昨日(18日)、平成22年第1回議会の前の各会派に対する「議案説明」のときです。道路用地の土地取得について土木部長は「調停を提起するので、各会派に対してご説明したい。」とのことでした。
事情説明を受け、私は直ちに「こんな調停は、無駄だから止めたほうが良い。」と強く言ったところ、今日本会議終了後、部長以下職員が私の「説得」に来ました。
どういう事かといいますと、今回は市道整備に関する土地取得の問題です。これまで莫大な税金と労力を投下しながら、未だに買収ができない土地があり、重要な幹線道路が未だ開通でないでいるのです。その原因の一つが今回の「共有地」問題です。
買収の対象となる本件土地は、その所有者(正確に言うと「表題部」の記載)が「何某他7名」と登記されているものの、この「他7名」を登記簿などから全く特定することができないのです。そもそも「特定でいない人たちの相続人」自体、概念矛盾といいますか、自己矛盾です。これでどうやって「交渉」というか「調停」をしようというのでしょうか、皆目検討もつきません。
本来であればこの「他7名」は登記簿上に「何の何某 持分何分の何」と共有者を特定し、万人(大げさですが、日本国が世界中の人に対してです。)に対しての所有権を公示して不動産取引の安全を確保しているのです。
しかし、昔の土地台帳と言うのは、その目的が明治初期の地租改正でしょうね、税金を徴収する目的で編綴(ヘンテツ)され、土地台帳には「何某他何名」と記載され、その他に共同人名簿が整備されていたのですが、土地台帳が昭和25年税務署から法務局に移管される際、この「他何名」と記載されていた共同人名簿が法務局に移管されなかったため不動産登記上「他何名」を特定することができなくなってしまったのです。
要するに、権利者は他にいたのであるが、それが誰かは分からない、「特定できない」という登記制度のエアポケットみたいなもので、これは新たに法律を作らなければどうにもならないでしょう、と言うような問題です。
この様な問題はこれまで数え切れないほどの実例もあり、若干専門的な話しとなりますが、今回法務局では「不動産登記法の100条(現在の74条)の判決があれば・・登記ができる。」と説明したようですが、これはあくまで「判決」であり、しかも証拠に基づいて下された判決であり、裁判所で行われる即決和解、調停、さらには判決であっても欠席判決、自白事件のでは登記をすることはできないのです。
ですから、担当者が法務局に問い合わせをしたといっても、当事者の合意でできる「調停でよい」とは絶対説明していないでしょう。
仮に無関係かもしれない人々と調停で「合意」したことが「判決」と同様であるなら、「できレース」を登記所が認めてしまうことになるからです。今回の顧問弁護士の「ご(誤?)回答」もこのレベルのことです。
どうしてかと言いますと本件は、ことは万人に対する絶対的権利である「所有権」なのです。登記制度と言うのは、不動産取引の安全のため国で管理する公示制度であり、特に所有権は、契約自由の原則と共に私法に関する根本法規に関することですから、原理原則から考える必要があるのです。
また「調停が確定判決と同様の効力がある」といっても、その効力は「強制執行」に関してということを強調しているに過ぎず、当事者の主張と証拠に基づいて判決がなされる判決と当事者の単なる合意で作られる調停調書とは決定的違いがあります。
顧問の先生は私に『先生、役所が調停をやると言っているのに妨害しないで欲しい、もし調停で登記ができたら、先生のバッチに傷がつくから。』と問答無用の返答をしてきたのです。しかし、弁護士が顧問弁護士の「回答」の問題点を指摘して、「回答をもう一度検討してください。」と丁寧に話そうとしたところ、上から目線で『先生のバッチに傷がつく』と言ってきたのです。この様な言い方は「皆がそう考えています」と同じ「議論」です。
そこで、あえて言いますと、弁護士が法的見解を間違えると「弁護士の品位を汚した」と言うことで懲戒理由となるのです。顧問先に対しての「回答」でも間違っていれば立派な懲戒理由なのです。それを棚上げして私は「バッチに傷がつく」と言われたものですから、断然ファイトが沸いてきたのです。
(後日談)執行部のこの議案については、僕が2大会派である市長与党の市民クラブと自民党の有力者に根回しなどしたことから、議会の途中で議案が撤回されました。議員一人で執行部の議案を撤回させ、無駄なお金がかからなくなったことは大いに喜ぶべきことですし、少し自慢しますかね。
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