2013年07月26日

天職とは、なんでしょう

前々から、自分で「戦う弁護士」などと言う通り、自分の正義感を追及して依頼者から報酬を頂きながら「ありがとうございます。」と感謝される仕事は、そうザラにあるものでもありません。そこで、弁護士(業)は、自分の気質にあい、自分の『天職』と考えていました。

しかし、上の「正義」「報酬」「感謝」「気質」などの単語を当てはめて、自分の仕事が天職であるなら、世の多くの仕事が『天職』から外れてしまうのです。
逆説的表現で「職業に貴賎はない」と言いますが、現実として様々な職業に貴賎がありますから、この天職と貴賎を合わせ考えますと、「弁護士が天職である。」とは、「自分は、貴い職業を営む社会のエリートだ」と自己満足に陥っていることに間違いありません。

しかし、知りませんでしたね。天職(Beruf)は、ルターの革新的思想によって根拠付けられたようです。天職は、神が人間に与えた任務と言う意味で、靴屋、農民、軍人など世俗の職業すべてを含みます。その結果、聖職者の存在は必要なくなり、神父や貴族、王様が特に偉いわけでもない、これが天職という考え方で「世俗の職業は、みんな神聖なものだ」と考えたことで、市民や平等の考え方が起こり、封建的な意識が革命的に転換しました。(『世界がわかる宗教社会学入門』ちくま文庫104頁)

また、ルターは、隣人愛の思想から国家権力が刑罰権を持つことを根拠付けることにも成功したようです。
無秩序社会である、万人が万人と闘争している状態では、自分と家族の生命財産は、自分で守れ(自力救済)なければなりません。江戸時代でも、あだ討ちは合法ですし、中央アジアの世界では、自分の祖先が殺された場合は、7代遡って記憶しておいて復讐する義務があるそうです。アメリカも武器を持つ自由は、憲法上与えられている権利です。考えてみれば刀狩をした秀吉よりも「遅れている」のがアメリカ社会です。ガンマンのお国柄ですからね。
この様に自力救済を国家が禁ずるのは、実は大変なことなのです。そこで、ルターは、国家だけが武力(刑罰権:暴力装置)を持つ正当性を根拠付ける理屈を考えたのです。人殺しは本来許されませんが、これを職業とする軍人も『天職』であり、それは悪い職業ではないそうです。なぜなら迫害されている人がいた場合、駆けつけて制裁を加えるのが隣人愛の発露だからだそうです。ナルホドネ。

原理原則から色々論理を展開して、国家権力が行使する暴力も正当化する、これが宗教のすごいところです。ところが、日本人は、武力を持つ権力者から『今日から、百姓が刀を持つことを禁止する。』といわれれば、何となく刀を持つことをやめます。明治になって政府が『これから士農工商の身分制度はやめる。』とお触れが出れば士農工商はなくなってしまいました。これがインドのカースト制度ですと絶対こんなに簡単に身分制度はなくなりません。
この様に、私達を含め、世界の人々は、未だに過去の因習、宗教から様々なことを考え、実践しているのが、実態でしょう。
そうしますと、海外で私達が『私は、無信教です。』などと言いますと「こいつは、神から見放された人間だ」と相手にされなくなります。ご注意を!

posted by やすかね at 10:04| 千葉 🌁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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