この南市原ICに行く前に「南市原ギャラリーマップ」に掲載されている3箇所のGalleryを拝見しました。内心「おっ、」市原にもこんな文化的企画があったのかと感心しました。
無料のおいしい飲み放題のコーヒーをいただきながら、「屋根裏のあしあと」と題した人形作家の千葉惣次さんが蒐集された「がらくた」の展示を拝見しました。千葉先生によりますと、失われてゆく道具が捨てられる直前を蒐集の基準にしているということです。
本物のゴミにならなかった「民芸品」が一つの「作品」として存在し、そこに江戸時代からの日本人の生活が見えてくるようです。
ところで、当然のことですが私は、美術品に関しては全くの素人であり、今まででも、いわゆる有名な絵画にといわれるものは作者の思い入れが強すぎてどうも好きになれず、好きなものは、ご存知かどうか分かりませんが「ペンキ絵」といわれるものです。なぜこれが好きかというと、この様な大量生産するような絵は、作者の情念というか思いが感じられず見ていて飽きない、疲れない絵だからです。
日本の民芸では「先駆者」といわれる柳宗悦(むねよし)は美の基準としては「無」であり、作者の思い入れが強すぎるものは駄目だと言っていたと記憶しているのですが、私も柳のこの考え方が良いと思っています。
もう少し偉そうに言いますと、ピカソは90歳を過ぎた頃『やっと子供のような絵が描けるようになった』といっていたようです。子供の様に「無邪気」に変な感情移入のない作品こそ多くの人に受け入れられと思います。何事も自然、即ち「自ら然るべく」ある存在こそが大切と考えています。
など言うような相当「偉そーな」ことを考えながら、千葉先生の話を伺っていました。その後若干お話をする機会がありました。しかし、浅学の立場で、その道のプロと対等に話をすることもできませんので、断片的知識を拾い集め千葉先生と短い会話をしました。伺うところ、先生は先ごろNHKで報道された「美の壷」という番組で紹介された「まねき猫」に出演されたそうです。私も朝布団なかで横になりながら「まねき猫」を見たのですが、残念ながら番組のなかでの先生には全く記憶がありませんでした。
しかし、ギャラリーに展示してあるガラクタはどれも気取ったところもない、正に民芸の美の基準に合致するようなものばかりであり、先生の人柄に触れたように思います。
その後深沢先生の作品と水と彫刻の丘にも行きましたが、今日の一番の目的は地元協議会との懇談と千葉国の説明を伺うことでした。
とにかく、充実した一日でした。特にお昼に頂いた「おかだ食堂」の弁当は久しぶりに「冷や飯でも上手く食える飯」がでて、漬物と煮物だけでもおいしくいただけました。最近の米の作り方は、多分コンバインでの仕事がやり易いように、稲のことなど考えずに、早めに水を切って米を作るから旨くない米ができると考えているのですが、加茂地区を走るバスの中からすげ笠をかぶったお年寄りが歩いているのを見て、「まだまだ、昔の考え方で米を作っている人がいるから美味しい米ができるのかな」と考えました。
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