2010年11月06日

大阪地検特捜部から・・わき道へ

大阪地検特捜部の事件は、「特捜部長の逮捕」とあってはならない「事件」となりました。そこでテレビを見ますと元東京地検特捜部副部長などという弁護士のセンセイが『私たちのときはそうではなかった。』などときれいごとを言っているのですが、20年ほど弁護士をやっていますと、正にテレビでの先輩のコメントは『きれいごと』でしかありません。

このきれいごと発言を聞いていますと、つい「お前達先輩が『指導』してきた結果でしょうに!」と怒鳴りたくなります。

それではなぜ、無実の人を罪に陥れる様な人間が国家権力の中枢にいるのでしょうか。どうしてあんなに罪を作るような検事が天下の特捜で(罪を作る)現場にいたのでしょうか。結論を申し上げるとそれは、検事の調書を何でも信じてしまう馬鹿な裁判官が多いからです。

刑事裁判では有罪とするためには「合理的疑いを入れない程度まで証明される」ことが必要です。

ついでにいますと民事では原告と被告でどちらの証拠が優越しているか、となるのですが、現実には原告とか債権者には刑事よりも厳しく立証せよといわれているのです。裁判官の石頭は書面主義ですから、商工ファンドのような悪党がのさばれる「法治国家」となってしまったのです。(また段々腹が立ってきて・・大阪地検特捜部のことはまた後日ということで・・)

話が飛びますが、民事事件で原告が勝訴判決を貰い、これが確定すれば、国家権力によって、裁判の原告から、強制執行をやってもらえる、強い債権者となるのです。これを裁判で負けた(被告)債務者から逆に見ますと、債務者の財産権は債権者との関係では保障されていないということです。

ですから、国家権力は債権者の利益を守るため、債務者の財産を追いかけてこれを強制的に取り上げ、これを債権者に引き渡す義務があるということです。

裁判で勝ったり負けたりすることはこの様な関係となるのです。ですから、裁判で負けると、とても怖いことなのですが、ところがどっこい、国家権力はいい加減なんです。

実際の話ですが、原告が裁判で勝訴して(国家権力の後ろ盾を持つ強い)債権者になったのですが、債務者は債権者にお金を払わず、せっせと生命保険会社に掛け金を支払っているのです。保険は貯金などと同じように債務者の財産ですから、国家はこれを差し押さえ、これを債権者に交付すべきなのです。しかしです・・

そこで、債権者としては頭にきて、裁判所を通して保険会社に生命保険を解約してその解約返戻金を支払え、と言いたいのですが、さてその保険会社は判明しても、信じられないのですが、裁判所が大きな壁となって債権者の前に立ちはだかっているのです。

債権者が裁判所に対し、保険会社(第三債務者という)に差し押さえ命令を出してくれといいますと、裁判所は債務者の名前だけでなく『保険証券を出せ、保険の種類を明らかにしろ』と言ってくるのです。

保険証券など債権者の手元にあることこそ不思議ですから、債権者としてはあらかじめ保険会社に対し、保険を特定するためには何が必要か、と聞いたところ、保険会社は『住所・氏名・生年月日などわかれば保険証券などなくても契約者の保険の種類は特定できる。』ということです。

当たり前ですよね、同姓同名がいることは当然としても、さらに生年月日が明らかになれば、大体特定でき、さらに住所も現在の住所でなくとも保険会社に残っている過去の住所でも債務者の個人が特定できるはずです。
そんなことはパソコンの画面に1秒もかからず出てくるのです。

ところがですよ、裁判所は、債権者の方から保険契約の種類などを事前に明らかにしないと、第三債務者が回答できない恐れがある、などと全く信じられないことをいうのです。

この馬鹿馬鹿しいことについて文句を言うと裁判所がなんと答えたか分りますか。「第三債務者がもし回答できないとき、債権者から損害賠償請求をされる危険性がある。」というのです。

損害賠償請求をされるということは、保険会社に存在していた保険契約があったのに、保険会社がこれを故意過失でもって裁判所(債権者)に違ったことを回答した場合なのです。

いいですか、保健会社は契約者の名前とか保険料とか引き落としの日時などからも十分債務者の保険を特定できるといっているのです。仮にそうでないとすると契約者が証券などを紛失した場合に保険金を受け取ることが出来なくなり、保険会社はぼろ儲けをすることが出来るのです。こんなことはありえません。

今の時代、名前だけで全ての保険契約の一覧表を作成できるのです。その中から生年月日・住所・保険料などいくつかの検索ワードを入力すれば、すぐさま個人の契約が特定できるのです。裁判所から差し押さえ命令がくれば債務者の契約を特定してこれから直ちに解約返戻金額を計算して、これを裁判所に報告できるのです。こうすれば債権者は、目出度く裁判で勝った結果の一部を回収できるのです。

この様な社会実態があるにも関わらず、裁判所は明治時代のような感覚で債権者に対して厳しい条件を出してくるのです。腹ただしいですが、裁判所は保険会社の利益(解約されると保険会社の契約高が減少する)を代弁して、自分たちの判決を無意味なものとしているのです。だから某弁護士は『判決なんかあってもケツも拭けない。』といわれるのです。

裁判制度、法治国家、自力救済の禁止、いろいろきれいごとを言う割には、裁判所は悪党に有利なように、悪党の財産権を保証し、債権者の利益を十分擁護しようとする姿勢がないのです。

こんなところがわが国の裁判官のレベルなのです。出来の悪い部類ですけどね。

しかし、優秀な本当に優秀な民事裁判官に先日お会いしました。この事件は、民事・刑事・弁護士懲戒・再審と場合によっては、特別刑事部の検察官の罷免要求などもありうるような「事件のデパート」のような事件での民事の証人尋問(当事者)で、実に見事な訴訟指揮でした。この様な超優秀な裁判官が千葉地裁には、今いらっしゃるのです。機会を見てご報告します。

そういえば、大阪地検特捜部にも副部長に対して涙を流しながら訴えた検事さんがいたそうですが、この部下の真摯な訴えを聞いて、村木さんの起訴の取り下げを決断できなかった特捜部長なども、やはり出来の悪い年功序列の人事が生んだ弊害でしょう。また長くなってしまいました。

posted by やすかね at 17:15| 千葉 ☁| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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