2021年06月26日

未来を拓いた渋沢栄一の漢文教養

 大変長らく、ご無沙汰いたしました。平成15年、市原市の市議となり、市政報告つもりで始めたブログ『喜怒哀楽』が相当の分量になったので、2年後これを纏めて『弁護士・市議会議員の喜怒哀楽』を自費(300万円)出版しました。

 さらに古希を迎え、自分の生きた証を本に纏めようと考え、『日本国憲法から見た日本と世界の歴史』と大それた題名を先に考え、憲法の前文から再度勉強を始めたのですが、これが纏まりません。
 
 敗戦国日本が、GHQから「押し付けられた」憲法ですから、憲法を論ずるなら、日本の戦争責任、江戸末期の黒船来航から、明治維新、植民地となることを回避できた日本が、なぜバカな戦争を始めたのか、ナチスドイツはなんだったのか、西ドイツ国民は、戦争をどう反省しているか、などなど、どんどん深みにはまり、現在もがき苦しんでいるところです。

 幸い、日本と西ドイツの戦後政治の違いから両国を論じていた、NHKの『市民大学」1989年1-3月期『戦後政治二つの軌跡』(副題 西ドイツと日本 大嶽秀夫)、とか『知るを楽しむ歴史に好奇心』中の「日中二千年漢字のつきあい」(2007年4月)などがあったので、これを頼りに文献を広げ、現在は『漢文力』(加藤徹著 中公文庫)を「解読」中です。

 現在NHKテレビドラマ「晴天を衝く」では、主人公渋沢栄一が幼少から論語を学び、江戸末期からの日本の近代化に向けての活躍が放映されています。

 自分も15年ほど前、議員の後援者らと「論語勉強会」を始めました。自分は、すぐ挫折したものの、人生の先輩が論語を学ぶ中で、数回中国の孔子廟にも出かけ、現在の日本を憂いでいます。

 前述『漢文力』長い引用ですが、「21世の今日、人類は様々な課題に直面しています。環境、生命倫理、(クローン、臓器移植、脳死ほか)テロ、戦争‥‥。それらを、まるで人類が初めて直面する難問であるかのように錯覚している人は多いのではないでしょうか。しかしこれらの問題は、人類が何千年も昔から考えてきたテーマの延長にすぎないともいえるのです。また私たちはしばしば、日々の生活で悩みごとにぶつかります。それらの困難も、たいてい、すでに古人が体験済みのものです。古典を繙き、人生を切り開くヒントを拾う。本来、教養とはそのようなものだったはずです。」と、現代人の悩みは、既に古人が体験済みのもので、古典を繙けば、生きるヒントが得られる。それが教養です。21世紀の悩みも2500年前既に人類が体験済であり、それについての解決基準ができていると喝破しています。
 
 大河ドラマを見て主人公が論語を学び、日本の将来を案じ、時代をリードできた力の源泉が『漢文力』にあることに大きな驚きをもっています。
 
 漢文の本家である中国が西欧列強により植民地化され、日本がそれを免れたのも、江戸末期、渋沢栄一などの百姓武士を先頭に日本の指導者が教養として漢文を学んでいたことに原因がある様に思い、驚いています。一方、中国では官僚への登用試験で「科挙」を千年以上も続けた結果、四書五経に対する記憶力だけの官僚で、具体的事案に対する応用力が無くなり西欧列強と対峙することができなかったのが要因のようです。

 日本に留学した孫文も魯迅も日本で漢文を学び、これを母国中国に送り返したからこそ、中国が独立できたようです。
 今日本と韓国は極めてまずい関係ですが、これも韓国政府の応用力がないことに大きな原因があると考えますが、これはまたの機会とします。
posted by やすかね at 12:44| 千葉 ☀| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする