2014年06月24日

戦国時代、関東はスペイン領?

日本代表チームは、ワールドカップ予選通過を掛け、明日早朝コロンビアと対戦しますが、今日のニュースでは、強豪スペインが予選敗退、開催国ブラジルは予選第1位で決勝トーナメントに進むことが決まったようです。
ところで、南米の国々は、スペイン語を公用語とする国が多いと思いますが、どうしてブラジルはポルトガル語なんでしょうかね。

つまらない疑問に対して「それはポルトガルの植民地だったからだよ。」と言われてしまったのですが、とても長い国境を接するチリなどがスペイン語であり、ポルトガルとスペインの紛争がなかったのかと次なる疑問が発生しました。

実は、1494年ポルトガルとスペインは、トルデシラス協定(取るで、知らず協定)を成立させ西経46度の子午線の東をポルトガル、西をスペイン領との取り決めをしたそうです。
両国は、他の国々が知らない間に、両国で地球上の何処をどっちが取るのか、分配していたのですね。そして、この46度線は、ブラジルを通っていたので、南北アメリカでブラジルだけがポルトガル領になったということのようです。

また、この両国は、今度は、太平洋の領有権をめぐって争いとなり、1529年サラゴサ条約で東経134度の西をポルトガル領と決めたようです。134度の子午線は岡山県あたりを通過しているので、当時の世界の取り決めで、関東は、スペイン領となっていたようです。この様な事はツユ知らず、戦国武将は天下統一を目指して争っていたのです。

ともあれ、1543年ポルトガルの船が種子島に漂着しているのは、ポルトガルがあわよくば日本を植民地にしようとしており、これは、当時の「世界史」の必然だったようです。

当時の植民地では、原住民は奴隷にされ、エスパニョーラ(ハイチ島)での過酷な支配から1509年の4万人にの人口が10年後には僅か1000人のインディオしか生きていられなかったようで、スペインは、その他マヤ文明、アステカ帝国、インカ帝国を絶滅させ、1521年から1660年までスペインに金200トン、銀1万8千トンを持ち込み、その後のヨーロッパ繁栄の礎を作ったようです。
マルコポーロの東方見聞録は、肉食のヨーロッパ人の欲望を掻き立てたのでしょう。(三笠書房『世界の歴史がわかる本』を参照しました。)

posted by やすかね at 14:30| 千葉 ☔| Comment(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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