2012年10月12日

尖閣列島を琉球王朝から考える

尖閣列島問題で日中の関係は、これまでに無いほど悪化しています。悪化した原因は石原東京都知事の大失態なのです。日中国交正常化でも尖閣列島は日本の実効支配下での「棚上げ」で「合意」がなされていたものを、石原都知事は、右翼の先鞭を担いで東京都が取得する、などと言って事を荒立ててしまったことです。

外交は、単に国家主権の範囲である領土を保全することだけではありません。外国と交渉するのは、結論として国民の生活を豊にできるということが大きな目的なのです。東京都が所有したとすると中国は、相当の確率で実力行使をしてきたであろうとされていますが、野田政権が国有化したことでその危険は減少したというのが佐藤優さんの見解です。また武力衝突になったとしても圧倒的に優秀な装備を持つ海上自衛隊に中国海軍は歯が立たないそうです。

それにしても、国有化後の状況はごらんのとおり、中国に進出しているわが国の会社がとんでもない損害を被り、日本経済全体は甚大な影響を受けました。

さらに石原慎太郎がダメなのは、先日新聞報道(10月9日読売)にもありましたが、息子の石原伸晃を首相にしたいなどとほざいていた事です。自分の会社の跡継ぎにしたいという程度ではなく、自分の息子を国家の最高権力者にしたいなどと寝ぼけたことを言っているようでは、北朝鮮と同じではありませんか。既に石原慎太郎は老害の部類です。石原慎太郎と本田宗一郎さんを比べては、本田さんに失礼なのですが、あの本田宗一郎さんは「ホンダと言う会社は本田家のものではない。」として息子などを社長にはしませんでした。

エキサイトするとわき道にそれますので、尖閣列島問題に戻しますが、この問題は、結局琉球王朝の成立まで遡って考える必要があります。

繰り返しとなりますが、外交は言うまでもなく主要先進国が新帝国主義化(過去は武力で植民地から略奪するのが帝国主義、現在は、国際的非難を受けるとか武力衝突ギリギリのところで他国から利益を奪い取る)した21世紀で、わが国の最大限の利益を確保する必要があります。
外交は、単に外国と仲良くするという関係ではありません。外交を進める中でわが国の経済文化の水準を上げて国民生活を豊かにしなければならないのです。フリーターなどがアフリカの人々より良い生活(綺麗な国土にエアコンが効き、美味しいものを食べられる。)ができているのは、外国から得た利益を享受しているからです。その意味でも日本は、まぎれもなく新帝国主義化した国家なのです。

そこで、政治は結論が大切だということを確認して、この政治の結論から見れば、中国は、わが国の輸出額の20%(韓国は8%)を占める重要な経済関係にありますが、これが現在大きく影響を受けています。「中国リスク」が大きく顕在化してしまいました。民主党政権はこれまでにないダメ政権でした。

特に胡錦濤から、尖閣列島の国有化を戒められていたとき下を向いていた野田首相は、2日後に尖閣列島の国有化を行い胡錦濤の面子を丸つぶれにしたのです。
誰でもそうですが、特に中国人は面子を重んずるという常識からすれば、水面下で「石原都知事の考え方はおかしい、尖閣列島は日中国交回復のとき田中首相と周恩来、さらにはケ小平の言うように日本が実効支配しているまま、尖閣列島問題を放置すべきである。」と説明しながら、その後の対応を考えているならばこれほど馬鹿な結論は出なかったと思います。

実のところ、尖閣列島は、大体600年くらい遡って考えなければならない問題です。600年前と言うと、今の沖縄には琉球王朝(1429年尚巴志が統一)がありましたが、1609年薩摩藩が琉球を侵略し、尚寧国王は江戸城に連行される途中駿府城で徳川家康に面会させられました。(『「沖縄問題」とは何か』藤原書店34頁)

ペリーが浦賀に来たとき、江戸幕府老中阿部正弘は琉球を日清「両属の国」と位置づけながら、ペリー(1853年嘉永6年、54年二度目)から「琉球は日本国の他の島々とは違うというのであれば、琉球の民心の赴くまま合衆国へ隋従する事も認める積りがあるか。」と問われても「心底を明かさない」方針を採ることにしたそうです。(同前書20頁)つまりアメリカとすれば、西部開拓の延長線上にハワイも琉球もあったのです。

ですから、ハワイは、1893年米海兵隊とハワイ経済を支配する欧米人によるクーデターで王朝が倒され、クーデター後成立した政権下で1898年アメリカに併合されました。(極めて「民主主義的併合」ですか、日韓併合とどう異なるか)
アメリカの代表としてのペリーは、場合によって琉球王朝をクーデターで倒し、琉球をアメリカに併合する考えを持っていたのです。結局ハワイより遠い極東であったことから琉球はアメリカには併合されなかったと思いますが、沖縄は戦後からサンフランシスコ平和条約まで長い間アメリカの支配下にあり、現在はアメリカの基地の島です。

いずれにしろ、琉球は1854年琉米条約、55年琉仏、59年琉欄条約を締結して国際的には主権国家として認められていました。

明治政府は、1869年版籍奉還、1871年廃藩置県を行った後の1872年(明治5年)琉球王尚泰を「琉球藩主」(琉球処分)に冊封し、当時の外務卿福島種臣は「琉球の国体政体は永久に変更せず、対清関係も従前のとおり」と約束したようです。

しかし、琉球処分は国際的に承認されたわけでもなく、前米大統領グラントの仲介で日清の外交交渉が行なわれ、水面下の予備交渉で清国北洋大臣李鴻章は琉球を「中国の領土でもなく、日本の領土でもない独立の一国」と言明し、琉球の主権の問題を論点としていました。

1880年日清は、日本の提案で、沖縄本島以北を日本領、宮古・八重山を清国領とする琉球分割案で「琉球分割条約」に合意したのであるが、その後清に渡り条約調印阻止運動など琉球の活動家の活躍で「分割条約」は調印されず廃案となったそうです。(前掲書22頁)

この様に、沖縄をめぐる紛争の原点には、薩摩藩の侵略が在り、アメリカも日本同様ハワイのクーデターでハワイ王朝を倒し、併合した歴史的事実があります。

アメリカと日本の違いは、1993年「米国公法103−150議会共同議決」が採択され、米政府米軍がハワイ王朝を転覆させたことの違法性を認め、米国議会として謝罪し、同年クリントン大統領もハワイで謝罪の言葉を述べ、同決議に署名した、と言うところです。

要するに、わが国は薩摩藩による琉球王朝侵略と清国との関係断絶と言う明治政府の命令に従わなかった琉球王朝に対し1879年軍隊を導入して王国を滅亡させ、国王を東京に拉致した琉球処分から、尖閣列島問題を論じなければ、国際的に信用されないと考えるのですが、いかがでしょうか。

今沖縄の人たちは、本土から差別されていると考えるものの、今更中国に属してチベットのように漢人による弾圧など望まないでしょうから、歴史の原点に戻りそこから沖縄の人たちと真摯に話し合いをしなければならないでしょう。

仮に沖縄が独立しても、中国につくことは無いでしょうから・・しかし、中国はそのうち北朝鮮も中国だ、韓国も元中国領だなどといい始めることもあります。中国は世界の中心であるという「中華思想」を地球の隅々まで広げるのが中国皇帝の考えなのです。
posted by やすかね at 10:10| 千葉 | Comment(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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