2006年05月09日

「販売証明シール」悪魔の証明 「販売証明シール」悪魔の証明

万引きされた本が古書店に転売されることを防ぐため、福岡県警と福岡県書店商業組合が販売した本に「販売証明シール」を張る(ママ)制度を今夏に始めるそうで、シールは一枚一円で組合が負担し福岡県は990万円の予算を計上した(産経5月9日)。と言うことです。

導入の動機として「福岡県警少年課は『安易に行われがちな万引きは悪質な少年犯罪への入り口。シールの存在で万引きを防ぐことができれば』と期待をよせている。」と言っています。

しかし、書店での万引きを防ぐため販売した本に「販売シール」を貼ることがどうして万引きが防げるのか分りませんし、そもそもこの様に考えることには、犯罪とその発生原因に関する科学的検討およびわが国法制度の全体に対する無理解があります。

先ず、少年犯罪に関していえば、多くの誤った報道があります。典型的な事例としては「最近少年の犯罪が増加し凶暴化している」などとの報道でしょう。犯罪白書などの統計によれば必ずしも増加している傾向は見当たらず、昔から凶悪犯罪は社会の中に一定数発生し、特に最近になって凶暴化したとも言えないと思います。「凶暴化し増加」と感ずるのはワイドショーを先頭にしたマスコミによる過剰報道が原因でしょう。

次に「防犯」について考えますと、犯罪を防ぐには最初に犯罪の原因を明らかにしなければなりません。パンを盗もうとする人は多くが腹の空いている人でしょうし、腹も減っていないのにパンを盗むのは、パン屋に恨みがあるのか、面白半分か、善悪の区別のつかない人となるでしょう。

そこでパン泥棒を発生させないためには、犯罪者の側から見れば「腹を空かせない」「恨みをかわせない」「健全な遊びをさせる」「善悪の教育を施す」ことになるでしょうし、店の側の防犯として十分な監視をすることになります。

この様に犯罪を社会からなくすためには犯罪の原因の究明が不可欠であり、次にその原因を克服することが必要です。今回の「販売証明シール」は、シールのない本を「万引きの可能性がある」ということで古本屋が買い取りを拒否できるようにしようというもので、万引きそのものを直接防止しようと言うものではありません。「万引きの可能性のある本」は古本屋で買わないことにして間接的に万引きを防止しようと考えているものです。

しかも、万引きされた本がどれ位の割合で古本屋に持ち込まれるかも全く分からない状態で「シールの無い本は万引きされた可能性がある」と一定の判断を下そうとしているのです。

この様なアホナ制度が一般化するはずも無いでしょうが、仮にこの様な「販売シール」制度が存在していると考えた場合、これから福岡県に行く場合には一切本を持参できなくなります。「コミックや高額な写真集を中心に」シールを貼るそうですが、全ての書店で常にシールを貼ることも不可能でしょうし、「コミック」「高額な写真集」を中心にと言われてもシールを貼る対象となる本の範囲も不明確です。

結局、万引きされた本の所有権は常に書店にあり(一定の要件を備えて民法の適用がある場合を除き)次々に転売されても、その本を買った人が本の所有権を取得できませんから、古本屋に売れないことは当然としても、普通に本屋で購入した本でも「シールの無い本は万引きの可能性がある」と考えられてしまいます。この制度が社会全体に進むとなると、それはとてつもない怖い社会を連想できます。

シールの貼ってない本を持っていて警察官から「お前の所有権を証明しろ」と職務質問されたとき所有権を証明できる人がいますかね。僕が自分の書いた「喜怒哀楽」を持っていても誰かに売ってしまっている可能性もありますから「自分の所有権がある」とは完全には証明できません。

この様に、今の社会では総べての物の所有権を証明することは「悪魔の証明」といってある段階で法律によって所有権の推定をしなければできません。この様なわが国の法体系の中に「シールを貼ってない本は万引きの可能性がある」という制度を導入しようというのですから、その馬鹿さ加減がわかるというものです。

以上のとおりですから、福岡県の役人は何を考えているのでしょうか。「販売証明シール」の導入の動機である『安易な万引きが、悪質な少年犯罪への入り口』と考えるのはあまりにも『安易』に行われているようでこの様な馬鹿馬鹿しい制度はすぐ止めたほうが良いでしょう。
posted by やすかね at 00:00| 千葉 🌁| 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする