2018年03月30日

日本人の過剰反応

日本人の過剰反応
今年の2月から、裁判所の所持品検査が始まりました。これは、いわゆる「過剰反応」の一類型ですかね。一つ事件が起きるとその原因を探求して再発防止(弁護士とか、裁判官などの不始末)を考えるのでなく、何が起きても裁判所には責任がないという制度が必要なのです。
官僚はすべてに無責任体質、国家賠償法などがその典型ですし、裁判官などは、相当アホナ判決を書いても何らの責任は取らされません。
また、破産事件などでは、管財人が責任を負う体制となっています。官僚の無責任体質、これが所持品検査を必要とする根本的考え方ですし、次は、官僚の天下り先の警備会社の仕事が成田の関係で減少したことがあると考えます。
しかし、どんな警備体制をとろうとしても、テロをふせぐことはできないでしょう、テロはあちらサンの都合ですから、テロを警戒しそれを防止するため四六時中、全国で防御する事は不可能だからです。
結局、人間社会ではいつ何時不幸が訪れるか、予測する事は難しいのですが、裁判所の所持品検査だけ(9時5時4人体制人件費だけで4千万円?)の警備体制をとったとして効果はどの程度あるのか検証のしようがありません。しかし、誰かが所持品検査は国民の身体の安全のため、必要だなどと誰かが言うと、それについての費用対効果などから、反対意見を言う事は難しくなります。「もし起きた時どうするのですか。責任を取れますか」などと再反論されれば、結局反対意見は言えなくなります。まして、自分の安全は自分で考えろ、などと言おうものなら袋叩きでしょう。
しかし、施設管理権から直ちにすべての人の手荷物を検査することは「こいつは悪人だ」という前提での検査ですから、人権侵害となることは当然です。この点空港での搭乗者全員がお互いの安全のための所持品検査とは一緒にできない大きな違いがあります。
とにかく、成田での過剰警備に膨大な国費をつかっても、空港の金網に車が突っ込んだりした「事件」もありましたが、あれだけの警備を取っていても全く無力でした。さすがに、21世紀になり成田空港の警備が不要となったところで、出来てしまった組織を解体することの政治的背景から、裁判所でのくだらない事件(どこかの裁判所で包丁をもった犯人がいたらしい)をきっかけにして今回の身体検査・所持品検査となっていると考えます。
平和・平和と言っても武器証人に対する規制がないのでは、世界から紛争がなくなりませんし、我が国でも戦前のように、誰かが「贅沢は敵だ」などといい始め、これがどんどんエスカレートしてくると「非国民」のレッテル張りが始まるかも知れません。コワイですね、怖いですね。


posted by やすかね at 18:12| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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