2006年05月17日

福沢諭吉の「機会の平等」

最近の新聞などをみていますと、現在の経済は「バブル経済を超える景気拡大」と報道されているのですが、その実感は我々には全くありません。却って低賃金・貧富の格差拡大、サービス残業拡大、自殺者の増加など社会経済状況の悪化しか実感がありません。

そんな中、「格差拡大を小泉改革に帰すのは早計」と題して加藤寛氏(千葉商科大学学長)が「正論」を述べています(5月13日産経)。要点は副題「機会の平等も努力なくば生きず」にあるように『格差を乗り越えられない人は職域を狭められ、より低い労不動へと追いやられていく。この技術格差は天がつくったものではなく、人間の努力の差に他ならない。』ということのようです。

加藤氏といえば、小泉内閣の懐刀竹中平蔵総務長官の恩師であり、「小泉改革の元祖」のような人です。また昨年行われた京葉五市の議員研修会で講演をされ、その講演料は90分で100万円と伺って驚いたしだいですが、全国紙に顔写真入で的外れな「正論」を書くとは既に老境に入り、社会の一線から退くべきときが来ているようです。

冒頭『小泉改革の前進によって次第に景気は上向いてきたと見えるのだが、反対派はそうは見ない。小泉改革によって格差が拡大し、日本は少しも良くなっていないという。』といい、いわゆる福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず」を引用しつつ『人間は本来、平等なりと諭吉は述べたのではなく、人間の世は本来、不平等なのであり、その格差を埋めるのは学問しかないと主張していたのである。』というのは「正論」としてもその後に続く文章は全く「老境」の文章で社会経済の本質に遡る分析など全くなく「筆力」は感じられません。

例えば『それ(少子高齢化)に伴う格差は、小泉改革によるものとは言えないのに、小泉改革のせいにされる』と言うのですが、『少子高齢化に伴う格差』などのフレーズは理解不能であるし、ジニ係数云々にいたっては「犬の尾の上下動」などと全くの論証抜きで悪口を言い、株の譲渡益課税の半減、相続税の最高税率の引き下げが『株や資産を持つ人に手厚い対策となった。』のフレーズは単なる羅列であり、その位置づけも全く理解できません。

さらに『またある人は言う』とのべ、小泉改革の格差拡大要因として発泡酒等の酒税引き上げ、配偶者特別控除上乗せ廃止、医療費負担増の事実関係を認めながら、しかし、として小泉の国会答弁「どの国、どの時代にも、ある程度の格差はある」「勝ち組み、負け組みを固定化しない環境整備は必要だ」として機会の平等説に立っている。とのべ、ここでやっと諭吉の言葉に戻っているようであるが学者らしい分析もなく論旨不明の他人の言葉を引きつつ最後に『歪はむしろ上昇・成長の過程である。』『その格差の解消にこそ個人の努力が望まれる。』と本音を述べ、「現在の社会は機会の平等が保障されているのであるから、格差の拡大は努力の足りない(怠け者)である。」述べているのである。

拙本「喜怒哀楽」の「天は人の上に人を造った?」(103頁)で『現実に生きている人間は千差万別ということが真理』である、しかし人間の価値は抽象的には平等と考え能力ある人に社会に対する義務を主張したのですが、加藤氏は諭吉の言葉を「人間の世の格差を埋めるのは学問しかない。」と理解するのは良しとしても、さらに「格差の解消にこそ個人の努力が望まれる。」と結論付けして人間の不平等を個人の努力が足りないと理解してしまっては、今の日本経済を動かしている竹中平蔵氏の恩師であり、慶応大学を創設した諭吉の何代目かの高弟である加藤氏に対し諭吉もさぞかし天国で苦笑している事でしょう。

今の社会に能力に応じて教育を受けられる「機会の平等」が本当にあるのでしょうかね?毎年数百名の優秀な人は頑張れば医者にでも弁護士にでもなれるのですが、それすら今の社会では危うくなりつつあります。「正論」でもう少し諭吉の考える「機会の平等」に踏み込んで論評して欲しかったですね。もう一歩踏み込んだ論評をしてこそ90分100万円の価値があるのでしょうが、今回の「正論」は既にへっぽこ弁護士の講演料90分3万円の価値もないでしょう。ヘヘヘ。
posted by やすかね at 00:00| 千葉 🌁| 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする