仕事は、憲法で言う「適正手続き」のように過程を重視する考えもあります。相撲でも「はたき込み」、「首投げ」などで勝っても親方衆から余り良い評価を受けませんが、これも勝ち方にこだわりがあるからでしょう。
お金儲けも単に「儲ければ良い」などと言いますと「守銭奴」と非難されます。
要するに結果のみを重視すると、幾ら勝利しても社会的評価は受けません。
奢る平家は久しからず、勝者は、奢ってはいけませんし、喜びを分かち合う事こそ次の勝利に結びつくでしょう。ここまでは極めて奇麗事でこれに反論する人もいないでしょね。
しかし、勝者云々は勝利した人、勝利できた人の「余裕」であり「敗者」の妬みの裏返しであるかも分かりません。
テレビでのプロは『衝突こそ真理なり』と考え仲間・部下の作品に対し徹底した「批判」を加え、場合によっては人格をも非難するような状況でした。
極限状態において最高のものを生み出せる。とも言っていたようです。背水の陣を採って勝利を呼び込み、結果を出さなければ、存在価値がないということがビジネスの鉄則とも思います。
司法試験も自分より若い「先生」に月謝を払い徹底した批判、場合によっては非難とも受け取れる事にも歯を食いしばり、自分の弱点を克服しなければ合格はできませんでした。
グダグダとこんな事を考えてきますと、徹底した衝突をして無駄・不合理を取り除いてこそ真実が見えてくると思います。
戦後60年、わが国は多くの人が、表面的に付き合い、相手に対しても差しさわりの無い事のみを言い合い、和気あいあいと仲良くしてきた結果、経済的には比較にならない北朝鮮に舐められ、日本が恫喝されているのが現状でしょう。
一人でグラスを傾けながら、憤りをぶつけている様な話ですが、喧嘩を避けるな、常に直球勝負で良いじゃないか、と思いませんか。
【関連する記事】