まず、上村先生は、失敗の原因として、法科大学院構想の際に強調された法化社会の到来という新しい時代への認識と(法科大学院に)司法研修所の代替機能を持たせようという実務重視の発想との矛盾がある、そうです。
またもう一つの矛盾として、こちらは、もう少し難解ですが、法化社会の到来が、金融・資本市場および公開会社法制のあり方が変化し、旧大蔵省の護送船団方式からルール型・市場型・事後型の発想に転換したという認識を中核としている。
即ち、金融資本市場が自由競争ではなく、大蔵省の政策に沿って我が国の金融市場・株式会社が運営されていた旧時代から、高度に発展した資本主義社会のこれからは、ルールを作り、その中での自由競争をすべきで、ルール違反は事後的に処分する法化社会になった、と認識したのであるなら、新しい時代の論理を身につけた法曹育成、本格的な研究者と共に、法科大学院構想を推進すべきであった。
また若干言い換えますと、証券不正・会社不正(この連中は、厳しく処罰すべき)などの事態に備え、時々刻々と変化しうるような規制の実現こそが優先課題であるが、もともと司法研修所では、企業法制や経済法制は基本的に教えていなかったところに、法科大学院に司法研修所の実務代替機能を持たせたがゆえに、法科大学院でも、本格的研究者の養成が蔑ろにされた。法科大学院では新しい時代の論理を身につけた本格的研究者の養成が推進されるべきであった。
以上の点が、法科大学院構想に法化社会の到来と司法研修所の代替機能を持たせようとした矛盾である。(以上、矛盾点は、一つのようですが)
上村先生の危機感として、法化社会の到来にもかかわらず、現代の資本主義社会を支えている公開会社制度とこの会社法、金融商品取引法についての養成が不足しているだけでなく、世界中で最も重要な有価証券報告書を学ばない法曹が日々、生産されている。これらが背景となって法科大学院が撤退を余儀なくされている、とのことですが・・・法科大学院構想の破綻は、そんな高尚な話でもないと思います。
そもそも、法科大学院構想などというものは、アメリカから日本政府に毎年出されている『年次改革要望書』にもあるでしょうが、アメリカに留学した連中が、アメリカの法学教育の形だけを真似して、とにかく、司法試験は難しすぎる、弁護士を増やそう、その理由として、何らの根拠もなく、これからの社会は法的需要が増大するのだ、などと強引に進めた結果と考えます。
法化社会の認識から法科大学院構想の制度設計をした、などという高度な論理など最初から存在しなかったのでしょう。その結果、法科大学院の志望者が激減する一方、司法試験予備試験の受験正が増加しています。大手の法律事務所・企業も予備試験からの合格者を歓迎しているそうです。
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