ところで、世界の大富豪ビルゲイツ(約9兆円の資産)、スチーブ・ジョブスらもADHDだと言われています。
有名な画家とか、発明家なども子供のときから周囲の人々を困らせていたようです。一度耳に入ったピアノ協奏曲を直ちに再現してしまう音楽家(モーツワルト)、六本木ヒルズの屋上で30分ほど360度の景色を見た後、部屋に一週間篭りっきりで、サインペンを使い、道路を走っている車、窓の開いているビルなどの状況を事細かく再現したパノラマの絵を描いたフランスの画家などもおります。
岡本太郎画伯も、たしか、ビートたけしのTV番組に出て、自分の食べたい魚を網ですくうと、調理人がそれを刺身にしてくれる生簀料理店でのことです。魚を網で取ることが面白い画伯は、生簀の中から何匹も何匹も網ですくってしまい、食べきれない刺身が出来上がってしまったのをTVで観た記憶があります。
そうすると、ADHDの人々は、人類の発展に不可欠な特別な能力を持っている、個性豊かな人間なのですね。日本では何でも画一的で外の人と同じでないとイジメにあい、仲間はずれにされているのが実体ですから、これらの「偉人」は、到底社会として受け入れることが出来ていません。
ところが、アメリカですと、ADHDの子供は(天からの)「贈り物」としてその特性に従って特別な教育をするそうです。我が国も不注意、多動性、衝動性など「一般人」に理解不能な人々は、素晴しい能力を持っているのではないでしょうか。
話しが少し変わりますが、100人が100人同じ意見を言うのであれば、99人の人は必要のない人ということでしょうかね。本当は昔から多数の人がそうだったのですが、適当な言葉が見つかりませんでしたが、それが最近「相対的」だと云うような人が多いのに気がつきました。「相対的」という概念にあてはまる人種が沢山いるということに気がついたところです。
何かについて、誰かが自分の意見を言うと、多くの人が「それもそうだけど、〇〇〇と言う人もいるよ」の類です。昔、大学の友人が、TVでこれが超能力だなどという胡散臭い番組を作っていたので、批判めいたことを言ったところ、超能力があるという人もいるし、そうでないと言う人もいるよ、いわれ呆れてしまいました。
この様に、自分に確たる意見・価値観・基準を持ち合わせていない人は、取り合えずその場を適当に取り繕い、自分が小数派になることを回避する事が多いですね。
裁判で、何でもかんでも文献・判例を引用して自分の解釈ができないまま、支離滅裂な主張を繰り返す弁護士と最近お手あわせしましたが、本当に、それで弁護士が勤まるのですか、と考えています。僕のように思ったことを話してしまう「性格」も受け入れ難い人が多いのでしょうね。しかし、原理原則は曲げられませんね。
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