当時、司法試験の合格率は、やっと2%でしたから、弁護士の世襲は、困難を極めていました。即ち、弁護士のご子息が司法試験に合格するのは、プロゴルファーの息子が同じくプロとして活躍する、あるいは、貴乃花・若乃花のように関取の息子が父親以上の関取になるなど、勝負の世界同様、世襲制は大変なことでした。
ところが、司法試験が難しすぎて、若者が司法試験を目指し、挙句の果て断念することとなれば、若者が将来を失うこととなるという親心(お節介)で、法曹界・法務省は、司法試験制度をいじくり始めました。中でも、若年合格者を増やそうとして成績が良くない人でも合格させてしまった「丙案」を悪評から7~8年でやめた後、法科大学院制度が始まりました。一時は、私も法科大学院は不要である、などと書きましたが、以下の通り撤回する必要があるか、当分は判りません。
要するに、3000人合格をスローガンに挙げ、法学部以外からも司法試験合格者を輩出させよう、合格率も高くしようと言うことで、法科大学院から合格者を輩出してきましたが、結局、3000人合格の前に、弁護士の大量増員から、弁護士の能力低下、収入源から社会的地位も低下し、今や弁護士業界は斜陽産業となってしまいました。
この様な中で、自分の娘が弁護士になり、同じ裁判所の建物内で仕事をしていることに感激して、それを年賀状で報告するなど、微笑ましいこともありましたが、最近は、年配弁護士がその資力にものを言わせて、子どもを法科大学院から弁護士資格を取得させることが容易になり、弁護士の業界も実力を問題としない世襲制になってきたようです。
これに関して2004年10月1日のブログ「喜怒哀楽」で「借金漬けの司法修習生の巻(アンファーな司法試験?)」と題して「司法試験は『資本試験』となり・・弱い立場を知りえる貧乏人には、這い上がる機会も完全に奪われてしまいそうです。」と指摘しましたが、まさにこれが実体となってきました。
しかしながら、ものは考えようで、自分も含め、子どもの教育をしっかりしさえすれば、自分が築き上げた顧問先などを世襲で継げるとなれば、法科大学院も悪くはありませんね。ですから、今回は、法科大学院バンザイと書きました。
結局、弁護士もインドの悪名高いカースト制度のように、自分の職業を子どもに伝えることができ、政治家・歌舞伎・芸能人同様、実力はともかく世襲できる、素晴しい制度ですね。
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