2007年03月09日

19年第一回市議会 個別質問

平成19年第1回議会 個別質問     11番 伊 藤 安 兼
(現場とは、ことなっていますが、趣旨は同じです。)
前置き:質問に入る前に、この3月で市役所を退職される職員の皆様、新しい生き方を始められることに対し、お祝い申し上げます。これまでは何かと議員に対しお心遣いを頂きましたが、これからは、議員と職員の立場が一市民と議員と言う立場に逆転します。
特に6月に向かって皆様は一段と強い立場にたたれますので、これまでの仇をとってやるという位の意気込みで、市政に関し、また社会の色々な面でご活躍されることを願っております。

ちょっと長くなりますが、アクサと言うフランスの保険会社が退職後の時間の使い方に関して世界11カ国でアンケートをとったそうです。
時間をどう使うか、豪州や英国では趣味が3個は上がるそうですが、日本人は平均1,7個にとどまり、趣味に生きることにあまり関心がないようです。

また世界中で日本人と言うと働きすぎ、スペインと言うとアスタ・マニャナ、明日で間に合うな、と言うようにあまり働かない、イメージですから退職後なにもしないと答えた人が19%で最大としても不思議でもないのですが、二番目が日本で18%と言うのは驚きです。

これ等アンケートの結果を見る限り、日本人は退職後、あまり趣味がない、働かないかな、と思いきや50%が再就職を希望し、働き者のシンガポールの37%を大きく引き離しています。ヨーロッパ諸国では退職年齢の引き上げには、ほぼ半数が反対なのに日本人は反対が9%と最小だそうです。定年後は仕事があるなら働きたい、と言う傾向になると思われます。

そうは言いましても、戦後に生まれ、少し食べ物等に苦労があったでしょうが、今の若い人たちよりいろいろの面で恵まれている人生と思うのは私ひとりではないと思いますので、人生楽しいが一番ですので、大いに楽しんでください。

ただ毎日家でテレビを見たり読書だけと言うのは、社会的に見ますと寝たきり老人と同じですから、外にでて近所の子供を怒鳴りつけたりして、憎まれているほうが、社会的に有益と思いますので、頭を使い長生きしてください。

1、政治に関する信頼について
それでは、適切な質問になるかどうかわかりませんが、しばらくお付き合いください。政治といいますと、私の理解では、制定権者である皇帝・君主・領主・民主主義では議会などで作ったルールを行政権者が解釈・適用して強制的に集めた税金で、福祉を含めた社会公共の利益を図り、所得の再分配を行うものです。

もう少し具体的に言いますと、人の能力は様々ですから、自由競争の結果、著しい不均衡が生じますが、累進課税と福祉政策を進めることで秩序ある社会を運営してゆくのが政治です。それゆえ、如何なる善政を敷こうとも税金が高すぎる、福祉が悪いと不平不満が出るのが世の常です。

しかし不平不満が我慢できる程度であれば、国民は自分の生活を優先して「楽しいが一番だ」として不満が爆発することはありません。政治に無関心でも自分のやりたいことができるなら、敢えて政治的な発言などしてストレスをためる必要もないと考えたほうが人生楽しいのではないでしょうか。

ところが、社会の富が偏在し、貧富の格差が拡大し、国民生活の程度に著しい不均衡が生じたまま、これが長年放置され不満が鬱積してきますと、クーデターで内戦が起きたり、アメリカ独立宣言で言うところの抵抗権を行使したり、革命が勃発したりします。

そこまで行かなくとも、政治家が公益を忘れ、私的利益の獲得を目指しますと政治不信から、社会全般で正義の法であるルールが正しく適用されなくなり、社会が乱れ、社会の違法状態が増加します。この違法状態が放置されてきますと、いわゆる正直者が馬鹿を見る状況になり、法を守ろうとする遵法意識がなくなり、法の権威も政治の正統性も地に落ちてしまいます。(官庁の裏金作り、地方公共団体の完成談合、挙句は法を守るべき最高裁判所まで自らの判決にまで無視して契約書の作成を放置するなど枚挙に暇がありません。

政治的権威について触れますと、最近閣議で内閣総理大臣が入室しても座ったままで起立しない大臣がいるのは遺憾だなどと政権党の幹部が話していましたが、これなど民主主義国家(相対的:中国、北朝鮮は民主主義がない)であるわが国の最高権力者の権威が否定されつつある一つの象徴だと思います。各大臣の地位は内閣総理大臣によって与えられているのに、各大臣が自らの存立する正統性の根拠となる総理大臣の権威を否定して、自らの地位に泥を塗っているのがわからないのです。悲しいかな、今の日本はそのような人たちによって政治が運営されているのです。

(先日「世界に通用した江戸時代の日本人」と題し青学の袴田教授:現代人より江戸時代のほうが、世界に有用するためには外国語を話せることではなく、凛とした自尊心と信念、生き方の美学、知識でなく知恵、そして美意識と遊び心などを統一的に有しているか否か)

又この国の経済を動かしている大企業、敢えて固有名詞は出しませんが、名だたる大企業の不法行為が常にマスコミをにぎわせています。(遵法意識・規範意識の欠如:枚挙に暇のないほどの大企業の違法行為、川鉄では、20年も前からシアンを垂れ流し、データを改ざんしていたというので今となっては、どれほどシアンを垂れ流していたか分らない。東京電力も、三菱UFJも、保険会社も、三菱自動車、日興証券、不二家、コンプライアンスなどと横文字で言うと罪悪感が減少するが、全て違法行為)

地方公共団体も財政面は言うに及ばず知事の汚職が続発するなどして、地方政治に対しての不信感も増大しています。(宮崎県、成田市)

クリーンな政治を標榜して当選したあと某県の知事は業者とのしがらみを断ち切れず、とうとう逮捕される、と言う事件もありました。同様の構造は成田市でも見られました。
結局政治に対する信頼を得るためには、民主主義政治の目的・原点に遡り「正義の道理」に従った公平無私な行政運営を行い続ける必要があると思います。また同時にそのような政治を行っていることを市民に知らせ正しい理解を得る必要もあります。

(最近のことですと、厚生省の無策により医師に対する研修制度から若い医師は高度医療を施せる病院に集中し、地方の病院が次々と閉鎖の危機に瀕しております。本市においても市民病院の医師確保が重大・緊急な問題となっています。先日某市議会議員から伺いましたが、この様な社会情勢のなかで、心無い人は本市では市民病院を潰そうとしているなどと言う根拠のない、市長の行動に対して全くあべこべなことが言われたりしています。
しかし、佐久間市政に対してのゆるぎない信頼があればこの様な根拠のない噂は誰も信じないでしょうが、残念ですが、噂が流れてしまいます。)

長々、と述べましたが、このような政治不信に対して如何にすれば市長は政治に関する信頼を取り戻せるとお考えか、また、さらに4年間市政を運営したいとの心意気を伺っておりますが、市民に対するゆるぎない信頼を得るため、如何なるお考えか、自分だけが長く述べた後で恐縮ですが、市長の政治姿勢は6月までに色々のところでお聞きできると思いますので、今日はお手短にお願いします。
 
2、地方自治と行政改革
 次のテーマに入ります。言うまでもないことですが、地方自治は、一部の人たちから押し付け憲法といわれている現在の憲法で新たに規定された制度です。また地方自治は民主主義の学校とも言われ大統領制の首長と直接選挙された議会で構成されています。民主主義の原点は理念的には自律した個人を前提(?)にして自分のことは自分で決めることが正しい(正統性)のですが、直接民主主義は物理的に無理であるから代表民主主義を採用しているものです。そ言う意味では地方自治は、できるだけ小さい単位が理想です。(3割自治から生じた結論である平成の大合併は民主主義の視点からは逆行する)

最初に地方自治のうち団体自治に関し特に行政の改革は常に言われているのですが、同様のことは議会についても言えると思います。
繰り返しになりますが、議会とか行政が住民の福祉を増進させる制度であっても、常に低コストが求められています。住民の意思を尊重しながら最小限のコストで、最大限の住民福祉を達成する方策が常に求められています。
住民の意思と言う点からみれば、議員は多いほうが良いわけですし、コスト面から見れば議員は少ないほうが良いわけです。何かお考えのところがありましたら、お答えください。また間もなく、県議選と市長・市議会議員選挙の同時選挙(市民の関心を高め、投票率向上)が行われますが、仮に同時選挙をすればどの程度の経費節減になるでしょうね。(地方自治法上問題点を言うか?)

次に住民自治の観点から、本市では沢山の審議会がありますがこの審議会に市民の声を充実させる観点から、町会長さんなど、準公選制の委員をもっと大量に採用するのはいかがでしょうか。全くの無報酬でなく、市議会議員の費用を削減して、審議会及び議会全体として費用の増加をもたらさないようにできないものか、これは議会との調整と言う難しい問題もありますが、団塊の世代の大量退職もありますので、これらの人々の貴重な経験を行政運営に生かせるのではないかと思い、ご意見を伺います。

この様な視点は、例えば本市の基本構想など将来の行政運営に大きな影響を与える決定に実際上市議会議員の声もあまり生かされていない現状から効果があると考えます。
また、とかく行政改革と言うと削ることばかり考え、その削った予算をどう生かすのかという積極的視点が欠落しているように思えるので、広く市民に参加を求めこれに対して単なる実費でなく一定の報酬を与えても良いのではないかと考えます。当局の答弁をお伺いします。

3、職員の意識改革について
 日本人は周りを見て徒に紛争を起こさない国民性を持っている。人と違うことをやって成功しても嫉まれ、人と違うことをやって失敗すれば「ざまーミロ」個人の成功を素直に喜べません。100年以上意識改革を言われているが大変なことで意識改革は黒船以来求め続けられています。

即ち、明治のころは先進的指導者が強い意識を持って、自らを改革しわが国の社会全般の制度を大きく変革したのですが、戦後は憲法改正から、最近ではアメリカから年次改革要望書でアメリカからわが国の諸制度についての変更、即ちわが国のルール改変という意識改革を押し付けられています。このアメリカからの押し付けを見ていますとわが国のあらゆる面に対する厚かましい要求が盛りだくさんです。

視点が広がってしまいますが、憲法が押し付けであったか否かは先日NHKで特集を組んでいましたが、GHQの憲法草案は鈴木安蔵などの草案を基礎としており、またその内容も独立宣言、フランス革命など人権宣言の歴史的進歩を取り入れたもので、押し付けられたと考える人々は自らの後進性を表現していると思いました。何より、憲法は国民に義務を科すものではなく、権力に対しての制限規範であることから考えますと、押し付け憲法論は根本的誤りがあります。

戦後は米から、パン食に意識改革をさせられ、西部開拓映画、ライフスタイルなどでの意識改革を求められているが、しかし、戦後60年たってもわが国の民主主義に関しての考え方は基本的に変わらず、それゆえ世界から日本人はものを言わない国民といわれています。国際会議での議長の技量は、インド人を黙らせ、如何にして日本人に話をさせるかと言うことで決まるようです。

私もほぼ4年間の議員生活の中で、職員の方々が如何に本心を話さないか実感しています。そうしますと、窓口の対応が変わったなどと言うことは大切なことではあるでしょうが、もっと大切なことは本音で議論できる職員がどれほど増えたのか、自分のことはさておいて人様の批判ができるかが重要と言うことになると思います。庁内での様々な会議で、実際に本音で議論できる職員がどの程度増えたのかお伺いします。人と違った意見を言った人が馬鹿を見ない制度が必要と思います。(表彰)自己主張と協調性、決定に対する謙虚さが大切と考えるのですが、本市の状況をお願いします。

4、社会格差と教育
 現在のものの考え方の基本として「人を平等に扱わなければならない」という思想があります。最低限生きることは絶対必要ですし、人が競争社会の入り口に立ったとき、その競争の結果が公平でなく「公正」なものとして受け入れることができるためには、競争が「公平」(機会の平等)でなければなりません。
そのため社会には所得税法・法人税法はじめ様々な規制が存在し、結果の不平等を政治の力で無くす努力をしているのです。

餌が十分でないサルの社会では争いがないのに、ある日突然籠いっぱいのバナナが群れに出された途端、群れには激しい紛争が生じました。この実験をテレビで見たとき激しい衝撃を受けたのを覚えています。この実験を念頭に置きながら質問をいたします。

戦後わが国でも、国民のGDPが少なく国民全体が貧しかったときは、年功序列賃金体制が採用(電産型賃金)され、お金が一番必要な年齢になれば、自然と賃金が上がる仕組みがありました。産業が十分発達しない状況ではパイも小さく、この制度でも大きな不満は出ませんでした。ところが、生産力が上がり全体が豊かになってくると「悪平等」が批判され、成果主義が採用されてきました。成果主義でも最低限の生活が保障されていましたが、逆にがんばれば豊かな生活が保障され、ある意味では学歴は格差を無くす力がありました。
ところが、規制緩和の名の下に新たな市場原理主義を採用し、所得税の累進課税を緩和(15段階最高70%から、4段階最高37%・99年以降20%の定率減税があった)し、2004年のOECDの調査では、国民の平均的所得の50%以下の所得の割合(相対的貧困率)を見るとメキシコ20,3%アメリカ17,1%、トルコ15,9%に次いで日本は15,3%で堂々の4位(2000年)で、80年代半ばの11,9%から90年代半ば13,7%から貧困率が増加しています。この間フランスでは8,0%、7,5%、7,0%と貧困率は下がっている。

ここで詳しい数字を出すことが問題ではありませんのでこの程度にして、結局格差の拡大する中で富裕階層は子女の教育に十分資金をつぎ込み高学歴を獲得して親に引き続いて豊かな生活をほぼ保障されるようになっています。
即ち本来の能力はそれほどでなくとも競争社会に先に走り始めた階層が、勉強だけできることで社会の指導的地位につくようになれば、真の意味での適材適所がなくなり、社会全体が衰退してしまいます。この様な社会的不平等が拡大する中で、多数の国民が受ける公教育はますます重要性を増すと考えられるのですが、しかし、モンスター保護者はじめ、教員資格の更新制度採用、などから学校全体の社会的評価が下がっています。(今日の新聞では国家公務員のキャリア制度がなくなるとの報道もありました。しかし教員も公務員も一定の身分保障がなければ一生懸命仕事ができないのではと思います)

この様ななか、学校の社会的評価を向上させ、教師の負担を軽減させるためどのような支援ができるのでしょうか。お伺いします。

5、小・中学校運動部の活動について
今述べたように、勉強と言う面からすれば富裕層の教育にかける資金で普通の家庭では競争はできません。そうであれば普通の家庭ではどうすれば、富裕層と競争できるかと考えると、やっぱり「健全な精神は健全な肉体に宿る」という原理原則で対応するのが一番ではないか、頭でっかちではなく、人間として健全な体を作り上げることが最高の手段と思います。
(東京オリンピックの年から調査している:身長体重が増加しても体力低下。家庭用テレビゲーム普及)
ところが、これは昨年5月4日の新聞ですが、9歳の男児体力が20年前の女子並みと言うことです。NHK「からだであそぼ」と言う番組の監修をしている中村先生の言葉で言うと「ここ数年がかぎ、もう少しすると子供時代に遊んでいない世代が親になる。そうなる前に社会の意識を高める必要がある」。
また昨年10月の新聞では「子供の持久力最低」と報じ「肉体的な体力に輪をかけて、粘り強く頑張る精神力が衰えている」と指摘されています。(最近は体育の家庭教師もいるらしい)
そういう中で学校での体力作りに有効と思われる運動部活動は顧問がいなくて廃部も出ているとの報道があります。
前にも伺った記憶があるのですが、優れた競技経験者の力を借りて、市内小中学校の運動部活動を強化すべきと考えますが、この点いかがでしょうか、運動競技で優秀な成績を残している人は運動の楽しさを知っている人ですから、この様な人々を広く採用してはいかがと考えます。「外部指導員」と言う形式でなく、講師として待遇面で考慮してはいかがでしょうか。
勉強を教える教職員の負担軽減とあわせ、子供の体力強化が子供達の可能性を残す道と思います。これは自分の経験でもあります。

6、 官から民へとの考えで「民間できるものは民間で」と何でもかんでも民
間ではできないと思います。例えば市営住宅の経営は正に民間でできる事業でしょうが、施設を作っても儲からないであろう福祉事業特に子供達の施設は極めて不足していると思います。お金はないし選挙権もありませんからとの報道が先日ありました。
児童虐待など悲惨な事件に接しますと、市長でなくとも涙が出ます。先日児童相談に対する調査があるかと伺ったところ、これは国県の仕事であり、そのようなデータはないといわれました。市長の言われる子供達の将来のため、赤ちゃんポスト、児童養護施設設置と補助金、需要の調査をしているか、県の権限と言うことだが、本市では何もできないか、伺います。(市原に住み市原で成長する子供たちは国の仕事、県の仕事などといっていられないと思うが)


posted by やすかね at 10:51| 千葉 ☀| 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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