2017年03月23日

結婚が難しい理由

少子高齢化という言葉もすっかり定着し、我々高齢者(とは考えていないが)から見ると、これからの日本だけでなく、世界はどうなってゆくのだろうなどと、ソクラテスの生きた時代の年寄りのような口調になってしまいます。
でも、何故少子化なのでしょうかね。中国のように一人っ子政策など採用したのであれば、人口オーナス(ボーナスの逆)も止むを得ないのですが、資本主義社会は、労働力の再生産が出来なければ、資本家だって儲けを維持することが出来なくなってしまうのですから、労働者階級の人口減少は、我が国全体が衰退へと向かうことを明らかに示しています。
大体生物は、種の保存が困難になってくると、雌雄の関係が変化し、雌の割合が大きくなるらしいのですが、男女の比率では、まだ男の出生率が大きいのでしょうか。厚生省の統計を見ますと、女を100とした場合、男は105前後で大体安定していますから、ホモサピエンスの種の保存の問題ではないようです。しかし、人口比では長寿率から女が多くなっています。

今日テーマにしたいのは、この様な種の保存ではなく、男女の結婚が高齢化している現実です。何故なんでしょうか。
ところで、結婚はどの様な手続きで行われるのでしょうかね。詳しくは分かりませんが、昔は隣近所の「お節介オバサン」が色々動き回り、縁結びの神様となり、また大手企業は、有名4年制大学から男子社員を採用する一方、それほど有名でないにしても短大から社内結婚の候補者を採用していました。
企業が『恋愛結婚』の下準備をしてくれていたのです。その様な企業の配慮を知って知らずか、社内恋愛の後、社内結婚が成立して女性は壽退社するのが通例でした。
ところが、時代が進んできますと、壽退社予定で採用した女子社員が結婚もしないで仕事中心で頑張ったりして、いつの間にか女子の「総合職」社員を採用するようになりますと、企業から社内結婚の配慮が無くなったようですね。
結局、まわりのお節介がなくなると、現代の日本では、恋愛結婚が理想と考えられたものの、この恋愛の成立が極めて困難になっているようです。仕事が忙しいとめぐり合う機会そのものが減ってしまうだけでなく、携帯電話などの普及から人々が直接あって話をすることも少なくなってしまいました。
それでも、結婚をしようという意識があるなら、少ない機会も積極的に活用するのでしょうが、中々恋愛にまで進行しないのは、何故でしょうか。
若い哲学者の萱野稔人(かやのとしひと)さんによりますと、恋愛結婚の本質は物々交換だということです。(『右肩下がりの君たちへ』佐藤優対談 ぴあ91頁)
要するに、魚を10匹持っている人とキャベツを5個持っている人が、夫々交換を考え、キャベツ1個を魚2匹か3匹と交換するため交渉に入り、3匹で合意が出来れば交換が完成します。
恋愛の場合は、女性と男性がお互い相手の望む能力を持っていると合意が出来れば結婚ですが、実際は、人は自分に甘く相手に厳しい条件を要求し、また男女とも自分と相手の能力査定が難しいので、なかなか結婚できないということのようです。
最近では、それに加え、低成長経済の中で、賃金が低下し、労働者の疲弊が進み、その挙句結婚して子どもを育てて労働力の再生産も大変な状況になっているということでしょうね。
あと、思いつきですが、女性の社会的地位が上がって、男性と対等の関係に近づいた結果、女性の貞操観念が低下(男はもともと低い)して、結婚を前提としない「セフレ」などが多くなっているのではないでしょうか。数十年前は、これからはフリーセックスの時代などと言われ意味も分からなかったのですが、現代は、女性も適当に性欲を処理できるから、家庭に縛られての専業主婦などやっていられない、と考える女性が多くなっているのでしょう。
しかし、現実の社会はまだまだ男女は平等ではありませんから、30代から40代になって生活の基盤を支えてくれていた両親が亡くなった後、多くの女性が生活保護の受給者となりはしないか、心配です。40歳を過ぎたら、急いで結婚しても子どもも生まなくなってしまいます。
今の市役所などの結婚相談所の登録者は、20代の女性は殆どゼロに近い状態であり、結婚しなければと将来の危機に気づいて、まだ望みを失っていない30代後半から40代、さらには50代の女性も多く登録しているようです。それ以上の高齢者の登録も多いようですが、今ここで考えている結婚は「お茶のみ友達」とは違いますから、念のため。


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posted by やすかね at 18:12| 千葉 | Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする