政治の目的は言うまでもなく、誰でも幸せに、希望を持って生きることができる社会を作るということです。
昔のことを考えますと、世襲制の殿様が、贅沢な生活をしながらも、民百姓のことを考え、自分の家、領地を守るため時には戦争し、また切腹することもあったでしょう。貧乏な武士は勉学に励み仕官の道を目指し、百姓は貧しいながらも家庭を持ち、窮屈な村社会の中で太閤記などの話を聞きながら「今に見てろ」と僅かな希望を持って生きてきたと思います。
鎖国もぼちぼち終わりとなる江戸時代末期、黒船で浦賀に来たペリーは、日本に上陸し、驚いたことは、日本はアジアの諸国と異なり、人々は非常に礼儀正しく、またどこの家からも勉強している声が聞こえ、子供たちを非常に大切に扱っているということだったそうです。
当時のヨーロッパの識字率はだいたい20%でしたが、日本では4割以上だったようで、このように日本人の識字率の高さは、東京オリンピックの頃、日本を訪れた外国人がびっくりした事で、今ではあまり使わない言葉ですが、「乞食が新聞を拾って読んでいる」ことだったようです。
いずれにしても、ペリーはこの国が資本主義国の仲間入りをすれば、たちまち西欧に追いついてくる、と報告したそうです。明治の頃に日本が西欧諸外国の文化技術を取り入れ消化できたのも全て、日本人の教育程度の高さにあったということは歴史の真実のようです。
その後の日本は皆様のほうがご存知のように目覚しい発展を遂げました。
日本に占領された韓国・台湾も占領当時、日本の教育(もちろん全く問題がないわけではありませんが、それが占領です)が行われ、現在発展している基礎が作られたと思います。私は、千葉で中国料理店を経営している台湾出身の元日本軍の軍人である陳さんを知っているのですが、日本の教育の重要性を話しています。
ところが、アメリカに占領された日本は戦後どうなったでしょうか、アメリカの教育は全て悪いというわけでもないでしょうが、その典型がドラえもんでなくホリエモンのように周りの状況を一切考えず「命の次に大切なものはお金ですよね」と言い切る拝金主義がまかり通ってきました。
現在ではわが国の大企業も散々悪いことをしているというか、悪いということをあまり意識していないようです。保険会社といえばなにか事故のあったとき、被害者を助けることが目的の会社ですが、弁護士を使ってでも支払う保険金を安くしてやろうと考えています。
雪印にしても不二家にしてもおいしいものを頂くことは人間の幸せの重要な部分ですが、その点を忘れ、コストとか儲けのことばかり考え、安心安全な食品の提供と言う会社の目的を蔑ろにしています。
川鉄だって、東京電力だって、三菱銀行だって、超一流といわれる会社も自分たちが社会的に存在している、企業の社会的責任というものを全くといっては言い過ぎかも知れませんが、考えていません。
日本を占領したアメリカでは大金持ちが3兆円の寄付をし、大リーグの選手もプロゴルファーも寄付をするなど、能力のある人はボランティアを大切なことと考えています。
要するに日本は戦後、日本の伝統的なものを失い、アメリカの悪いところを学びすぎたと思います。
日本人はもっと社会のために働く公共の精神を大切にしなければならないのですが、このように社会・公共の事だけを言いますと、実際のところ現在の日本は変なところに言ってしまう心配があります。とても怖い状況と考えます。
外国人が日本人をどのように考えているかお分かりでしょうか、最近売れている本を見たところ、沈没船の話がありました。少しご紹介しますと、沈没船の船長が皆を海に飛び込ませようとしたとき、アメリカ人には『飛び込むと英雄になれます』イギリス人には『貴方は紳士です』ドイツ人には『それが規則です』フランス人には『女性にもてます』日本人には『皆さん飛び込みます』と言うジョークが世界ではやっているそうです。
先日、何時もの様に朝納豆を食べようとしたら、ないとのことです。午後になってから店に行ったところ、スーパーで並んでいないということでした。家では、またTVでいい加減な放送をしたんだろうと言っていたのですが、翌日から毎日放送の捏造番組「あるある大辞典」とか言う番組で捏造したデータを流し健康にいいとか、痩せるとかやったようで、これを見た人々が「われもわれも」と納豆を買いに走ったようですね。
納豆にイソフラボンという成分が含まれ健康に良いということは常識です。しかし、それだけ食べても駄目なのはわかっていると思うのですが、日本人は誰かが旗を振ると一斉にそれについてゆく怖さがあります。政治もムードで動き一人ひとりの理性で判断しない傾向があります。長いものに巻かれろ式の、みんなと同じ事をしていれば良いという、自分の頭で考えない悪いところです。
これは、日本が戦後民主主義で個人主義、民主主義と言うことを真に理解できないで、個人主義と言うと自分勝手のことと思い、個人の尊重が判っていない証拠です。
個人主義と言うことは一人ひとりの個人の意思を尊重し、この個人を基礎にして社会全体を作り上げてゆく制度なのですが、自分のことだけしか考えないことを個人主義と考えているのです。みんなが自分のことしか考えなくなれば、これは全員がぶつかり喧嘩になってしまいます。最近は車に乗っても、電車に乗っても日本人の優しさが見えず、勝手者が多すぎます。現在の拝金主義もこれと同様です。
長くなりますので、結論を急ぎますが、要するに今の政治は民主主義、社会公共のための政治という原則を忘れ、政治家の仕事は孫子の代まで続けたい、おいしい職業だということです。能力ある人は一定の財産を残せるでしょうが、しかし政治力とか税金を使って私腹を肥やしてはいけません。特に地方議会の議員は職業である必要はないと思います。
民主主義は直接民主主義が原則ですから、一人ひとりの声を政治に生かすことが大切で、議員は社会の名誉職でいいと思います。
実際町会長さんの活動を見ていただければわかるように、皆さんボランティアです。同じように市役所の仕事をしながら、議員だけが年4回の議会とその他の若干の議会の仕事で毎年1000万円は多すぎます。
ご意見は沢山あると思いますが、行政改革、コスト削減の観点から議員の報酬を大幅に減らし、逆に民主主義の観点から議員の数を二倍三倍に増やすことが今大切と思います。行政に対する監視、オンブスマンとしての仕事はボランティアで足りる、と思います。このことはホームページにも書いてありますので、ご覧ください。
また、乾杯の後時間があればこの続きをしたいと思います。
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