2011年08月04日

「絆」が大切さ、この格差社会

8月3日住友生命では「日本の未来を強くするために必要なものを表す漢字一文字」を募集したところ、「絆」が「愛」464、「信」の397を圧倒し1,419で一位となったそうです。

その理由として今回の大震災で人とのつながりの大切さが見直されたと解説してありますが、私はこの様な見解は皮相だと考えています。

私たち日本人は(というと何か民族主義的な臭いがしないわけでもありませんが)昔から、家族・地域の助け合いがあって社会が成立していたと思います。

村八分などという言葉もあるとおり、村での十分の付き合いは正に「絆」の典型でしょう。色々の煩わしいルールの中で人と人との関係が成立していたのです。

地域集団の中でとんでもない悪い奴は「仲間外れとしての村八分」の制裁を受けたのですが、それでも火事と葬式ではお互いが助け合う関係にありました。

戦後の高度成長経済の中で「生産効率をあげるため」に「資本主義的不合理」を徹底的に排除するなかで、それまでの大家族はバラバラになり、夫婦と子供を単位とする核家族のなかで今のこの格差社会、匿名社会(アパートの隣の人が何者か一切分らない)が出来てきました。

以前喜怒哀楽にも書きましたが、私たちの地域にはお祭りになると家々を回りモチをもらいながらこれを一年分の食料として生活している「知的障害者」がおりました。彼はお祭りになると地域の家々からモチをもらう「権利」を持っていたのです。地域社会は生活困窮者を支える絆であふれていた社会だったのです。

それが最近は、煩わしさを徹底的に排除する中で「絆」を失ってきたということです。

8月2日に映画監督の山田洋次さんが映画「東京家族」を制作する予定だそうです。今なぜかというと「家族や地域が成り立つためには沢山の約束事、決まりを守らなければならない。その煩わしさから開放され、ある意味での個人の自由を得ようと・・その中で他人に関心を持たず、自分だけ幸せならいいというエゴイズムが生まれた。国の経済発展がそういう人間を作ったともいえる。」と述べています。

社会のまとまりがなければ、その隙間に国家権力がゴリゴリ入り込み結局個人の自由がなくなってしまうのではないか、何でもお金(これは国家が流通させている)で「解決」し他人とは無関係(「自由」)な社会が社会から落ちこぼれた人の将来を悲観的なものにしてしまい、無差別殺人など発生する下地を作っているのではないかと思います。

モチをもらい歩ける社会的弱者に対し、お金でなく「援助」という「贈与」が出来る社会だけが、今のこの格差社会を少し立ち直らせることができるのではないか。人のために何が出来るのか、一人ひとりに考えさせてくれるのが「絆」ではないでしょうか。貴方は今どの様な贈与をしていますかな?
posted by やすかね at 19:01| 千葉 ☔| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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