2013年05月25日

司法制度改革の結果

司法制度改革失敗の原因

今回は、法務省などの狙い通り、国民のための司法改革となったのか、同時に弁護士の仕事がどのように変化したのか、さらに、既に結論がでた司法改革の原因など、言いたい事を書き綴って見ます。

大幅収入減の弁護士
2013年5月19日、NHKは奨学金の滞納の特集を組んでいましたが、実は、2004年10月1日ブログ(喜怒哀楽)で『借金漬けの司法修習生』と題して、これからの法曹が、経済的に大変になるということを書きました。実は、このときの心配事が、弁護士の世界で現実となっていますので、最近のデータでご紹介します。

5月9日、毎日新聞は「弁護士も格差拡大」の記事で、平成11年の所得(経費を除く、サラリーマンの手取程度)100万以下が22%に増加し(8年12%、9年20%)、500万円以下も19%、計4割以上の弁護士の所得が500万円以下と報道しています。

弁護士は、昔から社会のエリーとして、その品位を保つため医師などと同様の社会的地位と高い生活水準を維持してきました。僕などもそれに憧れ、弁護士を目指したことを否定できるものではありません。それから4半世紀、弁護士の社会的地位は、大きく様変わりしたようです。

平成元年頃の新人弁護士の平均年俸が大体600万円くらいでしたから、先ほどの新聞報道によれば、現在、4割程度の弁護士が既に経済的意味では「社会のエリート」とは言えない状況です。

確かに、弁護士は金の問題だけではない事は勿論ですが、綺麗ごとだけでは済ませることができないのは、法科大学院の希望者の減少(同日の産経報道では、法科大学院69校中64校で入学者が定員割れ)からも明らかであり、25年度東大でも定員240のところ、入学者は232人です。(同日の産経)また司法試験の予備試験受験生(1万5千名余)が法科大学院の受験生(9千人弱)を大幅に上回り、法科大学院の存在意義が問われます。これと逆に医学部希望者が増加しています。これは、司法試験自体に魅力がなくなったことの証明でしょうが、司法改革の目玉を考えた場合もっと重要な問題が質の低下です。

質が低下した新人弁護士
例えば、先日裁判員裁判でのことです。共犯で逮捕された一方の弁護士から、電話がかかってきました。「先生、こちらの被疑者が供述をあわせたい。」と言ってきたのです。私から「何を言っているのか。」と言われても、この若い弁護士は、しばし、当方の言うことが理解できないようでした。
恐ろしいことに、先の発言が証拠隠滅に該当するということを認識していないことです。普通の弁護士なら、ヤクザ組織から毎月100万円くらいの顧問料をもらってもできない「弁護活動」を、この弁護人は報酬数万円の国選費用でやろうとしている、その馬鹿さかげんと言うか『無知』が理解できません。

合格者増大の実体
どうしてこれほどの質の低下が生じたのでしょうか、今度は司法制度改革が叫ばれた結果、合格者がどの程度増加したか法務省大臣官房のデータを示しますと、合格者の少なかった平成2年が499名で、増加の始まる平成3年605名、11年に1,000名、法科大学院の合格者が出る2年前に1536名と増加し、18年に新旧(1,009名、549名)の計1,558名で、以後24年までの7年間で合計14,305名(昔なら7年間で3,500名程度)と増加しました。
さらに平成8年から17年までの10年間で10,576名合格していますので、この8年から24年の17年間に24,881名の合格者が出ています。要するに8年からの17年間で司法試験の合格者は、増員が始まる前の合格者の約50年分となっています。
この間、国民の人口増加もありませんし、また事件数の増加もないまま、増加した合格者の殆どが弁護士増員(約16,000名)となっています。因みに、弁護士会の平成24年版会員名簿によりますと会員は32,134名で外国特別会員などを含め32,501名が名簿に掲載されています。

弁護士の行列ができる
弁護士増員の結果何が起きたのでしょうか、質の低下の例は先ほど言いましたが、弁護士にとってもっと切実な問題が、弁護士増員から弁護士一人当たりの仕事が極端に減少したことです。数年前東京で始まった国選弁護人の奪い合い(昔の山谷の様に、列に並んであぶれる)が、私の所属する千葉県でも現実となってきたのです。
卑近なご紹介をしますと、弁護士会から即決被告人(公判の当日判決で1件7万円程)募集が来ましたのですが、32コマの募集に対し99名から伸べ1883コマの応募があったそうで、競争率は約20倍でした。そこで先日、試しに応募した国選がなんと67倍でしたが、私が『見事当選』してしまいましたが、事務所のイソ弁殿は『外れ』でした。
さらに、司法書士に簡裁代理権を与えたことも弁護士業務の減少を招いています。最近では、行政書士もロビー活動を活発化して弁護士業務に食い込むことを狙っています。
しかし、弁護士会は、デカイ鯨が小柄なシャチに襲われるように本来の法律業務を奪われても「武士は食わねど・・」でシカとしていえますが、実は法務省などが背後から司法書士・行政書士のロビー活動を指導助言をしているかもしれません。

安直すぎた増員
以上が、弁護士から見た簡単な司法制度改革実行の結果です。産業界も法曹界も司法試験が難しすぎて若者が将来を誤る、優秀な若手が合格できない、弁護士過疎の解消、さらには今後わが国でもアメリカ並みに訴訟が増加するであろう、などの理由で、司法試験合格者の増加を安直に行なったものです。
また、過去には、丙案合格者などと言う実にばかげたこともしました。要するに若手受験者に点数の下駄を履かせて合格させたのです。合格した本人は普通に合格したものと「誤解」していますから、謙虚さなど持ち合わせません。その結果、依頼者はもとより、本人も人生を間違えているかもしれません。

弁護士自治の崩壊
そこで、司法制度改革で、どうしてこの様な合格者の増加が行なわれたのか、もう少し穿った見方をしてみます。国家権力の一翼を担う弁護士会の存在意義も関係してきます。
先ず、弁護士は「自由業」で、国家から報酬などを受け取らず、社会に存在する法的需要に応えることを職業とする中で社会的正義、自由を擁護することを使命としています。また、弁護士は法令社会規範等に違反しなければ、要するに何をしても良いと言い得る職業ですので、「自由業」と言うにふさわしい職業です。
また、弁護士会は、「自治権」をもち、国家権力から統制されない団体であることが特徴です。しかし、この弁護士会の自治権は、国家権力からみると目の上のタンコブでしょう。

そこで、権力サイドから考えられることは、弁護士の大量増員を行えば、簡単に言えば、統率が取れなくなります。特に法務省などは弁護士を増員しても被疑者国選弁護人制度(200億円程度か)などで弁護士を増加させても問題はない、と考えます。

国家権力からの自由
話しが飛びますが、東西ドイツが統一される前の東ドイツはいわゆる共産党国家であり、無神論をとるマルクス主義からキリスト教などは存在しないかのように考えられますが、実は、キリスト教の牧師などは国家公務員として国家から給料を受取っていたそうです。
キリスト教の牧師が国家公務員であれば、宗教が国家から自由になれるはずがありません。同じようにわが国でも弁護士が国家ら何らかの形で報酬を受取るようになれば、弁護士本来の意味での自由業ではなくなってしまうことでしょう。法務省の管理運営する法テラスから被疑者国選弁護人が破産管財人同様、国家から報酬を受け取るようになれば、弁護士は自ずと国家らの監督を受け、自由にものを言うことが難しくなります。
しかし、現在法務省の所管する法テラスに左翼弁護士が加担しているのが、現実です。
さらに言えば、特定の企業からの報酬が事務所の主たる収入源となるなら、弁護士が社会に対して自由にモノが言えなくなります。そこまで言うと非難されるでしょうが、保険会社の顧問も既に自由にものを言う必要がなくなっているかもしれません。


国の制度変革にアメリカの圧力
この様な弁護士増員の背景などを考えますと、そこには唯一の超大国としてのアメリカの思惑も見えてきます。分りやすい例が、司法制度改革の中で、日本もアメリカのように訴訟が、必ず増加するなどと留学帰りの弁護士などを動員して、弁護士増加の旗振りをさせました。この様な弁護士増員は、わが国の各種資格をグローバルスタンダードの名目でアメリカナイズしたことでしょう。
その分かりやすいところが、数十年来、アメリカが日本の政治を自分たちの思うように変えていこうと毎年日本政府に渡されている「年次改革要望書」と言う名のアメリカの圧力です。わが国の建築士を除外して決められた国際1級建築士の資格を嚆矢として、公認会計士、弁護士資格にとどまらず、薬剤師なども全てアメリカからの指図なのです。

このとき司法制度改革の旗振りが、既に述べた留学法曹の力です。一体何を根拠に訴訟が増加するといったのでしょうか。当時アメリカは、日本に比べ、人口比25倍の弁護士を抱えたことから、25分の1しかいないわが国に対し、弁護士が足りないということを「要望」したのです。弁護士増員の最大の問題がここにあると考えます。
確かに地方には弁護士過疎が現実でした。しかし、わが国では弁護士過疎が真に克服されるべき問題でもなかったといえることがあると思います。

そもそも訴訟は、人と人との争い事ですが、これは国々の法制度はもとより国民性の違いにより大きく異なってきます。人口何千人に対し訴訟がいくつなどといった数字で表せるものではありません。

紛争は宗教的信念が影響する
そこに大きく影響を与えているのが、国民性と言うか、国民の宗教的相違です。ユダヤ教に始まるキリスト教、イスラム教では、聖書・コーランが絶対であり、内心でも基本的に妥協は出来ません。彼らの神の唱える正義こそ絶対ですから、勢い、そこには紛争が続発します。
これに対して聖徳太子ではありませんが、わが国は話し合いさえあれば何でも決められる「和」の精神で多くのことが決められています。「ムラ社会の掟」は、絶対であり、社会にとって「悪」はムラの掟破りです。ですから、「ムラ社会」の中では基本的に紛争は、起きません(蓋をされてしまう)。北に喧嘩や訴訟があればツマラナイカラやめろといわれるのです。

正義は普遍性を持たない
私はこれまで「正義」といえば、地球上何処でも正義(最終的に個人の生命が一番大切)は同じであると大きな誤解をしていました。しかし、安全で平和に暮らしていることが幸福であり、正義であるということは全く特定の考え方でしかないのです。ユダヤ教を根本原理としている社会(キリスト・イスラム)では、神の律法に従った生活こそ正義なのです。即ち『神のお告げ』を伝える預言者の言葉で生活することこそ正義であり、幸福なのです。ですから彼らの「正義」に従うならば、信じられませんが、広島も長崎も東京大空襲も全て彼らの正義の結果なのです。最近韓国の新聞で広島長崎の原爆投下を正当化していますが、この論説員はたぶんカソリックでしょう。自分の正義を相手に押し付けるならば、紛争は避けられませんが、和の精神ではとにかく和を乱すことが不正義ですから、訴訟などはもっての外です。

この様な考え方のアメリカと和の精神の日本では、調べたことはありませんが、そもそも訴訟の発生率が異なってくるはずです。それを日本人と外国人の宗教観の違いも理解しないまま、わが国もアメリカ並みに訴訟が増加するなどと寝ぼけたことを根拠にしてわが国の司法制度改革が行なわれ、司法試験の大量合格者を輩出したのが、わが国なのです。事件が増加しない理由を単なる「景気低迷などの影響」(5月9日毎日)などとお目出度い話をしているのがわが国のマスコミでもあります。

国民で医者にかからない人はいないでしょうが、一般の人にとって弁護士の能力を判断するのは至難ですから、一生に一度あるかないかの弁護士を選びはとても重要ですが、国家が公認した弁護士が能力不足であった場合取り返しができません。5月14日の読売では、司法研修所が裁判官に対して行った調査で、本人訴訟でも仮に弁護士がいれば有利と判断できた事件が2割と報告されています。しかし、この程度で司法試験合格者の増加に理由付けを与えることは出来ません。

posted by やすかね at 16:44| 千葉 ☁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。