2009年11月02日

苦悩する裁判官

もう20年近く前のことです。中学校の校長先生をしていた70歳を過ぎていたでしょうかね。この、元校長センセイ土地を購入したのですが、その時お隣の吉野さん、すでに家の新築工事をしていました。

元校長センセイ、公図を見たところ、土地の形が少し違うようだということで、コピーされた公図を物差しで「計った」ところ、数ミリ違ってたんですね。『この公図は200分の一とか250分の一の縮尺だから、買った土地の入り口は4メートルあるはずだ、そうすれば私の買った旗さおの土地の入り口はもっと広いし、前のブロックも50センチはこちらに食い込んでいる。』と「考えた」ようです。

早速お隣に乗り込んで行って『お宅様の土地は、私の土地に食い込んでいる。新築しているようですが、直ぐ中止してもらいたい。公図によると、お宅様の新築中の家は、ここから、ここまで私の土地に食い込んでいるから、家の基礎を取り壊し、引き渡してください。』と丁寧に、しかもとても強烈な申し入れをしたようです。

お隣は困りましたね。そりぁー困りますよね。長い間生活してきた土地で、お金もできたし、やっと家が建てられると喜び勇んで新築工事を始めたところ、最近となりの土地をかった爺さんが、言葉は丁寧ですが、その言う内容は『工事を中止しろ、取り壊して土地の一部を引き渡せ。』ですからね。

困り果てた、吉野さん、早速弁護士に相談することにしました。『先生、新築を止めたほうが良いですか、どうしたら良いんでしょう。』ととても深刻です。
吉野さんからは、最近お隣が土地を買った、元校長先生、測量はしていない、ブロックの境界は数十年経過している。祖父よりも前からここに家があった。などの事情を聞きましたので、『良いんじゃないの、無視して家を建てなさいよ。』また『正式に裁判など起こしてきたら、また相談に来てください。』とアドバイスして終わりました。

その後、すっかり相談されたことを忘れていますと、『先生、裁判所から訴状が来ました。』との事です。
訴状を拝見しますと、手書きの訴状で書いてあることは全く理解できません。私の頭が悪いのではなく、理屈というか相手の言わんとすることがわからないのです。とりあえず相手の請求は全て認めない、事実関係もすべて認めない、と答弁書を書いて裁判所に行きました。

裁判長も訴状の内容が理解できず困ってしまい、法廷ではなく「和解」ということで、別室での話し合いになりました。
まず、裁判長、元校長センセイの話を聞きながら、一つ一つ事実関係を聞くのですが、さっぱり要を得ません。また「話し合い」ですからお互いに相手方の言い分を聞いてから自分の意見を述べるのですが、全く話が通じません。議論がかみ合わないのです。

相手は、元校長先生、こちらが『原告は何時土地を購入したのか、測量をしたのか、面積はどうなっているか』などと話しているときは、こちらの話をじっと黙って聞いているのです。

こちらが原告に質問をしているときは黙って聞いていますので、質問に答えるかな、とおもって質問を止めますと、元校長センセイやおら話し始めます。しかし、話の内容はこちらの質問には全く答えず、『ぶつぶつ』と訳の分からないことを言っています。

先ほど来、黙って僕の話を聞いているから『多少分かっているのかな』などと相手を信頼していたのに、元校長センセイ、話し始めると、実はこちらの話を全く聞いておらず、こちらが話しているときは『相手様のお話になる順番だから、黙って聞いているべきである。』と考えていたのですね。こちらの質問などあってもそれには一切関係なく『やっと自分の話す順番がきた。』とばかり、べらべらと訳の分からないことを話すのです。

相手の言うことは相手のことだから私には関係ない、こんどは自分のしゃべる順番だ、これは自分の「権利」だということでしょうね。

裁判長もすっかり困り、元校長センセイの言い分を整理するだけも大汗をかいています。裁判長、訴訟とは何かから説明を始めるのですが、裁判長が話を止めると、裁判長の話と関係なく、また自分の話を始めるということでたちまち時間がなくなります。
やむなく裁判長『では、次回までに、これこれの点を整理してきてください。』と校長先生に『宿題』をだすと、さすが元先生「宿題」の意味は判るらしく、少し納得して帰りました。

「人が話しているときは、自分は話してはいけない」という学校で使っていたルールの形式的意味は、よく理解しているのですが、なぜそのルールがあるのか、という点は全くわかっていないのですね。また学校で使っていた「宿題」という意味も理解しているらしく、毎回裁判長から「宿題」をだされればそれには答えてくる「几帳面」さは、持ち合わせていました。

そこで、裁判長なんとか訴状の形式は整えさせて、原告の主張を整理して『原告の請求を棄却する。』との判決はできました。
この程度の整理をしておかないと、仮に原告から控訴でもされた場合には、裁判長が高裁から「お叱り」を受けるのです。「お叱り」といっても直接のお叱りではなく、原審(第一審のこと)は下手な訴訟指揮(主張整理、つまり当事者(原告・被告)の言い分がまとめられていないで、下手な判決文を書いたこと)をしていると高裁の裁判から判断された場合には、その裁判官の出世に大きな影響が出るのです。

そういうことで、日本の裁判は、弁護士に依頼しないでやる「本人訴訟」も許されていますので、実は大変な、落語にでも出そうな、実にばかばかしい「裁判」もあるのです。こんどはまじめに落語の創作でもやって見ますかね。絶ッ校長、絶ッコウチョウ。


posted by やすかね at 06:47| 千葉 ☔| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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