2007年05月01日

しばし、お休みです

最近ブログへのエネルギーが不足しています。特に6月の改選期を迎え、精神的余裕がありませんので、今日は全く「俗っぽい」ことを書いて選挙の終了するまで、暫らく休みますのでご了承下さい。それでは、稚拙なことを言って少々
(6月中旬ころ)まで休みます。

市民病院のドクター不足で病院の運営がおぼつかなくなっています。要するにこの医師不足には様々な理由があるでしょうが、要するに医師としては納得のできる仕事ができる環境ではないということでしょう。

以前は医師の国家試験に合格して2年間のインターンという修行時代があり、各大学の医局で国公立の医療機関に若い医師が派遣され、現場での腕を磨いていたいと思います。

しかし、資格を取得したのにさらに修行をしなくてはならないというのでは、そもそも資格試験の制度に矛盾するでしょうし、自分の希望しない医療機関では十分な技術を取得できないとの不満もあったと考えます。その外にも様々な理由が存在するのでしょうが、部外者には分からないことが多すぎます。

いずれにしても、現代は社会のあらゆる場面に大きな矛盾が存在している事と無関係ではないと思います。

事故に遭い困ったときのために保険をかけていてもいざ事故が発生してもなかなか保険会社が保険金を支払わない、社会保険庁は年金を支払うのが仕事であるはずなのに日本全国に無駄遣いの極みの様な施設を作って国民の保険金を湯水のごとく無駄にしていた、関東地方くらいの地域がいっぺんに住めなくなるような事故の発生する可能性のある原子力発電所で数十年にわたり危険な法令違反を繰り返していた事実、日銀総裁が株取引に投資をしていた、また詐欺グループが社会的弱者から虎の子の生活資金を騙し取るなど、社会のあらゆる場面に正義に反する事が蔓延しています。

その様な中での医師の立場を考えてみれば、人間の体など何時急変するか分からないものであるにもかかわらず、患者が死亡したりすれば直ぐ医療過誤訴訟を起され、当時の医療水準を維持していなければ裁判で高額の慰謝料を請求される事になります。そうなれば日常的に医師と患者の信頼関係が無いところでは、仮に医師はこの患者に必要な治療を施そうとしても完璧に処置をしなければ何時裁判所から呼び出しがあるかも分かりませんので、結局本当は何割かの確率で救命できたかも分からない患者でも積極的に患者を救ってみようという治療はしなくなってしまいます。

毎日の生活が食べるにやっとという人でなければ、多くの人が自分の仕事に生きがいを感じているはずですから、単なる給料の多寡では仕事をしないはずです。また失敗は成功の基といいますが、大過なく治療をしておけば、仮に患者が死亡しても責任は取られないであろうという後ろ向きの治療しかできません。この様な社会では新しいものにチャレンジして医療技術を進歩させることもできませんし、医師としても仕事に生きがいを感じられないことになります。

同様のことは学校の先生でも同様ですし、社会のあらゆるところで同じことが言えます。苦労して新しい事をしても仮に失敗すれば責任を取らされるのでは新しい事をするな、社会進歩などということは考えるなとなってしまいます。


posted by やすかね at 16:34| 千葉 ☔| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする