2006年06月26日

お金は天下の回り物

6月議会の代表質問も「無事」終了しました。今回も少々難しいと感じた本を読んでの「机上の空論」を展開しながら執行部の答弁を聞くつもりでしたが、自らの力量不足から、前日の原稿を午前12時頃になって、没にしてブラジル戦を挟んでの原稿書でした。

要旨は、人口減少社会は必然的事実ですので、これに反し、しかも公的なところでさえも271千人と想定している中で本市の人口増を図るには並大抵の事ではないぞ、という思いでした。

特に前の総合計画での人口推計の取り方には恣意的な「間違い」もあり、大いに問題があったのですから、同じ轍を踏まないように十分注意しないと今後の計画がおぼつかなく思えたからです。

結局経済の根本的なところは、人間が生きてゆくために生産した物が売れ残る事が経済の不況という事ですので、ここを押さえ、次に右肩上がりの生産拡大は将来的に無理である事が言われているのに同様の考え方を根底においているのではないか、そうでなければ後9年後に人口30万人の市原市が想定できるはずがない、と思えるからです。

即ち、これまでは終身雇用、年功序列という日本的雇用こそ、わが国の経済社会の基本であり、これにより誰しも将来はよりましな生活ができると「幻想」して忠誠心を持ちつつ会社の利益拡大(売上拡大)に努力してきたのでした。

ところが、人口増加がとまり、減少に転ずると会社に入っても「後輩」は入社せず、年功序列も団塊の世代の賃金上昇が困難になり始めると、大規模な「リストラ」という首切りの対象とされ、結局年功序列どころか終身雇用も重大な危機を迎えるようになりました。

そこで、最近見つけた「人口減少社会の設計」(中公新書)では日本的生産方式を大きく方向転換を図らなければ日本経済もわが国民も幸福を手に入れることができなくなる、というものでした。

経済の基本は生産物の消費ができないと回っていかない、即ち生産額に見合う消費社会ができていなければ在庫がたまり、経済は縮小化してしまいます。「お母さん、どうして家では石炭が買えないの」「それはね、お父さんが石炭を掘りすぎて売れなくなり、失業したからよ」というは話が経済の本質(矛盾)を突いているように、社会の富が適切に労働者、消費者に配分されなければ経済が回っていかないことです。それでも人口、国民の生活水準が上昇して社会的に消費が拡大できれば不景気は回避されていたのです。

わが国では、今までこの労働分配率が欧米に比べ低かったのですが、それでも経済が拡大続けられたのは、国民の生活水準向上と企業側の分配分が「設備投資」ということで「消費」に向けられ、わが国の生産物が「完売」されていたからです。

さらにこの設備投資に加え公共事業という「消費」がそれ(国内生産物)の消費を支えていました。しかし、この様な設備投資という消費は次の生産拡大につながりますから、わが国は生産物をどんどん外国に輸出しなければならなくなります。

アメリカでガソリンなどが高騰しましたが、そのときアメリカの設備が極めて古く、経済的に陳腐化しているとの報道もありましたが、アメリカでは消費者がどんどん消費し貯蓄をしていなかったものですから、企業は設備投資の資金調達が困難な状況がありました。

わが国の国民の貯蓄率が高く、多くの資金が銀行に集まり、銀行は潤沢な資金を企業に低利で貸し付ける事ができましたから、企業は低利で効率の悪い設備投資もどんどんできたのです。生産性の悪い職場では賃金も上昇せず、生活水準も向上しなくなりました。生産性、効率の違いから国民の経済格差のみ拡大してきました。

即ち、わが国では、右肩上がりの経済はもはや困難と知りつつ、個別企業ではいまだに売上拡大のみを追及して、企業の収益率拡大を真剣に考えてこなかったと思います。需要が落ち込みながら設備投資が盛んになり、社会的格差を経済成長では吸収できなくなりました。

以上の論理が「消費不況」といわれている実態と思います。「お金は、溜めるものではなく、どんどん遣え、稼いで遣って残せ」と言ったことがありますが、お金は天下の回り物は、回さないで溜め込んではウンコと一緒です、段々汚くなりますから、どんどん遣え、と言っても現在の賃金は欧米諸国に比べ低い、ということです。

賃金水準はその国の労働者の労働生産性の程度によると考えますので、豊かさを追求するには国際レベルの効率性と賃金水準が必要です。

それにしてもわが国は代々蓄積のできない国民となっていますね。一代で住宅を購入し、子供を教育し、文化的な最低限度の生活をするには大変です。家具なども大量生産品で何年も持つことなく、たちまちゴミとなってしまいます。

昔のように職人が丁寧に作った価値のあるものなら、孫子の代まで十分使えるのですが、何時から日本人は安物買いの銭失いになったのでしょうか。「もったいない」といっても安物では捨てるしかありません。日本人の文化はそんなものではなかったはずです。

出発点と終わりの方がずいぶんと違ってきましたが、この辺が質問原稿の難しさでなかなかまとまりませんでした。今日の原稿は先ほどからの書下ろしです。
posted by やすかね at 00:00| 千葉 🌁| 議会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする