大きくなったといってもわずか4ヶ月のシェットランドですから、外に出すわけにもいかず、ゲージに入れて家の中で飼い始めました。今の時代「進歩」していますから犬のオシッコも吸水性のマットを使えばたいした臭いもしませんし、ウンコもシェパード、ゴールデンなどと比べればどうということありませんから、春先まで家の中で飼っていました。
「待て!」、「ハウス!」、「吠えろ!」なども簡単に覚え、オシッコ・ウンコも外に出すときにきちんとするようになりました。我が家では30年以上シェパードゴールデンなど大型犬を飼っており、犬は家の外で飼うことが当たり前ですから、彼も当然、春先に部屋から玄関に移動して、その後外にゲージを置こうと考え、先ず玄関に出したのです。
ところが、それまでに色々人間の言葉も覚え、「お手、お代わり」「ゴロン」などが出来るようになっていますから、可愛らしい少年犬になっています。この彼が玄関で一晩中「クンクン」泣くものですから、私が家に帰るとゲージがとうとう玄関からもとの場所に戻っているのです。
彼は、これまで家族同様の生活をする中で、どうすれば自分の要求が通るのか十分学習をしていたのです。私のいない間に妻の同情をかい、ゲージの位置を元に戻させてしまったのです。最近は車の音を覚え、私が帰る「出せだせ」と吠えますので仕方なく、ゲージから出してジャレさせて遊んでいます。
また、彼が部屋の中で遊んでいるときでも私が「アレッ!」と言うと吹っ飛んでゲージに入り、入り口が開いていても中で待っています。煮干のアタマが食べたいからです。賢いシェットランドは人間と十分コミュニケーションが取れているのです。
我が家には、他にも黒のラブラドールの雑種らしいのもいます。雑種らしいとは、このバーディー(最初の銘々は「ボギー」だった)は幼犬から虐待にされていたらしく、愛護団体から飼い主の募集があったことから、大体生後1年位で我が家の愛犬グループの一員となりました。
彼女は、やっぱりダブルボギーの様で、それまでの虐待で人間不信といいますか、人間とのコミュニケーションがうまく取れないのです。食事の際の「待て!」「良し!」も十分に覚えず、「ハウス」もよく理解できていません。偶に「吠えろ!」が出来ることもありますが、数日僕が餌を与えないと直ぐ忘れてしまうのです。この点リリーは先にいたシェパードの「ラッキー」が「吠えろ」「ゴロン」をしているのを見て、特に教えなかったのですが、自分からデングリ返るように「ゴロン」が出来ました。
リリーは、訳あって10ヶ月位で我が家に引き取られ、最初は「ハム」しか食べないと言われていたのですが、我が家では犬用の「ハム」がありませんから、3日ほど腹をすかした後、喜んでドッグフードを食べ始めました。亡くなるまでドッグフードが好きなとても利口な犬でした。リリーとの対決でハムとドッグフードの交渉には僕が勝ったのです。
以前確か、「ハーバード流交渉術」と言うような題名の本を読んだことがあります。要するに人間朝起きたときから寝るまで自分以外の人との「交渉」が大事であると言うような本でした。
「おはよう」といって目が覚めたとたん、娘は「お父さん、私の洋服古くなった」とか、「お父さん、今日は私の誕生日よ」などと交渉が必要になってきます。「今日はゴルフ」などといえば、怖い顔をした妻が「先週もゴルフでしたわね!」などなど、人間すべてが交渉の連続です。
弁護士の仕事もほとんどすべてが交渉の連続です。どうすれば自分の時間が節約でき、多い収入を得られるか、自分の興味のある仕事が出来るのか、この前飲屋で自分の隣に座っていた彼女と長話を続け、已む無く一人でロックを飲み干さざるを得なくなったあいつに仕返しが出来るのか、などなどです。
裁判だって全部勝てばいいわけではないし、うまく負けなければならない場合もあるし、ヤミ金におべんちゃらを言う時だってあるのです。借金の減額交渉をする相手であるサラ金業者に「大きなお世話ですが、減額されたこのまとまったお金を他に高金利で貸したほうが、ここで3万円を取るため頑張るより、早く儲けられるのではないか」、また場合によっては交渉相手が上司に説明するための理由付けを教えてあげて、こちらの有利に事を運ぶこともあります。この様にすべて交渉、相手とのコミュニケーションの連続なのです。
最近面白い本「自閉症の意識構造」(無量真見著、現代書館)を頂きました。帯には『自閉症は脳の器質的疾患によるものではない!』『テレビ・ビデオ漬け、デジタル的子育てが子供の意識構造を変えている』と激しい口調で書いてありますから、多分今の医学会では異端児でしょう。
しかし、この本では、71ページの「自閉症の発症原因に対する一考察」から、人間の子供が産まれた直後からのコミュニケーションの発達について考察をしています。
その中で、赤ん坊が生きることに必要な無意識の行動から徐々に人間的コミュニケーション獲得して行く道筋を考察しているところは、実証的検証ではありませんが、読む人をして十分納得させる内容となっています。そのほか空間、概念の認識など人間の根源的「知識獲得」にも考察を加えています。
我が家の犬だって、自分が生きるために飼い主とのコミュニケーションをとり、餌をもらうのです。ましてや人間ですから、普通に育てれば赤ん坊は、他者との関係を理解して自ら生きる術を獲得できると思います。
狼少年の例を引くまでもなく、人間の子供は人間に育てられなければ「人間になれない」のです。例えば、生まれたての赤ん坊の口にチューブで必要な栄養を与え、排泄物も快適に処理して人間が一切関わらないとしたら・・恐ろしいことですが、絶対「人間」にはなれないでしょう。人間は五感を働かせながら動物から人間的成長を遂げると思います。
以前、北海道で俳優を育てている脚本家倉本聡が若い俳優志望者に目を瞑らせ裸足で歩かせ、最初に人間の五感の働きを意識させると言うような新聞記事を見たことがあります。先ず、人間研ぎ澄まされた五感こそが生きるに必要なことではないでしょうか。
母親のぬくもり、母乳、不快を伴う昔ながらのオシメ、熱い、寒い、ザリザリ、がさがさ、甘い酸っぱい、臭い、などなど具体的感覚から人間的成長が始まるのではないか、そんなことを考えさせられました。知ってますか?最近赤ん坊はウンコの仕方までビデオで覚えるそうですよ。二次元の画面で・・・
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