2025年10月31日

hate はて?お金って何でしょう。

後期高齢者になって二年目、だいぶ前から「老後の資金2000万円が必要」などといわれ、今は米が高い、何もかも高くなっています。安いのは葬儀費用をためる必要もない「500円で入れる生命保険」くらいのものですか。

《「自分の老後は自分で守れ」というメッセージが繰り返されるうちに、困っている誰かを助ける余裕がなくなっていく。子育て支援や福祉の議論でも、「自分の税金が他人に使われるのは不公平だ」という声が強まる。高齢者vs若者、子育て世帯vs独身世帯などの対立構造がそこかしこにみられる。協力よりも分断、共感よりも自己防衛。そんな空気が確実に濃くなっている。》(『一冊の本』11月号2025田中学)と「お金の不安」について本『お金の不安という幻想―一生働く時代で希望をつかむ8つの視点』が朝日新聞出版より発売中だそうです。ところで「お金」とは一体何なんでしょう。じっくり考えると「やっぱ必要なもの」なのでしょうか。

古代社会では大きな車輪のような石が「お金」だったし、江戸時代は全国の各藩が「藩札」を発行して信用不安になったこともあります。明治になると渋沢栄一が作った銀行だけでなく、全国の銀行でそれぞれ銀行券が発行され、最後は日本銀行だけが「日本銀行券」の発行ができるようになりました。一時は兌換紙幣でしたが、それもやめて政府の信用だけで通用する紙幣となり、ニクソンショックでドルと金の交換もできなくなりました。今ではどこの国も信用を与えることなくどこの会社が発行する仮想通貨も通用しています。価値が乱高下してうっかり買うと大損をしますし、棚ぼた式に大儲けをした人もいます。こうなってくるとお金の信用とは一体何だろうと改めて不思議になります。

現在では、徐々に現金を持ち歩く必要もなくなり、なんでもカードで決済されています。クレジットカードを出せば買い物も借金も消えます。その背後にはカード名義人の財産が裏付けとなっていますが、こうなってくると結局古代社会と同じく、でかくて重い石のお金を持つことなく、銀行預金さえあれば、「合意と信用」でなんでも買うことができます。石器時代では、石でできたお金の所有者が話し合いで決まり、信用が認められたのをみれば数千年の昔も今も規模は違うとしても「決済手段」は同じような感覚です。

結局お金は、将来他人に何かをしていただくための「元手」だということがわかりました。結局「老後の2000万円」は体の自由が利かなくなったとき誰かに手助けをして頂く手段ということです。とすればお金がなくとも将来自分の身の回りを見てくれる人がいる人はお金なんか必要ないのです。この原点をしっかりと見定めれば、お金の本質がわかるような気がします。

posted by やすかね at 14:41| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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