2006年01月06日

役に立たない学問の重要性

“役に立たぬ学問”は消えてゆくだけかと題して社会学者の加藤秀俊氏の「正論」(12月11日)を見ました。民営化・市場原理が社会を動かす原理となった現在、社会の役に立たない、カネにならない学問は無駄であるからと言って消えてしまって良いのか、競走馬の馬主になり、自家用ジェット機、高級車を持ち毎晩豪華な飲食に万金を使う話は週刊誌で目にするが、学問や芸術を陰で支える財界の文化人見当たらない、その結果、考古学、歴史学、美学、全く日常生活と無縁なインド哲学などが消えてゆくかもしれない、と嘆いています。

自分の成長期を振り返りますと、勉強は自分の日常生活で判らない所を教えてくれるものと考えていたようで、小学校の授業でも先生に質問の連発をしていました。好奇心旺盛で全ての物に疑問が湧いたのでした。

今でも鮮明に覚えているのは、大学1年生のときです。数学の行列のところで先生に「この行列の勉強はどんな役に立つのですか?」と質問したところ、先生曰く『数学は50年先、100年先役に立つかどうか分からない学問である』とのことでした。

この一言で私は数学に対する興味を全く失ってしまい、以後必修科目でありながら講義には一度も出ず、成績は急降下でやっと「可」で単位をとりました。

そのほかにも、高校生から漢文とか古文、よく理解できない難しい文章を読ませる現代国語などは全く苦手でした。こんなもん、役に立たないし興味が湧かないからぜんぜん頭に入らないのです。物理化学といった日常生活に役に立つ「科学」こそ学ぶべきものと考えていたからです。英語にしても外国人と「会話」をしても楽しいかもしれないが、それがどうした?学ぶ必要はない、とず〜っと思い込んでいました。

法律の勉強を始めるようになって初めて法律は日本語で社会のルールを決めている。紛れのない文章が読み書きできなくては、法律はモノにならないと認識し、ようやく法学も物理・化学同様「学」すなわち「科学」サイエンス(法則性)であると認識した次第です。

しかし、それでも経済学は「学」ではない!経済学が「科学」なら「医学」が病気の原因を究明して病気を治療できるように、不況の原因を追究して経済を立て直してみろ、それが出来ない以上経済学者の言うことは信用できない、と今でも考えています。

この様に、今までの自分の思考方法は「日常生活に役に立つ」ことを基準にして勉強すべきと考える「功利主義的」なものでした。しかしこの様にすべて効率・コストで考える思考方法は、実は「人類文化の発展」に役に立たない、むしろ「有害」ですらあると思えてきました。

平成17年2月JFEスチールの違法排水とデータ改竄が発覚しました。環境を汚染するシアン化合物を無害化して放流することは金がかかり経済的負担が大きいが、仮にシアン化合物を海に放流しても人間の日常生活に直接関係はない、少なくともシアンは簡単な化学物質であるから、時間がたてば分解して無害化する。これに対し、多少問題はあるがそのまま放流してしまえば会社の経済的利益につながることは明らかである。と考えて長年東京湾にシアン化合物を垂れ流してきたのがJFEスチール(旧川鉄)の違法排水とデータ改ざんです。

話が飛びましたが、21世紀に入り、人類は徐々に効率至上主義から安全・安心、継続可能性に関心が高まりつつありますが、これは効率的科学である自然科学から「ムダの科学?」である人文科学の尊重への流れではないでしょうか。

先日、どこかで中国の漢字簡略化、また国民に漢字を教えずハングルだけで読み書きをさせる韓国の問題点が述べられていました。時の権力者が国民に対する教育で文字文化を変えることがあるが、これは文化を断絶させることであり、権力者が自分に都合の悪い自国の歴史を国民から見えなくすることである、と述べていました。

これを聞いて「ハッ!」としました。今述べてきたように、私はこれまで効率的ものの考え方をしてきたことから漢文の読み書きは当然出来ないし、古い日本語である古文も全く理解できません。これは既に自分たちの現代文化を支えている先人の考え方を自分の力では吸収できなくなっているのです。

中国でも韓国でも漢字の教育を疎かにした事で、既に中国人民と韓国民はエジプト文明に匹敵する5000年の歴史を有するアジアの文化を理解できなくなっているのです。

喜怒哀楽でホモサピエンスとネアンデルタール人のことに触れ、ネアンデルタール人がなぜ滅び、ホモサピエンスがどうして生き延びたか書いてありますが、人類とこの日本が滅びないためには今の子供たちに漢文・古文をしっかりと教育する必要がありますね。

現代があるのは過去からの積み重ねですから、考古学、歴史学、印哲などおよそ日常生活に役立たないような学問もしっかりと学ぶ必要というより、大切にする必要がありそうです。しかし、50歳半ばを過ぎ、いまさら漢文・古文が頭に入りますかね?駄目でしょうね、だめと思ったらもう駄目です。
posted by やすかね at 09:56| 千葉 | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする