最後の代表質問までのこと、特に亡遠山一郎氏のことなどを書きます。
私が、みんなの党から県議選への初出馬ということで皆さんに大変お騒がせいたしております。4月1日告示ということで、立候補の届け出をすれば、当然失職してしまいますので、市議会平成23年第1回議会において、代表質問の3日目の3月2日、私の二期8年の市議会議員の「総決算」ということで最後の代表質問をいたしました
私の問題意識は、8年前の姉ヶ崎森林公園の用地取得と一昨年の秋の加茂運動公園での用地取得がどうしても許せない「税金の無駄遣い」であるので、この問題となっている行政組織の意思決定、特に過去の過ちから何を反省して同じ過ちを二度と繰り返さない組織となっていただかないことには市議会議員としての意味もない、と強く考えています。
これについては後日改めて書きます。今日は、私の行政に関する師匠である故遠山一郎のことに触れます。
質問のはじめに昭和48年僕と同期に入庁した故遠山一郎氏の「遺言」を紹介することにしました。彼とは一緒に某国家試験を受験したこともありますが、母親が私の近所の出ということで、久しくお付き合いをさせて頂きました。特に私が司法試験に合格した年に彼は係長になって僕が市議会議員となったときは、市長側近の室長として活躍していました。
市内のローカル新聞のインタビューに答えたとき、行政のプロである彼には色々教えてもらうことが沢山あったことを思い出していました。彼と最後に話したのは昨年末ころでした。
抗がん剤の影響で、息も絶え絶えで話をするのが大変という状況で話をしますと彼は私に『やすかねよー、おめぇー議員がヨー、少し嫌になっているかもしれないが、市長よ、市長を支えてやってくれよ、なぁ頼むよ』と話しました。この彼の話しぶりを聞いて「ああ、大分疲れているな、もうそう長くはないな、悔しいだろうが病には勝てないな」と思いました。
僕にも7年前、甲状腺がんが発見されたとき、彼は「癌の先輩」として『本人はよー、死んでゆくのは仕方ないが、残された家族が大変だよ。家族のことを考えると、簡単には死ねないよ、だからお前ぇーよー長生きしろよ。』と励ましてもらったものです。
幸い私は、腺癌ということで転移の可能性が低いということで何とか生きていますが、人間癌とかになりますと、「時は金なり」とは言いますが、正に時は人生そのものだということを実感します。
所詮誰しも、そのうち死んでしまう人間であるなら、自分は多くの人に羨まれる弁護士になったのであるから、自分の時間も多少人様のために使わなければ、弁護士の社会的責任を果たすことも出来ないと感じています。
今回の県議への出馬もエラソーに言えばこれが「動機」であり、最初のパンフにも書きましたが「今自分に何が出来るか、出来る最大のことをしてみようではないか」ということです。
遠山との約束もありますが、61歳の今しか出来ないこともありますので、今回の出馬声明は遠山に十分説明も出来ませんでしたが、今の僕は、この市原からを卒業して、この千葉県を何とかしなければ、との思いがあります。彼は僕に『俺は市原には世話になったから』と何度も言っていましたように、郷土愛は十分理解していますので、僕の今回の出馬も理解してくれていると考えています。
遠山の『俺は市原には世話になったから』この一言、これはこの市原に住む人、この千葉県さらにはこの日本に住む人々が誰しも考えなければならない出発点と思います。遠山は、市原に世話になったと僕に言うことが、行政マンとしての原点だったように思います。
2011年03月04日
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