敬老の日は、長年社会のために尽力された高齢者に感謝し、その長寿を祝う会ですが、ご挨拶の冒頭にどうしても「少子高齢化」という冠がついてしまいます。この冠は、高齢者が多く社会的に困難が伴っているような雰囲気をもたらしている感じもします。
このような、雰囲気があるせいか先日公明党のN議員は議会の質問で「高齢者」と言う言葉に対し『幸齢者』などと言うわけの分からない漢字を感じで使っていましたが、スポーツ新聞のような日本語無視あるいは絵文字感覚の漢字使用は「言葉狩り」の逆バージョンでしょう。市議会議長もこの変てこな文字使用に対して注意を促し、正しい文字に変更したようです。もっと厳しく言えば質問通告自体「意味不明」で『無効』となってしまうのではないかとも思います。
話がそれますが、最近私は、公明党議員からは当然のことですが「好感度ゼロ」のようです。何度か公明党の議員の活動を評価したときもあるのですが、喜怒哀楽で『言葉狩り』(322n)『議会制民主主義のイロハ』(313n)『田舎侍・百姓武士』(217n)などで公明党議員のご批判をさせていただいた、その影響でしょうかね。
そんな訳で、私が何か言うと条件反射的に「反論」されてもいます。たとえば先日教育民生常任委員会で議員視察についての時です。二泊三日の日程で行なわれる視察ですが、実質的に視察は二日目で終了し、三日目は市原に帰るだけの日程と考えられましたので、事務局に「三日目の福岡市内視察は、この委員会の行政視察と関係あるか」と伺ったところ、密接な関係があるとも思えませんでした。
二日目で視察を終了として全員で帰ろうとしますと、時間の関係で無理がないとも言えませんし、同行する職員の負担も大きいと考えられますので、私だけ一人「無理して」帰ることにしました。そこで、他の委員に「二日目が終了した段階で帰らせていただきます。」と言ったところ、公明党のO議員何を考えたか、『市内を見るのも行政視察だ』などと食って掛かってきました。すかさず私は「私に反対するための、ためにする発言はするな」とたしなめる場面がありました。
公明党のO議員がなぜ、こんなつまらない「反論」をするのか考えるに、その理由が分かりました。直前の委員会で議題となった小学校の建替え工事についてのことです。佐久間市長は市内業者育成の観点から「地産地消」を唱えており、この小学校について全てではないでしょうが、材木は市内で生産された材木を使用するようになっていたのです。しかし、公明党O議員は、この点について『市内の材料を使うと割高になるのではないか』と発言しました。分らないでもありませんが、この発言の趣旨は市長の言われる地産地消に正面きっての反対ですから、私がO議員に「全体の費用の中でのことだから、それほど高くならないのではないか」と反論したのです。このような正当な議論に対して江戸のかたきのような話は、その器量が分かります。
話が、それてしまいましたが、今日の話は、17日に行われた戸田地区の敬老会でのことです。戸田地区敬老会には来賓として戸田小学校長ほか、政治家は自民党の松野衆議院議員も参加されていました。松野議員は昨年のT県議の様に私が話し始めると途中で帰ってしまうなどと言うこともなく、ご自分の挨拶の機会もない(ご紹介だけ)中で私の話を最後まで聞いておられました。
今の私の関心事は、自民党のまとめた貸金業規正法と利息制限法の改正ですので、その話をしながら、松野代議士に『私の言いたいこと、自民党の悪口もたくさん書いてありますが、お読みください。』といって読んで頂きたいところを何箇所か折り込んで「喜怒哀楽」を手渡ししたところ、松野代議士『先生の書かれたものですか?色々議論があるのが民主主義ですから、勉強させていただきます。』と自民党の悪口(批判)など意に関せず受け取って頂きました。
日ごろ、国会議員にも県会議員にも全くどうしようもない議員もいると考えているのですが、さすが人気急上昇中の松野代議士はその度量たるや、と感じ入ったしだいです。今日はテーマも考えないで「そこはかとなく書き綴った」ものですから、話がスライダー、カーブしたようですが、悪しからず、そんなことで今日のテーマは『議論があるから民主主義』とさせて頂きました。裏にまわっての悪口雑言でなく、正当な相互批判があってこそ民主主義です。
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