この質問は、わが国の政治的無関心は年々増加傾向にあると考えられますが、これを少しでも良くするには、子供のときからの教育が必要と考え、その根本のところから論じて一定の方向性を質問したいとおもったのですが、「市政に関する一般質問」としては。上手く行かなかったようです。
とは言うものの、自分の認識なり意見を前提として物事の考え方を述べ、これに対する答弁を伺うという「政治的問答」ですからこれでも良いのではないかとも思います。
市政に対して、議員が議会で質問して、それが具体的成果として現れるということは素晴らしい事でしょうが、「行政マンのプロ」として長年行政に携わり、具体的に政策を立案し執行している執行部に対し、非常勤の議員質問でこれが具体化することは大変なことと思います。
幸い、「質問の成果」として今年度の予算でAEDの設置が新たに7箇所に設置される事になりました。これなどタイミングと予算もそれ程必要でなかったことなどから「上首尾」と言えるでしょうが、そうでなければ議員の仕事の大部分は執行部に対するチェック機能と考えます。
その外、日常的に実施計画の実現を執行部に働きかけ、特に地元に対する各種事業の執行が後回しにならないよう議会外で色々の活動する事も大切なので、その意味で情報収集が重要です。
また、佐久間市長が常々言っている「元気な市原」のため職員の意識改革も忘れられない大切な事です。職員は、報酬だけが目的でなく「自分にしかできない、自分だから早くできた、市民に喜ばれる仕事ができた」とのやり甲斐、心意気がなくては仕事ができませんから、議員がその辺にも側面から応援できればと考え、今日の様な「講義のような質問」でも良いのではないかと考えましたが、やっぱ多少「抗議」がでていました。
色々試すのも面白いですから、次の機会には「事実と質問」で味気ない質問を考えて見ます。それではお待たせいたしました。
冒頭は、NHK放送文化研究所の「現代日本人の意識構造」から日本人の政治的無関心のデータを上げ、大人が無関心であるのに子供が政治に関心を持つなどということは期待できませんから、子供には教育現場と最近はなくなってしまったであろう、地域子供社会こそ民主主義の学校として大切であるという、趣旨で長々前提を論じました。原稿も大分はしょったのですが、それでも長かったですね。
論旨は、聖徳太子の17条憲法で書かれていることが、今の日本人の「和の精神」として千年以上続いているのではないか、そのなかに西欧の市民社会の自由と正義、民主主義がどのように関係しているか、なかなかまとめ切れないところでした。
民主主義教育をどうするのかなどと言うと、わが国では子供のときから十分教育をしている、中には「広ク会議ヲ輿シ 万機公論ニ決ベシ」と教えられている。
またもっと古く聖徳太子の17条憲法では「一に曰く、和をもって貴しとなし、さかうることなきを宗とせよ」と言われているようです。以下はその要旨です。
@ 和を尊び、人にさからい そむくことがないようにせよ。
A 仏教をおおいに尊重せよ。
B 天皇のお言葉には、必ずつつしんで従いなさい。
C 役人は人の守るべき道をすべての根本とせよ。
D 私利私欲をすて、公平な裁判をせよ。
E 悪をこらしめ、善をすすめよ。
F 人は各自の任務を果たしなさい。
G 役人は朝早く仕事に出て、遅く帰りなさい。
H すべてのことにウソいつわりのない真心を根本とせよ。
I 考え方のちがいで人を怒ってはいけない。
J 功績があれば賞を、罪をおかしたら罰を、正しくあたえよ。
K 地方官は人民から税をむさぼり取ってはいけない。
L 役人は各自の職務の内容をよく心得なさい。
M 役人は他人をうらやみねたんではならない。
N 私心をすてて公の立場に立つのが、君主に仕える者のつとめだ。
O 人民を使って物事をさせるのは、いそがしくないときを選べ。
P 大切なことはみんなとよく議論してきめなさい。
要するに、人々が和の精神をもち、公のために奉仕する役人の心がまえと国家の理想が示されたのが、604年、今から1400年前のことです。すべてを是とするものでもありませんが、現代に通ずるところがあると考えるのが、私を含め大方の日本人でしょう。
明治以後、わが国は西洋文明とその法制度を取り入れ、市民社会の仲間入りをしました。
(以下質問では省略)の状況ですが、明治政府は西欧列強と結んだ不平等条約の改正に苦労し、明治22年自前の憲法(といってもプロイセン憲法を参考にしている)を制定し、この日本の努力を認めた最大の強国イギリスが条約改正交渉に応じ(背景に極東に進出してきたロシアのけん制)、陸奥宗光外務大臣の努力で日英通商航海条約が調印されました。
直後、日清戦争が始まり日本が勝利するとアメリカを始め各国も治外法権の撤廃に応じました。
さらに日露戦争に勝利した明治44年(1911年)アメリカと関税自主権回復の交渉に成功し、条約改正の悲願が達成されました。このとき既に岩倉使節団の交渉から40年が経過していました。
岩倉使節団は明治4年、各条約締結国を訪問して、あわせて条約改正の予備交渉を行ったのですが、アメリカと条約改正の予備交渉では、刑法(罪刑法定主義、裁判制度)などが整備されておらず、相手にされなかったそうです。当時日本の裁判でも「この桜吹雪が・・」とはやっていなかったでしょうが、日本の裁判には服せないと言っていたわけです。
その後、明治19年にはノルマントン事件(イギリスの汽船が台風で沈没し、船長以下26人のイギリス人は救出されたが、日本人乗客25名は全員見殺しにされた)もありました。
そういうわけで、明治政府は「法治国家」の体裁を整えるため、江藤新平はそれまで地方の司法権を握っていた大蔵省から司法権を奪取して、司法省による上からの府県裁判所の設置を進め、裁判官は帝国大学出身の卒業生を判事にして、ドイツの裁判例を倣い裁判をしてきました。)ここまで、略しました。
1776年イギリスの植民地であったアメリカは独立宣言を発表して三権分立を柱とする合衆国憲法を制定し、フランスでは1789年、身分の特権を廃し、自由平等をうたう人権宣言が発表され、人々が平等な市民として活動する社会を目指したので、これは市民革命と呼ばれています。
1889年は明治22年であり、1989年はベルリンの壁がなくなった年です。
フランス革命から100年で明治憲法が制定され、さらに100年経過してベルリンの壁がなくなったのです。
要するにわが国が採用した西欧の市民革命からの近代化と民主主義はその根本に自由平等と言う市民的自由を共有する個人、自立した個人が想定されているわけです。
民主主義国家とは自律した個人が国家の主権者であり、この個人が他人の権利を侵害しなければすべて自由に出来る、法律で禁止されていなければなんでもできる社会これが建前としての民主主義社会なのです。
そして市民的社会が自由競争の結果、不平等が生ずれば自由を規制して弱者を救済する社会国家、生活保護法を典型とする社会国家となるわけです。
明治22年わが国が自前の憲法を制定した当時、既に社会権が観念されていましたが、まだまだ自由社会と考えてもいいわけです。
(以下略、自由社会では過失責任主義、例えば足尾銅山などで鉱毒を垂れ流しても、被害者が自らの権利が侵害され、侵害した者が銅山だとその因果関係を証明できなければ救済されない、これが自由競争の結論でした。
同時に自己責任ということも言われますが、これは要するに連帯責任を否定するものです。)
いずれにしましても、国家は最小限、治安の維持をはかる小さな政府であったわけです。その国家のなかで国民は他人の権利を侵害しなければ自由である、どんなピアスをしようと、刺青をしようと男が女装して歩いても関係ない、これが市民的自由の出発点です。
自分の評価を前提基準とすることなく、他人の馬鹿な行為を許す、これが自由社会です。
しかし、このような市民社会の大前提である「個人の自由」ですが、未だ十分にわが国では受け入れらていないのが現実だと思います。
すなわちわが国は、市民社会を経験しないまま社会国家の時代に突入していますから、未だに民主主義を論ずるとき「和を以て貴しとする」のが現実です。
昨日、国の緊急事態法にもとづいて国民保護協議会条例の制定が可決されましたが、この議場に心底この条例が必要だと考えている人がいるのかと率直な疑問を呈しますと、市長さんどうですか、本当に必要ですか、これは通告にない質問ですから答弁は不要ですが、私も本音はこんな条例はいらない、ほんとにミサイルが飛んできてから避難しても間に合わないと思うですが、そこが和を以て貴しとする日本人なんです。
これを否定し、そうではない市民社会の民主主義を貫くのだと言ってがんばると戦前では非国民、アカ等と言われてしまうのです。今でも一部にはそのような言い方をする人もいます。
しかし、このような考え方、和を以って貴しとする考え方は、現在ではあくまでわが国の内部でしか許されないとおもいます。先ほど他人の馬鹿な行為を認められるか、といいましたが、イラクにボランティアで行ってイラク人の手助けをしていた人が人質となったとき、小泉首相をはじめ大多数の日本人が「危ないところに好きで言ったのだから、自己責任だ、使った国の税金を弁償させろ」と言っていました。同じように危険を承知でイラクに行って殺害された外交官は英雄となりました。公務員として殺されたから英雄であり、ボランティアで人質になれば、非国民とまでは言いませんが「自己責任だ」と非難されています。
このとき、緒方貞子さんは、国際協力機構(JICA)理事長就任のため13年ぶりに日本に帰って人々の思考が内向きになっていることに驚いた。50年前に米国で議論されている古い国益論が、まことしやかに論じられているのは驚きとしか言いようがない。
イラク人質問題について、私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめてよい社会になる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい、どんな状況下でも国は救出義務がある。人質になった人を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う。
と語ったそうです。(司馬遼太郎も明治維新が成功したのは全国諸藩から集まった人々の多様性といっていましたが、同じことしか話さないなら50人いても100人いても同じであり、1人いれば足りてしまいます。)
では、今の日本の民主主義の現状はどうなっているのでしょうか。真の民主主義を確立するには、全体社会(全体国家)と部分社会が存在し、国民すべてはこの部分社会の中で育ち、規範を学び、自律し、他人の意見を尊重するという民主主義のルールを身につける必要があると考えます。
(もっと手短に言う)人はこの世に生れ落ちて、言葉を学び、人とコミュニケーションをとるようになります。ここは長くなりますので、少し前のホームページをご参照ください。要するに、ネアンデルタール人が滅びホモサピエンスが生き残ったのはホモサピエンスが言葉を話すことができたからです。ここは喜怒哀楽210ページ以下をご参照ください。本の宣伝ではありませんから、ない人は僕に借りてください。
以下長くなりますが、宮崎学の「法と掟」108pからの引用です。
「この世に生まれてきて、最初に接する社会は家族と言う基礎社会である。続いて、地域社会あるいはその系としての地域子供社会という基礎社会である。これらの基礎社会では、人々は全人格的に結びついているし、また生活の一面だけではなくいろいろな面で結びついているから、生活全般にわたる具体的な場面における人格のふれあいを通じて、規範を学んでいくことになる。
われわれが子供のころは、日本中どこでも家族社会、地域社会、地域子供社会といった個別社会がしっかりあって、そこでオトッツァンもオッカサンもオバサンも、ニイチャンもネエチャンもそれぞれが役割と存在感をもって、それぞれの個別社会を支えていた。・・だれもが、そのような身の回りの個別社会の中で、はじめて社会と言うものを体験し、具体的な生活の場面で社会規範というものを身につけていったのである。
子供は、続いて、学校をはじめとしてさまざまな派生社会あるいは機能的社会に接して、そこでさらに自分の価値体系をつくっていく。・・
このように、基礎社会、派生社会に属して行動する中で、ほかの人たちとお互いに影響しあうことを通じて、その社会に適した行動パターンを身に付けていくことを、社会学では「社会化」という。この社会化の課程が、人間形成の過程であり、・・社会規範を内面化していく過程なのである。・・だから、青少年の規範逸脱行動がふえたからといって、彼らに外からのお説教でしかない道徳や倫理の教育を強化するというのは愚の骨頂であって、問われているのは大人自身が自分たちで作っている個別社会を見直すことである。」
と言っています。今の子供たちに自己を確立させ、民主主義の教育をしていくことは出発点に家族があり、地域子供社会が重要と考えるのですが、学校教育の現場で地域社会の中でどのような指導が必要とお考えですか。(地域子供社会の重要性を沢山の言葉を使い、言葉の無駄遣いでしたかね、強調したかったわけです。)
当然その前提として正しい日本語、意味を持つ漢字の重要性、特におとなり韓国では漢字教育をおろそかにしてハングルを重視した結果、今になって漢字教育を重視しているようですが、記憶力のすばらしい子供の時に沢山の難しい漢字を覚えさせるが重要と考えます。障害者の害をひらがなで書くと言った実にくだらない、全く形式的なことを大事にするのではなく、本物の優しさ具体的事実の伴ういたわりこそ必要でしょう。法律で親孝行せよ、と決めたら国民が親孝行になると考えることは本末転倒でしょう。
マスコミでも時々「ふさわしくない言葉」などと自己規制していますが、言葉は良い意味も悪い意味もあって初めて真実が伝えられます。
私など既に古文が読めませんが、古い日本語を読めないと言うことは日本人の伝統が伝承されないと言うことです。文化が断絶していると言うことです。古文漢文をもっと大事にすべきでしょうと今更ながら反省しています。落語も、とても放送では使えない、とんでもない言葉遣いをしていますが、大切なわが国の文化ですから、そのまま放送すべきと考えます。
学校現場を預かる立場として、日本語教育をどのようにすべきとお考えでしょうか。
これに対し、山中教育長は子供の正義から論じてくださいました。団塊の世代は赤胴鈴の助、少年ジェット、など最後は正義が勝利するテレビ・漫画などで育っているのですが、いまの子供たちにも「正義」を大切にするよう学校現場で指導している、と言う趣旨の話をされました。
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