平和な平成も経過し、令和の幕開けのお祝いとして、GWも10日間の休日となりました。
ところで、憲法第1条は、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、」と定めています。日本という国は、領土があり、国民が生活し、民主主義を原理とする国家が対外的に独立し、統合された国民に対し、課税権と刑罰権を行使できる権力を行使しているのが日本国家です。
日本国民統合の象徴とは、どのように理解すればいいのでしょうか。「国民の統合」については、殆どの国民が目には見えないが、存在はしている、と観念しています。
この目には見えないが、現実に存在していると認識する考える方を「実念論」というようです。
イギリスには憲法がない、と言われますが、これは日本の様な成文憲法がないと言う事で、文章として書かれてはいないが、国民の認識として「現実に憲法がある」と言うことの様です。
人間と人間の間でも「愛情は存在する」と考えるでしょうが、愛情は目に見えません。愛情が確認できるのは、何か具体的な物(プレゼント)言葉(好きだ)あるいは、手を差し伸べてくれる時などに実感できるものです。
これに対し「果物」というのは存在せずに、具体的にリンゴ・みかんなどの集合したものが果物と呼ばれるにすぎない、と考えるのが(自信はありませんが)「唯名論」だそうです。
イギリス人と日本人は「実念論」で共通するようですが、「日本国民の統合」というのも「現実」に存在すると考え、この象徴が天皇である、と憲法は定めています。
目に見えないもの客観的に存在しないものが、この世にあるわけがない、と考える人は、未だ誰も見たことのない神の存在も信ずることができないでしょう。それは違う、「俺は神を見たことがある、俺が神だ」という人は少々危険ですが、それはともかく、我々日本人の感覚とすれば理解が難しいのですが、神を信じない人は、「神をも恐れないとんでもない奴だ」とやはり危険視されるようです。
人間の生命の限界を知り、世界(宇宙)をみれば、人知の及ばないことが沢山あり、そこに神の存在を考えた方が、人間謙虚になれそうです。
日本国民の統合の意味として、日本の領土の上で生活し、日本語を話し、というと少々問題が発生してしまいそうですが、「オリンピックでの日の丸掲揚と君が代が楽しみである。」程度で宜しいと言う事で、終わりとします。
最近知ったことですが、さざれ石とは貝殻などが混じった(様々な人の集まりの喩え)非常に脆い石と言う事の様で、この細石(さざれ石)がコケのむすまでの長い時間、日本国民の統合が続くことを詠ったのが君が代で、やんすかね。
2019年04月27日
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