2006年07月11日

ジダンの頭突き

サッカーワールドカップもイタリヤの優勝で終了しました。この決勝戦フランスの英雄ジダンは相手選手に何を言われたか分かりませんが、振り向きざま相手の胸に頭突きを一発喰らわせました。相手選手はその瞬間後ろにダウンし、ジダンにレッドカードを出させました。

先日友人とゴルフをしているとき、わが国選手の不甲斐ない戦いぶりを見て、「あれは、狩猟民族のスポーツだよね、あの激しさは日本人にはない」と一同見解が一致しました。

獲物に襲い掛かるようにして、ボールを持っている相手方に鋭いスライディングをする激しいスポーツには絶対に怯まない闘争心が必要と思いました。

仮に、ジダンを擁するフランスが優勝すればアルジェリア出身の彼には「神話」が出来ると言われていたのですが、そんなことにはお構いなしに頭突きを喰らわせたジダン、あの激しさを持つ日本人はいないでしょうね。

今日の天声人語(朝日)と産経抄(産経)は共にジダンの頭突きに触れていましたが、「ジダンの頭突きは、W杯ドイツ大会のなかでも、ダントツの迷シーンだった。」と僅か36文字分3行で紹介した産経に比べ天声人語は140文字分も使った結果でしょうかピンボケの文章となっています。

あの画面を見た人は誰しもあの頭突きの一瞬が脳裏に残っているはずですから「ジダンの頭突き」で全てが明らかです。特に「後味がわるい」とか「退場」等と解説を加えるまでもなく、読み手は全て分っています。

後に続く文章もジダンが病院のダニエル君を訪れた「彼の一面」をここで紹介(朝日)してくれなくとも「ジダンの頭突き」はサッカーが激しいスポーツである事と日本人の弱さを証明してくれたと考えるのは僕だけではないでしょう。

産経は、明治の頃日本を訪れた英国人キプリングが美しい工芸品や職人の技に感嘆しながら「日本人は、『性格の勁(ツヨ)さを持ってさえいれば、全世界を手玉にとって戯れることさえしかねない国民』なのに、それがないために、世界を手に入れたのは『私たちのほうだった』というのである(『キプリングの日本発見』)・・「サッカーに置き換えれば、技術や戦術もさることながら、欧州勢に比べて日本が見劣りするのは、ラフプレーをはねのける闘争心ではなかったか。」と述べ、世界を手玉に取る必要もないが、せめてミサイル発射という蛮行をやめさせたい。日本人が繊細な文化を大切にしながら、キプリングの言う「勁さ」もまた持ち合わせたい。と結んでいます。

この迫力のある文章を見てから天声人語を見ますと、好みですかねー、参考答案と落第答案程の差が見られます。是非読み比べてください。

長くなりますが、今日も裁判所で意気地のない裁判官は、既に第二回の話合いというのに訴状も見ていないトンチンカンの話をしていました。先月26日に京都の高橋靖夫弁護士は、山口県光市の母子殺人事件で、最高裁が二審の無期懲役を破棄して高裁に差し戻した判決に触れ「下級審は『死刑判決』へ勇断持て」と題して「裁判官は・・大岡越前のような勇断型の人間ではなく、逆に臆病な性格の者が『戦い相手』がいない裁判官の職を選んだともいえる。死刑・判子を押さない法務大臣・・被告人は極悪非道をといいながら死刑判決を回避している裁判官は死刑にした被告人から恨まれて気味が悪い・・臆病な心底が見られる。」と裁判官を叱咤していました。

以前、死刑制度に反対の法務大臣はその資格がないと書きましたが、明治のころから日本人は、勉強はできても弱虫であり、長いものには巻かれろ式にその場を取り繕うとする「我慢強さ」を持っていても正義感がない、優しさでなく単なる優柔不断、弱いものには強く当たれる、協調性ありそうであるが自己中心、善人ぶって陰湿な陰口を言う、礼儀正しく慇懃無礼、などなど全て勁(ツヨ)くない日本人、弱さの現われですかね。
posted by やすかね at 20:10| 千葉 ☁| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする