2008年01月28日

『安物買いの銭失い』

今年の年賀状に『安物買いの銭失い』を書いて、最後に『江戸庶民に習い、自分に投資を心がけます』、と結びました。市原市外の依頼者から『何度も何度も読みました。』と「お褒め」の言葉?を頂きましたので、おかしな話ですが。自分の文章に少し「解説」を加えます。

最後の「自分に投資とは」『貧しい中でもお金を貯めて(宵越しの金を持つ)旨いものを食べる、旅をする、芝居を見るというように「形に残らない使い方」、』(現在も好評?販売中!の「喜怒哀楽」166頁)ということでした。

ところが、『安物買いの銭失い』とは、少々難儀です。
先ず、この社会は言うまでもなく、全てのものが商品として流通する資本主義社会です。マルクスが「商品」概念を分析して、さらに資本主義社会の基礎を明らかにしました。

しかし、商品自体は、資本主義社会の成立前に社会に存在していましたが、資本主義社会になって商品の価値である「使用価値」と「交換価値」の違いが鮮明になって、この商品が「市場」で取引されてきますと、交換価値を求める商品生産者と使用価値を求める消費者の立場が異なってきます。

交換価値という「ゼニ」を追い求める生産者が、消費者の求める使用価値を意識の外(認識しない)に置きますとどうなるでしょうか。商品が本来もっているはずの使用価値は、尊重されなくなります。粗悪品を生産することになるのです。

典型的には例えば、ミートローフ社の「牛肉コロッケ」の牛肉は、豚肉でも少々腐った鶏肉でもひき肉にしてしまえば、消費者には解らないから『売れれば良いんだ』となり、消費者の求める使用価値を無視して、交換価値だけを求めることになります。その結果は、既に明らかですが、あの息子に諌められた「ボケ社長」曰く『消費者が値段の安いものばかり求めるからだ。』などという居直りを許す結果となります。

この様な、粗悪商品は、社会で認められませんから、消費者に危害を加える可能性のある食品規制とか、品質表示などの表示を義務付け、消費者の使用価値を満足させるように適切な商品の流通を考え様々な「規制」を加えることになるのです。

しかしですよ、社会(生産者:資本家)が規制緩和を求める方が「社会の発展につながる」などという理由で、大幅に規制を緩和しよう(これは、250年ほど昔のアダムスミスの言うように、資本主義社会では、全てのものが自由に市場で取引されれば、「最良の結果が得られる」という考え方を、再び始めることから「新自由主義」と言われる)との流れが強くなっています。

即ち、政府が必要な規制(監視)をやめて「規制緩和」を進めますと、「拝金主義」がまかり通り、ミートホープのようなコロッケが典型ですが、企業のあらゆる偽装問題がでてくる事になります。

「企業の偽装問題が明らかになり、とんでもないことだ」と単純に言いますと、『なんだ、それでは、バレない様にすれば良かったのか』などと反撃されますが、そうではなく、新自由主義的考え方は拝金主義に繋がり、社会の公正も法令順守もなくなるということです。

最近アズの里で売られている農産物も生産者の写真が入っていますが、あれなどは消費者の求める「使用価値」を意識しているかどうかは分かりませんが、生産者の責任の所在を明らかにして、生産者が交換価値だけを求めるのではなく、消費者の使用価値の満足を担保しているということでしょう。

結局、商品は、生産者が丹精込めて消費者の使用価値に応えるべく、生産されたものこそが消費者のためになるということです。「安物」とは単に売れれば良い、交換価値だけを求める粗悪品であるということです。自分の仕事に対し、社会のためにお役に立っているという満足感もなく、ただ単に売れれば良いと言う社会風潮こそが現在の大きな社会問題の根本にあります。そういう意味では生産者、消費者の社会連帯がなくなっているということです。

ガラクタを買って捨てる、ということではなく、江戸庶民のように生産者と消費者の顔が見える、商品の使用価値を十分意識した「職人の技」即ち真に価値(使用価値と交換価値)ある商品だけが「安物でない」証拠です。

価値のある、少々お高いものを買ってこれを大切に使いことこそ、富の蓄積もできるでしょう。ヨーロッパのアンティークなども「職人の技」の結晶であり親から子、子から孫へと引き継がれる「財産」なのではないでしょうか。
家だって、ローンが終わればガタガタでは子供たちでも「相続」なんてしたくないでしょうね。豊かさは蓄積されなくなってしまいます。
あのーですね、ものの考え方だって、親から子へ、子から孫へ伝わるんですよね。だから『これはやすかねーゾ。』ということです。
posted by やすかね at 12:00| 千葉 ☀| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする