2007年01月15日

地方議員はボランティアでよし?

人間誰でも生きてゆく中で様々な人との交流がありますが、どんな「社会」でも自分がその構成員になってみないと、いくら人様の話を聞いてもなかなかその内幕は理解できないものです。わたしも市議会議員になって、4年目も最後の半年をきりました。ここにきてやっとなどと言うとお叱りをいただきそうですが、「市議会議員のムラ社会」を飲み込めたようです。

要するに地方議会は、行政府に対する立法機関との位置付けであることはいうまでもないのですが、その実態は市長以下の執行部提出議案にお墨付き、承認を与える機関であり、若干の訂正などはあるものの、独自の条例提案権を行使することはないと言い切ってもあながち間違いではないようです。

市長は「職員の意識改革」を行いつつ住民サービスを徹底するとの強い決意で当選したのですから、これからも自信をもって行政運営を続けるでしょうが、地方自治、即ち住民自治、民主主義の発展と言うことを考えるとき、執行部と議会は車の両輪ですから、片側だけが回ってしまっては地方自治体の運営はうまく機能しなくなります。

最近テレビでも盛んに地方議員の政務調査費、さらには地方議会の議員定数削減などが取りざたされています。要するに住民から見たとき、地方議会が役に立っていないと見えることからマスコミも住民に対して様々な報道をしていると思います。コストと効果から見たとき「議員は無駄な存在」と見えると言うことです。

行政運営全体に対しての行革の動き、即ち行政の無駄を省けという声は日に日に強くなっています。これは当然のことで、自分たちの受ける行政サービスは充実しながら、コストは少ないにこしたことはありません。しかし、安易に安ければいいというものでもありません。

今日の新聞にどこかの大学教授が、外国では議員はボランティアで議員の数も少ない、議員が市役所から金をもらっていては監視ができないではないか、と尤もの様な論旨を展開していました。大学の教授を生業とする人ですらこの程度の話しかできないのであるから、ごく普通の市民のご理解を得るのは大変と思います。大きな間違いは2点あります。

最近も会計事務所のいい加減な監査で日興証券が危機に瀕しています。これは大企業が証券市場に参加するには監査法人の監査が義務付けられているのですが、会社の役員がどこの会計監査法人に監査の依頼をするかを決める立場にあるのですから、監査法人は金を払ってくれる、また顧問先を決める役員の意向に正面きって逆らえないという制度的不都合があります。このような制度的問題がある会社と監査法人の関係なら「金を貰っていては監視ができない」などといえますが、議員は住民の選挙で選出されるのですから「市役所から金をもらっているから監視ができない」関係ではありません。大学のセンセ(と蔑称)この根本のところを十分理解していません。

次に、外国では議員の数が少ないということ、これはそのような地方自治体があるでしょうね。しかし、議員の数が少なければ少ないほうが良いというのであれば、極端なところ、議員がゼロのほうがいいことになります。しかし、これでは誰も監視しない行政府となりますから、市長さん以下大歓迎ですが、「権力は腐敗する」という人類の歴史を全くわきまえていないことになり、このセンセ教養が足りないと言えます。

誰でも自分で決めたことが一番納得できることですから、住民自治の理想は直接民主主義となります。しかし、これが不可能であるからこそ、代表民主主義が採用されているのです。そうであれば、議員はできるだけ多数であることが望ましいわけです。どこか小さな外国の市(日本の小さな村程度でも「市」といいますから、高校生が市長となることもあるのです)の例を持ち出して、「議員は少ないほうが良い」などと言うのでは「教授」など返上したほうが良いでしょう。

議員はボランティアでと言う点は、納得できる点ですね。先日某議員とも話した際、議員には報酬を沢山払って、優秀な人員を確保したほうが良いとの意見もありました。しかし大企業の役員をするような優秀な人材は年間4,5千万円から億単位の収入があります。優秀な人はなかなか地方議会の議員になっていただけないでしょう。仮に議員になっていただいたとして議員は何人程度となるのでしょうか。議員報酬2千万円としますと現在のほぼ二倍ですから18人の定数では、全く現状と変わりませんから、地方議会のコストは全く削減されたことにはなりません。

そして民主主義の観点から、「優秀で立派な議員」がどの程度市民の意見を議会に反映されることになるでしょうか。大いに疑問が残ります。

ところで、中央でも立法と行政府の関係は権力分立の観点から権限が分かれていますが、現在まで「立法機関」としてどれ程議員立法がなされているでしょうか、と考えますと果たして地方議会議員に多くの報酬を支払って「本来の議会の権限」行使を十分にしていただけるか、期待することはできないと思います。

そうであれば、地方議会の議員は基本的にボランティアですませ、議会開催に出頭してもらったときに日当を払えばたりると思います。年4回の議会とその他の議員の仕事に対し年1000万円は多すぎると思います。行政に関する仕事をしながら議員より忙しい人は現実に多数存在しています。各地区の町会長会長さんなどは、一年間100日以上行政に関する仕事に活躍しています。

その他、行政に関しての各種審議会などは本来的に議員の仕事に直結すると思うのですが、誰が言ったか分かりませんが「行政と議会の権限分立」などと言うお題目だけで議員が多くの各種審議会に参加することを止めてしまいました。

本来であれば、もっと沢山議員を有効利用(この言葉は、一番最初のころ、異議が出ましたが、別に悪い言葉ではありません)して、基本中の基本、市民の意見を聞くべきである本市の総合計計画策定などに議員の意見をどんどん聞くべきと思うのですが、その実態は全く逆で、どこかの大学教授の作成したものに、議会が賛成するという形式的手続きで決まってしまいます。

こういうことを考えてきますと、冒頭の話は議員がボランティアと言う点は賛成するとしても議員を減らすことは住民自治の観点からは絶対避けるべきであり、結論とすれば今の議員の報酬を町会長さんのように日当制にして議員を100人程度に増員するのが民主主義の観点からは優れているでしょう。

また、わが国ではまだまだ慈善事業(社会福祉法人、ユニセフ、国境なき医師団など)に対しての寄付は少ないと思います。収入の1%程度の善意の寄付は文化的社会では当然とききますが、わが国で税制面の遅れもあり先進諸外国に比べ見劣りするようです。ボランティア社会奉仕活動が盛んになってこそ地方自治も充実すると思います。

「しかし、イチローに限らず、大リーガーの選手、PGAプロゴルファーの人たちは、多くの人がボランティア、社会奉仕活動に熱心です。またそのような活動をしないと尊敬されないとも聞いています。」(喜怒哀楽105頁)金を儲けてナンボなどと考えている人は社会的には必要ない人です。

企業も「コンプライアンス」などといっていますが、賞味期限切れ、各種データ改ざんなんて企業は存在する必要はないのです。保険会社だって、その本来の目的は「事故の際、迅速に保険金を支払うのが仕事である」と考えず、保険屋の顧問弁護士が「会社の利益のため、『不当な請求を阻止する』するのが弁護士の仕事」などと考えているのでは保険会社もいらないし、弁護士だって社会的正義を貫く名誉ある職業とは言えなくなります。弁護士なら少なくとも「保険金未払い事故がないように努め、ついでに不当請求を阻止して、保険加入者のために保険金の不当な高騰を抑えるのだ。」といってもらいたいですね。

大事なことは常に原点に戻り、検証する意識を大切にし、現状にとどまっていることは「既に後退している」と意識改革をすることが重要です。色々やれば必ず摩擦が生じますが、抵抗を抑えて進んでこそ生きた甲斐があると思うのですが・・しかし、高額の収入を得よう、立派な家に住みたいなどと言う個人的野望のため政治家になろう、と大学に入ったなどと言う輩では、国民市民のための政治など期待できないでしょう。

posted by やすかね at 19:10| 千葉 | 議会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする