2006年12月25日

最近は、イッパイアッテナ

最近、齋藤洋著「ルドルフとイッパイアッテナ」T、U、Vを読みました。主人公である「雑種」の黒猫ルドルフが、元飼い猫(タイガー)で名前もあったものの長い野良猫生活を続ける中で、魔法使いのおばあさんのような人、学校の先生、学校給食の調理員さん、魚屋のおっさんなど様々な人から色々な名前で呼ばれており、ルドルフとの初対面のときルドルフから名前をきかれた際タイガーは「いっぱいあってな」と答えたところ世間ずれをしていないルドルフから「イッパイアッテナ」と呼ばれるようになってしまった「もと飼猫」タイガーとの友情溢れる物語です。涙あり、笑いあり、怒り、あだ討ちあり、楽しい読み物です。

この小学校中学年から高学年向けの本なのですが、どうして猫が勉強しなければならないか、字が読めるとどんなに良いことがあるのか、教養のない人間は「血統書」を大事にするとか、友達同士の信義を大切にし、助け合う姿、フーテンの寅さんではありませんが「それを言っちゃーおしまいよ」というような、言ってはいけない言葉など、今の子供たちだけでなく子供たちの親に呼んでもらいたくなるような内容の濃い本でした。いずれにしても童心に帰って楽しめた本でした。

またその外、伊藤真の「高校生からわかる日本国憲法の論点」(潟gランスビュー)を読みました。自分でも憲法は理解しているつもりでしたが、改めて読み返すと自らの浅学非才振りが明らかとなりました。

教育基本法が「改正」され、国家に必要な教育がこれから行なわれてゆく事になりますが、次の狙いは憲法改正です。新聞報道などでの憲法改正論議は憲法の基本原則すら理解していない連中が「押し付け憲法」とか「普通の国家になるため」などといっているのですが、「水に溺れなければ空気のありがたみがわからない」(137頁)といわれるように今の憲法が空気のような存在であることを理解する事から始まると思います。

中でも適正手続きの問題も「喜怒哀楽」では、間違いではないでしょうが、「自分が決定に参加すること」(13頁)等と「民主主義」の観点から書いて「正義の法」というところに行き着いています。しかし、この本ではもっと分かりやすく適正手続きとは「結果が正しいかどうかわからない場合、手続きの適正さによって正当性を説明するしかない」(102頁)と説明しています。

50年先100年先の政策が正しかったか間違っていたか、今は分かりません。その頃には五井駅東口よりも加茂の運動公園が市原市の中心になっているカモ分かりません。(市原市外の人に!今、市原市では市長を先頭に50年、100年先の都市づくりに向け、五井駅東口の開発を進めています。この結果がどうなるか、多分良くなるだろうとは、思いますが、誰も確信はもてません。)

即ち、この本を読んでみて初めて、50年先を見越した政治判断が「絶対正しい」とは分かりませんし、この政治的決定が正当性(姉崎森林公園のように一部地権者の利益などというものではなく、市民全体の利益・福祉増進となる)を持てるためには、この政策決定に対して適切な手続きが踏まれている事が絶対必要と分かりました。市民に対して、特別委員会程度の議論で適正手続きは十分保障したと言い得るか、検討が必要です。

その結果、仮に50年先にこの政治的判断が間違いであった事が明らかとなっても適正手続きが行われているのであれば、五井駅東口開発は「仕方なかった」となるでしょう。

現在夕張では、巨額赤字で地方自治体が再建計画を練っていますが、この赤字全てを住民にしわ寄せするのが北海道と国の考え方です。確かに市議会も執行部の決定に対し、唯々諾々と承認してきたのでしょうが、ここまで巨額の赤字を作るまでには北海道も国も箱物行政を進めていたわけです。ですから、市長と市議会を選出したのは住民だから、この赤字を全て住民にしわ寄せするとしたら、それは「正当性」が欠けるでしょうね。

どうしてか、炭鉱が撤退したとき既に、正確には分かりませんが、巨額の赤字を夕張市が引受けた経過があるそうです。わが国の銀行は数兆円もの不良債権を抱え、これを政府自民党が公的資金を注ぎ込み、国民の金利をゼロにして銀行を再建させ、そこから自民党が政治献金を受け取る構造が再開するようですが、今のところは「自粛」だそうです。(12/20産経)

TVで前長野県知事田中氏が、民間会社だって会社更生法が適用になれば、債権カットをしているのに、夕張では債権カットをせず、これでは「棄民だ」と言っていました。
posted by やすかね at 16:14| 千葉 ☁| 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする