2012年01月26日

裁判官は綺麗好きです

某有力保守党政治家が、仲間の政治家に対し右翼の街宣活動を中止させやるから金を払え、そうしないとあんたの選挙区でガンガンやる。やられるとアンタ次の選挙が大変だなどと「恐喝」した事件がありました。

証拠上は明らかに被害者である原告が有利ですが、裁判所では地方裁判所でも高等裁判所も共に請求を認めてくれませんでした。第一審判決後、「裁判官は綺麗好きだから、このような政治家の、一般人から見ると観たくもない事件なんか、その結論はどうでも良いんだよ。」とつぶやきましたが、高等裁判所の裁判官もやはり同様でした。

高等裁判所では、原告の外にもう一人350万円を脅し取られた現職議員の陳述書も提出したのに対し、被告は『時機に遅れた攻撃防御方法だ。』などと反論はしたものの、その内容が間違っているなどと言えませんでした。結局、証拠上明らかに原告有利であるのにも関わらず裁判所は、被告に対し支払った金を返せとは言ってくれませんでした。

民法の冒頭に「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行なわなければならない。権利の濫用はこれを許さない。」と定め、この条文は「信義誠実の原則、権利の濫用は許さない。」と言われ、法解釈の大原則となっています。

最近少なくなりましたが、ヤミ金から高利で金を借りて一定金額の「利息」の支払をしたような場合、かねてから私達弁護士が「10日に1割などというような犯罪行為になるような金の貸し方をした場合には、貸した付けた金は『不法原因給付』であるから返済しなくて良い。また利息として支払った金銭は、もともと返さなくて良い金銭に対してのものだから、法律上の原因がないまま支払った金銭(『利息』)だから返還をさせることができる。」と頑張っていたところ、最高裁判所も最近『ヤミ金などから借りたものは返さなくて良い。利息として支払った金銭は返還を求めることができる。』と判断するようになりました。

要するに、「覚せい剤を買ってきてくれ。」とお金を渡した者は、その金をネコババされても仕方がない、法律が関与することではない、という事です。
法律の救済を受けるものは自らクリーンでなければならない、「クリーンハンズの原則」という事です。この原則に反する「社会活動」の中では法律は関わりを持たない、また犯罪行為の被害者に対し、国家は「司法が法に従って、アダ討ちをするから、自力救済を禁止する。」と宣言します。

これを裏から言うと国家が救済を行わない範疇では自力救済でも何でもやれ、とまでは言えませんが、国家は汚いことには手を染めない、これがまた法を担うエリート法曹の感覚です。皆さん!神の手に近い、法の救済を求めるなら、常にわが身を潔白にしておかなければ成らないのです。ですから、儲けようとして損をしても誰も救ってくれませんよ。と言うことです。

今回の裁判を振り返って感想を述べますと、政治家とヤクザを一緒にすると叱られますが、結局法律家、特に裁判官は、政治家はヤクザの親戚と考えている、と思っておけば間違いはないということです。『悪い奴程よく眠る』という映画がありましたかね。悪党になるならトコトン大物になる必要がありそうです。
posted by やすかね at 14:40| 千葉 晴れ| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

2012年お年賀

明けまして、おめでとうございます。
ご家族ご一同様のご多幸をお祈りします。(合掌)
ヨーロッパを含め世界の政治・経済の先行きは、不透明です。わが国も大震災からの復興だけでなく、デフレからの脱却と政治的改革が必要です。
紀元前四世紀、ギリシャの哲学者プラトンは、「哲学者が政治を行うか、政治家が哲学を学ばなければ国々は不幸なり、人類も同様だ。」といっています。
我が国では、選挙で勝つこと、また政権に就くためには、誰と組むか、ということばかりで、国家・国民のために何が必要かという一番大切なことが議論されていません。政治哲学の欠如が深刻です。日米欧の混迷の中、経済発達した中国が、そこに付け入るべく航空母艦を建造して、尖閣列島、東アジアでの覇権を企んでいます。ですからTPPが必要なのです。
わが国の政治家が哲学を学び、国際基準で思考できなければ、単なる税金泥棒です。大阪で見られた様に、今の日本社会は「英雄」待望論です。十分な情報開示があるなら「独裁」の方が迅速・安上がりで、やすかね。・・ファシズムは「束ねる」(団結?)だそうで・・
2012年元旦 
千葉市中央区中央4丁目10番8 コーケンボイス9階
                 (電話番号043-222−4680)
やすかね法律事務所 弁護士 伊藤 安兼
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2011年12月21日

性もない裁判官

裁判官は、身分が保証され、報酬も公務員の中ではトップですが、それだからこそ、御身大切とばかり、何かにつけて、自分に責任がこないようにアレコレ細かいことを言います。

これは、15年ほど前の古いことですが、85万円の借金を負担した、女性パートの高齢者、裁判菅は85万円くらいなら返済できるだろうと破産決定を嫌がっていました。私が、「裁判官!時給850円で働いて1000時間ですよ、一年間(パートだから)、ただ働きしろと言うのですか、破産決定が出来ないなら、却下してくれて結構です。」と却下決定に不服申し立てをするつもりで強く言ったところ、それならということで破産決定を出しました。

最近では、オーバーローンの家を抱えていたので、破産同時廃止の申請をしたところ、裁判官は管財事件にするというのです。これで、家の処分がつくまで長い時間がかかり、管財費用(20万円)も余分に必要です。新米の弁護士がスゴスゴ帰ってきたので、管財費用のあてもないので仕方なく「取り下げ」て、最近また出し直しをしたところ、また同じ裁判官です。

今度は妻の医療費の支払をしたことを証明できる書類を出せ、ということです。裁判官の言い分は、毎年確定申告をしているし、きちんとしているようであるから領収書などあるはずだ、というのです。
実際、几帳面な人なら借金まみれに成ることなどありませんし、その確定申告も全くいい加減なものでした。そこで私が横から話をしようとするとその裁判官「代理人は黙っていろ」と遮られてしまい、私はムッとして黙り込んでしまいました。代理人としての意見を言わせないのです。

実に時間の無駄と思われるようなことをくどくど聞いていました。大体短い時間で破産者にお説教などできるはずもないのに、自分が神様のごとくお説教するのです。そんなお説教は事務所でやっているし、裁判所に破産の申立をするということ自体、本人にとってこの上に反省の機会なのです。だから、いいじゃないか、その程度でと考えますが、自分は偉い裁判官だからと思い違いをしています。

結局、裁判官も自分の疑問点をくどくど聴いてしまったので、それほど「疑問」があるとすれば、責任を持って破産同時廃止という決定をすることが出来なくなってしまいました。そこで、本人と代理人に納得の行く説明資料を持って来いということになり、本人が病院に領収書の再発行をお願いに行くはめになりました。

そこで、債務者が病院に赴きお願いしたところ、病院では領収書などの再発行に一枚500円かかるということで5年分だと3万円ほどの費用が必要となります。已む無く、費用節約のため、5千円払って弁護士会を通じて、医療費の概算でも提出願いたい、と申し入れをして、裁判所を待たせていると、裁判所の担当書記官から、その後どうなったかとの問い合わせがありましたので、これこれしかじかで、病院から報告があり次第提出すると回答し、また病院にも電話して、極めて丁重に「大変ご迷惑をお掛けしますが、何しろ裁判官が出せというのですから」とご迷惑をお掛けするのは裁判官であることを十分ご説明してお願いしたところ、事務長さんも快く応じていただきました。

ところがですよ、翌日裁判所から破産決定が送られてきました。そこで急いで病院にムダなご迷惑をお掛けしては申し訳ないと思い、「昨日の件、如何でしょうか。」と電話をしたところ『午前中郵送しました。」という事です。「あーあ、なんてこと」と大変申し訳なく思いましたが、「そうですか、大変有難うございます。助かります。」などと小さなウソをつくはめになりました。こうなると、アホナ裁判官のために、ウソをつかされ、病院には大変なご迷惑をかけてしまったことになります。必要でもない裁判官のつまらないお説教を聴き、事件には全く関係のない第三者の病院にはお詫びのしようも有りません。とにかく、病院から送られてきた回答書は弁護士会の役員の間で「決済」をしてこれが代理人弁護士の手元に来るまでまた1週間程度かかります。つくづく裁判官の権力がムダに使われるのは害がありますね。

竹中平蔵さんと冨山和彦さんの対談本『日本経済今度こそオオカミはやってくる。』(PHP)で明治維新後近代国家の体裁を整えるべく記憶力のよさそうな人間(これは記憶力は良いが、本当は頭の悪い人間のことを言っているのでしょうね)を集めるために試験を行った。と書いてありますが、現代の裁判官も恐らく同じ程度でしょうね。

今回の件をおさらいしますと、あの裁判官は破産決定を中ぶらりんでいることに対してきっと面倒になったのでしょうかね。裁判官お勉強だって出来ますから、人間はだれでも物事を整合的に考えることができる、と誤解しているのですね、ですから、破産するような人の頭の中が理解できないでしょう。
  
しかし、世の中、全ての人が物事を合理的に考え、整理整頓が出来ているなら、裁判官も弁護士も警察だっていらないんです!みんなある意味で馬鹿だし訳が分からないから専門家がいるのです。その辺の事情が分からずに裁判官なんかやっていられると、普通の常識人が迷惑を受けるのです。あーあ馬鹿馬鹿しい。手間暇と5千円さらには病院に大変なお手数を掛けてしまいました。弁護士会だってムダ骨を折ったのです。

posted by やすかね at 17:33| 千葉 曇り| Comment(0) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

落語国際大会

落語国際大会
12月10日(予選)、11日(本選)両日NPO法人フォーエバー主催で第1回落語国際大会が記載されました。78名の応募の中から39名が予選に参加し、三遊亭圓馬師匠の門下から10名が予選会に出場しました。私も圓馬一門から「せんよう(千葉)亭ロイヤ」の名前で出演し、第3会場の光明寺本道で「つる」を8分にまとめて熱演しました。その結果見事に予選を・・・通過できませんでした。

本選は、3会場から各3名選出され、せんよう亭一門3名、鹿鳴家(かなりや)一門4名の外、フランス人の尻流さん、御門屋菊之介さん、最後に新作落語で挑んだ、校長になりたいという高校の先生である成田家光蝶さんが特別枠で出場して、計10名で行われました。

中には予選の8分に枕を適当に2分ほど足すという「手抜き」もありましたが、それ以外は全員熱演で、本物の寄席に木戸銭を払って聞くより面白かったというのが率直な意見です。フランス人は「国際大会」ということで、「外人枠」で出たのだろうなどと高をくくっていたのですが、その演題「動物園」は物凄い迫力であり、これなど本物の寄席で、前座のやる「開口一番」をはるかに凌駕していました。特に多少アクセントが変でしたが、日本語には全く誤りがなく、終了後名刺を頂いたところ、外交官のようであり、日本滞在14年ということですが、フランスでも相当の高学歴であろうと思いました。

優勝した鹿鳴家さん歩さんの「鹿政談」は、真打といえる話芸で、審査員及び会場全体が一致した結論だったと思います。準優勝は我が一門のZ(ゼツ)校長さんの「ちりとてちん」であり、裏に住む知ったかぶりの「たけ」に腐った豆腐を食わせるという「す豆腐」のような話を関西弁で見事に演じていました。

予選で私と同じ第3会場で「弥次郎」を物凄い迫力で演じた「センセイ」は、堂々としたものでしたが、枕で「予選は遊びでやった」と話したほか、15分の制限時間の枕で羽織を脱ぐなどという鼻についた演技がイヤミで、また話の内容は堂々とした「男の花道」でしたが、約2分弱オーバーしたことで、審査対象から外されたのではないかと思いました。とても上手だったのですが、残念です。

来年は、参加者のレベルがとても高いということで、挑戦するには面白いようです。ゴルフでも落語でも何処にでも上手な人は五万といるというのが実感です。しかし、最後に審査員の師匠が『皆さん、プロになるなんて考えないほうが良いですよ。』と言っていましたが、なんでもそうでしょうが、芸事でプロになることは、色々の面で大変だということでしょうね。アマチュアが一番気楽ですよ。やっぱー!
posted by やすかね at 15:15| 千葉 | Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月14日

芸能人の能力

もう10年以上前ですかね、知人の息子の結婚式にご招待されました。そのとき、俳優の関敬六さんも絵宴席にいらっしゃいました。

私はフーテンの寅さんのファンでしたので、寅さんと同業でチョイ役の関さんをみても、失礼ながら格別感激もせずいたところ、来賓祝辞などが滞りなく終了して、宴もたけなわになった頃、関さんが一人でマイクを取り、フーテンの寅さんでお馴染みの「帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と、発します。」などと仁義を切り始めますと、ざわついていた宴席が集中し始めました。

そして一人で15分以上座を盛り上げたのを目の当たりにし『芸能人の能力はすごい。』と感激したものです。
以来10数年経過し、昨日幕張のグリーンタワーで行われた「稲毛新聞を励ます会」で、もう70歳半ば(実は71歳)になったと感じられる昔懐かしいジェリー藤尾さんとやはり往年のスター永沢純さんと同席となりました。

私とすれば10数年前の関さんの一件もあったのですが、お二人を接近した正面から伺ったところ、正直言って「あまり・・・」と感じていました。

ところが、ジェリー藤尾さんが永沢さんを誘い、舞台で二人して『マイウェイ』合唱したとき、「芸能人って、素晴しい」と改めて感激した次第です。何も打ち合わせもなく、見事な舞台でした。私は10数年前と同様ざわついていた会場が舞台に集中させられてしまったことに、昔の結婚式を思い出しました。会場内で会話をし、酒を飲んでいる人は見受けられませんでした。

決して芸能人は高学歴でもないでしょうが、長年、人間対人間のなかで鍛えられてきた人には学歴なんか関係ない「人間力」で人を感激させられる能力がついたのか、それとも天性のものでしょうかね。私としては多くは人間の努力の賜物でしょう。見習うことは多いですねと思います。
posted by やすかね at 16:47| 千葉 曇り| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TPP参加は政治の最大関心事

10月下旬稲毛新聞に投稿し、これが11月9日千葉市内15万部に配布されましたので、このブログに掲載します。原稿から記事になるまで20日ほどありましらが、それにしても、実にタイムリーでした、昨日は、野田首相がオバマ大統領と会談し、これに対して中国が牽制していますが、中国は最近航空母艦を持ち、尖閣列島、ガス油田開発などわが国の権益を害するのではないかと懸念されています。この様な意味からも、最後に書いてあります経済ブロックとして中国を「仲間外れ」にして行こうとすることが、わが国の国益に適うのか、経済産業省と農水省だけでなく、外務省・防衛庁などとわが国の意思統一を図り諸外国と対峙することが不可欠です。
わが国の国会議員はグローバルスタンダードでものを考える能力がなくては勤まらないと思いますね。どこかの国会議員は、政務官になったこと自体が嬉しいらしく新年会で数十回「政務官」を繰り返したようですが、政務官になることが大切なことではなく、何を考えどの様に行動したか、それが大切ですし、しかもそれがどぶ板のことではなく、わが国の国益を考える「グローバルスタンダード」でなければなりません。そしてさらに国民を説得できる能力が必要と考えます。

TPP参加は政治の最大関心事
今最大の政治的問題はTPP参加の是非です。わが国は人口減少、若年者の就職難、20年も続く低成長から巨額な財政赤字、年金問題と東日本大震災からの復興など、現状を大きく変えなければ確実に沈没してしまいます。自民党・公明党・共産党の賛成で千葉県議会は10月18日TPP参加反対の意見書を採択しましたが、TPP参加反対の大きな柱である農業・医療従事者などを「説得」できる政治家の強力なリーダーシップが不可欠です。
閣内でも対立
閣内でもTPP参加の是非をめぐり経済産業省と農水省で対立していますが、その根拠となる経済的影響に対するデータがそもそも違っているのです。要するに閣内でも「見通し不鮮明」で、TPPに参加したときの影響は明らかでないが、「交渉」参加すら反対している農水省は、言うなれば幕末の尊皇攘夷派とでも考えればよいのでしょうかね。
明治維新の貿易の自由化で成長した
ところで、明治維新(1870年)までの江戸時代50年間の平均成長率が0.2%であったものが、1870年から1940年まで平均成長率は1.9%と上昇しました。しかし、自民党が政権運営した1990年からの「失われた20年」は明治維新後より低成長でした。(後出「日本経済の底力」13頁)
自由貿易は国境をなくす
昭和初期、朝日新聞を先頭とするマスコミが満蒙進出を煽りたてる中、戦後内閣総理大臣となる石橋湛山は『戦う石橋湛山』(東洋経済)の中で「支那(ママ)全国民を敵に回し、引いて世界列強を敵に回し、なおわが国はこの取引に利益があろうか。」と外国領土を侵略して資源を獲得するより、自由貿易こそわが国の利益になると主張しました。
楽市楽座が経済を成長させる
明治以後、世界中の帝国主義国家が外国を植民地にして自国経済を活発させたのですが、現在は国境を越えて人、物、資金が自由に移動できる社会こそ経済発展の原動力、人間生活を豊かにする方法でしょう。昔、織田信長は税金のない楽市楽座で経済を活発化させましたが、今やグローバルに楽市楽座を展開するのが経済発展につながるようです。
TPP参加でアメリカの餌食になるか
『拒否できない日本』などでアメリカの対日政策を批判し、さらに『国家の存亡』(PHP新書)で関岡英之氏がTPP参加に反対しています。これに対し戸堂康之氏は『日本経済の底力』(中公新書)の中で経済成長は生産性の向上にあり、TPPに参加すれば日本の底力が発揮され、国難を乗り越えることができるとしています。農業にしてもわが国の質の高い生産物は十分世界に対抗できると、丹念に経済指標を整理して主張しています。政府は19日(10月)農業のため、さらに4000億円の補助金を用意するようですが、農業基盤整備ならともかく、個別所得保障のようなバラマキでは日本の農家は強くなれません。
TPPの本性はブロック経済
最後に知の怪物と言われる佐藤優氏は、台頭する中国をブロック経済であるTPPの外に置くことでコントロールできると『一冊の本』(朝日新聞出版2011 10月34頁)で喝破しています。先日テレビのコメンテーターもTPPは対中国戦略に有効との趣旨の発言をしていました。佐藤優氏の日本の政財界・マスコミに対する影響力は今や絶大ですね。
posted by やすかね at 14:52| 千葉 曇り| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

脱原発は排外主義?

今の暑中見舞いで『ところで、一所懸命「節電」を考えるのですが、原発も人間が運転しますから私達が覚悟を決め「貧乏を我慢」できれば、ストップできないこともありません。』と書きました。原発事故からわが国では節電は当たり前として、さらに脱原発に進むのか、どうもこれは難しいのではないかとの疑問からそもそも「貧乏を我慢」できるのかと考えたのです。

一冊の本(朝日新聞社)10月号に佐藤優氏が「脱原発は可能か」というのは問題の建て方が間違っている。建てるべき問いは「脱電力は可能か」であり、この問いは必然的に自分の暮らしと直結します。と書いています。

要するにドイツのように「脱原発」と叫んでも、自分たちの暮らしを犠牲にしなければ隣国の原発から電力を輸入することとなり、結局これは嫌なものを他者に押し付ける「排外主義」になるという分析です。
社会にゴミ処理場などの嫌悪施設が必要としても、(何も考えずに・・)それは自分から遠いところに作ってくれと言うならそれは「排外主義だ」になるということです。

ですから、暮らし経済を考えずに「脱原発」を唱えることは排外主義となるので、節電と貧乏を何処まで辛抱できるか、その上でどの様な経済政策を選択をしてゆくべきなのか、この様なことを考えてゆかなければならない、と思いました。

このブログも大分時間があいてしまいましたが、野田内閣ができてから、私も政治に関して余りコメントをしたくなくなったのですが、これも多くの人が共有している「沈黙にこめられた思い」だそうです。ナァーホド書きたくなかった原因が判明しました。
posted by やすかね at 15:20| 千葉 曇り| Comment(1) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

エコ運転のススメ

私の車も購入以来11年目、先日走行距離20万キロを突破しました。普通に加速し、ブレーキを使用しながら運転していますと、古くなったことも原因でしょうが、高速使用が多い割に燃費はリッター9キロ程度です。
車には瞬間燃費の表示が出ますが、満タンから給油のランプがつくまでのエコ運転をしたことがなかったので、最近流行であるエコ運転を徹底してみました。
70リッターで満タンですから、通常550キロ走行するとスタンドで給油をするというパターンでしたが、今回はエコ運転の成果もあり700キロまで走行してからの給油となりました
つまり、約700キロのエコ運転をしたところ、結論として100キロあたりの平均燃費が10.9リッターのところ、9,2となりました。ハイオクが149円ですので、10,638円が9,595円に減り、約10%である1,043円の節約となりました。
そこで、エコ運転のポイントを書きますと、@止まらない、Aブレーキをかけない、B急加速をしない、C回転数で2000を超えない、そのためにはD車間距離をとる、E先の信号の変化を見る、最後にFアイドリングストップを実行する、などでしょう。
具体的に指摘しますと、車は発進のとき一番燃費が悪いのですから、近くと長距離に限らず、車を止めないことが大切です。止めないといっても赤信号があるではないかとご心配されるでしょうが、これは大きなポイントです。
通勤に慣れた道路ですと、信号機に内蔵している時計は電気時計ですから停電がない限り何処の信号も同じタイミングで赤青黄色と変化します。つまり、毎日使う道路の信号のタイミングを覚えることが大切です。
今正面の信号が青になったので急いで次の交差点まで進んだところ、赤信号でブレーキを掛ける、これが一番おろかな運転となります。   
前方の赤信号が見えているときは、絶対車を加速しないでアクセルは離します。惰力で進みながら、信号が変わり前の車が動き出した後で追いつける程度の進行でよいですね。
赤信号で止められることは必ずありますのでそのときは、5秒以上の停車にはエンジンキーを切ります。黄色の信号で止められたときは、少なくとも30秒は停車しますから必ずエンジンをストップしましょう。エンジン始動は4台くらい前の車が動き出すときで大丈夫です。
次に重要なエコに結びつくのが、前の車との車間距離をとることです。前方の車の流れる速度は常に一定ではありませんから、前の車のスピードがアップ・ダウンしても、これを車間距離で「吸収」すれば、自分の車は限りなく一定の速度で走れますので、ムダな加速を避けることが出来ます。
なんと言ってもエコ運転の一番のメリットは、一定の速度で走ることから、人に追い抜かれても全く腹が立たないということでしょう。おだやかーな気持ちで運転することは安全運転に不可欠でしょし、お金に変えられない良いところでしょうね。逆に後ろの車の運転手はイライラしているかも知れませんが、どうせ急いでも次の信号で止まるのです。
それでは、皆様安全運転につながるエコ運転を心がけましょう!
posted by やすかね at 14:01| 千葉 曇り| Comment(0) | 世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月05日

災害復興資金の捻出

みんなの党通信、7月29日号(第70号)を読んでいますと、政策ウォッチング−政策工房会長 高橋洋一氏より寄稿がありました。 【円高は人災である】と題し、今の円高について論じておられました。

要旨、「円高は一企業で対応できないなら、政府が対応しなければいけない。しかし、為替へ介入して相場を動かすのは愚の骨頂だ。原理は単純。円とドルでどちららが相対的に多いか少ないか。多いほうの通貨は希少価値がなく安く、少ない方の通貨は希少価値が出て高くなる。」ということでアメリカは「リーマンショック以降、ドルを刷りまくったので、円高になっているのだ。」からわが国の対応としても「円高への対策は円を刷ればいい。」ということです。
・・「つまり、デフレも円高も根は一つで、円がすくないことだ。日銀が円をだせばいい。政府から仕掛けるなら日銀引受。これで円高もデフレも一発撃沈する。日銀引受というと禁じ手という。マスコミも知識人もみんな騙されている。実は日銀引受は毎年行われている。既に国会で議決された今年度予算でも30兆円の日銀引受枠が認められている。しかも今年度の予定額は12兆円なので18兆円余りがある。日銀総裁は日銀引受に反対という。しかし、国会で誰も質問しないが、それは予算無視の暴言である。18兆円の余り枠があっても、それを実行しなければ政府の怠慢である。というわけで、円高はまさしく人災である。」

これは自説にたいして力強い応援があったということで、以下ご紹介です。先ず、県議選のさなか「伊藤やすかねの大胆な私論」として「みんなの党通信」(3月25日)に書いたのですが、「わが国の円の発行残高は約80兆円だが、アメリカのドルの発行残高は4200兆円(GDP比率3.5倍=350%、わが国に換算すると1508兆円)にもなるので、わが国も災害復興資金として発行残高の20%である16兆円を印刷すればよいと「円の水増し」を求めました。これでもまだGDPの20%であるから、アメリカの350%に比べればかわいいものです。・・18兆円と16兆円で近いですね・・

また覚えておいででしょうか、2009年の年賀状では「アメリカは、ドル札を印刷し、世界中から消費財を買った挙句に、ドル暴落です。」と書きました。要するに、アメリカは、金などと交換できない紙であるドルを大量に印刷して世界中から石油、工業製品など様々な物資を買った後で「この1000ドルは今度500ドルに引き下げてくれ。」と言っていると同じなのです。
今の最大に被害者は中国でしょうが、これまでわが国はたくさんの外貨であるドルを貯めまた大量のアメリカ国債(最初は360円)を買っているのです。それが今は80円になってしまいました。国内の不景気はアメリカの責任であるといえるのです。
また、これについて黙っているのが歴代内閣なのです。これで良いのでしょうか?
posted by やすかね at 19:22| 千葉 晴れ| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

「絆」が大切さ、この格差社会

8月3日住友生命では「日本の未来を強くするために必要なものを表す漢字一文字」を募集したところ、「絆」が「愛」464、「信」の397を圧倒し1,419で一位となったそうです。

その理由として今回の大震災で人とのつながりの大切さが見直されたと解説してありますが、私はこの様な見解は皮相だと考えています。

私たち日本人は(というと何か民族主義的な臭いがしないわけでもありませんが)昔から、家族・地域の助け合いがあって社会が成立していたと思います。

村八分などという言葉もあるとおり、村での十分の付き合いは正に「絆」の典型でしょう。色々の煩わしいルールの中で人と人との関係が成立していたのです。

地域集団の中でとんでもない悪い奴は「仲間外れとしての村八分」の制裁を受けたのですが、それでも火事と葬式ではお互いが助け合う関係にありました。

戦後の高度成長経済の中で「生産効率をあげるため」に「資本主義的不合理」を徹底的に排除するなかで、それまでの大家族はバラバラになり、夫婦と子供を単位とする核家族のなかで今のこの格差社会、匿名社会(アパートの隣の人が何者か一切分らない)が出来てきました。

以前喜怒哀楽にも書きましたが、私たちの地域にはお祭りになると家々を回りモチをもらいながらこれを一年分の食料として生活している「知的障害者」がおりました。彼はお祭りになると地域の家々からモチをもらう「権利」を持っていたのです。地域社会は生活困窮者を支える絆であふれていた社会だったのです。

それが最近は、煩わしさを徹底的に排除する中で「絆」を失ってきたということです。

8月2日に映画監督の山田洋次さんが映画「東京家族」を制作する予定だそうです。今なぜかというと「家族や地域が成り立つためには沢山の約束事、決まりを守らなければならない。その煩わしさから開放され、ある意味での個人の自由を得ようと・・その中で他人に関心を持たず、自分だけ幸せならいいというエゴイズムが生まれた。国の経済発展がそういう人間を作ったともいえる。」と述べています。

社会のまとまりがなければ、その隙間に国家権力がゴリゴリ入り込み結局個人の自由がなくなってしまうのではないか、何でもお金(これは国家が流通させている)で「解決」し他人とは無関係(「自由」)な社会が社会から落ちこぼれた人の将来を悲観的なものにしてしまい、無差別殺人など発生する下地を作っているのではないかと思います。

モチをもらい歩ける社会的弱者に対し、お金でなく「援助」という「贈与」が出来る社会だけが、今のこの格差社会を少し立ち直らせることができるのではないか。人のために何が出来るのか、一人ひとりに考えさせてくれるのが「絆」ではないでしょうか。貴方は今どの様な贈与をしていますかな?
posted by やすかね at 19:01| 千葉 雨| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする