一冊の本(朝日新聞社)10月号に佐藤優氏が「脱原発は可能か」というのは問題の建て方が間違っている。建てるべき問いは「脱電力は可能か」であり、この問いは必然的に自分の暮らしと直結します。と書いています。
要するにドイツのように「脱原発」と叫んでも、自分たちの暮らしを犠牲にしなければ隣国の原発から電力を輸入することとなり、結局これは嫌なものを他者に押し付ける「排外主義」になるという分析です。
社会にゴミ処理場などの嫌悪施設が必要としても、(何も考えずに・・)それは自分から遠いところに作ってくれと言うならそれは「排外主義だ」になるということです。
ですから、暮らし経済を考えずに「脱原発」を唱えることは排外主義となるので、節電と貧乏を何処まで辛抱できるか、その上でどの様な経済政策を選択をしてゆくべきなのか、この様なことを考えてゆかなければならない、と思いました。
このブログも大分時間があいてしまいましたが、野田内閣ができてから、私も政治に関して余りコメントをしたくなくなったのですが、これも多くの人が共有している「沈黙にこめられた思い」だそうです。ナァーホド書きたくなかった原因が判明しました。
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久しぶりの更新、楽しみにしておりました。お時間の許す限り是非とも更新をお願い致します。
そういえば小生が5月、7月に書いたブログを思い出しました。
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http://87oyazi.at.webry.info/201105/article_3.html