2017年08月31日

ぶっ飛ばせ!老化減少

68歳の誕生日を迎える今日この頃、びっくりする事がありました。顔を手で触るとヒゲが伸びている感触はあるのですが、鏡を見ても分からないのです。しかし、眼鏡をかけると、びっくり仰天です。白髪交じりの綺麗でもないヒゲが、ハッキリと見えるのです。
愛読書『ゴルゴ13』では、ポスター写った女性の瞳をどんどん拡大していたったところ、そこにはカメラマンの姿が映っているのです。漫画というと失礼ですが、この劇画の真実から、現実に、誘拐犯人が身代金を目的に送った女性の写真から、女性の瞳を拡大した結果、女性を写真に撮った誘拐犯人が判明して逮捕されたとの報道に接し、これまたびっくりしました。
要するに、画像の解像度、目で言うと網膜細胞の密度であり、昔のテレビは525本の走査線の明暗で画像が出来ていましたので、拡大してもホントの細かいところ、髪の毛などは全くピントが合いません。しかし、今の写真とかスマホですと何十万画素と言う単位で画面ができていますと、拡大すればするほど、繊細な様子が明らかになります。1キロ先のネズミが見える鷹の目も解像度の問題です。江戸時代活躍した伊藤若冲なども、正にデジタル(1o四方に数十点)な絵画を描いた人です。
結局、目の老化とは、デジタルからアナログへと劣化する事ですね。血管の老化は、コレステロールの沈着、弾力性が乏しくなり、認知症は脳細胞の伝達不良、運動能力は筋肉の硬化・弾力性劣化ですかね。お年寄りの体全体を見ると、歩幅も小さく、背中が丸くなり、間接の可動域が減少してきます。毎日の細胞分裂が正しく行われれば、癌も減少するでしょう。
ところで、先日、両腕をウエストに組もうとしたところ、左手首がきついことを感じました。親指の根本の筋肉が硬くなり、押すと激しい痛みです。これが原因かと考え、痛いのを我慢しつつ数日押し続けたとところ、筋肉も柔らかくなり、両腕をウエストに組むことが容易になりました。これは、正しく「リハビリ」だと思いました。
結局関節は、毎日、可動域を100%以上動かさないと徐々に動かなくなると言うことにきづきました。例えば、毎日稼動域の99.9%しか動かさなければ、10日で1%、1000日で、関節の可動域は、なんとゼロになってしまうのですから驚きです。
そこで、大事な事は、老化現象と闘うためには、筋肉を伸ばし、関節の可動域を保持・拡大し、歩幅を大きく歩き、何にでも興味を持ち、ストレスを溜めないため、言いたい事はどんどん言う、これが大切でしょう。食べ物にも注意は必要でしょう。
最後に、歳を重ねると、良くなるのはナンでしょうか、首が回ることです。若者に比べると、お金を沢山持っていますからね。しかし、振り込み詐欺にはご注意を!
posted by やすかね at 15:53| 千葉 ☔| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

価値相対主義とADHD

人間の個性とは何ぞや、ということが漸く分かりかけてきたようです。最近IQが150の障害者と話す機会がありまして、彼は、職場を何度も変え、一般社会人とコミュニケーションが取れないで、いわゆる社会の平均からかけ離れていることが悩みの種でした。彼のような人を「発達障害」と命名しているようですが、人並み以上に知能が発達していながら、『発達』『障害』で障害者手帳を交付されています。
ところで、世界の大富豪ビルゲイツ(約9兆円の資産)、スチーブ・ジョブスらもADHDだと言われています。
有名な画家とか、発明家なども子供のときから周囲の人々を困らせていたようです。一度耳に入ったピアノ協奏曲を直ちに再現してしまう音楽家(モーツワルト)、六本木ヒルズの屋上で30分ほど360度の景色を見た後、部屋に一週間篭りっきりで、サインペンを使い、道路を走っている車、窓の開いているビルなどの状況を事細かく再現したパノラマの絵を描いたフランスの画家などもおります。
岡本太郎画伯も、たしか、ビートたけしのTV番組に出て、自分の食べたい魚を網ですくうと、調理人がそれを刺身にしてくれる生簀料理店でのことです。魚を網で取ることが面白い画伯は、生簀の中から何匹も何匹も網ですくってしまい、食べきれない刺身が出来上がってしまったのをTVで観た記憶があります。
そうすると、ADHDの人々は、人類の発展に不可欠な特別な能力を持っている、個性豊かな人間なのですね。日本では何でも画一的で外の人と同じでないとイジメにあい、仲間はずれにされているのが実体ですから、これらの「偉人」は、到底社会として受け入れることが出来ていません。
ところが、アメリカですと、ADHDの子供は(天からの)「贈り物」としてその特性に従って特別な教育をするそうです。我が国も不注意、多動性、衝動性など「一般人」に理解不能な人々は、素晴しい能力を持っているのではないでしょうか。
話しが少し変わりますが、100人が100人同じ意見を言うのであれば、99人の人は必要のない人ということでしょうかね。本当は昔から多数の人がそうだったのですが、適当な言葉が見つかりませんでしたが、それが最近「相対的」だと云うような人が多いのに気がつきました。「相対的」という概念にあてはまる人種が沢山いるということに気がついたところです。
何かについて、誰かが自分の意見を言うと、多くの人が「それもそうだけど、〇〇〇と言う人もいるよ」の類です。昔、大学の友人が、TVでこれが超能力だなどという胡散臭い番組を作っていたので、批判めいたことを言ったところ、超能力があるという人もいるし、そうでないと言う人もいるよ、いわれ呆れてしまいました。
この様に、自分に確たる意見・価値観・基準を持ち合わせていない人は、取り合えずその場を適当に取り繕い、自分が小数派になることを回避する事が多いですね。
裁判で、何でもかんでも文献・判例を引用して自分の解釈ができないまま、支離滅裂な主張を繰り返す弁護士と最近お手あわせしましたが、本当に、それで弁護士が勤まるのですか、と考えています。僕のように思ったことを話してしまう「性格」も受け入れ難い人が多いのでしょうね。しかし、原理原則は曲げられませんね。
 

posted by やすかね at 16:01| 千葉 ☁| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする