渡を受けたなどという証拠(債権譲渡契約書、譲渡するにいたった関係を証明する取引関係、債権譲渡が到達したという通知など)は全く持ち合わせていないのです。
ですから、取引先の顧問弁護士が、少し気が効いていればヤミ金から『債権譲渡通知が来たでしょう。』などと会社に問い合わせを受けても、弁護士は『知らないですね。と回答して結構です。』と言っても何ら問題がないのです。
つまり、仮に訴訟になっても、ヤミ金が自分のほうで債権譲渡通知が付いたということを証明(普通なら、譲渡した会社から譲渡通知書の原本と配達証明を貰えるはず)しなければならないのですが、ヤミ金はそのような証拠を持っていない、債権譲渡通知書(譲渡した会社・郵便局・状通知を受けた取引先にしかない)も本来持ち合わせていない(持っていたのでは、自分で出したことになり、おかしい)のです。
ですから、ヤミ金から債権譲渡通知を受けた取引先から、相談を受けた弁護士は、顧問先に『譲渡人(ヤミ金に手をだした、当方の依頼者)が知らない、と言っているなら、ヤミ金へは、譲渡通知は知らないですね、と回答して下さい。』
これで、一見落着となるのですが・・新米弁護士さん、お気お付け、下さいよ。
それにしても、大阪のアホ弁護士!全く、忌々しい、供託などしやがって!
2007年10月02日
死刑自動執行
安倍首相の退陣から、福田内閣が成立しました。概ね留任ということですが、物議をかもしている大臣もいます。特に鳩山法務大臣の「自動的死刑執行」提案でしょう。この発言は9月25日の内閣総辞職後の記者会見で「判決確定から半年以内に執行するという法の規定が事実上守られていない。大臣が絡まなくとも半年以内に執行することが自動的、客観的に進む方法がないだろうか」(26日毎日)と述べ、死刑囚の失効順を「死刑確定順か、乱数表」でとも提案しようです。(26日読売)
その後夜の会見でも「死刑執行という大変重要なことは、法相が判断すべきだという面もある。乱数表も反省している。」とやや修正したものの「基本的問題意識は変わっていない」と強調したとのことです。(26日読売)
これに対しては各種新聞で相当取り上げられ、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長亀井静香は「法相の資格もなければ人間の資格もない」とこれまたものすごい言い方の「非難」をしています。(29日読売)
またこの様な発言を受け毎日は翌27日社説で「暴言に法相の資格を疑う」と題し、「厳粛な法制度を冒とくする暴言である」「実務的にも法務省の最高責任者の責任を曖昧にすることなど許されるはずがない。」と批判し、さらに死刑制度の運用に関しても言及している。
これによれば、死刑執行命令書の作成に先立って、法務省刑事局が確定判決の思料を司法判断とは別に精査し、執行の可否を決定しているとのことです。死刑判決は万一にも冤罪の可能性があれば取り返しのつかないことであるし、その外の事情も考慮して執行命令書を作成していると考えられます。
しかし、司法判断で「死刑」が確定している以上再審の可能性もなければ、半年以内に執行するのが法に基づいて下された司法判断を尊重することになります。
私なども最近の重大犯罪だけでなく社会に大きな影響を与えた経済犯罪、さらには薬物事案などにも死刑を適用してもよい、と考えているのですが、この様な考え方は先の亀井議員などの価値観とは全く相反することでしょう。
覚せい剤などは「過って三度も使用したり、販売目的で大量の覚せい剤を所持している」ことなどありえませんから、死刑の適用があっても良いと考えています。
ところで、今回の問題は、鳩山法務大臣が死刑の執行は強大な国家権力行使の最たることの認識がないことが致命的欠点でしょう。国家権力は税金に始まり、各種取締り、場合によっては戦場に送ることもできるのです。この様な国家権力ですから、民主的方法でコントロールすることが求められているのです。
その後夜の会見でも「死刑執行という大変重要なことは、法相が判断すべきだという面もある。乱数表も反省している。」とやや修正したものの「基本的問題意識は変わっていない」と強調したとのことです。(26日読売)
これに対しては各種新聞で相当取り上げられ、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長亀井静香は「法相の資格もなければ人間の資格もない」とこれまたものすごい言い方の「非難」をしています。(29日読売)
またこの様な発言を受け毎日は翌27日社説で「暴言に法相の資格を疑う」と題し、「厳粛な法制度を冒とくする暴言である」「実務的にも法務省の最高責任者の責任を曖昧にすることなど許されるはずがない。」と批判し、さらに死刑制度の運用に関しても言及している。
これによれば、死刑執行命令書の作成に先立って、法務省刑事局が確定判決の思料を司法判断とは別に精査し、執行の可否を決定しているとのことです。死刑判決は万一にも冤罪の可能性があれば取り返しのつかないことであるし、その外の事情も考慮して執行命令書を作成していると考えられます。
しかし、司法判断で「死刑」が確定している以上再審の可能性もなければ、半年以内に執行するのが法に基づいて下された司法判断を尊重することになります。
私なども最近の重大犯罪だけでなく社会に大きな影響を与えた経済犯罪、さらには薬物事案などにも死刑を適用してもよい、と考えているのですが、この様な考え方は先の亀井議員などの価値観とは全く相反することでしょう。
覚せい剤などは「過って三度も使用したり、販売目的で大量の覚せい剤を所持している」ことなどありえませんから、死刑の適用があっても良いと考えています。
ところで、今回の問題は、鳩山法務大臣が死刑の執行は強大な国家権力行使の最たることの認識がないことが致命的欠点でしょう。国家権力は税金に始まり、各種取締り、場合によっては戦場に送ることもできるのです。この様な国家権力ですから、民主的方法でコントロールすることが求められているのです。
2007年07月17日
利息の功罪
7月13日最高裁で利息制限法に違反する高利で借り入れ、返済を続けた場合い発生する業者の不当利得の返還請求は、その発生時から法定利率年5%を付けて返済すべきとの判決がありました。(毎日14日)これで利息制限法に違反する高利についての解釈問題はほぼ峠を越したのではないかと思われる状況です。
私の事務所でも何年前からか分かりませんが業者から合計で一億円を超える過払い金の返還を受け「被害者」に返還してきました。最近は減少してきましたが、それでも未だ百万円を超える利息の返還をしているのではと思います。
政府は今まで、一方で国民にはゼロ金利政策で200兆円程の国民に支払うべき利息を払わない一方で不動産投資しかできなかった無能な銀行を救済するだけでなく、サラ金業者の暴利も「約束して借りたのであるから返済すべきである」と考えサラ金規正法の金利を認めていたのでした。
誰でも当たり前のように『金を借りたら利息を払うべきである』と考えている国民の常識を悪用し、政府・銀行・業者が「利息で不正義」を働き「不当利得」をむさぼっていたのです。
この様な社会の常識があるとき、消費者サイドに立った全国の弁護士が金貸しの高利は『違法である』と20数年前から声だかに論じていたのですが、ここに来て利息制限法を守れとの裁判が続き、金貸しの高利を継続したかった一部政治家も金貸しもようやく利息制限法を超過する高利を取ることをあきらめたかのようです。「利息制限法に違反する高利は正しいものではない」との社会的合意ができたようです。
この様な社会的合意ができるまで消費者サイドに立った全国の弁護士の奮闘があり、この奮闘に対して当初抵抗していた裁判所(簡易裁判所の書面主義と議員立法の貸金業法が金貸の手先の役割をはたした)もやっと正しい判断をしてきました。大げさに言えばブルータスもやっていた高利貸し連中の悪行が数千年の時を経てやっと認められてきた、と言うことでしょう。
続いて翌日、7月15日読売は「法廷利率引き下げへ」と報道しています。これは、民法の定める現行5%の利息(利息を付けるが、利率を定めなかった貸付の利息、期限に払わなかった家賃などに付く遅延損害金など)を引き下げる考えが出てきたと言うことです。
この法定利率の問題も、今問題となっている保険会社の不払いと同じく大いに問題があるのです。交通事故などで支払われる逸失利益(亡くなった人が生存していれば稼げた利益)が遺族に支払われる場合、例えば10年先の給与を本人が必要とするものを除き前払いするのですが、そのとき中間利息を年5%で引き算をするのです。
昔、銀行金利が年5%とか7%のとき定期貯金をしますと10年経たずに2倍以上になったのですが、保険会社は今逆の計算をするのです。その結果、若い人が亡くなれば20年30年と年5%で賠償金を引き算できますから、保険会社はこの低金利の時代でも被害者の命と引換えにとんでもない「投資」ができるのです。
新聞の計算によりますと、18歳の被害者が18歳から49年間働き約1億3800万円稼ぐとしても年5%で引き算をしますと3310万円を保険会社は支払えばすんでしまうのです。
私の事務所でも何年前からか分かりませんが業者から合計で一億円を超える過払い金の返還を受け「被害者」に返還してきました。最近は減少してきましたが、それでも未だ百万円を超える利息の返還をしているのではと思います。
政府は今まで、一方で国民にはゼロ金利政策で200兆円程の国民に支払うべき利息を払わない一方で不動産投資しかできなかった無能な銀行を救済するだけでなく、サラ金業者の暴利も「約束して借りたのであるから返済すべきである」と考えサラ金規正法の金利を認めていたのでした。
誰でも当たり前のように『金を借りたら利息を払うべきである』と考えている国民の常識を悪用し、政府・銀行・業者が「利息で不正義」を働き「不当利得」をむさぼっていたのです。
この様な社会の常識があるとき、消費者サイドに立った全国の弁護士が金貸しの高利は『違法である』と20数年前から声だかに論じていたのですが、ここに来て利息制限法を守れとの裁判が続き、金貸しの高利を継続したかった一部政治家も金貸しもようやく利息制限法を超過する高利を取ることをあきらめたかのようです。「利息制限法に違反する高利は正しいものではない」との社会的合意ができたようです。
この様な社会的合意ができるまで消費者サイドに立った全国の弁護士の奮闘があり、この奮闘に対して当初抵抗していた裁判所(簡易裁判所の書面主義と議員立法の貸金業法が金貸の手先の役割をはたした)もやっと正しい判断をしてきました。大げさに言えばブルータスもやっていた高利貸し連中の悪行が数千年の時を経てやっと認められてきた、と言うことでしょう。
続いて翌日、7月15日読売は「法廷利率引き下げへ」と報道しています。これは、民法の定める現行5%の利息(利息を付けるが、利率を定めなかった貸付の利息、期限に払わなかった家賃などに付く遅延損害金など)を引き下げる考えが出てきたと言うことです。
この法定利率の問題も、今問題となっている保険会社の不払いと同じく大いに問題があるのです。交通事故などで支払われる逸失利益(亡くなった人が生存していれば稼げた利益)が遺族に支払われる場合、例えば10年先の給与を本人が必要とするものを除き前払いするのですが、そのとき中間利息を年5%で引き算をするのです。
昔、銀行金利が年5%とか7%のとき定期貯金をしますと10年経たずに2倍以上になったのですが、保険会社は今逆の計算をするのです。その結果、若い人が亡くなれば20年30年と年5%で賠償金を引き算できますから、保険会社はこの低金利の時代でも被害者の命と引換えにとんでもない「投資」ができるのです。
新聞の計算によりますと、18歳の被害者が18歳から49年間働き約1億3800万円稼ぐとしても年5%で引き算をしますと3310万円を保険会社は支払えばすんでしまうのです。
2007年06月15日
民主主義と公民
本日付毎日新聞では、『根本から再考する憲法の役割』と題し、舛添要一氏(参議院自民党政審会長)が「義務より権利に本質」、瀧井一博氏(兵庫県立大学教授)「権力構築の面も大切」と大塚英志氏(評論家・まんが原作者)が「公民の育成が急務」と題し論じていました。
舛添と言えば自民党の「論客」と考え、私自身注意して読もうとしたのですが、何ら問題はありませんでした。自民党の新憲法起草委員会事務局次長の立場としてもやっぱり憲法学者です。「国民の権利を保障することこそが憲法の憲法たるゆえんである。」と憲法の原理原則をストレートに書いてあり、しかも「日本人の礼儀作法がなっていない、家族のきずなが希薄になっているといってもそれは憲法とは何の関係もない。」と言い切っています。
また、日本人が「国家権力から身を守る最後の手段が憲法である。」ことを理解していないのは、現憲法は占領下で「与えられたもの」であり、フランス・アメリカのように血を流しながら闘いとったものでない、さらに政権交代の経験が少ないから、憲法が野党に対する政権側の攻撃弾圧(野党議員の不当逮捕とか、選挙妨害など)を跳ね返す武器であることの重みを知らないのである。と述べていました。
瀧井は、「立憲主義は国家権力の制約と同時にそれ(国家権力)を創設する」意義を強調していました。「伊藤博文は、国民の政治意識の目覚めと政治参加の拡大を図っていくことが国力増強の基本となることを明言している。」と述べ、さらに行政改革会議の最終で「明治憲法で日本国民に染み込んだ統治の客体(自ら進んでなく、唯々諾々と支配される国民)や行政への依存志向(お上に任せる考え)を払拭し、」と言うことでなく「明治憲法体制の清算ではなく、その見失われた伝統を発掘し日本国憲法の精神と接合することにこそ求められるべきだろう。」と日本国民が自らの手で権力を創設することの重要性を述べています。
最後の大塚は、天皇と公務員に対する「憲法擁護尊重義務」89条から憲法と言う「公」がどう運営されているかチェックする責任が国民にあり、柳田國男が「我々は公民として病みかつ貧しい」(1931年)と述べ、1928年に実施された普通選挙において有権者が誰に投票するか「気軽に判断を他人にまかせ」「群の快楽」にみを委ねていることに柳田が怒ったと書いているのですが、現在でも同じようにムードに流され投票している状況は、実は(治安維持法と引換えで制定された)普通選挙以来続いている(と嘆いている)。
「公民」とは「個人」として自分の思考、言葉を持ち、それを互いにぶつけあう能力が必要だ。そのような「公民」として能力があって「公・おおやけ」ははじめて生まれる。と結論付けています。
そうしますと、わが国では明治憲法制定から120年近く、普通選挙施行以来90年が経過しようとしているのですが、未だ憲法の本質も理解されず、伊藤博文が明言した「国民の政治意識の目覚めと政治参加の拡大」もなく、さらに民主主義的権力創設もまた権力を創設してゆく公民も未だにムードに流され投票しているのですから、所詮民主主義など無縁なのでしょうね。
今日ご近所の70歳過ぎのおばあさんに、「今回の選挙では違法ポスターが目に余りましたね。」と言うと『あんな、ポスター見ても、だれも入れないでしょう。』と不思議がられましたが、現実は違いますね。そうしますと、わが国の知的レベルは最近急激に低下しているようです。大正生まれの人のほうが、ずっと民主主義を理解しています。
舛添と言えば自民党の「論客」と考え、私自身注意して読もうとしたのですが、何ら問題はありませんでした。自民党の新憲法起草委員会事務局次長の立場としてもやっぱり憲法学者です。「国民の権利を保障することこそが憲法の憲法たるゆえんである。」と憲法の原理原則をストレートに書いてあり、しかも「日本人の礼儀作法がなっていない、家族のきずなが希薄になっているといってもそれは憲法とは何の関係もない。」と言い切っています。
また、日本人が「国家権力から身を守る最後の手段が憲法である。」ことを理解していないのは、現憲法は占領下で「与えられたもの」であり、フランス・アメリカのように血を流しながら闘いとったものでない、さらに政権交代の経験が少ないから、憲法が野党に対する政権側の攻撃弾圧(野党議員の不当逮捕とか、選挙妨害など)を跳ね返す武器であることの重みを知らないのである。と述べていました。
瀧井は、「立憲主義は国家権力の制約と同時にそれ(国家権力)を創設する」意義を強調していました。「伊藤博文は、国民の政治意識の目覚めと政治参加の拡大を図っていくことが国力増強の基本となることを明言している。」と述べ、さらに行政改革会議の最終で「明治憲法で日本国民に染み込んだ統治の客体(自ら進んでなく、唯々諾々と支配される国民)や行政への依存志向(お上に任せる考え)を払拭し、」と言うことでなく「明治憲法体制の清算ではなく、その見失われた伝統を発掘し日本国憲法の精神と接合することにこそ求められるべきだろう。」と日本国民が自らの手で権力を創設することの重要性を述べています。
最後の大塚は、天皇と公務員に対する「憲法擁護尊重義務」89条から憲法と言う「公」がどう運営されているかチェックする責任が国民にあり、柳田國男が「我々は公民として病みかつ貧しい」(1931年)と述べ、1928年に実施された普通選挙において有権者が誰に投票するか「気軽に判断を他人にまかせ」「群の快楽」にみを委ねていることに柳田が怒ったと書いているのですが、現在でも同じようにムードに流され投票している状況は、実は(治安維持法と引換えで制定された)普通選挙以来続いている(と嘆いている)。
「公民」とは「個人」として自分の思考、言葉を持ち、それを互いにぶつけあう能力が必要だ。そのような「公民」として能力があって「公・おおやけ」ははじめて生まれる。と結論付けています。
そうしますと、わが国では明治憲法制定から120年近く、普通選挙施行以来90年が経過しようとしているのですが、未だ憲法の本質も理解されず、伊藤博文が明言した「国民の政治意識の目覚めと政治参加の拡大」もなく、さらに民主主義的権力創設もまた権力を創設してゆく公民も未だにムードに流され投票しているのですから、所詮民主主義など無縁なのでしょうね。
今日ご近所の70歳過ぎのおばあさんに、「今回の選挙では違法ポスターが目に余りましたね。」と言うと『あんな、ポスター見ても、だれも入れないでしょう。』と不思議がられましたが、現実は違いますね。そうしますと、わが国の知的レベルは最近急激に低下しているようです。大正生まれの人のほうが、ずっと民主主義を理解しています。
2007年02月06日
ローマ(でなく労働者)の休日
本日の産経に各国の最低賃金が報道されていました。オランダは月給の最低として180,479円、以下時給としてフランス1,162円、イギリス1,096円、カナダ678〜860円、アメリカ602円、わが国が673円だそうです。最近のユーロに対するドル・円安が影響していると思いますが、為替は結局購買力を示しますので、変動してもこれが現在の生活水準を示しています。
これを見ますと、わが国の最低限の生活はヨーロッパに比べ7割以下の生活となります。さらに一年間の労働時間などを比べて見ますと、日本人が決して豊かな生活をしているとは言えない状況です。
最近、何件かいわゆる労働事件を扱いました。この中で、今まで知らないことを知らなかったことがあり、大分ショックを受けた次第です。
信じられないでしょうが、多くの弁護士が労働法といいますか、労働基準法、特に解雇権濫用法理を知らず、会社は一月分の給料を払いさえすれば解雇できると誤解しており、その度に『しょうがない弁護士だ』などと言っていたのですが、実は自分も週休二日制について全く誤解をしていました。
週休二日制といえば、土曜日曜は完全に休みで、土日に働いている人は他の平日に二日の休みがあると『誤解』していたのです。そこで、完全週休二日制の下では、年105日(365日は52週と1日、ですから104日だと週40時間(労働基準法32条1項)を超過してしまう。)の休みのほか国民の祝日に関する法律の15日、年末(29,30,31)年始(1,2,3)の休み、夏季特別休暇(5日程度)、さらに有給休暇20日、最後には療養休暇・忌引き休暇などが労働者に「保障」されている休日と思っていました。
そこで一年間の労働時間は、年105日の休日ですと(365-105)×8=2,080時間、さらに15日の祝日を引き1,960時間、年末年始48時間を引き1,952時間、年休20日160時間を引き1,792時間、ここいら辺りでやっと、ヨーロッパの労働時間に接近してきます。
実は、わが国は昔から国際的に、労働者は長時間労働であり、日本の企業はいわば外国企業に比べ「不正競争」をしているといわれていたので、最近になって「国際水準」に達したと誤解していました。
即ち、労働基準法で週40時間労働制が決められ、さらに就業規則で、週40時間労働と定められていても、就業規則の別のところで「変形労働時間制」を採用し、一年間の休みを105日と設定すれば、これは土曜日曜さらに祝祭日、さらに年末年始、夏休みを含め労働者の休日は105日あれば、労働基準法に何ら違反することはないのです。(労働基準法32条の2,3,4)
ですから、国民の祝日に関する法律では、「国民の祝日」を次のように定める。(第2条)とし、第3条で「国民の祝日」は、休日とする。と定められていても、就業規則で一年間の休日は105日と規定すれば、国民の祝日の15日は無視しても良く、休みは105日で足りるのです。従って、民間企業では「完全週休二日制」でも年28回程度(祝日15日、年末年始6日、夏期休暇3日、ゴールデンウイーク4日として)の土曜日は出勤しなければならないのです。
結局、何のことはない、52、3回の土曜日のうち28回出勤しても一切残業手当は不要なのです。また土曜日を休みとして祝祭日に出勤しても休日出勤手当(残業手当)の支払義務はないのです。
迂闊にも、土日に営業しているデパートなどでは代休制度があり、祝日などの勤務については全て代休か残業手当の支払があると思っていたのは大いなる誤解の典型でした。
して見ますと、週休二日制とか国民の祝日に関する法律は公務員などには完全に適用されるものの、民間企業では就業規則さえあれば、祝祭日の「取り上げ」のような制度になっています。その外年20日の有給休暇があり、療養休暇、さらには忌引きなどあれば、一年間の労働実数は大幅に減少してきますが、それが「公務員天国」などといわれるところですかね。選挙のときなど残業と代休があるのですかね。
しかし、変形労働時間制は過半数を組織する組合がない場合などは、労働者の過半数の代表者との書面による協定が必要なのです(32条の4第1項)から、この過半数を真実代表しているか、が証拠上重要です。特に誰かがこの書面による協定に異議を述べたことから不当な配転などの処分を受けた場合は大いに問題が残るでしょう。いずれにしても、日本の企業が外国から「不正競争だ」といわれないためにも、労働条件は引き下げるのではなく、引き上げる事が重要と思います。
これを見ますと、わが国の最低限の生活はヨーロッパに比べ7割以下の生活となります。さらに一年間の労働時間などを比べて見ますと、日本人が決して豊かな生活をしているとは言えない状況です。
最近、何件かいわゆる労働事件を扱いました。この中で、今まで知らないことを知らなかったことがあり、大分ショックを受けた次第です。
信じられないでしょうが、多くの弁護士が労働法といいますか、労働基準法、特に解雇権濫用法理を知らず、会社は一月分の給料を払いさえすれば解雇できると誤解しており、その度に『しょうがない弁護士だ』などと言っていたのですが、実は自分も週休二日制について全く誤解をしていました。
週休二日制といえば、土曜日曜は完全に休みで、土日に働いている人は他の平日に二日の休みがあると『誤解』していたのです。そこで、完全週休二日制の下では、年105日(365日は52週と1日、ですから104日だと週40時間(労働基準法32条1項)を超過してしまう。)の休みのほか国民の祝日に関する法律の15日、年末(29,30,31)年始(1,2,3)の休み、夏季特別休暇(5日程度)、さらに有給休暇20日、最後には療養休暇・忌引き休暇などが労働者に「保障」されている休日と思っていました。
そこで一年間の労働時間は、年105日の休日ですと(365-105)×8=2,080時間、さらに15日の祝日を引き1,960時間、年末年始48時間を引き1,952時間、年休20日160時間を引き1,792時間、ここいら辺りでやっと、ヨーロッパの労働時間に接近してきます。
実は、わが国は昔から国際的に、労働者は長時間労働であり、日本の企業はいわば外国企業に比べ「不正競争」をしているといわれていたので、最近になって「国際水準」に達したと誤解していました。
即ち、労働基準法で週40時間労働制が決められ、さらに就業規則で、週40時間労働と定められていても、就業規則の別のところで「変形労働時間制」を採用し、一年間の休みを105日と設定すれば、これは土曜日曜さらに祝祭日、さらに年末年始、夏休みを含め労働者の休日は105日あれば、労働基準法に何ら違反することはないのです。(労働基準法32条の2,3,4)
ですから、国民の祝日に関する法律では、「国民の祝日」を次のように定める。(第2条)とし、第3条で「国民の祝日」は、休日とする。と定められていても、就業規則で一年間の休日は105日と規定すれば、国民の祝日の15日は無視しても良く、休みは105日で足りるのです。従って、民間企業では「完全週休二日制」でも年28回程度(祝日15日、年末年始6日、夏期休暇3日、ゴールデンウイーク4日として)の土曜日は出勤しなければならないのです。
結局、何のことはない、52、3回の土曜日のうち28回出勤しても一切残業手当は不要なのです。また土曜日を休みとして祝祭日に出勤しても休日出勤手当(残業手当)の支払義務はないのです。
迂闊にも、土日に営業しているデパートなどでは代休制度があり、祝日などの勤務については全て代休か残業手当の支払があると思っていたのは大いなる誤解の典型でした。
して見ますと、週休二日制とか国民の祝日に関する法律は公務員などには完全に適用されるものの、民間企業では就業規則さえあれば、祝祭日の「取り上げ」のような制度になっています。その外年20日の有給休暇があり、療養休暇、さらには忌引きなどあれば、一年間の労働実数は大幅に減少してきますが、それが「公務員天国」などといわれるところですかね。選挙のときなど残業と代休があるのですかね。
しかし、変形労働時間制は過半数を組織する組合がない場合などは、労働者の過半数の代表者との書面による協定が必要なのです(32条の4第1項)から、この過半数を真実代表しているか、が証拠上重要です。特に誰かがこの書面による協定に異議を述べたことから不当な配転などの処分を受けた場合は大いに問題が残るでしょう。いずれにしても、日本の企業が外国から「不正競争だ」といわれないためにも、労働条件は引き下げるのではなく、引き上げる事が重要と思います。
2006年12月19日
おちょくられる日弁連(詐欺社会)
最近わが国は、社会全体が、嘘で固められた「詐欺社会」である、と強く感じています。
企業の不正違法行為は後を絶たず、公務員の裏金作りという「公金横領」、政治家の収賄、身近なところでは旧川鉄のシアン垂れ流し、市原でもコスモ石油のトップがテレビで頭を下げている姿がありました。最近は東京電力の原子力発電所が温排水の温度をごまかし、今日は三菱東京UFJ銀行がマネーロンダリングに関してガードが甘く、行政処分を受けるような報道がありました。
もう少し身近になりますと、投資詐欺、外国為替証拠金取引、エステサロンでの痩身契約、訪問販売、オレオレ詐欺、これから訴訟を準備しているが3日以内に連絡をよこせば訴訟を取り下げるという取り下げ詐欺などなど本当に枚挙に暇がありません。
数千万円の詐欺被害にあっても警察ではなかなか動いてくれませんから、連中はやりたい放題なのです。こうなると、悪党は何時でもいますから、一人一人が防御しなければならなくなりますが、平和ボケの日本人はいとも簡単に騙されます。
先ほどの話でも資産家の奥さん、一月に三割の配当が出るなどという投資詐欺に引っかかり、夫の資産を5千万円ほど巻き上げられています。これなど資産を管理する能力もないにもかかわらず、「自分が馬鹿である」ことを知らないから、「信用していたのに、裏切られた」などと後悔しているのです。「本当の儲け話なら絶対人には教えない」という常識もわからないのです。
近未来通信社のIP電話の中継基地の投資話もありました。僕のところに来た人は危機一髪弁護士からの内容証明で1500万円ほどの被害を食い止められました。直後相手方の弁護士から回答が来ましたが、誠実な弁護士らしく一昨日「会社の対応が良くない」とかで辞任届けが来ました。詐欺の仲間のような弁護士も何処にでもおり、電話も通じない悪徳もいます。ヤミ金の手先となっている弁護士も身近にいます。
笑っちゃいけませんが、昨日(18日)は、取り消し詐欺の件で日弁連に連絡をしました。どういうことかと言いますと、「法務省認定法人『日本消費者生活センター』」なる詐欺グループがその住所を千代田区霞ヶ関1-1-3としています。霞ヶ関1-1-1が最高検察庁、1-1-2が東京家庭裁判所、1-1-3は日本弁護士連合会です。
なんとも、日弁連もおちょくられています。電話番号はきちんと使われていますから、この電話番号から警視庁が「絶対許さない」という毅然たる立場で取締りを行い、最高刑の懲役10年、場合によっては余罪などを併合して15年の実刑を加える必要があります。しかし場合によっては懲役3年程度、初犯ですと執行猶予がついたりします。3億円の詐欺で三年の懲役なら、年1億円です。
悪事を働いても、この程度の懲役なら、しかも絶対に捕まるということはありませんから、万一捕まっても「一年一億なら、安い(懲役が)もの」と連中考えれば、絶対詐欺は日本から無くなりません。
政治家の収賄も、政治家が「選挙の義理」を感じなくなれば、減少するでしょうし、談合も社会的非難を浴び、ぼちぼち無くなって来ると思いますが、これからは社会的に大きな被害をもたらす詐欺を徹底的に撲滅する運動が必要です。それにしても日弁連、何とかしますかね?
企業の不正違法行為は後を絶たず、公務員の裏金作りという「公金横領」、政治家の収賄、身近なところでは旧川鉄のシアン垂れ流し、市原でもコスモ石油のトップがテレビで頭を下げている姿がありました。最近は東京電力の原子力発電所が温排水の温度をごまかし、今日は三菱東京UFJ銀行がマネーロンダリングに関してガードが甘く、行政処分を受けるような報道がありました。
もう少し身近になりますと、投資詐欺、外国為替証拠金取引、エステサロンでの痩身契約、訪問販売、オレオレ詐欺、これから訴訟を準備しているが3日以内に連絡をよこせば訴訟を取り下げるという取り下げ詐欺などなど本当に枚挙に暇がありません。
数千万円の詐欺被害にあっても警察ではなかなか動いてくれませんから、連中はやりたい放題なのです。こうなると、悪党は何時でもいますから、一人一人が防御しなければならなくなりますが、平和ボケの日本人はいとも簡単に騙されます。
先ほどの話でも資産家の奥さん、一月に三割の配当が出るなどという投資詐欺に引っかかり、夫の資産を5千万円ほど巻き上げられています。これなど資産を管理する能力もないにもかかわらず、「自分が馬鹿である」ことを知らないから、「信用していたのに、裏切られた」などと後悔しているのです。「本当の儲け話なら絶対人には教えない」という常識もわからないのです。
近未来通信社のIP電話の中継基地の投資話もありました。僕のところに来た人は危機一髪弁護士からの内容証明で1500万円ほどの被害を食い止められました。直後相手方の弁護士から回答が来ましたが、誠実な弁護士らしく一昨日「会社の対応が良くない」とかで辞任届けが来ました。詐欺の仲間のような弁護士も何処にでもおり、電話も通じない悪徳もいます。ヤミ金の手先となっている弁護士も身近にいます。
笑っちゃいけませんが、昨日(18日)は、取り消し詐欺の件で日弁連に連絡をしました。どういうことかと言いますと、「法務省認定法人『日本消費者生活センター』」なる詐欺グループがその住所を千代田区霞ヶ関1-1-3としています。霞ヶ関1-1-1が最高検察庁、1-1-2が東京家庭裁判所、1-1-3は日本弁護士連合会です。
なんとも、日弁連もおちょくられています。電話番号はきちんと使われていますから、この電話番号から警視庁が「絶対許さない」という毅然たる立場で取締りを行い、最高刑の懲役10年、場合によっては余罪などを併合して15年の実刑を加える必要があります。しかし場合によっては懲役3年程度、初犯ですと執行猶予がついたりします。3億円の詐欺で三年の懲役なら、年1億円です。
悪事を働いても、この程度の懲役なら、しかも絶対に捕まるということはありませんから、万一捕まっても「一年一億なら、安い(懲役が)もの」と連中考えれば、絶対詐欺は日本から無くなりません。
政治家の収賄も、政治家が「選挙の義理」を感じなくなれば、減少するでしょうし、談合も社会的非難を浴び、ぼちぼち無くなって来ると思いますが、これからは社会的に大きな被害をもたらす詐欺を徹底的に撲滅する運動が必要です。それにしても日弁連、何とかしますかね?
2006年10月30日
やったぜ貸金業規正法改正
10月25日の新聞各社は、貸金業規正強化策に対し「特例金利撤廃で決着」と報じていました。何度か書きましたが、これまでの「改正案」は利息制限法に違反する金利を認める内容でしかも、利息制限法の利率適用区分を5倍にして多数の自殺者を出した云わば「社会悪」である商工ローン各社に対し、黙っていても15%から18%へ金利の引き上げを認めてやるようなものでした。
@
マスコミもこの間の日弁連などの専門家からの反対意見を報道するなど今回の自民党改正案に反対の声を上げていました。私なども超ミニコミで「論陣」を張りましたが、その成果があった訳です。
A
もしこのまま「改正案」が国会を通れば、今でも中小企業に貸し渋りをしている銀行は中小企業に対し、「商工ローンを利用したら如何ですか」などと言って、銀行は商工ローンに資金を提供して、裏で商工ローンを操るのではないか、と心配しての行動でした。
わが国は、預金者の金利は殆どゼロで、大企業はこの様な低金利の中で史上空前の利益をあげ、特に銀行などは、大儲けをしながら、公的資金を返済し、しかも税金を全く払わないという不健全が進行してきました。
B-1B-2
その中で、国民は預金・金利の面でも格差社会の真っただ中、即ち、低所得者は、命まで担保(10月7日朝日「命担保」保険金17社に計302億円と報道、産経はこれに加え、『受取額自殺は14%、43億円』)に取られながら利息制限法に違反する高金利で生活資金を借りている一方、優良企業は年利1〜2%で融資を受け膨大な利益をあげているという、格差というか差別をこのままにしては社会は益々不安定になってしまうからです。
最近の新聞報道で各社社会の断面を見ますと、10月7日朝日は生活保護最多104万世帯、朝日は100万世帯超 13年連続で増、過去最高と報道しています。
C-1C-2
@は25日の新聞、Aは今回の改正の問題点を報道する朝日、Bは死亡保険金の報道、Cは生活保護世帯の増加、Dは貯蓄なし世帯、Eは生活福祉貸付、自宅担保の貸付、教育ローン、Fは「命を担保」中止報道、Gは大蔵官僚の消費者金融への天下り報道です。
DEFG-1G-2
短い期間ですが、一応のテーマを決めて新聞報道を集めますと、この間の社会の動きが見えてくるようです。自分も最初に自民党案が出て、後藤田委員でしたか、抗議の辞職などあったとき、今まで弁護士会などが消費者金融業者などを少しいじめすぎた結果、全金連などの献金攻勢で自民党が動かされ、変な「政治決着」を引き出してしまったかと危惧していたのですが、杞憂に終わりよかったと思います。
自分も改正反対で行動してよかった、これからは低所得者に対する公的制度をどう構築するか、考えるべきときです。いずれにしても、これで消費者金融業会への大蔵官僚の天下りはなくなるのでしょうかね。だって、何らの「お土産」も持たず、弁護士会らか押し捲られてしまった結果ですから、最後に自民党増原議員の「特例は借りての安全網」の記事を出しておきます。
H
@
マスコミもこの間の日弁連などの専門家からの反対意見を報道するなど今回の自民党改正案に反対の声を上げていました。私なども超ミニコミで「論陣」を張りましたが、その成果があった訳です。
A
もしこのまま「改正案」が国会を通れば、今でも中小企業に貸し渋りをしている銀行は中小企業に対し、「商工ローンを利用したら如何ですか」などと言って、銀行は商工ローンに資金を提供して、裏で商工ローンを操るのではないか、と心配しての行動でした。
わが国は、預金者の金利は殆どゼロで、大企業はこの様な低金利の中で史上空前の利益をあげ、特に銀行などは、大儲けをしながら、公的資金を返済し、しかも税金を全く払わないという不健全が進行してきました。
B-1B-2
その中で、国民は預金・金利の面でも格差社会の真っただ中、即ち、低所得者は、命まで担保(10月7日朝日「命担保」保険金17社に計302億円と報道、産経はこれに加え、『受取額自殺は14%、43億円』)に取られながら利息制限法に違反する高金利で生活資金を借りている一方、優良企業は年利1〜2%で融資を受け膨大な利益をあげているという、格差というか差別をこのままにしては社会は益々不安定になってしまうからです。
最近の新聞報道で各社社会の断面を見ますと、10月7日朝日は生活保護最多104万世帯、朝日は100万世帯超 13年連続で増、過去最高と報道しています。
C-1C-2
@は25日の新聞、Aは今回の改正の問題点を報道する朝日、Bは死亡保険金の報道、Cは生活保護世帯の増加、Dは貯蓄なし世帯、Eは生活福祉貸付、自宅担保の貸付、教育ローン、Fは「命を担保」中止報道、Gは大蔵官僚の消費者金融への天下り報道です。
DEFG-1G-2
短い期間ですが、一応のテーマを決めて新聞報道を集めますと、この間の社会の動きが見えてくるようです。自分も最初に自民党案が出て、後藤田委員でしたか、抗議の辞職などあったとき、今まで弁護士会などが消費者金融業者などを少しいじめすぎた結果、全金連などの献金攻勢で自民党が動かされ、変な「政治決着」を引き出してしまったかと危惧していたのですが、杞憂に終わりよかったと思います。
自分も改正反対で行動してよかった、これからは低所得者に対する公的制度をどう構築するか、考えるべきときです。いずれにしても、これで消費者金融業会への大蔵官僚の天下りはなくなるのでしょうかね。だって、何らの「お土産」も持たず、弁護士会らか押し捲られてしまった結果ですから、最後に自民党増原議員の「特例は借りての安全網」の記事を出しておきます。
H
2006年10月03日
蜘蛛の糸の卒業試験
最高裁は、28日司法研究所の卒業試験(いわゆる二回試験)で107人が落第したと発表しました。法曹になるための試験は通常の司法試験と司法研修所に入所して法律実務の研修を終えた後、研修所の「卒業試験」を合格する必要があります。司法試験に続く「厳しい試験」と言うわけでしょうが、二回試験といわれ法曹資格を取得するための最終試験となります。
原則として、法曹(裁判官、検察官、弁護士)になるには司法研修所の修習を修了する必要がありますので、二回試験に不合格では、いくら難関の司法試験を通過しても最終的に法曹にはなれません。
例外として大学法学部で教授・助教授の経験者とか、検察庁での特別試験などに合格して弁護士・検事になれるほか、最高裁判所の裁判官には行政マンとか外交官の経験者からも選出されます。最高裁判所の裁判官は三権分立の司法権を行使するトップとして、また最高裁判所裁判官会議の構成員として司法行政権を司りますから、法曹資格を有する者に限定しない必要があると考えているのでしょう。
そう言う訳ですから、普通の人間は何はともあれ、二回試験を突破しなければなりません。司法試験の合格者が500人のころは、多くて10人でしたから、クラスで一番できない奴が「合格留保」と言うことで、半年遅れで合格して最終的には司法試験合格者の殆どが法曹資格を取得して、少々出来が悪くともなんとか弁護士になれました。
しかし、50人に一人のできの悪い法曹では、その後ずぅっと「留保」を引きずり不名誉ですから、とても緊張する二回試験となります。そこで、二回試験に向けての精神的安定のために、クラスで自分より一人できの悪い奴を見つけられれば、自分は大丈夫などと意地の悪い見方をしていたものです。そうは言っても同じ釜の飯を食った連中ですから、二回試験の合宿などして全員で合格に向けて勉強しました。
ところで、万一合格できず「合格留保」となった人は半年間「司法研修所の修習生」の身分が継続し、引き続き研修所から支給される「給与」を受け取る権利があるのですが、「落第」しながら税金から支給されても問題ですから、「留保者」は給与を「自発的に辞退」することになっていたようです。
しかし修習生といっても老弱男女様々で中には妻子もちもいます。しかしながら身分は公務員ですから予備校などでのアルバイトもできずに半年間食いつなぎ勉強しなければなりません。そこで、合格者の有志が音頭をとり、カンパを募り「留保者」の生活を保持させることになっていました。
このように、昔の500人合格のころの修習生は「同級生」としての連帯感があったと思っています。しかし、合格者が1500人となり、仲間意識が希薄となる中で107人もの不合格者が出るようになっては合格者がカンパをすることも無くなってしまっただろうとおもいます。
それにしても難関の司法試験を突破して、司法修習も終え、最後の二回試験で「合格留保」ならまだしも、完全な「落第」となった人達のこれからの人生はどうなるでしょうか、心配ですね。
もっとも、「自由と正義」(日弁連の機関誌)の巻末をみると、毎号依頼者からの預かり金を横領したなどの理由で弁護士会から懲戒処分をうける弁護士が多数います。最近では某大学教授の経験から弁護士登録をして、依頼者にお金を返さないという理由で業務停止処分を受けているセンセもいますし、そこの元イソ弁君もなにやらやらかし、処分を受けていました。
私は、ひょんなきっかけから二人とも面識があるのですが、イソ君はボス弁の仕事をするなかで、ボス弁の顧問先からの顧問料が遅れた途端、この顧問先に対し内容証明郵便を叩き付けたと伺っています。きっとボス弁から罵倒されたでしょうね、解雇されました。するとこのイソ君ボス弁に対し、東京地裁に「不当解雇」だと訴えを提起しました。しかし印紙を貼る知識もなく、裁判所から再三再四「取り下げ」を勧告されてもそれに従わず、裁判所も大変困ったようです。
実は、このイソ君司法研修所の元「合格留保」生でしたが、しかし700人時代の合格者ですから、何とか司法研修所の修了者として弁護士登録をしたものの、裁判所でも満足に口もきけず、お人柄は悪くはないと思うのですが、弁護士としては適格性に欠けるようでした。
このような具体例を知っていますと、今年の最終不合格者が10人と報道され「さもありなん」と思います。法曹は人と人のトラブルに介入してこれを「解決」といいますか「決着」をつける仕事ですから、仮に子供の頃からどんなに学業優秀であっても、また司法試験に合格しても、向き不向きがありますから自らの職業選択を誤らないことが重要です。
きょうは、司法研修所の落第について、研修所での修習内容に触れようと思ったのですが、書き始めると話がそれてしまいました。
司法修習生は、殆どがこれから先は裁判官・検察官・弁護士として社会の『エリート』としての将来が「約束」されていますから、「わが世の春」を謳歌しているはずです。その司法修習生が法曹としての将来を失う悲劇は、くもの糸を昇り天国に行くつもりが「プツン」と糸が切れ地獄へ真っ逆さまの心境です。また嫌な夢を見そうです。
原則として、法曹(裁判官、検察官、弁護士)になるには司法研修所の修習を修了する必要がありますので、二回試験に不合格では、いくら難関の司法試験を通過しても最終的に法曹にはなれません。
例外として大学法学部で教授・助教授の経験者とか、検察庁での特別試験などに合格して弁護士・検事になれるほか、最高裁判所の裁判官には行政マンとか外交官の経験者からも選出されます。最高裁判所の裁判官は三権分立の司法権を行使するトップとして、また最高裁判所裁判官会議の構成員として司法行政権を司りますから、法曹資格を有する者に限定しない必要があると考えているのでしょう。
そう言う訳ですから、普通の人間は何はともあれ、二回試験を突破しなければなりません。司法試験の合格者が500人のころは、多くて10人でしたから、クラスで一番できない奴が「合格留保」と言うことで、半年遅れで合格して最終的には司法試験合格者の殆どが法曹資格を取得して、少々出来が悪くともなんとか弁護士になれました。
しかし、50人に一人のできの悪い法曹では、その後ずぅっと「留保」を引きずり不名誉ですから、とても緊張する二回試験となります。そこで、二回試験に向けての精神的安定のために、クラスで自分より一人できの悪い奴を見つけられれば、自分は大丈夫などと意地の悪い見方をしていたものです。そうは言っても同じ釜の飯を食った連中ですから、二回試験の合宿などして全員で合格に向けて勉強しました。
ところで、万一合格できず「合格留保」となった人は半年間「司法研修所の修習生」の身分が継続し、引き続き研修所から支給される「給与」を受け取る権利があるのですが、「落第」しながら税金から支給されても問題ですから、「留保者」は給与を「自発的に辞退」することになっていたようです。
しかし修習生といっても老弱男女様々で中には妻子もちもいます。しかしながら身分は公務員ですから予備校などでのアルバイトもできずに半年間食いつなぎ勉強しなければなりません。そこで、合格者の有志が音頭をとり、カンパを募り「留保者」の生活を保持させることになっていました。
このように、昔の500人合格のころの修習生は「同級生」としての連帯感があったと思っています。しかし、合格者が1500人となり、仲間意識が希薄となる中で107人もの不合格者が出るようになっては合格者がカンパをすることも無くなってしまっただろうとおもいます。
それにしても難関の司法試験を突破して、司法修習も終え、最後の二回試験で「合格留保」ならまだしも、完全な「落第」となった人達のこれからの人生はどうなるでしょうか、心配ですね。
もっとも、「自由と正義」(日弁連の機関誌)の巻末をみると、毎号依頼者からの預かり金を横領したなどの理由で弁護士会から懲戒処分をうける弁護士が多数います。最近では某大学教授の経験から弁護士登録をして、依頼者にお金を返さないという理由で業務停止処分を受けているセンセもいますし、そこの元イソ弁君もなにやらやらかし、処分を受けていました。
私は、ひょんなきっかけから二人とも面識があるのですが、イソ君はボス弁の仕事をするなかで、ボス弁の顧問先からの顧問料が遅れた途端、この顧問先に対し内容証明郵便を叩き付けたと伺っています。きっとボス弁から罵倒されたでしょうね、解雇されました。するとこのイソ君ボス弁に対し、東京地裁に「不当解雇」だと訴えを提起しました。しかし印紙を貼る知識もなく、裁判所から再三再四「取り下げ」を勧告されてもそれに従わず、裁判所も大変困ったようです。
実は、このイソ君司法研修所の元「合格留保」生でしたが、しかし700人時代の合格者ですから、何とか司法研修所の修了者として弁護士登録をしたものの、裁判所でも満足に口もきけず、お人柄は悪くはないと思うのですが、弁護士としては適格性に欠けるようでした。
このような具体例を知っていますと、今年の最終不合格者が10人と報道され「さもありなん」と思います。法曹は人と人のトラブルに介入してこれを「解決」といいますか「決着」をつける仕事ですから、仮に子供の頃からどんなに学業優秀であっても、また司法試験に合格しても、向き不向きがありますから自らの職業選択を誤らないことが重要です。
きょうは、司法研修所の落第について、研修所での修習内容に触れようと思ったのですが、書き始めると話がそれてしまいました。
司法修習生は、殆どがこれから先は裁判官・検察官・弁護士として社会の『エリート』としての将来が「約束」されていますから、「わが世の春」を謳歌しているはずです。その司法修習生が法曹としての将来を失う悲劇は、くもの糸を昇り天国に行くつもりが「プツン」と糸が切れ地獄へ真っ逆さまの心境です。また嫌な夢を見そうです。
2006年09月26日
「不作為の独裁」
今日(9月26日)は、書かなければならないテーマが二つあります。ひとつは小泉内閣の総辞職に伴い、杉浦法務大臣が法務省との攻防を続けて結局、死刑OKの署名をしなかった(朝日)ということ、もう一つは麻原彰晃の弁護士二人が東京高裁から弁護士会宛『処置請求』された(産経)ということです。いずれも弁護士としての職責を全うしていない点で「大問題」と考えます。
杉浦氏は、法務大臣就任直後『私はサインしない。』と明言し『心の問題、哲学の問題』などと説明した後、一時間後に撤回したが、法務大臣を辞めるまで死刑に署名をしなかったのですから、その撤回は『大嘘』であったことになります。
結局法務省の事務当局(殆ど検事)と任期最終盤まで攻防を続け、最後には『自分で記録をよむ』と言い出しキャビネット一つ分ある書類を大臣室に持ち込ませたものの、どうせ読めっこないはずですから、法務大臣としては、とんでもない無能でしかないことになります。
現代社会で発生する凶悪犯、厳重処罰を求める被害者の感情、慎重な審理(必要以上に手間暇かけ)を繰返した結果である「死刑判決」を無視し、自分が神であるかのように「自分で記録をよむ」などと放言(それまで正当な手続きを経た、裁判官・検事・弁護士の論戦・判断を信用していない)することは、「法治主義」を理解していないだけでなく、無能大臣の『不作為の独裁』としか形容ができません。
自ら門徒である浄土真宗大谷派の幹部からも「執行拒否の信念を貫くように」と激励されたと報道されていますが、死刑囚の引起こした凶悪犯罪を具体的に理解・認識できていれば、そのような法を無視する「激励」などもできないはずです。杉浦法務大臣も自分の哲学を国家社会の中で貫こうとするなら一時間後に「撤回」するのでなく、一時間後に「辞職」すれば良かったのです。杉浦法「無」大臣だったのです。因みに9月15日現在未執行の確定者は89人だそうです。
次は、高等裁判所へ控訴趣意書を提出しないで、麻原の死刑を確定させてしまった松下(仙台)弁護士と松井(東京第二)に対して東京高裁がそれぞれの弁護士会に「措置請求」(懲戒を求める請求)をしたことです。
控訴趣意書とは、第一審の裁判について不服がある場合、その不満な点を高等裁判所に提出して、審理を求める争点を明らかにしようと言うものです。期限を定めなければ、裁判が徒に長期化しますので、裁判所は何時までに提出せよといってきます。今回の二人の弁護士は提出期限の延長を申し入れ、17年1月の期限が8月まで延長されたものの期限内に趣意書を提出せず、麻原の精神鑑定をめぐる駆け引きの材料にしたというのですから、これまた大問題です。
麻原の裁判は、日本だけでなく国際的にも関心を持たれていたはずの裁判ですから、結論は分かっていても全ての手続きを迅速にする必要があったはずです。
控訴趣意書だって、一度延期され、次いで場合によって控訴趣意書の補充書だって提出できるでしょうから、二人の弁護士はとんでもない、これも独善的不作為といえるものです。
今後二人の処分はそれぞれの弁護士会が弁護士会の「自治権」に基づいて決定されるのですが、厳罰に処すべきと思います。いい加減な処分をして弁護士会が世論から浮いてしまうようでは弁護士会自身の自治など社会的に認容されなくなります。話がそれますが、母子殺しの最高裁で欠席し、社会から批判されている弁護士もいます。
弁護士会は、何かと言うと反権力がかっこいいと考えている節もありますが、弁護士会も結局は国家権力の一部(法治国家の一部)を構成していると考えますので、社会から遊離しては自治権の濫用となり、最後には「自治権」も取り上げられてしまうでしょう。
私は、弁護士3000人増員時代は、ある意味で権力が『弁護士会の自治権』を潰しにかかっていると考えているのです。毎年、3000人もの合格者を出してくれば、俺は独力で試験に合格したのだ、弁護士の社会的役割など糞喰らえ、と自分勝手で銭儲けしか考えない不埒者が多くなり、弁護士会の統制などできなくなります。
弁護士会が会員の統率を取れなくなり、適切な処分もできなくなって国民の信頼を失えば、その後弁護士会は法務省ないしは最高裁判所の統制下に入ります。
今のJR、昔の国労が自暴自棄にスト権ストなどと銘打って一週間のストライキを決行し、国民の信頼を失った後は、ご承知のように『自己規制できない連中に権利はいらない』とばかり、国鉄は分割民営化され、国労は完全に影響力を失いました。その結果わが国では、労働者派遣法はじめ、低賃金・長時間労働などで労働分配率も悪くなり、ひいては国の経済全体も不景気から脱出できませんし、国民の二極化が進み、差別化が進行しています。
話が飛躍しているようですが、結局弁護士会も社会全体の中で、時代時代の国民意識を認識しながら、全体的なバランスをとりながら自らの自治権を正当に行使する必要があります。その意味で弁護士会も社会の様々な団体からの批判を受け入れ、常に裸の王様にならないように意識しなければなりません。控訴趣意書も出せない、ルール無視の「アホ弁護士」に対する『弁護士会の不作為』は許せません。
杉浦氏は、法務大臣就任直後『私はサインしない。』と明言し『心の問題、哲学の問題』などと説明した後、一時間後に撤回したが、法務大臣を辞めるまで死刑に署名をしなかったのですから、その撤回は『大嘘』であったことになります。
結局法務省の事務当局(殆ど検事)と任期最終盤まで攻防を続け、最後には『自分で記録をよむ』と言い出しキャビネット一つ分ある書類を大臣室に持ち込ませたものの、どうせ読めっこないはずですから、法務大臣としては、とんでもない無能でしかないことになります。
現代社会で発生する凶悪犯、厳重処罰を求める被害者の感情、慎重な審理(必要以上に手間暇かけ)を繰返した結果である「死刑判決」を無視し、自分が神であるかのように「自分で記録をよむ」などと放言(それまで正当な手続きを経た、裁判官・検事・弁護士の論戦・判断を信用していない)することは、「法治主義」を理解していないだけでなく、無能大臣の『不作為の独裁』としか形容ができません。
自ら門徒である浄土真宗大谷派の幹部からも「執行拒否の信念を貫くように」と激励されたと報道されていますが、死刑囚の引起こした凶悪犯罪を具体的に理解・認識できていれば、そのような法を無視する「激励」などもできないはずです。杉浦法務大臣も自分の哲学を国家社会の中で貫こうとするなら一時間後に「撤回」するのでなく、一時間後に「辞職」すれば良かったのです。杉浦法「無」大臣だったのです。因みに9月15日現在未執行の確定者は89人だそうです。
次は、高等裁判所へ控訴趣意書を提出しないで、麻原の死刑を確定させてしまった松下(仙台)弁護士と松井(東京第二)に対して東京高裁がそれぞれの弁護士会に「措置請求」(懲戒を求める請求)をしたことです。
控訴趣意書とは、第一審の裁判について不服がある場合、その不満な点を高等裁判所に提出して、審理を求める争点を明らかにしようと言うものです。期限を定めなければ、裁判が徒に長期化しますので、裁判所は何時までに提出せよといってきます。今回の二人の弁護士は提出期限の延長を申し入れ、17年1月の期限が8月まで延長されたものの期限内に趣意書を提出せず、麻原の精神鑑定をめぐる駆け引きの材料にしたというのですから、これまた大問題です。
麻原の裁判は、日本だけでなく国際的にも関心を持たれていたはずの裁判ですから、結論は分かっていても全ての手続きを迅速にする必要があったはずです。
控訴趣意書だって、一度延期され、次いで場合によって控訴趣意書の補充書だって提出できるでしょうから、二人の弁護士はとんでもない、これも独善的不作為といえるものです。
今後二人の処分はそれぞれの弁護士会が弁護士会の「自治権」に基づいて決定されるのですが、厳罰に処すべきと思います。いい加減な処分をして弁護士会が世論から浮いてしまうようでは弁護士会自身の自治など社会的に認容されなくなります。話がそれますが、母子殺しの最高裁で欠席し、社会から批判されている弁護士もいます。
弁護士会は、何かと言うと反権力がかっこいいと考えている節もありますが、弁護士会も結局は国家権力の一部(法治国家の一部)を構成していると考えますので、社会から遊離しては自治権の濫用となり、最後には「自治権」も取り上げられてしまうでしょう。
私は、弁護士3000人増員時代は、ある意味で権力が『弁護士会の自治権』を潰しにかかっていると考えているのです。毎年、3000人もの合格者を出してくれば、俺は独力で試験に合格したのだ、弁護士の社会的役割など糞喰らえ、と自分勝手で銭儲けしか考えない不埒者が多くなり、弁護士会の統制などできなくなります。
弁護士会が会員の統率を取れなくなり、適切な処分もできなくなって国民の信頼を失えば、その後弁護士会は法務省ないしは最高裁判所の統制下に入ります。
今のJR、昔の国労が自暴自棄にスト権ストなどと銘打って一週間のストライキを決行し、国民の信頼を失った後は、ご承知のように『自己規制できない連中に権利はいらない』とばかり、国鉄は分割民営化され、国労は完全に影響力を失いました。その結果わが国では、労働者派遣法はじめ、低賃金・長時間労働などで労働分配率も悪くなり、ひいては国の経済全体も不景気から脱出できませんし、国民の二極化が進み、差別化が進行しています。
話が飛躍しているようですが、結局弁護士会も社会全体の中で、時代時代の国民意識を認識しながら、全体的なバランスをとりながら自らの自治権を正当に行使する必要があります。その意味で弁護士会も社会の様々な団体からの批判を受け入れ、常に裸の王様にならないように意識しなければなりません。控訴趣意書も出せない、ルール無視の「アホ弁護士」に対する『弁護士会の不作為』は許せません。
2006年09月22日
新司法試験制度・杞憂?
21日、新司法試験での合格者が1009人と発表されました。大学法学部を卒業後法科大学院で二年コース修了者2125人中、2091人が受験し、短答式合格者1684人の論文試験を採点して最終合格が決まりました。
来年からは他学部卒の三年コース修了者も参加することになり、受験者は最大7000人程度になり、合格者は1800〜2200人程度で合格率は3割程度に落ち込むと予想されているようです。
さらに20年度は、来年の不合格者約5000人と法科大学院の修了者が5000人とすると合格率は2割以下に落ち込むことになるでしょう。
大学別に見ると中央大学が東大を11人上回り131人が合格しています。しかし合格率は54%であり、東大の70%、一橋の83%大きく下回っています。結果を見てびっくりしたのが早稲田の12人(63%)です。慶応の104人(63%)と比べるとその凋落ぶりが目に付きます。(なお、早稲田は三年コースが主力問うことです。来年は逆に飛躍するでしょう25日追加)昔は相手にならなかった法政23人(37%)、弟分のような存在であった明治43人(45%)と比べても早稲田の不甲斐なさが目に付きました。「弟分」で思い出したのですが・・
昭和の終わりころ、私がまだ受験生のとき、論文合格者で口述試験のゼミをしていたときの話です。現在裁判官をしている早稲田出身のK君、明治卒のM君に対し「明治の学生は、ジャージのMのマークを逆さまにしてWにしているんだよ」と明治出身であることを馬鹿にし、また当時『♪チョコ♪レート、♪チョコレート、♪チョコレートは明ぃ~治♪』と言うコマーシャル・ソングを、人差し指を耳のところで回しながら『♪ちょっとコーレ、♪ちょっとコーレ、♪ちょっとこれは、明ぃ~治♪』と、冗談でしょうが、早稲田の優位性を印象付けるために明治を馬鹿にすることで満足していました。
逆に東大出のUとかTVに出ていたW弁護士などには、何も反論もせず、唯一『僕の高校(浦和)の校章は銀杏の葉が二枚(東大は一枚らしい)』などと自慢していましたね。
出身大学によって冗談とはいえ、人を馬鹿にした言動は、簡単に忘れられるものではありませんでした。人の能力を出身大学で判断しようとする重大な欠点がその後克服されている事を願っているのですが、どうなったでしょうかね。今の日本、色々なところで理想と現実がかけ離れていることは明らかで、また今後も続くであろう大学別の司法試験合格者のランキングは熾烈な争いとなるでしょう。
厳しい条件をクリアーして大学院を設置したものの一人の合格者もいなかった京都産業、神戸学院、東海、姫路独協の四大学は存亡の危機でしょうし、一人しか合格していない大学も金沢、関東学院、熊本、久留米、国学院、駒沢、島根の七大学あり、これらの大学も来年はどうなるか分かりません。また東大でも50人、中央108人、慶応60人が不合格です。全体では1114人が不合格となっています。
新試験制度は受験テクニックに優れても、人格的に問題がある人をできる限り合格させないようにしようとの思惑もあるでしょうが、大学自体が存亡の危機にさらされ、しかも受験生自身も大学院終了後5年間に3回しか受験できませんから大学院生はもとより不合格となった人のプレッシャーは想像を絶するものがあります。
最高の教育機関であるはずの法科大学院も、今後一人でも多くの合格者を出そうとして、これまでの受験制度の下で否定されてきた受験テクニックの「教育」を進めるであろうことは明らか(?)でしょうね。試験制度をどんなに、いじくっても中国の科挙の試験で様々な弊害(内容は知りません)があったように、試験制度で立派な人材を教育できると考えるほうが無理と言うものでしょう。今の国家公務員制度だって結局一回きりの試験で、ほぼ一生が決まるのですから、試験制度を変えることによって物事の根本を正すことはできないと考えるほうが無難でしょう。
現実問題として、新しい試験制度は、わが国の法曹界を国民の要望にこたえられるようにするために、法曹を目指す若者に優れた教育を行おうとする大学と自ら法曹になり充実した人生を送ろうと考える若者の双方に強烈なプレッシャーを加え続けることになり、結局これからの法科大学院制度が本当に社会的正義を貫徹できる法曹を排出できるか、大変な問題でしょう。
アメリカでは、ロースクールを出た人は法律の専門家として広く社会で活躍の場があると聞いていますが、日本では、本当はもっと日常生活での法的知識が必要であるにもかかわらず、未だ社会は広く法律を勉強した人を必要とする実体が感じられない、社会的矛盾があると思います。
結局、具体的に社会から法曹の需要がないところにアメリカ式のロースクールを模倣して法曹の増大を図っても「お隣のうるさい法律家」が増えるだけになりはしないか、何でもかんでも法律だ、権利だ、人権侵害だと騒ぎ立てる「権利の乱用者」が多くなりはしないか。私が心配する必要もないでしょうが、心配です。
長くなりますが、先日弁護士会の委員会では、来るべき3000人(の弁護士過剰)時代に対し、弁護士の業務拡大をどのように図るべきか、全国の弁護士が議論を始めています。これまで国選弁護人が付かなかった被疑者国選弁護制度も発足し、これで被疑者を人権侵害から守ろうとするのですが、犯人によって被害を受けた被害者はどうするのか、殺されてしまった被害者の無念さをどのように考えるのか、冤罪は絶対いけないのですが、大変難しい問題があります。
司法試験に合格した人たちの仕事の心配をしているくらいですから、法科大学院を出て試験をパスできなかった人たちの心配までできないですかね。特に、社会人となってから、法科大学院に進学したものの不合格となった人もたくさんでるでしょうから、今後五年以内(三回受験)にこの試験で合格者できず、人生を棒に振る人々が多くなりはしないか、心配です。
来年からは他学部卒の三年コース修了者も参加することになり、受験者は最大7000人程度になり、合格者は1800〜2200人程度で合格率は3割程度に落ち込むと予想されているようです。
さらに20年度は、来年の不合格者約5000人と法科大学院の修了者が5000人とすると合格率は2割以下に落ち込むことになるでしょう。
大学別に見ると中央大学が東大を11人上回り131人が合格しています。しかし合格率は54%であり、東大の70%、一橋の83%大きく下回っています。結果を見てびっくりしたのが早稲田の12人(63%)です。慶応の104人(63%)と比べるとその凋落ぶりが目に付きます。(なお、早稲田は三年コースが主力問うことです。来年は逆に飛躍するでしょう25日追加)昔は相手にならなかった法政23人(37%)、弟分のような存在であった明治43人(45%)と比べても早稲田の不甲斐なさが目に付きました。「弟分」で思い出したのですが・・
昭和の終わりころ、私がまだ受験生のとき、論文合格者で口述試験のゼミをしていたときの話です。現在裁判官をしている早稲田出身のK君、明治卒のM君に対し「明治の学生は、ジャージのMのマークを逆さまにしてWにしているんだよ」と明治出身であることを馬鹿にし、また当時『♪チョコ♪レート、♪チョコレート、♪チョコレートは明ぃ~治♪』と言うコマーシャル・ソングを、人差し指を耳のところで回しながら『♪ちょっとコーレ、♪ちょっとコーレ、♪ちょっとこれは、明ぃ~治♪』と、冗談でしょうが、早稲田の優位性を印象付けるために明治を馬鹿にすることで満足していました。
逆に東大出のUとかTVに出ていたW弁護士などには、何も反論もせず、唯一『僕の高校(浦和)の校章は銀杏の葉が二枚(東大は一枚らしい)』などと自慢していましたね。
出身大学によって冗談とはいえ、人を馬鹿にした言動は、簡単に忘れられるものではありませんでした。人の能力を出身大学で判断しようとする重大な欠点がその後克服されている事を願っているのですが、どうなったでしょうかね。今の日本、色々なところで理想と現実がかけ離れていることは明らかで、また今後も続くであろう大学別の司法試験合格者のランキングは熾烈な争いとなるでしょう。
厳しい条件をクリアーして大学院を設置したものの一人の合格者もいなかった京都産業、神戸学院、東海、姫路独協の四大学は存亡の危機でしょうし、一人しか合格していない大学も金沢、関東学院、熊本、久留米、国学院、駒沢、島根の七大学あり、これらの大学も来年はどうなるか分かりません。また東大でも50人、中央108人、慶応60人が不合格です。全体では1114人が不合格となっています。
新試験制度は受験テクニックに優れても、人格的に問題がある人をできる限り合格させないようにしようとの思惑もあるでしょうが、大学自体が存亡の危機にさらされ、しかも受験生自身も大学院終了後5年間に3回しか受験できませんから大学院生はもとより不合格となった人のプレッシャーは想像を絶するものがあります。
最高の教育機関であるはずの法科大学院も、今後一人でも多くの合格者を出そうとして、これまでの受験制度の下で否定されてきた受験テクニックの「教育」を進めるであろうことは明らか(?)でしょうね。試験制度をどんなに、いじくっても中国の科挙の試験で様々な弊害(内容は知りません)があったように、試験制度で立派な人材を教育できると考えるほうが無理と言うものでしょう。今の国家公務員制度だって結局一回きりの試験で、ほぼ一生が決まるのですから、試験制度を変えることによって物事の根本を正すことはできないと考えるほうが無難でしょう。
現実問題として、新しい試験制度は、わが国の法曹界を国民の要望にこたえられるようにするために、法曹を目指す若者に優れた教育を行おうとする大学と自ら法曹になり充実した人生を送ろうと考える若者の双方に強烈なプレッシャーを加え続けることになり、結局これからの法科大学院制度が本当に社会的正義を貫徹できる法曹を排出できるか、大変な問題でしょう。
アメリカでは、ロースクールを出た人は法律の専門家として広く社会で活躍の場があると聞いていますが、日本では、本当はもっと日常生活での法的知識が必要であるにもかかわらず、未だ社会は広く法律を勉強した人を必要とする実体が感じられない、社会的矛盾があると思います。
結局、具体的に社会から法曹の需要がないところにアメリカ式のロースクールを模倣して法曹の増大を図っても「お隣のうるさい法律家」が増えるだけになりはしないか、何でもかんでも法律だ、権利だ、人権侵害だと騒ぎ立てる「権利の乱用者」が多くなりはしないか。私が心配する必要もないでしょうが、心配です。
長くなりますが、先日弁護士会の委員会では、来るべき3000人(の弁護士過剰)時代に対し、弁護士の業務拡大をどのように図るべきか、全国の弁護士が議論を始めています。これまで国選弁護人が付かなかった被疑者国選弁護制度も発足し、これで被疑者を人権侵害から守ろうとするのですが、犯人によって被害を受けた被害者はどうするのか、殺されてしまった被害者の無念さをどのように考えるのか、冤罪は絶対いけないのですが、大変難しい問題があります。
司法試験に合格した人たちの仕事の心配をしているくらいですから、法科大学院を出て試験をパスできなかった人たちの心配までできないですかね。特に、社会人となってから、法科大学院に進学したものの不合格となった人もたくさんでるでしょうから、今後五年以内(三回受験)にこの試験で合格者できず、人生を棒に振る人々が多くなりはしないか、心配です。
2006年07月03日
新検事総長の事後チェック
6月30日閣議で検事総長の人事の発表がありました。前東京高検検事長但木敬一氏の就任です。新聞で発表になった「後任」人事欄をみますと、興味深いものがあります。
新検事総長の移動に伴う後任人事は次ぎのようになります。東京高検検事長←最高検次長検事←広島高検検事長←法務事務次官←刑事局長←官房長←官房審議官←もっとドンドン下に繋がっていき、最後には何処かの平検事まで続くのでしょうね。
ところで、新検事総長のコメントは30日の就任会見をそれぞれの新聞記者が纏めたと思うのですが、朝日と産経の「ひと」欄で拝見しますと、最初の一文は『厳正公平不偏不党が検察の神髄。政治権力があろうとなかろうと検察の捜査をゆがめたら自殺行為。私は絶対にしません。』(産経)『国民の視座を座標軸に、心を開いた検察を実現したい。』(朝日)となっています。
また、終わりの方では『次の社会は国民参加型。システムを握る強者をチェックしないと国民が自己責任だけ負わされて救済されない』(産経)『司法は最後のとりで。国民が馬鹿を見ないようにルール違反には厳しく対処する』(朝日)となっています。
片方の情報よりも、ステレオタイプに話をきけば多少なりとも「立体的」に見えると思うのですが、朝日と産経を読んでもなかなか新検事総長の人柄とか今の司法を取り巻く問題点が「立体的」に見えてきません。
会見では朝日も産経の記者も同じ事を聞いているはずなのですが、新聞記者を通じて二つのコメントを比べ「同一人」の談話と看破するのは大変となっています。
刑事裁判では、ある人の話し(供述という)を聞いた人の話のことを「伝聞」といいます、この伝聞は基本的には証拠に出来ないのですが、聞く人の問題意識でこれほど本人の話の内容が違ってくるのですね。
結局、二つの記事を見ながら大胆に「会見」を予測しますと、最初に経歴、次に司法(弁護士)を目指したきっかけ、その後検察志望と変わった事由、37年間の検事人生での印象的事実(これは、朝日では弁護士増員問題、産経は現場意識の持続)現在の司法を取り巻く課題と進み、最後に検事総長としての今後の抱負というようなところが、その会見内容のようです。
多少共通があるところを敷衍しますと朝日の「国民が馬鹿を見ないようルール違反には厳しく対処」は産経の「自由競争社会に移り、事後チェックの役割が重大となった」と「強者をチェック」する必要性、即ち政治の積極性(先行)に比べ検察捜査(司法)の事後的機能に焦点を当てている点、朝日が「ゼネコン汚職、日歯連事件・・検察と政界の・・接点」というようにこれらの問題を「検察の政治性」という抽象的視点に論じているのを比べると、産経の記者のほうが多少なりとも具体的(事後チェック)であり力量があるようです。
私の感想を述べますと、検事総長が『・・庶民の法律上の問題を解決しているのは、結局暴力団になってしまっているじゃないか』(朝日)と20年前に発言したことと『自由競争社会の事後チェック』の何れも重要な事のようです。
司法が政治と異なるのは、司法は紛争が発生してマイナスとなったことを如何にゼロに近づけるか、ということですが、国民の自由を拡大すれば必ず「自由の濫用」が出てきますが、この濫用を事後的にきちんと正義に基づいて「解決」しないと最後は「悪い奴ほど良く眠る」という結果となってしまい、庶民は「弁護士より、ヤクザに頼め」となってしまいます。
手短に良いますと、仮に悪どく儲け、その結果沢山の債務を負担しても財産を隠してしまえば、刑務所に入れられても、その刑務所の1年は何億円もの財産的価値となることを許しているのが今の社会です。
「厳しくチェック」「強者をチェック」するなら、絶対やり得を許さない司法が必要なのです。そのための法制度は「財産を隠匿する自由」の制限ですが、この制限される自由というのは最初から庶民には関係ないですよね。犯罪者の財産とか、破産者の財産に関しては「名寄せ」で全国の預貯金・不動産、場合によっては近親者の財産増加の様子を見られるようにすれば、と思います。
最近、日銀総裁の妻の財産増加の様子が新聞に出ていましたが、あれを業務上横領・窃盗・詐欺などの犯罪者に適用し、またライブドア・村上ファンドなどの経済犯罪、破産者(真実破産なら正直にすれば良い)などにも拡大すればと考えます。
新検事総長の移動に伴う後任人事は次ぎのようになります。東京高検検事長←最高検次長検事←広島高検検事長←法務事務次官←刑事局長←官房長←官房審議官←もっとドンドン下に繋がっていき、最後には何処かの平検事まで続くのでしょうね。
ところで、新検事総長のコメントは30日の就任会見をそれぞれの新聞記者が纏めたと思うのですが、朝日と産経の「ひと」欄で拝見しますと、最初の一文は『厳正公平不偏不党が検察の神髄。政治権力があろうとなかろうと検察の捜査をゆがめたら自殺行為。私は絶対にしません。』(産経)『国民の視座を座標軸に、心を開いた検察を実現したい。』(朝日)となっています。
また、終わりの方では『次の社会は国民参加型。システムを握る強者をチェックしないと国民が自己責任だけ負わされて救済されない』(産経)『司法は最後のとりで。国民が馬鹿を見ないようにルール違反には厳しく対処する』(朝日)となっています。
片方の情報よりも、ステレオタイプに話をきけば多少なりとも「立体的」に見えると思うのですが、朝日と産経を読んでもなかなか新検事総長の人柄とか今の司法を取り巻く問題点が「立体的」に見えてきません。
会見では朝日も産経の記者も同じ事を聞いているはずなのですが、新聞記者を通じて二つのコメントを比べ「同一人」の談話と看破するのは大変となっています。
刑事裁判では、ある人の話し(供述という)を聞いた人の話のことを「伝聞」といいます、この伝聞は基本的には証拠に出来ないのですが、聞く人の問題意識でこれほど本人の話の内容が違ってくるのですね。
結局、二つの記事を見ながら大胆に「会見」を予測しますと、最初に経歴、次に司法(弁護士)を目指したきっかけ、その後検察志望と変わった事由、37年間の検事人生での印象的事実(これは、朝日では弁護士増員問題、産経は現場意識の持続)現在の司法を取り巻く課題と進み、最後に検事総長としての今後の抱負というようなところが、その会見内容のようです。
多少共通があるところを敷衍しますと朝日の「国民が馬鹿を見ないようルール違反には厳しく対処」は産経の「自由競争社会に移り、事後チェックの役割が重大となった」と「強者をチェック」する必要性、即ち政治の積極性(先行)に比べ検察捜査(司法)の事後的機能に焦点を当てている点、朝日が「ゼネコン汚職、日歯連事件・・検察と政界の・・接点」というようにこれらの問題を「検察の政治性」という抽象的視点に論じているのを比べると、産経の記者のほうが多少なりとも具体的(事後チェック)であり力量があるようです。
私の感想を述べますと、検事総長が『・・庶民の法律上の問題を解決しているのは、結局暴力団になってしまっているじゃないか』(朝日)と20年前に発言したことと『自由競争社会の事後チェック』の何れも重要な事のようです。
司法が政治と異なるのは、司法は紛争が発生してマイナスとなったことを如何にゼロに近づけるか、ということですが、国民の自由を拡大すれば必ず「自由の濫用」が出てきますが、この濫用を事後的にきちんと正義に基づいて「解決」しないと最後は「悪い奴ほど良く眠る」という結果となってしまい、庶民は「弁護士より、ヤクザに頼め」となってしまいます。
手短に良いますと、仮に悪どく儲け、その結果沢山の債務を負担しても財産を隠してしまえば、刑務所に入れられても、その刑務所の1年は何億円もの財産的価値となることを許しているのが今の社会です。
「厳しくチェック」「強者をチェック」するなら、絶対やり得を許さない司法が必要なのです。そのための法制度は「財産を隠匿する自由」の制限ですが、この制限される自由というのは最初から庶民には関係ないですよね。犯罪者の財産とか、破産者の財産に関しては「名寄せ」で全国の預貯金・不動産、場合によっては近親者の財産増加の様子を見られるようにすれば、と思います。
最近、日銀総裁の妻の財産増加の様子が新聞に出ていましたが、あれを業務上横領・窃盗・詐欺などの犯罪者に適用し、またライブドア・村上ファンドなどの経済犯罪、破産者(真実破産なら正直にすれば良い)などにも拡大すればと考えます。
2006年05月09日
「販売証明シール」悪魔の証明 「販売証明シール」悪魔の証明
万引きされた本が古書店に転売されることを防ぐため、福岡県警と福岡県書店商業組合が販売した本に「販売証明シール」を張る(ママ)制度を今夏に始めるそうで、シールは一枚一円で組合が負担し福岡県は990万円の予算を計上した(産経5月9日)。と言うことです。
導入の動機として「福岡県警少年課は『安易に行われがちな万引きは悪質な少年犯罪への入り口。シールの存在で万引きを防ぐことができれば』と期待をよせている。」と言っています。
しかし、書店での万引きを防ぐため販売した本に「販売シール」を貼ることがどうして万引きが防げるのか分りませんし、そもそもこの様に考えることには、犯罪とその発生原因に関する科学的検討およびわが国法制度の全体に対する無理解があります。
先ず、少年犯罪に関していえば、多くの誤った報道があります。典型的な事例としては「最近少年の犯罪が増加し凶暴化している」などとの報道でしょう。犯罪白書などの統計によれば必ずしも増加している傾向は見当たらず、昔から凶悪犯罪は社会の中に一定数発生し、特に最近になって凶暴化したとも言えないと思います。「凶暴化し増加」と感ずるのはワイドショーを先頭にしたマスコミによる過剰報道が原因でしょう。
次に「防犯」について考えますと、犯罪を防ぐには最初に犯罪の原因を明らかにしなければなりません。パンを盗もうとする人は多くが腹の空いている人でしょうし、腹も減っていないのにパンを盗むのは、パン屋に恨みがあるのか、面白半分か、善悪の区別のつかない人となるでしょう。
そこでパン泥棒を発生させないためには、犯罪者の側から見れば「腹を空かせない」「恨みをかわせない」「健全な遊びをさせる」「善悪の教育を施す」ことになるでしょうし、店の側の防犯として十分な監視をすることになります。
この様に犯罪を社会からなくすためには犯罪の原因の究明が不可欠であり、次にその原因を克服することが必要です。今回の「販売証明シール」は、シールのない本を「万引きの可能性がある」ということで古本屋が買い取りを拒否できるようにしようというもので、万引きそのものを直接防止しようと言うものではありません。「万引きの可能性のある本」は古本屋で買わないことにして間接的に万引きを防止しようと考えているものです。
しかも、万引きされた本がどれ位の割合で古本屋に持ち込まれるかも全く分からない状態で「シールの無い本は万引きされた可能性がある」と一定の判断を下そうとしているのです。
この様なアホナ制度が一般化するはずも無いでしょうが、仮にこの様な「販売シール」制度が存在していると考えた場合、これから福岡県に行く場合には一切本を持参できなくなります。「コミックや高額な写真集を中心に」シールを貼るそうですが、全ての書店で常にシールを貼ることも不可能でしょうし、「コミック」「高額な写真集」を中心にと言われてもシールを貼る対象となる本の範囲も不明確です。
結局、万引きされた本の所有権は常に書店にあり(一定の要件を備えて民法の適用がある場合を除き)次々に転売されても、その本を買った人が本の所有権を取得できませんから、古本屋に売れないことは当然としても、普通に本屋で購入した本でも「シールの無い本は万引きの可能性がある」と考えられてしまいます。この制度が社会全体に進むとなると、それはとてつもない怖い社会を連想できます。
シールの貼ってない本を持っていて警察官から「お前の所有権を証明しろ」と職務質問されたとき所有権を証明できる人がいますかね。僕が自分の書いた「喜怒哀楽」を持っていても誰かに売ってしまっている可能性もありますから「自分の所有権がある」とは完全には証明できません。
この様に、今の社会では総べての物の所有権を証明することは「悪魔の証明」といってある段階で法律によって所有権の推定をしなければできません。この様なわが国の法体系の中に「シールを貼ってない本は万引きの可能性がある」という制度を導入しようというのですから、その馬鹿さ加減がわかるというものです。
以上のとおりですから、福岡県の役人は何を考えているのでしょうか。「販売証明シール」の導入の動機である『安易な万引きが、悪質な少年犯罪への入り口』と考えるのはあまりにも『安易』に行われているようでこの様な馬鹿馬鹿しい制度はすぐ止めたほうが良いでしょう。
導入の動機として「福岡県警少年課は『安易に行われがちな万引きは悪質な少年犯罪への入り口。シールの存在で万引きを防ぐことができれば』と期待をよせている。」と言っています。
しかし、書店での万引きを防ぐため販売した本に「販売シール」を貼ることがどうして万引きが防げるのか分りませんし、そもそもこの様に考えることには、犯罪とその発生原因に関する科学的検討およびわが国法制度の全体に対する無理解があります。
先ず、少年犯罪に関していえば、多くの誤った報道があります。典型的な事例としては「最近少年の犯罪が増加し凶暴化している」などとの報道でしょう。犯罪白書などの統計によれば必ずしも増加している傾向は見当たらず、昔から凶悪犯罪は社会の中に一定数発生し、特に最近になって凶暴化したとも言えないと思います。「凶暴化し増加」と感ずるのはワイドショーを先頭にしたマスコミによる過剰報道が原因でしょう。
次に「防犯」について考えますと、犯罪を防ぐには最初に犯罪の原因を明らかにしなければなりません。パンを盗もうとする人は多くが腹の空いている人でしょうし、腹も減っていないのにパンを盗むのは、パン屋に恨みがあるのか、面白半分か、善悪の区別のつかない人となるでしょう。
そこでパン泥棒を発生させないためには、犯罪者の側から見れば「腹を空かせない」「恨みをかわせない」「健全な遊びをさせる」「善悪の教育を施す」ことになるでしょうし、店の側の防犯として十分な監視をすることになります。
この様に犯罪を社会からなくすためには犯罪の原因の究明が不可欠であり、次にその原因を克服することが必要です。今回の「販売証明シール」は、シールのない本を「万引きの可能性がある」ということで古本屋が買い取りを拒否できるようにしようというもので、万引きそのものを直接防止しようと言うものではありません。「万引きの可能性のある本」は古本屋で買わないことにして間接的に万引きを防止しようと考えているものです。
しかも、万引きされた本がどれ位の割合で古本屋に持ち込まれるかも全く分からない状態で「シールの無い本は万引きされた可能性がある」と一定の判断を下そうとしているのです。
この様なアホナ制度が一般化するはずも無いでしょうが、仮にこの様な「販売シール」制度が存在していると考えた場合、これから福岡県に行く場合には一切本を持参できなくなります。「コミックや高額な写真集を中心に」シールを貼るそうですが、全ての書店で常にシールを貼ることも不可能でしょうし、「コミック」「高額な写真集」を中心にと言われてもシールを貼る対象となる本の範囲も不明確です。
結局、万引きされた本の所有権は常に書店にあり(一定の要件を備えて民法の適用がある場合を除き)次々に転売されても、その本を買った人が本の所有権を取得できませんから、古本屋に売れないことは当然としても、普通に本屋で購入した本でも「シールの無い本は万引きの可能性がある」と考えられてしまいます。この制度が社会全体に進むとなると、それはとてつもない怖い社会を連想できます。
シールの貼ってない本を持っていて警察官から「お前の所有権を証明しろ」と職務質問されたとき所有権を証明できる人がいますかね。僕が自分の書いた「喜怒哀楽」を持っていても誰かに売ってしまっている可能性もありますから「自分の所有権がある」とは完全には証明できません。
この様に、今の社会では総べての物の所有権を証明することは「悪魔の証明」といってある段階で法律によって所有権の推定をしなければできません。この様なわが国の法体系の中に「シールを貼ってない本は万引きの可能性がある」という制度を導入しようというのですから、その馬鹿さ加減がわかるというものです。
以上のとおりですから、福岡県の役人は何を考えているのでしょうか。「販売証明シール」の導入の動機である『安易な万引きが、悪質な少年犯罪への入り口』と考えるのはあまりにも『安易』に行われているようでこの様な馬鹿馬鹿しい制度はすぐ止めたほうが良いでしょう。
2006年04月28日
堀江の保釈金と正義
ライブドア、ホリエモンは資本主義社会の中枢である証券市場を混乱に陥れ、政治権力にも劣らない現代のマスコミ関係者を驚愕させたニッポン放送株取得問題(フジテレビは400億円の損害を受けた)、さらに昨年の衆議院議員選挙立候補から派生した偽メール事件では平成18年度の国家予算審議を行う国会を空転させるなど、一時は「将来の宰相」とまで言われ、私自身「桶狭間の奇襲」と賛美してしまった堀江貴文が昨日保釈金3億円で保釈されました。
証券取引法違反ということですが、堀江のライブドアの粉飾決算とそれを利用して急成長から一転して転落したライブドアの社会に与えたダメージは未だに解決されていない多くの問題があります。
証券市場の混乱と信用回復は世界中から関心をもたれているでしょうが、国内に限ってもライブドア株の取得をさせられ退職金などを失った「投資家」の損害も計り知れないものと思います。
その一方で選挙に立候補した際は自分の用意できる金額は100億円とも豪語していたのですから、今後堀江に対する各種損害賠償事件を念頭に置けば、今回の保釈金は100億円程度としても好かったのではないかと思います。
堀江が100億円供託して保釈されたら、その保釈金をこれから行う損害賠償請求事件の担保として仮差押をしておけば多くの被害を被った人々がだいぶ救済されます。
最終的に堀江の資産をすべて「没収」するようにして一罰百戒を求めるのが将来の日本にとって有益考えますがいかがでしょか。
いずれにしてもわが国の司法はメリハリがなく、悪いことをした者に損害賠償を請求する被害者ないしは錦の御旗を持つ方が、篭城する悪党に上から石投げられ、汚物をかけられながら石垣を登り、城を攻めるという構図になっています。
犯罪をしても刑罰は軽いし、多くの詐欺などを働き10億、100億円と財産を形成した悪党は西部劇のガンマン、用心棒の様な「辣腕弁護士」を雇い、貧しい生活をしている被害者をせせら笑っています。ご承知のようにやみ金から稼いだ数百億円も結局暴力団の手に戻るような世の中です。
刑罰を重くして、民事でも懲罰的損害賠償制度を取入れ、犯罪手段で獲得した財産は仮に親族の手にあってもこれを没収して、二度と立ち上がれないように厳しくする必要があります。アメリカでは企業の粉飾などをすれば懲役20年に加え損害賠償も途方も無いものとなっています。正義は途轍もないほど峻厳でなければならないのです。
公認会計士、一級建築士、高級官僚、それに弁護士もかも知れませんが、社会的地位を有する者は法律を知り尽くしており、自分のしていることが法律違反で財産を築いていることが判っているのですから、それなりの厳しい責任を負担すべきです。
証券取引法違反ということですが、堀江のライブドアの粉飾決算とそれを利用して急成長から一転して転落したライブドアの社会に与えたダメージは未だに解決されていない多くの問題があります。
証券市場の混乱と信用回復は世界中から関心をもたれているでしょうが、国内に限ってもライブドア株の取得をさせられ退職金などを失った「投資家」の損害も計り知れないものと思います。
その一方で選挙に立候補した際は自分の用意できる金額は100億円とも豪語していたのですから、今後堀江に対する各種損害賠償事件を念頭に置けば、今回の保釈金は100億円程度としても好かったのではないかと思います。
堀江が100億円供託して保釈されたら、その保釈金をこれから行う損害賠償請求事件の担保として仮差押をしておけば多くの被害を被った人々がだいぶ救済されます。
最終的に堀江の資産をすべて「没収」するようにして一罰百戒を求めるのが将来の日本にとって有益考えますがいかがでしょか。
いずれにしてもわが国の司法はメリハリがなく、悪いことをした者に損害賠償を請求する被害者ないしは錦の御旗を持つ方が、篭城する悪党に上から石投げられ、汚物をかけられながら石垣を登り、城を攻めるという構図になっています。
犯罪をしても刑罰は軽いし、多くの詐欺などを働き10億、100億円と財産を形成した悪党は西部劇のガンマン、用心棒の様な「辣腕弁護士」を雇い、貧しい生活をしている被害者をせせら笑っています。ご承知のようにやみ金から稼いだ数百億円も結局暴力団の手に戻るような世の中です。
刑罰を重くして、民事でも懲罰的損害賠償制度を取入れ、犯罪手段で獲得した財産は仮に親族の手にあってもこれを没収して、二度と立ち上がれないように厳しくする必要があります。アメリカでは企業の粉飾などをすれば懲役20年に加え損害賠償も途方も無いものとなっています。正義は途轍もないほど峻厳でなければならないのです。
公認会計士、一級建築士、高級官僚、それに弁護士もかも知れませんが、社会的地位を有する者は法律を知り尽くしており、自分のしていることが法律違反で財産を築いていることが判っているのですから、それなりの厳しい責任を負担すべきです。