2010年10月18日

言葉は大切ですね

自分が年をとったのですかね。若者の使う変な日本語がずいぶんと気になっていたのですが、以前、テレビで井上ひさし氏が『言葉の乱れは気にならない、言葉は使う人によりすべて異なる。』というようなことを話していました。また放送大学でも方言としての「東京弁」はあるが、「標準語」というような言葉は認めていないようでもありました。

ではどうして「標準語」と言う言葉があるのかなどと考えますと、どうも明治政府が全国300余藩を束ねるため、言葉を統一し、全国共通の紙幣(金と交換できる)さらに教育を一律にする必要を考えた過程でできたのではないかと思われます。

ご承知のように、明治政府が確立するまでの「日本」は、徳川将軍家以下約300藩が、藩ごとにお札(藩札)を発行し、藩の法律で裁判までしており(死刑である「切腹」を宣告できた)、正に各藩は独立国であったわけです。
その後明治政府ができて、「日本」を統一しようとしたとき「言語の統一」は最初にすべきことだったのです。

話が少しずれますが、子どもの頃「野球の全国大会」と聞くと、今で言う国際大会と間違えていました。しかし、150年200年の時間の流れから考えると、明治のころから日本中が集まるとまさに全国だったのですね。
市原の「ベーベー言葉」だって落語に出てくる「江戸ことば」と多くの共通性があり、学生時代に子どものころから使っていた方言を喋ってしまって顔を赤くすることもなく、堂々と「そだっぺ」と発音して良かったのです。

結局、これまで良く分かりませんでしたが、明治政府は、それまでの将軍家の「連邦国家」から天皇の下に(利用して)単一国家として束ねようとしたのですね。ですから「日本民族・大和民族」と言う「民族意識」も日清戦争に勝利した後の明治の中ごろになって初めて出来上がったようです。

このように見てきますと正に言葉は生き物であり、歴史とともに変化発展しその意味内容が豊富になってきます。「日本民族」と言う言葉も明治の中ごろにやっと出来上がったということも驚きです。
最近尖閣列島問題で、一部「中国民族」が騒いでいるなどと「報道」されていますが、実は21世紀になっても未だに「中国民族」と言う言葉は中華人民共和国では確立されていないようです。

その証拠?先日僕のところにアルカイダの友達ではないアフガニスタンの美人から「国際アジアSUMOフォーラム」の実行委員であるアイヌの豪傑(野生の鹿を素手でねじ伏せた強者)の方を紹介されましたが、彼曰く、「日本相撲」「ブフ」(モンゴル)「シルム」(韓国)「ドストーゥ」(トルコ系民族サハ)などの「民族相撲」はあるが、中国は50以上の民族があり「中国相撲」はないと断言していました。これが唯一の証拠です。
posted by やすかね at 12:20| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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