2019年01月17日

おもしろ歴史

 本日の報道で、天皇即位の儀式の概要が決まったようです。憲法上の国事行為として執り行うようですが、秋篠宮殿下のご意見など考慮しているのでしょうか。天皇の権威でわが国が纏まっているなら、この権威を損なわないような形で内外に新天皇の即位式を示してほしいところです。
 
国の権威が損なわれると、群雄割拠の戦国時代となることは、古今東西一緒です。高校の世界史の参考書を見ますと、紀元前5世紀、中国語では春秋時代から戦国時代への時代が進展しました。
何故だろうと考えますと、周王室の権威があったときは、各地の豪族も周王室の錦の御旗で戦っていたのですが、王室の権威がなくなってくると、戦国時代になったようです。
 
わが国でも室町幕府の権威がなくなると、戦国時代に突入し、織田信長から豊臣秀吉、徳川家康と天下人が交代して、250年の平和が続きました。
 神君徳川家康は、江戸開発するために、当時東京湾に注いでいた利根川を銚子に流れるようにした、それ以来300年東京の都市開発が続いているとブログで書いた気もするのです。  
 利根川の話は、テレビでもドラマ化されたみたいですが、実際の家康は神君と言えるほどの能力のある偉人ではなかったようです。

 秦の始皇帝は細かい決裁書まで目を通し、若くして亡くなるまでに広大な国土を支配者した歴史上もっとも優秀な独裁者でした。そして権力者は最後には不老不死を願うようになるのですが、始皇帝はどうやら水銀中毒で若死にしたようです。水銀な赤くなったり、黒くなったり様々な化学変化をしても、最後には、また元の水銀としての性質を持つ、まさに不老不死の金属と考えられ、始皇帝はこの有害な水銀化合物を摂取して死亡したからです。
 一代で巨大な国家を作るほどの偉大な人物は、権力を一人で支配し、側近の知恵など不要だったのです。独裁者始皇帝が死んでも側近は育っていませんから、一代で秦は、滅んでしまいました。
 
家康はと言うと、どうも神君と言えるほどの器量はなかったようです。優れた合議制の側近が権力を支え、徳川の250年の平和が維持されたみたいです。ですから、利根川を銚子に流すなどと言う高度な土木技術を家康が持っていたとは考えられず、側近に優れた技術者を配置していたと考えるほうが合理的です。家康は信玄だけでなく信長にも秀吉にも頭が上がらず、戦も連戦連敗でしたが、最後に秀才三成が、知識だけでは各国武将を纏めることが出来なかった反射的効果で家康に天下が牡丹餅のように転がり込んできたのです。最後は、天ぷらを食いすぎて亡くなったようですね。しかも徳川幕府の大奥では鉛化合物の白粉で化粧をした乳母らに幼い将軍家のお世継ぎは授乳されていたので、征夷代将軍は、吉宗のように直系外でなければ、鉛中毒に侵されていたと言う事です。勿論側近が実際の権力を振るっていたのです。
 してみると、会社の社長もワンマンの凄腕社長が作った会社は、忠実な側近を育てておかないと二代目三代目で必ず、倒産です。魏の曹操も優秀でしたでしょうが、最後は軍師であった司馬氏に天下を奪われてしまいました。
 権力を持たない我々は、実に気楽なものですね。



posted by やすかね at 17:10| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。