2011年06月27日

臓器移植法違反で医師逮捕

医師が臓器移植法違反で逮捕されました。(6月25,26日新聞報道)医師ですから、お金はあったのでしょうね。しかし、臓器の売買は法律で禁止されていますので、今回暴力団員と一緒に逮捕となりました。

人間の欲望を法律などで禁止ますと、必ず暴力団などの「資金源」となります。古くはアメリカの禁酒法があり、現在では多くの薬物事犯が典型でしょう。

今回の事件を見て、人間を含めすべての生物は自己の生存を最大の価値としますから、逮捕された医師は妻とも相談して「逮捕されても移植を受ける」と決断したのでしょうね。医師としての自分と家族の生活を守るために・・。

この事件からわが国の医療について考えさせられてしまいますが、何を何処から考えたら良いのか大変ですが、極めて乱暴な言い方をしますと、要するに@医療は個人が生きながらえるための技術なのか、A社会公共の全体の利益に対するコスト(子供を含め、生産年齢層に対するリスク)なのかということではないでしょうか。(それと、医療費の負担を税とするか保険料とするかを組み合わせる。)

@なら、人間の本能に基づく技術であるから、お金のある人は法令(公序良俗)に反しなければ何をしても良いでしょうね。(医療と保険は民間運営)Aであるなら、社会的に生産を向上させることの出来る人を対象として医療を施す(公的医療)、ということになります。イギリスでは1948年労働党内閣のとき収入・年齢・国籍・地域に関係なく必要な医療を無料で受かられるとしたそうです(後述の本)から、Aをもっと前進させた崇高な理念に基づくものです。わが国では高度経済成長を支えた国民皆保険制度が世界に誇れるものです。

この@Aの両極端な考え方の中間に、今回の事件のように「命を金で買っても良い」だろう、或は「人間は与えられた人生を全うすべき」であり、移植医療などとんでもない、などの倫理的側面から、また例えば、(極めて優遇されている)公務員と大企業の労働者の保険に対し、(個人負担が大きい)国民健康保険に見られるような医療保険に残る「身分制」、逆にイギリスのように国民の公平性を重視し医療費を税金で賄うか社会保険で賄うか、さらにはわが国の後期高齢者医療保険の問題(年齢によって受けられる医療サービスを差別する)などそれぞれの国の事情・基本的考え方の違いによって国々の医療が運営されているようです。

何はともあれ、数年前「脳死を人の死とすべきである」などと議会でも言ったのですが、わが国の脳死の問題とか移植医療の問題は諸外国からかけ離れて「医療鎖国」だそうですから、医療の問題についても医師とか厚生省の役人・学者に任せるのでなく我々が自分の頭で考える必要があるようです。
以上の文は最近頂いた「医療鎖国」(中田敏博著 文春新書770円+税=808円)という本を参考にさせて頂きました。まだ、十分読み込んでいませんので本のご紹介だけさせて頂きました。






posted by やすかね at 17:29| 千葉 🌁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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