同日産経でも「教育再生会議」が指導不足教員の排除を主眼として教員免許の更新制度が提言に盛り込まれたとし、教員免許法の改正案が国会に提出される見込みであるとの報道・解説をしています。
毎日身近な法律問題を扱いながら、社会を見ていますと、わが国では政治・経済だけでなく、国の基本的枠組みを構成している根幹部分に腐食が進んでいるようです。
即ち、経済界では、電力業界などの大企業の違法行為だけでなく、資本主義社会を支える巨大銀行、保険会社、証券業界の不祥事があり、民主主義を支える新聞テレビの不祥事から、さらには頻発する社会的弱者相手の巨額詐欺事件、凶悪な殺人事件等々わが国はこれからどうなるのでしょうか。
このように将来が見え難くなった時は、過去を振り返り原点から考察する必要があります。明治開国から140年、わが国がこれだけ進歩したのも結局教育力しかありません。ですから、今後わが国の根幹を立て直すには現在の教育の問題点がどこにあるか、国家百年の計という大きな観点から再考察する必要がありますが、これはもう超専門家の仕事となり、能力範囲を超えています。
と言いながらも、やはり何か言いたくなります。23日朝日opinion◎news project 「教員の質」では、3氏の談話が掲載されていました。
元東京都の統括指導主事は全国に先駆け行なった「指導力ステップアップ研修」で『コミュニケーションと子供の評価ができない教員が特に増えていることがわかった』とコメントしているのですが、「服務事故」で処分を受けたような「例外的教師」を掲げてこれを一般化するような乱暴な議論を展開しています。
「指導力不足の認定は難しい」と客観的評価が難しいと述べながら、「なかなか本人が認めないからだ」などと主観と客観の区別もない、理解できない論旨を展開しています。さすが、できもしない「指導力不足教員」を認定して指導するなどという大それた制度の先駆けである東京都の指導主事です。この問題にコメントする資格はないですね。
この点「教員に必要な資質とは何か」と4つの基準を提起している野口克海氏は長年の現場での感覚から教師の負担の原因にまで遡り分析をくわえています。
僕なども学校の先生が権威を失ってきたのは、親の学歴が上昇してきた頃からではないか、と漠然と考えていたのですが、ピンポンのようです。
その外「子供たちが傷つきやすくなった」「学校にクレームをつける親が増えた」と人間関係での負担増加、教員の年齢構成の歪み、結論とすれば「学校の社会的評価が下がっている」として、今後は学校の社会的地位を上げ、教員の待遇改善と公立学校の設備面の確保が必要としています。
悪平等(頑張っても頑張らなくてを給料は同じ)をなくし、良い人材を集めるのが必要であり、教員免許の更新制度などの小手先の制度改革ではなく、教員を学校現場で育て上げる仕組みづくりが必要としています。
さらに佐久間亜紀氏は、「政府は『質の低下』を前提に教育改革を進めようとしている。が『質』が下がった実証的データはないのに一方的決め付けで(元東京都の指導主事の言うとおり難しいのです)議論するのは乱暴」とのべ、各国の教育予算のGDPに占める割合などを出しながら教員の人材確保の重要性を述べています。
仕事のやりがい、自律性、社会的地位、公務員としての安定感など多くの魅力が若者を引き付けなければならない、保護者から尊敬されなくなり、管理が強化され、給与が削減され、資格まで有効期限付きとなれば、優秀な若者ほど他の職業を志向するのが自然ではないかと述べています。
要するに教員という職業が子供の憧れとなり、『僕も私も大きくなったら学校の先生になるのだ』という夢を与えられるものである必要があります。そういう意味で「家の父ちゃん稼ぎが悪い、馬鹿だから」と悪口を言われているようでは夫の権威がなくなると同じで、多少学歴があるということで教員を尊敬しない親の子は、しょせん立派な大人にはなれないでしょう。「親の因果が子に移り」ですね。
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