2009年03月16日

「死刑制度存続」試論

わが国は、死刑制度を存続させている数少ない国だそうです。アルカイダの友達の友達が法務大臣のとき、「ベルトコンベヤー」のように死刑の執行をしたなどと非難されていましたが、私は、これは大臣として仕方のない事と考えています。

以前に、死刑制度反対の法務大臣が、死刑執行の前提として『俺がもう一度審査する』との立場から法務大臣室にキャビネット一箱分の記録を持ち込ませた、などと言う不届きな話も聞きましたが、これは、死刑判決までが出るまで被害者側から、捜査機関、裁判所、弁護人など多数の人々が関与して出された結論を恰も自分(法務大臣)が神のような立場から「最後の審判をする」と考えている事から、とんでもない思い上がりです。

それでは、死刑制度をどう考えるか、週間東洋経済(3月21日号)に面白い大胆な考え方が述べられていました。筆者(大澤真幸)は、自分は死刑制度には反対であるが、仮に原状のままで死刑判決に対し、二つに考えがある。一つは、死刑執行もこれまた「殺人」であるから、死刑制度存続に賛成の人は、死刑執行を外の人が代わって果たしてくれる(国家公務員である法務事務官)限りでのみ賛成ならフェアではない。もうひとつは、昔のあだ討ちのように死刑判決を受けた犯人に対し被害者(は既にこの世に存在しないから)に一定の関係のある人から、「決闘を申し込む」と言うものです。

第二の考え方は、犯人と被害者(の家族)から部外者の人が「犯人を許してやれよ」(死刑廃止)は僭越であるから、と言うのですが、これまで人殺しをやってきた人間に真っ当な人間が「決闘」を申し込んだら恐らく返り討ちになるでしょうから、この大澤先生の案は誰が考えても却下でしょう。

とすると、私どものように死刑制度の存続を願う(?)者とすれば、次のように考えます。誰であろうと人様の命を頂戴するのは「悪」であるので、殺された被害者と近親の人が、死刑判決に基づいて死刑執行のボタンを押す、と言うのが論理的結論となりますね。国家はあだ討ちを許す、この限りで国家は、殺人幇助となる。

そうなりますと、判決の主文は次のようになりますか。『主文被告人を死刑に処す。この裁判確定後、被告人に対する死刑執行人(違法性阻却事由とする)は、被害者大前先世の恋人である浦見果多素とする。』『被告人を引っ立てーい、これにて一件落ちゃぁーく、一同の者面を上げぇーい。』なんか、面白いですね。
posted by やすかね at 17:02| 千葉 ☀| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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